はてなキーワード: 随意とは
このまま仕事を続けようが退職して博士課程に行こうが、どちらを選んでも後悔するだろう選択であることは容易に想像が付く。
だからこそ博士課程への迷っているのだろうが、今決められないなら博士課程に進む進まないを決める前にそれを決めるための具体的な行動をとってしまうのが良いように思う。
私も一度産業界に出てから博士課程への進学を迷ったことがあるので、その時にどうしたかを思い出しながら書いてみる。
このまま仕事を続けるか、それとも退職して博士課程に行くか、(ないしはそれ以外の第三の方法を採るか)をいつまでに決断するかを決める。
そして、その決断以降はそれについて蒸し返さないと心に決める。
具体的な期限を決めるとめどが立てやすくなるので、まず決断の期限を決めてしまうと良さそうに見える。
院卒2年目という若手のようなので、この決断までに今から1年なり2年なり時間を取ってもかまわなそうに見えるが…期間設定については自分の責任の取れる範囲でご随意に。
博士課程への進学をする場合に、どういうタイムテーブルでどうアクションを起こすかを具体的に紙などに書き出してみる。
「○年○月までに退職届を出す」「○年○月までに現在の仕事を引き継ぎ」「○年○月までに退職」「○年○月ごろに引っ越し(引っ越しが伴う場合)」「○年○月ごろに1本目の論文を出す」「○年○月ごろに博士ゲット」など想像できる範囲で日程をイメージしてみる。
もちろんここで引いたタイムテーブルの通りに物事は進まないだろうが、自分なりの目安にはなるだろうので書き出してみることをオススメする。
加えて、進学した場合にお金についてどうなるかも大まかな概算でいいので出しておくとよさそう。
私の場合、確か5年先までの3ヶ月ごとのお金の状況がどうなっているかを簡単にシミュレーションしたように記憶している。
これで「退職するまでにいくらあればよさげか」「退職後は1ヶ月ごとにいくらくらい稼ぐ必要があるのか」あたりの目安が出てくるはずだ。
ちなみに仕事していると貯金とかできちゃったりもするものだが、無職になるとお金の減りは想定以上に速いのである程度覚悟しておいた方が良い。
博士課程への進学を考えているくらいなので、過去に自身のいた研究室の中に友人に博士に行った友人や先輩もいるだろう。
具体的な進学先のイメージがあるなら、そこに所属している人を伝手などをたどって捕まえられるならその人でも良い。
そういう人たちに話を聞きに行き、実際のところ博士課程がどうなのかを聞いてみよう。
メールなどではなく、可能な限りリアルで話を聞きに行く方が良い。場合によっては社会人ぶってお酒をおごりながら。
可能であれば先生(研究室の教授ね)に相談してしまってもいいかもしれないが、先生方は意外と適当なことしか言わないので気をつけるべし。
本質的にやりたいことを成し遂げるために博士課程以外の選択肢がないかを検討してみる。
「自分で新しい価値を考え出したり、それを自力で実現したりする過程を体験したい」「ちゃんとした論文誌にファーストで論文載せたい」を成し遂げるには、野良の研究者でもやれたりしないかとか(帰宅時間が遅くなろうと、飲み会に行こうと毎日0時まで研究時間に充てればできるのではないか…とか)、研究所に異動する方法はないかとか、大学に出向する方法はないかとか、大学院に行ける社内制度はないかとか(大手メーカーだと制度上あったりする)、博士課程進学以外の選択肢も無くはないので考えてみても良さそう。場合によっては、転職という方法もなくはないし、博士取るだけなら論文博士という手もある(わりと茨の道っぽいですけれども)。
博士課程への進学を迷うのは気持ちとしてはとても分かるが、「いつまでに決断するのか」「決断するために自分に足りていない情報は何か」あたりを意識しながら具体的な歩をすすめていけば、どうであれ決断はできるだろう。
迷っている間にもできることはあるはず。
名器って本当に実在するのかもしれない。
いままで「膣って不随意筋なんでしょwww」と思ってきたけれど、考えてみれば形も一人一人違うわけで、相性のよさが存在するのも当たり前。
「信頼し合った相手とするセックスが一番気持ちいい」とも言う。けど、好きな人とセックスするとき、できるだけ気持ちよくしてあげたいわけで。
もし自分のセックスが下手だったとしても、知る機会ってあまりなさそうだ。
セックスについての、きちんとした研究ってあるのかなあ。普通に検索してもなんだかうさんくさいものばっかりで。
誰かが、「男も生理になるんだとしたら、生理についての研究はもっと進んでるはずだ」って言ってたけど、わかるような気がする。
おっ。おっ。議論続けちゃう? ありがとう! いーよーどんどんやろう!(ニコニコ)
>俺を馬鹿と思うのはそちらの勝手だし、言うのももちろん勝手だよ?
>というか、さっきから再三そちらは俺を馬鹿って言ってるけど、俺はそれについて一切問題にしていないでしょ?
>どうぞ、ご随意に。
そうかね馬鹿。好きにしますよ馬鹿。ああこれじゃ議論が続かないわ馬鹿。
>俺の言ってることを正しく理解した上での返しであれば、引っ込むよ。
>俺が言ってもいないことをさも言ったかのように言うから、「いや俺そんなこと言ってないし」って返さざるを得なくなってるんだよ。
じゃあ全然関係ない奴がつけてきたトラバに横入りしてきた上に「横増田でーす」みたいな事言うなや。はっきり言って邪魔。
>自分が言ってもいないことをさも言ったように言われれば、「いや俺そんなこと言ってないし」って返したくなるのは人情でしょうが。
そうかぁ? ああこいつ話が通じないんだな、で話終わるのが普通じゃねぇの?
人情wそれ人情って言うんだwごめんちょっとマジで笑っちまったwはー…優しい世界で生きてんなー…。
>要するに、
>「辞書的には正しいのだからそんなに馬鹿にすることなくね?」
>「いや俺そんなこと言ってないし…」
そうかそんなに馬鹿にする事じゃないのかじゃあやめよう、なんて言う奴が居ると本気で思ってそうなのが恐ろしい。
そんな奴ぁいねぇよ?
>↑こうなっちゃってるわけだけど、例えば、
>「辞書的には正しいのだからそんなに馬鹿にすることなくね?」
>「いや、俺の考える一般的な用例にそぐわなければ例え辞書的に正しくとも俺は全力で馬鹿にする!それが俺の価値観!」
>「…そうですか、じゃあしょうがないですね」
>この2段目みたいに、俺の意見を理解した上での返しなら、引っ込むさそりゃ。
個人間で価値観が違うって事はこれまでの人生経験でもう十分に理解しているだろう?
つまり、これまでのやりとりからすれば、私はお前のような人間はソフトな事を言いながら少しずつ価値観の押し付けをしていって最終的に相手を思い通りにしなければ済まないタイプの人間だ、と認識する価値観を持っている事がわかるんじゃないだろうか。
であれば、ワザワザ言わなくてもわかるだろ? 引っ込めよ。(訳:議論が続かなくなるので引っ込まなくていいです)
>あ、他の増田がどうかは知らんよw
いや、また「横だけど」って言って別の増田のフリしてくるんでしょどうせ?
隠さなくったっていいよー。
俺を馬鹿と思うのはそちらの勝手だし、言うのももちろん勝手だよ?
というか、さっきから再三そちらは俺を馬鹿って言ってるけど、俺はそれについて一切問題にしていないでしょ?
どうぞ、ご随意に。
俺の言ってることを正しく理解した上での返しであれば、引っ込むよ。
俺が言ってもいないことをさも言ったかのように言うから、「いや俺そんなこと言ってないし」って返さざるを得なくなってるんだよ。
自分が言ってもいないことをさも言ったように言われれば、「いや俺そんなこと言ってないし」って返したくなるのは人情でしょうが。
要するに、
→「いや俺そんなこと言ってないし…」
↑こうなっちゃってるわけだけど、例えば、
→「いや、俺の考える一般的な用例にそぐわなければ例え辞書的に正しくとも俺は全力で馬鹿にする!それが俺の価値観!」
→「…そうですか、じゃあしょうがないですね」
↑この2段目みたいに、俺の意見を理解した上での返しなら、引っ込むさそりゃ。
あ、他の増田がどうかは知らんよw
自分でするより彼氏に手でしてもらった方が圧倒的に気持ちがいいんだけど、イけない。
満足はしているし、諦めもついているけれど、こんなに気持ちいいのに申し訳ないなぁという罪悪感はあるし、いったらもっと気持ちいいんだろうなぁとも思っています。
彼氏とは、事後に話し合うとまではいかなくとも、「そこ気持ちいい」みたいのは言うようにしており、気持ちいいか気持ち良く無いかでいえば、気持ちいいです。ナカを思いっきりされるのが好きです。クリに関しては、もっと優しくして欲しかったりもっと激しくして欲しかったりが、まだまだ相手に掴んでもらえてないようです。
一人でするときはクリばかりいじっています。最近はあんまり気持ち良くなれないのでムラムラしたときに処理するくらいの感覚です。
なおここで、私のいう「いく」は、頭が真っ白になったりとか、そういった主観的なものだけでなく、「不随意にナカが痙攣するか?」のYes/Noで判断しています。頭が真っ白になってわけがわからないくらいになる、というのは、手でしてもらうときはいつもそうなので、もしかしたら私の定義が違うのかとも思う。けれど、なんか、こう、一人でするときの、「ふぅ…」みたいなのは無いというか…刺激する場所の問題なんだろうか…。
彼氏としてて、イきそうになると、あまりの感覚に怖くなってしまうんです。また、怖さの他に、これは彼氏には言えてないのですが、イきそうな感覚と排尿感が近く、漏らしてしまいそうになって我慢すると同時に快感からも浸れず我慢する感じになってしまうというのもあります。
尿意に関しては彼氏がラブホが好きでない為に、行為をするのが私や彼氏の家が中心なことも、「彼氏にカミングアウトして漏らしちまえよ」というわけにはいかない、という点を補足します。
また、「手でしてもらう」に特化して書きましたが、本番の合体については精神的な満足感が大きかったり、あとこれは内緒なんですけど割と体力的な面から相手の気持ち良さを優先させたかったり手の方が気持ちよかったりとかそういった理由から、イけないことをほとんど気にしていないです。
どうすればイけるのでしょう。
女体って不思議。
『何事にも全力を尽くす』とかいう理想を掲げて自分の首を絞めて楽しんでるドMはそろそろ理論的に考えてもっと現実的な目標を立てるべき。
霞食って生きられるようになってから言えよって話。
そもそも指標がないのにどうやって全力かどうかを評価する気なの?
主観性が悪いとは言わないけど、漠然としすぎて結局当てもなくグダグダして「できませんでした」ってなるのが目に見えてる。
今から1年後についてかけてもいい、その目標という名の理想、絶対達成できない。
あと~を頑張る系の目標を立てる人は大体できなかったときに「できた・できない」の結果しか見てない。
「何をどんな風にどれぐらいの時間でどういうことをしたけど結果こうなったからこの目標はダメだった」っていうのが全く見られない。
「最初から無理ゲーなのにどうしてそうなった。」ってこっちが訊きたい。
進歩しないんじゃなくて、最初から考えるの放棄した結果なんだから、反省すべきはまずそこ。
落ち込むのはおかしいと思う。
大の大人でもこれを平然と言ってのけるから『コイツ絶対バカだな』って私ごときに思われるんだよ教えてあげないけど。
何事にもってさ、おかしいだろ。
意識的に頑張れる部分よりも、生理現象・無意識・不随意の部分が大半の日常生活に対して何事にも~って(笑)。
じゃあ全ての事柄にベストな対応策知ってるの?って訊きたくなる。
意地悪すぎるかな。
http://anond.hatelabo.jp/20100923075232 を書いた増田だけど。
やりたいことってのは、天職ってのは能動的に探すものではないのですか?
俺が言ったのは能動的に「選ぶ」ものではない、ってことね。能動的に出会う機会を増やそうとすること(= 色々なことにチャレンジすること)は役に立つよ。呼んでもらえるかどうかは運次第だけど。
あと、呼ばれるには準備が出来ていることも必要。ある分野の素人が、いきなりある日「俺の天職はこの分野だったんだ!」なんて覚醒する、なんてことは滅多にない。ある程度スキルをつけてゆくうちに、なんとなく気になる方向があって、そっちにひたすら登り詰めてそれなりの高みに達した後で、ふと下の景色を見下ろして、ああ自分は呼ばれていたんだな、と気づくんだね。だから登りもしないであちこちのぞき回るだけじゃ出会える可能性はゼロに近い。
俺が挙げといたリンク「知っておきたかったこと」読んだ? その中では「頭の中に徐々に結晶してくる」という表現を使ってたな。具体的なアドバイスも書いてあるんだけど、ピンと来なかった?
また言いますが、それこそがGTDの本質なのではないのですか?
そういえば私の提唱した方法論についての反応がありませんね、、
みんな言ってると思うけど。GTDは具体的なゴールが決まった時に、そこに到達するための手段を最適化するものであって、具体的なゴールが決まって無かったら使えないんだってば。
ちょっと戻るけど:
まず人間が意識的に、随意的に目指しうることのできるありとあらゆる目標をネット、書籍などから情報収集し
徹底的に拡散的な思考をし尽し
"それらを全て洗い出して(MECEに)" かつ、その中から
"現実的に(物理的に) 私という人間が達成を目指すことのできる目標" を全て抽出する。
全てはここにある。 私が目指すことが可能な目標は全てここにあって、考えるべきことは全て目の前にある状態。
まず、具体的な目標というのは、ある程度登ってみないとわからないということがある。例えばミュージシャンを目指す人は多いが、一人のミュージシャンを支えるためにどんな職種が周辺にあるのか、最初から知っている人はあまりいない。「音楽業界」という括りで見れば、外から見える仕事はほんの一部だけれど、業界の中では実に様々な職種があって、様々な人が働いている。そういうのは実際に業界で仕事をしてみないと見えてこない。ということは、いろいろな業界で実際に金をとれるレベルで働いてみないことには、全ての目標の列挙はおぼつかない。
さらに、過去20年間にポピュラーになった仕事の多くは、それ以前には存在していなかったものだ。従って、20年後に君が何らかの職についていたとして、その仕事が現在存在していないということは多いにあり得る。それならどうやって目標を決める? 存在し得る全ての具体的な仕事の可能性を考える? それが出来るなら君は既にかなりの才能を持っていることになるね。
一連の考えを要約すると、 人生において早い段階で 「選択と集中」 をしたいんですよ。
自分は何者でもないし、なにか特別な才能があるわけでもない。
特に何ができるわけでもない、 そんな私ができることって 人より多く一つのことに時間を投入することなんですね。
そのためには「選択」が要ります。それも孫さんのいうように腹の底から、覚悟を伴った"選択" それほどまでの"選択"ができて人はやっと"集中"ができる。し続けられる。
「下手の考え休むに似たり」。満足な選択眼も無い君は「選択と集中」を語る域にはまだ達していないよ。
あとね、何もできない、才能もない、だから人より多く一つのことに時間を投入しよう、っていうの、なんか逆だよ。何か出来る人、才能を開花させてる人は、人より多く一つのことに時間を投入した結果としてそうなってるんだから。別に彼らはあなたの知らない近道を通ったわけじゃない。
まずやるべきは選択眼を養うこと。どうすれば良いか、具体的なアドバイスは既にいくつも出ている。それを実際にやるか、それともいつまでも迷いつづけるか、それは君の選択次第。
追記元
http://anond.hatelabo.jp/20100922023512
まず、ありとあらゆる意識的、随意的な思考・行動は すべて目標を達成されるために行われる。
目標を達成するための最適解は存在する。各種、方法論、戦略によって最適解に限りなく近づくことができる。
だが、"いかなる目標を設定するか" ということには最適解はない。
それは、個人がもつ、固有の欲求、価値観、思想、志向性、評価関数というフィルターを通して
"自分が考える、最も満足のいくであろう、望ましいであろう状態、目標"
を定義しそれに向かっていく。
言わずもがなそれは十人十色で、それゆえに人類は、かような多様性を呈している。
逆説的ではあるが、この多様性こそが"人生そのもの"に"目標設定そのもの"に正解がないことを示していると言える。
ここで問題としているのは、そういう「いかなる目標に向かっていくか」「いかに生きるか」
という問いに答えがないということではなく、そういった現実の中で
個人個人は
いかにしていかに生きるかを、いかなる目標を設定し、それを目指して生きていくかを
どのようにして決めれば良いのか? ということだ。
あと、人は、望ましい状態に向かっていくと書いたが それが自分にとって望ましい状態なのかどうかは
"想像することしかできない" のだ。
その望ましさはあくまでも未来において想定されるもので、それは人間の想像力によって判別される。
もちろんそれは完全ではない。想像力をいくら駆使しても "これこそが私が最も満足のいくであろう選択だ" と断言することは無理である。
こうであったらなと思い描いたそれが実現されても、不満足を覚えることは多分にありえる。
だから人は、思考停止・妥協・悟り・諦め ≒ 信じる という行為をもってして生きていく。というかそうしなくては生きられない。 疑えど疑えど答えは出ない。
そういう悩みに消耗し、逡巡、足踏みし続け、人生を台無しにしてる人間は少なくないように思える。
いうなれば、登る山が決まっていなく、彷徨っているに等しいような人生だ。 私はそれを回避したい。忌避すべきものだそれは。
しかし一口に"信じる"といっても、 信じるための方法というか、信じ方があると思うのだ。
一寸先は闇の現実の中、無限の情報に前にし、いかに考えいかに行動するか。
結局どうすれば、良いのか。
私は理性によってそれが(生きていく中で価値観などは遷移していくので軌道修正は必要としても)
解決、、というか処理?できると思っているんですよ。
どうやって? こうやって。
まず人間が意識的に、随意的に目指しうることのできるありとあらゆる目標をネット、書籍などから情報収集し
徹底的に拡散的な思考をし尽し
"それらを全て洗い出して(MECEに)" かつ、その中から
"現実的に(物理的に) 私という人間が達成を目指すことのできる目標" を全て抽出する。
全てはここにある。 私が目指すことが可能な目標は全てここにあって、考えるべきことは全て目の前にある状態。
まずその状態を作り出す。
その個々の目標を"そこに向かうべきか否か" を判断する。その人その人がもつ固有の価値観に照らし合わせて。
ネットや書籍で判断材料を集めたりしたりもする。 その目標に向かうべきかどうかを個々に評価するのだ。
そして達成すべき目標("α"とする)をリストアップする。それを合格可能性が最大化された日常に目標を達成すべく定義されたタスクを巧妙に組み込む。
もちろんその組み込まれた目標は、 合格可能性を減少させてでも達成を目指すべき何かだ。
合格可能性が最大化された日常をベースとして考える。 それはそれこそが今もっとも優先すべき目標であるからだ。最大化こそが(私にとっては)
そして、そういうことを徹底的に追求したその果てに "今、この時間、本当になすべきこと(タスク)" が完全に把握でき
"今、ここで使っている時間は、私が思う最高の(限りなく最適な)時間の使い方だ" という意識をずーーっと持ち続けることができる。私はそれを目指したい。実現させたい。
というか受験生活が終わっても私は人生を通してずっとそうでありたい。これは誰もが思う願望であろう。
それを実現するのがGTDなのではないのか。それこそがGTDの本質ではないのか。
私がGTDに期待したのはそこである。というかそれが実現できるならば
この際GTDじゃなくても良いのだけど。
//何か突っ込みどころはありますか? ちなみに勉強からの逃避にしか見えないという指摘がありますがむしろ逆です。
これは勉強に集中するためになされる能動的な過程です。 顕在意識(=メモリ、RAM)に "今実行すべきタスク"のことしか頭にない状態が理想。
それを実現させてくれるのがGTDなのでは? そうであれば物凄く快適そうに思える。 なるほどその状態は達成すべき目標だろう。最優先で。
//結局、合格可能性最大化を図ることができれば満足なんです。
//他の何か、つまり"α"、それを邪魔する原因としての"α"さえうまく処理できればそれは実現します、それが難しいのですが…
//未知数な、存在するかどうかわからない"α"が見つかろうと見つからなかろうと どっちでも良いわけです。最大化、最適化さえ図ることができれば。
//とにかくすべては合格可能性最大化を阻む原因をいかに排除するか、そこが核心、主眼なんです。
>まだ自分が認識、意識していない時間を割くべき、日常に組み込むべき何か(合格可能性最大化以外の目標、仮に"α"とします。)があるのではないか?
これでいうαは受験生活を脅かす要素です。
返信。
>合格可能性の最大化を図ることによってαの発見・達成が阻害される、と考える理由はないわけだから
合格可能性が最大化された日常ということは極端に言えば、αを意識すらしません。そんな暇があったら問題を一つでも多く解くのです。
だから発見は阻害されますよね
合格可能性の最大化を図ることによってαの発見が阻害されるということで
αの達成を目指すということは最大化が阻害されることになります 最大化が阻害されても
生産性、効率が低下してもそれでもなお目指すべき目標は存在するのか?
存在しないならば最大化されたまま、それを維持した日常を送れます。
しかし存在するならば、考えなければいけないことがいろいろありますね。
>生活の全てを最適化しなければ合格できないとしたら、入ってからついていけるのかい?
あるいは最適化など目指さなくとも、余裕をもって合格できるにしても他に達成すべき目標がないなら
合格可能性を最大化させることに注力します。念には念を。受かる保証などどこにもないのですから。
ここで問題にすべきなのは"学力の向上における効率、生産性を犠牲にしてでも"達成すべき目標、"α"の処理の仕方についてです。
>そうでなく、やりたいことがまだはっきりしないっていうなら、受験勉強を当面のゲームと考えるといい。
そうですね、やりたいことははっきりしていません。大学をいかなる目的のための手段にするのか?という問いには今のところ答えられません。
それに危機感を覚えます。大学がゴールになっちゃって手段になりえてないっていうのが典型的な失敗例でそういう文脈があちこちに散見されるので。(手段の目的化)
なんとなく、俺はこれをするためにあの大学に入るんだっていう明確な意識があった方が動機づけにもなると思うし…
>他にやることがなくて暇だから受験勉強してる、と考えるんだ。そう考えていれば、普段は合格に最適化した生活を送りつつ、他のおもしろいことにレーダーをはっていられる。
こういう感覚良いですね。 しかし受験勉強と同時進行でなくてはならないのでしょうか?レーダー張り。アンテナ?
そうでないといけないというのは常に新しい情報(速報性があるものやまだ読んでないウェブページとか本とかから)を仕入れないといけないということですよね?
それを、なんというか、最初からいっぺんにできないものなんでしょうか?
>当面の目的から目を逸らすために他の目的を探してるだけであり
>しかも見つかってないあたりは救いようがない
前述のとおり、当面の目的に集中するために他の目的を処理しようとしているのです。
これこそが先延ばしの原因であり、心理的な障壁となっているのです。
もし見つからないのなら受験勉強を蔑にしてずっと探し続けることはしません、受験生ですから。
それは大学を出てやりたいことがないからとりあえずニートになるぐらい危険なことです。
>それはGTDとは関係ないけど、難しい。ほとんど人生そのものと同じだからね。
そう言えますね。ほんと難しい…
>とりあえずは「見晴らしのいい場所(客観的に社会と自分を見られる場所)」に行く(社会的・物理的に)こと、かねえ。
心強い意見です。
>うーん。普通は高校生ともなれば、なんとなく将来、こんな風な仕事をしたいとか、目標と言えないまでも、夢みたいなものはあるんじゃないかな。
それがよくわからないんですよね、、、
生活を維持するためのお金を稼ぐために「仕方なく」働いてると思ってるんですよ。
何らかのきっかけで(宝くじあたったりとか)大金が転がり込んできたら現職を続けないであろう仕事に就いているイメージ。
本当にやりたいことができてる人は、好きを貫いている人はほんの一握りなんだろうなって。
ちょっと恥ずかしいですが、ジョブズでスピーチで語ったように"愛せる仕事"をしたいですね
って、これじゃあ何も言っていないのと同じですよね。 "やりたいことをやりたい" みたいな、、トートロジー的な?身も蓋もない、、
>まあ、中央に[人生の目標]と書いたマインドマップでも書いて、自分の人生の目標でもじっくり考えてみたらどうかな。
>でも、人生は思ったより長い。
>間違った山に登ったかな、と思ったら、降りて違う山に登ることも、特にこれからの時代は不可能じゃない。
>また、寄り道、無駄足だったと思っても、それが次のステップへの足がかりになったりすることもある。違う山へ伸びる吊り橋があったりね。
>大学受験で、また会社選びで、人生のすべてが決まる、とか必要以上に深刻に考えなくてもいいと俺は思うよ。
孫正義「なぜならば、自分で決めた自分の職業、自分で決めた自分の仕事、これコロコロ変えるわけにはそんな簡単にはいきません。
だいたい決めたらその道にほぼ行く可能性が高い。その決めたことをフラフラするということは、効率悪いんです。
こういう意識があって、、、
また引用しますが
>私が思うに、人生を計画的に行おう、と思うのは、なすべきことをしたいという欲望が生じるからだ。
>限りある時間の中で、切実にそれを実現するためには、どういう流れ・ストーリー・フェーズを経て
>実現状態に変貌を遂げるのかをクリアにしようとする。そうすれば実現する可能性が高くなるからだ。
http://works4life.jp/2010/03/gtd-before-big-planning/
もっと明確に、クリアに描きたくてたまらないんですよね
多分どちらにせよ私は志望校を目指すので、将来の目標がどうあれ、今やるべきこと、やっていくこと(受験勉強)は変わらないとしても
心の置き場?というかスタンス? 世界観、人生観、死生観、価値観、思想
そういうことにも心を奪われてしまうんですよね、、考えすぎなんでしょうか?
もっと、こう、なるようになるさって感じでいけたら大分楽かもしれません。気楽に。。
xevraさんのいうよう、悩んでも悩んでも仕方がないことなんでしょうか、、
悩めば悩むほど不安は募り、袋小路の奥にどんどん迷い込んでいくのでしょうか、、
1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/11/14(土) 11:03:45.25 ID:YEzroAVm0
1つの道を選んでそのために一生懸命頑張るということができない
何をするにも何らかの価値観の盲信が必要になるという気分
きっと人生における選択の正しさの根拠なんてないんだと思います。
何か一つを選ぶということはその他の一切の選択肢を捨てることだと弾さんもいっているし
それこそがその他一切の選択肢を選ばないことで何か失うものがあるのではないか という疑いを不安を生んでいるわけなんですね。
ある選択をしてその先一般的に(?)成功したとされても、もっと大きな成功が他の道に転がってたかもしれない、、
そういう迷いや悩みは構造的に人生の原則的に解決が可能なのでしょうか?
私たちはラプラスの魔でもなんでもないので、人間が培ってきた知見と経験則によってのみ、なんとか予測を立てることができる程度で
そこを理性的に突き詰めれば何か見えてくるんじゃないのかな…?と思ってはいるんですが、、
例えばこうするとかも。
ジョブズ「自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に
決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、
己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、
きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。
そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。」
しかしなぜ死と隣り合わせであるという事実を直視するとこういうことが可能になるのでしょう?
死の意識というフィルターを通せば真に、自分にとって大切なことが、死ぬまでにこう生きていたいんだってことがはっきりわかってくるようなのですが
どうも、私はそうなれていない?ように思うのです 死を意識してはいるつもりなんですけどね
孫さんやジョブズのように"実際に死にかけた経験"がないから 死を想像してみてもそれは不明瞭で、漠然とした恐怖とかで その程度ではそういう状態にはなれないのかどうか、、、
更に返信。
>今、どうしてもやりたことが見つからないなら、焦っても無駄。君が時間を無駄にしてるんじゃないかって焦ってる間に、既にやりたいことを見つけた人達は何歩も先を行ってる。天職のことを英語でcallingと言う。>呼ばれちゃうんだよ、そういう人は。こっちから選ぶことなんて出来ない。君もいつか呼ばれるかもしれないし、もしかすると一生呼ばれないかもしれない。どっちにせよ、それに振り回されて迷うっていうのはそれ>自体が無駄。呼ばれた時にすぐ応えられるように準備しておくしかない。
やりたいことってのは、天職ってのは能動的に探すものではないのですか? "呼ばれた時にすぐ応えられるように準備しておくしかない" なるべく選択肢とか可能性が維持できるように
したいところですけれどもね。
>http://anond.hatelabo.jp/20100922183732 //長いのでURLだけ。
なるほど。ってことは一週間かけて考えて見つからなければαを放置して学力の向上におけるパフォーマンスを最大化させればいいのですね。
受験が迫っているため、一週間程度のリソースで見切りをつけ、当座は合格を目指し、大学という場でリソースを獲得し
"目標α発見可能性を最大化して実践" すれば良いのですね。 すごくわかりやすく、かつ的確な回答のように思えます。
しかし一週間ではなく二週間であれば見つかるかもしれないわけじゃないですか。
というか期間の問題ではなく、 目標αはまったく(もしくはこれ以上)発見されないであろう、その可能性はないであろうと判断することを私は求めているのです。
目標αはまったく、もしくは、もうこれ以上生まれないであろうと。 気が変わったりするもんですから、人間も。
定期的に そうであるかどうかを確かめるような手段が欲しいところなのですが。
また言いますが、それこそがGTDの本質なのではないのですか?
そういえば私の提唱した方法論についての反応がありませんね、、
今の私って、無数の目指すべきかどうかは判断されていない目標は見えているけど、それを目指すかどうかっていう判断材料になりえる情報(目の前に膨大に広がっています)
に溺れてる感じなんですよ。 "今" 何をすべきなのか? がわからないんです。
わからないから、わかろうとする。 そうやってるとただ情報の海を漂ってるだけになるんですよね、、困ったことに。
一連の考えを要約すると、 人生において早い段階で 「選択と集中」 をしたいんですよ。
自分は何者でもないし、なにか特別な才能があるわけでもない。
特に何ができるわけでもない、 そんな私ができることって 人より多く一つのことに時間を投入することなんですね。
そのためには「選択」が要ります。それも孫さんのいうように腹の底から、覚悟を伴った"選択" それほどまでの"選択"ができて人はやっと"集中"ができる。し続けられる。
集中ができるほどの、それほどまでの選択を私はしたいんですよね。 もちろんここでいうαである目標の達成を選ばないという選択もありますよ。
受験一筋なパターンです。それも一つの選択ですね。 例えばそういうパターンを選択し、集中できないのはαがあるからなんです。 とにかくこのα。これさえなんとかなれば。
またまた追記ですー
http://anond.hatelabo.jp/20100924192440
KIRIN27(彼女いない歴=年齢=27)がどう頑張っても無駄だわ。
だからもう風俗でいい。
20代前半の女の子が俺みたいな三十路近いキモオタ相手にもオ○○コをグチュグチュって音がするくらいに濡らして楽しませてくれる。
俺見たいな奴を相手にも濡れなきゃいけないんだから大変だよなぁ。
ちゃんとヒクヒクして気持ちいい。
あれって随意に動かせるのか。
凄く器用なことに思える。
ちょっとイッた振りしてくれるけど、そんなに声出てないしトンでる様子もないし完全に演技だよね。
恋人っぽい(って本当にそうか俺にはわからんけど)雰囲気を出すのが上手いので、長い間抱き合ったりしてる。
いきなりアルトラピストンされるのは大変だろうから、相手が気にしない形で何もさせないってのは賢い。
全部演技なのはわかってる。
でも金の対価は払ってくれる。
俺にはそれだけで十分だ。
一字一句、完全に同意します。
あまりに同意したので全文引用します。素晴らしいです。
はてなにおいてメジャーである、気味の悪い逆からの(弱者の皮を被った強者の)レイシズム、
名誉毀損や人権侵害を平気で行う自称弱者たちの歪みきったメンタリティを見事に切っていただいて本当に感謝します
きっとこれからこいつらはてサは集団で根拠のない罵詈雑言の限りを尽くしてくるでしょう。
キチガイを相手にしない、というのも選択肢に入れておくのも悪くないと思います。
こういう事も増田でしか言えないはてな村の気味の悪い同調圧力が本当にむかつく。
────────────────────
男はケモノではありません(2)
http://d.hatena.ne.jp/iteau/20091205/p2
http://d.hatena.ne.jp/iteau/20091205/p1
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/iteau/20091205/p1
さて、どういう形で、話を続けたものか、オーソドックスにブックマークコメントにレスポンスすることにする。
誤解無きよう言っておけば、私は先のid:hokusyu氏のロジックとそれを支持する人たちを人権軽視の発想であると糾弾していることを申し上げておく。
id:angmar いやだから、曽野の論が間違っているというなら予防拘禁も軽装抑止もどっちもありえないんじゃないの?/男はケモノ⇒予防拘禁のロジック批判ということなのだろうけど、どうもそう読まれる気がしない。
曽野氏の論は間違っているけれども、その仮定の条件を仮に踏まえたうえでの論理展開をしているのはid:hokusyu氏であり、前提条件が徹頭徹尾仮定の話であるのは言うまでもないことなので、現実の話として予防拘禁も軽装抑止もあり得ないのは言うまでもないことです。しかしid:hokusyu氏がその論理の中で提示した特定の集団の人権軽視をなす発想は仮定の話ではなく現実です。
id:kowyoshi あらあら hokusyu氏を叩きたいから、曽野の間違った仮設が真だとしたらなんて恥ずかしいことを…
曽野の間違った仮説が真だとしたら、が恥ずかしいこととはどういうことでしょうか?hokusyu氏を叩きたいとはどういう意味でしょうか?hokusyu氏の論理展開を批判することが彼を叩きたいことになるのでしょうか。ご説明いただけるでしょうか。
よく分からないのですが、私が「考えていない」というのはいかなる理由から導き出された推論でしょうか。その対策というのは曽野綾子を批判することでしょうか?(それなら批判しているわけですし、id:hokusyu氏も見える部分ではそれ以上のことをしているようには見えないのですが)。ご説明いただけるでしょうか。
追記:『KIM625 書いてないから』との書き込みあり。考えていないとの書き込みもないですよね。その論法で言うならばあなたはid:hokusyu氏の基本的人権軽視について何も指摘していないので、あなたは人権侵害の発想を拡大させる加害者だと思います。
id:steam_heart うーん、どうでも良いが、その理屈通りだと、何時までも女性の人権は侵害されたままだね。そして、それをして来たのが過去ですよ、と。
どうでもいいと言っている人に聞くのはなんなんですが、「その理屈通りだと、何時までも女性の人権は侵害されたままだね」....なぜ?私が指摘しているのはhokusyu氏の男性の基本的人権を軽視する発想ですが、男性の基本的人権が軽視されないと女性の人権が守れないとのお考えでしょうか?ご説明いただけるでしょうか。
追記あり:『id:steam_heart 「女性の軽装禁止」が女性の人権侵害で無いなら何?と逆に聞きたい。どちらの人権も最大限に守るということは出来ないがゆえに「獣」の部分は権利を制限される。』
どうでもいいんでしょうか、よくないんでしょうか。
むろん、権利の侵害ですよ。ただし基本的人権の侵害ではないというだけのことで。ケモノの部分というのは具体的に何を指し、その権利を制限するとは具体的に何を指しているのですか?
id:letterdust 曽野の主張は「軽装」だけでなく「深夜の独り歩きは商売女」ね。それで独身女性は自宅通勤に限定されたり残業のある総合職につくと眉をひそめられたりしたんだけどこれって「広義の予防拘禁だよね」って話はお分かり
それと男性の基本的人権を軽視する発想とどうつながるのでしょうか?
id:Francesco3 意味不明/http://d.hatena.ne.jp/Francesco3/20091205←性犯罪が起こる要因
…。あのう。読解力を期待するだけ無駄な人なんでしょうか?性犯罪が曽野氏の言うような原因で発生すると一言でも私が言っているでしょうか。その記事をあの記事に対して持ち出す意図についてご説明いただけるでしょうか。
id:inukorori「男は獣」と「しかし私だけは獣でない」が結びつくと醜悪なロジックが生まれる好例。批判すべきは後者の論理。//なるほど複雑猫さんの危惧は当たっていた。「欲望は本能」とか言い出すやつがいるんだなぁ。
言っていることがさっぱり分かりません。曽野綾子的な意味で、論理上の仮定でなく、欲望は本能だと言っている箇所を提示してください。
id:hokusyu 1:「人権が擁護され、かつ欲望のままに生きることが許されるケモノ」という形象自体が、いかにも男性に都合がよすぎる形象。ケモノを名乗るなら人権は諦めるべき。2:女性の我慢がさらりと容認されているのが差別
id:hokusyuさんは基本的人権というものをどのように考えていらっしゃるのでしょう。私権は公共の福祉の下において制約を受けることがあります。従って、公共の福祉は程度としてはファシズム性を内包しています。その上で制約できないのが基本的人権です。この仮定の一連の話において、「男性のケモノ性が統御し難い本能に根ざす」「しかし女性の衣服や態度によって緩和は出来る」というのは仮定の条件です。現実において欲望のままに生きるケモノであって良いはずがないのは言うまでもないことです(どうしてあなた相手にこれを言わないといけないのか、とほほ)。生物的な性差に基づく不利益を緩和するために、社会的な補正として公共の福祉において私権が抑制されることは、現実の場面でもあることです。我慢は公共の福祉においては誰もがそれぞれにしていることです。
しかしその上で、基本的人権のレベルの抑圧は公共の福祉の名においても正当化できません。私があなたを批判しているのはこの点であり、あなたのブックマークでのコメントは、これがだれぞの言うようには「誤読」ではないことをはっきりとさせました。
あのロジックにおけるあなたの発想は、公共の福祉の名において、知的障害者らを抹殺しようとするものと同様のものであるとの見解を提示いたします。
基本的人権は嫌な人、ケモノのごとき人のものであっても、絶対に擁護されなければならないものです。
id:sionsuzukaze 違くね?hokusyu氏のたとえが適切かどうかは別として、あの前提に立てば状況はなんら改善されないし、結局は性犯罪を助長さえしかねないから、あの前提を持ち出すこと自体が誤りってことでしょ。
たとえが適切がどうかは「別の話」ではありません。あの前提を持ち出すことは誤りだということについて見解が対立しているわけでもありません。あのロジックの中にあった基本的人権を軽視する発想が問題視されずに流布している点を問題視したまでのことです。
追記『id:sionsuzukaze 自分は別にhokusyu氏の潜在的排除論に同調したつもりは無いんだけどな。ただ、それが持ち出される背景を説明しただけで。まぁダイアリにも書いたけど、隔離するなら夜だけじゃダメだけどね。』
よく分からない反応。同調したとかしないとかそういう話はあなたには誰もしていないのですが。
id:manysided "男がケモノであるのは男の責任ではない。ただの本能である。そしてその場合、男がケモノであるとしても、それでもなお男は人間である"君がケモノなのはよくわかった。抑えられないんじゃなく抑えたくないだけでしょ
「君がケモノであるのはよくわかった」。普通に私への人権侵害であり侮辱罪であると思うのですが。ここでは男がケモノであることを抑制し難い本能に根ざすと仮定しての論なので、その仮定において、抑制が難しい本能であるのは当たり前のことです。「男がケモノであることは抑制し難い本能である」と事実として私が提示している部分があるでしょうか。ご説明いただきたいですね。これにスターをつけているid:hokusyuさん、id:KIM625さんでもよろしいですよ。
追記:『id:manysided いや仮定じゃなく断言してるじゃん。男全般ではなく君の意識がおかしいということ。抑制が難しいならいつでもどこでもするだろうがそうじゃないだろう。そもそも君の定義する「本能」って何だ?』との返答あり。…。えっ!?断言してたっけ…。
『そもそも男はケモノではないので、曽野綾子氏のそもそもの論に無理があるわけだが、敢えてその出鱈目な前提にのっかるとした場合、男がケモノであるのは男の責任ではない。ただの本能である。』
これ、どう読んでも仮定だよね?だよね?だよね?ちなみに曽野綾子氏のロジックに沿えば、抑制は出来る/出来ないのデジタルには処理されておりません。くだらない煽り要らないからさー、能書きたれてないで「ここだ!」って提示してよ。
どの部分が誤読でしょうか。ご指摘いただけるとありがたいです。
とりあえずここまで。
[続き]
id:quix_que 今回のこれが始まってから何度「襲われる女性は地味でおとなしい服装が多い」って書かれたか数え切れないけどひとつも目に入らなかったのならばその心理的フィルターをなんとかするのが先決でしょ。
あなたは日本語読解力をつけるのが先決だと思います。
追記あり。『id:quix_que これはひどい, いつまで続くのこれ? 現実にある「女は自衛のためにアレするなコレするな」の人権侵害をスルーしておいて、同じロジックを適用したたとえ話には「たとえ話でもそんなことを言うな」と猛反発ですか。そこまで自分側を正しいことにしたい?』
何なのかしら、この人。正しいことにしたいのではなく、私はいつも自分が正しいと思うことを書いています。そのうえで、修正があるならやりますが、ここでは「同じロジックではない」ことを指摘しているので、あなたがやるべきは「同じロジック」であることを論証することではないかと思われます。
id:ftmaru 健常者でマジョリティの成人男性が少しでも我慢させられそうになると大騒ぎするくせに、女・子供・老人・障害者・外国人・その他マイノリティの我慢は『ある程度はしょうがない』で済ませる人の典型。
あなたは何かの典型に人を落としこむ典型ですね。基本的には「我慢させる」ことについてはよほどの公益性と他の代替が無い限り容認されるべきではありません。ここで比較されているのは、「女性の軽装規制」と「男性の去勢を含む予防措置」です。どちらが基本的人権により深刻な損害を与えるか、分からないのだとしたら、相当なおばかさんだと思います。
id:hit-and-run 男はケモノって仮定してるのに「いや、そうは言っても人間ですから」って時点で、前提条件ぐだぐだやん。ケモノを単にメタファーとするなら駆除や予防拘禁もメタファーと解するべき。相変わらず頭悪いな(笑)
ぽかーん。ケモノってそういう意味じゃないでしょうに(笑)。男はオオカミなのよ、気をつけなさいーと言う時、男はイヌ科になるんでしょうか(笑)。最後の一文はそのままお返しします。
[続き]
id:type-100 たとえ男が獣であるのが本能であったとしても、本能は制御すべきものです。
id:type-100 ミニスカや夜歩いてるのを見ただけで女に襲いかかるような男が本当にいるならば、そいつはもう基本的人権を制限して豚箱にぶち込むしかないと思うが。獣が獣のままでいい道理はない。
本能には統御できるものもあれば不随意のものもあります。そういう男は豚箱にぶちこまれてるでしょ?実際。
id:uchya_x ミニスカのねーちゃんにムラムラするのは押さえられなくても、襲うことは押さえられるし、押さえなきゃいけない。その理屈かわからないというならそりゃケモノと言われてもしょうがない。。
ええ、その通りだと思います。
id:mo81 曽野論でも同調する論でも「女性の行動制限」に触れているのに、男性の行動制限を持ち出したhokusyu氏の論が有意に人権侵害の度合いが強い(ゆえに男性の人権軽視である)とは言えないのでは?
これは単純に文意がとれません。ごめんなさい。
id:NATSU2007 性犯罪 『女性へのレイプを防ぐ、男のケモノ化を抑制するためには、1.女性の軽装を、規制する』…先生!なぜここで、「おとなしそう・地味・清楚な服装を規制する」という結論にならないのかわかりません!
なぜ、ということに答えるなら、曽野綾子氏の仮定に乗っかっているからです。曽野氏の仮定では「おとなしそうな女性の方が被害者になりやすい」という前提がありませんので。
id:sillyfish 曽野文では「男は獣」と同時に「女は犯される性」も本質視されてる。その上で女に「夜歩くな」と自衛を求めるのだから、男も「夜歩くな」と本質への自衛を求められるのは彼女のロジックでは当然
id:sillyfish 曽野の文章は女の「夜の一人歩き」も叩いていて、批判する方は「ミニスカート」だけでなく当然それも視野に入れた上で男の「夜間外出禁止」を対応させてるんだけど。意図的に読み落としてないか。
私がリンクをつけたid:hokusyu氏の記事を読んでください。外出禁止令についてが主眼になっているでしょうか?予防拘禁を求めるのであれば、夜間外出禁止であれば男女双方に求めることが可能であるというのはその通りであろうと思います。そして予防拘禁を求めることがこの場合は、不適当であるというのもその通りです。hokusyu氏はそこを越えた身体的な人権侵害にまで踏み込んでいるわけです。その対比の発想が基本的人権の軽視であると申しているまでのことです。単なるレトリック、ではなくそれがレトリックとして成立すると思う発想があるから、そのレトリックが用いられているのです。
id:SIVAPROD ”男性の基本的人権を極度に軽視”w 笑わしよるな。 ”オトコ”が機会があれば人を刺す気マンマンで刃物持ってる(←ブログ主の主張だよな!)んならその刃物取り上げることのどこが”人権を極度に軽視”?
id:Cunliffe 『基本的人権のレベルの抑圧は公共の福祉の名においても正当化できません』そんなことないですけどー(笑)/典型的な例は児ポ法ね。
id:PAGZIN 軽装規制と予防拘禁のどちらかでしか抑止できないのなら「男は獣」ってことになってしまうのでは?獣でない人間に対する犯罪抑止は基本的に刑罰法規による抑止でいいじゃん。
現実の話として言うならそうですね。現実の問題として言うならば、レイプ被害が実際に統計な件数よりも多数発生しているだろうということで、刑罰による抑止が充分に機能していない点です。これはそれこそセカンドレイプ的な言説によって、犯罪が単純に犯罪として処理し難いことがもたらされているのも一因だろうと思います。
id:baisemoi_bullet そう、ケモノではない。ケモノ(自然現象)ではないのだから、「女性が行動や服装を慎むべき」は通用しない。それでは「男はケモノ」と何も変わらない
その通りだと思いますが、これは私に向けたご意見なのでしょうか?
id:rinsenan 「北守は差別主義者」という意見を表明するのに「女の人権が軽視されている状況を糾弾する為に男の人権を軽視するのはけしからん」という論法を使ったから感情的に反発されてるだけ/端的に言ってデリカシーに欠ける
よく分かりませんけど、いくらなんでもhokusyuさんでも根拠も示さずに差別者扱いされてはそれこそ人権侵害なのではないでしょうか。
id:fjsk 皆そんな聖人君子じゃないんで、逆差別を受けてみろよって思うんでしょ?差別する側の声は届かん。意識して言葉を使うべき。例えばその仮定のケモノは「おとなしそう・地味な服装」を好んで襲うという事実とか、ね。
いいえ、違います。逆であろうが正であろうが、差別は差別です。ただし公益上、許認されている差別があり、公益上でも許認されるべきではない差別があるというだけのことです。
とりあえず、ここまで。
[続き]
id:tikani_nemuru_M 公共の福祉ってのは、ぶっちゃけ他者の人権のこと。だから、基本的人権が衝突した場合は調整されることになる。一元的内在制約説ね。
ええ、法律用語で言えば一元的内在制約説です、私がここで提示している考えと立場は。ただ、純粋に法律の話をしているのではなく、個々人の発想の話をしているので用語は敢えて使っていないだけです。ごく常識的な話であるのですが、比較衡量をしなければ、特定の集団の基本的人権の絶対的擁護は容易にファシズムへと転化してしまいます。ましてid:hokusyu氏らが挙げているのは、精神的自由の制約ですらない、身体的・生物的自由への制約であるわけです。