はてなキーワード: 童貞とは
数週間前の「年収〇〇〇万円あるけど俺も弱者男性」とかホント大概にしろと思ったわ。
あのな、「男には男ならではの辛さがあるんだ」という系統の話なら田中俊之の男性学系の本を読め。そこにだいたい書いてある。
てか「ステータス的には並~強者男性のはずだけど弱い部分だって当然あるんだ。自分はそれで苦しんでるんだ」という程度の何ら矛盾しない話を一々俺も俺も弱者男性とか言うから話がおかしくなるんだよ。
例えば少なくともここ50年くらいで「自力で恋愛結婚できた奴は恋愛力的に上位30%以内」「そうじゃない奴は何らかの手を借りないと自力では結婚できなかった」という結果があるわけだ。
「ステータス的には強者男性」であったとしても総合的な恋愛力が上位30%に入ってなかったら年齢=彼女無し童貞だとしても何ら不思議はないわけだ。
いや、わかるよ。厳密な定義しちゃうとそこに当てはまらない奴は弱者男性として見做されないから救われないって考え自体は理解する。
でもそれってやっぱり「弱いとこなんてそら誰にでもあるんだからそれは自分で何とかするなり他人から適切なケアを受けるなりしろ」て話でしかないだろ。
ちょっと話は変わるけど、なんか弱者男性(女性も)に妙に拘る奴がなんでこんなにいるのかって、「普通の人へのケア不足」が原因なんじゃないかな。
弱者と認められなければケアされない的な風潮。そうじゃなくて別に弱者じゃなかろうが本人が望めばなるべく適切なケアを受けられることが大事なんだよな、多分。
ただし例えば恋愛・セックスとかって現実的なケアは難しい(金があればある程度解決できることではあるが)ので、そこはAIやらアンドロイドの技術発達に期待なのかもね。
俺のスペックを見よ!
・30代前半
・高卒
・年収300万
・母子家庭
・素人童貞
・健常者
やべーだろこれ、自分で眺めてて戦慄を覚える
健常者ならやばくね−だろって思う人いるかもしれんけど、健常者だからこそ30代の高卒の年収300万はやべーんだよ
精神障害とか知的障害があったら公的サポートも受けられるし周囲から求められるハードルも低くなる
それが俺みたいに健常者の枠組みにいると健常者の最底辺でありながら公的サポートもなくハードルは平均的健常者相応の高さを求められるという地獄が顕現するんや
年収1000万円とか経験人数1024人とか自分を大きく見せたい奴ばかり
自虐できる奴が多かったと思うわ
なんで自虐できる奴が減ったんだ?
ネットで自分をデカく見せて何が楽しいのやらって思うし理解もできない
しかし、それはそれとして、
ネットを誰もがやるようになり自虐ネタを真に受ける人が増えちゃったからな
在りし日のVipはみんなニートだったけどもちろんそんなことはないでしょ?
増田も、全員、無能で無職のオタクか、無能で無職のマンでいいだろって思ってたけど、
やっぱそれを真に受けちゃうヤツいるからな その見本→ anond:20231103175222
真に受ける・ワイを見て安心するなら、下記のポイントで安心して欲しいところ
彼氏いるけど、彼女は男を誘うのが上手なタイプだと思う。だからまあ浮気とかもしてんだろーなーって感じ
そしておれは妄想が大の得意だ
今回は終業後の喫煙所が舞台だった、なんか盛り上がって、そして俺が焦らすようなことをする。そういうやつ
おれは喫煙所の自販機で缶コーヒー買っていたら、その子が近くを通り過ぎるのを見た
彼女は気づいていない
暗く、澄んだ涼しいとも寒いとも言えない気温の中で、妄想通りにはいかなくても、ちょっと話して三連休をもう少し楽しくなるように、少しコーヒーを飲んで落ち着いてから步を進めようとしたとき
離れよう
既に胃は縮み、目の前には靄がかかる
最寄駅から40分くらい歩いて少し大きな駅の喫煙所を3ヶ所ほど回った
なんて苦しいんだ、驚いた
しかも彼女との雰囲気から「あーなんかヤってそう笑」と思っていた方だった
すごく苦しかった
これが…NTR……
けど、なんかNTRを過度に嫌悪する方がいることをようやく理解した気がした
すごいわ
はあ……男の娘で抜いてさっさと寝るに限る
俺は弱者男性だ。こう言うと「どうせ自称でしょ?」などと穿った目で見る輩も出てくるだろう。実際、日本の年収中央値から見れば高年収の者が「弱者」を名乗っている時点で自慢気で腹立たしいのである。
俺がこれから書くことは「嘘松」ではない。俺のありママの状況を話そうと思う。
ほら、お前がなんと言おうと、俺は弱者男性だというわけだ。
ここからが肝心だが、俺は人生において何も困ってないし、何ならかなり幸せに生きているということだ。
どっかの国の自称サイエンティストが「お金の余裕こそが心の余裕である」と馬鹿げたことを言っていたが、少なくともそれは俺には当てはまらねぇな。
「少ないものに満足する。身近な善行を行う。そうすれば幸せになれる」というのが俺の論だ。
ミニマリストと言えばそうかもしれないが、どちらかというと、思い出を大切にしている。
今思えばガキの頃に感謝するべき人たちがたくさんいた。水泳を辞めたときも、初めてのバイトを辞めたときも、高校を卒業したときも、俺程度の人間に色紙をくれた人たちがいた。
そういう思い出に浸るだけで、世界は優しい人たちで溢れていると思うのである。
俺はかなり共感性欠如のADHD的なところがあり、様々な人たちに迷惑をかけてしまった。いじめをされたこともしたこともあった。
だが、それも神が善性を試していると思えば、試練に思えてくるし、試練ならば見栄や虚飾を張る必要はないと思うのである。
生きている。それだけで神からの贈り物である。日本に生まれたという幸運にも感謝しているし、今の両親の元で生まれたことも感謝している。