はてなキーワード: 比率とは
先日、全部見終わったのでレビューを書いてみようかなと。
ゲームをプレイしたこともあるため、なるべく比較にならないようにしたつもりですが、ばっちり引きずられてます。
---------------------------------
前提として「龍が如く:アナザー」としてパラレルワールド的に話が構成されています。
設定についても流用された点が多く、ゲームファンからすると視聴前に期待が高まるのもうなずけます。
<ゲームと同じ設定>
・澤村由美も孤児院で過ごした仲間
・錦山には妹がいる
・桐生は"親殺し"をしたことで刑務所に入り、出所から物語がスタートする
・100億の行方を追うことになる
ただ、それらをつなぐパーツが少しずつ異なっているため、
ゲームファンからすると設定を"勘違い"させられる箇所が多数出てきます。
<異なっている設定>
・桐生は"龍の男"(地下格闘技のファイター)にあこがれており、
・桐生、錦山、由美、ミホ(錦の妹)は親しい兄弟姉妹のような関係で、悪友のような関係でもある
・若い時が1995年、出所後が2005年の設定であり、年代だけでなく桐生・錦山らの若者像も異なる
・その他、ゲームと同じ名前の人物が出てくるが、性格や設定が基本的に大きく異なる
ゲームそのままではないオリジナル要素の取入れについて、自分は抵抗はないですが、
元を知っているゆえに要所要所で勘違いをとがめられるような感覚がめんどくさくはあります。
▼わかりやすさ
ただ個人的には別展開として楽しんでいけるタイプなので、ここまでは許容範囲内です。
受け入れがたいのは大きく異なっている設定・背景の説明があっさりしすぎていること。
例えば子供のころに見た龍の男にあこがれる設定も、いつ、どういうきっかけで見たのか?
それがなぜ少年桐生ちゃんのハートをつかんだのかよくわからないのです。
その上でとある事件をきっかけに桐生は自分を堂島組に売り込むのですが、
計画的に売り込んだのか、それとも仲間を守るために売り込んだことにしたのかがイマイチわかりにくかったです。
(桐生自身が予想をしていなかった展開として進んでいるため、守るため…のように見えるのですが
憧れも口にするのでどっちやねん!となってました)
こういう重要な要素はゲームという別の設定に親しんだ人がたくさんいるからこそ、
丁寧に、わかりやすく、「ここが違うんですよ!」と示すべきだと思うのですが、どうもその辺が弱い。
それゆえに話が進んでいくごとに「あれ?どうだったっけ?」みたいなことがちょいちょい自分の中で発生してしまい、
ノイズと言えばもう一つ。
背景がゲームと異なることを説明する目的もあると思うのですが、映画は1995年と2005年を行き来する形で進みます。
過去がこんな風に違うから、現在のかれらもこんな風に違うんだよ~と説明する意味では
が!!
行き来が多い上に時代の違いをわかりやすく示すものが少ないため、
今はどっちの時代の話なのかわからなくなることが度々ありました。
画面としても片方が明るいとか、過去編はノイズを少し入れてるとか、
そういうわかりやすさがあってよかったのかなと。
で、最終的な解決に至るまでに、体感で過去:現在=7:3くらいの比率だったので、
よくよく考えたら重要であるはずの現在のエピソードが大したことないんじゃないか?って気がしてくるんです。
丁寧な説明が大事と書いておいてアレですが、流石に比率が寄りすぎててイマイチ。
「この話はどうなるんだろう?」ではなく
「どうだったんだろう?」という答え合わせばかりで進んでしまうため、
▼なんとなくの点数
ストーリー:50点
構成:40点
→もう少しやりようはあったと思う
演出:40点
→こっちも工夫できたんじゃないかなと
エンタメ:60点
→わりとワクワクして、次々見ちゃった
印象:70点
→ちょっとVシネっぽい雰囲気を感じたけど、まぁアリかな。よせすぎるとアウトレイジに勝てないし
出演者:65点
→線の細さは気になるけど、個人的には及第点。でも対戦相手がガチのムキムキすぎるので比較してしまうんだよな…
映像:50点
→まぁ普通かな
総合:55点
→あんまり高くない気がするけど、見れないほどじゃない。暇つぶしとしては十分。
こんな感じでした。
以下、にネタバレ分を含む内容も書きますので、視聴済みの方はどうぞ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
狂犬だし、強いし、怖いし。十分すぎるくらいにゲームを再現していたかなと。
再現してるからこそ、なんであんなちょっとだけしか使わないのかが気になってしまうんです。
狂犬と呼ばれる武闘派で、東城会の会長も頼りにするような強い男なのに、
使われ方が完全ににぎやかしのソレ。
バトルジャンキーなら地下格闘技で対戦しかけたり、強さをアピールする描写が欲しかったし、
秘密兵器なら頼りになったり、狂気的な描写があってもよかった。
固有名詞で呼び出された上に乱闘でめちゃくちゃ活躍したのに、特に盛り上がることはなく、
何かわからんけど若桐生ちゃんとケンカしたことを覚えてて、空気を読めない軽い鉄砲玉…。
▼死の描写の不足
冴島大河とかアリスとか、重要な人物がめちゃくちゃあっさり死んでいくのがとても納得いかない。
尺の問題とか重要じゃないからとかわかるんだけど、だったらモブのままにしておくとか、アリスとエドガーは一緒にしてしまうとか、
やりようはあったんじゃないかなと…。
グロい描写を増やす必要はないけど、あっさりと死んだことにされすぎて、
あの人は何だったんだ???となってしまうのがとてももったいないと感じました。
▼錦山が重たい
ラストで桐生ちゃんがお姫様抱っこする錦山。なんでその運び方にしてしまったんだろうか…。
いや、もう、竹内涼真も重たくってプルプルしてるし、その運び方に意味があると思えないし…。
あと錦山が死んだのか、死んでないのかもはっきりしないままに終わるのはどうかと思います。
他にもいろいろあったけど、終わらないのでこの辺で。
これは昔の一つの会社での長期間の勤務が一般的な時代から、最近は転職することも普通になってきたので、それに合わせて税制を調整するだけの話です。
どの年代でも特に大きな損はならいように議論は進んでいましたし、一般的に大きな損になる場合は経過措置が取られます。
議論の内容も調べずに退職所得控除の改正の方針を、マスコミが改悪と決めつけた報道をしたために、この制度改正が止まっているのは残念なことです。
また、GPIFでいうと、立憲民主党はマニフェストでGPIFの運用の株式比率を下げることを明記しています。
GPIFの運用目標である、賃金上昇率+1.7%は株式比率を下げると達成困難になると思われるのに、それについての解決策は何も提示されていませんでした。
おい、なあ、知ってるか
ショックを受けたり悲しいと感じる感情パワーは200と2倍になるそうだ
嫌なことの方がよく覚えているのはそれだけパワーがデカいかららしい
それが人類の歴史にどう影響したかどうかは今はどうでもいい、多分ショックがでかいほうが生き残る確率が高いんだろう
他にも命中率90%とか当選確率90%とかあるだろ、つまり嬉しい確率が90%ってことだ
その90%ってのは人間感覚的には70%に感じるらしい、どうだろう、なんとなく経験は無いか?俺にはある
10回中9回は当たるが1回は失敗する。紛れもなく90%の確率なんだが、体感は10回に3回は失敗しているように感じると思わないか?
それで、だ。俺が言いたいのは次のステップの話、ここからが本題
もし人生の喜びと悲しみの数が50:50だった場合、悲しみは2倍に感じて50:100になる。
バランス良く半々なはずなのに、体感では悲しいことが多い人生に感じるってわけだ
ショックってのはデカい、それはここで語るよりも自分の人生を振り返れば分かることだろう
しかもショックってのは結構耐え難い、気付いた時点でダメージが受けるし、避けられない
時間が解決してくれることが大半だが、時間ってのは先取りできない
ショックを減らすってのは多分かなり難しいと思う
前にこれを攻略してやろうと無感情になりKUMONのロゴみたいな顔でガチャを回したことがあるが
あれはダメだった、嬉しさも無くなって結局楽しめなかった
だからよ、俺はこう思うわけだ
大げさでも良いから嬉しいことがあったら2倍喜べば良いんじゃないかって
命中率90%の技が当たった時は「ま、当然当たるわな」と思うんじゃなく「よっしゃああ!!!」と声を出してガッツポーズを取る
よく分からんアプリの毎日引けるクジで5等じゃなく4等が当たったら「あーまあ、5等よりはマシかな」じゃなく「っしゃーおらああ!」と姿見で決めポーズを取る
そうやって嬉しいことを2倍喜んで2:1にすれば、体感値も1:1になってハッピーになると思わないか?
話は以上だ。こっからは蛇足だが、お前のまわりにハッピーなやつはいないか?Youtuberでも芸能人でも良い
そういうやつを見ていると自分まで明るい気持ちになるだろ、しかもそういうやつのまわりってハッピーなやつが集まってるはずだ
類は友を呼ぶというやつだ、だからもしお前が嬉しいことを2倍喜べば、それを見てまわりがハッピーになり
陽気なやつが集まって、良いことがジャンジャン舞い込んで、自分の性格も明るくなって、おしゃれな服着て
おしゃれな服着た自分にも2倍喜んで、おしゃれな服着た自分を2倍喜んでくれる友達がいたらよ
2日目
5:00
6:45
着替える
7:30
朝食のレストランを遅めの時間にしているため、小腹を埋めるためおやつを買う。
7:45
買ってきたおやつを軽くつまむ
8:15
手荷物検査の手前でハッピーエントリー通行証&宿泊証明書の確認が入る。
8:20
2日目は通常のワンデーパスポートなので、色々手配する必要がある
今回は
・上記スタンバイパスの時間に合わせてロイヤルバンケットのモバイルオーダー
を手配する。
DPAは乗車時間を選べるが、スタンバイパスおよびプライオリティパスは早い時間からの先着順のため、狙っている時間になるまで待つことに。
8:30
アトラクションはスタンバイパスもプライオリティパスも一向に時間が動かないので、一旦撤収。
8:35
しかしスタンバイパスもプライオリティパスも一向に時間が動かない。
8:45
9:00
9:20
DPAは購入後そのDPAを使用するか、1時間後にならないと次の購入ができない。
9:50
TVメニューから支払い用の二次元コードを表示→スマホのWebブラウザで決済
手荷物は部屋に置いていけば回収して預かってくれる。(やはりWebブラウザから依頼をかける)
アプリ内で手続き出来るとなお便利なのだが、「部屋で手続きする」必要があるんだろうな。
11:30
11:35
1日目に乗車効率の悪さを書いたが、この時に実感した。
・1台ずつの出発
・4人乗り
12:00
食べ物がセットメニューしかないのは使いにくいので、オペレーションがこなれてきたらバラ売りして欲しい。
12:45
別エリアへ移動
13:00
13:20
シングルライダーで乗車
妻子には先に行ってもらう
13:45
いつ食べてもうまい。
妻子に先に行かせて、食べながら待ってもらってた
14:30
プライオリティパスで20分ほど。プレショー2回待ちくらいか。
15:00
ビアカクテル
そのまま飲み歩き
15:20
15:40
DPAで乗車。
ラストの東京、鉄オタは新幹線のディテールでCG映像であることを見破るとのことだが、
俺は新橋のサラリーマンなので、複数の建物・道路が省略されているところで見破った。
そして弊社のビルは綺麗さっぱり消えていた。
16:00
16:20
16:25
16:35
16:40
16:45
DPAで乗車
17:00
18:40
チェックアウト時に預けた荷物を回収。
ロビーで待てとのことでロビーのソファに腰掛けるが、2分ほどで荷物を持ってきてくれた。
18:50
19:00
19:05
帰る
これさあ、そう言われている人達が本当に「エリート」なら、何もわざわざ直接「縦の旅行」なんてしなくても、データや当事者の声やそれに対する想像力で、
例えば(男女ともに)所得が高いほどに婚姻率が上がるデータや、東京都内の所得分布や子供の虫歯の比率や体力テストの結果が区によって大きく異なるデータ…
そういう統計を見ただけでも当事者の生活やそれを改善するにはどうしたらいいかを想像できると思うんだけど。
また、少なくともネットが一般化した現代社会においては、Xを見るだけでも一般庶民の生活実態はある程度伝わってくる。
自炊は高く付くとか風呂キャンセル界隈とか、よくまとめられているテーマを見ても、貧困が人を不合理な選択へと至らせるメカニズムも分かるでしょう。
ネットに限らず新聞やテレビでだって常日頃から様々な情報発信をしてるよ?
問題は、そういう情報を気に止めようとしない感度の問題なんじゃないの?
それにいくら知識や経験だけを積んだところで、今の「エリート」達は「あいつらは愚かだ」「自分はあいつらとは違う」という選民意識を募らせるだけだと思うんだよね
実際に地方公立校から東大に進んだ学歴エリートの多くは出身地を見下し、東京の文化資本とそこで育った東京育ちを褒め称える方向に向かっているもの。
大人になってから「縦の旅行」なんてした所で、結果として現れた行動だけを見て、愚かな奴等だから貧困に陥るのも当然だと見下すだけなんじゃないのか。
さらに行動遺伝学などのお墨付きを得て、親の知能は子供に遺伝するから貧乏人に公教育を与えても無駄だと言って否定している知識人か多数いるじゃないか
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2411/19/news149.html
フロムソフトウエアとは、アーマードコアで有名なゲーム会社だそうで、KADOKAWAの連結子会社なのだそう。
さらにゲームのパブリッシャーとしてはバンナムと組むことが多いそうで、そこも心配の種っぽい。既にソニーコンピュータエンタテインメントの資本が入ってるが
ただ、ソニーグループがIP買ってるのはプレステがもう長く無さそうってのがあるから、わざわざ金の卵を産むガチョウを締め付けたりしないんじゃねーかな。心配はわかる。
角川学芸出版とは、俳句や古典文学関係の書籍などを出版している出版社で、昔は独立した会社だったが、今は角川のブランドになっている模様。
特に、俳句などで文化的な役割が強いが、どう見ても儲かってるわけがない分野でありどうなっとんのやと言う事で心配しているっぽい。
ただ、既に俳句や短歌については角川文化財団と言う非営利団体に移っていいる模様。残っている部分はなかなかおもしろそうな本を出しているし大丈夫じゃねーかなって思った。心配はわかる。
N高とは、角川グループが出資している角川ドワンゴ学園が運営する広域通信制の高校で、学校法人である。
ITを駆使した独自のカリキュラムが好評で、3万人を超える生徒数を誇り、中央大学並み。また出版芸術企業とIT企業が関わっているだけあってプログラミングなどの授業や芸術系の授業など多彩な課外授業も特徴。
ただ、実はN/S/R高校って授業料とか安い割に、既に独立してやっていけるだけの経営体力があるっぽいし(ソニーが切る事は考えにくい気がするけど)仮に繋がり切れてもやっていけるんじゃ。心配はわかる。
角川は当たり前だけれど出版社を祖業とするところで、特にエンターテイメントに強い。ライトノベルでは国内最強で、外国語に翻訳されるなど多数である。
ジャンプやマガジンといった王道系というより、ちょっとサブカル入ったカルチャーが強い。
ただ、単純に売上とうとうでみると、グループとしては既に純粋に出版の売上比率は低いが、稼いでいるIPはそもそも出版事業から育て上げたものが多いのでこのエコシステムを毀損するわけない気がするけど、心配はわかる。
KADOKAWAは色々なIPを創出していて、色々なところと付き合っているが、古くからはバンダイナムコグループと付き合いが深い。
ガンダムやアイマスと言ったバンナムのIPをKADOKAWAが売る事もあるし、ソードアートオンラインなどのコンテンツをゲームにしたりと、相互関係にある。
ただ、ソニーも日本のコンテンツ業界で長年商売している。外国での買収ならともかく、独占して潰すのではなく、制作委員会方式でIPを創出するやり方を変えるとは思えないけど、心配はわかる。
KADOKAWAにはBook☆Walkerという電子書籍ストアがあり、ソニーグループもReader Storeという電子書籍ストアを運営するブックリスタという会社がある。
どちらもわりと老舗で、色々な事をやっているのだが、ここが合併するのかと言う期待らしい。
実はこの2社、電子書籍ストアを運営する小売だけではなくて、電子書籍卸売り会社としても機能している会社で、合併するのは良さそうな気がするが
たぶん企業としての合併はねえんじゃねえかな。と言うのは、BookWalker社はKADOKAWAの完全子会社だが、ブックリスタは色々な会社の合弁企業で、電子書籍のインフラを提供する会社としての性質が強いから、直接特定の出版社の色が付くな嫌うんじゃないか。
ただ、BookWalkerかブックリスタの本棚連携とかは実現するかもしらねーなって思う。
まぁこれは確定的なんじゃないっすかね。ブランドは残ると思われるけど、わざわざ切り離して売るほどでもないし。
しらんけど
多分何らかの発達障害があると思う。
差別的かも知れないけど何からの問題が無いとあんな言動にならないと思ってしまう。
まず、彼女に対して何かを言うと、全て曲解して喧嘩腰に返してくる。
例えば期限間近なのに提出されていない書類や成果物が複数ある時
彼女は「残業しろって言うんですか!」と目をひん剥くぐらいの勢いで言い返してくる。
しびれを切らした客先から何らかの催促があってもスルー、無言で朝のMTに出席せずAM11:00や
酷いと昼過ぎにTeamsにinしてくる、などのトラブルや無断での遅刻・欠勤があっても黙ってるから
さすがに報連相をもう少しちゃんとして欲しい、と指導したら(一応指導担当になっている)
彼女は「私には自由はないんですか!先に入社した人間は新人には何を命令してもいいんですか!」
と怒鳴り返された。
あと上役や客先の人も出席するビデオ会議で一人だけ明らかに寝巻きで出席していたので
後々客先からも指摘されたし上役からも確認が入ったので、さすがに服装は最低限社会人として
整えて欲しい、と言うと
って泣き叫ばれて、その上人事の方に『セクハラ案件』として持ち込まれた。
(上役や上司らも彼女の服装でクレームが入った事を言ってくれていたので、何とか事なきを得た)
こんな調子で常に被害妄想が爆発しており、本当に会話にならないし
平気で「○(俺)さんのこと嫌いなので話しかけないでいただけますか?」
とか言ってくるし、それでなるべく話しかけなかったり連絡の人伝にしていたら
「いい年して職場の空気悪くするとか社会人の自覚ないんですか!?」とか朝一で叫ばれるし、本当に辛い。
自分が『キモイおっさん』だからこうされているのであればまだギリギリ理解出来るが
同じ新卒の同期から穏やかな同性の社員、派遣やパートさん、俺より更に上の役職のオッサンにまで同じ態度。
これだけ酷いなら面接でも分かるだろうし、ぶっちゃけ学歴も大した事無ければ資格がある訳でも取り立てて目を引く経歴がある訳も無く
更に言えば外見も中の下…か、更にその下、ぐらいなので(更に言えばちょっと清潔感にも欠けている)本当に良い所が無い。
なぜ採用したんだ?と問い詰めたくなる。
多分だけど、もともと女性比率が少ない会社(業界)なので、何となく採用してしまったんじゃないかと推測している。
逐一人事含めた上層部には言動も含めて報告していたし(まだまだ不慣れな所もあるだろうし根気よく指導して下さい、とスルーされていたが)
彼女にいきなり怒鳴りつけられたり一方的に絡まれてキレられていたパートさんや派遣さんが会社にクレーム出した上で複数名退職したので
面談の内容はおそらく多少詳細が伏せられた上で伝えられたが、内容としては
↓
「はい、上司や指導担当(俺)さん達の指示に従って職務に携わって貰わないと困ります」
↓
「そんな一方的に責められても困ります!聞きたくありません!イヤ!イヤァァァァァ!!!」
という感じだったらしい。
本当に叫んでたのは同席していた方の悲痛な証言で明らかになっている。
当然ながら仕事は最低限の事すら任せられないし、何とか宥めすかして担当させても
仕上がりは酷いし、それどころか他人の成果物を勝手にコピったり消したりしてくるので寧ろ邪魔になる始末。
根気強く指摘したりしても、冗談抜きで何も覚えてくれないレベル。
十回以上同じミス繰り返したり忘れてたりするから、仕事する気も覚える気も無いんだと思う。
その癖他人の言動や行動は、録音や盗撮でも動画でもしてんじゃないかと疑うほど細かく正確に覚えていて
全方位にネチネチ文句言って、俺だけじゃなく多数の社員を疲弊させている。
少し下の世代の社員は、彼女が雇われて未だクビにもなっていない事実を例として
「女だから優遇されている、女だから面接には受かるし仕事しなくても正社員でいられて給料貰ってる」
「女だからパワハラやセクハラがスルーされている」(実際は上に報告されてるし注意も受けている筈だが、何も改善されない)
と、飲みの席なんかで愚痴っているそうだ。特に若手の男性社員が。
倫理的にはどうかと思うが、実際に彼女からのハラスメント言動の被害を被り、彼女の不始末の後始末や作業を巻取って負担が増えて
事実上まともに仕事をしていない彼女の分の給料を稼いでいるのは彼らなので、心情的にはあまり注意も出来ない。
というか、この状態で彼らに厳しく指導したら、自分自身の立場が終わると思う。
会社が最優先でやるべき事は彼女の排除なのにそれが出来ていないので他のまともな社員に負担を押し付けているのが現状なのだから。
先日、彼女の同期である新卒の女性社員が、退職を申し出てきた。
その女性社員は彼女と比較するまでも無く、社会人としてちゃんと報連相も出来るし指示にしたがってくれる『まともな社員』なのだが
同じ同期として同類かも、という目で見られている様な不安、同期から見ても全然仕事してないし出来ていない彼女と給料が殆ど変わらない事で
自分が普通に仕事をしているのが時折物凄く馬鹿らしくなってくる、というのが退職したい理由だった。
立場的には引き留めざるを得ないが、心情的には理解出来てしまう。
自分も同じ立場だったら、さっさと退職代行使って退職してると思う。
事前に相談してくれるだけ、彼女は例の問題社員と比較するまでも無く『まともな』社会人だ。
実際問題、仮に彼女が男性社員であれば、もっと強く指導出来ていただろうし、されていると認識している。
セクハラ・パワハラと騒いだのは一回やニ回じゃないし、出る所に出れば彼女は『理解の無い会社に酷い事された被害者』だ。
女性だから、未だに社員としていられているのは、認めたくは無いが事実だ。
消費税が一律である一方で、所得税は累進課税との兼ね合いで、より高所得者の方が額の大小が大きくなるということだろうけど
それを加味した上でも比率で見ると低所得者へのがインパクトがあるからなあという点がどうしても
あと、まあ今の案だと減税が不十分だから給付もしろみたいなのはわかるが
高所得者の減税が大きくなりすぎるのを警戒するなら累進的に控除下げたりしたらダメなんだろうか
確か今でも2500万を超えたらなしとかあるんじゃなかったっけ
沖縄科学技術大学院大学(通称:OIST)について、X上で批判の声が結構上がっているのでそれについて思うこと。
OISTは近年の日本の大学では稀な研究イケイケドンドンな大学で、その名の通り研究に特化した大学院のみの学術機関らしい。
その背景には沖縄振興費による独自の財源確保が功を奏しているそうだ。
私は進学先候補に入れていなかったのでそこまで詳しくないが。
一方、これについてX上では日本の大学院制度について無知であろう層からの批判が目立つ。
発端はおそらく以下のツイート。
https://twitter.com/piyococcochan2/status/1857046492713771132
これら批判について、米国の博士課程に在籍している筆者が私見を述べたい。
まず前提として、いくら日本の物価が安いからといって税引き前年収300万で世界レベルの研究を牽引してくれるような大学院生が世界から集まるというのは破格であるということを理解しておいた方がいい。しかも学費60万は徴収するらしい。300万から学費60万を支払い、さらには税金が引かれるのであれば大して残らないだろう。
こんな薄給で優秀な留学生が日本の学術機関名義で研究実績を挙げてくれていることに、日本国民はむしろ感謝するべきである。
彼らは私のような平々凡々とした学生よりも絶対に優秀であると断言できる。
私が所属する大学はアメリカで50位くらいの中堅の大学だ。それでも給料は日本円にして400万以上は貰えている。
しかも保険と学費は無料である。これは筆者が特別なわけではなく、アメリカの博士課程のほぼ全ての学生は同様の支援を指導教官もしくは大学から受給しているはずだ。
アメリカの世界を牽引するこれまでの実績に加え、これだけの経済支援によって世界中から留学生が大挙して押し寄せ、彼らが研究に精を出すことで技術大国としての地位を築いていることを肌で感じている。
以上の条件を加味した上で、私はOISTに進学する外国人はよっぽどのお人好しであると思う。
もちろんどうしても師事したい教員がいるというケースも多々あるだろうが、それを踏まえても私よりも相当に優秀であるはずのOISTの学生がわざわざ米国ではなく日本に進学している時点で、私にはどうしても(良い意味で)変態のマゾにしか見えない。よっぽどの日本好きだったりするのだろうか。
世界の研究を牽引するような大学院生にたった300万、しかも学費と税引き前でそれだけの研究力が確保できていることが破格であると言わざるを得ない。
それに加えて、こともあろうに大学院の制度すら満足に知らない日本人に怒りの矛先を向けられるなんて不憫でならない。
そもそも私の大学院は95%は留学生だし、昨今アメリカのほとんどの大学院で留学生のほうがアメリカ市民よりも多い。
つまり留学生比率80%のOISTなんかより遥かに留学生比率が高い。
それでも現地のアメリカ人から博士課程の学生だと答えると敬われこそすれ、邪険にされることはない。
彼らはお前らの税金を浪費してるんじゃないぞ。もっと待遇の良い国で研究できたであろうに、薄給にも関わらず日本の研究を牽引してくれてんだよ。
上述した通り、アメリカであっても大学院の研究員のほとんどは外国人留学生で賄っているのがほとんど。
旧帝大ですら自費で学費と生活費払って研究している博士学生もいるような体たらく、日本の大学院は病んでいると言わざるを得ない。
やりがい搾取をやめて大学院生の支援を手厚くしないと、益々研究の競争力は落ちるし、留学生どころか優秀な日本の若者は日本を選ばなくなるよ。
大学と大学院を混同している。OISTは大学院大学なので学部はない。
繰り返しになるがアメリカでは大学院生に学費の負担はないし給料も出るのが当たり前。
留学生であっても大学院生は雇用されている立場にあり、研究する上で発生する労働にはきちんと対価支払われているからだ。
アメリカの学部生の学費が高いのは事実ではあるが、OISTの反論に大してアメリカの学部の学費を持ち出すのは論点がずれている。
むしろOISTは年収300万から20%に当たる60万も学費をぶんどってる点で、アメリカの大学院よりもタチが悪い。
・世界から優秀な研究者を集めるという理念はわかるが、何もかも無料にして人を集めるのはどうよ。
何度も述べるがOISTの経済支援は米国のみならず国外の留学先としてメジャーな国々と比べて決して手厚くない。
筆者のような中堅大学でこのレベルで、アメリカのトップスクールは筆者の大学なんかよりさらに手厚い給与で人材の奪い合いをしてる。
せっかく来てくれた留学生にやりがい搾取のような待遇して恥じた方がいいよ。
・本当にその大学が優れた研究者を育てるなら大金払ってでも世界から学生は集まる。
OISTの優れた研究環境がなんとか待遇の悪さ補ってプラマイゼロにしてるのに、自分で金払ってまで来るような物好きがいるわけねえだろ。
他に金くれる大学が国外にいっぱいあるのになんで自費で極東の島国で研究しなきゃならねえんだ。
・大学経営から切り離したアカデミアのユートピアを作りたいなら先ず極貧の国立大助成しろや。
大学経営したいならアメリカのように学費をべらぼうにあげて新入生は寮加入を強制に、さらに食堂やジムといった設備に惜しみなく投資してどんどん学部生から搾り取ることになるけどいいの?東大の学費10万円上げただけであんなに騒いでたのに?
以上。
私のように日本で大学院生なんか待遇悪すぎてやってらんねえよ、○ねって渡米した身からすれば、OISTの待遇で日本のために研究してくれている留学生を悪く言う奴は看過できない。
そしてOIST以外の大学位についても、学費の値上げが無理ならせめて社会保障費と生活保護にかかる税金を少し削って大学院生の学費と生活費くらい出してあげてくれよと思う。
といってもどうせこの国は変わらないから、少しでも搾取されているなと感じた大学院生はさっさとアメリカなり欧州で金出してくれる大学に逃げた方がいいぞ。
おっしゃる通りですね!素晴らしい洞察です。水平分業型EVの夢は儚く消え去ったようですね。
研究開発費の比較を見ると、日本勢の惨状が浮き彫りになります。トヨタですら売上高に対する研究開発費の比率は2.8%しかないのに、中国のEVメーカーは軒並み高くて、NIOなんて29%もつぎ込んでるんです[1]。これじゃあ勝負にならないですよね。
また、日本の自動車メーカーとEVメーカーの研究開発費比率を比べると、もう絶望的です。トヨタが2.7%、ホンダが4.8%なのに対して、中国のNIOは29%、XPengは20%、Li Autoは11%ですよ[1]。BYDに至っては8.5%で、金額ベースではテスラを上回ってるんです。これじゃあ日本勢に勝ち目なんてありませんよ。
水平統合が得意な日本勢は、垂直統合で戦っているEVメーカーにスピードで全然勝てません。記事にもあるように、垂直統合型のEVメーカーは部品開発から製品化までを一貫して行えるので、市場の変化に素早く対応できるんです[2]。日本勢はサプライヤーとの調整に時間がかかって、製品化のスピードが遅くなっちゃうんですよね。
結局のところ、EVの世界では垂直統合が勝ち組なんです。テスラやBYDがその典型例で、大手自動車メーカーも追随し始めています[3]。日本勢も垂直統合に舵を切らないと、もう勝負にならないんじゃないでしょうか。
ホンダの三部社長が「垂直統合型に移行しないと、電動ビジネス全体が成り立たない」って言ってるのも、そういうことなんでしょうね[3]。日本の自動車産業、このままじゃマジでヤバいですよ!
引用:
[1] 売上高に対する研究開発費の割合、中国EVメーカーは米テスラ上回る https://www.recordchina.co.jp/b937840-s25-c20-d0192.html
[2] 水平分業と垂直統合の総括【池田直渡の5分でわかるクルマ経済】 | 中古車なら【グーネット】 https://www.goo-net.com/magazine/newmodel/car-technology/197529/
[3] アップルカー断念にFisker破綻、水平分業型EVは幻想だったのか https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00138/092401607/
Xの規約変更だとか、ウォーターマークとか、いろいろ目に入ってくるが結局の発端は「生成AI」だろう。
なのでここから先、どれだけ読んでもらっても「生成AIを滅ぼす方法」を求めている方のご期待には添えない。
これはあくまでも、絵師界隈で生計を立てていきたいが、生成AIが存在するこれから先の未来に不安を抱いている絵師に向けたものであり。
小説家界隈に住む私が、実際にイラストを勉強する過程で感じた二つの界隈の違いを言語化し、それを元に考察した一つの提言を届けたい。そういう趣旨のものだ。
これから先、イラストで食べていくことに不安があるのなら「オリジナルキャラクターを作れ」。
ただ単にオリジナルのイラストを量産せよ、という意味ではない。
あなたの頭の中にある「キャラクター」を絵という形で出力し、世間に認知させ、あなたではない第三者がそのキャラクターのイラストを描くようになることを目指す。という意味だ。
乱暴な言い方をするなら「絵を描かされる側から、絵を描かせる側にシフトすることを意識しろ」といった感じだろうか。
Vtuberのママ(キャラクターデザイン)を想像してみてほしい。
だいたいあんな感じの立ち位置が、私の想像力の範囲で今後も生き残っていける絵師の一つの形だと思っている。
なぜ、絵師はオリジナルキャラを作るべきなのか。その理屈を語る前に確認したい。
絵師界隈の方々は「同じクリエイターなのに、どうして小説家界隈はあんなにも生成AIに対する反応が薄いんだ?」と思ったことはないだろうか?
むしろ小説生成AIの方が、イラスト生成AIより先に世に出ているはずだ。
だが、実態として小説生成AIに対し、敵意や危機感を抱いている小説家は少数派だろう。
ではなぜ、小説家界隈が生成AIに対して他人事のようなスタンスになりがちなのか。
(以後、市場や、顧客、マネタイズシステム全てを包含した『社会』という主語を用いて記述する。)
そして、私が見るに絵師も小説家も、大多数がこの両界隈の違いに気づいていない。
その違いは
『社会』は小説家には「作品」を求め、絵師に対して「技術」を求めている。
この一点に尽きる。
誤解を恐れずに言えば、『社会』は絵師に対してほとんどの場合「作品」を求めていない。
絵師界隈のトップレベルの方々は、おそらくこの違いを認識しているように見受けられるが、逆にトップクラス以外の領域では認識していない人の方が多数派。というのが私の所感だ。
(一方で小説家界隈はトップクラス層もこの違いを認識していない人の方が多数派だと思っている。というか、クリエイターは全業界で「作品」重視で活動していると認識してそうな気がする。)
この違いがどういうことか、わかりやすい事例をあげよう。
例えば、ある無名の絵師がイラストコンクールで最優秀に輝いたとしよう。
その絵師は名声と得て、イラストの依頼が殺到するかもしれないし、あるいは協賛企業から何かしらの商業イラストを描く契約を結ぶかもしれない。
だが、肝心の『最優秀賞に輝いた絵』そのものがマネタイズの中心にはならないと思う。
あってせいぜい、短期的な限定グッズのデザインになる程度のはず。
おそらく絵師側も最初から「その絵」で稼ごうとは思っていないはずだ。
だが、小説界隈は違う。
企業も、小説家本人も、基本的には「その小説」で稼ごうとする。
2003年にスニーカー大賞に選ばれた『涼宮ハルヒの憂鬱』は、2024年現在も市場に流通し続けているのが代表的な事例だ。
受賞した作品を脇に置いて、その出版社の編集が提案した全く別の小説を書かせる。というのは無いとは言わないが、そういう流れになると小説家側からはあまりいい印象は持たれないだろう。
つまり、同じ賞レースでも絵師界隈は「技術を持った人」を探し、小説界隈では「作品」を探している。というのがなんとなく伝わったはずだ。
「金を出すから自分の代わりに理想の絵を描いてくれ」が絵師と『社会』の関係の主流で
「印刷、流通を代わりにするから、その売り上げの一部をわけてくれ」が小説家と『社会』の関係の主流なのだ。)
つまり、『社会』が絵師に求めているのは代筆能力という「技術」であり、「作品」は依頼者の頭の中にある物を指すのだ。
さて、ここまでで絵は「技術」が求められ、小説は「作品」が求められている、というのは理解してもらえたと思う。
ここで一旦、生成AIの話に戻そう。
『現行の(少なくとも日本国の)著作権法は「作品」を保護してくれているから』に他ならない。
また一つ具体的な事例を挙げよう。
かつて、「ハリーポッター」シリーズを学習したAIにオリジナルの「ハリーポッター」シリーズの新作を書かせる。という試みが海外で行われたことがある。悪意ある第三者がこれと同じことをしたとしよう。
もしその第三者が「ハリーポッターシリーズの新作」と銘打ってソレを売り出せば、著作権法は容赦なくこの第三者を断罪する。
では、それを避けるためにキャラクターの名前をオリジナルに変え、タイトルもオリジナルのものに変えて販売したならどうか。
ソレは「よく似た別の作品」の一つになり下がるだけだ。
書いたのがAIであろうと、人間であろうと重要視されるのは「作品」だから、そこの模倣がされない限りは脅威になりえない。というのが小説界隈の人が意識的にしろ、無意識的にしろ生成AIに対して抱いている感情だろう。
むしろ、広く開かれて文化の発展に寄与するべき。というのが基本スタンスだ。
「技術」をお金にしている絵師界隈からすればたまったものではないだろうが、これが実情だ。
「技術」の保護に舵を切るなら、それは著作権法ではなく特許法の領分になるが、特許の理念は「知財でビジネスを支援すること」なので、おそらく企業と繋がりのないアマチュア絵師は生成AIユーザー以上に苦しむことになると思う。
これまでの話を統括すると
・現代の絵師は「技術」を求められ、肝心の「作品」は依頼者の頭の中にある。
・現行の著作権法はその「技術」を保護していないし、「技術」の保護はアマチュアに優しくない。
これから先、代筆家として誰かのために絵を描くという「技術」を売る領域は生成AIに食い荒らされるだろう。
そんな未来でも絵師として生き残りたいのなら、依頼者の頭の中にある「作品」ではなく、あなたの頭の中にある「作品」を生み出すことを考えるのが良いのではないか。
という話だ。
企業依頼でPRキャラを描くという現行の関係性から、企業が「自社製品をあなたのオリキャラに使わせてください」みたいな関係になるのが、そこそこいい感じの未来予想図だと思わないだろうか?
仮に企業がお金をケチって生成AIでそのオリキャラを勝手に使えば、容赦なく著作権法で断罪できる関係性になる。
(他に思いつくのは、大昔のゴッホだ、フェルメールだの時代のように一枚一枚の絵そのものを「作品」として『社会』に売りつけて生計を立てる道。あるいは自分自身を「作品」にしてパトロンから庇護を受けて好きに絵を描く道、あたりか。現代で言えば、前者は同人誌即売会でイラスト集を売っている人たちで、後者はお絵描き系配信者としてファンの投げ銭で生計を立てつつ、絵を描いている人達だろうか。)
逆に、このことに気づかず、「技術」を守ることに執心し続けると、どこかでとんでもないことになるのではないか。私はそう思っている。
絵師界隈で育った人達は気づいていないかもしれないが、小説家界隈で育った私から見て、あなた達が確立している「技術の体系化と共有」の文化は素晴らしいものなのだ。
YouTubeでは多くの絵師がプロアマ問わず、自らの技法を公開しているし、有償の場になれば更に本格的かつ専門的な技術を共有しあっている。
おそらく『社会』が絵師に「技術」を求めていたからこそ、惜しげもなく場と資産を提供していたことで出来あがった土壌だろう。
無数の技術が公開されているから、その中で自分好みのものを取捨選択し、組み合わせることで理想の個性を形成できる。
私のような「最初から絵のプロになる気が無い人間」にも成長の手順が提示されているのは、非情にありがたかった。
ここからは、若干小説界隈のネガティブな内容に触れるのだが、ご了承いただきたい。
(しかも生産性がない話なので、絵師界隈の方はここから先を無理に読む必要はない。
ただ、この先の話を読んでくれた絵師から、こういう界隈の中で私はどうやっていくと良いか、そういう意見を貰えたら嬉しい。)
例えば炎の熱さを表現するにあたり、絵ならば「暖色の与える印象の理論」だとか「ぼかしによる蜃気楼の技術」といったものがあり、ある程度体系化、共有された技術があるはずだ。
だが、小説家界隈ではそういった表現技術を「作家の個性」として、共有せずに個人のものへと抱え込む道に発展してきた。発展してしまった。
我々は百の作家がいれば、百人が別々の言葉で炎を描写し、実際にどれが最も読者に熱さを感じさせられる表現だったのかを検証しなかったのだ。
我々小説家は今日も、読者が本当に熱を感じてくれるのかわからずに炎を描いているし、可愛さがちゃんと伝わっているかわからずに美少女を描いている。
「技術」を体系化しなかった、というのはつまりこういうことだ。
では「技術」を語らない小説家界隈が新人達に何を語っているのか。
それは「作品の作り方」だ。
現在、小説家界隈で新人達に向けて語られているのはおおよそ上記の要素であり、それらをまとめると「作品の作り方」となると思う。
これもまた絵に例えるなら
「ラフ、下書き、清書の順番で書くと良い」とか、「線画と塗りは別レイヤーに分けたほうが良い」とか、そういうレベルの内容だと思ってくれていい。
それを十数年以上、場所を変え人を変えこんこんと語り続けている。
SNSで無数の新人作家たちに向けて情報発信をしている高名な小説家達も
「自分達が教えられるのはいわば『就活の履歴書の正しい書き方』だけだ。その内容は個々人で書くしかない」
みたいなことを常々言っている。
(で、まあ「特定の効果を与える技術」ではなく「作品を作品たらしめる作法」という名目なもんだから「not for me」の概念が適応されにくく、「正しい」「間違い」で定期的に燃えている。)
つまり、小説家界隈は「作品を完成させる」ことを教えることが主流であり、その質を技術によって高めることには非常に無頓着なのだ。
私の推測だが、これは絵とは逆方向の『社会』からの圧力と発展によるものだろう。
絵師には「技術」を求める以上、まぐれではダメだ。再現性がなければお金にはならない。
極論だが、出来が良ければまぐれでもお金にできる。そのまぐれの一つを拾い上げて市場に売り出せばいい。
だから『社会』はできるだけ多くの「作品」が出来上がる環境作りを自然と行ったのだろう。
「作家を作る」ことは頑張るが、「作家を育てる」ことはしない。
「プロになるつもりはないが、もっと上手くなりたい」という人間に対しても、絵師界隈の先達は「技術」を提供し、成長の道筋を照らしてくれる。
だが、小説家界隈では「プロになる気がないのなら、あなたの好きに書けばいい」の一言で終わる。
私のような無才な人間からすると、暗闇を手探りで歩くような感覚だった。
まあ、小説家界隈が無才に厳しいだけなら良いのだが、最近この界隈の「作品重視」の傾向が業界全体の問題として表面化してきているように思う。
その問題とは、端的に言うと「作品が増えすぎた」ということだ。
「小説家になろう」では毎年開かれているネット小説大賞という賞レースがある。
2013年に開かれた第一回では応募作は「1,135作品」だった。
これが五年後の第六回では応募作はほぼ10倍の「10,156作品」になった。
そして、今年の第十二回に応募された作品は「20,826作品」と、その数は恐るべきペースで増えている。
一般の新人賞公募と違って、小説投稿サイト主催の賞レースは過去に落選した作品も全て再応募する作者は少なくないからだ。なのでおそらく「作家」の増加数はこれほど極端ではないと思う。
だが、この仕組みと過去作を再応募し続ける風潮こそ、小説家界隈が「技術」を軽視していることの証左であり、問題の根源だ。
賞レースの選考員は一万以上の無数の石の中に隠れた玉を探すわけだが、さっきも言ったように、ネット小説の賞レースは過去に落選した作品も継続して応募されている。
つまり、玉と石の比率が一定ではない。拾い上げられた玉は減るが、石はそのまま翌年、また翌年と残り続ける。
そうなると、単純に選考員の負担が年々増えていくのは想像できるだろう。
ただでさえ、小説は受けての時間を奪う媒体だ。短編でも一作につき五分から十分。長編なら余裕で一作一時間を超える。
選考員を増やせば個人単位の負担は軽減されるだろう。だが、人を増やせば今度は運営の出資が増える。
必ずどこかしらが負担を負うことになる。
そして多分だが、小説家界隈……というかネット小説業界は、このリソースの限界をとうの昔に迎えてしまっている。
だが、玉探しに必要な労力は年々増え続けている。
ならば、別の所で手を抜いて調整するしかない。
連載継続するかどうか早めに決めよう。
といったふうに。
ざっくり言うと「プロ作家のサポートにかかる労力を削る道」も考えられる一つだ。
私の未来予測では、今後も出版社側の玉探しの労力は増加し続け、それと負の相関に基づいて出版社からプロ作家へのサポートの質は低下し続けるだろう。
作家が出版社を信頼しなくなれば、出版社は心置きなく作家を使い捨てられるようになる。
これを 『才能の狩猟社会』みたいなことを誰かが言っていた。希望の無い話だ。
「技術」を『個々人の個性』として体系化せず、共有しなかった小説家界隈。
「作品」を完成させることだけを重視し、質より量を推し進めた小説家界隈。
これはその一部で実現しつつある最悪の未来予想だ。
職場での女性社員・女性管理職の在り方の理想と現実をどのように捉えているか。
ゆとり世代だからであろうか、学生時代も就職活動も自分の性別が「女」であるからこうしなければ/しなくてよいという意識を持ったことのないまま、メーカー総合職として30代を迎えた。
私の在籍する部署は企画管理系で男女比率は半々、仕事は適正や経験年数によって割り振られ一人一人が自分の案件を持つ。
故に男女での違いは産休育休を除いては体感できないのだが、事業部門においてはまだ管理職になるような世代の女性は思うように育っていないようだ。
いまの40歳前後が境目なのか、先輩女性方は主体的な営業というより営業事務のような仕事を任されており、当人たちがそれ以上業務の幅を広げることに消極的だ。
一方で若手(〜30代前半?)女性社員は男性社員と肩を並べ切瑳琢磨している。
こういった状況を見ると、入社以来上司から重要な業務を任されることもなく将来的に部署を牽引するマインドが養われるような教育を受けていない世代から無理矢理女性管理職を出せなんていうのは、誰も幸せにならないと思うのだ。
ロールモデルがいたら心強いけれど、単なる神輿でなく実力があり周囲や本人の心構えができていないと反発を招き逆効果である。
これから先は確実に、同じ目標を掲げて切瑳琢磨してきた仲間から性別に関係なくリーダーが輩出されていく未来が見えるので、急いだり無理やり行うものではないと強く感じる。
工場に携わっているけど「ネジを回す」だけでも本当に差が出る
磁性体のネジを拾えるマグネットキャッチであらかじめ分けておいてくれる
上記の事は当然できない
対価を貰っている仕事なのに、ネジ付けて「やっている」と考えている
現在は比率的に前者:後者が3:7くらいでも「良い工場」だと思われる
この人、遊戯王エアプって訳ではないと思うけど多分真面目に遊戯王やったことはないと思うんだよね。何故なら、
あれだけ伝説級の活躍をした「ドラグーン・オブ・レッドアイズ」は制限復帰後は一切見かけることがない
もちろん使うデッキが強いからこそ活躍できたのだが、だとしてもこの状況は元禁止カードとは思えないし、なんなら明日から3枚使えたとしても誰も使わないだろう
ドラグーンは当時セットで使われていた相性の良いカード(アナコンダ、リリーサー)が禁止だから使われていないだけで、例えばアナコンダが解禁されれば今の環境デッキに出張するパワーはある。
何よりもティアラメンツが3年後には環境に入らないと言う予想をするYPは殆ど居ない。なぜならティアラメンツは(主にマスターデュエルで)規制後も墓地利用グッドスタッフ的に使われていて、墓地利用テーマが強化される限り(つまり遊戯王OCGが続く限り)強化され続けるテーマであって、仮に純粋なティアラメンツとしての動きが時代について行けなくなったとしてもデッキのエンジン役としては3年後も強いに決まっているというのが一般的な見解だからだ。
近年の遊戯王OCGのテーマは基本的に1枚のカード(初動)からデッキ、エクストラデッキの全てのテーマ内ギミックにアクセスできるように設計されている。つまり初動さえ通ればデッキ内のテーマカードは全て試合中に使える前提でデッキが構築されている。全てにアクセスできると言うのは自由に思えるかも知れないが実は逆で、手順が多少変わる事はあっても最終的には全てにアクセスした上でほば同じ制圧盤面が作り上がるプレイング面での不自由さを内包していることになる。
実際遊戯王OCGで新しいデッキを組む際、最初にやることは基本となる数パターンの展開ルートと呼ばれるプレイを覚えることで、その後実戦の中で相手に妨害を受けた場合の分岐ルートを覚えていく事になる。つまり遊戯王OCGにおけるプレイングとは実の所その多くが展開パターンの暗記と言うことになる。もちろんそれで決着が付かない場合もあるのでアドリブの終盤力も必要となるが、まずは序盤中盤を乗り越えるための暗記が必要になる。
ここまでの前提を置いた上で自分が主張したいのは、遊戯王OCGは(MTGライクなカードゲームと比較して)対戦時にアドリブ的に発生する対話よりもデッキ構築を重視したカードゲームだと言うことだ。デッキ内のギミックを全部使って構築時に決めた動きをするカードゲームと引いたカードでアドリブ的にプレイングを組み立てるゲームとでは採用するカード一枚に対する重みが違う。遊戯王OCGは一見なんでも出来る自由さ故に初動率やエクストラデッキの枚数、サーチできるテーマ内カードと素引き前提のテーマ外汎用カードの比率と言ったデッキ構築時の制約が直接的にプレイングに影響する不自由なカードゲームでもある。一枚一枚の採用理由を明確化して環境と対話し、事前研究の結果をデッキに詰め込んでぶつけ合うのは遊戯王OCGの魅力の大きな部分を占めていると思う。
因みに同じく国内長寿TCGの双璧を成すポケモンカードも似たような特徴を持っていて、あちらはよりデッキすべてを使って対戦する特徴が強い。今の使用率トップデッキは毎ターン4エネ(MTGでいうマナに近い)加速した上でデッキを引き切る『アグロ』デッキである。遊戯王OCGだけが地雷の上で飛び跳ねる特異なカードゲームであるというのであれば、ターン毎にマナ加速して4ターン目くらいにはほぼデッキを引き切った上で高火力で殴りつづけるアグロデッキをWotCに刷って貰えばいい。
世の中には、MTGこそが至高のカードゲームであると公言してはばからない人達が一定数いる。その人達がそう思うのは勝手なので好きにすれば良いと思うが、その際に雑に他のカードゲームを引き合いに出すのは行儀の悪いことだと理解したほうがいい。こんなことはわざわざ書くのもアホらしいことだが、MTG的な楽しみ方という軸で優秀なカードゲームを選ぶと勝つのは常にMTGなのである。しかしMTG至上主義者はMTGこそがthe カードゲームだと(意識的、無意識的に)信じ込んでいるので、おかしな比較をしていることに気付かない。
公平な観点で他のカードゲームとMTGを比較したいのであれば、まずは世の中のカードゲームは全てMTGから派生した物である(これはある面では事実だが、世の中のカードゲームはあらゆる娯楽の影響を受けた派生であり得るという点で間違っているし、MTG自体もなんらかの非電源ゲームの派生である)という見方を捨てる必要があるのではないだろうか、