はてなキーワード: オペラとは
ちょっと長くなるけど、頭から説明するよ。
現在のジャニーズ事務所の業務形態、それと、「パトロン」と「プロデューサー」の違いについて。
覚束無い所は調べながら書いてるけど、アイドルビジネスには詳しくないから、細かい所は大目に見て欲しい。
強いていえばジャニーズの「パトロン」は所属アイドルのファン。
それぞれ細かく分けると別の事業をやってる。
各々に会社役員や雇われてるプロデューサーや、資金提供者=投資家がいる。
投資家とパトロンの違いは、投資することで利益を得るか、得ないかって所か。
ジャニーズの興業で利益が上がれば、提供した分の資金に配当金がプラスされて投資家に返る。
これで彼らは利益を得て生活している。
彼はプロデュース的な仕事も行っていた筈だし(現在は不明、ただプロデュース能力が無ければ、
少年野球チームをミュージカル俳優の事務所にはできないだろう)、
個人の資産を事業に組み込んでいるなら資産家としての側面もある。
ただ、これは有能な個人が複数の役割を兼ねているだけで、基本的には全て別の役割。
西洋には教会音楽、宮廷の音楽、世俗音楽ってのがあって、全部システムが違ったんだよ。
これらが相互に影響しあって発展したのがクラシック音楽の系譜。
近代以降、商業的な音楽が発展していくけれど、日本に輸入された音楽も、この系譜に連なっているし、
日本国内の商業音楽の現代のビジネスモデルはアメリカのショービズ界が原型だから、やっぱりここに繋がる。
教会音楽は文字通り宗教式典用の音楽だけど、音楽を理論家したのは教会だから、
「クラシック音楽」を作ったのは教会、とも言える。構造は「宗教だけに」非常に特殊。今は関係ないから割愛。
で、宮廷音楽。発生は貴族社会以後。近代以前の西洋社会ににおける「パトロン」は、王侯貴族の役割だった。
利益はあってもなくても気にしない。彼らの文化的な生活には豪華な家具やドレス同様、
オーダーメイドの音楽が必要だった。だから、庇護下の音楽家は、彼らの為に曲を書く。
クラシックだと、○○×世に捧ぐ、○○式典の~みたいな曲あるじゃん。ああいうの。
馬鹿みたいな金を使って作曲家や腕利きの演奏家を雇って、絢爛さを競った。
で、世俗の音楽。これも歴史は古いけれど、カヴァー範囲は非常に広いから色々省く。
キリスト教が弘まって以降、演劇の娯楽性と衆目を集める力から教会に弾圧されてたんだけど、
ルネサンス期にギリシア文化への回帰から戯曲や演劇が見直されるようになって、劇場なんかも建設されはじめた。
演劇は当初、貴族によって嗜まれるものだったんだけど、17世紀あたりから市民にも親しまれるようになる。
娯楽の少ない市民は劇場に通いつめた。劇場主・興行主は劇場を使って興行を行い、資金を稼いで循環させる。
彼らがプロデューサーの前身だ。オペラなんかはこのシステムの中で成長したし、現在のショービズの原型でもある。
このへんの歴史にはいわゆる流浪民やら乞食なんかの社会階層外の人々も大きく関与しているんだけど、
話がややこしくなるから省略して、外枠としては大体こんな感じかな。
アイドルビジネスは歴史的に見ればごくごく新しい+日本独自のカラーも強い形態だけど、
ジャニーズ事務所なんかは特に、元々アイドル事務所じゃなくてミュージカル俳優の事務所だったくらいだから、
(ジャニー喜多川はブロードウェイミュージカルに憧れて興行を始めたらしい)、
一応はこの興行の歴史の延長線上にある。もっとずっと、資本主義的に洗練されているけど。
片や、今はいわば文化事業とか王侯貴族の嗜みみたいな文化はほとんど存在しないから(しかも不景気だし)、
その為に、芸術家をいわば保護する「パトロン」は絶滅危惧種だろうね。
えっと、興味のないことは全然頭に入らない・身に付かない反面、興味があることには病的に凝る人です。
4歳からヴァイオリンやってるくせに練習嫌い、それでも奇跡的に先生に破門されず、
高校でそこを卒業するまでなんとなく続けてきた程度のヘタレです。
残ったのは経験年数だけ食っている状態、絶対音感も最近狂い気味
(正しい音程の調性を、自分の基準より半音ほど高く感じるようになった)と、
他人が見本にするところは全然ない、そんな非コミュのおっさんです。
そんな俺が今のオケに入ったことをきっかけに身に付けた、クラシック曲の合奏で
かろうじて足を引っ張らないくらいに弾けるようにするハウツーのお話です。
と言ってもドヤ顔ではありません。むしろ「こんなんで正直ごめんなさい」みたいな告白。
まずAmazonやオケ仲間の評価を元に信頼できる音源とスコア、信頼できる楽曲解説を入手する。
そんでスコアと解説片手にひたすら曲を聴く。
そうすると「そもそもこの曲はどういう曲か」というのが頭にイメージできてくる。
その作曲家の音で常に弾けそうな気分になってくる。
楽器同士の絡みから、どこの場面で何を聴いて合わせればいいかも見えてくる。
そして「だから俺はこう弾きたい!」と思えてくる。
そこまで行って、初めて合奏練習を楽しく感じられて、調子が出てくる。
あとは全体から細部にブレイクダウン。
曲全体の流れのうち、絶対に弾けないと許されない箇所は真っ先に押さえられる反面、
細かいところは最後まで弾けなかったりする。やっぱりヘタレだ。
こんな面倒なことするヒマがあったら百万回さらえばいいのは分かっている。
それに他のアマオケプレーヤーから見たらかなり甘いやり方と思われるだろう。
でもこういう面倒なプロセスを経由しないと興味のベクトルがそっちに向かないし、
興味が湧くまで右から左に抜けていく状態なのだから仕方がない。
そもそも不勉強な状態で出す音なんて頓珍漢過ぎて聴かせられたもんじゃない。
当初そのオケに入ったときは、メンバーのあまりの上手さに圧倒され、
とても追いつけないがなんとかついて行くにはどうするか、楽しむにはどうするかを真剣に悩んだ。
その結果編み出したのが上に書いた方法。
もちろん、周りから見て本当に何とかなっているかは今でも分からない。
でも楽しむと言う目標は達成できたし、さっぱり理解できなかったクラシック曲の面白さが
分かったし、それは大きな収穫だった。冗談抜きでQOL上がったんじゃね?という感じ。
あ、雑談のつもりで「この曲って、作曲家が○○で(中略)それが音に出てていいんですよね~」とか
「(オペラの抜粋をやったとき)ここって、ステージでは××が(ry」とかオケ仲間に話しかけたら
「何でそんな詳しいの?」と相手にドン引きされたことが何回かあったっけ。
自分みたくいらんことを知らなくたって弾ける人がほとんどということですね。
それに音なんて結果が全てなので、別に知らなくても悪いわけじゃないし。
なので最近はそんな話はほとんどしていません。
てか非コミュでごめんなさい。
海外のblogで初音ミクについて熱い(長い)文章を書き込んでいるのを見かけたので試しに翻訳してみた。無断翻訳なので匿名で。urlは以下の通り。
http://deliciouscakeproject.wordpress.com/2010/09/20/hatsune-miku-and-the-magic-of-make-believe/
=====以下翻訳=====
そこにはバルトロメオ・クリストフォリって名前のすげえヤツがいた。こいつの得意技は楽器を作ることだった。何でも作ったわけじゃない。当時はひどく弱々しいちっこいもので、しょぼい羽柄が並んだ弦を引っかいて金属的なチャリチャリした音を出すもの、つまり鍵盤楽器を作っていた。いわゆる「バロック・ミュージック」ってヤツだ。クリストフォリが音楽技師として、また機械技師としてやったのは、弦を異なる強さで叩くハンマーを使った仕組みづくりで、それによって演奏家は小さい音(ピアノ)や大きな音(フォルテ)で演奏できるようになった。だもんで皆それをイタリア語でピアノフォルテと呼んだ。もちろん、今ではお前も俺もそして誰もがクリストフォリの発明品をピアノと呼んでいる。
イタリアはピアノを発明することによって、日本が初音ミクを発明するための扉を開いた。
***
俺は今、ここサン・フランシスコの150席しかない小さな映画館で、秋のアイドル公演を待っている。チケットが完売した「39[ミク][[Sankyu!]] Giving Day」コンサートの上演を見るために、愚かな時間の無駄遣いをする連中が集まっている。コンサートじゃ電子的に創造されたポップアイドルつまり緑の髪をした女神が、ゼップ東京のコンサート会場で生演奏するバンドにあわせて踊り歌っている様子がスクリーンに映し出されている。それはまるで、一部はライブなんだが、本当はそうではなく、「本物」のボーカロイド・コンサートでお目にかかれるのに近いものだった。言ってみればゴリラズを見に行くのとそれほど違いはない。伴奏は本物のミュージシャンが作り出しているが、客が見ているのはいわば巧妙なごまかしの表層であり、音楽に命を持たせるために使われる動くペルソナだ。これがミクの魔法である。それは見せかけの魔法だ。
***
クリストフォリがピアノを発明した頃、J・S・バッハは平均律クラヴィーア曲集を書いた。そこでは要するに鍵盤楽器の各音程間で一通り数学的な調整をすれば、突然どのような調号でも十分演奏できるようになるということが言われている。言い換えれば、何か妙なことをしようとした際にいつも調子はずれの音を出すのではなく、初心者から中級までのピアノの生徒がやらかす糞を抑えるような5フラットとか7シャープとかそういったことが完全にできるようになる。これによって18世紀の鍵盤楽器は初めて、いちいちくそったれな調律をしなおすことなく新しい楽想を試すことができる原始的なワークステーションとなった。
数十年後、ようやくピアノの価格が下がり十分なほど生産できるようになったことで、それは非常識なほどの大金持ちだけの特別な楽器ではなくなった。代わりにそれは有名な王族たちのような常識的な程度の金持ちが購入できるものとなり、彼らは好んで地元の作曲家を雇い自分たち(とその客)を楽しませるために音楽を書かせた。こうした作曲家の一人があのヴォルフガング・A・モーツァルトであり、彼の特別な才能は主に下ネタと女性の音楽生徒に対する性欲の面で発揮された。もちろん鍵盤楽器からふざけた音を引き出す才能もあり、その短い人生の間にモーツァルトは最も好きな楽器をピアノに決定した。彼が書いた27のピアノ協奏曲(本当に素晴らしいのは最後の10曲ほど。アニメのシリーズのようにモーツァルトのレパートリーは後半になるほど良くなった)は、単に協奏曲の形態にとって画期的な礎石となっただけでなく、ピアノ音楽の基礎を築いた。モーツァルトの協奏曲はこう言っているようなものだ。「これこそピアノにできることだ! ピアノだけでなく、オーケストラと一緒でもいい! まさか今更ハープシコードに戻ろうってんじゃなかろうな?!」
モーツァルトより後の時代の人間は皆彼に同意した。ひとたび音量の大小を調整できる鍵盤楽器を手に入れてしまえば、弱々しいチャリチャリした機械になぞ戻れっこない。これが230年ほど前の出来事だ。ミクへの道は一日にして成らず。
***
ミクの公演にやって来たファンの男女はいろんな連中の寄せ集めだ。彼らの5分の1ほどは当然ながらボーカロイドのコスプレをしている。何人かはケミカルライトまで持ち込んでいる。コンサートは全長1080ピクセルの巨大なスクリーンで始まり、全劇場用サウンド・システムが炸裂し、観衆は最初はためらいがちに見ていたが、最初のいくつかの歌の後は雰囲気が盛り上がってきた。彼らはスクリーンの中の群衆と一緒にリズムに合わせてケミカルライトを振り、曲が変わると歓声を上げ、各ナンバーが終わると拍手をした。単なる録音と録画じゃねえか、などというたわ言は知ったこっちゃない。理論的にはゼップ東京の群衆だって同じように録画を見ていたんだ。本当に「ライブ」で演奏される音楽など、現代においてはクラシックのオーケストラと民族音楽の演奏くらいしかないし、それにシンフォニー・ホールですら今日ではマイクが使われている。誰もが電子的な助けを借りて音楽を聴いている。ひとたび電子機器を楽器として受け入れることを覚えてしまえば、ミクを愛するのは簡単だ。彼女がモーツァルトの魔笛のアリアを歌っている動画を聞いてみよう。
http://www.youtube.com/watch?v=gr9fbQzNpqA
***
19世紀欧州で、もしお前がピアノの演奏ができない作曲家だったとしたら、お前は存在していなかっただろう。それはもはや単に大小の音量で演奏できる楽器にとどまらず、巨大な和音構造物であり、多音パッセージワークであり、一人の演奏家の手で「あらゆる音符を見ることができる」ものとなっていた。もしピアノがなければきっと「2人のバイオリニストとビオラ及びチェロ奏者各1人をかき集めて旋律が上手く行くかどうか調べにゃならん」てなことが起きていただろう。そしてもちろんチェリストは、ある音符について「どぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅん」と演奏するようお前が何度も何度も何度もお願いするのにうんざりして1時間後にはそこを立ち去ったことだろう。
少なくともピアノがあれば、お前の小さな指以外に迷惑をかけることなく「どぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅん」とやることができる。
かくして1800年代においてピアノは中心的な作曲道具となった。そして同時に社会の中産階級が暇と屑な時間を持つところまで進化し、そしてもし彼らがスポーツやゲームを発明しなければ、彼らは音楽その他を演奏したいと望み、そんでもって家に持ち込むためピアノを注文できるようになった。欧州だけでなく日本でも、少なくともウィリアム・ペリーが彼らを開国して西洋化が始まった後には、同じことが生じた。基本的にピアノは文明化の証と見なされ、そして有名な山葉寅楠ってヤツがイケてる連中のため日本製ピアノを作り始めた。
19世紀末と20世紀は音楽制作にとって黄金時代だった。楽譜を買って他人の歌を演奏する方法で「音楽を作る」こともできたし、あるいは作曲と理論について十分に学び自分の曲を創造するというやり方で「音楽を作る」こともできた。そうした取り組みの多くはピアノの周辺で起きた。ピアニストが力を得た。鍵盤があれば、お前はスターになることができた。
そして、とんでもないことが起きた。
***
ミクだけじゃない。巡音ルカとリンとレンも公演に出てきたぜ! 全ボーカロイドのパーティだ。彼らの異なる声質と、ミクと組む様々なやり方は、見事な音の見本集になっている。他のキャラクターが登場するのを見た観客たちは熱狂している。異なるシンセサイザー・プログラムのマスコットに過ぎないにもかかわらず、彼らはまるで我々の友であり家族であるかのようだ。ようつべとニコ動を使って彼らを我が家へ招待しよう。彼らの声を我らの生活のサントラにしよう。電子的に作られたアニメキャラが本当のミュージシャンになれるのかって? おk、ならお前に聞いてみよう。魂のない箱がお前の周囲の空気を震わせているけど、それは本当の音楽なのかい?
***
それこそが実際に起きたとんでもないことだ。録音された音楽。録音された音楽こそ、音楽史の中で起きた最悪の出来事だ。
ひとたび蓄音機を、ラジオを、レコードプレイヤーを、カセットプレイヤーを、CDプレイヤーを持ってしまえば、音楽を楽しむのに「音楽を作る」必要はない。コンサートホールのチケットを手に入れる必要もない。単に座って、電気を使った箱にお前を楽しませればいい。ピアノは専門家のための道具に成り下がった。それは淑女が結婚に必要な才能を覚えるためのものに、あるいは子供が(1)それを憎んでいることに気づく(2)両親が子供に才能があることに気づいてプレッシャーを積み上げ始める――まで稽古を受けるものとなった。もし(2)の現象が起きたなら、最後にはピアノを本当の演奏楽器あるいは作曲用の道具として使うようになるだろう。しかしそれはもはや「音楽制作」の中心にはない。
さらに悪いことにロックがギターをポピュラーにしてしまった。ギターが人気になり、ピアノは役立たずとなった。お前が鍵盤楽器を学ぶのは、ビートルズにしてくれるものを持てずバッハやベートーベンにしがみつくしかないある種の意気地なしだからだ。誰が決めたルールか知らねえが最低だ。10代のころ、俺はピアノを使ってランキング上位40の曲を弾けたおかげで女の子たちに「いくらか」いい印象を与えられた。けど、結局はクラスの野郎どものうちその曲をギターで弾けるヤツがいつも勝ちやがった。くそったれ。
だがここで思い出してくれ。俺は、イタリアがピアノを発明したことが日本の初音ミク発明への扉を開いたと言ってきただろ? ピアノは21世紀に飛び込むときに今一度変革に見舞われたんだ。
http://www.youtube.com/watch?v=-7EAQJStWso
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もし音楽を生み出す小さな電気の箱が「本物」であるなら、録音済みのコンサートに向かって「アンコール! アンコール! アンコール!」と叫ぶのは極めて正常だ。その音楽はお前を感動させたんじゃないのか? もっと聞きたいと思わないのか? というわけで映画館の観衆はもっともっとと叫び、そして彼らはアンコールを聞けることが分かっていた。なぜならそういう風に録音されていたから。ミクが公演を終わらせるため最後の舞台に出てきた時、もう一度鑑賞力のある人々から歓声が上がった。それは人工的なものだが、とことん楽しむため我々はそれを本物だと見なした。まるでドン・コッブが[ネタバレ注意!!]インセプションのラストで回転するコマから歩み去るかのように。ミクは夢のような存在だ。サウンド・エンジニアとCGアーティストと音楽家が作り上げた美しい夢であり、決して卒業することも年を取ることもスキャンダルを起こすことも業界から追放されることも惑星上から姿を消すこともない完璧なアイドルだ。彼女は実際、いくつもの「映像」を持っている。我々は皆、この音楽的見せかけの共犯者だ。過去の聴衆がモーツァルトのオペラを、ガーシュウィンのミュージカルを、あるいはかのすさまじいレ・ミゼラブルを本物であると信じたように。我々は十分深く信じられるようになるまで偽りの世界を本物だと信じるふりをする。その世界を感じるまで、見せかけの魔法を感じられるようになるまで。
***
真空管からトランジスタを経て迷宮のような電子回路まで。もしピアノの鍵盤が「あらゆる音符を見る」ことのできるインターフェイスだとしたら、それは作曲家に最も未来を感じさせるインターフェイスだ。そして我々にはシンセサイザー・キーボードとMIDIコントローラーとワークステーションの世界が与えられており、そこでは遂にピアノが単なる「楽想を試す場所」から超越した。ちょっとした波形の調整によって、ハンマーと弦の機構に制限されることなくこれらの楽想を正確に響かせることができる。新しい音を作り上げることもできる。楽想の断片を記録し、他の楽想をその上に並べて電子キーボードを個人的な架空のオーケストラに仕立てることもできる。ピアノはピアノを超えた。それは作曲家の手の延長どころか、作曲家の心の延長となったのだ。
一つだけ欠けているものがあった。声だ。
そして、ご存知の通り、日本は日本であり、彼らはやってのけた。彼らは人工物を誰よりも巧みに操った。彼らは本物の料理だと見栄えが悪くなるからという理由でプラスチック製の小さな食品サンプルを作った。本物の労働者は間違いを犯しがちだから製造ライン用のロボットを作った。本物の音楽家を家に入れるのは大変だから編曲家のために電子キーボードを作った。そして、人間の声を合成する技術が十分に発達した時、そしてそれが人工音声のためのペルソナを創造するというアイデアと衝突した時、ミクが見せかけの音楽における21世紀のスーパースターになるのは当然のことだった。
中にはボーカロイドというアイデアが音楽家の全てを破壊するという人もいるだろう。全ての仕事をソフトウエアがやってくれるのに、誰が人間を必要とするんだ? 俺が思うに、ボーカロイドってのは偉大なる民主化の旗手であり、音楽家のために沢山の扉を開いてくれるカギなんだ。過去において、もしお前が作曲家、編曲家あるいはプロデューサーになりたければ、まず自分の曲を書いてそれから演奏家を探し見つけ出すしかなかった。何しろお前の傑作に生命を吹き込みたければ、5人編成のバンド、20人編成のオーケストラ、そして3オクターブ半の音域を持つ歌い手がいないとどうしようもなかったのだから。マジ悲惨。だがミクがいれば誰もが作曲家になれる。誰もが自宅のスタジオで曲を作り、正しい機材があれば、電子機器を使った完全なポピュラーソングを生み出せる。ボーカロイドは音楽家の仕事を奪うわけじゃない。それまでミュージシャンには決してなれないと思っていた人々の中からミュージシャンを作り出すんだ。動画投稿サイトで毎日そうしたことが起こっているし、こうしたコンサートではそれまで決して聞いたことのないような人々が突然電子王国の宮廷音楽家になれる。非常識なほどの大金持ちだった王家の人々の手にあった手製の楽器から、平民たちの手に握られた緑の髪の女神へ。それがこの大きな3世紀の違いだ。
何であれ多くの人々が音楽を作ることは、単に大人しく聞いているだけよりもいいことだと俺は信じる。俺は魔法を、ボーカロイドを、ミクを信じている。
=====以上翻訳終了=====
誤訳は当然あると思う。でも面倒なので修正はしない。
私は、自分のような人間は、こんな人生の悪いくじをいっぱいひいて生きてきたこんな人生なんて、なくてもいいや、と思って生きていたもんでした。そんな中でひとりの牧師さん、その家族との出会いの中で、自分の人生っていうのが、意味があるんだ、価値があるんだ、自分は自分でいていいんだ、ということを感じるようになりました。
私にとって視覚障害ということ、そして混血ということ、そして親にほうり出されてきた、そんないろんなことを考えるとすべてがもうマイナスに見えてきて仕方がなかったんです。まさにコンプレックス、劣等感のかたまりでした。
でもそういう中で私が歌を勉強したいと思って、神戸に住んでおられたイタリア人のバランドーニ先生のところに勉強にいったんです。世界的ないろんな歌手を育ててきた先生なんですけども、私の歌をちょっと聞くなり、「この声は日本人離れした声だ。日本人にはない、何か明るいラテン的な匂いのする、オペラを歌うようなそういう音色がある。どうしてこういう声が出るんですか」って言われました。その時私ははじめて自分の話をしました。父の話をしました。メキシコ系ラテン系の軍人だったということを話しました。その時に先生が私に言いました。「この声は神様から与えられた楽器だ、だからこれはしっかりみがいて用いなさい」って。嬉しかったですね。自分がコンプレックスのかたまりだった、自分が混血だとかハーフだとか言われて、そのことが嫌だった。でもそのラテン的な血を半分もらったということで、むしろこれをプラスにとらえていく、この楽器をうんとみがいていく、そんな気持ちに変わったんです。
人間、生身の肉体を持った私たち人間ですから、どうしても利害、打算、損得、そういう世界に生きてしまいがちなんですけども。人とくらべて生きる、人を気にしていく。しかし本当はくらべる必要は全くないわけでして、くらべようとするからねたみだとか嫉妬だとか、そんなものがいろいろと起こってくるわけですね。自分が、あるがままの自分でいいんだ、自分以上である必要もないし、自分以下である必要もない。あるがままの自分を受け入れる。
ですから、よく「自信をもって生きる」という言葉がありますけども、「自信を持つ」ということは別に人とくらべて自信を持つということではない。自分は自分でしかないっていう、ある種のうなずき。それをしっかり持っていれば、私たちはいろんなことがあっても乗り超えることができるんじゃないでしょうかね。
最近マークアップエンジニア志望の若者と話す機会が多いのだけれど、そこで気づかされるのは、彼らの中に過去のHTML(特に90年代以前の仕様)を読んだことのあるという人が、驚くほど少ないことだ。
例えば「マーク・アンドリーセンをどう思う?」と聞くと、「アンドリーセンって誰ですか?」という答えが返ってくる。「ヨスケの独自要素で何が一番好き?」と聞くと、「見たことがありません」と言われてしまう。「ではきみは、昔のHTMLを見たことがあるの?」と聞くと、たいていが「とほほでやっていたものくらいなら……」という答えしか返ってこない。
今の若い人の間では、HTMLを体系的にとらえようという人は少ないようだ。見るのは専ら近年の話題仕様ばかりで、歴史を辿ってみたり、系譜をひもといて標準化団体ごと理解しようとする人はほとんどいない。
これは、ちょっと由々しき問題だと思わされた。HTMLは、もう長いこと(90年代の早い時期から)インターネットの王者としてあらゆるWeb関連技術の上に君臨してきた。だから、Webを作ることを仕事にしたいなら、何をするにせよ避けて通ることはできない。
HTMLは、表・画像・フォーム・音楽・デザイン・フレーム・動画など、さまざまな分野においてその時代々々に達成された最新の成果を持ち寄るようにして作られてきたところがある。だから、HTMLを読まずして現代のインターネットは語れないと言ってもいいくらいだ。
もし何かクリエイティブなことをしたいのなら、HTMLを読むことは欠かせない。また、単に読むだけではなく、それを包括的・体系的にとらえることも必要だ。なぜなら、HTMLを包括的・体系的にとらえることによって、現代のインターネットそのものを、包括的・体系的にとらえられるようになるからだ。そしてそうなれば、Webを作ることの道理や筋道が理解でき、何かクリエイティブなことをする上で、大きな助けとなるからである。
そこでここでは、昔のHTMLをほとんど見たことがないという人や、あるいはHTMLそのものもあまり見ないという人のために、これを見ればHTMLを体系的に理解でき、現代インターネットの成り立ちや実相までをも包括的にとらえることができるようになる、7本の仕様を紹介する。
ここで紹介するHTMLは、いずれも後のWeb業界に決定的な影響を与えたものばかりだ。これらが、HTMLという標準のありようや方向性を決定づけた。この7本を見れば、HTMLというのはどのようなきっかけで生まれ、どのような変遷を辿って、どのような足跡を残してきたかというのが、体系的に理解できるようになる。そしてそれが、世界のインターネット利用シーンにどのような影響を及ぼしてきたかということも、知ることができるようになるのだ。
まず最初は、ちょっと強引かも知れないけれど、第一次ブラウザ戦争前のHTMLをひとまとめにするところから始める。
80年代末にティム・バナーズ=リーの発明したHTMLというメディアは、その後『HTML 1.0』(1993年)『HTML+』(1994年)『HTML 2.0』(1995年)などの仕様で次第にそのスタイルを確立していき、マーク・アンドリーセンが一大産業として発展させた後、『HTML 3.0』に行き着く。そして幸運なことに、ここに集大成されるのだ。
ブラウザ戦争前のHTMLは、これ1本だけ読めば良い。このHTMLに、戦前のHTMLの全ての要素(属性)が詰まっている。このHTMLを見れば、HTMLのインターネットの王者としての風格、スターという存在の大きさ、作者以上にブラウザが重視される「産業」としての側面、お尻Pから終了タグ省略可へ・文字情報から画像付きへと移り変わった技術革新の変遷など、戦前のHTML史やWeb業界のありようが全て分かるのだ。
このHTMLの魅力は、説明し始めるといくら紙幅があっても足りないので、ここではその一端を紹介するにとどめておく……といっても、気の利いたことを言えるわけではない。『HTML 3.0』の魅力を知るには、まずは読んでもらうこと――これに尽きるからだ。そして、もし一度でも読めば、その魅力はたちどころに理解できるだろう。
『HTML 3.0』を見て驚かされるのは、現在のHTMLと比べても全く遜色ないところである。破棄されてから14年の時が経過しているが、現代人の読解にも当たり前のように堪えうるのだ。それは、逆にいえばHTMLというものは、今から14年前、つまりこの『HTML 3.0』が作られた時点で、様式として一つの完成を見たということでもある。
『HTML 3.0』は、HTMLという標準が到達しようとした一つの極みである。それゆえ、HTML史というものは、『HTML 3.0』以前と以降とで分けられるようになった。これ以降に作られたHTMLで、『HTML 3.0』の影響を免れたものはないからである。
iモードが世界のHTML史に与えた影響というのは、一般に理解されているよりもはるかに小さなものである。日本人というのは、「日本の技術が世界に影響を与えた」というと、なぜか鼻高々と聞いてしまうところがある。「日本はガラパゴス」という言葉は聞いたことがあっても、「それって日本人が過小評価しているだけじゃないの?」と、眉に唾をしてとらえるところがある。
しかしiモードは、真に日本のHTML史を塗り替えたサービスの一つである。特に、このサービスの後世に与えた影響には、本当に計り知れない大きさがある。
iモードは、ドコモのメインストリームだったポケットベルが、それまでの栄華の反動で深刻な低迷期に陥っていたPHS流行後すぐの時期、そんなポケットベルに取って代わって、日本で最も輝いていた携帯サービスであった。それゆえ、広末に見蕩れた世界のHTMLファンたちは、iモードのWebサイトを見ることによって、失われかけていたWeb制作の魅力を再発見することにもなったのである。
iモードは、没落したHDMLに変わってモバイルWebの命脈をつなぎ止めた、言うならば救世主のような存在であった。海外のモバイル陣営が営々と築きあげてきたそれまでの栄光を切り捨て、日本の後代へと引き継いだ重要なリレー第一走者としての役割を、HTML史において担ったのである。
そして、そのバトンを受け取った日本の若きWebデザイナーたちが、2000年代に入って雨後の竹の子のように現れたことで、モバイルWebは鮮やかな発展を遂げる。だから、もしiモードが存在しなければ、HTMLの様相は今とは違ったものになっていたかもしれないのだ。
そんなiモードHTMLのバージョンはいくつもあるのだが、中でも特に多くのHTMLファンを――取り分け日本の若きWebデザイナーたちを魅了したのが、この『Compact HTML』である。この仕様の一番の魅力は、なんといってもその大胆に構築されたW3C Noteであろう。HTML史において、これほど拡張多く適当なディテールで構成されたNoteは他にない。そのためこのNoteは、これ以降無数に手本とされ、真似され、拡張されることとなるのである。
正字正仮名の影響を受けた日本の若き日記書きたち――言うなれば「CSSコミュニティ」――が頭角を現す直前のW3Cで、HTML史に乾坤一擲の巨大な爪痕を残した1本の仕様が誕生する。
この時期、情報技術の進歩によって、HTMLにもさまざまな新しいテクノロジーがもらたされていたのだが、それらを十全に取り入れたばかりではなく、縦横に駆使することによって、これまでとは全く違った国際化、全く違ったアクセシビリティ体験を生み出すことに成功したのが、この仕様『HTML 4.0』を勧告したWorld Wide Web Consortiumである。
『HTML 4.0』は、HTML史において最も革新的な仕様の一つとなった。この仕様に初めて触れた当時のWebデザイナーたちは、そのあまりの目新しさに度肝を抜かれた。そこでは、これまで全く見たことのないマークアップがくり広げられていた。そのため、これまで想像さえしたことのなかった全く新しいHTML体験を、そこで味わうことになったからである。
W3Cの果たした一番の功績は、テクノロジーとHTMLを見事な調和をもって融合させたことだろう。例えばそこでは、「スタイルシート」という新しい技術のデザインと、それでレイアウトされたページが閲覧者に与える独特の感覚というものを、双方ともに熟知していた。だから、それらを効果的に融合させることによって、全く新しいHTML体験を生み出すことができたのである。
この仕様『HTML 4.0』には、そうしたテクノロジーとHTMLとの融合が、至るところに散見できる。その数の多さとクオリティの高さによって、HTMLはここに、新しい時代の幕開けを迎えるに至ったのである。
先に述べた「CSSコミュニティ」がWeb日記業界に論争をもたらすのは、2000年代に入ってからのことである。そして、そのきっかけとなったできごとの一つが、1947年生まれの非政府組織で、IECとも協力した生粋の工業標準化団体であった国際標準化機構が、この仕様『ISO/IEC 15445:2000 (ISO-HTML)』によって成功を収めたことである。
このHTMLは、単にJIS的に標準化しただけではなく、文化的な意味においても、フラットでリニアな構造の力を広く世界に知らしめることとなった。この仕様の成功によって、世界の人々は、レベル付けされた見出しの魅力の大きさを知る。そしてそれが、やがて見出しのレベル分けが世界のスタンダードとなり、誰もが当たり前のように使う状況を育んでいくのである。
またこの仕様は、CSSコミュニティそのものにも大きな影響を与えた。この仕様の成功に刺激を受けた才能ある若きコミュニティ住人たちが、その後立て続けに台頭し、いくつもの名サイトを生み出していくからである。
それらが相まって、やがてCSSコミュニティは空前の黄金時代を迎えることになる。その端緒となり、道筋を切り開いたのが、他ならぬこの『ISO-HTML』なのだ。
『HTML 4.0』で繁栄の足がかりを築いたW3Cは、この仕様『XHTML 1.0』によって、ついにその栄華の頂点に達する。そして、それを成し遂げたメタ言語も、W3C勧告のの一つであり、また『HTML 4.0』を作ったSGMLの改良でもあった、Extensible Markup Languageであった。
この勧告は、史上最も商業的に成功した仕様となる。そのためこれ以降、この勧告にならって商業的バズワードを盛り込んだ仕様が数多く作られるようになり、しかもそれらが、実際に大きな商業的話題を集めていくのだ。すると、そこで生み出された多くの意見は、やがて再びW3Cに還元され、さらなる発展をもたらすことにもつながった。
そんなふうに、この仕様がきっかけとなってW3Cにもたらされた意見は、HTMLという言語を変革させていくことになるのだが、それに伴って、HTMLそのものにも大きな革新をもたらすことになる。
その変革も、他ならぬW3Cの手によってなされた。ここで『XHTML 1.0』の成功によって手にしたメンバーをもとに創設した文書マークアップの開発集団「HTML Working Group」が、より魅力的な拡張性を追求していく中で、やがてM12n(モジュール化)という技術の開発に至るのである。するとそれが、これまでのHTMLを一変させたのだ。
M12nは、HTMLに魅力的かつ効果的な特殊語彙を、DTDでしかも複雑怪奇にもたらすことに成功した。おかげでそれは、あっという間に世界から見捨てられていった。そのため今では、M12nの使われているHTMLを探す方が難しくなったくらいだ。それくらい、この『XHTML 1.0』がWeb業界にもたらした変革には、大きなものがあったのである。
2000年代以降、繁栄を謳歌したW3Cは、しかしその栄華の大きさゆえ、00年代中盤に入るとそれを存続させることに力をそがれてしまい、革新的な仕様はなかなか生まれてこなくなった。
しかし、そんな時代が5年は続いた00年代の後半になって、今度はその栄華のただ中で育った新しい世代のHTML WGメンバーたちが台頭してくることにより、再び変革の時を迎えることとなる。
その新しい世代のHTML WGメンバーとは、マイクロソフトやモジラ・ファンデーション、オペラらに代表される「ブラウザベンダ」と、無関係な編集者たちであった。
彼らに共通するのは、文書構造に不必要なものなら全て――とるに足らないガジェット的なものまで含めて――残らず切り離そうとする「オタク的な性質」を持っていたことだ。
彼らは、それまで見過ごされがちだったHTMLの些末な要素にスポットを当て、それを別仕様に押し出すことで、従前とは一風変わった、新たな魅力を持った草案を生み出していった。そして、その真打ち的な存在として00年代の後半に登場したのが、XHTML2 Working Groupだ。
XHTML2 WGは、特に99年に最後の草案が作られたこの仕様『XHTML 2.0』によって、オタク的なHTMLの楽しみ方が、一部のマニアだけにとどまり、それ以外の多くの人たちには受け入れられないことを証明してみせた。この失敗が、デ・ファクト的な新生HTML WGにさらなる脚光を浴びせることになったのはもちろん、それに影響を受けたWeb WorkersやDOM Level 3 Eventsといった、次世代のWeb標準たちの誕生にもつながっていったのである。
最後は、第二次ブラウザ戦争の集大成ともいえるこの仕様である。
『HTML5』は、HTML史においては『HTML 3.0』と同じような意味を持つ。つまり、それまでのHTMLの要素が全て詰まっているのだ。この仕様を見れば、それ以前のHTMLの歴史というものが全部分かる。
『HTML5』には、HTMLのあらゆる要素が詰まっている。ここには、『HTML 3.0』のような歴史的な仕様としての「総合性」があり、『Compact HTML』のような「実装の実在さ」がある。『HTML 4.0』のような「マルチメディアとアクセシビリティの融合」があり、『ISO-HTML』のように「セクション構造の魅力を全世界に知らしめ」た。また、『XHTML 1.0』のように「バズワード的に成功」したのはもちろん、『XHTML 2.0』が別仕様に押し出した「オタク的ガジェット」にも満ちている。
全て詰まっているのだ。なんでもあるのである。つまりこのHTMLは、『HTML 3.0』と全く同じ意味合いを持っているのだ。HTML史というものは、『HTML5』以前と以降とで分けられる。これ以降に作られるHTMLで、『HTML5』の影響を免れるものはないであろうからである。
以上、これさえ読めばHTMLを包括的・体系的にとらえることができる7本の仕様を、制作された年代順に紹介した。
こうして見ると面白いのは、歴史的に重要な仕様は、必ずしも定期的に現れるのではなく、あるところでは連続しているし、あるところでは長らくなかったりすることだ。それはまるで「素数の分布」のようだ。一見規則性はないように見えるものの、何かしらの法則が隠されているようでもあり、興味深い。
それから、ここに挙げた仕様は、いずれも「読むことによって他の仕様にも興味が移行する」ということを念頭に選んだ。
例えば、『HTML 3.0』を読んだならば、ブラウザ戦争前夜の独自HTML拡張に自然と興味がいくだろうし、『Compact HTML』を読んだなら、iモードのそれ以外のバージョンのHTMLも見たくなるだろう。CSSコミュニティについてもそれは言えるし、『ISO-HTML』を読んだなら、このHTMLを流行らす土壌ともなった「フラットでリニアな構造」というムーブメントにも自然と興味がわくはずだ。さらには、『XHTML 1.0』はXMLオタクになるきっかけになるだろうし、『XHTML 2.0』はその他の「オタク的なXML EventsやXForms」の仕様も見たくなるという効果を持っている。
ただし、最後に選んだ『HTML5』だけは、こうした例とは別に考えなければならないかも知れない。なぜならこのHTMLは、完成度があまりにも高いために、これを見た後に他のHTMLを読むと、どうしても物足りなく感じてしまうからだ。
しかしいずれにしろ、これらの仕様を読むことによって、HTMLをさらに愛さずにいられなくなるのは疑いない。そしてまた、これらの仕様を読むことによって、HTMLを包括的・体系的に見る目を養ってもらえれば、その後のクリエィティブな活動にも、大きな助けとなるはずだ。
上に挙げた仕様への理解は、以下に紹介する著作を読むことによって、さらに深まる。これらを読むことによって、ぼくは「HTMLを体系的に見るとはどういうことか」を学んできた。
高校時代に読んだこのサイトによって、「リソースとは何か」ということを、ぼくはを知った。
「HTMLはSGMLの応用だ」ということが、このサイトを読むことでよく分かる。何気なく見ていた省略記法でも、その裏には、実にさまざまな技術や、それを開発してきた歴史というものが隠されていた。
世界がCSSコミュニティの何に驚かされたかといえば、それはやっぱり精緻に書き込まれた正字正仮名にだ。ノジタンの日記には、HTMLの本質が詰まっている。だからこそ、あれだけ多くの日記で多くのコミュニティ住人に、言及されたり模倣されたりしたのだ。
ここでは取りあげられなかったのだが、とほほ氏がHTMLというジャンルに及ぼした影響にも、本当に大きなものがある。そして、ぼくが上に挙げた感想のいくつかは、このサイトに書かれていたばけらさんとの「スタイルシート論争」を参考にしたものなのだ。
これらのサイトを読めば、どんなHTMLが素晴らしく、どんなHTMLがそうではないというのが、よく分かる。その判定基準を知ることができ、審美眼を養うことができるのだ。なにしろ、あのCSSコミュニティ住人の言うことなのだ。これにまさる教科書は、他にはない。
【元ネタ】
横井軍平語録
「ソニーのウォークマンをみて、私はすごいと思います。ウォークマンというのは、ソニーの技術力で
しかできないものだったか。決してそうではない。他の会社だって、ウォークマンを見さえすれば
簡単に作ることができたはずです。ところが、ウォークマンというアイディアはソニーしか出せなかった」
「売れる商品というのは、まじめに取り組んだらできるんです。最先端の技術を使ったら、かえって
売れない商品ができてしまう。だから、「枯れた技術の水平思考」で気楽にものを考えれば、
まだまだ売れる商品が作れるのです」
有名な言葉だが、この考え方は現状でも使えるのだろうか。
例えば、日本企業は、アップルの製品群のような横の連携をした総合的な環境やサービスとしての売り方、他社製品にもつながるが、純正品で揃えた方がより性能を引き出すことが出来るという考え方はない。いや、あるかも知れないが、デジタルネットワークにおけるコアとなるハブが存在しないか、貧弱なため、うまく行っていない。(逆に言えば、アップルはマイクロソフトより酷い独占企業とも言えるかも知れないが)
もちろん、横井軍平の思想を体現しているのは任天堂のみだ、という反論は有効だと思うが、他の日本企業が、たまに面白い製品を作る事も事実だと思う。(例えば、デュアルディスプレイノートPCとか)
よく言われている通り、面白い製品が出ても、後がつながらない、戦略的視点がないのだというのは多分その通りだと思うのだが、ではどうすればいいのだろうか?
個人的に一つ思うのは、アウェイであるPCに強力な戦略的拠点がないと辛いのではないかということだ。(つまり、アップルのiTunesのように)
例えば、グーグルを見習い、電機メーカー各社がオープンソースであるグーグルのクロームを改造した共通のブラウザをプリインストールして、そこを戦略拠点(ハブ)とし、例えば、デジカメの画像をアップロードが出来るなど、デジタル家電と連動できる前線基地にする。(別にファイアフォックスのアドオンでも、オペラでも良いかも知れないが)
もちろん、インターネットTVにはデフォルトでそのブラウザがついてくる。
心配なのは、デザインがゴテゴテになることだが、そこら辺をうまく解決して、なんとかならないもんかと思う。
一社でも横の連携がうまく行っていないのに、沢山ある家電メーカーの烏合の衆をまとめられるのか?という反論はあるかも知れないが、それこそ、優秀な官僚が主導してやるべきではないか。
多分幻聴だと思ってはいましたが、「まるで始まりの合図のように、パーンという乾いた音がしました。」
「えーっと。コレは何かの挨拶?」まさかね。などと口走った矢先から『キリングタイム』だったので、
まったく洒落に成っていないシャレ。を菊地殿から初めて聞く日が来るとは...。としばし青ざめ、
(だって『構造と力』も『(フランツ・カフカの)アメリカ』も半ばアカデミズムを気取った品の良い洒落のつもりだったでしょ。
今回下品だと言っている訳では有りません。寧ろ綺麗にボディーに入ったので苦笑いしております・笑)
爆音再生中です。だって元々フルヴォリューム指定じゃないですかこれは。半分でもこんなに耳が痛いのに。
多分幻聴だと思ってはいましたが、『New York Hell Sonic Ballet』が出た模様です。
因にアマゾンでは
「ニューヨークの、地獄の音響で踊るバレエ。菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールの、北米、オペラ、バレエ、サルサへの第一接触。 前作「記憶喪失学」から一年、菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールの最新作がついにリリース。菊地成孔は本作でクラブのダンスフロアに、オペラ/バレエというクラシックを持ち込み、今まで誰も聴いたことのなかったハイブリッドなダンスミュージックアルバムを完成させた。マイケル・ジャクソン、ピナ・バウシュ、マース・カニングハム、マサカー、NO NEW YORK等、80年代初頭以降のニューヨーク・イコンをアルバムの随所に散りばめ、ミニマル(現代音楽)やモントゥーノ(ラテン)、またはパンクロック、そしてソプラノ歌手を起用したオペラを用い、菊地成孔とぺぺ・トルメント・アスカラールにしかできない、クラブミュージックマナーとクラシックマナーの見事な融合を実現。菊地のボーカルトラックも2曲収録の、菊地成孔の超先鋭的なコラージュ感覚がもたらしたペペ史上最高に“踊れるアルバム”ここに完成。 初回プレス限定“ペペ・トルメント・アスカラール ステッカー”付き」
などと盛大に紹介されています。
これを見て飯を噴いたのは言うまでもありません(笑)
〜T.H.
僕には少し前に入籍を済ませた妻がいて、結婚式を計画している。
妹は僕の結婚をとても喜んでくれていて、旦那さんと赤ちゃんと3人で行くからね、式を楽しみにしているよ、と言ってくれた。
これに妻が難色を示している。
ずっと、厳粛で静謐な式を挙げたいという夢があった。
赤ちゃんは突如泣き始めたりするので、それで式の厳粛で静謐な雰囲気が損なわれるのが耐えられない。
なので式の間だけは、ベビーシッターを雇って式場に待機してもらうので、シッターに預けてもらいたい。
もしくは、入り口付近とか、泣いたらすぐに出られる所に座ってもらいたい。
以上を、僕から(僕の)妹に伝えてもらえないだろうか。
もちろん披露宴は、お客様に結婚を披露し我々がおもてなしする場なので、赤ちゃん含めゲスト全員に出席していただいて構わない。
ただ、神の前に誓いをたてる、一生に一度の式は、二人のためのものだと思っている。
だから私のこの希望を反映させてほしい。
(ちなみに妻は、赤ちゃん自体は好きだし、妹の赤ちゃんも可愛がってくれている。)
厳粛な式というコンセプト自体はわかるけど、
ゲストに釘を刺したり注文をつけたりするということはゲストを信用していないということだし、失礼だ。
来てくださったゲストを「あなたは出席OK、あなたは外にいて」と、主催者側が選別するのは傲慢だ。
傲慢な選別をした上で見かけ上「厳粛」な式を挙げて、何になるのか。
挙式中どこに座るか、赤ちゃんが泣いたらどうするかは、あくまでゲストを信頼してゲストに委ねるべきだ。
もし本当に泣いてしまって、(現実的には考えにくいが)妹がそれを放置する様なことがあれば、
当然式場の担当者に外に誘導してもらう。
それでさえも「厳粛な式が損なわれる」と考える様であれば、ついていけない。
二人の式にお祝いに駆けつけてくれているゲストを選別したり注文をつけるような事はできない。
歩み寄りの余地は無い。
(ちなみに僕は 1.二人だけで挙式、2.結婚式をやらない という代替案を出したけど、どちらも却下された。)
ということで話は平行線です。
彼女は、「あなたは自分の価値観を守ることばかり重要視して、私の気持ちを理解しようともしない、希望を叶えるにはどうすれば良いか考えてくれさえしない。」と言って失望している様子。
僕は僕で、彼女の考え方は傲慢で失礼だという思いから逃れられない。
で、対立が対立を呼び、ついには離婚も視野に入ってきてしまっている状況。
小町あたりで書いたら僕が吊るし上げられるネタだと思うんだけど、ここの皆さんはこの対立をどう思われますか。
解決案、お叱り、励まし、なんでも結構です。
ちなみに、妻と僕の実家は、僕たち夫婦にまったく口出しをしてこないでいてくれる。
なので、家どうしの対立という要素は皆無で、あくまで妻と僕の間の対立です。
妹に、妻の希望を伝えるぐらいはしてもいいのではというご意見いただきましたが、
僕としては、お招きしたゲスト(妹)が、夫と子供を連れてくると(好意で)言っている以上、それを歓迎すべきだと考えました。
それに対して妻の希望を伝えるということは、赤ちゃんは連れてこないでねという暗黙のプレッシャーを掛けることになると思っています。
お招きするゲストにそういった「連れてくるなよオーラ」みたいなものを示唆することは、ホスト側として失礼で傲慢だと、どうしても思ってしまいます。
たくさんのTBありがとうございます。
嫁も「自分の価値観を守ることばかり重要視して、夫の気持ちを理解しようともしない」ように見えるのだが。嫁が譲歩しているのはどの点だ。
しかし議論の末、披露宴は譲る、という事になりました。
また、式中は本当は外にいてほしいがそこは譲歩して、泣いたら出て行きやすい席に座ってもらうだけでもいい、
とにかく厳粛な式がやりたくて赤ちゃんが泣いたらぶち壊しになると思っている事を、妹に伝えてほしい、
あとは伝えられた側に任せる、というスタンスです。
で、結局僕が引っかかっているのは、妻が赤ちゃんを少しでもNGと思っていることそのものな気がしてきました。
という僕の考え方が根底にあり、赤ちゃんNGというのが、凄く偏狭な考え方に思えてしまいます。
当然赤ちゃんが嫌いな他のゲストもいるとは思いますが、妹・その子供・夫については、友達とかではなく、僕の家族なんですよね。
だから、すみませんが家族は寛大に受けれてほしい、拒否しないでほしい、という思いがあります。
また、妹夫婦は非常に遠方に住んでおり年に一、ニ度会えるか会えないかで、相当な手間をかけて来てくれるので、こちらからの注文は極力つけたくない、という気持ちもあります。
それが疑問だ。
結婚式には何回も出席しました。
子供や赤ちゃんがいる式も何度もあったし、泣き始めたら必ず母親がすぐ外に連れ出していたし、それで場の空気が悪くなるという場面も見たことがありません。
むしろ、神父さんが誓いの言葉を読んでいる時に赤ちゃんがフギャーとなって、皆がクスクス笑ってほほえましいムードにつつまれる、という様なシチュエーションしか経験したことが無いんですよね。
だから妻から参加NGと言われるまでは、式で赤ちゃんが泣いて眉をひそめるとか、そういう人がホントにいるの?という感じでした。
さらに多くのTBありがとうございます。
シッターに預けるよう妹に伝えても妹は失礼と思わないのでは?というご指摘をいくつかいただいてますが、その通りです。
妹は無理に赤ちゃんを連れてこようとしているわけではなく、僕が断ったり、式の時は外にいてと頼んだ場合は、その通りにしてくれます。
単純に、遠方で泊まりの旅になるので、置いていきにくいという理由と、兄である僕に赤ちゃんを見せたいという理由で、一緒に行くと言ってきた様です。
なお、僕自身にもし赤ちゃんがいたら、止むを得ない理由が無い限り、人の式には連れて行かないと思います。自分も大変ですしね。
この件は、妻が式への赤ちゃん参加をNGと考えている事自体を僕が認めることができない、という話だという気がします。
僕はこの件だけに限定すれば、譲歩はしていません。
彼女の譲歩案は根底が「赤ちゃんはNG。厳粛じゃなくなる。」というこだわりに貫かれており、いっぽう僕は、妻のその考え自体に引っかかっているので、譲歩の余地がないんです。
かなりどうしたらいいのかわかりません。
この先、子供が生まれて、赤ん坊が泣くたびに「なんで、こんなにギャーギャー泣くのよ」ってヒステリー起こすの目に見えてるもの。暗い家庭になりそうだ。
僕も同じことを妻に指摘したんですが、赤ちゃんそのものが嫌なわけではないとのこと。
あくまでも、厳粛な式という夢があり、その理想を叶えたいがために大人だけで式を行いたいとのことです。
僕は、夢見た一生に一度の式だからといって、自分の家族を、例え赤ちゃんでも、入場お断り扱いにする/もしくは泣いたらいなくなってとあらかじめ釘を刺す、ということができません。(泣いたら/泣きそうになったら出て行くのは当然だとは思います)
厳粛な式が夢だったことはわかるし、だからそれなりの会場を見つけた。
だからといって、家族(の一部)の出席を断るのはやりすぎなんじゃないかと思うんです。
家族を一部締め出してまで行う「厳粛な式」がナンボのもんじゃい!と思ってしまいます。
ちなみに今回、僕の妹の赤ちゃんの話なので僕の家族びいきに見えるかもしれませんが、彼女側の家族の赤ちゃんが相手でも、僕は全く同じように感じ反応します。
これまでに書いてきた話は、ほぼ全て妻には伝えました。
でも結局「なぜ私の夢を無視するの、ゲストのことばっかり言うの。」という話になってしまいます。
夢を無視してるんではなく、夢を実現するには、家族を式から締め出すという(僕にとっては)傲慢な事をやらないといけなくて、それがどうしてもできないんですが、話はまったくまとまりません。
「神の前」「厳粛」ってんなら普段の信仰心はどうなの? 日曜に教会行ってるとか、そういうところまで含めてつっこんでみたら?
これがまさに僕がとらわれている考え方だと思います。
子供閉め出し=悪。で、この悪を行いながら、神に誓いをたてるとか、はりぼての誓いじゃんか。そんなうそ臭い茶番絶対できるかー。。てな風に考えています。(ちなみに二人とも特定の信仰はありません)
自分の善悪基準を人に押し付けようとしている(正確に言えば、自分の善悪基準のために、人の要望を聞き入れられない)わけだから、僕の方が傲慢じゃないかというご意見は、確かにごもっともだと思います。
ただ僕がこの様な善悪基準を持っている事自体は、しかたないというか、自分ではどうしようもありません。
問題は、妻が、僕の善悪基準でみたら悪に属することを切望している。この時僕は妻の願いをかなえてあげらるのか、という事ですね。
それが今の僕にはできていません。
それを叶えてあげるのが、愛なんでしょうか。
なんだかよくわからなくなってきました。
たくさんのTB、コメントにびっくりしてます。ありがとうございます。
一点補足です。
上で、神が。。とか地獄が。。とかという話を書いたので、少し誤解を招いた部分があるかもなんですが、
僕自身は、神とか地獄とかいうことを考えているわけではないし、宗教的な素養や意識は、全くないです。
式はキリスト教式でも神前式でも人前式でもなんでもいい、とにかく真剣にこれから一生一緒にいるために宣誓するわけです。
その場を嘘くさいものにしたくないという気持ちが強いんだと思います。
(あくまで僕の価値感ですが、)「子供締め出し=悪いこと」であって、そういう悪いことを裏でやりながら、真面目な顔して「誓います」とか言うのがどうしても、嘘くせー、ウケるわその茶番、あほか、という風に感じられてしまう。
映画「アンタッチャブル」に、デ・ニーロ演じるアル・カポネが、人を暗殺しながら、同時にオペラを感動して泣きながら観てる場面があるんだけど、それと同じような「なんだそれ感」というか。。
そういう「嘘くさい」事を「厳粛」と認識し積極的に望む妻に、がっかりしてしまっていました。期待と現実のギャップへの失望。
客観的には、潔癖すぎ、頑なすぎだし、自分の価値観を妻に押し付けるな、というご意見も、ごもっともだと思います。
ただ、こういう式を「嘘くせー」と感る自分の価値観自体は、これまでの人生で身についてしまっているもので、どうにもならない。
要は
・「嘘くせー茶番」とどこかで感じながらも、「でも妻が幸せならいいや」と思って妻の譲歩案を飲めるかどうか
・かつ、自分が「嘘くせー茶番」と感じるものを「厳粛で静謐」と感じる価値観の妻を、僕が受け入れられるかどうか
だと思います。
(この手の本を読んでいる人が、読んでそうな本を他にも挙げてほしい)
理系学生の書斎が安藤忠雄の建築事務所(研究所)みたいな資料の山だとしたら、
文系(特に法)学生の書斎は立花隆のネコビルwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
規模だけでなく質でも文系(特に法)は見劣りがするね。
何度か連中の自宅に招かれたから、ちょっと参与観察してみたんだ。
冗談半分でさ。
仔細に文系 (特に法)学生の本棚とか見てみると、これがもう滑稽なんだwwwwwww
まずいきなり机の上に開いた状態の宮台真司『権力の予期理論』!(笑)
プゲラを抑えるのに必死だったぜ。
続いて 何度も読んだ形跡のある伊藤&柴田の司法試験論文対策即席要点集(笑)。
お前サル かよ、それでも人間かよ、って問い詰めたくなったね(苦笑)。
カント・マルクスをはじめとする岩波文庫300冊程度(笑)(日本語であって原文ではない)
我妻民法(笑)佐藤憲法(笑)前田刑法&商法(笑)新堂民訴法(笑)
○○学がわかるシリーズ(プッ)
フーコー『知の考古学』(笑)(「パンのように売れた」ベストセラー)
仏露独蘭伊中国語辞典(笑)
トクヴィル(笑)大江 健三郎(笑)コーポレート・ファイナンス(笑)ドストエフスキー文庫(笑)西尾行政学(笑)
柄谷行人文庫(笑)フロイトの技法(笑)Yale Law Journal(笑)ハンナ・アーレント(笑)浅田彰(笑)『構造と力』(笑)
別冊ジュリスト判例百選(笑)大前研一(ワラ)シェイクスピア文庫(笑)
田中行政法(笑)中公『世界の歴史』(お前高校生かよw)マンデル貨幣理論、(笑)
女子大生(特に法)が読む雑誌と大差ないMarie Claire(笑)
magazine litteraire(笑) Cosmopolitan(笑)Critical Inquiry(笑)
Le Monde(笑)The London Economist(笑) American Economic Review(笑)
Fortune(笑)Foreign Affairs(笑)Yale Law & Policy Review(笑)
The New England Journal of Medicine、Michelin(笑)
これだもんねぇ。
他にも数百冊 持っていたようだがあとは推して知るべし。
で、トドメは
ピーター・ドラッカー(笑)
ピエール・ブルデュー(笑)
フォーリン・アフェアーズ(笑)
知の論理!!(笑)
もう俺その場で大爆笑。
プゲラー止まらなかったぜwww
ま、予想通りだけど、杉浦・ 解析入門(高校4年生の一般教養にはいいかもね)
岩波講座・現代数学の展開 (なぜかモジュライ理論、Lie環、Weil予想、コホモロジーw)
リーマン・アティヤー・岩澤・シュバレー・ヴェイユ・セール・ブルバキ・ウィーナーなど書店で目につくもの(持ってるだけね、知的ファッション)
東京化学同人『分子細胞生物学』(ゲノム解析ブームの名残だろうな)
プリゴジーヌ『散逸構造』(笑)
これだもんねぇ。
他にも何十冊か持っていたようだがあとは推して知るべし。
で、トドメは
日経サイエンス(笑)
ニュートン(笑)
数学セミナー!!(笑)
もう俺、こんな連中と面識あるなんて、恥ずかしいね。
あいつらよく平気で外を歩いてるもんだ。
せめてNatureくらい読めよな、
文系(特に法)なんだからさwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
2.重要な役割なのでプレッシャーが高く、また練習のために放課後長時間拘束されるのを嫌がって誰もやりたがらなかったが、内向的だったピアノ未経験の女子生徒が立候補。
1のレベルにもよるけどここでいきなり難易度アップ?
あれ?2と矛盾してないか?長時間拘束されるのが嫌なやつばっかりだったんだろ?それが何ゆえクラス一丸となるのやら。
やっぱり合唱?寸劇?
それは、クラスではさほど社交的ではなかったとある男子生徒(同窓会には欠席)が、幼稚園時代からピアノの英才教育を受けて現在はプロとして海外で活躍中だということが、海外赴任から一時帰国したクラスメートによって報告されたことに端を発する。高校卒業直後にどこかのコンクールに参加し、そのままやたらと長い名前の欧州の楽団にスカウトされたとか何とか。彼女が持ってきたパンフレットや現地の雑誌には、彼の来歴は確かにそう記載されてあった。
ピアニストが楽団にスカウトされるって何それ?クラシックじゃないんだね、きっと。
しかも同級生の海外赴任先で発覚って、発見した同級生はよっぽど音楽好きだったんだね。
今時こんなことを考えている集団が存在することが驚きだ。ルーキーズか?ゴクセンか?
自分たちは高校の文化祭の、しかも3年生の、しかもクラスの出し物にこんなエネルギーは使わなかったよ。
なので、帰宅部な連中も含めてクラスの出し物は分担してさくさくとクールに済ましてたな。もちろんここぞと働く帰宅部もいたけどな。
なんで、そのピアにスティックな彼がクールにやり過ごしてたとしても、全然不思議に思わないなぁ。
ましてや高校の同窓会ってなにそれ?群れない俺は一度も行ったことがないわ。会いたい奴もいないしなあ。
まあ、良い思い出が崩れて残念なことでした。これを機会に、青臭い話は終わりにして、大人になろうじゃないか。
蛇足だけど。
これ書いた人と同じ人なんじゃあるまいか。→http://anond.hatelabo.jp/20090408121545のキメ台詞
今回のキメ台詞
当時あの高校の敷地内が全てだった俺達の価値観を、なんだか最悪のタイミングで彼に否定されたようで、俺はその夜まんじりともしなかった。
なんだかメンタリティが同じだよな。
自分のブログに書いても誰もたどり着かないので、ここにも書く。
僕の知り合いに天才がいます。今日、ばったりとその人に会ったので、その人の話しをします。
頭がいいな、賢いな、と思う人はたくさん知っていますし、とても性格が良い人は少し数が減りますが知りあいに何人かいます。ですが「この人は天才なんだ」と思わせる人はその人だけです。彼だけは他の誰とも違うのです。
彼は大学の先輩で、3年生の春休みに出会いました。そのとき彼は5メートルくらい離れたところに立って、とても難しそうな話しをしていました。連続体仮説がどうの、とか、そういう話し。話しの内容はよく聞きとれませんでしたが、ぎょろっとした大きな目と、視線がまっすぐ前を向いたまま微動だにしなかったことがやけに印象に残っています。
僕は4年生から研究室の後輩として彼の指導を受けました。彼が天才であることと、教育者に全く向いていないことは指導を受けるようになって3日でわかりました。彼は、研究室の誰もが答えの糸口すら見いだせない問題に、ものの10分足らずで解を与えることができました。10分のうち、8分は問題がなんであるかを彼に説明することに費やされました。それを聞いた彼は、20秒ほど黙り、そして解を述べました。そして、1分ほどまた黙り、なぜその解が正しいのかを30秒で説明しました。問題によって10分が5分だったり、たまに数日かかったりしましたが、おおよそこんなものでした。
要するに、問題を理解した瞬間、彼には答えがわかってしまうのです。彼によると「答えが降ってくる」のだそうです。
彼は修士課程の2年生でした。4月中旬ごろに、システム開発をやっている会社の内定を取ったということを彼から聞いたとき、「よく○○さんに内定をだす企業がありましたね」と軽口をいいました。てっきり彼が冷やかしで就職活動をしているのだと思っていたのです。彼が博士課程に行くのだと決めつけていたのです。しかし彼は真面目な顔で「本当だな。なんとか死なずにすんだよ。」と答えました。彼はよく真顔で冗談を言うので、そのときの僕は笑って受け流したのですが、後から助手の先生に「彼は××社にいくらしいね。」という話しを聞いたときには、少し混乱しました。本当に就職するということを理解するのにおそらく10秒ほどかかりました。そのあと、彼でも混乱することがあるのだろうか、という疑問が浮かび、きっと無いだろうな、という結論を1秒もかからずに出しました。
彼はとても順調に研究成果を出し、最後の数ヶ月に同級生たちが苦しむのを尻目にあっという間に論文を書いて卒業していきました。その年は、学部の卒業式と大学院の卒業式が合同で行われましたが、彼の姿はありませんでした。風邪をひいて休んだのだと彼の同級生は言っていました。
その年の初冬、僕は彼に再会しました。彼に声をかけられたとき、僕は彼が彼だと確信を持てませんでした。彼の顔から表情は失われ、頬が少しこけ、彼が天才であるというただ一点のために発せられていた存在感がすっかり消え失せていました。僕は驚きました。人が10ヶ月もしないうちにこうも変わるのかと。
彼と僕は、明治通りから少し奥に入ったところにある喫茶店で30分ばかり話しをしました。日曜日の原宿だったので喫茶店は人でいっぱいだったのですが、僕たちが入っていったときに、たまたま学生とおぼしきカップルが席を立ったので僕たちは運良く座ることができました。なぜかBGMにモーツァルト作曲のオペラがかかっていて、それがひどく間の抜けた空気をあたりにまき散らしていました。
はじめの10分間、彼は黙ってコーヒーを飲んでいました。僕は本当に彼が彼なのか、まだ信じられずにいました。学生時代の彼はとにかくよく喋りました。話題の90%が研究の話しで、残りの10%が最近寝た女の子の話しでした。その90%の部分で僕は彼に嫉妬を感じ、残りの10%でもっと嫉妬を感じました。
一度僕は「なぜそんなに色々な女の子と寝られるのか」と彼に聞いたことがあります。そのとき彼は「女のほうが数が多いからじゃないか。」と真顔で答えました。ぶん殴ってやろうかと思いました。
・・・きっかり10分して彼は深いため息をつき、そして口を開きました。
ーーーーーーーーーー
彼はやっと絞り出すといった風で口を開いた。
「とてもシンボリックな話しがあるんだ。」
間の抜けたモーツァルトを聞きながら、僕は何も言わずに次の言葉を待った。
「俺の会社は昼寝をしたら怒られるんだ。」
僕の言うことを無視して彼は続けた。間の抜けたことや間違ったことを僕が言ったと感じると、学生時代から彼はいつもそれを無視した。
「自慢じゃないが、俺は生まれてから大学を卒業するまでの22年間毎日欠かさずに昼寝をしてきた。それも、毎日午後4時ぴったりに寝て、15分後に目が覚めるんだ。まあ、たまに3時45分に寝て4時10分に目覚めることもあれば、4時30分に寝て4時40分に起きることもあるんだが、それでも昼寝していることには変わりない。とにかく俺がいいたいことは22年間毎日昼寝をしてきたということだ。」
壮大なんだか、アホらしいのかよくわからない前フリだと僕は感じていた。たぶん両方だろう。
「俺が一番他人に誇れるのは集中力なんだ。俺はその集中力を6時間完璧に維持することができる。逆に考えると、6時間しかもたないんだよ。きっかり6時間たつと、俺は猛烈に眠くなるんだ。そこで、15分間だけ眠るんだ。すると、また頭が冴えて6時間集中できるんだ。集中している間は、食事をとろうが、テレビがついていようが、100%の能力を発揮できているんだ。それは俺にとってとても幸せな時間だし、親も教師も研究室の助手だって悪い気はしなかったと思う。俺は1日に2回あるその6時間で、テストで良い点をとり、研究成果をあげ、そして女を口説いていた。」
彼が集中力の途切れる夜10時までにセックスを済ますのか、それともセックスにはその集中力が必要ないのかを考えながら僕はうなずいた。
「そして、その22年間の幸福な習慣が終わりを迎えたんですね。」
「そう。そうなんだ。この話しを聞くとたいていの理系の男はこういうんだ。半分の時間が失われたんだねって。昼寝した後の6時間が集中できなくなったと考えるわけだ。でもそれは違う。習慣が崩れるというのはそういう簡単な話しじゃないんだ。1たす1が2という計算ばかりやってきた連中がそういう発想しかできないことには憐憫の情を感じないわけではないが、違うものは違う。答えはな、ゼロなんだよ。全てが失われてしまうんだ。」
彼は淡々とそう言って、言い終わると小さくため息をついた。学生時代、彼は最もため息から遠いところに存在していた。だが今は違っていた。ため息で作った洋服があったら、今の彼にはとても似合うだろうなと僕は考えた。
「昼寝をしなくなってから、何かが狂い始めたんだ。俺が言うことに誰も耳を貸さないんだ。集中力が失われてしまっていても、いままでと同じように正しい答えを出しているはずなんだ。問題が何なのかを理解し、そして解が閃く。解が正しいことを確認するためにしばらく考えて、解が正しい理由を言う。何も変えちゃいない。自分で言うのもなんだが、解が間違ってるわけじゃないはずなんだ。周りの連中が俺の言うことを無視するもんだから、さすがに不安になって後で何度も考えたよ。間違えてるんじゃないかって時間をかけてとても慎重に考えた。でも、やっぱり正しいんだ。俺は混乱した。」
そのときの僕は、彼の話しが安っぽいミステリー小説のようになってきたとだけ感じた。そうじゃない。今の僕にはわかる。彼が言っていたことはとても本質的なことだったんだ。
「俺はイライラしたよ。俺を無視して1時間、ときには3時間もかけて無駄なおしゃべりをして、そのあげくに出す答えがなんとも唾棄すべきものなんだから。そして、俺はその唾棄すべき答えに従って仕事をし、唾棄すべきものを世の中に排泄するんだ。」
話している彼も、とてもイライラしていた。とても無表情だったし、異常なほど淡々と話していたが僕にはわかった。彼のイライラの原因は、間の抜けたBGMのせいでも僕のせいでもなかった。たぶん。
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そして、今日、彼にまたしても原宿駅のそばでばったりと出会いました。前回出会ったときは昼下がりでしたが、今日は夜の10時をまわっていたと思います。
彼に声をかけられたとき、僕は彼が彼だと確信を持てませんでした。彼は宗教家のようなとても穏やかな表情をしており、すこし肉付きがよくなっていました。
「筋トレを始めたんだ。」
「この間会ったときはすまなかったな。俺の愚痴ばかり聞かせてしまったな。」
「いえ。」
「本当にあのときの俺は幼かったよ。まあ、あの状況は遅れてきた五月病だったんだな。」
彼は頭を掻きながらそう言いました。
五月病が結局のところなんなのか、いまだによくわからない僕は曖昧にうなずきました。
「久しぶりに会ったんだ。お前さえよかったらちょっと飲んでいかないか?」
あまり気乗りしなかったので、とても丁寧にお断りをしました。ちょっと疲れて胃の調子が悪かったことと、次の日の仕事の量を無意識に計算したんだと思います。
「なんで、○○さんは就職されたんですか?てっきり僕は研究の道に進むんだと思ってました。」
別れ際に、ずっと疑問だったことを思わず聞いてしまいました。聞いてから自分のデリカシーの無さに少し辟易しましたが。でも彼は特に嫌そうなそぶりは見せず、思慮深くしばらく考えてから、
「うん。まあ、そうすべきだったんだよ。いま振り返れば正しい選択だったと思ってるよ。」
と答えてくれました。彼は薬指に指輪をしていました。
彼と別れてから、花粉症対策でいつも着けているマスクを外して僕は深呼吸をしました。もう3月も中旬。春の匂いがとても濃密だったことに驚きました。いつもそうであるように、とても間の抜けた春の匂いでした。
http://anond.hatelabo.jp/20090308235742
クラシックの音楽にはまったり、ピアノの練習をしたり、美術鑑賞が好きになったりしてはまり出すと、
JPOPなんかにお金を出す気はなくなってしまうし、逆に良い物ならどれだけでもお金を出したいと思う。
昔は音楽って貴族だけが楽しめるもので、庶民はほとんど無縁のものだったはず。
もちろん町で笛を吹いてたりするのを聞いてお金を出すくらいのことはあったかもしれないけれど。
それが科学の発展に伴って一般庶民にも音楽が普及するようになった。
音楽がお金になると分かると、一般大衆向けの音楽でお金を稼ぐ人が増えてきた。
今はネットのおかげでそれがしにくくなっただけ。
それって、そもそも笛を吹いてお金をもらっているようなもので、
文化の発展にはそんなに大きく関係しないと思うな。
音楽がタダになっても、映画のBGMは必要だし、クラシックは好きな人だけが聞けばいい。
今日を生きるのに精一杯でリストラされないか心配している大衆に理解できるわけがない。
理解できなくて良い、それでも文化は廃れない。
昔も今も、タダでも、わずかな金額でも、それなりの音楽や絵画などの文化は見れたり手に入ったりする。
本当に良いものが見たいと思う人はそれなりのお金を払うだろう。