胸を張れる内容だったら自慢げに掲げるという常識論
梅雨空「おらよすきなだけもってけ」
小学校でプールカードにサインしたら… https://togetter.com/li/1370711
いや、「理由を聞く」のはモンスターじゃないけど、「ルールですから」ってのは「その理由は言えない」って意味だろうが。それが最後最大の説明なわけで、重ねて問いただす行為はいくらかモンスター寄りだと思うよ。そしてこの場合、その本音が「言えない」理由はいくつか想像できる。
これは単なる「マンパワー」の問題として。判子がサインに勝る唯一の点は、その同一性が一見して確認しやすいことだ。ずらっと並ぶ判子を見れば分かるが、異なる判子は一瞬で判別できる。だが、どれだけ正確に書かれていてもサインの同一性を一瞬で見分けることは簡単でない。こどもがサインを偽造したとしても、40人のサインをいちいち偽造か偽造でないか見分ける膨大な手間を考えれば、その対応は現実的ではない。「家に電話一本かけてくれれば…」って馬鹿か。「電話一本」って挨拶して話して要件言って相手の言葉説明聞いて場合によっては説得して…5分かかるとして、かける相手が10人いたら50分だぞ。小学校の先生の時間を何だと思ってるんだ? いいか、一日8時間、授業以外の時間をざっくり言えば3時間だ。そのうちの50分を、たった一つの授業の「カード確認」という小さな小さなワンシークエンスのために裂いて、そのほかの授業準備、トラブル対応、書類整理、保護者対応をいつやるんだよ? そんな余裕あるわけないだろ。
でもって、そんな話を保護者相手にしてどうなる? そんな事情を説明しても「じゃあ人を増やしてもらえばいいのでは?」って糞にもならない提案されるだけだろ。それを要望してないわけがないだろ。それを言う保護者は来年から税金2倍納めてくれんのか? どうなんだ? してくれねーだろ?
「単に人手が足りないから私のこどもはプールに入れなかったんですか?」ぶっちゃけて言えばそうだよ。でもそんなこと言えるわけないでしょ。これが一つ目。
これはそもそも「プールカード・判子」システムのそもそもの狙いが関係してる。要するに、完全なセキュリティを備えようと思うなら、保護者のスマートフォンと連動したシステムでも構築して、そこからデジタルで認証した親からの証明が送信される…ってやりゃいいんだよ。それやらない限り、サインだろうが判子だろうが偽造は簡単なの。それが大前提。その上で、問題は「トラブル発生時」のことになるのね。もし「サイン」の偽造でトラブルが起きたら、どうなる? 「こんな稚拙なサイン、なんで見分けられないんですか!」 …たぶん、明らかにこどもが書いたサインを突きつけて文句を言う保護者の姿、報道に対して高々とアピールする弁護士の姿が目に浮かぶね。実際、「普段のサイン」と「当日のサイン」を比べると、「誰でも分かるっしょ」みたいな状況。でもね。実際は、その間くらいの「けっこう崩れた字の日」とかあるわけだよ。人間だからね。そういう日が続く、かつそれが40人いる、そんな状況で、日々一つ一つのサインを完全にミスなく見分け続けない限り、自己の責任は学校にあることになるわけ? おかしいだろそれは。
対して「判子」の場合。「判子なんか誰でも押せるでしょ!」に対しては「困りましたねお母さん。そんな大事な判子をこどもの手の届くところに置いておくオタクの判子管理に問題があるのでは?」でOK。「百均の判子だからこどもが勝手に買ったのよ!」に対しても「困りましたね。こどもの安全を守るためのカードです。なぜ百均の判子なんか使用されたのですか?」でOK。そして判子は同一性のチェックに優れる。薄かろうが濃かろうが、違う判子はわりと一瞬で分かる。便利。
要するに、判子を使っておけばトラブル発生時に責任を保護者側にできるから。こんな後ろ暗い理由で判子を押し通してます、なんて保護者に言えるわけないでしょ? これが二つ目。
「学校が責任を取らないでいいようにするために、うちのこどもはプールに入れなかったんですか?」ハッキリ言えばそのとおりだよ。もういっそ「何があっても一切学校に責任は問いません」という念書に判子押してもらったら最初からあんなカードも出てこないわけだけど、そんな念書に判子付ける人の方がむしろおらんでしょ。
これは、学校内(教員)的には理解できることだけど、ぶっちゃけこの「プールに入れさせない」対応は、安全上の措置とかではなく「見せしめであり罰」の効果に期待するものだね。実際、呟いた人も、こどもが入れなかったので慌てて「判子準備しなきゃ」ってなったわけで、それがまさに狙った効果ということ。つまり、実際問題、この一件だけに限るなら、柔軟に対応しても(安全上は)本来問題はないはずだけど、そういう対応をし続けたら上記したように果てしなくリソースを食うので「罰や見せしめ」として強硬な対応を取り、プールに入れなかったこどもの口を借りることで、スムーズに保護者までルールが徹底される状態にもっていこうとしている。乱暴なやり方で、とても教育的とは言えない、現実的処置。当然こんな話保護者にできるわけがない。
「ウチの子がプールに入らせてもらえなかったのは、要するに『学校の言うことをきかなかった』罰? 見せしめ?」ぶっちゃけ、そうです。これが三つ目。
上の中のどれか、あるいは複数か全部が正解だろーね。この場合校長のセリフが「ルールですから」の一点張りになるのは極めて合理的だ。もちろん上手な対応とは言えないが、ごまかさず暗に上のような想像を促している点では良心的な対応とすら言える。だって、いかにももっともらしい理由をあげることなんて別に難しくないでしょう? たとえば「県からの通達に『判子』とあるのを受けて、数年前にPTAで判子で統一しましょうと決まったのです。県としては、セキュリティ上の問題は踏まえた上で最低限の保護者の利便性を優先した規定で…」とかなんとか。少なくとも学校が矢面に立たないで済む程度の説明は。オレはかの校長先生はたぶん融通は利かないけど実直でいい先生なのだろうと思うよ。
まあ、学校の先生は、こどもにとっては先生だが保護者にとっては子育てというプロジェクトの取引先(パートナー)だから、そのくらいのレベルで対応してあげて欲しいね。事業者が取引先に全ての情報を開示しないように、先生にだって保護者に説明できないことくらいいくらでもあるのよ。
すまん俺も9円しかないんだ
わりと人の心がわかる共感性高そうな増田(増田にしては珍しい)だから、
一回受験してみたらその受験体験だけでも満足するかもしれんし。
某大学内の南北を縦断する学内の道路を、自転車で縦断中、とあるロードバイク乗りの男女2人組が、前方にいた。
彼らは、かなり遅めの速度で運転していたので、何気なく追い抜きをした。
この追い抜きに煽りの意図は特になく、純粋に遅めだったので、追い抜きをしただけなのである。
自転車で運転していれば、これは良くある光景なのである。抜かすこともあるが、抜かされることもある。
その瞬間、ロードバイク2台が後方から凄まじい速度で、自分の自転車を遥か後方に置き去りにした。
「おれたちは、お前のようなシティサイクルには負けませんよーーーっ!!!(笑)」
という心の声が吹き出しとなり、彼らの頭上に現れるのを、自分は確かに見たのだった。
「ださっっっっ!!!」
何てダサいやつらだ。例えるならこちらは普段着の民間人。あちらは、フル装備の軍人だ。
何て、ダサいやつらなんだ。
瞬間、あのような「いきりロード」勢に負けたくないという意識がメラメラと湧き出した。
まだ、本気を出せばロードに追いつけるかもしれない。
抜かされてから追いついてやると決意するまでに、この間数秒。
フルスロットルでペダルを漕ぎ、シティサイクルを爆走させる自分。
正直なところ、あいつらは速い。フル装備のガチ勢に勝つのは至難の技。
前方を爆走するロード2人組を観察していると、男は女よりも遥か前方に位置し、女の方はそれよりも後ろに位置していた。
正直なところ、男に追いつくのはもう無理だと思ってしまった。
本当は2台とも追い抜かしたいのだが、もはや心拍は異常なほど高まり、太ももは悲鳴をあげていた。
「女だ、女に追いつきさえすれば良い!」
グループの誰か一人でも追い抜かすことが出来れば、この出来事が彼らの中で共有化される。
ロード乗りがシティサイクルに負けた、という屈辱を与えてやるのだ。
街中でシティサイクルを見かけるたびに、自分たちは敗者であるという、トラウマを植えつける。
これは勝てるっっっ!!!
息も足も限界。意地だけでシティサイクルを漕ぎ続け、ついに女を捉えた!
そして、抜かした!!!
おまえらがダサいと思うもの(シティサイクル)に、おまえらは負けたのだ。
こんな、ダサいお前らに煽られ、無駄な体力を消耗している自分もダサいのだが、それ以上に、お前らはダサい。
人を見下し、フルスペックでオーバーキルして、いきっているやつほどダサいものはない。
決して、ロードがダサいのではなく、またシティサイクルがダサいのではない。
お前らの性根がダサいのだ。
そういいながら男の甲斐性にぶら下がろうとしてるのが女。
ハーゲンダッツ奢ってください💗