いや、事実ショックだったし。
俺「あー。そうか。ごめん。わかんなくなるからちゃんと名前書いといてね。」
↑ なんで 謝罪してるのに さらっと 相手のせいにしてるの・・・
『疑ってごめんなさい。』
以上でしょ。普通。
増田が悪いのに、さらっと 相手も悪いみたいにいわれたら 普通は気を悪くする。で なんで その上で 女悪いとか増田に書いてるの・・・
奥さんにさりげなく読ませることができればいいのだが…。この記事を印刷して朝出る前にダイニングに残しておくとか…。いい方法が思いつかない。がんばれ。諦めるな。応援しているぞ。
きょう派遣の女が会社の冷蔵庫漁ってプリン食ってるの目撃したから注意したら、
そいつが買ってきたやつだった。
俺 それ○○さんがお土産で買ってきたやつでしょ!!!派遣さん先週貰って食べてたでしょ!!
俺「あー。そうか。ごめん。わかんなくなるからちゃんと名前書いといてね。」
この一件で俺に口きいてくれなくなった。
謝ってるのに許さないし、その後ネチネチと攻撃してくる。
大人気ないねえ。
NHKクローズアップ現代の「あふれるポエム!?不透明な社会を覆う優しい言葉」の回で、居酒屋甲子園が取り扱われました。
放映を要約すると、一日の労働時間16時間で年収250万円の居酒屋店員達が、「愛」「夢」「未来」「感謝」「希望」みたいな奇麗事ワードをやりがいにして働いているってトコロです。
似たような事例だと、ワタミなんかも「お客様のありがとうを集める」なんて奇麗事ワードを使って従業員を酷使させています。
過酷な労働環境の中で、最近の子供でも信じないような、いかにもうそ臭い奇麗事ワードをやりがいに働いてる彼ら従業員は、我々の感覚だと大変奇異に見えます。企業側が彼らをそういう奇麗事ワードで洗脳して、あえて低賃金長労働時間で働かせている、そういう見方をする人もいると思います。
でもそういう労働環境ってほんとにブラック企業なのかなーって。私たちの労働に対する価値観と違うからブラック企業だ!と考えるのは早計かなと思います。
給料のためだけを理由に働いてる人は少ないと思います。「物を作る楽しさ」「お客様の接する楽しさ」「社会を作る楽しさ」とか、皆何かしら仕事に対して給料とは別のやりがいを持って働いてると思います。彼ら居酒屋店員も同じように、「お客様のありがとうを集める」とか「仲間を大切にする」とかそういう奇麗事ワードをやりがいにして働いています。
彼ら居酒屋バイトが、なぜそういう奇麗事ワードが好きなのかなと疑問がわきますが、おそらく彼ら居酒屋で働くような金髪ヤンキーや低学歴たちが好きなワンピースとかそういう漫画に影響されているのだと思います。
ワンピースも「仲間」だとか「友情」だとか「絆」とかそういう奇麗事ワードをテーマにストーリーが進んでいきます。大人の手で作られた理不尽で汚いこの社会の中で、彼らはワンピースのルフィのように、奇麗事ワードを信念にできれば生きたいと思っているのでしょう。そういう人たちにとって、居酒屋甲子園のような、一人一人が舞台の上で主人公になって、夢とか希望みたいな情熱的で青臭いワードを仲間と共有して感動できることはやりがいの一つだと思います。
給料が低くても、そういうやりがいを信念に働きたいという人たちがいることを私達は知るべきだと思います。従業員がそうして働きたいと思い、企業側もそれで働かせているのなら、外野がブラック企業だブラック企業だと口を挟むことはないと思います。
こうした居酒屋労働で、一番問題だと思っているのは、そういう奇麗事ワードを掲げた社風に馴染めない社員にもそれを強いることだと思っています。
2008年にワタミで女性社員が一人自殺しています。彼女は最初からワタミで嫌々働かされていたのではありません。手記には入社当初は
ワタミの信念である「ありがとうを集める」といったような社風にも前向きに捉えていますし、長時間労働に対しても「早くこういう長時間労働にも慣れるようにしなくちゃ」といったように前向きに捉えています。
どれだけ入社時に社風や労働環境について説明していても、働いてみれば感じることも考えることも変わります。そういう社風や環境に馴染めなかった人にも、その人に合わせた労働環境が提供できるシステムを構築しなくてはいけないと思います。それを怠る企業は、ブラック企業扱いしても良いと思います。
当然のことながら、深夜手当てがつかない、残業代が出ない、法律で定められた数の休日を作らない、そうした法律違反をする企業はブラック企業だと思います。
つらつらと書きましたが、居酒屋甲子園に出てくるような、ある種社員を洗脳しているかのように見える奇麗事ワードを使った社員教育を見ただけで、その企業をブラック企業だと決め付けるのは、早計だという事です。
元々は「国内向けに特化した製品は高機能でも国際競争力が欠如してしまう」という現象を指していたと思うんだけど、
上がらないだろ。そんなの一部の人間がそう言ってるだけだ。
どうして男はやればやるほど株が上がって
たとえば隠し子とか芸能人がたまに発覚するけど、マイナス評価だろ。
不誠実なチャラ男だろ。ふざけんな。
たとえば、わたし童貞食っちゃいましたーで、パチパチ みたいな女子はたいてい同族が褒めている。
テレビの言うことを信じるな。つか ふざけんな。
女性関係のトラブルで、いろいろ失う男性は多いだろ。不倫してみろ社内での立場なんか悪くなるだろ。不倫して社内の立場が上がって出世するなんてはなし普通は聞かない。
本能的に、オスはやればやるだけ子孫が作れるので数多く出来るということはそれだけ力を持ったものだとメスからも認識される。
一方、メスは、一度孕んでしまえば他のオスの子供を作ることはしばらく出来ない。従ってオスから魅力が無くなる。
避妊技術があるとは言っても、本能的に他のオスに先を越されたなら孕んでない可能性にかけるよりも新しいメスを探した方が確率が高い、と感じるからではないだろうか?
30で院卒、直接ソフトウェア開発なんかをしてる仕事じゃないが自分の所で使う簡単なサーバー管理くらいをしてる。(大学院でも軽くしてたので)
こういう論調の何が気になるかっていうと、大手メーカーもジェネリック家電と同レベルのものをさしてそれと変わらない金額で提供してるのに、どいつもこいつもそれを無視してるってこと。
なんでもいいんだけど
どんな会社?
...
内容は?
...
どうやって稼ぐの?
...
知らない人も多いのかもしれないが、伊勢の神宮に参詣することが全国的に定着したのは江戸時代以降のことだ。
そもそもは、伊勢の神宮は、皇祖神である天照大神の寝所に相当するもので、皇族ならばいざしらず、一般庶民が訪問するなんてもってのほかなのだ。神宮は皇族の家であり、皇族でない者にとっては他所様だ。近ごろ赤福の経営者が「外国人観光客が伊勢神宮に来るのは不本意だ」という主旨の発言をしていたが、そもそも、日本人であっても一般庶民が神宮に参詣してはいけなかったのである。
ところが、江戸時代に神宮が一般庶民に開放されて、一般庶民の訪問が可能になった。その背景には、国家という「家」意識があったのだろうし、また、一般庶民にとって皇族や将軍家などが憧憬の的だったことがあるのだろう。
そもそも江戸時代よりも前には、一般庶民の多くには移動の自由がなかった。特別な理由がなければ他所の土地に入れてもらえない。そして例えば奈良時代には朝廷に納税するために村代表が奈良まで行っていたが、荷物のすべてが納税品なので、帰り賃なんて持っているわけがなく、奈良で野垂れ死ぬかホームレス化するかという使い捨てだった。ということは、お伊勢参りが流行した江戸時代なんていうのは、経済的に成熟していて、しかも個人の観念が発達もし、だから観光旅行も流行ったのである。いまならば「一生に一度は地球一周旅行をしたい」なんて言う人がいるが、江戸時代の移動手段や科学技術レベルからすれば「一生に一度はお伊勢参り」という話なのである。お伊勢参りだとかおかげ横丁だとかいうのは、江戸時代にはもう資本主義市場経済が成熟していたことの表れだ。
さて、いまも「総氏神」と言って神宮の神札を一家にひとつ祀るという考え方を、そもそもの神宮司庁(伊勢)や神社本庁(東京)が流布している。その「総氏神」という発想はつまりは、天皇を頂点とする国家という家制度の思想の表れだ。一種の国家神道だとも言えるのかもしれない。
本来は、天皇家は私のようなパンピー(笑)とは異なる家・血族なのであるからして、庶民は、血族・産土神(自分の所属)を祀るのはもっともでも、神宮の神札を祀ったり、ましてやお伊勢参りをするなんて、きわめて奇異なことなのである。そもそも、失礼だと思う。私は純然たる保守なので、そう思う。一般国民なのに神宮の神札を祀るというのは、国全体を家ととらえた「家制度」をみているからなのだ。
しかし残念ながら、「保守」を自称する多くの人たちは、さかのぼってもせいぜい本居宣長くらいで、つまりは江戸時代くらいにしかさかのぼっていない。江戸時代なんて、日本史ではつい最近のことなのに。前述した通り、江戸時代にはもう資本主義市場経済が成熟していた。丁稚という「会社員」(笑)もいたし、江戸や京都や大坂などという大都会では個人の観念が定着していて「観光旅行をしたい」と言っていたわけなのだ。「保守」と言う割には明治や江戸くらいにしかさかのぼらないなんて、なにを日本古来の文化だと言うのだろうか。私にはわからない。