はてなキーワード: ベルトコンベアとは
でもあれって元は鳥なんだよな…?
そんな疑問がわいたので調べてみたよ-
(以下、閲覧注意)
そもそも一年間に何羽殺されるんだと思う??
それを業者が養鶏場に届ける。かごにつめて、トラックに乗せて。
次に業者が来るのは1ヶ月後。回収の日だ。それまでがニワトリの命。
ほぼ一生を養鶏場で終えるわけ。
狭いかごの中で。
ギュウギュウにつめこまれて。
運動すらできず。
大地も草も風も知らずに死ぬ。
できるだけ早く、安くニワトリを太らせたいからエサには残骸が加えられる。
何の残骸かって?
つまり、共食い。
なんて効率的!
きつね、スカンク、犬…
もちろん人間も
飛べない理由を知りたい?
胸がふくらみすぎじゃったからさ。
人間が大きな個体を掛け合わせて、効率的に肉の量を増やしたからなんだって。
中には胸がふくらみすぎて歩けないニワトリもいるんだとか。
自分の体重を支えられないから、脚が曲がっちゃって、むくむんだって。
死ぬまで脚が痛いんだって。
どうやって殺されるか知ってる?
作業員が足をつかんで逆さにして鎖で足を吊るして。
そして鋭い回転刃によって喉をかききる。ほぼ全てが死ぬ。
もし電気風呂で気絶しなかったニワトリがいたら、地獄のような仕打ちだろうね。
喉をかききられたあとはまた熱湯。ここで羽が取り除かれる。
…というのはまだマシなコースで
そんな日は作業員も鎖にくくりつけるまで手が回んなくて…
ニワトリを壁にぶん投げる。踏みつける。
そうして気絶させる。
「だって、手が回んないんだもの」
こうして出来上がったチキンナゲットが最寄りのマクドナルドに届くって仕組みさ。
日本じゃどうかは知んないよ
ちょっとはマシなのかもしんない。
ユッケ以来、安すぎるものを疑っている。
ロッテリアもモスバーガーもファミマも和民も安くておいしいよね。
でもその裏側は…?
ハッピーセットだの、憧れの外食産業だの、藤田田物語だのでマクドナルドの魔法にかかってたけど、
一回冷静になって考えてみてもいいかも。
これより前になにかあったような気がするが覚えているのはなぜか女性を追いかけていて そのうちに石造りのエレベーターに入り、勝手に上に上がりはじめた。 少し時間が経ち、エレベーターの壁から長い棒が何本も飛び出してきて飛び跳ねたり、屈んだりして当たらないように しているうちにエレベーターが広くなってゆきそれに合わせて乗っている人も30人くらいに増えた。 人が増えると長い棒が飛び出してくることはなくなったがエレベーターは狭くなった。 乗っている人の誰かが「フライドチキン」「フライドチキン」「フライドチキン」と連呼していると エレベーターの天井から生きているニワトリがベルトコンベアーに乗っているかのように何十、何百羽とドサドサ降ってきた。 ニワトリが頭の上に積もるように降り始めてかなりの時間が経ったとき上の方から熱した油の臭いしてきた。 ギアが切り替わるときのようなゴトンゴトン音がしてエレベーターの籠が傾きはじめ油に向かって みんなは落ち始めるが自分は籠と油の入ってる鍋のすき間に落ちた。 落ちるとそこは下水道の地下水路のようになっていて座り込んでいる一人の老婆が「あんたも落ちたのかね?」と喋りかけてきたが 無視しているとはじめに追いかけていた女性も落ちてきた。女性がまた走り出したので追いかけはじめると目が覚めた。
……には、いくつかの共通点があるらしい。もちろん俺の妄想なわけだが
一つめは、当然ながら不人気な商品である事。誰も買わないからさっさと処分してしまいたいという事情はamazonに限らずどこにでもある。
amazonの倉庫をテレビなどで見たことがある人は知ってると思うけど、あそこは倉庫に無数の商品を棚に並べて置いてあって、それをアルバイトがカートを押して取っていくという方式を採用している。多分機械でピックアップしていく方式もあるんだろうけど。
なので、棚に入りきれない、カートに入りきれない、ベルトコンベアーに乗せられない、梱包が面倒くさい、といった商品は通常とは違う場所に置かれる事になる。そしてそれが注文される度、アルバイトが人力で作業する事になる。梱包にかかるコストも(通常より)高く付く。大きすぎるものはその分輸送費もかかる。そのような商品は、「さっさと在庫処分価格にして倉庫から一掃したい」とamazonが判断するラインを越える日がより早く到来するし、少しでも早く売り切るためにかなり安く設定されたりするわけだ。
お金貸して、と訴えれば台湾に行けちゃうくらいのお金が見知らぬ人から振り込まれる。
フリーライター業もしてたっけ。対談なんかもしちゃってた気がする。
貯金が減ってるのを「嘆く」というよりは、わざわざグラフまでつけて
「ゼロになった清清しい」という感じだったしねぇ。サービスについても「換金するのはイヤ」と書いてあったよ。それ自体の是非はともかくとして。鬱記事を書いてたのも見たことがないなぁ。
んで、客観的に見てこいつ多分再就職出来るよ。
だから、「セーフティラインを保って収入も得てるくせにニートを名乗るな」
って批判ならそのとーりだなぁ、と思うけど。その手の批判はちょっとマト外れじゃないかなぁ。
あと3~4年くらいのうちであれば、この人ごく普通に社会に戻れる気がする。
というか。
こーゆー人もいるねぇ、と許容できない「健全な日本人」の方々が素で気持ち悪い。
山崎パンのベルトコンベアにバナナを置く仕事とかしてるとこういう精神状態になるのかな、とか思う。
バイト経験が豊富だという女の子が「そうそう2年位前だったかな?」と言って話し出した。お中元とかお歳暮の時期に、クロネコヤマトで短期で荷捌きをするバイトをやったことがあるそうだ。記憶では2年くらい前、東京の東の方のセンターの中元シーズンのことだそうだ。
クロネコヤマトの荷物というのはベルトコンベアーに載ってセンター内を回るそうだ。その途中で行き先に応じて振り分けをするらしいのだが、ベルトコンベアそのものは長さが限られているので、どうしても途中で"繋ぎ目"が出てくる。
→□ →□
________ __________
) (
中元の荷物には瓶詰めのお酒やら、こんな小さい箱使っても金額同じだよ! と突っ込み入るような小箱も混じっているため、繋ぎ目はあまり広く取ることができない。(隙間は数センチ程度と思われる)また動いているベルトコンベア同士のためか密着しておくこともできないようだ。
大量の荷物がこのベルトコンベアの上を通るのだが、中にはコンベアの下に落ちてしまう小さなものもどうしても出てくるらしい。普通はそういうのはコンベアを止めて後でまとめて拾うのだそうだが、季節バイトの男の子はそれを知っていたのか知らなかったのか、落ちた荷物を反射的に拾おうと手を伸ばしたらしい。
コンベア自体はものすごいパワーで回転しているので人間の手など簡単に巻き込む。
直ぐにコンベアは止められたが、その男の子の片方の手(右手だったか左手だったかは不明)は引き抜いたときにはズル剥け上体で粉砕骨折していたらしい。救急車で運ばれたが止む無く肘から先は切断になってしまったそうだ。
話をしてくれた女の子は翌日になってその話を社員から聞いたそうだが、警察が来て事情聴取とか面倒だったものの中元をさばくセンターを止めることはなかったそうだ。
その後は安全管理も徹底されて、靴やヘルメットなどがバイトでも義務着用になったそうだが、つい2年ほど前まで、アルバイトでこんな危険な作業があったことにびっくりした。
郵パック遅配で今年の中元シーズンは大変な騒動になってしまったけど、荷物が腐ったくらいならどうとでも取り返しはつくのだから、目くじら立てるのはよそうと思った。
http://anond.hatelabo.jp/20100707221911
ブコメを見ていると発達障害ではないかという意見が目立つ。自分も大学院卒でADHDなのだが、状況が似ているということもあり、真面目に分析してみることにする。
まず最初に、ADHDのことを理解するのに重要なこと提示しておく。ただしこれは当事者としての分析だ。医学的な証明がされているわけではないのでご了承を。
人間は言葉を理解するときに、一時的に言葉そのものを脳の一時作業領域に記憶して、前後の言葉の関係を組み合わせながら意味として理解し吸収する。
定型とADHD患者の違いはおそらく"一時作業領域"の性能だ。いわゆるワーキングメモリというやつだ。ADHD患者はワーキングメモリが少なく、言葉の意味を吸収する前に言葉の情報をワーキングメモリに詰め込まれると、吸収前の言葉の情報を追い出さざるおえなくなる。よって、話が右から左に流れていくのと同じ事になる。作業スペースの極端に少ないベルトコンベアというようなイメージかもしれない。
これを踏まえて、以下のことについて。
わたしの問いかけにも、黙ってうなづき続けるだけだった。ふとわたしは思うことがあり、話すのをふいにやめてみた。彼女はそれでも表情を変えず、一定の間隔で二、三度うなづいた。それから、はっとしたように、うなづくのをやめた。ああ、この子は、ほんっとうに誰の話も聞いてなかったんだな、と改めて思った。
これを読んで思うことは、多分途中から頑張って聞くのを諦めてるか、本気で聞こうとしてて理解できていない可能性があるんじゃないかと。だっておかしいと思わないか。聞いてる本人も時間を割いてるのに聞かないとミスをするのに、わざわざ聞いてるような仕草だけして聞かないなんて普通考えられない。向上心がなかったとしても自分の身を危うくするようなことは少なくともしないはず。
院卒の女性はもしかすると、相手の話を理解できないことも、相手に自分の症状について理解してもらえないことも理解しており、とりあえず頷いて理解したように見せその場を回避し、断片的に覚えている言葉を参考にあとで何らかの方法で勉強しようとしているのかもしれない。しかし、その方法では限界があるので結局ミスをしている可能性がある。
院卒の子は、人当たりはすごくいい。あいさつもはきはきできるし、個人的に話すぶんにはトークも面白い。口は達者だ。
この「雑談のような話は普通に理解して聞いているのに、仕事のことになると理解していない」というギャップがADHDの症状に似ている。普通の雑談なら全然問題なくても、ちょっと考えながら聞くような話だったり一方通行の話だったりすると吸収が追いつけなくなる。会話だと自分のペースで話しやすいし、言葉がとぎれとぎれになるから、ベルトコンベアを止めてゆっくり作業が出来るのと同じ事になって吸収が追いつくようになる。
もうひとつ、仕事はちゃんとやらないのに、関係ない会話は意欲的だということ。これも似ていると思う。先で書いたようにあまり複雑な話だとついていけないというのもあるし、ADHDにありがちな刺激があることを好むというのがある気がする。それを本人も分かっているか無意識に理解していて、刺激がある楽しい話を積極的にしている可能性がある。
人当たりがいいというのは、能力の違いを理解してるというのから来ている可能性があるもある。おそらく他人にすごい優しいはず。無理に厳しいことをあまり言わない。そんなことして自分にブーメランがきたときに困るから。
他にも思うことは色々あるけど、ADHDの症状と似ている主なところを話すとこんな感じかと。
ADHDって厄介で、周囲から見るとやる気がないとかサボってるとか人としての基本を問われるような理屈の筋が通ってしまいやすい。今回のもそうだけど、向上心というのも「そうかもしれない」と思わせるくらいの説得力はある。
自分の場合もそうなんだが、普段はできるだけ平気な顔するようにしている。真剣に話を聞こうとしていて、それこそ額に手をあてて眉間にシワをよせて聞いて、それでもどうしても聞き逃しが発生する。重要な話を聞いてる最中は不安で仕方ない。というのも、過去にも同じようなことを何度も繰り返してきていて、もう既に度胸みたいのもある。話を聞くたびに落ち込んでいるのは無理があるため、それをなんとかしようと自分なりに考えた結果がそれ。
ちなみに、自分がイメージしてるADHDと違うと考える人もいるかもしれないが、多動とか衝動とは確かに違う。不注意優勢に見られがちな、遅刻も多分ない。自分もそうだけど、その辺りは個人差があるのでなんとも言えない。でもどんな症状であってもワーキングメモリに影響するところはあると思う。ただここでその説明をすると長くなるので今回は書かない。
そういう部下がいる場合、腹が立つのも分かるし、どうしたらいいのか分からなくなるのも分かる。しかし、それをこの場に来て愚痴だけ言って終りにするのはあまりにつまらない話じゃないか。せっかくだから、もう少し困っていることを詳しく書いて解決策の提示をお願いしてみるくらいの方がいいと思う。
向上心がどうという話をしているけど、立場が指導者で部下がいるのであれば、部下を育てるのも仕事のはず。ここにきて愚痴だけ言って帰ったら改善する気があるのかと逆に指導者としての向上心を疑われかねない。
でも、全くその気がないと思っているわけではないので、改善策を書いてみる。よければ参考にして欲しい。
・伝えたいことをはっきりさせて短く話す
長い話を聞いてるとどうしても無理という可能性があるので、要点をまとめて短く話してみるのもいいと思う。一つ一つの理解が簡単であれば話についていけるようになるはず。
・反復して確認させる
前でも書いたように、理解速度が遅いという可能性がある。そういう場合は話していることをどこまで理解しているか確認しながらやるのはどうだろう。
・メモを取らせる
反復して確認させても、完全に理解できてるとは限らないし、しばらくしたらスッパリ忘れてしまう場合もあるかもしれない。そういう場合はメモを取らせる。そしてその時間を取る。なぜかというと、話を聞きながらメモをとるのはすごく苦手だったりするから。同時に複数のことをこなすというのはADHDだとしたら苦手なはず。
・精神論を言わない
精神論は多分言っても無駄。大学院に行ってる時点でかなり努力をしているはず。それでも追い打ちをかけるように努力だの言ってしまうと、モチベーションが下がってパフォーマンスがさらに落ちることになりかねない。
あと、これは注意して欲しいところなんだけど、社内で「ADHD」という単語を使ってはいけない。ADHDは障害として認知されてはいるけど、障害者手帳も発行されないし障害者として生きることは現時点ではほぼ不可能。それに、理解の難しい障害だし誰に伝えてもちゃんと調べてももらえない。自分の場合、親に伝えてもあまり調べてもらえていない。そのくらい関心の薄い障害ということ。本人が自分で気付かない限り知らない方が幸せだと思う。障害者だなんて言われるのはそもそも嫌なことだと思うし。難しいところではあるけど。
多分見てないんだろうけど、一個だけ言いたいことがある。それは聞いているフリをしてるように見られていること。微妙なところではあるんだけど、これは賛同できない。理解力があってもなくても、理解出来ているか出来ていないかは自分でも分かるはずなので、理解で来ていないことはできるだけ確認し直したほうがいい。そうすれば、一応聞こうとしていることは分かってもらえるはず。努力しても理解できないというように思わせることが出来る。聞いている途中でバカにされたり、教えるのを諦められたりするかもしれないけど、どちらかと言えばマシだと思う。
以上、あやふやな話で申し訳ない。
長文失礼しました。
「今の日本社会は頑張ってもどうしようもない仕組みになってる、詰んでる、だから何もしたくないし、しないんだ」
としつこく何年も何年も主張している人々が居て、生産性のない愚痴と中傷を繰り返しているみたいだ。
人は自動的に若さと健康を失う仕組みになっているけど、自動的に成長できる仕組みにはなっていない。
経験を積み、人間性を豊かにし、能力を上げる、ということを積極的にしていかなければ、
「何の取り柄もないどころか社会にとって有害な老人」になってしまう。
彼らは今は「愚痴っぽい無能な若者」だが、いずれベルトコンベアーで運ばれるように自動的に、
「愚痴っぽい無能な中年」になって、「愚痴っぽい無能な老人」になるだろう。
そして「若さ」を持っている人間や、「経験と共に積み上げた魅力」を持っている人間を、
妬み、憎み、攻撃するだろう。
生まれ育った時代や社会は同じなはずなのに、どうして人によってこれほどの差が付いてしまうのだろうか。
実は、単なる「年齢制限」だったのだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
その女の子は体が弱いらしく、毎日、病院で注射を打つような状態だ。
同年代と比べて、発育が遅いらしい。
だから、その女の子の両親は、小学校就学を1年遅らせようか迷っているそうだ。
だが、ここに問題があった。
それは、1年遅らせると、その女の子は、中学2年生までの教育しか受けれないそうだ。
しかし、コメンテータによると、義務教育は、「15歳の3月まで」、ということだと。
そのように決められているそうだ。
年齢で切られるのだ。
だから、もし就学を1年遅らせたら、その女の子が「15歳の3月」を迎えるのは、
中学2年生が終わったとき、というわけだ。
それでわかったのだ。
つまり、義務教育というのは、
「どのような内容の教育を受けるか」、によって定義されているのではなく、
「15歳の3月」までに受けた教育を「義務教育」と呼ぶのである、ということだ。
言い換えれば、学習内容の達成度を見るわけではない、ということだ。
年齢を見ているだけなのだ。
留年もない。
学習させる内容も、ふらふらと定まらない。
なぜなら、そのようなことを気にする理由がないからだ。
「15歳の3月まで」という、単なる制度上の都合の、操作的な定義に過ぎなかったのだ。
まるで、ベルトコンベアに乗せて、「15歳の3月まで」という一定期間、「教育」という塗料を吹き付けていき、卒業したら、あとは知らん、というのが、日本の義務教育なのだ。
標準原価計算的に考えれば、かなり「歩留り」は良かったのであろう、いままでのところは。
だがこれは、大量生産の発想だ。教育資源が乏しかったころの発想だ。
経済学者の伊藤元重が、「日本の教育は配給制度です。いまでも」、と言っていたのは、正しかったのだ。
いくつかいただいたコメントで、義務教育の「義務」に関してのものがありました。
わたしとしては、この文章の意図は、「義務」うんぬんの話ではなく、
つまり、教育の内容に関してです。
もし、
その教育の内容は、無意味なものになりがちなバイアスがあるのではないか、
ということを言いたかったのでした。(学校に通っているだけでいいんだから)
その点で言えば、問題は、この女の子に限ったことではなく、われわれすべてと関係するでしょう。
これは誤解を招きがちな部分だと思います。なぜなら、
たとえば、不登校の人に対して、
「義務なんだから学校へ行けや」、と恫喝する人がいるであろうからです。
また、それに対する反動として、
「これは、親が子供を学校に通わせる義務だ」、という意見が出てくるのだと思います。
わたしの理解では、
「義務」は、「権利」と対になっているはずのものです。
すなわち、
まず子供に「教育を要求する権利」があり、保護者は、「それに応える義務がある」、
ということになるのだと思います。
「それに応える」というのは、具体的には、学校に通えるようにしてやる(ランドセルや定期を買ってやるとか、昼間に児童労働させないとか)、ということだと思います。
なので、義務教育の「義務」は、「教育義務」ではなく「就学義務」、ということだと理解しています。
サポートする義務です。
なお、上記のとおりだとすれば、不登校の場合は、本人が望んでいないので、保護者にも義務は発生しないのでしょう。
なぜなら、ウィキペディアで調べただけだからです。
わたしの考えでは、保護者が昼間に働くために、一時的に子供を預ける、というのが、主要な機能だと考えます。
場合によっては、高校も含みます。
全然愛情も何もない相手とただ「それ」だけをするために一緒にいることから、つくづくそう思った。
で、なんで子供を作るわけでもなく、
性器同士を結合させるなんて無意味なことをするのか、
まるで理由が分からないね。
でも、男と女がいたら「それ」をするんだよね。
愛なんてのは人間が高度な知能と文化を身につける中で紡ぎだした物語で、
本質はこの性器を結合させることに帰結するんだろうね。
神様の命令なんだろうなあ。
「それ」だけはしたいから、男と女は他に何も価値がなくても一緒にいるメリットがある。
という点でセックスと言うのは、男と女をつなぎ社会を維持するための潤滑油だし便利な楔だと思う。
しかし心のないセックスと言うのは
いうなればベルトコンベアで回ってきたモノに同一の作業を施すような、
不毛で非生産的で、創造性も建設性も自己実現性もなく、人間をモノ化する悲しい作業。
「人間らしい」セックスとは、お互いの価値の承認、存在価値の確認を伴う。
うちの父は服を買うのが嫌いだ。服にまったく興味がないうえに、試着とかが面倒くさくて大嫌いだからだ。しかし割と人前に出る職種で、ごくたまにメディアにも顔をだすため、さすがに父の好きにまかせてシミがついたままのチノパンやら首の伸びたセーターなどを着せておくわけにもいかない。
だから父の気が向いて「今日は服を買いにいってもいいぞー」と言い出したら気が変わらないうちに、家族総出でデパートへ引っ張っていく。経験則で父の忍耐力が1~2時間しか持たないことはわかっているので、ここから先は時間との戦い。父が王様で私と母は侍従みたいに、ボーっと立ってる父に目に付いた服をかたっぱしから当てていって買っていく。靴も並べて「はい履いて!どう?きつくない?じゃあ次これ!」とベルトコンベアー状態。いったん試着室に押し込めることができたら次々にスラックスを持ち込んで外には出さない。そんな感じで短時間でびっくりするほど買い込む。だって半年に1回くらいしか服を買いに行こうとしないんだもの、こっちも必死です。
「渋い!」「似合うねー」「おお、知的に見える」「上品だよ~素敵~」 父の気をそらさないようにがんばるけど、やっぱり2時間が限度なんだよねえ。割と素材がいいので(娘の欲目だがクマさんぽい愛らしさがあると思っている)、いろいろ似合いそうなものなのにじっくり選ぶ余裕がないのが残念だ。
でもここまでしてせっかく新調しても、なぜか毛玉のあるセーターやヨレたシャツをわざわざ選んで着てくる。なんでなのw
持ち込み禁止=ベルトコンベアのように扱うってわけでもないしいい比喩だと思わない。
客側が店側に何かしらを要望するってことを全面的に否定はしないけど
安居酒屋なんてのは酒飲む場所の中でも特にグレードの低い場所であることは念頭に入れていいと思う。
お客は神様ではないからね。
■ばななのウザッたさ
それなりに同意。
■店長のクソな感じ
理解も共感もできない。
ばななは女の子にこっそりとグラスを頼んで、こそこそこ開けて飲んでたんだから、
女の子の行為をオフィシャルなお店の行為として受け取れる理由は無い。
サラリーマン店長のゴールは自分のところの売上を「チェーン店としてのルールを破ってまでも」最大化することでもない。
ブクマでも散々言われていたけど客に聞こえる声で叱るな、とは思う。
■ルールが絶対のお店はアリかナシか。
常識的な範囲内でのルールだったらアリかナシかで考えることじゃなくて、
自分がそういう店を選ぶか選ばないかで考えることだろ。
個人的に言えば「馴染み」って存在になることが大嫌いで飲食店でも店員さんの反応が「馴染み」に対するものになってきたらその店にはしばらく行かないことにしてる。
全てが画一的で、だからこそ閉鎖性が無いチェーン店はありがたい。
ところでこの手の話題が出るとかなりの確率で「高校生・大学生」を悪者にする人がいるけど居酒屋って別に大学生だからうるさいとかサラリーマンだからしずかだとかそういう場所でもないので
よろしくない決め付けだと思う。「DQN」ってのはどういう存在か曖昧すぎるから省くが。
もう一つ気になったんだけど
そこにもっとフレキシブルさ、自主性を求めるのは客としては当然だと思うけれど、
ここの接続は「けれど」でいいのか?
客が自主性を求める=店員にやりがいが生まれるって趣旨かなと思うんだけどそのあとの文章を読んでもちょっとわからない。
■結論としておもったこと
人の日常生活の中でもっとも調子に乗りやすい場所だからね。
最後に名刺置いてくのに笑った。
・本筋じゃないけど、
「ナイーブnaive」は、英語だと否定的な感じで使われることが多いので、
自分に対しても他人に対してもあまり使わない方がよいです。
・「『今のデフレ時代に、5000円も払ってる客をルールのみでベルトコンベアのように扱って、
やっていけると思うなよ?!』という圧力」をかけたいならば、
(チェーン店居酒屋の店長ではなくて)そこを運営する企業に手紙でも書いたほうがよいと思う。
もし、真摯にその意見が受け取られれば、別ブランドのチェーンが展開されるかも。
・もっとも、
お客様を「ベルトコンベアのように扱」うことでコストを下げているであろうチェーン店居酒屋で、
「5000円」も払うな。
どんだけ飲んでんだよ。
■ばななのウザッたさ
・単なるDQNでしょう。
「都会のチェーン店で起こっていることの縮図」にすり替えてしまうずるさ。
・そもそもが、融通の利きそうな馴染みの店に行けばよかったんじゃないの。
人脈があるんだから。
たとえば、最初から「近所にある閉店後の友だちの店」に行けば。
友だちなんだから閉店後の店をちょっと使わせてよ、って頼めばよかったんじゃないの?
貸切で時間延長してもらえばよかったんじゃないの?
友だちだから、迷惑かけたくなかったんですかね?
■店長のクソな感じ
・元の文章を読むと、「店員がOK」したのは「グラスをわけ」たことだけじゃないの?
(ばななより下界のルールに通じているであろう)飲食店のバイト店員なら、
一般に持ち込みを許可する権限が自分にあるかないか承知しているのが普通だろう。
・「『自分の店舗の売り上げを最大化する』というゴール」は、短期で考えるか、長期で考えるかの問題がある。
某コーヒーチェーンの創業者は、「若い女性をターゲットにしたかった。
そのためにはどうしたらよいか考えた結果、オジサンが入店しづらい感じにした。」と言っている。
・私が店長だったら、(オーナー店長であっても、チェーン店の店長であっても、)
馴染みでもない、「異様な年齢層やルックスや話し方」をするグループが、
何の断りもなしに持ち込みワイン飲んでたらカチンと来るだろうなぁ。
咎め方は工夫するだろうけど。
■ルールが絶対のお店はアリかナシか。
・「大切な会であれば、絶対にチェーンなんかに行かない」に同意します。
それが普通だと思う。
なぜ、「よしもとばなな様」御一行はチェーンへ行ったんだろ?
・「ばななのウザッたさ」を感じる理由のひとつは、
と言いくるめようとしているところにもありそう。
言いたいことがよくわかりませんでした。
■結論としておもったこと
・世代論は関係ないと思う。
私も、私の親(←当然元増田さんより年上)も、
飲食店で勝手に持ち込み飲食をするのはマナー違反と認識している。
・「もう少し弾力的」にしようとすれば、それが価格に跳ね返ると思うが、
それを納得できるかどうか。
・ちなみに、御存知かもしれませんが、
むかしは(今でもあるのかな?)フィッシングで有名な観光地へ行くと、
「お客様が釣った魚を調理してお出しします」みたいな張り紙をつけた料理屋があったりした。
調理や席や給仕を提供するので、無料ではない。
まともな料亭であれば、原材料費は3割ぐらいらしい(これも古いかな?)ので、
このとき払う料金は想像してください。
http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20090808
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51271236.html
生活に根ざした話で、様々な意見が噴出するってすごくいい。
個人的には、活字中毒Rさんの「こりゃ悩ましい問題だねー」という感想に同意。
ばななのエッセイに関わる客とチェーンの店長という構図は様々な立場があって難しいなって思う。
「本当に下品だなあ。こういうオッサンとは出来るだけ関わりたくないな…」ということ。
だって、自分が居酒屋で飲んでる横で「お前らはいつから酒屋になったんだよ」とか
店員とやりあってる客とか居たら、確実に酒が不味くなるじゃん。
「今のデフレ時代に、5000円も払ってる客をルールのみでベルトコンベアのように扱って、やっていけると思うなよ?!」という圧力をかけることは大事だと思う。
エントリーの冒頭に、いきなり馬鹿野郎なんて語彙を繰り出せるのは、彼一流のしょうもなさなのでどうでもいいかなと。
■ばななのウザッたさ
ばななのエッセイは生活者としての立場から「なんだか世知辛くね?」みたいな話だと思うんだけど、
途中から「私たちスペシャルな存在なのに大事にされないのはおかしくね?」と斜め上の方向に
変わっていくところが読者の感覚からズレてしまってイラッとするんだと…。
僕がばななチームに居れば、そもそもお店に入る前に「ワインを持ち込んでよいか」との承認を取るし、
よしんば融通の利かないクソ店長と言い争いになっても【近所の馴染みの店】から
ワイングラスを全員分持ってきて移し替え移動する。
ばななチームに気が利く人が居なかったのが、ばななに歪んだ残尿感を残らせた敗因かと思う。
■店長のクソな感じ
確かに店長はすごく気分が悪い。なんかルール通り過ぎて、村上春樹の小説とかに出てきそうだよね。
ルール通りであることはどうでもいいが、店員がOKといってお店の立場として承認したものを、
店長が後から出てきて反故にするってのは「組織の論理から見ても」ナシでしょう。
頑なに持ち込みはルールに反していると、客にも守らせようとするのは
「外食チェーンの倫理」には正しいのかもしれないが「自分の店舗の売り上げを最大化する」というゴールから見ても筋違い。
とは言え、無条件に糾弾したい気分になるかと言うと
「店長は店長で自分の役割をクソ真面目にこなしてるだけなんだろうな」と理解出来るから何とも…。
■ルールが絶対のお店はアリかナシか。
個人的な感覚としては、ばななが行ったようなお店は嫌いだ。チェーンは嫌いだ。
行く場合には、どうせクソチェーンなんだから、個人個人へのフレキシブルな対応を求めるのは筋違い。
大切な会であれば、絶対にチェーンなんかに行かない。
行く時は、ある種の諦念がある。どうせ、○○さんと呼ばれる馴染みの客にはなれない。
どうせ、高校生・大学生・DQNたちが騒いでてゆっくり出来ない。
とはいえ、安価でルールを大事にする居酒屋は無くならないと思う。
そこにもっとフレキシブルさ、自主性を求めるのは客としては当然だと思うけれど、
「やりがいの搾取」という議題が浮かんで、何ともいえなくなる。
オリエンタルランドや、スターバックスは、素晴らしいなと思う一方で気持ち悪いもの。
■結論としておもったこと
35歳より下ぐらいの人には、飲食で働いている友達も多いと思う。
だからこそ、自分とは切り離された存在として、お店を一方的に叩くということが出来ない。
小飼弾さんは、チェーンの飲食の現場で働いている友達と飲んだ体験とかが無いのかなと思った。
世代論なのかもしれないし、小飼弾さんはシステムの話は横に置いておき「自分がどう思うか」「自分だったらどうするか」を
起点としてしか話をしないからかもしれないなと思った。
飲食に関しては、チェーンとはいえ、フランチャイズとはいえ、もう少し弾力的に動いてもいいでしょ?
暇な時は持ち込みなんかも大丈夫だよ。但し、忙しい時間帯は勘弁してね。というのを店側も客側も共有できればいいなと思う。
「友達はOKして貰ったのにどうして俺はダメなんだ?!」みたいなクレーマーが居たりして実現が難しいのかもわからんけど…。
ここまで読んでくれた人が居たらありがとう。
僕は都内に住んでいるIT系の仕事をしている25歳なんだけれど、一意見として
「ふーん」と思っていただければ幸甚です。
--
追記 :
なんとなくモンテローザグループを想定して「チェーン」って使ってたけど、
グローバルダイニングもチェーンだし、松玄でお馴染みピューターも多店舗展開してるし、
「いわゆるチェーンの居酒屋」って、笑笑、白木や、魚民、和民、村さ来、
温野菜、養老の滝、東方見聞録、月の雫、権八とかを想定してればいいんだよね…。
あと「やりがいの搾取って何よ?!」って意見が多かったので補足。「感情労働」の次バージョンみたいなヤツ。
一般的に、素晴らしい客対応をする例として上げられることの多いオリエンタルランドや、スターバックスなんだけど
それを実現するにあたって、ある種宗教的な感じがあります。
例えば、スタバでいうと研修でグループを作ってニックネームを付けさせて…など
自己啓発系セミナーのような意識改革をさせて、仕事にやりがいを持たせるという。
それをバイク便やら、ワタミやらが【給料が安くても、納得して働いて貰うための方便】として使っているという議論があります。
ある種関係ない話ではあったのだけれど(フリーター問題でよく出されるワードだと思う)、
さっきから勃起が止まらない。こう書くと私の股間でロマンティックな何かが毎度お騒がせしますしているように思われるかもしれないが、私の股間はロマンティックと言うより、黒人演歌歌手ジェロであり、その先端からはしばしば海雪が出ると専らの評判である。それはそれとして問題は私の勃起である。もし私が国民的アイドルグループの一員であれば「勃起して何が悪い!」と啖呵を切るところだが、私は国民的アイドルグループでも国民的美少女でもなく、ザイール国民から熱狂的な支持を受けていた唯一の日本人男性に過ぎず、しかもそのザイールはもう無い。今あるのは儚くも切ない私の勃起だけである。だがここで嘆いても始まらない。かつてわらしべ長者(佳彦)は、1本のワラから1軒の家を手に入れたと言う。ならば私もわらしべ長者(佳彦)のひそみにならい、1本の勃起から1軒の家を手に入れてみせようではないか。思い立ったが吉日とばかりに、私はグンゼのBODYWILDを脱ぎ捨て、街へと飛び出した。窮屈さから解放された私の勃起は、初夏の日差しを浴びながら、自由を謳歌するように私の下腹や太ももをしたたか打ち始める。パンパパン!ししおどしの要領でパンパパン!右見てパン!左見てパン!そんなことを繰り返していると、どこからかウーウーと素敵な調べ。目を凝らしてみれば、鮮やかに回転する赤色灯がひとつふたつ、ファック!ファックジャパン!だがこの程度で動揺するようでは佳彦には程遠い。気づくと私は走り出していた。一体どこへ。光の差す方へ。そして私は女子高生の集団にダイブし、その中心で愛を叫んだのである。海雪も出したのである。その後はまるでベルトコンベアのような流れ作業だった。逮捕→連行→取調べ→カツ丼→取調べ→カツ丼→カツ丼→取調べ→カツ丼→カツ丼→送検→カツ丼→取調べ→カツ丼→勾留→カツ丼→カツ丼→起訴→カツ丼→公判→カツ丼→カツ丼→判決→カツ丼。判決が下されたとき、私は逮捕前と比べて20kg太っていた。痛風も発症していた。だが依然として勃起したままだった。それから私は巨大な建物の小さな部屋に入れられた。せいぜい3畳と言ったところだろうか。窓側にはさらに1畳分のスペースがあり、手洗場と便器がむき出しで設置されている。窓を見ると鉄格子が嵌められていた。その瞬間、随分遠くまで来てしまったなという悔恨が込み上げた。ジェロとか言っていた頃が懐かしい。佳彦は今頃どうしているだろうか。結局のところ私は佳彦になれなかったのだ。だがうつむく私の視線の先には見慣れぬ光景が待っていた。股間はもう膨らんでいなかった。勃起は鎮まっていたのだ。そこではたと気づく。私はすでに大きな家を手にしていたのだと。冷たくも暗い巨大なこの家を。
ボコられるのは仕方がないとして。
誰にも読まれないのはなんか手応えがないなあ、と思い、自称ネトウヨである俺のブログの記事を転載してみる。
メンヘルの寝言だと思って聞き流して下さい(と言っても、皆さん、容赦はされないと思いますが)。
~
戦後はともかく、戦前~戦争中の日本の戦車はとにかくしょぼかった(好きな人はごめんね)。
エンジンはディーゼルエンジン(ただし、技術的にはすさまじい)。装甲は紙のよう。
で、運転が無茶苦茶難しかった。戦車の運転手として、名人芸を問われた。
アメリカはどうか?
当然、ガソリンエンジン(しかもオートマ)。楽々前進。運転簡単。
司馬遼太郎は戦車乗りの一人として、米国の戦車と自国のそれを比べたとき、大変無念な思いをした訳ですよ。技術って普遍的なもので、優れた技術はそれを扱っている人間にはすぐに分かる。
で、この差はなんなんだろう?という話になる訳だけれども。
司馬遼太郎曰く、"文化"と"文明"の違い。今でこそ、日本のサービスは優れているけれども、戦前の日本は、"名人の文化"だった。「できないのは、お前がグズだからだ」という文化。タクシーの運ちゃんが「私は助手時代から一度も道を間違えたことがないのですよ」と威張れる文化(戦前の道路は、道は整備されていないし、道路標識もほとんど無かったので凄いことらしい)。
戦争中、すでにアメリカは、ベルトコンベアを採用したT型フォードの生産とかから始まる、機械の大量生産・大量消費の社会に入っていた。で、品質のバラツキをなくすため、品質管理をアホでもグズでも出来るように普遍的なマニュアル化、"文明化"した。日本の場合、品質は個々の情熱と自負心と技量に依存した"文化"だった。
日本は戦後、(サービスにおいて)、名人主義、"人はみな有能"という考えを捨てた。で、品質管理(QC)が、日本産業の基本的性格の一つになった。つまり、アメリカの"文明"を吸収して、日本"文化"にしてしまった。その結果、日本の航空会社のスチュワーデス(あえてこの語を使う)は(優しい)母親となって客を扱う、とは司馬遼太郎の弁。
まあ、大体、アメリカは移民の国であるから、モザイクのようにバラバラにまとまって住んでいる"文化"の違う住人達をまとめるには、普遍的な価値観の"文明"が必要だった面もあるかも知れない。
だから、アメリカは、"文明"的には優れているが、"文化"的には未熟、と言える。
だから、四つ足で一生懸命スタコラ歩く哀れなデザインのマシンを蹴り上げることが出来るのだ。Yes, We can !
参考映像→http://www.youtube.com/watch?v=W1czBcnX1Ww
まあ、俺辺りが簡単に説明できれば、誰も苦労はしないよなあwとは思いつつ、適当に私見を書こう。
結論から先に書くと、「禅的構造への落とし込み」だと思う。
じゃあ、"禅"とは何かというと、Wikipediaによれば、「ただひたすらに(坐禅を)実践せよ」とか「以心伝心」とか「言葉でなく体験」みたいな説明が出てくる。要するに、「空気読め」ということだと思う。多分、それが、日本人を日本人たらしめている。
「禅的構造への落とし込み」の例。
例えば、日本庭園の枯山水庭。とか言うと俺にもよく分からなくなるので、例えば、漫画とか。
昔の劇画でもアメコミでもバンドデシネでもいいのだが、基本的に良く描き込んである。でも、劇画は廃れ、現在の日本では、あまり描き込まれていない、もっとシンプルな記号化された漫画が主流だ。
これが何を意味するか?
まず、描き込むだけの時間がない、という面はある。つまり、「資源が少ない」のだ、我々は。島国は。で、例え結果的でも、描き込まれていないということは、紙に染みついたインクの量は少ないということである。ということは、それだけ、"何を紙に染みついた少ないインクにするか"考えなければならない。その結果、"何を書くか、どの線を選ぶかなどを作家が(生き残るために)魂を込めて選択しなければならない"(もちろん、適当に描いている人もいるかも知れないが、読者を脱力させるための線や展開などの構造を(無意識のうちに?)選んでいると思う)
で、アニメも描き込みの量が少ないわけだが、ストパンの監督は、エヴァンゲリオンの庵野秀明に「お前の描くパンツには魂がこもっている」と褒められたわけだ。
ゲームもそう。わびでもさびでも萌えでも良いのだが、日本の強みは現実の換骨奪胎と記号化であり、「逆に要素を少なくすることで、対象者に想像力を使わせる」のだ。禅的構造への落とし込みとは、「対象者に想像力を使わせるための魂のこもった取捨選択」だ。小さくまとめ上げる。美を追究する。そのために職人は技を磨き、我々は空気を読む。
で。
ハッカーの話になる。
「ソフトウェアは工業製品ではない」、Rubyのまつもと氏が講演 " @IT
http://www.atmarkit.co.jp/news/200904/10/matz.html
つまり、まつもと氏は、名人主義だ。
だが、そこが彼らの、我々の、日本人の限界性でもある。日本の技術者のかなりが未だに、紙のような装甲と、ディーゼルエンジンを装備し、精神を病むほどの"根性"で、自分を、現実を、だましだまし、日々を戦っている。
とは言え、泣き言や呪詛を並べても仕方がないのだろうが。
どうだろうか。歴史で繰り返される技術者の奢りであるかも知れないという疑念は?
正直、アメリカなら、やりかねないのではないか?
そのうち、ソフトウェア設計を合理化/普遍化/文明化/マニュアル化し、アホでも作れるようにしてしまうのではないか?
大抵のソフトウェアが適当に注文するだけで、9割方、自動生成されてしまうとか。しかも何回もやり直し可能。
俺はそれを恐れる(そして、楽しむ)。
現に、アメリカ発のインターネットというテクノロジーで、編集者は青息吐息ではないか。
多分、思いも寄らない方向から、必殺の一撃が来る、と考えた方が自然ではないか?
そいつは、非人道的に、無慈悲に、機械的に我々を殺しに来るのだ。我々は合理的結論で殺される。OK. 原爆はアメリカにとって合理性があったのであろう。殺される方はたまった物ではないが。それが村上春樹が恐れているものではないか。しかし、"技術革新は誰にも止められない"。
果たして、アホに生きる権利があることを許さない、名人主義のその狭量さが、限界性を作っているとしたら。そして、よりハッキリ言えば、技術バカ(ギーク)がやり手の営業マン(スーツ)に負けるように、好きでやっているアマチュアがプロフェッショナルの作った構造的罠に負けるように、負けるのが宿命づけられているとしたら(日本vs欧米のスポーツもか)。
もっとも、人間はどこかしらの部分で優越感を感じていないと生きていけない生き物であるから、腕のある人間はアホに優越感を感じて、差別して、見下して、生きているのだろう。底辺の人間が、例えば、外国人に優越感を感じて、差別して、見下して、生きているように(繰り返すが、それを自覚し、どう振る舞うかが重要なのであって、その感覚を無くせなどとは言っている訳ではない(というか、存在論の部分に関わってくるので無くせない)。どうプラスに活かすか。"かわいげがある"というのは、見下しているが、プラスの評価だ。だから、日本が"カワイイ"文化で世界に浸透してしまうというのは、結果的に正しい。日本人は連中に"文化"を教えねばならない(←ネトウヨの勝手な思い込み))。
それに、穀物を育てながら、畑を保守しながら、計画に戦略にロジスティクスにストラテジーに取り込まれて生きるのではなく、その時々において、メシの種(獲物)を見つけて狩りをする戦術や技術やタクティクスやアートや道(タオ)を追求するというのも一つの生き方であろう。男だね。侍だね。無形の型。戦略などないので強い者だけが生き残る。生き残ったから強い。まさに逆転の発想。なんということでしょう。匠の遊び心が光ります。お前ならどこへ行ってもやっていけるさ。じかい、ほくとのけんつ~!奥義、万物流転!誰だ、日本人は農耕民族だから、みたいなことを言ったやつは。責任者出てこい(とは単純には言えないのだろうけど。経済は生き物で、強弱の違いこそあれ、両面の才能は必要だろうから)。
・・・・・・少し落ち着きました。
さて、では、はてなは、どんな立場を取るのか。
名人主義のSNSへ向かうか。2ちゃんねらの底辺にいるようなアホの流入を前提にして、文明化するのか(一時期、そちらに傾きかけた・・・というか、あの時のはてな社長は血迷っていたのだろうか?)。今は、どちらでもない、なんだかよく分からない、迷走している状態だ。
それとも、近松門左衛門が虚構と現実のはざまに真に我々の心をうつものがある、と言ったように、迷走状態のはてなであるからこそ、我々の心をうつものがあるのだろうか?"不満を言う楽しみ"。"馬鹿な子ほどかわいい"。"灰色の魔女(違う)"。なんかね~、"相手の優越感をコントロールする"のがサービス業だとしたら、『あたしは、はてながどうしたっていいと思うし、何も言わないわ。はてなはよくやったと思うもの』ですよ(と、また話が明後日の方向へ)。
僕は就活生だ。
ということで、僕が就職ということについて思っていることを書く。
一応、スペックとして書くと大学三年生で工学系を専攻している。成績は普通より上程度。
正直に言うと、就職なんてどうでも良い。
生きていく上で必要なだけお金が貰えれば、入社する会社はどこでも良い。
趣味も読書以外ないし、結婚もする気がないのでそうお金はかからないはずだ。
就活仲間に言うと不思議に思われるのだが、ベルトコンベアーの仕事のように毎日同じ事をして、新しいことを求められない創造性の無い仕事が理想だ。
就活のセミナーとかに参加すると声だかに叫ばれる『やりがい』の訳が判らない。本気で理解ができない。
なんだよ『やりがい』って。
「~が大変ですけど、そこにやりがいを感じますね」とかいう表記をよく就活サイトとかで見るが、こいつはドMか何かじゃないかと思う。
毎回初めてのことをやる責任がかかって、毎回融通が効かない仕事をして、お金をもらうとか苦痛以外のなにものでもないだろう。
頭は使わないに越したことはない。
エラーが枯れた職場で、適度な責任を持ち、毎回同じような融通が利く仕事をこなして、お金をもらう方がどう考えても楽だし、上だろう?
こんなことを思っているのだが、企業の面接でいうと一発でアウトなので一応、僕も着飾った受け答えをする。
なんだか、解体中の高炉が人気らしいですが、ココロ社の人の解説(http://d.hatena.ne.jp/kokorosha/20090218/p1)は一般市民には難解なので、同じく一般市民の私が解説を試みてみます。
しかし、なにぶんにも一般市民なので、間違い等ございましたらご指摘ください。
さて、解説に移る前に、一体何の写真を見ているか分からなくなるので、まずはこの話をします。
製鉄ってのは、まあ、読んで字のごとく鉄を製造することですが、その主な原料はというと、鉄鉱石と石炭と石灰石です。といっても、これらを高炉にぶち込めば鉄が出てくるわけでもないので、製鉄所内には前処理をする設備がありますし、さらに、ストックする場所、荷揚げのための港なんかもあります。
原料の前処理が終わると、ここでようやく高炉の出番です。
高炉では熱風を吹き込み、石炭から作ったコークスを燃焼させ鉄鉱石を加熱し、また、鉄鉱石中の酸化鉄をコークス中の炭素で還元し、ケイ素を石灰のカルシウムで溶かし、鉄とスラグを作ります。こうして出来た鉄は、都度冷やしたり溶かしたりするのは馬鹿げてるので、溶けたまま製品にする工場まで運ぶ設備があります。また、高炉から溶け出ているのは、鉄といっても銑鉄という奴で、そのまま商品になるわけではありません。
それを鋼にするのが転炉です。
転炉では酸素を吹き込んだり、脱リン剤を加えたりして精錬し、鋼へと転換します。こうして出来た、溶けた鋼は、丸や四角の穴の開いた鋳型で板や棒に整形され、冷えきる前に何度も圧延され、整形されて、丸や四角やレールや色々な形の棒状製品だったり、色々な厚さの鉄板だったりに整形されます。
それが製鉄所です。以下が詳しいです。
一般的高炉について。
キーワードは、ベルトコンベア、熱風炉、トーピードカー、転炉でしょうか。次は、今回の舞台となった高炉について
google mapでみてみましょう。今回の第5高炉の近くには第6高炉があるようですね。第6高炉は縮尺が違います。明らかに大きいです。
いきなりですが、高炉本体は写っていません。写っているのはベルトコンベアと、熱風路、熱風路の煙突です。
これはよくわかりません。これだと思います。
ようやく高炉の本体が見えました。といっても、ほとんどは排気管や原料の投入設備などですが。
この踏み切りはここら辺でしょうか。広い構内を沢山の原料や重い鋼材を運ぶには鉄道が一番なのです。
たぶん「今日一日安全に仕事をして(無事に家に)帰ろう」という意味合いだと思われます。なにせ、写っているプレハブを見て分かるように、解体している物はめちゃくちゃでかいんです。崩れたらひとたまりもありません。事故なく元気なのが一番なのです。
最初の部分ですね。この4つの塔は熱風炉です。google mapを見たところ、銀色の煙突の向こうにもう一つ、合わせて5つの熱風炉があるようです。
ちなみに、一番左の、上に緑、下に青のネットのかかった煙突は何処にあると思いますか?実はこれだと思います。ちょっと離れてますね。
このでっかい坩堝、転炉といいます。最初の方で言いましたが、高炉から溶け出た銑鉄をトーピードカーで運んで、製品にする前に精錬するのが転炉です。そう、運んでいるのです。高炉にあるわけじゃないんです。
煙突や位置関係、建物の高さから、おそらくこの転炉があったのはここだと思います。高炉とは別の建物だったんですね。なかの黒ゴマは耐火煉瓦の残骸でしょうか。
この「ベルトコンベア的なもの」は、排気ダクトです。ベルトコンベアは、最初の写真の、斜めに走っている白い奴です。下の図のように、高炉の上部、原料投入部の周囲4ヶ所から排ガスを抜く上昇管があり、それが2本ずつ合わさり手前奥となり、それがさらに一つとなって斜めに降りていきます。その先には排ガスの量の調整や処理する設備があります。
結局本当の本体は良く見えないって事ですね。
たぶんこれは難しいんだと思う。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20081220182504
葬式をやるときってのは、関係者一同、平常心じゃない。だから、人が死んだあと、するするとベルトコンベアーのように流れていくように、今なっている。妙にもめないように。これはむしろ、知恵でしょう(もちろん、ビジネスにも配慮して)。
そこで中途半端に選択肢をつくると、おそらくもめる。僕の経験からいってもそうで、平常心でない人間が集まるとつまらないことでよくもめる。
これは、いまから死ぬだろう人にも言いたい。自分が望む葬式のスタイルがあるなら、それを明確に残しておいてもらわなくちゃ困る。ただ、散骨がいいなあとか、無宗教にしてねってだけでは、葬式する側が本当に困る。というのも、これは死んだ人の遺志だよって側とそうはいっても葬式くらいちゃんとしようって側と、絶対に割れる。実体験でいうと、こういうしこりはあとあと困る(下手すると遺産のことまでからみだす)。こういうの、はっきりいって迷惑。僕の親父は、葬儀会場から通夜葬儀の大体の流れまで手配してから死んだ。ようやるわと笑わせてもらったが、どうせやるなら死ぬ者はここまでやってもらいたい。
それでもベルトコンベアーに乗らない方法でやろうとおもったら、遺族が信頼できる人で、かつわりと冷静にその場をし切れる人がいなきゃいけない。で、批判は一身に受けて強引に押し切る。それだけのことができる人、なかなかいないし、これまたもめごとのもとになったりする。
そうなると、選択肢っていっても、現実にはかなり難しいと思う。葬儀屋との相談の中で選んでいくしか、普通はない。
それがいやなら、葬式のイメージを前々からよく打合せておくことですよ。みんなでイメージを共有する。おじいちゃんはいつもこういってるから、いざというときはこんな感じでお送りしましょうねって。笑い話でいいからそういう話をする。イメージをあたためておけば、いざという時に実現できる可能性が出てくる。中心となる遺族がこうやると腹をくくれば、それでいいんだから。死んでからでは、遅いんですよ。きっと。
http://www.st.rim.or.jp/~nmisaki/topics/jumpkai.html
暇な人も居たもんだ。
ネットで話題が共有されるようになってからだとこれぐらいしかないけど、それ以前にもこの手のヤツが出たという噂だけはちょこちょこある。
あなたは勝ち組だ。だから見えてない。
勝ち組が勝ち組になるのをバカにしないでくれ、そう言いたいのははわかる。
能力があって、ベルトコンベアに乗せられて上昇していくのは気持ちいいと思うよ、うん。
まぁね、僕は早慶の一般入試入学だから「学歴利用できるものはなんでも利用してやれ」というのはわかる。
正直、学歴社会に対してアナーキーな態度を取る連中の大半はたいしたことない。
Fランクにだって「凄い」人がいるかもしれないけど、東大京大の連中の方が「凄い」比率が高い
逆もしかり。というか主に逆か。FランのDQN比率は見てりゃわかるだろう。
そういえば私立のほうがバカだな。
私立の学生は(一部を除いて)受験勉強時に上位国公立の勉強量にとても及んでないのを自覚している。
早慶でも自分たちが「学歴」を「金」で買ってるのを半ば自覚してる。「親の金」で、だ。
それは処世術として「頭が悪いなりに学歴が必要な理由」を理解してるからだ。
早慶で社会に憚ってる連中が多いのは、そういう現実認識ができてる人が多いからじゃないかな。
ダンさんはすごい人。それは認めざるをえないが、やっぱ例外。
例外っていうレッテル張りでダンさんを議論から追い出すのもどうかと思うけど、仕方ないか。
※disりたいのか何なのかわからなくなったが、まぁいい
「没落エリートの出現」
http://d.hatena.ne.jp/iammg/20080730/1217359666
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51088798.html
「弾氏への応答」
http://d.hatena.ne.jp/iammg/20080730/1217439217
はてさて。
一言書きたくなったが、
はてな村に入村して日が浅い私は個人ブログでこの件に関する記事を書く勇気がない。
だから匿名でやるお!
でもこれってすごく特殊な環境にいる人たちだよねーというのが最初に抱いた感想。
まかりなりにも一流といわれる大学に席を置く私が思うに大学なんてお遊びの場だし、社会に出て立身出世するには「一流大卒」の肩書きが未だ必要なのだからじゃあ通って卒業しようかー程度のものである。
就職活動も世間や給料と相談しつつ、一応、一流と呼ばれる企業から内定をもらった。
なんら恥じることはない人生である。
恥じることがあろうとすれば私がアホウであるということくらいだろうか。
が、周囲も私以上にアホウであるので別に気にしない。
ましてや腕一本で人生渡っていこうなどというマッチョなどでもない。
そんな私から見るに、
今のシステムは別にさしたる問題もなければ不満もない。
京大でもおそらく似たようなものなのだろう。
身の丈をしっかり見るとか、足ることを知れば就職など近年は余裕である。
大学教育がお遊びでしかないのだー!云々との言はもっともであるが、
ましてやコミュ力なんかが問題なわけでもない。
変なこだわりや存在しない自分探しに没頭する姿勢こそ問題なのであって、
その泥沼を生んだものこそ能力だとか何だとか言う何かよくわからない西洋的なものなんじゃないだろうか。
年功序列…あぁ、甘美な響き。
個人的には30前くらいで嫁さんをもらい、子ども3人を立派に育てつつ定年まで勤め上げ、嫁さんと茶でも飲みながらまったりした老後を暮らしたいものだ。
そして小飼氏。
西洋的な何かにおける雄みたいなところがあるよね!
たぶんすごくすごく、自分なんかが一生かかってもとどかないくらい能力がおありなんだと思う。
でも、あなたはたぶん究極的なまでに特殊な人種ですよ。今の社会の中では。
平均化された集団の中ではやはり学歴が高い者ほど能力が高いし、(3割くらい例外がいるかも)
私がこれまで見聞きしてきた経験でもそれは実感している。
きっと小飼さんから見れば私達のような没個性的で唯々諾々と社会のベルトコンベアーに乗ってる人間はブタにも等しい存在なんだろう。
自分の先輩も後輩も似たような考え方であるし、同級生らも似たり寄ったりとなれば、多数派であると言って大丈夫だと思う。
なんだかバカバカと連呼されていることに釈然としないものを感じるが、
バカだってバカなりに生きてるんだよ!
それでもがんばって生きているのです。
それをあまりバカよばわりしてもらいたくない。
せめてアホウと言ってくれ!
それに暗に死ねと言われても
この根性、もう直りませぬ。
みなさまご期待ください。と言いたい所だが、
私達だってこれまでずっと殻の中から社会を見てきた。
志すところだってある。
変えていきたいものもある。
その辺を少し生暖かい目で見守ってもらえませんかねぇ!
書いてみてすごく支離滅裂になってしまった。
己の魂の未完成を恥じる。
追記
まぁあれだ。
痛いニュース(ノ∀`):「割ってみると楽しかった」 出荷間近のスイカ計約90個を割った小3男児と小2男児を補導
433 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2008/07/29(火) 00:20:25 ID:oVcwL//60 この90個のスイカが破壊されたせいで 市場に供給が不足勝ちになり、一般家庭にも影響が及びそうだな 普段なら1200円のスイカが、1500円くらいになるかも。
いや、ネタだろうけどさ。
俺、夏場のスイカ出荷量日本一のさる産地のさる選果場でバイトしてたんだけどさ
この町の人口は2万人ぐらいだぜ?
おぎゃーと生まれたばかりの赤ちゃんから、今にも死にそうな爺さん婆さんを含めて2万人。
それに対して、たった1日でしかもたった1箇所の選果場に運ばれるスイカの数が3万個。
大きさは、小さくても片手で持つのはつらいくらいで、大きいものは両手で抱えてもしんどいほど。
これがベルトコンベアーに乗ってごとごとやってくる。
1日3万個
それを冷房もない選果場で、汗だくになってちょっとTシャツを汗で透けらかした女子高生バイトが箱に入れる。
1日3万個
それをムサいおっさんと、ムサい男子高生バイトがパレットというフォークリフト用の台に積む。
1箱には1??4個入ってるので1日1万箱ぐらいか。
女子高生バイトは選果機がじゃまで俺のところからはあまり見えなかった。
1日3万個
これぐらいスイカを見ると、挙句の果てに何に見えると思う?