はてなキーワード: 食道がんとは
しかし人間関係のためなら毎日欠かさず飲む必要はなかったし、ウィスキーをストレートで飲む必要もないだろう。
さらには酒を飲みすぎて複数の友人に内視鏡検査を勧められながら、
内視鏡を飲み込むのが不快だからと、トンデモ本を根拠に定期検診は無意味と正当化した。
明らかに確証バイアスで判断を間違えている。彼がさんざん批判的に書いてきたバカの行動そのものだろう。
彼自身も、定期検診を受ければよかった、酒の飲み方も変えればよかったと後悔している。
自分も山崎元氏の考え方に感銘を受けてインデックスファンドを始めた一人だからこそ、
彼の考え方に沿って彼自身を愚かだったと断言する。
「用心していれば病気を100%防げる(山崎さんはそれに失敗した愚かな人)みたいなヒドいコメントが目立つ。そんなに単純なら誰も死なないわけだが」
うちの親父はまぁもう死んだんだけど、
白血病で5年位入院して退院して10年くらいまぁ畑仕事やら日曜大工やら楽しんでその後に食道がん見つかって2年位で死んだんだけど、
食道がんの抗がん剤治療のとき、一年位立ってたかなぁ。時期はあんまり覚えてないけど、まぁ少ししてから風邪引いて気管支炎みたいな感じになって、そこからずっと肺機能が戻らず、喘息持ちみたいになったわけで、
まぁいつでも咳き込むわけですよ。
そこからはみるみる弱るわけ。
でもまぁ多分風邪も、面会に行ってた僕らば持ち込んだわけなんだけどさ。
だからなんていうか、元々ある程度弱ってた人が肺にダメージ受けたら戻らないし寿命が縮むと思うという当たり前の話なんですよ。
じいちゃんとかばあちゃんに、あのとき自分が持ち込んだコロナのせいで、あれからずっと咳が続いて苦しそうだなとか
まぁそういうふうに思う、感じる人がそれなりに出てくるっていうのはね。
どうしても防げないケースもある一方、
防ごうと思えば防げたというケースも多いわけでなんだかねー。
なんていうか、致死率とか死者数しか見ないって、QOL下がっても問題ないでしょって考え方なわけじゃない?
飲めないわけではないので、仕事や親族の集まりなどでは飲むが、わざわざ酒を買ってきて自宅で飲もうと思ったことがない。
まず、酒などは客観的に言ってそんなに美味い物ではない。目の前に最高の酒と最高の肉があって選べるなら、まともな人は肉を選ぶと思う。ふつうに、手間をかけて調理したものの方が美味しい。
第二に、酒は身体に悪い。酒は百薬の長だとか、適量なら健康に良いと言うのは、現在ではデマであると証明されている。酒はどんなに少量でも、脳に悪影響があるし、食道がん、胃がん、肝臓がんなどの原因になる。
「酔いたい」という気持ち自体は分からなくはないが、それはリストカットなどと同じ単なる自傷行為である。多くの場合、本人や周囲への影響が小さいから問題にならないだけであり、本質的には病気なのである。
特別な席でのみ酒を飲むのは分かるが、自宅で一週間に数回以上酒を飲むのは、明らかに飲みすぎである。
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慶北慶山に住む70歳の男性1人がコロナ19で8日、死亡した。国内51人目の死者である。慶尚北道によると、この男性は先月26日、経産でコロナ19確定判定を受けて安東医療院に入院した。以後4日、東国大レース病院音圧病室に移送され、治療を受けたが、8日に死亡した。
大邱でコロナ19に2人追加死亡した。これ国内の死者は計53人である。保健当局によると、9日午前2時20分頃、嶺南大病院で75歳の男性が呼吸困難で死亡した。普段肺線維症を患っていたが、男性は1日、咳や呼吸困難の症状を示し、8日嶺南大病院の緊急治療室で治療を開始した後、確定判定を受けた。同日午前6時15分頃には、啓明大学東山病院で69歳の女性が死亡した。先月24日に発熱の症状を示し29日大邱医療院選別診療所を訪れたが、女性は1日確定判定を受けた。基礎疾患はないことがわかった。
19:45大邱でコロナ19 1人追加死亡...大邱36人・国内54人目
大邱で国内新型コロナウイルス感染症(コロナ19)確定者1人追加で死亡した。これにより、大邱地域の死者は36人、国内の死者は54人に増えた。大邱市は慶北大学病院で治療を受けていた82歳の男性が、この日の午後3時54分ごろ、死亡したと発表した。この患者は、基礎疾患に食道がんを患ったことが分かった。
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10日大邱でコロナ19確定者4人が追加で死亡した。大邱地域死者は40人で、国内の死者は58人に増えた。大邱市によると、62歳の男性が9日午前、死亡した後、コロナ19確定判定を受けた。彼は7日、検査を受けたが、当時は音声であった。 76歳の女性は、慶北大病院隔離病棟で治療中に死亡した。普段糖尿病を患っていた。先月22日に確定判定を受けた59歳の女性は、啓明病院で嶺南大病院に電源れ治療を受けて死亡した。基礎疾患はなかった。慢性気管支炎を患っていた71歳の男性は、5日確定判定を受けて、集中治療室の治療中に死亡した。
大邱でコロナ19死者が1人より出てきた。 10日、大邱市によると、死者は83歳の女性である。去る2日発熱、下痢の症状で、大邱医療院で検査を受けて、次の日確定判定を受けた。以後肺炎所見で音圧病床で入院治療を受けたが、この日の午前10時43分ごろ死亡した。患者は基礎疾患として高血圧を患っていた。これにより、大邱地域の死者は計41人で、国内の死者はすべて59人に増えた。
大邱で国内新型コロナウイルス感染症(コロナ19)確定者1人追加で死亡した。これにより、大邱地域の死者は42人、国内の死者はすべて60人に増えた。大邱市は3日コロナ19確定判定を受けて、翌日、大邱医療院音圧病床に入院して治療を受けていた80歳の女性が10日午後3時55分に死亡したと発表した。この患者は、基礎疾患として高血圧と糖尿病を患ったことが確認された。
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大邱でコロナ19による61人目の死者が出た。保健当局によると、10日午後8時ごろ、慶北大病院音圧治療室で79歳の女性Aさんが死亡した。 8日発熱と呼吸困難の症状を示していが、病院の緊急治療室を訪れたAさんは、すぐにコロナ19確定判定を受けた。 Aさんは普段、認知症を患ったし、高血圧があった。
11:02益山で治療を受けた大邱確定者が死亡...国内62番目
大邱地域コロナ19確定者1人が益山円光大学病院で11日死亡した。国内62人目の死者である。全羅北道によると、円光大学病院で治療を受けた84歳の女性Aさんが午前8時20分頃に死亡した。 Aさんは、先月22日、コロナ19確定判定を受けて大邱嶺南大病院で診療を受けて29日圓病院に運ばれた。 Aさんは、移送時に肺炎や呼吸困難などで重症の状態であり、多臓器不全で透析を受けてきたことが分かった。
大邱でコロナ19による死者が追加発生した。国内63番目、大邱地域では44回目だ。死亡者は87歳の男性で、11日午前8時20分頃、大邱医療院で死亡した。この男性は2日峡ャ保健所でコロナ19の検査を受けて4日確定判定を受けた。 6日、呼吸困難と全身衰弱症状で漆谷慶北大病院の救急室に来院した。 7日大邱医療院に移送され、診療を受けて、11日に死亡した。
20:30慶北でコロナ19 2人追加死亡...慶18人全国65人
慶尚北道でコロナ19確定者2人が死亡した。慶北死者は18人、全国の死者はすべて65人に増えた。慶尚北道は11日、コロナ19確定判定を受けて入院していた90歳の患者と74歳の患者が、この日死亡したと発表した。去る4日確定判定を受けて金泉医療院に移送された90歳の患者は、この日の午前9時58分、肺炎で死亡した。この患者は、基礎疾患に糖尿病、認知症、血圧、退行性関節炎を患った。同日午後1時30分、国立中央医療院で敗血症で死亡した74歳の患者は、通常、糖尿病、高血圧、狭心症を患っていたことが確認された。
21:40大邱でコロナ19追加死亡...大邱45人全国66人
大邱で国内新型コロナウイルス感染症(コロナ19)確定者1人追加で死亡した。大邱死者は45人に増え、全国の死者は66人になった。大邱市は11日、基礎疾患に狭心症、高血圧などを患っていた84歳の女性が、この日の午前8時ごろ死亡したと発表した。
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京畿道城南市盆唐私の考え、病院で確定判定を受けた新型コロナウイルス感染症(コロナ19)患者1人が死亡した。 12日ウン・スミ城南市章Facebookを介して「昨日(11日)午後10時ごろ、毎分私の考え病院感染者した方が死亡されました」と述べた。死者は龍仁市に居住する82歳の男性で、6日毎分私の考え、病院で確定判定を受けてミョンジ病院に運ば隔離されて治療を受けたが、終了死亡した。基礎疾患としては、肺癌を患っていた。この男性の奥さんも同じ日に確定判定を受けて、現在城南市医療院で隔離治療を受けている。
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08:44毎分私の考えの病院感染者1人が死亡...全国68人目
試合城南でコロナ19確定者1人が死亡した。首都圏では3番目、全国68番目の死者だ。城南市は毎分私の考え、病院でコロナ19確定判定を受けて城南市医療院で隔離治療を受けていた77歳の女性が13日午前6時38分頃、死亡したと発表した。肺がん患者の女性は、集団感染が発生した毎分私の考え、病院本館8階81病棟に入院したが、5日に確定した。
大邱でコロナ19確定者1人が死亡した。これ死者は合計69名である。大邱市によると、13日午前2時頃、大邱医療院で85歳確定者が死亡した。高血圧などの持病を患ってきたが確定者は、3日にコロナ19確定判定を受け、入院治療中だった。
13:29大邱でまた1人死亡... 70人目の死者
大邱でコロナ19で治療を受けていた確定者が13日に死亡した。この日の大邱で発生した2回目、国内70人目の死者である。大邱市によると、同日午前8時40分頃、啓明大学東山病院で入院治療中の75歳の女性が死亡した。この女性は4日峡ャ保健所でコロナ19確定判定を受けて5日発熱・呼吸困難の症状を示してい啓明東山病院音圧病室に運ばれた。基礎疾患として高血圧と糖尿病を患っていた。
慶北東国大慶州病院でコロナ19国内71人目の死者が出た。慶尚北道によると、東国大レースの病院で治療を受けていた77歳の女性が13日午前11時35分頃死亡した。この女性は、コロナ19集団感染が起きた青島対南病院の介護者に21日確定判定を受け金泉医療院に移送されたが、症状が悪くなって、25日に東国大レース病院に移された。基礎疾患として高血圧と糖尿病を患っていた。
16:22大邱・慶北のみ4人... 72人目の死者出
13日大邱でコロナ19死者1人追加しました。大邱・慶北地域で、この日だけ4人死亡、国内の死者は72人に増えた。大邱市によると、この日の午後1時15分頃、慶北大学病院で入院治療を受けていた86歳の男性が死亡した。この男性は、挙動不便と左側股関節部位の痛みの悪化で2日慶北大学病院の緊急治療室を訪問した後、コロナ19確定判定を受けた。高血圧、認知症、脳卒中などを患っていた。
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釜山でコロナ19確定者1人が死亡した。釜山で発生した最初の死亡者であり、国内の73回目だ。釜山市によると、13日午後10時40分88歳の女性患者が、釜山大病院で死亡した。慶北青島対南病院近くの居住者であるが、患者は3日清道郡選別診療所でコロナ19の検査を受けたが、「音声」の判定を受けた。以後、症状がひどくなり、12日、病院を訪れたが、確定されて入院した。普段心臓病・高血圧・脊椎狭窄症を患った。
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大邱でコロナ19で治療を受けていた80代の男性が死亡した。大邱で52番目、国内77人目の死者である。 16日大邱市によると、先月28日に発熱と呼吸困難に慶北大病院の救急室に来院したA(84・男)氏は29日、確定判定を受けた。去る1日音圧隔離病床に入院して治療中だった。
大邱ファティマ病院でコロナ19確定判定を受けた後、病院で治療を受けていた71歳の男性と64歳の女性が死亡した。国内の死者は79人に増えた。 16日、慶尚北道助け大邱市によると、70代の男性Aさんは化学療法を受けている間、過去15日確定判定を受けた。 60代の女性は、高血圧など基礎疾患を患っており、過去12日確定判定を受けた後、入院治療中だった。
コロナ19確定判定を受けた81歳の女性が16日に死亡した。国内80人目の死者である。高熱・悪寒の症状を見せたが、女性は今月5日確定判定を受けて金泉医療院に入院した。以後肺炎が悪化して国立中央医療院に電源たが、この日に死亡した。基礎疾患に糖尿病と高血圧を患っていた。
大邱で新型コロナウイルス感染症(コロナ19)確定判定を受け、治療中だった65歳の男性が16日、死亡した。大邱地域死者は54人、国内の死者は81人に増えた。大邱市は慶北大学病院で入院治療中の患者が、この日の午後12時35分ごろ死亡したと発表した。先月21日、コロナ19確定判定を受けたが、男性は先月28日、心停止が発生して機関の挿入と心肺蘇生治療を受けている。この男性は、基礎疾患に糖尿病と食道がんを患っていた。
人はそう簡単に変われないとはいうけれど、弟から言わせれば楽勝らしい。
事の発端は数週間前、俺たち兄弟は課題のために最寄の図書館へ行ったんだ。
今日び資料集めをそこだけで済ませるってのもどうかと思うが、あながちバカにできるものでもない。
偏狭な馬面教師を満足させるのに、こういう場所にある本は都合が良いのさ。
「『社会科学における価値判断と、その真理妥当性』だ。著者は忘れたが、そんなことを言及している本があったはず」
「うげえ、テーマを聞いただけで吐きそう」
「慣れれば吐かないさ。或いは吐くこと自体に慣れる。船酔いと一緒でな」
「そこまでして乗りかかった船にいたくねーよ」
だが、そこで降りてしまえば、後で確実にコウカイするだろう。
少なくとも壊血病は避けられない。
「ところで、お前の船はどうなんだ。まさかテーマすら決めてないのか?」
「見くびるなよ。テーマは『この国が抱える借金を誰が払うべきか?』だ」
「ほう、如何にも大人が喜びそうなテーマだな。だが、お前的には“吐きそうな話”じゃないのか、それ」
しかし弟は学校も学年も違うので、教師は偏狭でもないし馬面でもない。
「弟よ、お前さっきから“ま”の段落ばかり探しているが、パソコンで調べたりしないのか?」
「必要ないよ。こういう本は『マンガで分かる~』で統一されてるんだから」
「……まあ、お前の課題だ。好きにするがいいさ」
弟は結局、目ぼしい本がなかったようだ。
或いは見つけたものの読む気力が失せたのか。
「トイレに行く」と図書室を出て行き、しばらく戻ってこなかった。
「本、借りたんだ」
「外国の本だから読み解くのに時間がかかりそうでな。翻訳の問題なのか、随分とクドい書き方をしてあるんだ」
「なんでもいいから、用が済んだなら早く帰ろうよ。あそこの肉屋でハムカツ食ってからね」
「お前の小遣い事情なんざ知らん」
急かす弟に促され、俺はゆるりと帰り支度をはじめる。
「バイトしてるんだしさ、ハムカツ位おごってくれてもいいじゃんか」
「お前にハムカツをおごるためにバイトしてるわけじゃ……ん?」
ふと弟の手元にある小さな本が目に留まった。
いつの間に借りたんだろうか。
「お前は、その本を借りるのか?」
「えーと……これは買ったんだ」
「なんだそりゃ」
俺たちが利用した図書館はビルに備え付けられた一角であり、他にも様々な施設が存在した。
間借りできる部屋もいくつかあり、そこで何らかのカルチャースクールだとかセミナーがよく開かれている。
つまり弟は本探しに飽きて、トイレに行くと言いながら辺りを散策していたんだ。
で、やっていたセミナーに体よく引き込まれ、挙句に講師の自著まで買わされた、と。
「いくらしたんだ、それ」
「……1000円」
「ハムカツを腹いっぱい、レモンソーダと一緒に味わえただろうな」
本のカバーは無地で飾りっ気がなく、淡白なフォントで『誰でも出来る自己改革』と書かれていた。
紙質は粗悪ではないようだが、安価なメモ帳よりはマシってレベルである。
こんなもの買わされる弟も情けないが、ガキ相手に売りつける方も大概だ。
「あ、でも近いうちにまたセミナーやるらしくて。その時に返してくれるらしいんだ」
「ふーん……ん?」
弟がそう言った時、俺はそのセミナーの言い知れない違和感を覚えた。
だが俺は自分の課題で手一杯だったのもあり、そのことを深く考えなかったんだ。
あの状況で、弟におごるのが癪だったってのも勿論ある。
「えー!?」
いま思えば、ハムカツ代を半分くらい出してやるべきだった。
「失踪日記」で知られる漫画家の吾妻ひでお(あづま・ひでお、本名日出夫=ひでお)さんが13日未明、東京都内の病院で死去した。69歳。北海道出身。葬儀・告別式は近親者で行った。食道がんで闘病していた。
1969年にデビュー。テレビアニメ化もされた人気作「ななこSOS」のほか、「ふたりと5人」などのギャグ漫画を多く手掛け、「不条理日記」などSF・不条理をテーマにしたマニアックな作品でも注目された。
一方で、2度も失跡したり、アルコール依存症で入院したりするなど型破りに生き、漫画執筆が何度も危ぶまれた。心身が回復する過程で壮絶な実体験を漫画に描き、2005年「失踪日記」として出版。同年の日本漫画家協会賞大賞と文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、06年の手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞。ロングセラーとなった。
脱サラしました、と言うと聞こえが良いのかもしれませんが、どうしても会社員が続けられなくなったので、唐突に、二十数年ほど勤めた、大手の会社を辞めました。いただけた退職金は雀の涙ではありましたが、そのお金で少しの余暇を楽しむことができました。
さて、その後、残ったお金で何をしようかと考えました。
私には、家族が、いません。
私には、恋人は、いません。
もうかれこれ7年以上使っている携帯電話の連絡帳も、仕事で使っていた連絡先しか入っていません。風俗にも行かないもので、女性と会話するのは、商店街にある総菜屋の女性ぐらいです、私の母ぐらいの年齢ですが。あとは、たまに利用する、時報ぐらいでしょうか。
会社員時代は、企画戦略室という場所で窓際に座っていました。ずっとコンピュータに向かい、エクセルやパワーポイントのグラフと睨めっこばかりしていました。データ集めとそれを見やすくして上長に提出し、それを使ってもらうのが私の仕事でした。何ヶ月かけて集めたデータも使われなければ報われませんし、役立たずになってしまいます。きちんとした資料を作ることができると良いのですが、褒められる事などなく、それは当たり前でした。そして、私よりも若い人が、私の何倍もの速度で、私よりも良いものを作るようになっていきました。コンピュータの基本ソフトが変更になると、私が覚えたこと一部しか使えなくなり、勉強の日々でした。若い人はすらすら使えるんですよね。若さはいいものだ、と身に染みました。それでも、長年、お世話になった会社に、上長に、少しでも力になればという思いで働いていました。
そんな私が、会社員を辞めて始めてみようと考えついたのは、リヤカーでの弁当販売でした。ずっとオフィスに缶詰だった私ですから、外で、人に、直接、何かを売る、そんな仕事がしたいと思いました。会社員だったころオフィスにそのような弁当販売の方はいらっしゃってましたし、ビルの1Fなどでもたくさん見かけていたので親しみがあったのです。
この歳まで生涯独り身ですので、料理は出来ないことはありませんでしたし、大体のものは作れます。最近ですと、インターネットで検索をすれば、作り方がすぐに出てくるのでどなたでも時間さえあれば簡単ですね。大きな鍋や調理器具、大きなガス炊飯器などを買い進めました。初期投資としてはさほどかかりませんでした。
販売に関しての法律を勉強しました。とはいえ大したものではありません。行商としての申請、保健所への申請の2つだけです。区に該当の手続きをすればすぐに始めることができました。このときは意外にすんなり終わって「これでいいのか?」という気持ちでした。
お弁当容器のパックを何種類か選びます。もちろん捨てられるもので、なるべく安い物。色は白いものがやはり売れるようでした。あまりパックが薄かったり弱いと、箸で固い物などを切ろうとしたときに箸が貫通してしまいご不便をかけてしまうことなどもあります。この選定は何度か繰り返してやっと今のものに落ち着きました。
パックもそうなのですが、おそらく最も大事なのはお箸の選定です。これは本当にぴんきりで、安すぎて、これはどこの木なんだろう?というお箸もあります。普通に箸として使っているだけなのに、固い物を切ろうとしたときに折れてしまったりするものや、使う前に二つに割る際に、きちんと真っ直ぐに割るのが難しいものや、割った面がボソボソになってしまい、手にトゲが刺さってしまうようなものも。また、爪楊枝が同梱されているものされていないもの。爪楊枝が入っていると箸を取り出すときに手に刺さるから嫌いな方もいらっしゃいます。お客さんの要望をたくさん聞いて分かった部分がたくさんありました。
販売するお弁当には、製造者や賞味期限を印したシールを貼る必要があります。最初はすべて手書きしていたのですが、いまでは日付部分をスタンプで打刻するようにして余計な作業を減らすことができました。時間があるならできる限り美味しい料理を作るか、路上で販売する時間に充てたかったからです。
おかずについては、日替わりのものは毎日(といっても平日だけですが)私の弁当を食べておられる方がバランスのとれたものを召し上がっていただけるようにしています。それとは別にレギュラーな定番商品(ハンバーグ、唐揚げ、焼肉弁当とか)も用意しています。毎日唐揚げ弁当を買っていかれる方なんかもいらっしゃって、お身体大丈夫なのかなと一度聞いてみたところ、土方で仕事をされている方で、体力をつけなきゃいけないのでとおっしゃってました。
ご飯については、現在私は、ご飯とおかずは別のパックにいれて販売しています。最初は、よくあるコンビニの幕の内弁当のように、1つのパックにご飯とおかずを入れたものを販売していました。ですが、お客さんに聞いてみると、特に女性の方ですが「雑穀米が食べたい」「ご飯はいらない」「ご飯は少しでいい」のような要望があることが分かりました。それ以降はご飯を別にして何種類か準備することで対応しています。これが非常に評判がよくて、雑穀米は原価が高く少し値段があがるのですが、毎日最初になくなってしまいます。
販売する時間については、基本的に12時から13時ですが、オフィスによって少し遅めの時間(13時〜)がありがたがられることも少なくありません。最近のIT会社さんなんかは始業時間が遅めで、昼休みも遅めになっているとのことで。私の世代はアフターファイブが原則でしたから、これについても調査をしなければ気付くことはありませんでした。また、逆に、夕方から夜の販売も試してみたのですが、こちらは全くといっていいほど売れませんでした。もしかするとどこかに需要があるのかもしれませんがこれは私の腕不足でしょうか。
非常にありがたいことに、味の面ではとても広くご好評をいただいております。最近では、予約販売や、専任契約などのお話を会社さん側からいただくこともあり、有り難い限りです。ですが、予約も専任も私はする気がありません、とお断りさせていただいています。私は、ずっと、路上で、今のこの形態で売りたいのです。また、はるばる遠方(電車で数駅程)から私の弁当を買いに来て頂く方までいらっしゃいます。本当に頭があがりません。そういう方に特別サービス!はさすがにできないのが悔しくて仕方有りません。
通常ゴミになるお箸が入っている袋を、特定数集めて頂くとお弁当が1つ無料になるサービスもしています。ですがこれは使ってくださる方はほとんどいないのが現状です。やはりゴミでは難しいんでしょうか。他のお弁当屋さんではスタンプカードやサービス券のようなものを付与しているようですが、少し煩雑になってしまうため導入は検討中です。そこにコストをかけるなら、料理に少しでも良い食材を使いたいと思ってしまいますね。
私の名字を弁当屋の名前にしています。みなさん名字で呼んでくださりますが、下の名前を聞かれた常連さんからはその名前で呼ばれたりもします。私もそういう方にはお名前を必ずお聞きして一人たりとも忘れたことはありません。みなさん大切なお友達です。本当にいつもありがとうございます。
他のお弁当屋さんの調査も欠かせません。私が販売している場所では他に4〜5社?さんぐらいいます。ただ、リヤカー専任なのは私だけで、他の方達は近くに弁当屋さんを構えていたり、近くの中華屋さんだったりします。最近ではココイチさんがリヤカーにカレーを入れて持ってきて販売していたりもします。私はカレーは作りませんので良いですが、同じことを大手のチェーン店さんとかにされてしまうと少し大変かもしれません・・・。
ほぼ毎日全てのお弁当をお買い上げいただいています。ご飯が残ったりするぐらいですが、100円などで置いておくとご飯だけを買っていかれる方も多く、そちらも問題なく売れています。すべて私が一人でやっているので、一日に販売できる数には限りがあり、買いに来て頂いてももう売り切れですと伝える際にとても悔しい思いをすることもあります。そういう方は必ず覚えておいて次回に何かしらサービスさせていただいてます。本当にすいません。どうしてもどなたかを雇うというのは出来ず難しいのです。すみません。
そんな弁当屋を続けてかれこれ5年ほどになりました。
売り上げは、6畳一間の家で男が独り身で暮らすには、ちょうど良い身の丈の売り上げがあり、なにより色んな方の笑顔に会えるのが嬉しく、毎日楽しく過ごしています。
そんな中、半年ほど前から、少し喉に詰まりを感じるようになりました。声がかすれたりもするようになりました。風邪かなと思っていましたが、それが非常に長引き、ほんの一週間ほど前、吐いた痰に血が混ざっていました。すぐに病院にいって精密検査をしていただいたところ、食道がんという診断を受けました。ステージは2で、ちょうど、明日から入院になります。
悔しくは、ありません。
早く治して、弁当をまた、手売りで売れるようになればいいなと思います。
たくさんの方の、笑顔にまたお会いしたいです。
美味しいですって言ってくれた方の顔、全員覚えています。忘れません。
悔しくなんか、ありません。みんなありがとう。
自由な形式の葬式を選択する人もいるよ。
叔母さんがそうだった。食道がんだったので、結構死ぬまでに時間があって、それでいろいろと遺言っぽく葬式のやり方を指定した。
話したい人が、前に出て故人のエピソードを語り、一通り終わったら市営の火葬場で焼く、それだけだった。
そんな簡素なのでも2日かかった。
ちなみに、その時の故人のエピソードで叔母さんがすごい人だと判った。叔母さんの恋愛は小説化され、映画化され、シリーズ化され8まで出てた。タイトルは知っていたし実話だとも知っていたが、叔母さんの事とは知らなかった。
だから、何かしら、ああいったことは必要なんじゃないかな、と思ったのです。