はてなキーワード: 皇籍離脱とは
女系天皇は前例がないとして反対する右翼、女性が天皇になることについて国民統合の象徴だとして賛成するリベラル(本当の左翼は天皇制は廃絶すべきだというのが筋であろう)も合意できる解決策が実はある。
それは、現天皇、秋篠宮、あるいは悠仁親王の精子を、公募し匿名で選んた第三者の女性の卵子に受精させ(匿名性は宮内庁が厳重に管理する)、それをたとえば愛子の子宮に移植する方法である。この場合愛子は代理母であって、皇籍離脱せずに天皇の母となる(天皇になっても良い。女性天皇は前例がある)。もちろん匿名の卵子提供女性は皇室に入ることは一切ない。これを男子が生まれるまで何回か繰り返し、悠仁親王のスペアを確保する。
・数年前まで雅子妃はわがまま、大嫌い。それをかばう皇太子(現天皇)も嫌い。小和田家に天皇家は継がせたくない。
それに比べて秋篠宮家は素晴らしい。みたいなのが保守っていうか皇室好きの人たちの主流意見だったと思う。
それが今は秋篠宮家は皇室の恥。それに比べて愛子さまをはじめとする現天皇家は日本の誇りみたいになってる。
コークスクリュー並に手のひらくるくるしているけど、彼らの頭はこういった宗旨変えになんの葛藤も感じないのか。
・最近、やたらと愛子さまの有能さを褒め称えるような発言が多い。愛子さまが有能であればあるほど国民の中で「次期天皇は愛子さま」って声が高まる。
つまりネトウヨが大嫌いな女系天皇の実現に近づくことになると思うのだが。以前は女系天皇になったら日本は終わりぐらいのこと言ってなかったか。
・ヤフコメ見てると秋篠宮家の皇籍離脱を望む声が多い。もし、そうなったら多分、秋篠宮家の人たちは大喜びで離脱すると思うよ。
それはともかく、よくわからんのは皇籍離脱を望む人たちが、一方で皇室の繁栄を望んでいることだ。秋篠宮家が離脱したらいよいよ愛子さま以外には(子供が産める)皇族がいなくなるのに。愛子さまが結婚しなかったり、子供産まなかったら終わりじゃん。
眞子氏が小室氏と出会ったICUという大学では、入学式で新入生みんなが「学校生活において世界人権宣言を遵守すること」を誓う学生宣誓に署名する。
https://www.icu.ac.jp/globalicu/pledge/
みなさんは、その世界人権宣言の中身ってどんなものか知ってますか。
第一条
すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。
第二条
1 すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。
2 さらに、個人の属する国又は地域が独立国であると、信託統治地域であると、非自治地域であると、又は他のなんらかの主権制限の下にあるとを問わず、その国又は地域の政治上、管轄上又は国際上の地位に基づくいかなる差別もしてはならない。
第四条
何人も、奴隷にされ、又は苦役に服することはない。奴隷制度及び奴隷売買は、いかなる形においても禁止する。
第五条
何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱的な取扱若しくは刑罰を受けることはない。
第六条
すべて人は、いかなる場所においても、法の下において、人として認められる権利を有する。
第七条
すべての人は、法の下において平等であり、また、いかなる差別もなしに法の平等な保護を受ける権利を有する。すべての人は、この宣言に違反するいかなる差別に対しても、また、そのような差別をそそのかすいかなる行為に対しても、平等な保護を受ける権利を有する。
第八条
すべて人は、憲法又は法律によって与えられた基本的権利を侵害する行為に対し、権限を有する国内裁判所による効果的な救済を受ける権利を有する。
すべて人は、自己の権利及び義務並びに自己に対する刑事責任が決定されるに当っては、独立の公平な裁判所による公正な公開の審理を受けることについて完全に平等の権利を有する。
第十一条
1 犯罪の訴追を受けた者は、すべて、自己の弁護に必要なすべての保障を与えられた公開の裁判において法律に従って有罪の立証があるまでは、無罪と推定される権利を有する。
2 何人も、実行の時に国内法又は国際法により犯罪を構成しなかった作為又は不作為のために有罪とされることはない。また、犯罪が行われた時に適用される刑罰より重い刑罰を課せられない。
第十二条
何人も、自己の私事、家族、家庭若しくは通信に対して、ほしいままに干渉され、又は名誉及び信用に対して攻撃を受けることはない。人はすべて、このような干渉又は攻撃に対して法の保護を受ける権利を有する。
第十三条
これで全部。眞子氏の境遇に照らしてみれば、皇籍離脱前の彼女の人権がどれだけ制約されていたかが改めてわかる。民主主義国家を標榜する日本で、大半の日本国籍の人々が当然のように享受している人権の多くが制約された、とても特殊な立場の人が、自らこの大学への編入を選び、4年間の教養教育で人間中心主義(humanism)の理念と気風を涵養され、立派に「人間」になった。というか、人間としての自覚を得た。そういうことなのだ。
ちなみに天皇は敗戦後に「人間宣言」したと言われているけど、実は「ぼかぁ人間なんです、すまんかった」などとは言ってない。原文の官報詔書『新年ニ當リ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス國民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ』(1946/1/1)、別名『新日本建設に関する詔書』に書かれている該当箇所は
朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ
となっている。「天皇は現御神で、日本国民は優越民族で、世界を支配する運命にある」という戦前に言ってたことは「架空なる観念」でした、としか言っていないのだ。じゃあ現御神ではなくなった天皇が戦後どうなったかといえば、「日本国及び日本国民統合の象徴」になった。それはもはや神ではないし、といってただの人間=日本国民でもない。それは「日本は一体である」という(敗戦後にギリギリの交渉の結果残すことができた)国民国家のファンタジーをまるごと引き受ける、人間ではない何かだ。天皇と皇族は「平和憲法を遵守する新国家」を象徴する「何か」として、常に国民をいたわり思いやる理知的で心優しいファミリーの役回りを多世代にわたって演じ続けることになった。それって、ありていに言えば「人形」でしょ。
かつてのように神聖不可侵でもなく、かといって市民・国民としての人権を与えられてもいない「人形」は、やがては人々のおもちゃにされてしまう。今はみんながそれを使って「人形遊び」という娯楽に興じている。政治家や宮内庁職員や皇室ジャーナリストや評論家らが「本人が言った言葉」とその解釈のあいだにいくらでも恣意的な読み替えを挟み込むのも、メディアが皇居というドールハウスの内情について真偽不明のゴシップを書き立てるのも、辛酸なめ子や倉田真由美が赤の他人同士の結婚について大仰に憂いたり消耗したり絶望したりしてみせるのも、本質は人形遊びだからだ。相手が人間ではないから、そういう非人間的な扱いをしても許されるし、人形のほうが「与えられた役柄」を勝手に逸脱し始めたら嘆いたり憤ったりしてもいいのだ。
本件をイプセンの『人形の家』をひいて論じていたのは、意外なことに山口真由ぐらいだったけど、今回の騒動を見ていて、天皇家が「人形の家」ではないと言い切れる人はだいぶ減ったんじゃないか。人形の家には人間は住めない。だから、人間になった眞子氏は人形の家を出た。
窮屈な人形の家を、人間が住めるような間取りと風通しにしてやらない限り、そのうちまた同じことが起こるだろう(直近では、同じ大学で同じように「人間」に目覚めてしまった佳子氏にも同じことが起きるかもしれない)。風通しを良くするには、これまで75年にわたって「人形遊び」をしてきた我々自身がこの遊びを卒業して、その他の「市井のなんでもない人々」に接する時と同じような儀礼的無関心を貫くことなんじゃないかと思う。ことさらの敬愛も嫌悪もいらない。ただの人間として扱い、他のただの人間に抱くような尊重の念を持って接しよう。
天皇制を支持する人に聞きたいんだけど
自分の意見の穴は指摘されても論点をずらしたりスルーしたりする
そして相手の強弱一体で構成されてる意見の比較的弱い部分だけを切り取ったりフォーカスしたりして批判を展開する
そういうところが如何にも天皇制廃止論者と思わせるから、まとまな議論を期待できないよね
こういう部分なんて少し考えれば相手が言っていることは一般的にありえる内容だと理解できるのに、自分の意見の陣地に引き込むことしか考えていないのがありありとしている
意見を交わす気なんてなくて自分の都合のいい論点で攻撃して天皇制維持支持者はこんな程度なんですよみたいに持っていくのが目的としか思えない
他人の意見が推測であることは批判して、自分の意見が推測であることは省みることをしない
皇籍復帰とか女性継承権とか、あなたニュースすらも見ずに天皇制うんぬんを言ってるの?
この2つを実行すれば、あなたの言う人権侵害はなくなると思いますが。
天皇家に残った人の人権はどうなるということが予想されますが、権利が制限されている立場は世の中にたくさんありますよ。
そこから離脱できる方法があるかないかなので、自ら望んでその立場にいるものが人権の概念上で許される範囲内の制限を受けるのは問題ないはずです。
普通に想像した場合に、窮屈だからという理由で天皇制廃止を皇族が望む可能性が低いことは分かりますよね?
もちろん時代に合わない部分を改めてほしいという希望は持っていると思いますが。
しかし、それを少しでも言い出せば天皇制廃止を虎視眈々と狙っている人たちがいるわけですから、そちらの人たちの方が随分と暴力的で人権を軽んじる姿勢に見えますよ。
2134年11月6日、日本の天皇が崩御した。天皇に子はなく、この日をもって象徴天皇制は廃止、日本は共和制へと移行することになる。
直前の世論調査によれば、皇室の存続を望む者は8割を超えていた。にもかかわらず、皇室は消滅した。それはなぜか。
かつて、20世紀半ばに活躍した政治学者の松下圭一は「大衆天皇制論」という小論を書いている。そのなかで松下は、第二次世界大戦以前の天皇制と戦後のそれとでは、制度を支える心理が大きく変化していることを論じた。すなわち、戦前において畏怖される存在だった天皇は、戦後の人間宣言を経て、愛される天皇へと変化したというのだ。
松下はさらに、愛される皇族の条件として、「平民」として恋愛もする一方、「小市民層の日常的要求の理想」でもあらねばならないとした。つまり、普通の人間であると同時に、優れた人格をもつことが期待されるようになったというのだ。
この観点からすれば、戦後の皇族はみな一様に大変な努力を重ねたと言えるだろう。時折、スキャンダルのようなものが噴出することはあれど、大衆の期待に沿うべく、「理想化された平民」を演じ続けた。
だが、大衆の願望は、皇族が人間として生きていける限度をはるかに越える水準に達した。
それが顕著に表れたのが、結婚をめぐる問題だった。皇族の結婚相手は、大衆の意を受けたメディアから厳しい精査に晒され、わずかでも問題があるなら、苛酷なバッシングの対象になった。
結婚した後も、プレッシャーは続いた。皇室の厳しいしきたりに加えて、男子を生むことを求める強烈なプレッシャーはしばしば女性皇族を精神的に追い詰めた。そして、それによる体調不良までもが、メディアでのバッシングの要因となった。
そのような皇族の有様をみて、いったい誰が我が子を皇族に嫁がせようと思うだろう?
皇族が適齢期に達すると、同年代の名家の子女たちは結婚を急ぎ、間違っても自分が「見染められ」ないよう必死になった。皇族との結婚を決意した者も、「理想化された平民」を求める大衆の餌食となり、やがて消えていった。
保守派は旧宮家の皇籍復帰を叫んでいたが、皇籍離脱から長い年月を経て「理想化された平民」像には遠く及ばない彼らの復帰を大衆は認めなかった。保守派とて「理想化された平民」像から逸脱する皇族を必死で叩いていたのであり、いわば自業自得であるとも言えた。
元々基本的人権が侵害されているという大きな大きな問題はあるのだけれど、それにも増して昨今の皇室批判は常軌を逸していると思う。今現在Twitterのトレンドに挙がっている「#眞子さまに皇籍離脱婚を願います」とか、本当に怖すぎる。皇室相手であれば何を言っても反論されないということを皆が学んだ結果、メディアも国民も眞子様と小室さんに言いたい放題。公共の電波を使って、小室さんが出した文章の稚拙さをみんなであざ笑う様子はただただ醜悪だった。国民が寄ってたかってこの2人を虐めている様子は、さすがいじめ先進国日本って感じで悲しい気持ちになる。どこかで誰かがきちんとストップを掛けないと、この皇室関係の話は第二のQアノンの温床になると感じるのは私だけだろうか。皇室関連の話題が統合失調症患者を引き寄せてる感じがする。
現政権の支持基盤は保守的で女系天皇への布石になりかねない女性宮家を望んでいない為、どのような形であれ女性宮家が容認される事態は避けたいはずです。
しかし、現状何もしなければ世論は賛成のままです。皇位継承問題は一般に広く理解されているとは言い難い上、フェミニズムや男女共同参画など女性が関わる問題の議論は一般的に「面倒くさい」ことから男性は消極的賛成、または反対しづらい空気感を何らかの形で自己に利益誘導するために賛成し、女性はただ賛成するだけで得なので盲目的に賛成する。産経・FNN合同世論調査の女性宮家「賛成」64%はこのような世相を反映したものかと思います。
政治的な理由で反対するような層は絶対数が少ないので世論を反対へと傾ける為には、極端に言えば女性が関わる議題に女性自身が盲目的に反対する、不自然な状態が必要です。
その試みの一つが今話題になっている「圭殿下」「圭さま」に関する報道ではないでしょうか。
メディアは営利企業なので数字が取れない、売れない記事や番組は作りません。小室氏に関わる連日の報道量から小室氏は稼げる美味しいネタである事は確かで、これらの報道には昼の情報バラエティ番組や女性週刊誌等、「女性」視聴者層を重視している傾向が見られます。そしてメディアの大多数は小室氏を否定的に扱い、秋篠宮家が納采の儀は行えないと発言した程度に女性を含めた一般大衆にこの結婚に反対する世論が既に形成されているのが現状と言えるかと思います。
このような状況の中で小室氏は女性宮家問題を単純化する為の鍵で、既に形成された世論を「結婚反対」から「女性宮家反対」へと変質させる、触媒としての影響力があるのではないでしょうか?
「あの小室が『圭殿下』『圭さま』になる」という切り口で女性宮家問題を世に問えば女性を含めた一般大衆の世論を女性宮家反対へと傾ける、現政権の意向は達成できます。
世論の追い風に政権と足並みが揃っていればメディアも皇室タブーの瀬戸際まで収益化でき、利害も一致しています。
小室氏が試験に落ちるなど更に悪材料が増えるケースなども想定できますが、ここでは小室氏がメディア上で得た特殊な立ち位置が彼に有利に働きます。
これまでの事例から宮内庁は財閥や旧華族の家系・華族系企業の後ろ盾がある守谷慧氏のような人物に、その後ろ盾と皇室タブーを最大限活かした清廉潔白な「無菌室」路線の、よく言えば特化、悪く言えば一辺倒のメディア戦略を用いる組織と言えるかと思います。
後ろ盾が無い小室氏のような厳密な意味での一般人はただでさえ扱い慣れていない「異例」で、身辺調査などを減らした秋篠宮家のリベラルな方針とも相容れず、早々にメディア対策は崩壊しました。
が、「異例」であるがゆえに幸か不幸か、彼は現在はトランプ大統領と同じく醜聞のしきい値がない、いわばヒール役のような立ち位置を獲得した特殊な状態にあります。
そこで問題となるのはこのしきい値を最終的に決めるのが他の誰でもない秋篠宮家のみである事です。
仮に秋篠宮家がしきい値を、司法試験の当落に設定したとしましょう。
この期に及んで長女の結婚問題を撤回する事は皇位継承順に関わる子息の教育方針、ひいては秋篠宮の「家の在り方」の間違いを公式に表明することを意味します。
そこまで直接・確定・破滅的な選択肢を「試験に落ちた」程度で採る可能性はどれほどでしょうか?
チリが積もるとは言っても、メディアが血眼になってようやく見つけた「国立音大附属小時代の同級生が受けたいじめの話」程度ならいくらあっても今更問題になりません。
秋篠宮家にとって小室氏を切り離すことは小魚を三枚におろそうとするような自殺行為で、彼は既に秋篠宮家の一員と言っても過言ではないのが実情です。
彼が犯罪など破滅的な事態を自ら引き起こさない限り、「撤回」は選択肢にすら挙がらないのではないでしょうか。
報道を追っていると、一見「納采の儀は行えない」「経済的自立」「国民の祝福」など様々な意向や条件が示されているかように見えますが、これらはどれ一つとして秋篠宮家が公式に表明した事ではなく、何者かを経由した二次的なソース、伝聞の類でしかありません。
試験に落ちた程度なら「再試験を待ちつつ日系企業の法務部に籍をおいて働く」ではどうでしょうか?
「結婚の撤回」で負けを認める、ただこれさえしなければ現実はいくらでも根回しが可能です。菊の御紋で照らせば黒は白になります。
長くなりましたが今後の予想としては、「女性宮家反対」世論を強化・維持したい意向に忖度したメディアが「悪感情を抱かせつつも致命的ではない」内容で好感度が一定以上上がらないような報道を定期的に続けて、現政権は小室氏の弁護士試験結果が出るまで2年程度の期間で皇位継承に関わる問題解決全般に当たるものと思われます。
何らかの形で女性宮家不成立が確実視された暁に副次的な結果として「圭殿下よりマシ」な皇籍離脱からの結婚、辺りになるんじゃないかと思います。
小室氏がメディアにもたらし続ける経済効果も実績に含めれば、SPの警備費用程度は既に社会に貢献していると言えるのではないでしょうか。持参金分もカバーできているかもしれません。誰か暇な人居たら数字を出してください。