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はてなキーワード: 宮城県出身とは

2023-05-27

anond:20230527120144

名古屋神戸は、市外の県民みんな出身地言う時に言ってる気がする。

横浜は違う気がする。鎌倉とか横須賀とか知名度プライドありそうだし。

仙台分からんけど、普通に宮城県出身って言ってる気がするなぁ。

2022-06-07

藤村 新一(ふじむら しんいち、1950年昭和25年5月4日 - )は、日本の元考古学研究者特定非営利活動法人東北旧石器文化研究所」元副理事長

発掘に携わった遺跡から次々と「新発見」をしたことから神の手ゴッドハンド)」と呼ばれ、一躍脚光を浴びたが、後に自作自演によるものだったことが判明した旧石器捏造事件引き起こし人物として知られる。捏造発覚後再婚し、妻の苗字を名乗っているため、藤村旧姓である宮城県出身

2021-09-13

anond:20210909210614

敢えて私学で別学校を選ぶってなら放っておけと思うんだけど

世の中には公立高校地域進学校)が男女別って県がある。

こういうのは選べないので、本当に困る。

私は宮城県出身だが、10年くらい前に全廃されました。

今でも群馬県とか埼玉県ではそうらしい。

2021-07-14

宮城県水道3事業運営権を売却へ 国内で初めて: 日本経済新聞

村井宮城県知事「大規模イベントの開催ルール範囲内であればまったく問題なし」 五輪有観客の方針変えず

みやぎ

みやぎって威勢がいいな

こんな意見宮城県民の多数派なのだ

東京宮城県出身者が占めていれば安倍菅の望む反日でないあるべき日本が維持されていたのでは

2020-08-01

ハロコン2020宮城公演の感想メモ

ハロコン2020宮城公演の感想メモ


全体的な感想

  • 全般的ステージが近い
  • MC矢島舞美さんは,原稿棒読みをできるだけ避けようとしていた(同じ意味でも自分言葉で話そうとしていた)印象
  • 同じチームの公演でも,日ごとにパフォーマンスも印象も変化する
    • 特に開催地が変わると歌唱順も変わり,それが印象に与える影響は絶対にあるが,個人的にはそれほど大きいとは感じなかった
    • 開催地の変化というよりは,1週間ほど日数が空くことによる,その間の日々の各者の歌への取り組みによるパフォーマンスの変化の方が大きく感じた
  • なので,あるチームの公演を一度観ても,別日の同じチームの公演を観る価値はあると思う(もちろん財布と相談だが)
  • チームごとの魅力として B > A は変わらず

以下各チームの感想だが,表記は下述の通り:

  1. 歌唱者名: 『曲名

Aチーム: 0725昼

  1. 松永里愛: 『ただ泣きたくなるの
  2. 岡村まれ: 『M』
    • 良くなっていた;特に前半切なさが出ていた;後半はやはり平板に感じた
  3. 新沼希空: 『会いたくて 会いたくて』
    • 良かったが,一曲通じて同じ感じで,少し単調だったか
  4. 江口紗耶: 『Lemon』
    • 相変わらず謎に良い
  5. 井上玲音: 『糸』
    • 相変わらず良い;中音域の響きが素晴らしい
  6. 西田汐里: 『PRIDE
    • 声があっていないという印象は変わらない;前後半で変化を付けると平板さが減るのではないかと思う
  7. 段原瑠々: 『見上げてごらん夜の星を
    • 2回声が少し裏返った;まだ段原版のこの曲がどういう感情を伝えようとしているのか理解できていない
  8. 船木結: 『大阪で生まれた女』
  9. 羽賀朱音: 『もしもピアノが弾けたなら』
    • だんだん良くなってるが,これも新沼さんと同じで一曲通してトーンが同じなのが平板さに繋がってるように思う
  10. 加賀楓: 『楓』
    • 良い;大阪2日目より良かったと思う;サビより大サビを盛り上げる感じがもう少し欲しいか
  11. 小林萌花: 『私はピアノ
  12. 譜久村聖: 『僕は君に恋をする
  13. 高瀬くるみ: 『Time goes by
  14. 小片リサ: 『明日へ手紙
  15. 石田亜佑美: 『なごり雪
    • 大幅に良くなった;ほぼ声の震えがなくなった(まだホンの少し残っているが)ことにより,本来の切なさがちゃんと伝わるようになった;一挙に上位集団に躍り出たと思う
  16. 秋山眞緒: 『春なのに』
    • 歌い方と声質のせいだと思うのだが,演歌っぽく聞こえてしまうのが難
  17. 川村文乃: 『未来へ』
    • 技術的なミスは3ヶ所ほどあったように思うが,それを補って余りある情感で素晴らしい

チーム内での個人的評価は,

  1. 第一集団加賀さん,譜久村さん,高瀬さん,石田さん,川村さん
  2. 第二集団井上さん,船木さん
  3. 第三集団岡村さん,江口さん,小林さん

という感じ。

第一集団にあえて順位を付けるとすると,大幅に良くなって驚きを提供してくれた石田さんがトップで,高瀬さん加賀さんが続き,その後に川村さん譜久村さんという感じ。

Bチーム: 0725夜

  1. 里吉うたの: 『赤い風船
  2. 小野瑞歩: 『I LOVE YOU
  3. 佐藤優樹: 『ひこうき雲
    • 低音は多少改善されたようだが,今度は高音が苦しそうだった;前回高音あまり気にならなかったこから考えるとたぶん調子が悪かったのだろう;合った音域ではブルージーな声が出ていて本家より良いのではと思うくらいなので(というか本家は声が独特すぎる),この不安定さがなくなればという期待はある
  4. 金澤朋子: 『Jupiter
  5. 上國料萌衣: 『さよなら
    • さよなら」の「ら」で切らずに「らぁ」と少し弱めに伸ばす感じになっていて,前回の個人的な不満が解消された;その結果ものすごく良くなってて,その効果は「さよなら」の部分よりもその直後の部分(「もうすぐ外は白い冬」や「そのままのキミだけ」等)に現れて,切なさが強く表現されているように感じた
  6. 島倉りか: 『スローモーション
  7. 山岸理子: 『想い出がいっぱい』
    • まだ不安定だが,音を外すのは大幅に減ったのでは
  8. 野中美希: 『Hello, Again ~昔からある場所~』
    • 歌い方が変わったように感じた;個人的には好きな歌い方に近づいた(まだ裏声への切り替わり等数ヵ所にハロプロ歌唱っぽさが残ってはいると思うが)
  9. 佐々木莉佳子: 『ハナミズキ
    • 息の流れが気になる箇所が大幅に減って素晴らしく良くなった;感情表現は前回同様素晴らしかったので,トータルでトップクラスのパフォーマンスだったと思う;歌を聴いて泣くことは滅多にないのだが,少し泣いてしまった
  10. 伊勢鈴蘭: 『三日月
    • 引き続き素晴らしかった;今回は高音が少し苦しそうな箇所もあったように思うが,本人はMCコメントで「今までで一番入り込めた」と言っていたので,苦しそうな感じも含めての感情移入だったのかもしれない
  11. 小野田紗栞: 『プラネタリウム
    • 今回も良かった
  12. 高木紗友希: 『ワインレッドの心』
  13. 平井美葉: 『海の声
  14. 稲場愛香: 『明日への扉』
    • 可愛い」ではない歌い方を模索している印象;一部それができてるなぁと感じるところもあって,あの歌唱が全編でできたら新しい表現がでてくるんじゃないかという期待は感じた
  15. 北川莉央: 『ありがとう
    • 本人コメントとは異なる(矢島さんのコメントと被る)けど,一部本家に寄せようとしてるのではと感じたところがあった(どこか忘れたが「る」の歌い方等);彼女くらいの歴だったら,まずは本家をできるだけ完璧になぞるのを目指しても良いのではと思う(個性の追求はそのあとでも良いと思うし,モノマネに走らなければ個性なんて自然とにじみ出てくるのでは)
  16. 前田こころ: 『366日』
  17. 森戸知沙希: 『会いたい』
    • 高音の必死さがだいぶ減って表現する余裕が少し出てきた印象(特に前半);「悲しい歌」と言いながら笑ってしまう森戸さん実に森戸さんらしくて良い;実はバラード向いてないのかもしれない(笑)
  18. 生田衣梨奈: 『キミを忘れないよ』
    • フラットしてる印象は前回比でだいぶ減った;でもまだ精度を上げている段階ではと(個人的には)思った

こちらのチーム内評価

  1. 第一集団金澤さん,上國料さん,島倉さん,佐々木さん,伊勢さん,高木さん
  2. 第二集団小野さん,平井さん
  3. 第三集団前田さん

という感じでかなり激戦。3人1組の2番目のブロック金澤さん,上國料さん,島倉さん)がとにかく強くて,そこに他ブロック強者が食い込んでいった感じ。

こちらも第一集団にあえて順位を付けるとすると,技術的に大幅に改善されて飛躍的に聴きやすくなったことで,もともと強いエモさがより強烈に伝わるようになった佐々木さんがトップ,次いで同じく改善された(というか自分の好みに近づいた)上國料さん,僅差で高木さん伊勢さんが並び,また僅かな差で島倉さん金澤さんという感じだった。

A,Bとも開催地宮城県出身のメンバートップだったのだが,これは自分としてはたまたまで(もちろん彼女らが凱旋公演ということでより一層研鑽した可能性を否定する気は全くない),2人とも前回個人的欠点と感じた箇所がほぼ解消されて,歌の良さの伝わり方が大幅に良くなったことによるところが大きい。。

cf. anond:20200724054425

2019-10-27

初めて本気で人を殺したいと思った話(かつての同僚Tのこと)

昨日、胃痙攣を起こして、胃液もどしつつ、苦しい中、ぼんやり、かつての同僚Tのことを考えてた。


私が初めて胃痙攣を起こしたのは、29歳頃で、仕事ではデスマーチ(デスマ)の真っ最中だった。

過労と睡眠不足が重なって、身体限界だったんだろうね…。でも、突然、すごい目眩不快感吐き気が一度にやってきて、原因も分からなくて号泣しながら便器にゲーゲー戻してた。 それ以降、くせになっちゃってるから、もう10数年のお付き合いになる。

同僚Tとは、その頃一緒にデスマを乗り切った頼れるやつで、「業務システムとかやってたら、身体持たないから、IT業界も辞めたい」とか真っ先に私が相談したのも彼。 会社辞めて、2年位ニートやってた時も、都度都度飲みに誘ってくれたっけ…。

結局、その後彼も身体壊して(慢性疲労症候群鬱病だったらしい)、会社をやめて、それから転々としてた。 結局、無理が効かない身体になると、仕事をロングスパンで続けられなくて、どんどん蓄えもなくなって、それに伴って精神状態もどんどん悪くなっていった。

宮城県出身の彼は、3.11家族と大半の親族を失ったことが決定打だったかも。 喪失感で、頼れるのは一緒に住んでる猫だけ、生活保護アルバイトプログラム下請けで、なんとか喰ってる感じだった。 私も、彼には立ち直って欲しくて、金を無心されて、家賃の建て替えとかしてあげた。 40万くらい貸してたんじゃなかろうか。

2年前のある日、警察から電話あって、彼が死んだことを知る。 飼っていた猫が死んで、もう生きていけなくなったか自殺したらしい。

遺書には、あなたのことが書いてあって、死後のことは任せたい、とあるのですが」

もうこの時ね、彼を殺したいと思ったよ。 っていうか、もう死んでるんだけどさ。 少なくとも、責任感の強い奴だったから、金は返してくれると思ったし、もう一度立ち直る姿を見せてくれると信じてたから、裏切られた気持ちで、悔しくて、久しぶりに声を出して泣いた。

熱い胃液を戻しながら、「もう一度久しぶりにTに会いたいな」と脳裏では思っていた夏の夜だった。


2015年07月27日日記転載です

2016-08-11

ミソシル作戦

監督はこう言いきった。

「糞を食わせるしかないんですよ。みんなそれが好きなんです。」

血走った目の監督は古いオタク特有の捲し立てるような喋り方で僕に詰め寄った。

僕は映画制作会社で働くアシスタントディレクター言うなれば奴隷だ。粗末な食事過酷労働今日現場の指揮を高めるため、味噌汁を作る。ちなみに費用は自前だ。僕はそのぐらい映像に本気なのだ

適当に謎を散りばめて、思わせ振りなカットを挿入して、自分の好きなものパロディで埋めれば映画なんて簡単です。ははははっ。」

「はぁ。」

僕は味噌汁をかき混ぜながら生返事をした。このヒゲモジャの監督は新進気鋭のアニメ映像監督。というにはもう旬をすぎているが極々一部の層にカルト的に支持を得ている今どきの日本では珍しい存在だ。僕は形だけ丁寧に接していた。そうしたら妙になつかれてしまったのだ。

「だからアニメ撮り方映画撮り方を分けすぎるから駄目なんです。だからうんぬんかんぬん。」

僕はだんだんイライラしてきて我慢出来なくなりその監督に煮えたぎった味噌汁をぶちまけた。あたりに仙台味噌の良い薫りが漂う。僕は宮城県出身なのだ。すると監督はまるで巨大な生物兵器であるかのように咆哮をあげてあたりを破壊しだした。泣きながらである。僕は怖くなってしまった。

するとどうだろう。急に怒りが止んだかと思うとピクリとも動かなくなってしまった。

「ふぅ~…!ふうぅぅ~…!」

よく聞くとどうやらまだ生きているようだ。自己愛性憤怒という奴だろうか。味噌汁を作りすぎて飲むもの飲むもの水さえも味噌しかしなかった時に駅前メンタルクリニック先生に聞いた言葉だ。

監督…?大丈夫ですか?」

騒ぎを聞き付けた他の奴隷がかけつけた。

「んんん!!」

かと思うと動かなかった監督が急に動いて彼らをはねのけた。どうやら近づくもの無差別迎撃するようだ。なんて恐ろしい。

味噌汁をかけてしまったのは僕である僕にがなんとかしなくちゃいけない。急いで残った味噌汁をよそって監督に静かに近づき、後ろから無理矢理味噌汁を捩じ込んだ。どうだ。現場の苦労がわかったか。僕の目尻には何故か涙が浮かんでいた。

「う、うまい…」

そういって監督の目から涙が流れたかと思うとまた動かなくなってしまった。

いつか動きだすかもしれない。だが僕達はやりきったのだ。

感動の嵐が現場に吹き荒れるなか

「さっさと完結させてから別の事やれよ…」

という声がどこからともなく聞こえて、消えた。

おしまい

2011-03-31

忘れる前に君に伝えたい2011年3月11日金曜日に起こったこと

君にはどうか、忘れないでいて欲しいんだ。

2011年3月11日金曜日に起こったこと。

そしてその後に起こったことたちについて。

君はちょうど小学校下駄箱にいて、下校する直前だったらしいね。

ママはその時、会社会議室にいたよ。

揺れ始まってまず見たのは、時計だった。君が学校にいる時間なのか確かめたかたから。

だけど運悪くそれはちょうど君が下校するくらいの時間だったね。ママ不安不安で、揺れの恐怖よりも君のことばかり考えていた。

幸いにも君は学校を出る前だったみたいだけど。本当に、君が一人で道路の真ん中で怯えていなくて良かったよ。

揺れは、長かった。

建物はきしみ、壁にかかっていたものが落ち始め、天井プロジェクターは私の頭上で振り子のように揺れていた。

そして最後蛍光灯がジジジと不気味な音を立てて消え、とうとう揺れは収まった。

とにかく、長かったよ。

ママはこりゃ大ごとだなと思ってね。だって電気が消えちゃったんだもの。

ライフラインが断ち切られるなんて、初めての体験だったから。

揺れたこと自体はママはそんなに恐怖じゃ無かったよ。ずっと、見てた。

どんな風にどれくらい揺れるのか。

「いいから机の下にもぐれ」って、隣の先輩に怒られたんだけどね。

でも、見たかったんだ。世界を確かめなくちゃって思った。くっきりとそう考えたことを覚えてる。

目をこじ開けて、全部を、見たかった。

会議室にはその時職場の人全員がいて、誰からともなくみんなが声を出していたよ。

「まだ揺れてるから、動かないで」「上注意だよ。プロジェクターが危ない」「揺れ強いよ。まだまだしっかり」「続いてるよ。まだみんな隠れて」「みんな、大丈夫?怪我してる人はいないよね?」って

あちこちで声が上がっていた。ママは一番下っ端だから、じっと黙っているだけだったけれどね。

良い職場だな、と思ったよ。世の中の人たちはどんな感じであの揺れを耐えたんだろう。

君はお友達と一緒だったんだよね。良かった、一人じゃなくて。

お友達が「バスたい!」って喜んだそうだね。良かったよ、頼もしいお友達を持って。

あんなこと、きっと君が生きている間にはもう二度と起きないと思う。と、信じたい

から、覚えていて欲しいよ。大事な記憶になるはずだから

ママ会社から退社の許可が出て、一番最初会社を飛び出したんだよ。

ママ会社って何百人もの人が働いている工場なんだけど、一等賞だったんだよ。すごいでしょう?

だって、君が心配だったからね。

車に飛び乗って、車のナビでNHKチャンネルを回したんだ。どんな状態なんだろう、と思って。

その時に見たのは、街が海に飲み込まれていく映像だった。ハリウッド映画じゃないよ。生中継だ。

大津波警報って、なんだ?大津波?この映像は?現実なの?一体、どこなの?どこの海で津波が起こってるの?

さっぱり訳が分からなかったよ。だって、信じられるかい?街が海に浸かるなんてことを。

そしてそこは、君も知っている場所なんだよ。

一旦車を家に置き、自転車立ちこぎで猛スピード小学校に着いた。

最初ママも顔見知りの君の友だちに会ったんだけど、その子は顔を真っ赤にして泣いていたよ。当然だね。不安だっただろう。

でも君は不思議と泣いていなかったね。

硬い顔で

「さむさが限界だよ」

とぽつりと言った。ワンワンと泣いたのはママの方だった。

帰り道には冷たい雪が降ってきて、街がどんどん暗くなってきた。

街は不安に包まれていた。

あの時、不安は形になって、色になって、私たちの住む街に降りていていたと思うよ。少なくとも、ママにはそう見えた。

君の手を、痛くなるくらいぎゅうっと何度も握り返したよ。

これは大ごとだ、って。確かめるように何回も考えた。

かに大ごとだったんだよ。

ママテレビも見れず、知らない間に、津波宮城県の全ての沿岸部を根こそぎ持っていってしまった。

岩手も、福島も、青森も、茨城も海に浸かった。

でもママはそれを知る手段がなかったんだよね。

唯一手元にあったのはラジオだけで、でもラジオでは津波がどれだけの陸地を飲み込んだのかは想像できなかった。

君と一緒に何度も行った公園も、なくなったよ。

君と一緒に飛行機を見た空港も、ぐちゃぐちゃになったよ。

君と一緒に行ったことのあるショッピングモールも、水に浸かったそうだよ。

君と一緒に遊んだサイクリングできるあの場所も、なくなったよ。

君と一緒に船に乗ったあの港も、君と一緒に買い物をした市場も、みんな、みんな、波が持っていってしまった。

私がそれを知ることができたのは、それから何日も経って家に電気が来てからだったけど。

本当はね、3月12日土曜日には

君を仙台空港の近くの海のそばにある公園に連れて行くつもりだったんだ。

からもしもあの地震が一日ずれていたら、私たちは死んでいたかもしれないね

だってあの場所に、あん津波が来るなんて全く想像つかないよ。正直、今でも信じられない。

そしてその場所に私たちがいる可能だって大いにある。

そこは確かに、私たちの日常だった。

それが、一瞬でなくなってしまうなんて。

どうやって信じたらいいのだろう。

もう、あそこにはすべり台はないの?って君は訊いたね。

ないよ、ってママは答えた。

もう、あそこには公園作らないの?って君は訊いたね。

どうかな、ってママは答えた。

あの公園お気に入りだったのにって君は言ったね。

ママお気に入りだったんだよ。

でも、誰も悪くないんだ。あの公園がなくなったことも、何もかも、全部。

どうか、君には忘れないでしい

あの日あの時、起こったこと。

そしてこれから起こるであろう全てのこと。

ママたちは津波の影響がなかったから、家を片付けて、ライフラインが復旧すれば

とりあえず身近な日常に帰ることができる予定だった。はずだった。

でもそれを壊したのは、あの原発ニュースだった。

真っ暗な家の中で、唯一の情報源ラジオだった。

掌に収まるほどの小さなラジオが、大事な大事な全ての情報源だったんだ。

いや、新聞もあったか

こうやって考えると皮肉なものだね。

ママは普段からパソコンだの携帯だのって、デジタル漬けになって生きていたのに

結局あんな時に頼ることができたのはアナログだけだったんだものね。

ラジオから貰える情報は限定的だった。音声のみのデータでは、余りにも物足りなかった。

でもNHKアナウンサーは繰り返し、福島原発が良くないということを伝えていた。

最初は、電源が使えなくなって冷却ができない状態に陥ったこと。

次は、核燃料が溶けているかもしれないこと。

そして、爆発したこと。

ママ新聞ラジオしか、知ることができなかった。

情報が圧倒的に不足していた。

から、とにかく怖かった。不安だった。

からないっていうことは、不安ということなんだと、今回とくと思い知ったよ。

情報と知識があれば、何事にもそれほど恐れずにすむことを。

からやっぱり君にはしっかりと勉強することを勧めるよ。

知識は人を強くするから

知らないってことは怖いことなだって、気付いた時には遅いこともたくさんあるだろうから

何が起こっているか、分からないこと。これから先、どうなるか分からないこと。

それらがママをどんどん蝕んでいった。

不安は日を追うごとにどんどん大きくなった。

ラジオから枝野さんの声が流れてくるのが、怖かった。

彼が出てきて話すことといえば、やれ爆発しただの、やれ退避しろだの、やれ念のため家の中にいろだの、

そもそも原発事故ってだけでもとてつもなく恐ろしいことなのに、

その内容たるや、時間が経てば経つほどに悪化して行っている。

ママはね、自分が生きてる間に戦争が起こることって想像したことがなくて、

でもこれは、戦争だと思ったね。

その時はちょうど電気も無くて、買い物するにも屋外に商品をとりあえず並べたものを何時間も並んでちょっと買うしかなくて、

そして津波で被災した地域はそれはまるで焼け野原の様で、

ラジオからは日に日に悪くなる原発の様子を聴かされる。

ママは思ったよ。

これは戦争だ。ここは戦中なんだ、と。

そして、まだそれは続いている。

うちに電気がきて、ママはいつも通りにインターネットを使えるようになって、

スーパーも徐々に開いてきて、でも、

まだ何も解決はしていない。

日本は、混沌不安に覆われたままだ。

もうね、原発の悪いニュースが続いてばかりで

ママはある日泣いてしまったのだよ。

ラジオから二号機の核燃料棒が全て露出して、炉心が溶けたかもしれないってニュースが流れた時に

限界が来て泣いてしまった。

その時は、ママには君を守ることができないかもしれないって、本気でそう思ったんだ。

何があっても、ママは君を守り抜くって思って生きてきていたんだけれど、

うちにはパパって人がいないから、絶対に絶対にママが君をどうやったって守ろうって思っていたのだけれど、

どうも、ママにでもどうすることもできないのかもしれないって

その瞬間、身体の奥底から本気で絶望したんだ。

うちから原発まではたったの80キロほどしか離れていないからね。

原発に重大な何事かがあったら、多分我々も駄目になるだろうからね。チェルノブイリのようなことがあったらね。

すぐには死なないかもしれない。

でも、身体に影響はあるかもしれない。

君は子どもが産めない身体になるかもしれない。

いや、産めないわけじゃないかもしれないけれど

でも宮城県出身からっていう理由で差別されて結婚できなくなるかもしれない。

それ以前に病気になってしまうかもしれない。

病気で死んでしまうかもしれない。

君はたったの7年しか生きていなくてこれから先何十年も生きて幸せになるはずで、

ママ今日まで君に全ての愛情を注いで育ててきて、

でもその全てを原発に奪われるのかもしれない。

2011年3月11日まで、当たり前のようにこの先ずっと生きていくんだと思ってた。

ママ毎日会社に行って、君は学校に行って、

そうしてどんどん君は大きくなって、運動して勉強して、そのうち反抗期になったり恋したりして、

当たり前のように大人になるんだと思ってた。

でもそれは簡単に手に入るものじゃなくなった。

訳の分からないうちに。

福島原発の一連の事故に対して最初に抱いた感情は、絶望だった。悲しみだった。

次に浮かんだのは怒りだった。そして不信感だった。

ラジオ新聞情報のみの電気が無い状態では、自ら調べることはできない。焦燥感が募った。

そして、憎かった。原発が。東電が。政府が。そして、東京の人すら。

君はさ、まだ7歳で

今ここで何が起こっているかなんてことは、到底理解できないと思うんだ。

でもママには君に対して責任がある。

君の未来を守るという、責任があるんだよ。

多分君の未来には、日本未来も含まれているんだろうと思う。ひょっとした外国に永住するかもしれなけどさ。でも故郷は必要だろう?

からママ日本未来について考えなくてはいけないと思ったんだ。

調べたよ。たくさん。原発ことなんて、今まで気にも留めてなかったからね。

放射能放射線の違いすら知らなかったし、同位体って何のことだかもすっかり忘れていたくらいだったけれど、とりあえずいっぱい調べた。

ああ、余談だけど、やっぱり勉強は大事だよ。ママも昔、ちょっとはしたんだよ。化学物理もやった。そのベースがなかったら、ちょっとしんどかったかもしれない。まあそれはいいんだけど。

調べたからって正答を得られるわけじゃないんだよ、勿論。

考えなくてはいけない。どんなに困難でも、逃げるという選択肢はない。自分たちの問題だからね。

どこかで誰かが解決してくれるだろう、ってわけにはいかないんだよ。

から考えなくてはいけないよ。諦めずに、信念を持って、考える必要があるんだ。

でも一つだけ、ママには確かに分かったことがある。

人の命よりも大事なことなんてないんだってこと。

ましてや人の命よりも大事な電力なんてものもないんだってこと。

原発がなくなったら、確かにしんどいことが起こるだろうと思うよ。

とんでもなく不便で、そして貧乏になる。私が貧乏なのはまあ、いいけど、日本という国の全てが貧乏になるだろうね。

不便もどれくらい我慢できるんだろうね。今まで無尽蔵に電気を使ってきたからね。

とてもとても、想像つかないけど、どうにかできないこともないはずだと思うよ。

でも、仕方ないよ。

だって変わり始めはしんどいもんだよ。当たり前だよ。

ママ離婚したての頃はしんどかった。する前は不安だった。でも、どうにかなったよ。どうにか、したんだ。

でもこれは日本という国全ての話だからね。ママ離婚比較するのはおかしいだろうね。

国の全てがしんどくなるって分かってる方向に向かって、舵を切るのが困難だってことも分かる。

勇気がいる。痛みも伴う。そして、犠牲も。変化は怖いものだよ。いつだって、どんなことだって、そうだ。

だけど私たちは、ずっと先のことを見なくちゃいけない。これから先の、未来のことを。

今この瞬間が辛くてもいいんじゃないかな。十年後、二十年後、五十年後、百年後、いやそれよりもっと先でもいい。未来幸せになれるんなら、いいと思うんだ。

でも、原発を使い続けて、明るい未来はやってくるのかな。何百年後かの君の子ども子ども子どもだって、困るんじゃないのかな。

人間はさ、失敗するもんだよね。

でも失敗は成功のもとだよね。君にもいつも教えてるよね。

今回の失敗はさ、繰り返してはいけないことなんだよ。絶対に。

勿論、国だって馬鹿じゃないから、津波対策とかはするだろうよ。

だけど永久に絶対に安全な原発って作れるのかな。

多分、無理だよね。だって人間は失敗するんだもの。いつかは必ず、何かが起きるよね。

ママは何かが起こったときに、誰かが命張ってじゃないと止められない仕組みなんてあっちゃいけないと思うんだよね。

今もどこかの誰かが命掛けで、どうにもなんない原発をなだめようと頑張ってる。

どこかの誰かにそれを押し付けてる。

でもそれが、家族だったら?君だったら?

日本は変わるよ。変わらなくてはいけないんだ。ママにはそれがはっきりと分かったよ。

こんなこと考えたのは生まれて初めてだよ。でも必ずどうにかしなくてはいけない。

強く強く、そう思ってる。ママはなにができるのかな。きっと、何にもできないとは思うよ。

だってママ東北の片隅の工場でチマチマ働いてるだけの人だからね。政治家でも学者でもないからね。

だけど考えることはできる。そんなに賢くはなちゃらんぽらんで頼りないママだけど、君のためなら必死に考えるよ。

どうしたら、日本は良くなるのかってことをね。

2011年3月11日は、日本にとって重大な日になるはずだと思う。

君もママもこの瞬間に立ち会えたこと、そしてその渦中にいたこと、これはとてもとても貴重な経験だと思うよ。

人によっては運が悪かったって思うかもしれない。

でも、違うんだよ。

私たちはね、歴史の変わり目に立ち会えたんだよ。

2011年3月11日に始まった悪夢を、一つも無駄にしてはいけない。

私たちはそれを見てしまった。知ってしまった。

これを二度と繰り返さないために、未来に伝えていかなくてはいけないんだ。

私は君に伝えたいと思うよ。

から、どうか忘れないで

この全てのことを、忘れないで

 
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