はてなキーワード: 上位互換とは
8番出口が一本道(リニア)でもないというのはその通りで、スモールなゲームだから「8番出口」というゲームとして成立してる。
だからこそ「制約のない空間内に一本の地下通路を置いただけみたいな作り」であることと「オープンワールド内に一本の通路をフィールドとしたゲーム」が有るのは違うのであり、上位互換とはならないだろう。
言える。
そもそも、ここで言われている「一本道ゲーム」というのは「制作の都合で制限が掛けられている」ことを指している。
たとえば「メモリ容量が足りないからダンジョンだけ別フィールドにしてロードを挟む」とか。
「近道させないために現実なら越えられるような壁や段差を登れないようにしている」とか。
「ラスダンに繋がる道を通らせたくないから序盤では通行不能にしている」とか。
「各地の中ボスを想定どおりの順番で倒させたいから強制イベントにしてしまう」とか。
オープンワールドとはそういった「本来なら必要ない制約」を極力減らした作りのことだ。
オープンでもリニアでも作れるというときに、わざわざリニアを選択する理由はないから「上位互換」なのだ。
対して、8番出口は単に「一本の通路をフィールドとしたゲーム」であって一本道ゲームではない。
住んでる家で騒音被害に遭ってる俺は1日だけホテルに宿泊する流れになった、なぜそうなったかという過程と結果は今回の件にあまり関係ないため、省かせていただく。
たまたま知り合いの関係で普段泊まることのないような高級ホテルの割引券が手元にあったため、これ幸いと利用する運びになったのだが
なんだこれは
駅に直結し、交通も跡絶えることのない、酔っぱらいも歩きまくっている、いわば繁華街のど真ん中…
ということを忘れるくらいの静寂
磨き上げられた設備の数々、触ったことのないようなふかふかのベッド、デカイ風呂
なんだこれは
最っっっっっ高なんだが。
騒音のストレスで日々ネットで気に食わないやつを見ては低評価や嫌味を返信したりする俺が全てを忘れその空間に身を委ねていた、いわば瞑想。
いるだけで脳の普段使わない部分を刺激?癒やされるような感覚、語彙力がなくて申し訳ないが言いようのない多幸感に包まれた。
部屋だけではない、夕食のレストラン券もあり利用したのだが
なんだこれは
バイキング形式だっんだけどその全てがうまい、フレンチ?のような良くわからない食べ物ではなく普段食べてる様な料理が大半だったんだが
その全てが上位互換、いわばギアセカンド。今まで食べていたものが何だったのかと絶句させられるような感覚と同時に襲ってくる美味しさ。
SNSでも自身の幸せの享受だけじゃ飽き足りないのか、その幸せを振りかざし自慢し、しまいには差別用語で庶民を攻撃するような人間も毎日のように見る、億は平気で稼いでそうな政治家、タレントやYou Tuberの不倫や犯罪も毎日のように見る
もう一回言う、何が不満なの?
ホテルに泊まったその日1日だけは別にマッサージを受けたわけでもなんでもないが心と体が一気にデトックスされたかのような感覚に陥った。
引っ越しの予定ではあるが、また騒音の日々に戻りストレスがまた募りに募ってる俺はこうして愚痴を吐き出してしまいたくもなるのだが
上級国民さんは何が不満なの?
あんな生活ならすれ違いざまにラリアット食らわされても平気で笑って過ごせるよ。
ヒカキンは聖人なんて声を聞くが、そりゃそうなるよ、それが当たり前。
1日泊まっただけで色々な感動を覚えさせられた高級ホテル、
生まれてから高校までアメリカで過ごし、それ以降は日本で住み就職もしている。今20代前半。
最近X(Twitter)でこんな動画が賛否両論を生んでいた。
https://x.com/sgwhn8727/status/1627815915457839104?s=20
「子どもたちの自己肯定感を上げるため、わたしのクラスでは毎朝affirmationを言います。I am loved, I am brave, I am smart, I am kind, I am a problem solverと言い合って、ポジティブな気持ちで1日過ごせるようにします。これを毎日繰り返すことでポジティブな自分になることが狙いです。」
これを見て、自分が今まで生きてきて感じたことを色々と思い出したので少し書く。
便宜上、「アメリカ」「日本」と大きな主語を使うが、もちろん家庭や土地によって差はあると思う。
アメリカでは↑の動画のように、「あなたは素晴らしい存在である」と言われ育つことが多い。
「あなたは賢い」「あなたは強い」「あなたは愛されるべき存在」と。
日本では謙遜という概念や「能ある鷹は爪を隠す」という言葉があるように、素晴らしい能力を持った人でも偉ぶらず控えめであることが求められることが多い。
そんな日本の文化を窮屈に思い、アメリカの文化を羨ましく思う人も多いだろう。
しかし、アメリカの「自己肯定感アゲアゲ」文化には致命的な欠点が存在する。
身も蓋もないことを書いてしまうが、いくら本人が「自分は素晴らしい存在だ」と思っていても、現実は違うことの方が多い。
「アメリカは個性を尊重する」とか言ってる人もいるが、誰だってバカより賢い人の方が好きだし、ブスより綺麗な人の方が好きなのだ。それはどこの国も変わらない。
そもそも、「誰もが素晴らしい」が声高に主張される社会=そう言わなければいけない社会、ということである。
社会に出たら嫌でも自分のランクを思い知らされる。自分の上位互換がいくらでも転がっている。
自己肯定感のメッキが剥がれる瞬間が辛いなら、最初から身の丈にあった感覚を持ち生きたほうがマシではないか。
特に今、日本中国韓国の若者と同じように、多くのアメリカの若者には金も希望もない。
インフレや格差にあえぎ、親と同等の暮らしをすることをあきらめている人がほとんどだ。戦争や気候変動など世界的な問題も山積みだ。
こんな中で「自分は素晴らしい」「人生は素晴らしい」と言われても困るのである。もはや呪いでしかない。
「自分は素晴らしい」という言葉は呪いだ。なぜなら、むしろ自分のクソさに気づいたとき、そのクソさがものすごく大きく見える。
その人は「ブスの戦い方」を指南していた。美人はどうやたって生きていけるが、ブスは工夫しなければいけない。しかし、努力すればむしろブスは美人よりも大きな成果を上げることができると。
その話は「ルッキズムを植え付けるな」なんて批判されていたが、自分は感動した。
自分が美男美女ではないから生きづらいと言っている人に対して、「あなたは美しいよ。素晴らしい存在だよ。」と言うのは正しいのだろうか。
非美男美女としての生き方を提案するのが本当の優しさなのではないだろうか。
もちろん美醜だけでなく、頭が悪い、身体が弱い、など、それを素晴らしいよ・あなたの個性だよで終わらせるのではなく、弱者としての戦い方を徹底的に教え込むべきなのではないか。
そもそも、アメリカの自己肯定感は間違っている。「自分は素晴らしい」と思わせるのは自己肯定感をはぐくむことではなく
どんなスポンジケーキかということを考慮せずに、クリームをゴテゴテ塗ってごまかしているようにしか思えない。
「あなたは素晴らしい」と言われ育ったが、そうではないことに気づいてから人生計画を立て直すのに時間がかかった人はたくさんいると思う。
自分ももう大人になったし今は幸せなので、今まで受けた教育にだらだらと文句をつける気はないが、最初から人生がクソゲーだと教えられていたらもっと楽に生きられたと思う。
自己肯定感とは、どんなに自分や自分の人生がクソでもなんとか生きていける能力だと思う。
でも昨日食べたラーメンはおいしかった。信号ですれちがった犬がかわいかった。昨日より1mmは仕事ができるようになった。だからよかった。
日本の「自虐文化」は批判対象になることが多いが、実際無意識に救われてる人も多いのではないかと思う。
あと、これは書くか迷ったんだけど、アメリカの自己肯定感アゲアゲ文化は奴隷を育てるためではないかと思ったことがある。
日本の詰め込み個性ガン無視教育は批判されているし自分もどうかと思うけど、ほぼ全員に最低限の教育を施し、子供たちが次の道へ進みたいと思ったときへの土台作りはできると思う。
しかし、アメリカは頭のいい子への教育は天才的であると感じるけど、バカへの教育はあまりよくない。最低限の基準に達していないバカに「君は素晴らしい」「我々は強い」と言って、一部の天才の奴隷にしようとしているのではないかと思った事すらある。これは陰謀論とかではなく本当に。まあ奴隷育成に失敗して中身スカスカなのに態度がでかい人間を量産してるけど。
育児した方が得なインセンティブを与えると言うが、おそらくそれは無理じゃないか?
何故かと言うと子育てにお金がかかりすぎて、子育て費を国が持つことすら無理だからだ
2005年の試算だが、
後はこれに不動産取得費が入ったのが本当の子供のコストと思う(労力はお金に換算できないので一度無視することにする)
https://kodomo-ouen.com/data/02.html
現在の物価高を鑑みると、これから育つ子については養育費は1.5倍かかってもおかしくない
教育費も値上がりすると思うが無償化とか何か色々あるかもしれないのでとりあえず据え置きにしておく
そうすると養育費が2460万円
教育費がオール公立で1345万円で合計3985万円で4000万近くなる
これに首都圏なら暴騰したファミリー物件を買わないといけなくなるので単身向け物件より最低でも2000万くらいはプラスされるはずだ
そうなると一人っ子の場合、首都圏だと子供一人あたりのコストはザックリ6000万だ
これ、国が子育てにかかる費用を補填できるのかと言うと正直無理じゃね?って話よな
一度無視したけど労力も相当かかってくるしね
得というのは費用を上回る便益がないとダメだから最低でも国は6000万を払わないと行かないとなるけどこんなの絶対無理だ
絶対無理、人間が選択できる中でコスパで言えば最も悪い部類が子供だからこそ子供のメリットが可愛いになるんだろうよ
ただ可愛いを得たいだけならペットというコスパ面では上位互換があるからなって話なんだけど
どう考えても現在の育児制度は育児したい人の興味関心で持ってるし、それは優遇されようがされまいがあまり関係がある気がしないんよな
まあ費用が安い趣味の方がライト層増えるから、お金がかからないのは本来はいいことなんだけど、子供の場合、やっぱ子育てに向いてないと言っても捨てられないし、費用安くしてウェルカムするというのも向いてない気もする
脳髄が人間の中の迷宮であるという観点をもてた時代から遠く離れて今ここ2023年も終わりに近づく東京の深夜4時、あの頃はよかった何故ならロウマンがあったからねぃなどと誰ともつかない口調でなんとなく前世紀感を醸し出しつつも、もはやこの空が世界のどこに通じていようとも取り返しのつく場所には戻れない不可逆ノーリターンでございます。だから言ったじゃないですか!ネットなんか発展したらすべてあけすけになるけどいいんですか?って。あん時かなりマジの口調で確認したでしょ?全てがあけすけになればどんどん物語はさびれて魔法は(あるいは呪いは)解けてゆき人は過度の現実覚醒状態になってピリピリピリピリお互いに殴り合いばかり、そんでお前がお前自身で最後の寄るべにしてるその脳ってやつも特段なんということもない大して性能良くない装置やで上位互換機種に交換可能やでって言われて、そうやねぇなんて平静装ってchatGPT立ち上げて言語能力も外部化。ほんじゃあお前の中に残ってるもんはなんなんよ、っていうね。生体肝移植なんかより尊厳死なんかよりクローンなんかより、もっと議論すべきやったんちゃうのAI研究に関しては。
主人公が武器を使って戦うバトル漫画は、徒手空拳で戦う作品とは異なり武器自体に焦点をあてたドラマが描かれやすい。主人公が使う武器といえば剣が王道だけど、広義には巨大ロボなんかも含んだりする。
主人公が武器と出会い、使いこなせるようになるまでの過程がドラマとなる。最初のうちは主人公自身の技量が足りなくて使いこなせず、数話かけて上達していく過程が描かれる。
主人公サイドのパワーアップが、武器の強化という形で描かれる。武器の秘められた力がアンロックされたり、職人に新機能を付与されたりする。
武器が意志のようなものを持っている場合、武器と主人公の対話がしばしば描かれる。武器が主人公を徐々に認めていったり、主人公がネガティブになった時は武器も反発したり。やがて武器は主人公の唯一無二の相棒となっていく。
敵に武器を奪われ、それを敵に利用される。武器が強ければ強いほど、強烈な主人公サイドへのカウンターとなる。奪った武器を敵が使いこなせないケースもあり、どちらかというと主人公の戦闘力を封じる意味合いが強い。
武器を奪われた後は、取り返すのが自然な流れとなる。取り返した武器が主人公の手に戻り、主人公の戦闘力が復活する流れが大きなカタルシスを生む。主人公以外の脇役の活躍を描きやすい。
主人公自身は致命傷を負うことなく「勝負はついた」ことを表す、分かりやすい敗北の表現。ここから先は「武器を直す」「武器を探す」「武器を作る」などに派生し、やがて武器を破壊した相手と再戦して今度は武器が破壊されないことまでが一連の流れとなる。
破壊された武器を直すため、職人や道具を探すのがドラマとなる。やがて武器は格段にパワーアップした状態で復活し、敗北からの反撃が始まる。
破壊された武器の上位互換を探す旅に出る。旅の間は主人公の戦闘力が大きく削がれ、脇役の活躍を描きやすい。旅には傷ついた主人公の心を癒す効果もある。
新しい武器を作ることになり、その素材集めなどがドラマとなる。主人公自身が武器の制作に関わることで、それは主人公と強い繋がりを持つ武器になる。
主人公から次世代の主人公に武器を託す。主人公の代替わりの象徴となる。