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はてなキーワード: ルソーとは

2022-01-27

anond:20220126171733

うん。「右翼が」というわけではなくて、「ロマン主義的な思想というか心情が」という事だと思う。だからそういう風に書いた。

ただ、日本で「右翼」というと何故かロマンチックな心情に酔ってるみたいな人たちを指す場合が多いので、どうしても話がそちらに寄りがちだとは思う。(個人的にはガチガチ現実主義者だって右側にはいるのだから右翼という言葉にあまり限定的ニュアンスを込めてしまうのもどうかと思うんだけど、その辺は最近は「右派」という言葉に担わせるのが流行りなのかも知れない。)

なお、左翼ロマン主義なのはからのことだと思うよ。特に最初理想を夢見ることから始まった啓蒙主義の流れにあるわけだから。(「夢想家」ルソーだの「空想家」サンシモンだの、、)

2021-11-06

anond:20211104134014

anond:20211104134014 に予想外に反応をいただいたので返しておきます

anond:20211103200209 追記2

「Aという主張をしている人は、Bという主張もする」は、Bと主張をしている文書への指摘じゃなければ、「書かれていないことを読み取っている」だよ。

この記述を読むと、筆者氏は「はてブコメントには、文書への指摘か、コメント者が文書から読み取ったことだけが書かれている」という前提をお持ちのように見えますね。ですが、少なくとも私はそのような使い方をしておりません。私にとっては、はてブコメントは、記事を読んで思ったことや連想したことを好きにメモしておく欄です。間違っても、元記事の読解テストの解答欄ではありません。元記事にないことをコメントしているというご指摘であれば全くその通りですが、読み取った結果書いたものかと問われればそれは明確に違います。そして、元記事にないことをコメントしているという点については、「私は、はてブコメントに、元記事が直接言及していないことを自分思考の結果として書くことがよくあります」というだけです。Twitterに例えるなら、リプライというよりは引用RTとしての使い方をしている、というと分かりやすいでしょうか。

それはそれとして、追記部分以外の元記事の論旨には基本的に賛成なのですよ、文章最初に読む際に持つべマインドセットとしては。その点はお間違いなきよう。

性格悪い系のご指摘

正直済まんかった。ここで「書いていないことを読み取る」ないし「書かれていることを読み取れない」事案が発生したら面白いかも知れない、と仄かに思ったことそれ自体否定しきれないので、その点について「性格が悪い」とするご指摘は甘受します。

一応言い訳させてもらうと、断定調は当然として「しばしば」すら避けて「時がある」としたことで、全称命題解釈されたくないという意図は強く明示できただろう、という認識でおりました。特にわかりにくく書いた意図はありません。

anond:20211104175324

泣かないでください。むしろ知名度上がらなくても良いです。

一応固定されてるのは党派性よりは価値観でありたいと思っていて、価値観としては、自由平等博愛・公正辺りを大事にしているつもりです。

経済学理論だとクルーグマンは読んでいるが資本論はきちんと読んでおらず、容共ではあるもの共産主義というより改良主義立ち位置なので、これを左翼と呼んでしまうとガチな人とか本職の人に怒られそうです。特にフランス革命関連人物の最推しラファイエットだったりするあたり。

ロックよりルソーの方が好きだったりとかで保守というよりリベラルなのは間違いないし、再分配は今より強めるべきとも思っているので、左派に類するのは間違いないと思うのですけれども。

https://anond.hatelabo.jp/20211104180421

100字につめつめしようとすると自然とこういう文章になっていくの?

はい。もし読みづらいというのが真意でしたら、改善に向けて努力します。

2021-08-05

anond:20210805114412

マリー・アントワネット ×

マリー・テレーズ ○

ルソーが小咄のノリで書いたら色んな層にヒットしちゃった ◎

2021-07-05

ネツィヨ

アライヨ

メッサーニムゲン

シムポジック

タラカシマ

ハムルソー

レッツェネダリ

シェワンウー

アメノハムバニ

ノギリ

ツァン

イービヨズッゲン

サナドゥ

2021-06-07

anond:20210607102752

舞台アニメと違って「出演者チケットを売れる」から

キャラクタチケットを売ってくれる」でもあるから

ただその人気商品の素材にプペルソースをかけておいしくなるのかと

トリュフとかフカヒレとかキャビアとか何百万って単位の高級素材だったとして

千両役者が出演する舞台だったとして

しかにそれだけで見に行くわと出資をしてくれる人がいたとして

ソースカレーだったらみんなカレー味になるんじゃないか

カレーでも数万払って満足する体験が得られるならいいけど

私はとりあえず超高級極上素材カレーボンカレーの差はわかんないので

カレーが100円以上するなら選ばないか

推し舞台に出るからって5000円や10000円を出してかわいそうな台本で演じるのを見るのも

ファンだというなら別に止めはしないけど

2021-02-10

本好きなら高校生までに読破しておきたい古典100

哲学思想

プラトン饗宴

アリストテレス詩学

アウグスティヌス告白

レオナルド・ダ・ヴィンチレオナルド・ダ・ヴィンチの手記』

マキァベッリ『君主論

モア『ユートピア

デカルト方法序説

ホッブズリヴァイアサン

パスカルパンセ

スピノザエチカ

ルソー社会契約論』

カント純粋理性批判

ヘーゲル精神現象学

キルケゴール死に至る病

マルクス資本論

ニーチェ道徳の系譜

ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神

ソシュール一般言語学講義

ヴァレリー精神危機

フロイト快感原則彼岸

シュミット政治神学

ブルトンシュルレアリスム宣言

ハイデッガー存在と時間

ガンジーガンジー自伝

ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品

ポランニー『大転換 市場社会形成崩壊

アドルノホルクハイマー啓蒙の弁証法

アレント全体主義の起源

ウィトゲンシュタイン哲学探求』

レヴィ=ストロース野生の思考

マクルーハングーテンベルグ銀河系

フーコー言葉と物』

デリダ『グラマトロジーについて』

ドゥルーズガタリアンチオイディプス

ラカン精神分析の四つの基本概念

ウォーラーステイン近代世界システム

ケージジョン・ケージ

サイードオリエンタリズム

ベイトソン精神自然

アンダーソン『想像の共同体

本居宣長『玉勝間

上田秋成『胆大小心録』

内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』

岡倉天心東洋理想

西田幾多郎西田幾多郎哲学論集Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』

九鬼周造『「いき」の構造

和辻哲郎風土

柳田國男『木綿以前の事』

時枝誠記国語学原論

宇野弘蔵経済学方法論』

海外文学

ホメロスオデュッセイア

旧約聖書創世記

ソポクレスオイディプス王』

唐詩選』

ハイヤーム『ルバイヤート

ダンテ神曲

ラブレーガルガンテュアとパンタグリュエルの物語

シェイクスピアハムレット

セルバンテスドン・キホーテ

スウィフトガリヴァー旅行記

スターントリストラム・シャンディ』

サド悪徳の栄え

ゲーテファウスト

スタンダールパルムの僧院

ゴーゴリ外套

ポー盗まれた手紙

エミリー・ブロンテ嵐が丘

メルヴィル白鯨

フローベールボヴァリー夫人

キャロル不思議の国のアリス

ドストエフスキー悪霊

チェーホフ桜の園

チェスタトンブラウン神父童心

プルースト失われた時を求めて

カフカ審判

魯迅『阿Q正伝』

ジョイスユリシーズ

トーマス・マン魔の山

ザミャーミン『われら』

ムージル特性のない男』

セリーヌ『夜の果ての旅』

フォークナーアブサロム、アブサロム!

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』平

サルトル嘔吐

ジュネ『泥棒日記

ベケットゴドーを待ちながら

ロブ=グリエ嫉妬

デュラス『モデラートカンタービレ

レム『ソラリスの陽のもとに』

ガルシア=マルケス百年の孤独

ラシュディ『真夜中の子どもたち』

ブレイクブレイク詩集

ベルダーリンヘルダーリン詩集

ボードレール悪の華

ランボーランボー詩集

エリオット荒地

マヤコフスキーマヤコフスキー詩集

ツェランツェラン詩集

バフチンドストエフスキー詩学

ブランショ文学空間

日本文学

二葉亭四迷浮雲

森鴎外舞姫

樋口一葉にごりえ

泉鏡花高野聖

国木田独歩武蔵野

夏目漱石我輩は猫である

島崎藤村破戒

田山花袋蒲団

徳田秋声あらくれ

有島武郎或る女

志賀直哉小僧の神様

内田百閒『冥途・旅順入城式』

宮澤賢治銀河鉄道の夜

江戸川乱歩押絵と旅する男

横光利一機械

谷崎潤一郎春琴抄

夢野久作ドグラ・マグラ

中野重治村の家

川端康成雪国

折口信夫死者の書

太宰治斜陽

大岡昇平『俘虜記』

埴谷雄高死霊

三島由紀夫仮面の告白

武田泰淳ひかりごけ

深沢七郎楢山節考

安部公房砂の女

野坂昭如エロ事師たち

島尾敏雄死の棘

大西巨人神聖喜劇

大江健三郎万延元年のフットボール

古井由吉円陣を組む女たち』

後藤明生挟み撃ち

円地文子食卓のない家』

中上健次枯木灘

斎藤茂吉『赤光』

萩原朔太郎『月に吠える』

田村隆一田村隆一詩集

吉岡実吉岡実詩集

坪内逍遥小説神髄

北村透谷人生に相渉るとは何の謂ぞ』

福沢諭吉福翁自伝

正岡子規歌よみに与ふる書

石川啄木時代閉塞の現状』

小林秀雄『様々なる意匠

保田與重郎日本の橋』

坂口安吾堕落論

花田清輝復興期の精神

吉本隆明転向論』

江藤淳成熟喪失

2020-07-14

anond:20190712230135

みっともないが自説を貼っておく。これを指摘しては争いになり、どこに行っても相手にされない。

代議制民主主義投票は、実効的側面があるアンケート一種だ。そのアンケート結果によって、例えば人気投票だったらそのキャラや人のグッズが出たり、何かの選択肢が変わったりする、そういうアンケート一種だと考えることができる。

人々は、いや私は、そういうアンケートに答える時には、自分の中で戯れだと考えている。ある程度以上のサンプル数があれば、一票が結果に影響を与えることは無くなり、つまりアンケートとして確かなものになるので、自分の一票が結果に影響を与えると考えると、不合理になってしまうからだ。

1票が持つ実効的な意味だけに着目すると、1票差で結果が決まる確率の最大値は、投票総数が「N×2 + 1」の時、参加者のそれぞれが候補者A・Bに2分の1の確率投票する時に確率が最大になるとして、「1 / √(N×π)」という結果になるらしい。計算過程としては、最初の半分が一方に、それ以降がもう一方に投票する場合が「2のN乗分の1」で、しかし半々になるのはそれ一通りで無く何通りもあるので、スターリング公式だとかでそうなるらしい。

有権者の数が40万1人の場合は、「1/√(200000×3.14)」で「0.00126188616」。792回やって1回という確率らしい、「√(200000×3.14)」で出せるみたいだけど。

これを多いと考えるか少ないと考えるかは、その人によるかもしれない。皆が完全にどちらでも良いと考えている時に、千年以上に一度の確率で1票差で右か左の候補者に勝たせるために、投票に行く。しかしおそらく、多くの人間はそのように考えて投票に行っているわけでは無いだろう。

1票が持つアンケートとしての意味だけに着目すると、事態もっと悪くなり、一票差で勝ったり負けたりした所で、偶然だと考えなければ非合理になってしまう。つまり何が起こっても意味が無いことが最初から約束されてしまう。

しかし読者はこう考えるのではないだろうか、つまりしかし確かに投票結果が政治に影響を与えており、私は少なくともその一億分の一だけは結果に影響を与えているのだ、と。

一票には意味があるのか、それとも一票には意味が無いのか。私の考えでは、これは視点スケール問題で、視点スケールを変えれば意味があるとも言えるし、無いとも言える。

自分一人のスケールで考えると、たとえ全体の目的のことを考えたとしても、投票には意味が無い。統計的に誤差なのだから意味が無いと考えるべきだ。

しかし全体のスケールで考えると、その中のパーツやサンプルとして、投票には意味があると言える。確かに因果関係の中に存在しているのだから意味がある。

代議制民主主義は、全体の目的では無く、その全体の視点によって成立している。あるいは、そもそもその全体の視点ルソー一般意思なのかもしれない。

2020-06-28

anond:20200628145503

そうだいいぞ

なぜと深掘りしていくのは良い方策


だがもっといいコツを教えてやる

キャバ嬢さしすせそといってだな


さ:サワークリーム

し:塩

す:酢

せ:サンバルソー

そ:そうだがつお


こうだ

覚えておくといいぞ

2020-04-17

anond:20200417085745

弱者を救うのが政治だよ、という定義勝手に使っているけど、必ずしもそうではないぞ。

 

お前は、一般意思多数決は別だぞ、というルソー流の考えを採用したうえで、

弱者を救うことは全体の利益だ、というロールズ流の正義を導入している。

無意識っていうか、受け売り無知でね。

 

でもそれは、まずルソー民主主義採用したうえでもやはり一般意思多数決は多くの場合一致すると考えられるし

あとロールズ正義について述べたのであって、政治的正解について述べたわけじゃない。必ずしも望ましいとは限らない。社会全体を救うためなら弱者を見捨てることだって政治はするし、するべきだって考えもあるわ。例えば国家戦争をすべきときっていうのは、やはりあるしね。

2020-01-03

anond:20200103143417

100分de名著全然インテリじゃないよう…インテリ原典を難なく当たれる人じゃん。

もっと言えばルソーなんか基礎知識で身についてる人がインテリだよ。

最近解説本読んだ!それに出てきた!ってはしゃいでるだけなの俺は。

かわいかろ?

anond:20200103142358

100分de名著ルソー読み始めたけどちょうどそういう話だった。

2019-10-29

身の程、身の丈、神の正体

よく山へつれていく父親だった。理由を聞いたらルソー教育論を読んで自然が大切だと思ったと語っていた。

母に山よりも図書館へ行きたいと言った。図書館にもよく連れていかれるようなった。私の地元はいろいろと活発な地域だ。財政もそれほど悪くない。

観光にも力を入れている一方で教育にも力を入れている。立派な図書館がある。清潔で比較的新しい建築物で3階にはレストランもある。

同じ日に生まれた同年齢のいとこがいる。私の母親たちは私たちのことを競わせた。ベネッセ通信教育を早めに導入した理由だろう。

どちらの子供がより優秀かと張り合っている空気があった。これが私が勉強ができた本当の秘密だろうか。

強欲な宝石商と鉄鉱を扱う絵心のある職人、それが私の母方の祖父母である。母方の祖父母芸術に関した仕事を行っていたため、収入が安定せずに母親若い頃に苦労をしたらしい。

大学には行かず、バイトをしながら自分弁当を作り、高校を出たあとですぐに就職し、職場結婚する。その後、バブル崩壊キャリアもなかったので非正規で働かざるを得なくなる。

結婚した相手問題だ。酒を飲むとよく口が回る女好きの地主の子供。常識を身に着けた今、聞くだけでダメ人間だと分かる。

農家から身売り同然に嫁に来た祖母は閉鎖された世界で暇を持て余し、このダメな息子が可愛くて仕方がない様子。猫可愛がりしていた。

父親のほうでも老婆を労わるマザコン具合をみればその愛情が決して一方的ものではないと分かる。

彼女人間に対する親愛の情の深さを考えれば私にもその血が流れていることを感じる。

幾分、奇特経験が不運にも繰り返されたおかげで私のその遺伝的情愛が生身の人間に向くことはほぼないが、その分、博愛として万人に降り注ぐ。

薄い、薄い情念として、まるで自分にも相手にも無に感じられるような薄くなった博愛けが私には残った。

父は胃がんになった。将来にとっておいた学費医療費にまわしてもいいかときかれた。

私が当時、大学重要性を理解していたかどうかは分からない。何しろ小学生ときの話だ。

私は特別父親を好いてもいなかった。しかし、人間として、人の命がかかっていると聞いて私は何を躊躇うことがあるのかと思ったようだ。

実際のところ何百万という貯金はごくごく自然医療費に回されたのだから。何の抵抗もなく。私の反抗もなく。

結局のところ私には大学に行く金はなかったのだ。だからこそ県で一番の高校へ行っても意味がなかった。

私の才能は天に愛されなかった。

あとは恵まれ同級生をみながら投げやりになって酒と女と本に溺れて父親以上のダメ人間のできあがりさ。

2019-05-23

anond:20190522124725

食事や呼吸などエレメントの消費を否定してしまうと、生物のものが悪ということになる。

そうなると「生態系」がそもそも悪の存在になるので、生命は全て滅ぶべきであるとなる。

生命が悪なのであれば動植物を根絶やしにすることが正義で、そのための方法としてベースとなる「環境」を破壊する必要がある。

現状の地球で「環境」を破壊し得るのは人類のみなので、人類メシアであると言える。

実は論の展開が間違いで生態系を是とすることが本来意図ならば、エレメントの消費は正当であることにすることになり、問題は消費の仕方となる。

動植物のおこなう消費を是と仮定する場合人類がとるべきは死滅でなく、

生態系の一部として「自然に帰る」(ルソーの言うものでなく、文字通り文明文化放棄

・完全に浪費/消耗のない完全環境を構築する

のどちらかとなる。

2019-03-27

anond:20190327155120

根本的に天道思想かい宗教的発想がまずあって、それから天道に添うにはどう生きるかを問うている。

実はこの人たちの功績は、キリスト教で言えば神学論におけるものなんだよな。

スピノザとかルソー思想無意味でないようなものなんだとは思う。

2019-02-23

ちんこ幸運を願う

ちんこが好きだ。

あいや、お前の股にぶら下がっているそれじゃない。すまないが、汚いからさっさとしまってくれ。

東京ちんこ倶楽部というTwitterアカウントがある。

ちんことはそのアカウントを指す通称だ。

性的意図微塵もない。

僕はそのアカウントが好きで、随分前からフォローして、遠くから眺めてコンテンツとして消費させていただいている。

しかし、彼がコンテンツとして面白いのは、その裏に、人間としての苦しみ、それも、他の人間よりも苦しみ、悩み、不条理な苦さを感じ尽くした、そういう苦しみがあるからだ。

僕のような、ふらふらと生きている人間よりも、彼のコンテンツの方が面白いのは、彼のそういった経験的背景があるからに他ならない。

ただ、痛みは共有できないものだ。アーレントもそう言っているだろう。

彼の、表に現れた痛みは、イロニーとなって、まさにこのグローバル資本主義社会日本的経営の融合物としてのブラック企業におけるスローガン「圧倒的成長」というフレーズを通して、表象再現前化された。

しかし、それは彼の痛みではない。彼の痛みを表象再現前化することによってコンテンツ化され、一般化されたものであって、彼の痛みそのものではない。

「圧倒的成長」

彼の生み出すコンテンツ楽しいしかしそれは、それをコンテンツとして享受することが許される限りのことである

彼は、その痛みの中で、しかしなお苦しみ続けている。

僕はそれを、コンテンツとして楽しんでいる、いるがしかし、苦しい。

これはルソーの「憐憫」であろうか?

これはスミスの「共感」であろうか?

繰り返すが、「痛み」は個人的ものであり、共有できないものだ。

憐憫」も「共感」も、それを人々の社会、こう言って良ければ「類的存在」としての我々を、所与としてではなく、帰納的に成立せしめるところの作用ではあるけれども、

しかしながら、それが個人のものの、内的な連関にまで届くわけではない。

ならば、僕の苦しさは、むしろ他人の不幸をコンテンツとして楽しんでいるという現実にあり、(しか芸術というのは、ゴッホにせよ金子みすゞにせよ、やはり不幸を源泉にしている場合が多いのだが、)人の不幸を享楽する自分というものが受け入れられなくて苦しいのだろう、この偽善者め。

と、言ってしまえばそれまでかもしれないが、やはり僕は、単にそうはいえない。

僕は、案じている。

あるコンテンツとしてのイロニーという、一つの優れた作品を通じて知った、その先にいる人を、僕は案じている。

彼は、外から見て、明らかに容易ならざる状況にあると思われる。

そして、そういった状況に陥った多くの知り合いは、その、最後には、(最後にはというのは寿命でということではなくて、)究極の選択をすることが多かった。

それこそ、「ツバメのように」。

いや、しかしこうやって、僕がここに書くことすら、単に僕の享楽であり、それは彼には関係のないことだ。

「放っておいても人は死ぬし、女と寝る。そういうものだ。」

いや、そうなんだけれども。

じゃあお前は何ができるんだ、金か、体か、法か、などと言われたとしても、僕は何もできない。

から、単に案じている。

案じていることを、ここに念の為あくま念の為、書き記しておく。

それだけのことだ。

僕にできることは、何もない。

いずれにしても、風は吹くのだから

2019-01-28

anond:20190128175344

その通りだね。

民主的であるということは、民衆みんなが賛成したと言う以上の意味は持たないから、善悪とは関係ない。

 

あとは、別の方向からも話せるな。

民主的とされる選挙などプロセスで決まったからといって、民主的に正しいとは限らない」とでもいうか。

選挙で決まった大統領が正当な権限でもって意思決定を行ったとしても、その意思決定の内容が民衆みんなの考えと一致していないならば、それは法的に正当であるというだけであり、真に民主的であるとは言えない。

これはルソー一般意思という概念を持ち出して言った。

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