はてなキーワード: ドキュメント72時間とは
賀茂川の橋と橋の間にはぴょんぴょんと飛んで川を渡れる飛び石があっていろんな人が飛んでいる
カメラを回し始めてすぐお調子者っぽい若者、大学生かな?大げさな身振り手振りで・・・ああ危ない!
やっぱり川にハマっちゃった。
今度は小学生の男の子が2人。小学生は小さい分、1つずつ確実に飛ぼうとするから意外にハマらないみたいね。
デートのカップルかしら。ハマればいいのに!あーあ、渡りきっちゃった。
時計は進んで夜、午前0時過ぎ。
千鳥足のサラリーマン、渡るつもりかしら。危ないよ。やっぱり一つ目から飛び損ねちゃった。動かないけど大丈夫かな。うつ伏せのままどんどん流されて行ってる。
まだちょっと肌寒い早朝。賀茂川には散歩やジョギングの人が行き交ってる。
昨夜のサラリーマンの姿は無いけどどうだったのかしら。ちょっと心配。
真っ黒に日焼けした男の子、部活の朝練習の高校生かな。用具の入った大きなバッグを持ってピョンピョンピョン。
さすが運動部員。あららハマっちゃった。意外。油断しちゃったのかな。
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ニュースの内容やらが、まぁ政府にべったりで呆れるのが理由である。
見る価値がないのだから、見ないという当たり前な理由なのだけど、NHKのニュース以外の番組もなんていうかどうしようもない感じで見ない。
何もかもが、政府、政権が有利になるためにこの話題を取り上げている、こんな編集にしているなどと考えてしまう。見当違いならいいが。
よく、NHKがコミケ特集をしたとか、NHKが72時間ドキュメンタリーでコミケのなんとかをしたとかいうので喜んでいる人たちを見ていると本当に良いの?と思う。
自分が「コミケの人間」だと何時から錯覚したのか?っていうことが一つの理由だ。コミケはお前がいなくても回る。
もう一つはNHKを崇めているように見える。「天下の年収2000万円の、法律によって守られたNHK様が下層民の私たちが知っている世界を覗いて、ネタにしていただいた」とか言っているのと同じだ。
少し哀れすぎないか。
報道に次いで、見ていてひどかったのが、ドキュメント72時間とかいう番組である。
年収2000万円のNHK様が底辺の世界を娯楽として覗き、消費している気がしてならない。
いまの愚行権の話題ってさ
國府田マリ子のすばらしさを語って「國府田マリ子を称えるBeeメイツになろう!」ってシメて
「Beeメイツはそうじゃねえだろ」って総ツッコミ食らってるように見えるんだよね。
分かり難いか。
まずね、id:netcraftさんは謝った方が良い。
「愚行権」という単語で定義される概念は、ジョン・スチュアート・ミルの「自由論(1859年)」にあって、
それなりに一般的な学術用語として、その歴史的な経緯を踏まえて定義付けがなされている。
だから、いかにキャッチーであろうとも、自分の表現したいことを「愚行権」とラベリングした時点で、
「オマエの言う愚行権は、ミルの定義とは違うし無知乙」と言われるのがオチで、学術的にも混乱を招くので良くない。
原則の第一は、個々人は、その行動が自分自身以外のだれの利害とも関わらないかぎり、自分の行動について社会にたいし責任がないということです。他の人たちが自分の利益のためには必要と考えてなす、忠告、指図、説得、忌避は、社会が彼の行為にたいする嫌悪や非難を正当に表現できる唯一の手段なのです。第二には、他人の利害を侵害するような行為については、個人に責任があり、もし社会がその防衛のためには社会的処罰や法的処罰が必要だという見解をもつなら、そのどちらかの処罰に服すだろうということです。
他人が、忠告、指図、説得、忌避をするのは、嫌悪や非難を正当に表現できる唯一の手段としてる。
(ミルは結構過激で、飲酒が原因での暴行前科があれば、飲酒に対しての予防的な制限は適法とまで書いてる)
だから、netcraftさんが主張したいコトのために「愚行権」という単語を使うのは、全くもって間違っている。
netcraftさんが主張したいことって、ダイバーシティ・マネジメントの概念に近いことなんじゃないの?
Twitterがバカ発見器と言われるように、私達はソーシャルメディアを通じて毎日全国や全世界の馬鹿を発見しては、イナゴのように食い散らかして消費する。
このエントリで言わんとしていることは、「愚かなことを表現しても、他人から、忠告、指図、説得、忌避、嫌悪や非難の表現をされないこと」じゃないの?
このままでは混乱を招くので、ここでは仮に「愚表権」とするな。
この場合、1番目まではアグリーな人間であっても、2番目はノーセンキューだったりするだろう。
そりゃそうだろう。今だって認められてる。
他人に害を及ぼさない限り、例え「他人から見て」愚かでも、現在だって自由に行える。
(その人が子供だったり、錯乱していたり、興奮したり上の空で、よく思案する能力が十分使えないというのでなければ)危険の警告を受ければ十分で、危険に身を曝すことを無理矢理防ぐ必要はないと思います。
ミルは少なくともそう言っているし、現状でも限りなくそれに近いことになっている。
ただ、ミルは自己責任で、自分が犠牲になっても良しとせよと言っているけど、実際には警察や消防等のリソース(つまり税金)が投入されてる。
だから、「自分自身以外のだれの利害とも関わらない」については、ある程度予想できることについては予防的に禁止されてる。
この線引きに文句を言いたいわけじゃなかろう。
netcraftさんが主張したいことってこっちじゃないの?
たぶん一番近い表現は、the right to diversityだけど、より広い概念だと思うんだよ。
肌の色、国籍、宗教、性別、趣味で差別されるべきでない、許容すべきだって言うのは、その通りで、ダイバーシティーなんて単語が使われてる。
例えば、「私はキリスト教徒です」というだけで、会社での昇進が遅れたり排除されるのは、正義ではない、と今の社会はされている。
「オマエはアイヌであることを止めないんだから、自己責任の基、ネットイナゴや政治家からのヘイトも受容すべきだ」とはならないだろう?
(それがアグリーな社会もあり得るが、現代日本ではそれは政治的には正しくない態度とされている)
この、「趣味」の部分に、極端な性癖であるとか、「刑事罰に至らないような行為」を入れて欲しいって事じゃないのかい?
俺が愚行権の話を読んで真っ先に思い出したのは、NHKの「ドキュメント72時間、トランクルーム もうひとつの秘密の部屋」なんだよね。
取材されていた人達は、それが他人には理解されないと痛々しいほどに理解していた。ただ、そっとしておいて欲しいと願いながら。
趣味嗜好で、バレたら後ろ指をさされながら生きていかなきゃいけないって、やっぱり間違ってると思うんだよね。
今までは、勝ち取ってこないと権利は得られなかった。
レインボーフラッグ振って、主張して主張してやっと、「居て良い」レベル。
アナと雪の女王だって、どうみてもカミングアウト後の家族との和解の物語だろ。
他人から、誰に迷惑をかけるわけでもない趣味に対して、忠告、指図、説得、忌避、嫌悪や非難の表現をされる。
ある程度以上定義付けがなされた単語を使うときは、注意しよう。
「刑事罰に至らないような行為」を許容して欲しいという主張は判る。が、それを愚行権とは呼ばない。
ネット上での愚かな行為を、ムスリムを見つけては過激なメンション飛ばさないのと同じで、尊重しようっていう主張は判る。
netcraftさんの主張とは違うが、放置権みたいな「叩くのではなく、そっ閉じ」される権利は、確立されて欲しいと思う。
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John Stuart Mill : On Liberty (4th ed.1869 [Originally published in 1859])の日本語訳である
自由について、ジョン・スチュアート・ミル:著、永江良一:訳 http://page.freett.com/rionag/mill_js/lib.html より行った
あー、そういえば「ドキュメント72時間」も終わるなぁ。四月からはサラリーマンNEOだ。