はてなキーワード: 胴上げとは
今年はあまり仕事をしなかったけれども、もう12月も終わりなのか、1年が経過した実感がほとんどない。
で、タイトルの話なのだが、2年前のちょうどこの時間に上司に殴られた。厳密に言えばミドルキック1発と、投げ飛ばされたギャボーってな勢いで吹っ飛ばされた。
事の発端は俺にある。体調も悪く死ぬほど機嫌が悪かったので、忘年会に参加したくなかったのだが、どうしても直属の上司の許可が降りずに欠席ができなかった。
元々酒を飲むことが苦手だし、酒を飲んで盛り上がることが嫌いなのに、ただでさえ嫌な気分で酔っぱらいの相手をすることに対してもイライラしていた。
おとなしくしていてくれればいいのに、毎度毎度ハメを外しその時も飲み物は何回もこぼすは、グラスは割るはで非常にめんどうだった。
それでもなるべく遠くで眺めているだけだったのが、なぜかひな壇で胴上げが始まり、クソ面倒くさいことに自分も引っ張り出されかかった。当時腰痛がとても醜くてイスに10分ぐらいしか座ってられないレベルで、胴上げなんてされたらマジで腰が崩壊すると思ったので、丁重にお断りした。
だが、酔っぱらいの他部署の上司(その時は降格しており俺と同じ平社員)が俺を引きずっていこうとしたので、最初は手を振り放ったのが、それでも引っ張ろうとしてきたので、思いっきり手を押しのけてしまった。案の定逆上した彼は俺の胸ぐらを掴んできたタイミングで、他の社員が間に入り一旦お開き。
そして俺が帰ろうとしていたら、再び彼がやってきて「調子に乗るな!」的な感じでまた絡んできた。幸い同僚がいたのだが、同僚を振りきって俺にミドルキックを見舞ってきた。不意打ちもあり、思いっきりミドルキックを人生で初めて受けて、仲裁に入った同僚ごと俺をふっ飛ばした。この時、ギャボーという効果音のように見事に吹っ飛び完全に腰が崩壊し、そのまま動けなかった。マジでダメージがでかくて頭のなか真っ白け状態だった。
その間同僚は必死に俺を守ってくれていたのだが、その同僚も殴る勢いだったので、タックルしてすぐに横四方固めをした。この時初めて高校の体育の柔道が役に立ったと実感したのは置いといて、最悪なことに俺が上になっている状態で、他の社員に見つかり、喧嘩両成敗的な感じになった。
元々、彼が俺を殴ってきたのは俺の仕事ぶりが気に食わなかっただけで、前から殴りたかったんだと思う。冷静に見れば三ヶ月も休職していた俺も悪いのだが、毎日来なくても遅刻してもいいという社長の了解があったので、無理して会社に戻っただけで、仕事に対してのモチベーションなんて全くなかった。だから、俺のことを気に食わなくても当然だったとは思う。
結局それ以来正月休みが明けても一度も出社しないで退職をした。今でも腰が治っていないのは、その時の影響もあるんだろうな。腑に落ちないのは会社の姿勢にもある。治療費なし、本人の謝罪なし、だから俺も社会人としての最低の対応をしてしまった。
仕事のことで殴り合いは歓迎するが、気に食わないとかで殴って何か解決するのかな?彼は今年から正社員ではなく、契約社員になったらしい。本人の希望か会社の意向かはわからんが部長から降格して平社員になっても何の成果が出なかったので必然的にそうなったのではないかと思う。
俺の器が小さいところは、2年前のことでも根に持っていることだ。
今年は少ししか働かなかったので、収入も本当に最低だった。来年は、今年の彼の年収を超えることが数字の目標で、法人化のメドをつけたいと思う。
来年は笑い話にして済ませられるほど、充実した1年にしたい。
少し前に「学年ビリだったギャルが慶應に行く」という本が売っているのを見かけた。
思わずこのタイトルを見ただけで思い出してしまった、未だ忘れられない私の高校時
代の思い出を語りたい。
私の通っていた高校は県立の中でもかなり下&定員割れというよくある新興校だった。
基本バカしかいなくて、中学の勉強をほとんど理解できてない人が入る高校である。
不良とギャルが圧倒的に多いのだが、たまたまうちのクラスは雰囲気が明るくて不良
もギャルもオタクも皆仲が良く、担任の若い熱血女教師も皆から好かれていた。
コースが分かれている関係で、クラスは基本1年から3年まで担任ごと持ち上がりな
のでその点でもかなり恵まれていたと思う。
私自身はよくいるキモオタで皆からは「パープル」と呼ばれていた。
これは当時発売されたばかりで流行っていたユニクロのフリース(紫)を愛用してい
たことから名付けられたのだが、まあ私のことはどうでもいいんだ。
ギャル子はバカだけど明るくて人見知りしないクラスのムードメーカー。
当時流行っていたガングロに憧れすぎて、数学のおじいちゃん先生から「サンボ」と
一方、秀才君は不遇の秀才で、中学生時代に大病をして出席数が極端に少なかった上
に一番頭のいい公立高校に落っこちてしまい、二次募集で定員割れのうちに来たとい
う経歴の持ち主だった。ちなみに秀才君に関しては結論から先に言うと慶應大学に進
学し(開校以来初の快挙)今は都庁職員として忙しい日々を送っている。
事はギャル子が突然「先生になりたい」と言い出したことに始まる。
当時、GTOが大流行中で多分に漏れずギャル子も「不良→教師」という分かり易い
感動のツボにまんまと乗せられた一人だった。
言うまでもなく誰も真剣に受け取っていなかったがギャル子は秀才君に勉強を教えろ
と絡みだし、秀才君は最初嫌々ながらも放課後ギャル子の面倒を見ることとなった。
それが確か3年の5月位だったかな。
同窓会で秀才君がしみじみ言ってたけど「小学校からの復習だからね」というレベル
だったらしい。まあ私自身を振り返れば高校がそんなレベルだから仕方ないと言うこ
とは皆分かっていたし、すぐにギャル子も音を上げると思っていた。
「そこまでヤル気があるのなら」と熱血女担任も乗り気になり、担任が仕事をしてい
た教務室の隣の席を開放し、毎日毎日放課後担任が帰るまで2人で勉強していた。
夏から秋・そして冬へとあっという間に時は過ぎギャル子は日に日に変わっていった。
日サロ通いを辞めたせいかサンボの面影も徐々になくなり、二学期が始まる頃には秀
才君が「教え甲斐がある」と言い始めた。大半は就職し(私も就職組)、進学組もほ
とんどは専門という状況でクラスで大学を受けるのは秀才君とギャル子たった2人だ
けだった。
それでも正直、ギャル子が大学に受かるなんて本気で思っていた奴はいなかったと思う。
何でよりにもよって国立なんだ!私立ならなんとかなるとこありそうなのに!
というのが私たちの声だったが、ギャル子は熱血女担任の母校であった埼玉大学に進
学して教師になると決めていた。
この高校生活最後の一大イベントを見逃すわけには行かず、クラス有志でギャル子の
合格発表を見守る集いを募ったところクラスの大半が参加する事になった(ギャル子
は嫌がったがw)。
私達は年明けの自主通学になった後も「祈る!合格」や「必勝」などのポスターや横
忘れもしない。
秀才君が華麗に慶應大学に合格しうちのバカ高校に激震が走るのもつかの間、
その日はどんよりとした天気で北浦和から受験生1人と全く関係のない応援軍団がバ
いつも明るく天然なギャル子はガチガチになっていて、馬鹿な私達は「横断幕はやり
すぎだったんじゃないか?」とか今更な疑問に困惑していた。
テレビで見るような東大なんかの合格発表と違い、たくさんの人がワイワイ賑わって
いるような光景じゃない。時間帯的にもピーク後だったら気持ち程度の学生っぽい人
「いってくるね」
私達は祈った。とにかく祈った。
こんなに頑張ったギャル子にどうか春を迎えさせてやってくれ!神様!!頼む!!
みんな固唾を飲んで見守っていると、ギャル子がクルッとこちらを振り返った。
ギャル子は泣いていた。泣いたままゆっくり私達の方に近づいてきた。
鼻水と涙でボロボロになりながらギャル子は私達に抱きついてきた。
横断幕を掲げた怪しげな集団が歓喜の怒号を上げ、ギャル子を胴上げした。
皆自分の事のように喜び、女子や一部の男子(私)は泣いていた。
ギャル子がどんなに頑張ったか知っている秀才君はボロボロ泣いて胴上げしていた。
世間から見れば何てことはない一地方大学の合格発表かもしれない。
でもギャル子にとって、私達の高校にとってギャル子が成し遂げたことは東大合格に
も優らぬとも劣らない大偉業だったから。
私達はわざと熱血女担任には連絡しないでそのまま高校の職員室に雪崩れこんだ。
「先生!受かった!」
職員室は俺達にも引けをとらないほどの歓喜の渦に巻き込まれ、ギャル子と熱血女担
任は抱き合って泣いて喜び合った。
騒ぎを聞きつけた校長先生が職員室に飛び込んでくると何故か校長も泣いていたw。
不良が多いうちの高校で本当に苦労していた校長や他の先生たちは、ギャル子が成し
遂げた事がどんなに凄いことかとてもよく理解していた。
と言うとそれまで泣いていなかった他の先生もボロボロ泣きだした。
と校長が叫んだ。
と書き加えられた。
あれからもう十数年が経過した。
定員割れが続いた我が母校は統廃合されて名前こそ変わったものの
とりあえずなんとか存続はしているみたいだ。
ちなみに私は某鉄道会社の車掌として右往左往する日々を送っている(皆さんに会っ
てるかも^^;)。
そしてもちろんギャル子は、県立高校の国語教師として忙しい毎日を送っている。
【おことわり】
しかし元・ギャルの大逆転劇やクラスの話は間違いなく事実ですので、ちょっと前
にも「学年ビリのギャルが~」のような話が実在していたと思っていただければ幸
いです^^;
若者を見よ。
気が引き締まっているのだ。
友が亡くなったものもあろう。
友がなくなるというのは、皮肉なことに自省を促す。
友達の分まで生きるという意志は向上心を与える。
このような得も言われぬ高揚感は、ここ15年ほどの世代にはなかったものだ。
彼らは実感するだろう。
学ばねばならない。
役に立たねばならない。
強くならねばならない。
大人にならねばならない。
その気概は周りも察知するものであり、映像を介してさえ我々に希望をもたらす。
これを機に、というと天罰のそれと同じたぐいになってしまうが、巨大な出来事は人生をそれ以前と以後に分けるのだ。
彼らは間違いなく今後の日本を支えるだろう。
力強く、我々を脅かすだろう。
今日もデスクで仕事したくなさそうな糞っ垂れな面しやがって。甘ったれが。くたばれ。
「逃げたきゃ逃げてもいいんだぞ?」と言えば「いいです。クビになるかもしれないから。」
「どうしても東京に出たい」
高校3年の時そう思い立ち、猛勉強とはいわないまでも、それなりに勉強して、それなりの大学に入った。
合格発表の日、どうしても掲示板で受験番号を確認したかったのに、おかんは上京する新幹線の中で電話で合否を調べてしまった。合格。
センター試験の結果から当然受かると思っていて、あまり感動しなかった。でも、おかんは泣いていた。それに少しウルッときた。
大学につくと、もうピークは過ぎたのか受験生の数はまだらですこしがっかりした。運動部の部員がもう少ししか居ない新入生を必死に勧誘していた。
受験の時以来に来た大学は、補修工事が終わっていてあの醜い足場やシートが取り外されていた。
その日にアパートを探した。おかんには大学の近くを勧められたけど、どうしても都心の近くに住みたかった俺は学校と新宿の間に部屋を借りた。
初めての一人暮らし、しかも東京で。ワクワクしていた、今まで経験できなかったこと、会えなかったような人、東京にはたくさんのものが詰まっているように思えた。
家に帰った後、テレビを付けると東大生が胴上げされていた。うちの大学でもやってたのかな。
大学に入ってからは、きっと多くの学生がそう思うように、勉強も遊びもがんばるぞ!なんて思っていた。
しかし、そんな志もむなしく、おもえば小学生のときラジオ体操にも行かず、中学生の時遅刻が多すぎて昇降口に立たされ、高校の頃朝の補習にろくに出れなかった自分には、一人暮らしの大学生活は厳しかった。
都心の近くに住みたくて、学校から少し遠い所に住んだせいで、朝起きれず、一限に出れない。
授業に出なくても誰からも咎められない環境に甘えてしまう。
友達ができれば、一緒にいる時間が楽しすぎて、毎日誰かの家で遊び、もちろん次の日の一限はもちろん出れない。
親も居ない、門限も無い、なにをしても良い。怒る人はどこにも居ない。
今は思う、本当に「自由」だったのか、「自由」なのか。
たまに授業に出席しても、寝ているだけ。
高校時代と変わらない、いや、それ以下の「学」生生活。
もちろん単位なんて全然取れず。でも、同じくらい遊んでるはずの友達は着実に単位を取っている。
「そんな焦って単位とたってしょうがないじゃん」
そうゆう考え方が甘いって気付いたときには、皆との差はどうしよもないくらい広がってた。
金がなくなれば、親に連絡。
どれだけ無駄遣いしても何とも思わない、親が働いて稼いだ金だ、分かっているけど、手元に有れば使ってしまう。
おかんが電話をしてきても、メールをしてきても、邪険な対応をしてしまう。
「今忙しいんだ」
でも、何に?
そもそも、なんで「東京に行きたい」と思ったのか、なんで「大学生」になりたいと思ったのか。
東京にあるものは地元にもあった。大学生になってまで学びたいことなんて無かった。
皆が行く、行かなきゃ就職できない、だから行った。
行くからには、ある程度の大学に行かなきゃ恥ずかしいと思ったから勉強した。
きっと、みんなも同じはずなのに、どうして自分は上手いことできなくて、みんなはできるのか。
どうして、そんなに、要領よくできるのか。
わからない。
大学は4年で卒業するもの、出来なかったら落ちこぼれ、そう思っていたけど、いまはそんなこといえない。
親の金で勉強してるんだから精一杯やるべき、そう思っていたけど、がんばれない。
自分には「意志」が無い。何も無い。からっぽだ。
もう終わってだいぶたってるし、今更言うのもなんだけど、今年の日本シリーズはつまらなかったよな。あれだけ戦力そろってたら誰が監督やっても勝てるぜっての。そのあたりは清武オーナーも分かってるみたいで、優勝したのは当たり前、これから4、5年連続優勝が目標っていう話みたいよ。4,5年というのにはオイラも驚いたけど、今年の巨人はV9時代より強いんじゃないかって言われてたほどだから、それを考えるとうなずける話ではあるよな。そんなチームで1年や2年優勝したくらいで名将と言われるんだったら、巨人軍の監督ほどおいしい仕事はないんであってね。でもここ数年の巨人はめっぽう強くて、去年今年と優勝して、常勝軍団の貫禄があるのは事実なわけだよな。そういう状況だから、オーナーとしては舞い上がりたくなっちゃってもおかしくないんだけど、そんな中で冷静な価値認識のできる清武オーナーはなかなかにクールガイだよ。
そんなこと言っておいてなんだけど、オイラ、実は監督を客観的に評価することはできないんじゃないかと思うんだよな。胴上げで有終の美を飾ったノムさんは、最下位チームだった楽天をあそこまでのし上げたってんで手腕が評価されてるけど、その実、ナインから嫌われてたって話じゃねえか。ちょっと考えれば、ナインから嫌われるような監督が名監督になれるのかって話だよな。山崎がノムさんのアドバイスで息を吹き返したとかいうけど、そういうエピソードは誰が監督やってもなにかしら出てくるものなんであってね。そういう風にプラスの面ばっか集めてきて、だからノムさんの手腕でしたなんて都合がいいにもほどがあるぜっての。それから、ノムさんは細かい策をいろいろ使うっていうのもあると思うんだよな。そういう策がはまると野村イズムなんて言われて、いかにも知将みたいな扱いをされるけど実際失敗してる場合も同じくらいるんであってね。人間はなんでも理由がないと納得できないもんだから、特異な指導や作戦の成功を、ノムさんの知性の賜物ってことにしちゃうし、メディアもそういう風に宣伝する。それをみんながまんまと信じ込んじゃってるっていう側面が相当にあるぜって思うんだよ。その点、ノムさんをバッサリ斬っちゃうんだから三木谷はよく分かってるよな。一橋出身でMBAも取ったエリートだから、そういう非合理的な考え方には呑まれないんだろうね。「知将」像の再生産にはうんざりしてたんだと思うぜっての。
でもさ、清武といい三木谷といい、結局は野球経験のないしろうとが球団の舵取りをして、選手の獲得にも口を出している状況を見ると、上の人間はオイラが言ってることを当たり前のように分かってるんじゃないかと思うぜ。まぁ野球のルールなんてわりかし単純だし、実際は選手のあらゆる特性がデータ化されてるんだから、それらのデータを組み合わせれば、勝率を高める方法は自然と見えてくるんであってね。監督なんてのは、だれがやっても変わらねえよ、みたいに思ってる部分もあるんじゃないのかね。オイラなんかもっと極端でさ、それなりに野球を観たことがあってルールも熟知してるやつだったら、野球のしろうとでも監督やれるんじゃねぇのって思うぜ。
ただ実際は、そんな監督、選手のだれも慕わないからチームがまとまんねえよな。でも選手を洗脳すればどうだっての。洗脳の専門家の苫米地英人のおっちゃんを呼んでさ、ナインたちにオイラが上で書いたような持論を刷り込みまくってもらえば、未経験者が監督でも信頼するようになるだろうよ。そうすると球団は、いかに人気を取れる人間を監督にするかってことだけ考えればいいんだよな。ルールと基本的なノウハウさえ分かれば指揮とれるんだから、女の子でもいいんじゃねえのってね。そこでオイラは秋葉48のあっちゃんこと前田敦子ちゃんを薦めるぜ。注目度抜群だし、野球に興味のないオタク層を取り込めるから一石二鳥、チーム名はAKB69(シックスナイン)でどうだっての!ジャンジャン!
元々何とかなっていた勉強も、高校ぐらいから次第にできなくなった。
体育はずっとできなくて、高校と大学ではずっと惨めな感じだった。
自信は全くなかった。
当然彼女はできなかった。告白することすら思いつかなかったし、好きになってくれる理由がわからなかった。
大学の研究室にいた頃、すこし寄り道をして、1年間ほど社会に出て働いていた。
僕の能力を買って、声をかけてくれたところで、働いていた。
僕は(主に人間的な面が)未熟で、上の人が言うことでわからないこともたくさんあった(今はどうしてそう言っていたのかわかることも出てきた)。
でも、ある一つのことをみんなでやり遂げ、僕が大学に戻るときには、胴上げをしてくれたり、花束を送ってくれさえした。
就職活動をろくにせず、新卒では派遣でとある会社にいたが、そこでは腐っていた。
上司はどうかしている感じだったけど、辞めるときには取引先の人が「またどこかで一緒に働けるといいですね」と、優しく声をかけてくれた。
しばらくブラブラ腐り続けてたところに、声をかけてくれる人がいて、また働き始めた。
僕は相変わらず人間的にどうかと思う感じなのだが、首を切られることなく、それどころか、成長してくれればいい、みたいなスタンスで見守ってもらっている。
ここ10年ぐらいで出会った人たちは、いい人が多い。
僕は精神のタフさが足りず、ちょっとしたことでもひどく落ち込み、「疲れた」などとメールを打ってしまうのだが、そんな僕に対しても、的確な指摘をしてくれる人がいる。
指摘の意味がわからず反抗することも多々あるのだが、それでも見捨てない。
彼はすごいと思う。
青春を送ることなく、そろそろ26歳になる。
普通の学生や普通の社会人をしてこなかったことで、得られなかったものもたくさんあった。
でも、普通じゃない感じに過ごしてきたことで、今の人たちに会えたとしたら、それはそれでいいかなと思っている。
一つ不幸があるとすれば、僕の幼少時代〜青年期に親が真剣に僕と向き合ってくれなかったことぐらいだ。
つらいと言っても頭ごなしに否定し、信じてくれることさえなかった。
おかげで、今でも他人と真剣に向き合うのが怖いのだが、そうして他人を避けて生きる人生を過ごしたおかげで、他人と向き合わないと結構つらい目に遭う、ということが身にしみてよくわかった。
今は、本当に疲れてて、死んじゃうかもとか憂鬱な気持ちに支配されてしまうことが多い。
でも、そんな中でも、いろいろ上に書いたような、人との出来事を思い返すこともあり、恵まれていたんだな、そして恵まれてることに気づけなかったんだな、としみじみ思う。
人と向き合うとか信じるとか、10代ぐらいでしておくことを先延ばしにしてきたので、これからしばらく先延ばしのツケが回ってきてつらいことになることも沢山あるだろうなと思いながらも、それでも良かったと思ってる。
いい人たちに囲まれていて。
なんとなく、気が向いたし、夏休みだし、暇だし、実家の荷物整理してて当時のノートなどが出てきたから、自分の大学受験浪人時代の記憶を増田に投下。
塾や予備校にいった経験がなかったので、同級生の話を聞いて、家から通いやすく、授業料が免除になりやすいという代ゼミ(代々木校)に行くことにした。試験を受けて、結局、75%免除になった。これが結構でかかった。
代ゼミでは、フルタイムで授業を受ける学生を「本科生」と呼ぶ。自分が入ったのは本科のTKコース。東工大向けコースな。
東工大の理由だけど、地球科学やりたかったけど、東大に対する食わず嫌いと、北海道大学と京大は遠いっていう絶妙な混ぜ具合の結果。
基本は平日午前2コマ、午後2コマ。1コマ90分。
水曜の午後だけは1コマだったと思う。
そして土曜午前に2コマ。
本科生は代ゼミが主催する模試のうち、いくつかを無料で受けられる。
ちなみに3学期制だった。
後になってから知ったことだけど、難関校向けコースほど、講義間の教室移動が少なく、科目を担当する教師が人気講師になるという傾向がある。これが、講義の時にいい席が取れるかどうかにつながる。友人から聞いた話では、この椅子取りゲームの不毛さが他の予備校から揶揄されているそうだ。
自分は、普通に朝からずっとど真ん中一番前に座ってたし(9時講義開始で8時過ぎぐらいに来て予習していた)、人気講師の講義を受けたいとか思っていなかったからあんまりそうした問題はなかった。
それでも、東工大コースで行われる人気講師の講義のときは、東工大コースじゃない人にど真ん中一番前を取られたりしてて、なんともいえない気分になったことはある。8時に教室開くのに、8時前から待ってる奴がいるのよ!
4月の最初のうちは、どの講義も教室が満杯だった。クラス担任の職員さんが最初の挨拶で、「まずゴールデンウィーク明け。そして夏休み明け。クラスの人数が減っていきます。悲しいことですがそれが事実です」という内容の話をしていたことを覚えている。(確か、担任から「今、東工大コースは120人」と聞いた気がする)
実際、文系科目を中心にどんどん人が減っていった。自分は何も考えず“コース料理”は全部おいしく頂いたわけだけども、ツウな代ゼミ生は、同じ英語でもコースで用意された英語ではなく、好きな講師の英語を受講しにいくらしい。
なので、まあ夏休みも明けたら、コースの通常講義でも、人数の差が笑えるぐらいになっていた。
それからさすがに東工大コースだけあって、男10対女1ぐらいの比率だった。最終的にはフルタイムで講義を受ける女の子は3人ぐらいになるんだわ、これが。
そういう感じなので、教室の雰囲気は講義次第、講師次第でまったく変わる。
それから男女比的に女は女で固まってた。みんな友達を作りに来てるわけじゃないので、休み時間に世間話するぐらいの関係だったけど、ひょんなことから、女の子の一人と仲良くなったら、他の女の子とも仲良くなった。浪人時代は、ほとんど女の子とばかりしゃべってた。
女の子と親しくなった話。ゴールデンウィーク前ぐらいだったと思う。隣にいた奴が「授業についていけない。おれ、もう、死にたい」とか言い出して泣いてしまったので、「俺もしょっちゅうそう思ってる」「まだ10ヶ月あるから頑張ろう」とか必死になだめてたら、後で、女の子が「大変だったね」と声をかけてきた。
それがきっかけでその子とよく話すようになったら、他の女の子ともよく話すようになった。
その「死にたい」って言ってた奴は2学期からは来なくなったので、まさかと思ったら東工大コースよりひとつ下のコースに変わっていた。やっぱり自分のレベルにあったところにしたいということだった。それもありだと思った。
平日 | |
---|---|
7時頃 | 起床 |
8時過ぎ | 代ゼミに到着。予習か復習。講師に質問しにいくなど |
9時~12時 | 午前の講義 |
12時~13時 | お昼。天気がいいと明治神宮で食べてた |
13時~16時 | 午後の講義 |
17時頃 | 帰宅 |
17時半~19時 | スポーツジム。水曜は15時過ぎに帰るのでプール |
19時半 | 夕食 |
21時~23時 | 予習・復習 |
24時 | 就寝 |
土曜 | |
---|---|
7時頃 | 起床 |
8時過ぎ | 代ゼミに到着。予習か復習 |
9時~12時 | 午前の講義 |
午後 | デート |
日曜は模試があれば、模試に行って終わったら模範解答で答えあわせと次の日の予習。ある意味、平日に近い。
模試がない日は、午前・午後使って一週間分の復習。デートとか、草野球もあったり、結構遊んでいる感じ。
こう、規則正しい生活を送れたのも母のおかげですね。
教室でも、ぱっと見た感じ何人かは彼氏・彼女持ちだった。お昼休みに携帯で甘い会話してたりとか。自分の付き合ってた彼女は、高校の同級生で向こうは現役で大学入ってて、最初はものすごく負い目というか、いろんなネガティブな感情があったけど、僕も向こうもそれぞれの日常で居場所を見つけて適応していった。向こうも「君がッ 大学受かるまで携帯電話を持たないッ!」って感じで、保守的で義理堅い子でよかった。ちょいオタだけど。このままこの人と続いて結婚しました。これ、ノロケな。
1学期も終わりに近づき、「夏期講習どうするの?」なんて話をしてたけど、普通に代ゼミ経験値の低い僕は「東工大」が冠につく授業を取った。そしたら別次元だった。まわりが……ほとんど……現役生……。現役生ばかりの教室に緊張感はない。真剣に講義を受けてたら、講師から「君は本科生か」と言われて、教室で浮いてしまったこともあった。ちなみに、ツウの代ゼミ生は、夏期講習は人気講師のオリジナル講義を受けるらしい。
夏休みに父に「どうせなら東大ぐらい受けろよ」と煽られて、東大受けてみるかと思って、志望校を東大理Iに変更。年の途中からコースを変えるとなると、結構お金がかかるようだったので、東工大コースのまま、2学期から夕方に行われている東大現代文・古文・数学・英語を増やした。物理と化学がないのはお金の問題と東工大コースの講義で充分だと思ったから。必然的に午後の時間がなくなったから、2学期からはジムには行けなくなった。そしたら入試の頃までに10kgほど太った。浪人で太る人、痩せる人いるけど、僕は激しく太るほうだったね。
で、この夕方の講義にものすごくかわいい女の子がいて、その子のことを東工大コースで絶賛したら「その子は後輩だわ」ってことで、あとで紹介してもらった。でも、馬が合わないオーラが出まくってた。そういうこともあるさ。
他の予備校のことを知らないから、比較してどうとはいえないけど、個性的な人が多かったと、社会人になっていくつかの研修やセミナーを経験した今でもいえる。
印象に残っている人について
小太りのお兄さん。大学の非常勤では食っていけないことを漏らしていた。メルカトル図法の世界地図に気候分布を色分けで塗ったものをノートに書いていて、それをその講師に見られて「地中海性気候のCsのsって何のことですか?」と聞かれたので「sommer trocken(ゾンマトロケン)、夏に乾燥」と返したらびっくりされた。あなたが講義で言ってたことですよ!このときに作ったノートは妹が継承した。
コビルドの英英辞書をもって講義を受けてたら、「君、それ一冊あれば、僕は要らないよ」といわれたので、それ以降、講義では机の上に出すのを控えた。「朝、講義前に来れば英作文の添削をする」と公言してたので、公言した以上添削しろよという感じで毎週添削してもらいにいった。
「僕の講義を録音して、繰り返し聞きながら、マネしなさい。最低50回」・・・マジで利く。これが周りで大ヒット。
「東工大受けるお前らなんか、どうせ、英語捨ててるんだろ?」「サイボーグ雨宮」など、数々のゆるい話題を振りまき、講義の時間を癒しに変えた人。1コマぐらいこういうのがあっても良いと思う。
エロサイボーグ雨宮。本当に息を吐くようにエロトークをかます。気をつけてないと、エロトークだとわからず、「あれ、わかりませんでしたか?お子ちゃまですね」といわれる。「数学的一昨日法」「数学的人生法」は傑作だった。
クラス担任の職員さんから「この人の講義には絶対に遅刻しないこと。居眠りしないこと」と注意されてたけど、最初はヤクザかと思ってびっくりした。実は、小心者のいい人。「意識の低い奴はいらねぇんだよ!」といってチョークを投げたことも。本科の最終講義は、自分の大学生の時の話をするのが恒例らしい。ゲーム屋のバイトの話が面白かった。「第一志望に落ちたら第何志望でもいいから大学にいけ。2年も予備校にくるな。大学にいってから頑張れ」と。
土曜午前にサテライトで中継講義(教室に入りきらないため)。あまりの人気っぷりに、一度、「生亀田見ようぜ」ってことでクラスの友達と一緒に始発に乗って椅子取りに参加したけど、それでも一番前から10列目ぐらいだった。話を聞いたら、一番前の人は前日より前から並んでいるらしい。マジ無理。ノート作成術は役立つ。
津守先生の英語で毎週英作文を添削してもらったと書いたけど、2学期のある日、機嫌の悪かった兄に「お前が受かるってことは、他人が落ちるってことだ。お前なんか受かんないほうがいい」といわれて大喧嘩になって、酷い有様になったけど、もう癖になってたのか泣きながら次の日に添削してもらうために英作文を書いていた。
「東大」を冠する講習と、馬場先生の英語のオリジナル講義を取る。さすがに冬期講習ぐらいになると、現役生も本気なので緊張感が違う。逆に本科生は元気がなくなる時期。自分もつらかったので、クラスの友達と一緒に馬場先生の講義をとって心の栄養に変える。4月からずっと大学受験中心の生活だったから倦みと緩みが出てくる。これは油断とかじゃなくて、体の底から湧いてくる倦みと緩み。泥の中にいるような感じになる。成長を実感できなくなる。現役生のパワーに負けるようになる。こればっかりはどうしようもない。乗り切れるかどうかって話。
3学期になると、本科の講義はほとんどないのと同じになる。夏休み明けより暗い顔が多かったのは、仕方のないことだろう。最終講義では「頑張ってね」みたいな話で送り出される。講師が大学生だったときの話、自分が夢をつかめなかったことなど。クラス担任は大学の数学の教科書を見せてくれた。
自分は東大じゃなかったら東京理科大という方針でいた。東京理科大のセンター利用なら確実に受かるので、これを滑り止めにして、国立の本番前に調整として早稲田の教育・理科を受ける。なんで早稲田の理工にしなかったかというと、東大に落ちた場合に早稲田に行こうとは思わなかったし、教育のほうが試験が簡単だったから。親からは「早慶の両方受けなくていいのか」とか、「早稲田にも入学金を納めなくていいのか」とか再三聞かれたけど、方針は譲らなかった。模試は最高でC判定(合格率40%ぐらい)だったけど、この頃には、だいぶ吹っ切れてて、つみあがったノートを復習する日々。ダメだったら、ダメでいいじゃんと、普通に思っていた。
話には聞いていたけど、浪人生がその自慢のノートを広げている姿を見ると、現役生は顔の色を変える。本当にそうだったから、笑った。だって、ノートが全然違うもの。10ヶ月間必死にまとめてきたんだもの。模試の結果からセンターの得点率は9割はいけるなと思ってたら、ピッタリ9割だった。僕のころは東大を受ける場合は800点満点で、8割ぐらいが足切りラインといわれていた。
総合723点で、国語が147点だったのがギャグだったけど、他で落とさなかったから良かった。好きだったから無駄に一生懸命勉強した地理は85点。現役時代と変わらない得点。試験なんてそういうもんだ。
次の日、自己採点で集まった東工大コースの面々。みんな一様に暗い。一番よく話してた子は数学で大失敗をしたといって、無表情になっていた。そういうことはある。
あるときの東工大模試で化学だけが異様に簡単だなと思って、次の日クラスで話したら「めちゃくちゃ難しかったよ!」とか言われたことがある。結果が返ってきたら化学が全国3位。たまたま自分のホームランゾーンの試験だったってこと。だから逆だってもちろんある。試験が空振りゾーンにくるときが。
東大の入試っていうのは、今もそうか知らないけど、あいうえお順に受験番号が決まる。だから、前年見た顔をまた見ることがあるという。同じ教室に高校時代の友人が二人いてびっくりした。「そういえば名字似てるしね」とかいって笑って挨拶した。
2日間かけた試験だったけど、得点率でいうと、英語が満点、国語が8割、物理と化学が6割、数学が3割という感触だった。数学が空振り。当落線上ギリギリだなって思いながら気分は後期試験に。
でも、後期試験対策の手が付かない。僕は既に燃え尽きて灰になっていた。
アメフト部のウォリアーズが胴上げすることで有名な東大の合格発表。普通に見に行って、普通に合格を確認して、普通に生協の合格者用の袋をもらってその場を去った。途中後輩に会って「落ちました」と聞いた。僕の態度から後輩も僕が落ちたと思ったらしい。そのくらい僕は醒めていたし、合格者用の袋はもらってすぐにかばんにしまっていた。
兄に言われたことだが、自分が受かったことで誰かが落ちたのはまぎれもない事実だ。
「そういう態度は逆にいやらしいですよ」と後輩に言われた気がする。
そこは、どうなんだろう?僕は「勝ってガッツポーツをしない」という武道の古臭い考えは好きだ。
ただ、この場合、僕は武道的な考えから喜ばなかったというより、喜ぶ元気もないぐらい疲れていたんだと今は思う。
という感じ。
現役の人は、これから頑張れ。
<img src="http://esuji.daa.jp/log/image/psytow.gif" width="32" height="32"> | psytow @psytow | 俺と働きたいならならソープに行け!的なことを言われた。 (2009-02-06 15:58:46) | link | |
<img src="http://esuji.daa.jp/log/image/psytow.gif" width="32" height="32"> | psytow @psytow | 空からソープおごってくれる先輩降ってこないかな (2009-02-06 16:00:32) | link | |
<img src="http://esuji.daa.jp/log/image/narima.jpg" width="32" height="32"> | 成松哲 @narima | @psytow ボスに頼めよw 「津田さんっ! ソープおごってください!!」 (2009-02-06 16:13:29) | link | |
<img src="http://esuji.daa.jp/log/image/psytow.gif" width="32" height="32"> | psytow @psytow | @narima ソープ行くなら早退してもいいよ、とは言われました。そういう問題じゃないのに! (2009-02-06 16:23:50) | link | |
<img src="http://esuji.daa.jp/log/image/narima.jpg" width="32" height="32"> | 成松哲 @narima | @psytow もうちょっとはっきり言ってやらないと。「時間がほしいんじゃねぇよ、バカ! カネだ、カネ出せ!!」「5万円ちょーだい」 (2009-02-06 16:28:58) | link | |
<img src="http://esuji.daa.jp/log/image/psytow.gif" width="32" height="32"> | psytow @psytow | @narima 交渉しないとはじまらないってことですね! (2009-02-06 16:38:14) | link | |
<img src="http://esuji.daa.jp/log/image/psytow.gif" width="32" height="32"> | psytow @psytow | @tsuda 請求書もらってくるんでソープ奢ってください (2009-02-06 16:38:33) | link | |
<img src="http://esuji.daa.jp/log/image/psytow.gif" width="32" height="32"> | psytow @psytow | そういやこの話してるときにタクヤさんは「本当に好きな人とするのがいいよ……」なんて言ってた。本当にあの人はおもしろいな。 (2009-02-06 16:51:52) | link | |
<img src="http://esuji.daa.jp/log/image/tsuda.jpg" width="32" height="32"> | 津田大介 @tsuda | @psytow とりあえず領収書をもらってくるといいと思う。 (2009-02-06 17:18:37) | link | |
<img src="http://esuji.daa.jp/log/image/psytow.gif" width="32" height="32"> | psytow @psytow | 適当に電話してみたら「今日はいっぱいだから無理ー」っていわれた。すげえ。金ってあるところにはあるんだな。 (2009-02-06 17:49:45) | link | |
<img src="http://esuji.daa.jp/log/image/tsuda.jpg" width="32" height="32"> | 津田大介 @tsuda | @psytow そこで心折れずにがんばって! (2009-02-06 17:50:39) | link | |
<img src="http://esuji.daa.jp/log/image/psytow.gif" width="32" height="32"> | psytow @psytow | @tsuda 頑張るところなんすかねえ…。行くならマジで領収書もらってきますよ (2009-02-06 17:59:47) | link | |
<img src="http://esuji.daa.jp/log/image/tsuda.jpg" width="32" height="32"> | 津田大介 @tsuda | @psytow がんばって一皮むけた男に! (2009-02-06 18:34:31) | link | |
<img src="http://esuji.daa.jp/log/image/psytow.gif" width="32" height="32"> | psytow @psytow | どうせなら面白イベントにしたかった。終わって店からでてきたら知り合いに胴上げされたりパレードしたり。まあ自分から主催しないだろうが (2009-02-06 18:02:42) | link | |
<img src="http://esuji.daa.jp/log/image/narima.jpg" width="32" height="32"> | 成松哲 @narima | @psytow オモロいからチョー頑張れ (2009-02-06 18:50:21) | link | |
<img src="http://esuji.daa.jp/log/image/psytow.gif" width="32" height="32"> | psytow @psytow | よし。自分だけの問題じゃなくなったから頑張る。戻って調べよう。 (2009-02-06 18:13:23) | link | |
<img src="http://esuji.daa.jp/log/image/narima.jpg" width="32" height="32"> | 成松哲 @narima | @psytow ヌイてきたの? (2009-02-06 20:42:22) | link | |
<img src="http://esuji.daa.jp/log/image/psytow.gif" width="32" height="32"> | psytow @psytow | @narima うす。領収書もらってきました (2009-02-06 20:43:40) | link |