元々何とかなっていた勉強も、高校ぐらいから次第にできなくなった。
体育はずっとできなくて、高校と大学ではずっと惨めな感じだった。
自信は全くなかった。
当然彼女はできなかった。告白することすら思いつかなかったし、好きになってくれる理由がわからなかった。
大学の研究室にいた頃、すこし寄り道をして、1年間ほど社会に出て働いていた。
僕の能力を買って、声をかけてくれたところで、働いていた。
僕は(主に人間的な面が)未熟で、上の人が言うことでわからないこともたくさんあった(今はどうしてそう言っていたのかわかることも出てきた)。
でも、ある一つのことをみんなでやり遂げ、僕が大学に戻るときには、胴上げをしてくれたり、花束を送ってくれさえした。
就職活動をろくにせず、新卒では派遣でとある会社にいたが、そこでは腐っていた。
上司はどうかしている感じだったけど、辞めるときには取引先の人が「またどこかで一緒に働けるといいですね」と、優しく声をかけてくれた。
しばらくブラブラ腐り続けてたところに、声をかけてくれる人がいて、また働き始めた。
僕は相変わらず人間的にどうかと思う感じなのだが、首を切られることなく、それどころか、成長してくれればいい、みたいなスタンスで見守ってもらっている。
ここ10年ぐらいで出会った人たちは、いい人が多い。
僕は精神のタフさが足りず、ちょっとしたことでもひどく落ち込み、「疲れた」などとメールを打ってしまうのだが、そんな僕に対しても、的確な指摘をしてくれる人がいる。
指摘の意味がわからず反抗することも多々あるのだが、それでも見捨てない。
彼はすごいと思う。
青春を送ることなく、そろそろ26歳になる。
普通の学生や普通の社会人をしてこなかったことで、得られなかったものもたくさんあった。
でも、普通じゃない感じに過ごしてきたことで、今の人たちに会えたとしたら、それはそれでいいかなと思っている。
一つ不幸があるとすれば、僕の幼少時代〜青年期に親が真剣に僕と向き合ってくれなかったことぐらいだ。
つらいと言っても頭ごなしに否定し、信じてくれることさえなかった。
おかげで、今でも他人と真剣に向き合うのが怖いのだが、そうして他人を避けて生きる人生を過ごしたおかげで、他人と向き合わないと結構つらい目に遭う、ということが身にしみてよくわかった。
今は、本当に疲れてて、死んじゃうかもとか憂鬱な気持ちに支配されてしまうことが多い。
でも、そんな中でも、いろいろ上に書いたような、人との出来事を思い返すこともあり、恵まれていたんだな、そして恵まれてることに気づけなかったんだな、としみじみ思う。
人と向き合うとか信じるとか、10代ぐらいでしておくことを先延ばしにしてきたので、これからしばらく先延ばしのツケが回ってきてつらいことになることも沢山あるだろうなと思いながらも、それでも良かったと思ってる。
いい人たちに囲まれていて。
いい人いい人って、あなたがいい人なんだよ。 でないとそうなんども仕事の声かけてくれるなんてないよ。
http://anond.hatelabo.jp/20091004021536 そうだよね、人は相手が与えてくれた分しか返してくれなものなんだよ。 元ネタから文得?がするんだよ。
ありがとう。そう言ってもらえるととてもうれしいです。 自分がどう見られているか、って今まできちんと見てこなかったので、そう言うことにも気づけてなかったです。 確かに、一...