はてなキーワード: 胴上げとは
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 90 | 17573 | 195.3 | 91 |
01 | 97 | 9113 | 93.9 | 48 |
02 | 106 | 14278 | 134.7 | 63.5 |
03 | 62 | 4842 | 78.1 | 46 |
04 | 31 | 4570 | 147.4 | 64 |
05 | 31 | 1733 | 55.9 | 45 |
06 | 49 | 3799 | 77.5 | 26 |
07 | 122 | 10499 | 86.1 | 37 |
08 | 96 | 5931 | 61.8 | 32.5 |
09 | 182 | 16005 | 87.9 | 40 |
10 | 124 | 11149 | 89.9 | 33 |
11 | 164 | 11605 | 70.8 | 36 |
12 | 175 | 13188 | 75.4 | 33 |
13 | 143 | 14623 | 102.3 | 52 |
14 | 202 | 15188 | 75.2 | 39 |
15 | 156 | 16168 | 103.6 | 43 |
16 | 154 | 11777 | 76.5 | 34 |
17 | 123 | 14208 | 115.5 | 54 |
18 | 175 | 14691 | 83.9 | 46 |
19 | 158 | 14324 | 90.7 | 45 |
20 | 166 | 10215 | 61.5 | 21 |
21 | 91 | 6925 | 76.1 | 45 |
22 | 117 | 17129 | 146.4 | 51 |
23 | 162 | 16103 | 99.4 | 52.5 |
1日 | 2976 | 275636 | 92.6 | 41 |
矢部浩之(5), 打ちつけ(4), oc(4), 胴上げ(4), ナインティナイン(6), 告訴状(4), RDP(4), webカメラ(3), 格安sim(3), 連隊長(3), 16年間(3), 岡村(116), PCR検査(15), 正義感(13), 高卒(36), 延長(27), 有益(12), GW(18), 緊急事態(45), 陰湿(12), 品薄(11), 解除(22), パスタ(18), 納豆(15), 風俗嬢(22), 10万円(21), 宣言(52), 在宅(25), 自粛(70), 風俗(65), 謝罪(27), 貧困(23), 発言(81), コロナ(206), リモート(16)
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一九八五年、10月16日。
観衆は独りでに、まるで定められていたかのように英雄を見繕っては胴上げを開始した。
歓喜の産声は「掛布!掛布!」「岡田!岡田!」と何処からともなく沸き上がり、彼らは次に愛すべき我らが主砲。
優勝の立役者たる名手バースに感謝の念を捧ぐため胴上げを提案をするも、外人たる彼へ見立てられるような男はなかなか見当たらない。
「おい、あれ見ろや!」
一団のひとり、男が見つけ何気なく指さした先にはケンタッキー・フライド・チキン道頓堀店。
「あれや!あれ!」
彼らによってさっそく担ぎ出されると、サンダース人形は次に宙を舞っていた。
といった、鳴り止まぬ歓声のような掛け声とともに。
暴徒の様に化した彼らの進軍をもはや誰も止めることなどできず。
午後23時23分。この行為が引きこ起こす悲劇のことなどつゆ知らず。
一九八七年、10月16日。
ぼくは大阪に出来た彼女へ会いに行くと、久しぶりの再会にもかかわらず彼女はぷりぷりしていて「だってー、阪神最下位なんやもん」と独特のイントネーションから始まる言葉で告げるので苦笑いするほかになかった。
尤も、ぼくはそれほど野球に興味はなく、あったところで関東生まれなので、おそらくファンになっているとしたらジャイアンツだろう。
しかしそんなことを口にすれば彼女が怒るなんていうのは明らかで、だからぼくは口を塞ぎ彼女の愚痴をただ聞き入っていた。
本心としては今晩、ちょっと奮発したレストランを予約していたので、彼女に気に入ってもらえるか、そこでちゃんと堂々と振舞えるかこそぼくは気にしていたのだけど、どちらにしろそうした事柄に気を取られていたので周りがよく見えていなかった。
もしくはわざと。
ドンっ、と通りすがりの人と肩をぶつけてしまい「あっ、すいません」と口に出して謝る前にはもう鉄拳が飛んできていた。
ぼくは気づくと吹っ飛んでいてその瞬間には何が起こったのかわからず、きゃああという悲鳴を聞いてはっと我に返り、彼女がかがんでぼくの傍に来ていた。
ぼくは無意識にも気づくと鼻を押さえており、その手はどくどくとしたぬくもりを感じ続けていて「兄ちゃん!これ、どう落とし前つけてくれるんじゃ!」と紫のスーツを着た若い男がぼくの前に立ちはだかり、ぼくの人相を変えようとこぶしを振り上げようとしていた。
ぼくはとっさに立つ上がると彼女の手を取って走り出した。
えっ?と一瞬躊躇する様子を彼女は見せたが、ぼくがうなづくと察したように、あとは彼女も自ら走りだしてくれて、あとは振り返らずただ必死に走り続けた。
夜の帳の中を駆け回り、息も切れ切れとなってようやく足を止めると二人したがっくり項垂れるように膝へ手を落とし、はあはあぜえぜえと呼吸を繰り返した。
「……まいたかな?」
「……たぶ」
ん。そこまで言わず彼女は目を見開き、その視線を追うようにして振り返る。
男が立っていた。紫色のスーツ。鶏みたいに逆立った髪型に金髪。
「兄ちゃん、よう探したで」
男の冷静な、冷ややかな口調はかえって凶暴さを際立たせ、ぼくはまた逃げようと、彼女の手を
「おっと、そうはさせんで」
男はぼくと彼女の間にさっと割り込むとぼくの前に立ちふさがり、振り返って好色に満ちた目をちらりと彼女に向けた。
「ほう」
男はにやついた表情でぼくを見据えると、その瞬間、僕は体当たりをかました。
精一杯の勇気はしかし、同時に無謀というレッテルに書き換えられ、男はがっちりとした体躯でたじろぐことなくぼくを受け止めた。
「うわぁ?」
次にぼくは浮遊感を味わい、男はぼくの体へ手を回すと持ち上げボディスラムをかまそうと構えた。
「ちょうどええやんけ」
男のかすかなつぶやきは真下から聞こえ、ぼくは顔を必死で上げて前を見ると
……え?
そこには道頓堀川があった。
次の瞬間、気づくと僕はびしょぬれになっていることもなく、ただ見慣れぬ大地の傍らに倒れていた。
「おっ、やっと起きたかね」
「……ここは?」
少女は顔に似合わず「ほっほっほ」と翁のような笑い声をあげると次にぼくを一瞥。
「きみも、あそこから来たのだろう」
あそこ?
キョトンとしていると手を差し出され、受け取って体を起こすと少女と対面した。
奇麗な子だ。とても。
「……あのう、ここは何処なんですか?そしてあなたは?」
「質問は一つずつにしてほしいが、まあよい。ここはきみからすれば”異世界”といったところ」
「異世界?」
少女はコクリとうなづく。
「そして私だが……たぶん、はじめましてではあるまい」
「えっ?」
こほん、と少女は一つ咳を切ると、今度は握手のための手を伸ばしてこう言った。
「わたしはカーネル・サンダース。元人形じゃよ。そして、道頓堀に投げ込まれてこの世界にきた、いわゆる異世界転送人じゃ」
え?えええええ!?
この物語は、彼女のためにも元カーネル人形をもとの世界に戻す物語であり、数多の阪神ファンのためにサンダース人形へと許しを請う話であり、そして自分、ぼくのための物語である。
なんたってそれは―
って、こうした話を書こうかな、と思うんだけどどうかな?
https://anond.hatelabo.jp/20190102063518
読んだらわたしも書きたくなったので書く。もう10年以上前の話ではある。
元増田と違い中学受験や私立とは無縁で、片田舎の公立中学、公立高校を卒業して京大に入学した。
勉強なんてほとんどしてなかったけど、テストでは常に学年トップで完全にお山の大将だった。
一方で家庭環境的にいろいろあった時期でもあり、また自分自身もいろいろ拗らしてた時期でもあったので、私立組やいわゆる英才教育を受けている人たちへの異常なコンプレックスがあった。塾なんかに頼るやつは元々馬鹿、私立高に通って高いお金出さないと勉強できないやつに勉強する意味はない、などと誰彼構わず吹聴していた。今思っても最悪の性格だった。
将来の展望なんてこれっぽっちも見えてなかった。大卒の大人は周りに全然いなかったし、もちろん官僚なんて言葉も知らない。そんな中、ある日法事だかお盆だか正月だかで叔父に当たる人と久しぶりに会った。聞くと某地方総合大学の工学部を卒業し、自動車系メーカで開発をしているとのこと。元々機械は好きだったので、その仕事をすごくかっこいいと思った。そしてそれ以上に、その人の身なりや車(といっても今で言うアルファードみたいな上位国産車)、余裕、羽振りの良さなど、あらゆるところに今まで自分の周りになかった、ハイクラスな何かを感じ、衝撃を受けた。今思えば(叔父には悪いが)お金持ちのモデルとしてはずいぶん控えめではあるが、それでもこの衝撃は大きかった。自分の目の前に一つの道が示されたような気がした。
そんな自分に両親はとても優しかった。自分の選択や意見をいつも全力で肯定し続けてくれた。今思えば自分の可能性を広げるための最大限の配慮をしてくれていたのだろう。
結局地元で2番目ぐらいの公立高校に行った。理由はいろいろあるが、自転車で通えるというのは大きかった。自宅からの公共交通機関のアクセスが最悪だったからである。
この高校は一応進学校とは銘打っているものの、毎年東大はゼロ、京大が1人いるかいないか、旧帝大に数人、といった感じだった。相変わらず高校でもお山の大将だったが、高校は全国模試があるので自動的に全国の高校生と比較される。片田舎の小さな小さなサル山で大将を気取っていた少年はここで初めて現実を知る。
1年生の夏、家族で京都に旅行に行った。古い街並みと近代的な景観が融合するこの街を、わたしはすぐに好きになった。さらに、この旅行の行程には京都大学観光が組み込まれていた。今思えば、両親がわたしのやる気を引き出すために連れて行ってくれたのかもしれない。ともあれ、権威のシンボルである時計台、自由を象徴する立て看板、鴨川と百万遍の街並み、どれもが自分の心を強く打った。
本気でそう思った。
そこから勉強を始めた。あんなに嫌いだった塾にも結局行った。恥を忍んで塾に行きたいと親に言ったときも、やはり親は快諾してくれた。塾は大手予備校講師のOBが地方でやっている個人塾だった。英語と数学を教えてもらっていたが、ここの先生方には現在に至るまでお世話になっている。勉強だけでなく、自分の見識を大いに広めてくれた恩人であり、今でも頭が上がらない。
高2の終わりぐらいまでは漫然と過ごした。学校の授業は地方国立やMARCH、関関同立といったところをターゲットにした内容であり、物足りなく思うことは頻繁にあった。しかし学校の授業でつまずいているようでは京大もクソもない、という信条があったため、まずは学校の授業で習った部分は確実に押さえることを一番に考えた。
高3になると全国模試のランキングに浪人生が入るので、順位や判定が一気に下がって焦った。先生方は「最初は下がるけと徐々に追いついてくる」と言っていたが、秋になっても成績は伸びずにただただ焦った。自分の立てたスケジュール通りにまったく勉強が進捗していないこともあり、更に焦った。焦りすぎてメンタルが不安定になり、何度も勉強中に発狂した。振り回したシャーペンは何本も折れた。親には意味不明な理由で八つ当たりを繰り返した。親はすべて受け止めてくれた。
高3の大晦日の夜、いつもどおり家の机で勉強していたのだが、うっかりそのまま寝てしまい、気づいたら新年を迎えていた。あまりの不甲斐なさに一人で泣いたのをよく覚えている。
受験勉強はチーム戦、という言葉がある。上でも書いたとおり、自分のいた高校は難関校の受験生が少ない。しかし逆にその分、似たような境遇の我々には妙に強い結束感があった。別に机を並べて一緒に勉強したりするわけではないが、模試の結果や参考書の話、志望校の話などをとりとめもなく話せる人が周りにいるというのはとても心強かった。模試の判定を見て落ち込んでいるときや不安でやる気を失いかけているときに鼓舞してくれたのは彼らであった。結果は人それぞれだったが、今でも年に一度は集まる良き友人たちだ。
【試験】
京大工学部はセンター試験の点数配分が恐ろしく低いので、気軽に受けた。特に数学は足切りラインを除くと全く評価されないのでろくに対策もせず、1A2Bともに85点程度だった。ただ周りの友人が満点を連発していたので妙な焦りだけが生まれた。
私立は早稲田と慶応を受けた。どちらも全く行きたいと思っていなかったが、練習だと思って受けた。初めての一人東京だったので異常に浮かれた。慶応の試験前日、下見ついでに少し街を散策したが、これがよくなかった。壮大に風邪を引いた。熱で全く頭が回らず、とうとう英語の試験の途中で医務室に運ばれた。医務室でひたすら泣いた。
京大2次試験の当日、出発前にわたしは親を呼び、これまで支えてくれたことへの感謝を伝えた。いろんな人に支えられてここまで来た。特に親の気苦労とサポートは計り知れない。そのことをどうしても当日伝えたかった。わたしも親も泣いてわけがわからんことになった。
当日は自分でも驚くほど冷静に試験に取り組めた。数学の試験は試験官に手紙を書いているような気持ちで答案を作成した。結果的に完答できた問題はなかったのだけれども。
ところで、新年を迎えたころから自分の中のルールとして「前期試験不合格を連想させるようなことは一切口に出さないし、心にも思わない」というものを設定した。「浪人したら…」「後期試験の対策は…」といったことを考えることも禁止した。発言の自由はおろか思想の自由まで侵害するという、今思えばドン引きするルールだ。バックアップを想定することは合理的であるが、その発想自体が心を弱くする、という根性論だった。今の自分は根性論が大嫌いだけど、ともかくその時はそれが最善だと思っていた。自分なりに必死だったんだろう。
合格発表の掲示開始時間には10分ほど遅れて到着した。すでに合否の熱狂から一段落しているところで到着した形だった。手足が震えていた。すがるような気持ちで掲示板を見た。番号があったので、また泣いてしまった。声を上げて泣いた。今までずっと無理をしてきて、辛かったんだということをその時理解した。その様子を見たアメフト部の人たちに囲まれて、胴上げされた。
【その後】
入ってから色々あったがここでは割愛する。卒業してからは某メーカで開発職をやっている。結局件の叔父と同じような道を選んだことになる。しんどいこともたくさんあるが、機械が好きなのでなんだかんだ向いていると思っている。
【さいごに】
一番お世話になった参考書の一つにチャート式があるが、この巻頭に記載されている「汗をかけ」という文章がわたしは世界で一番好きだ。短い詩なのでぜひ全文読んでほしい。
http://www.chart.co.jp/corp/00epitome/01what/asewokake/asewokake.html
「確実な道」を行く者は、「近道」を行く者よりも、汗をかかなくてはならないだろう。だが、その汗は、絶対に無駄にはらなない。君が、将来“かっこいい大人”“素敵な大人”になれるかどうか――それは、10代の時どれだけ「汗」をかいたかで決まるから。
恋でもいい。グラウンドの上でもいい。
そして、エンピツを握ってでもいい。
フィールドは何であれ、思い切り「汗」をかく人であってほしい。
元増田にもあったが、受験はその構造上どうしても他者との競争の構図ができがちだ。しかし自分自身の弱いところや意地悪なところや卑怯なところと徹底的に見つめ合い、自分の力で一歩一歩進むことに最大の意義がある。
すべての人に受験勉強というプロセスが必要とは思わない。ただ、受験勉強を通して得られるものは決して少なくなく、ただの公式・知識暗記ゲームにとどまらない、自分にとって大切なことを教わる大変よい機会だった。大学ではすっかり落ちこぼれ学生だったが、多種多様の人たちに出会い、自分の見識を常に広げ続けさせてくれた京都大学には本当に感謝している。
【中学受験】
動機は3つ。小学校で好きだった子や友人と張り合うため。先生に勧められたため。行きたい学校を見つけたため。
小学校は東京郊外の私立に通った。いわゆる東京の私立というイメージとは遠く、付属中学もなく田園の教育という方針を実践しているのんびりとした学校だった。学年に男女合わせて30人ちょっとしかおらず、当然クラスもひとつしかなかった。
私は四年生の時に親の母校であるその私立へと転校した。学校では何もしなくても成績が良かった。テストはいつも早く終わり、ほぼ満点しか取らなかった。いつもトップを争う子がおり、私はいつしかその子に好意を寄せるようになった。その子とは度々一緒に学級委員に選出されて囃されたが、実際悪い気はしなかった。
五年生になって周囲が塾という習い事のため足早に帰ることに気づいた私は、特に深く考えもせず受験がしたいと親に申告した。担任の先生と相談すると、可能性を広げる良いチャンスなので多いに推奨すると言われた。この時の先生の一言だけで私は世界が広がった気がした。
学校をいろいろ見学した結果、最後に訪れた御三家の一角を目指すことになった。門を叩くまで母は恐れ多いと躊躇していたが、行ってみると風通しが良く自由な校風で私は一発で気に入った。ここしかないと強く思った。
好きになった子とは家族ぐるみの付き合いがあり、テーマパークへ行ったり共学を一緒に見学したりした。同じ学校で無敵の青春時代を過ごす妄想が捗ったが、世間的に知名度の高かった共学も思ったほど私には語りかけてこなかった。試験日程も遅かったので、お互いそれぞれの御三家が第一志望となった。
塾は近所の個人塾に通った。寺子屋みたいな雰囲気で、先生は塾長と奥さんの2人、生徒は4人、そして授業中は正座だった。私だけ必要な科目数が多かったので、マンツーマンで教わる時間も多かった。回答を間違えると「バカチン」と先生はよく言った。指導は厳しかったが、頻繁に飴を配ったり可愛がってくれた。
塾は行ったら行ったで面白いし好きではあったのだが、束縛に耐えられなかったのか、私はよく直前にお腹を壊したり、自転車で行くふりをしてバックレたりした。もちろんすぐバレた。何度もやめてもいいよと親に諭されたが、そう言われると余計に引けなかった。何より勉強は楽しかった。自宅で勉強と称して漫画を読むのも楽しかった。
大手の塾には模試と講習だけ行ったが、普段の学校や塾とはまるで異質な空気に圧倒された。何点取ったらゲームもらえるとか、模試で何位だったからお小遣い増えたとか、そんな会話が横行しできない奴は容赦なくバカにされた。私は萎縮してしまい、模試や講習では御三家を狙うにはギリギリの偏差値をいつも取っていた。
そんなこんなで中学受験。第一志望の受験日は2月1日。受験番号は402。母が「フォーチュンだね」と言ったので覚えている。大手塾特進クラスの連中はまるで家にいるみたいに寛いでいた。田んぼの学校に通いちっぽけな寺子屋からひとり送り出された私は、担任や塾長の言葉を思い出しつつ、昼休みに母の作った弁当を噛みしめた。
手ごたえはあった。得意科目は算数だったが、特に国語ができた気がした。第二志望以降も受けたはずだが、第一志望で力を使い果たしておりほとんど記憶がない。2月3日に結果が出るとその後はもう受けなかった。サクラサク。
【大学受験】
東大を受験することにした。理由は、別の進路を断念したため、学費が安かったため、そして周囲のほとんどが目指していたため。
はじめは芸大の先端芸術表現科というところに行きたかった。アートを学び実践したかったのだ。しかし、東大からでも道はあるという説得と、受験対策のための出費がかさむという理由で断念した。今思えば金をかけずに挑む方法を模索して食い下がればよかったが、当時は思い至らず折れてしまった。
私が中学の頃に父は長年勤めた会社を早期退職したが、その後仕事が奮わず家計は火の車となった。学費と生活費の捻出に家族があくせくする状況の中、私だけ美大受験の意志を押し通すことはどうしてもできなかった。大学受験は塾に通わず授業と自習で挑むことになった。
幸い有数の進学校には通っていたので、目標を東大に変えることは自分の置かれた環境を最大限活かすことにもなった。上位25%が東大に進学する学校で私は時折圏内に食い込む程度の成績だったので、そう遠くない目標に思えた。
ところが、目指し始めた頃には届きそうに思えた赤門も、時間が経つにつれ遠のいていった。ハイレベルな塾に通う周りからは目に見えて離され始め、模試の判定も振るわなかった。いくら寝ていても自習をすると眠くなり、分からないところがあっても差を感じると素直に質問できなくなった。焦るほどに時間だけが過ぎていった。
願書を出す段になると、父と腰を落ち着けて話した。弱気になった私とは裏腹に、父は自信に満ちていた。「滑り止めに金は出さない。行きたいところだけ受ければいい」と父は言った。それもそうかと妙に納得し、私は東大のみを受験することにした。東大一本なら正直落ちてもカッコつくと思った自分がいたのは事実である。
余談だが、父は学生紛争で東大受験がなくなった年に受験生だった。成績優秀で東大を目指していた父はその年第一志望に挑戦することすら叶わず第二志望へと進学した。私はその話を本人からではなく母から聞いた。複雑に絡み合った様々な思いを背負って私は試験に臨んだ。
結果はボロボロだった。足切りこそされなかったものの、センター試験は合格者平均を大きく下回っていた。二次試験の数学に至っては頭も回答用紙も真っ白だった。案の定、私は東大に落ちた。
【大学受験2】
東大に落ちて私は忸怩たる思いでいっぱいだった。自分が周りに一目置かれたいがためにいたずらに東大を目指した気がした。東大しか受けずに落ちたと言うと、周囲はその勇気を讃え不運を嘆いた。だが私が一番良く知っていた。それは勇気ではなくただの処世術で、不運ではなく純然たる力不足だった。
私が卑屈にも自分と比べていた仲間たちは一足先に合格をその手で掴み大学生となってしまった。毎日通っていた高校も卒業してしまった。私はからっぽになった。現役受験が終わってから、これは他人との競争などではなく自分との戦いなんだとやっと気付いた。
就職か浪人かという選択肢を前に、働くと言いかけた私に親は浪人を勧めた。もったいないから、という言葉に私は到底納得できなかったが、ある種自分を見直す時間だと捉え受け入れた。親に頭を下げ予備校に通った。
浪人の前半期はくすぶっていた。授業は新鮮で楽しめたが、予習復習には身が入らなかった。借りた小説を読み漁り、レンタル映画を見倒した。私は物語の主役であり、困難に立ち向かう若者であり、世界の広さを思い知る冒険者であった。自由を求め無頼を気取っていたが、その実何の変哲もない予備校生だった。
後半期になると配属クラスが上がった。自分でも気持ちが乗ってきているのが分かった。模試では結果を出せるようになり、勉強と試験のサイクルが単に知識の吸収と確認をする作業なんだと理解できた。高校の教科書をはじめから読んだり、資料集を飽きるまで眺めたりした。そこに書かれていたのは試験のために記憶すべき情報ではなく、世界を紐解く手掛かりだった。
この頃から私はセンター試験をひたすらやった。現役受験の際に感じた基本の不足を徹底的に見直そうと思った。周りは東大対策に余念がなかったが、私は自分が一番手応えを感じられる道を進めばいいと思えた。センター試験で満点が取れるようになると、不思議と二次試験の過去問も解けるようになった。
結果からいうと、私は当時の前期日程試験で不合格だったが、後期日程で理科一類に合格した。
前期日程で落ちたのは予想外だったが、余計な要素が削ぎ落とされるほどに私はなぜか冷静になれた。後期日程では科目の絞り込みに加え選択もあるため必要な試験が少なく、私の場合はほぼ英語と数学のみだった。そして私にとってはそれが望ましかった。
試験前日はよく眠れた。朝は自然と目が覚め、焦りや気怠さを感じることなく落ち着いて試験に臨むことができた。数学はあっけなく終わり逆に不安になったが、英語が会心の出来だった。やるべきことはやったという清々しい心持ちで試験を終えた。
結果発表では安堵と高揚感からか、現実感が薄らいですべてがぼやけた夢のように思えた。勝鬨をあげたり号泣したりする見知らぬ同志たちを横目に、私は特に湧き上がる感情もなく立っていた。アメフト部に合否を聞かれ、小さく頷くと胴上げされた。着地の際に自分の体重が戻ってきたのを感じ、それまでの漂うような気持ちは消えた。
こうして私の受験は終わった。
【最後に】
小学校で好きだった子は私と同様に第一志望の御三家に合格したが、中学進学以来疎遠になった。私は大学を出て10年になる。
受験は競争心を煽って奮い立たせる仕掛けが多く、そういう経験を経て比較でしか物事を測れなくなる人間もまた多い。実際に私も周囲の人間や環境に大きく影響を及ぼされたが、最終的に納得の行く結果は自分の選択からしか生まれなかった。
正月の受験生たちに、あけましておめでとう。
08:00 アレクサが、昨晩抽選が行われたサマージャンボ宝くじの1等前後賞の当選を告げてくれた。5年連続12回目の当選だ やれやれ
08:30 社長車が出迎え 社長「君との会話は、私の精神の土壌を潤してくれる。毎日、一緒に通勤してくれないか。次期社長」 やれやれ
09:00 業務開始 同じ部署の同僚たちのノルマも含め、再来季までのノルマを達成してしまっているので、やることがない。増田にカキコ。あっという間に人気エントリに やれやれ
12:00 昼休憩 フロアの廊下ですきやばし次郎とすきやばし太郎が、私に最高級のランチを食べさせようと兄弟喧嘩している やれやれ
13:00 会議 全員が私の発言を待っている。「では、Googleとはてなを買収することにしましょう」万雷の拍手の中、胴上げが始まる。落とされた
18:00 専務の計らいで五反田の「ナース・女医治療院」に緊急入院。粋なサービスを受ける。領収書の宛先を「株式会社はてな」にしてもらう。買収後、経理に請求しよう
08:00 アレクサが、昨晩抽選が行われたサマージャンボ宝くじの1等前後賞の当選を告げてくれた。5年連続12回目の当選だ やれやれ
08:30 社長車が出迎え 社長「君との会話は、私の精神の土壌を潤してくれる。毎日、一緒に通勤してくれないか。次期社長」 やれやれ
09:00 業務開始 同じ部署の同僚たちのノルマも含め、再来季までのノルマを達成してしまっているので、やることがない。益田にカキコ。あっという間に人気エントリに やれやれ
12:00 昼休憩 フロアの廊下ですきやばし次郎とすきやばし太郎が、私に最高級のランチを食べさせようと兄弟喧嘩している やれやれ
13:00 会議 全員が私の発言を待っている。「では、Googleとはてなを買収することにしましょう」万雷の拍手の中、胴上げが始まる。落とされた
18:00 専務の計らいで五反田の「ナース・女医治療院」に緊急入院。粋なサービスを受ける。領収書の宛先を「株式会社はてな」にしてもらう。買収後、経理に請求しよう
結婚は世間一般的に言ったらおめでたいことなんだろうけど、当然ながらファンは荒れた。他担は明日は我が身と唱えて、岡田担ははてなブログで担降りを宣言したり、岡田はファンに対する愛が足りないとか文句言ったり、ただ祝ってたりいろいろ。
岡田くんの結婚はあんまりいい風に捉えてない人が多いと思う。相手が相手だしね。そこで比較相手として長野博さんの結婚を持ち出す岡田担をたくさん見た。「博の結婚の時はみんなに祝福されて〜」とか「週刊誌に1度しか撮られずその相手と結婚がすごい〜」とか。
いやいやいやいやなんでそんな美談みたいになってるの?ベストアーティストであんなに祝われてる時から理解できなかった。あの長野さんが胴上げされてるのが、すごく美しい光景みたいに言う他担頭わいてるんじゃない?っていうのは言い過ぎだけど、何あの茶番?無理だし受け入れられないし二度と見たくないし思い出したくない。
相手だって枕営業とか元コンパニオンとか噂があるし、そもそもオタクと疑似恋愛してくれる仕事であるアイドルの結婚。20年やったからとか年齢とか関係ない。岡田くんと違ってファン思い?ふざけんなよ!!!イメージだけで適当なこと他担が言いやがって。いい肉の日がトラウマで肉が嫌いになった長野担がいるんだよ!(マジ)
私自身その中の一人だけど、恋愛が許せないファンだっているし傷つくファンがいることもわかってると思う。それでも、そのファンを切り捨ててまで、結婚するんだから。これでファン思いとかよく言えるな。自分のファンに1番に結婚報告することがそんなに素敵なこと?理解できない。
相対的に見て長野さんのファンは少ないし、みんな興味ないから祝えるんでしょ?みたいな気分になる。ただのいじけた長野担の偏見だけど。
アイドルが結婚してみんなに祝われて、ハイよかったですねこの話は終わりでこれからも変わらず応援〜なんてあるわけない。私は長野さんのことが大好きだけど一度叩かれて欲しい。奥さんのこととかで。岡田くんは自分のファンからの今までの文句とか感じてるのかなあ。受け入れられないっていうオタクはいたと思うけど、結婚自体を叩かれることはなかった長野さん。正直言ってすごくムカついている。
ベストアーティストであんなに大々的に祝う必要あった?後輩は先輩の幸せは祝わないといけない。けどあれをよく地上波でやるよなあ、ファンの気持ちなんて誰も考えてなかったよね。三宅くんのコメントは気が利いてるなと思ったけどね。さすがだなあ。
・アイドルってファンと疑似恋愛してくれるからお金もらえる仕事じゃないの?仕事とプライベートどっちでも幸せ満点なんてあるわけないだろ
ということです。
まだまだ文句はたくさんあるけどこれ以上ここに書かなもなと思うからやめる。
一人の捻くれたファンの偏見だし、理想のファンになんてとてもなれそうにないから誹謗中傷とかとかしないでください…。最低なファンなんてことは自分でもわかってるし言ってくれなくて大丈夫です。ショック受けてる岡田担の方はつらいと思うけど、なんだかんだショック受けても生きててファンを続けてる長野担がいるんだよ〜って伝えたいな。担降りできなかったからしてないだけなんだけどね。
もしここまで読んでくれた方がいたらありがとうございました。
森美術館で、丹羽良徳の映像作品を見たことがあるんだけど、その中の、「ルーマニアで社会主義者を胴上げする」というのと、「モスクワのアパートメントでウラジーミル・レーニンを捜す」というのが、印象的だったよ。
多分、そういう風にまぜっかえして簡単に済ませられること以上の、出来事や郷愁や怒りや諦めやら、色んな感情があるんだと思う。
そういえば、かつての共産国の全体主義的な社会システムと、今の日本はかなり似ていると思うんだけど、その辺はどう思う?
資本主義も究極に行きつくと簡単にシステムは全体主義化するのよ。それは当たり前の話で、その方が生産効率が良いからね。より「効率よく稼ごう」と資本が思考した瞬間に、えらばれるシステムは全体主義的(共産思想下の計画経済に近づく)になる。
それを見るたびに胸がきゅーっと締め付けられ、同時に怒りと嫉妬の炎が脳の海馬を焼き尽くす。
「くそが。障碍者のくせに目立ってんじゃねーよ。恵まれてんじゃねーよ障碍者のくせに。社会の隅っこで背中まげて不幸の汚水に浸りながらひっそり生きてろや。この世は健常者ランドなんだよ。健常者専用の世界なんだよ。障碍者の分際でキラキラすんなよくそが」と無意識に口をついて出てくる。
身体障碍者は社会からのサポートがあって、ちょっと頑張っただけで世間から称賛される。楽でいいよな。健常者と同じステージで戦わなくていいなんて楽でいいよな。
オリンピックには出れないごみスポーツプレイヤーでもパラリンピックなら競争相手が少ないから楽にメダル取れていいよな。簡単に承認欲求が満たせていいよな。同情されて理解されてていいよな。
身体障碍はかゆくないし痛くなくていいよな。生活に支障がなくていいよな。
アトピーゾンビウイルスという世界で最も重く辛い障害を負っているアトピーゾンビもパラリンピックに出れるようにするべきだ。
自慢じゃないが運動には自信がある。もし、パラリンピックに出れるなら金メダルを取りまくって、日本人の障碍者が優れているということを世界にアピールできるだろう。
アトピーゾンビウイルスというこの世で最も重い障害を持っているのに、社会では健常者扱いだ。最悪である。かゆみや痛みや他人からの冷たい目や嘲笑に耐えても何の称賛も与えられない。
「甘え。アトピーゾンビウイルスを言い訳にしているだけ。努力不足。かゆみなんて我慢しろよw大変なのはみんな一緒!ただかゆいだけで大げさな。なんで治るように頑張らないの?ワセリンで治るんだって!病院行ってる?本人に直す気がないからいつまでたっても治らない。病気に甘えてる。見た目は関係ないよ。そんな性格だから彼女ができないんだ。容姿のせいにするな。きもい。近づくなよ。アトピーゾンビだーwww感染するぞwみんなにげろーw。普通じゃないやつとは友達になれないわ。あんな人生やだ。おれあいつじゃなくてよかったわ。うわきもっ。ちょっと!かわいそうでしょ!でもきもいじゃん。まあねw。肌がキモイ人とは付き合えない。私の私物に触らないで。生きてて楽しい?なんで生きてんの?俺だったら死ぬわw今のひときもくない?ぎゃははwww」
アトピーゾンビの人生は、パラリンピックの選手がオリンピックに強制出場させられて晒しものにされているようなもんだ。
アトピーゾンビウイルス障害と戦っているものに対して、もっと社会からの称賛と賛美と喝采と胴上げがあってもいいんじゃないだろうか。そう、身体障碍者のように。
パラリンピックに出れるように足を切断しようか真剣に考えている。
承認欲求を満たし、今まで虐げられてきた傷を癒すには身体障碍者になってパラリンピックで金メダルを取るのが最適解じゃないかと考えている。
みんな、もっと僕を甘やかしてください。
でも足りないんです。もっと甘やかして欲しいんです。
具体的には、
僕が良いことをした時は、みんなで歓声を上げて、その度に胴上げして欲しいです。
僕が悪いことをした時は、「きみは悪くないよ」って慰めて欲しいです。
それと、僕と一緒にいる時は、絶えず僕に拍手をしていて欲しいです。
あと、
僕のお腹がすいてくるタイミングを予測して、お菓子を用意してください。
僕が眠くなってくるタイミングを察して、ベッドまで運んでください。
僕が遊びたくなったら、その時に遊びたい場所に行くので、そこで待機していてください。
とにかく、「よしよし」って言いながら、僕の求めるものを与え続けてください。
増田たちに残された食料は水四リットル、キットカット七袋、カロリーメイト三箱。
周囲は無人の荒野が広がっている。最寄りの街までの距離は百キロ。
ある増田は言った。「増田はみな等価値だ。食料をみんなで平等に分配しよう」
別の増田は言った。「強いものが生き残るべきだ。暴力で勝ったやつが総取りにすべきだ」
また別の増田が言った。「あのさー、俺最高三百ブクマ稼いだことあるんやけど? 他にこのクラスの記事書いたやついる? いないでしょ?」
最初の増田が言った。「いやいやいや、ないっしょ。三百ぽっちとか。何? 増田で記事書いたら普通それくらい行くって。っていうか俺だったら今からそのへんでブログたちあげても500は楽勝でいくし」
親の脛をかじってる増田が言った。「は?だったら今すぐやってみせてくださいー五百ブクマ記事見せてくださいー」
それとはまた別の増田が言った。「やめてよ! おれたちは増田同士……みんな実名ないし固有のハンドルネームでやっていけない弱者ばかりじゃないか! なんで、そんなつまらないことで争うんだ! こんな食料、こうだ!」
七番目の増田が叫んだ。「ああっ! 水をキットカットにぶっかけて燃やし始めたぞこいつ!」
増田を殺すしか無いと考えている増田は言った。「こいつもう殺すしかない」
名探偵増田は推理した。「ん? いくらなんでも火の勢い強くない? 待てよこの水……ペロ ! これは水じゃない""ガソリン""だっ!!」
最後から二番目の増田が言った。「なんだって!? おれたちは騙されていたのか……」
あの増田は言った。「増田だと思ってバカにしやがってサバカリ―め……」
常に無限からマイナス一番目の増田は言った。「しかしこの増田のおかげで結果的におれたちは助かったわけだ」
そしてまた別の増田が言った。「やったな! ようし、みんなであの英雄増田を胴上げだ!
増田たちは英雄増田を胴上げした。「「「わっしょい!! わっしょい!! わっしょい!!」」」
その瞬間、核融合によって放たれた高速中性子がウラン合金製のタンパーに到達し、核分裂を開始させた。
このプロセスを最後にケーシングは完全に消滅し、核爆発となる――そう、そこは北朝鮮の水爆実験場だったのだ。
お母さん「――そうして、はてな村民たちはいつまでもけまらしく暮らしましたとさ。おしまい」
子ども「おかあさん、おかあさん、それから増田たちはどうなったの?」
お母さん「ふふ、身体も名前も焼尽された増田たちだったけれど、その意地汚い思念だけは残った。それらがよりあつまって、今の匿名ダイアリーが成立したそうよ」
子ども「ふーん、そうなんだー。お母さん、決めたよ、ぼくも大きくなったら増田になる!」
お母さん「あらあら」
おしまい。
高齢の両親の面倒を一人でみている。親父は要介護4,生活全般に人の助けがいる。そんな在宅介護をしていれば,大好きな野球見物もままならない。
でも,数十年来のひいきチームの14年ぶりの日本シリーズ出場だ。1試合ぐらいは見に行きたい。忙しい弟に半日の代打を頼み込んだ。
問題はいつ行くかだ。もちろん福岡に遠征することはできない。地元の神宮3戦のうちのどれにするか。4戦は介護の事情で無理。3戦か5戦かの二者択一。
最初は3戦目にしようと思った。何しろ相手はぶっちぎりの90勝でリーグを制し2連覇を狙うソフトバンクだ。4連敗もありうる。下馬評でそんな声も聞こえた。もっともだろう。
でも俺は,クライマックスシリーズの巨人戦を見る限り(介護の仕事が終わった後,テレビ録画ですべて見た),それはないだろうと踏んだ。巨人に負けるんじゃないかと思ったら,存外強かった。強くなった。そんな印象から5戦目を選んだ。
久しぶりのプロ野球観戦だ。いい試合,いい場面が見たい。これは人情だろう。5戦目なら,下手すりゃ真中監督の胴上げだって見られるかもしれない。4勝1敗でヤクルトが勝つなんて甘い夢か。でも,そういうものに賭けるのがファンってものの心理だろう。
そして,結果はご存知の通りだ。自慢の強力打線は再び零封された。期待していたベテランのエースは持ち味の粘りを発揮することなく,またしても5回も持たずに沈んだ。正規には購入できず,割高のネットオークションで手に入れた内野3塁側の良席で,真中じゃなく工藤監督の胴上げを見る羽目になった。
いま俺は思い切り後悔している。3戦目を選んどきゃよかった。そしたら,山田哲人の歴史的な3連発を見られた。それだけで十分に報われた。それなのに,何で俺はこうも間が悪いのか。これも欲をかいたってことなのか。
翌日は,親父の便失禁の始末から始まった。向こうは体が動かない。こっちは腰が悪い。朝っぱらから重労働だ。昼食後は便意を訴えた。抱えるようにしてトイレに連れて行く。夕食後のおむつ交換のときも失禁していた。今季初のうんこのトリプルヘッダー。そんな日常。いいことなんてこれっぽっちもない。
ホームランにこそならなかったが,山田の最終打席は見応えがあった。球場全体を揺らす大声援の中,追い込まれながら,何球もファールで粘った。そして,難しい低目の変化球を左翼席直前までライナーで運んだ。
「山田哲人」の片鱗は見た。いまはこれで満足しよう。来季こそは,一度でいいから胸のすくような一発を生で見たい。そんなことを思いながら,毎日,俺は親父の尻を拭いている。