はてなキーワード: 教化とは
いまさらどうにもならんやないですか。
元増田が「教化」しようとしても、相手にはストレスにしかならない。
「知識の量が足りない」のが問題なんじゃなくて、「いろんなところで触れた知識を取り込んで、後々使いまわしていく」(「学ぶ」って言ってもいいかも)って姿勢がそもそも相手にはないんだろうから。
それがあるなら、中卒でも問題にはならない。逆に院卒でもそれがない人たまにいるけど。
教養レベル&社会に対するスタンスが違う相手って本当に難しいよ。
友達で元増田と同じパターンで結婚して、子ども二人いるヒトがいるんだけど、上の子は旦那似で(外見じゃなくて知識に対するスタンスが)、彼女は内心忌み嫌ってる。下の子は自分似でものすごく可愛がってる。
彼女の父親が結婚に消極的に反対だったのを押し切って一緒になったんだけど、父親は正しかったって今頃言ってる。
そういうの見てると上の子が本当に可哀想だと思うし、彼女自身もそう思ってると思うんだけど、でもどうにもならないんだよね。
どうしても一緒になりたいんだったら、相手の尊敬できるとこだけ見て、見続けるしかないんじゃないかな。
自分が変えようとか、いつか変わってくれるだろうとか、無理だと元増田だってわかってるんだろうし、だったら自分を騙し続けるしかないんじゃね?
それを何十年もやらなきゃいけない、子どもができたら子どもの前でもやり続けなきゃいけない。
それができるんだったら、それがやりたいんだったら頑張れば?
元増田にとってはなんの意味もないマゾゲーだと思うし、相手もそういうごちゃごちゃしたこと考えない人と一緒になった方が幸せちゃうの?と思うけど。
当たり前の顔をして電話をかけたりメールを打ったりしています。
そんなことはもはや当たり前であり、当たり前以外の何物でもない世の中です。
しかし、わたしは携帯電話が当たり前の顔をして出てこない物語が好きです。
こんにちのフィクションでは携帯電話は当たり前のものとなっています。
フィクションのなかの中高生も当たり前のように携帯電話を使っています。
そもそもわたしが中高生の頃には、わたしの周りの中高生にとって携帯電話は当たり前のものでした。
当たり前のように携帯無線機や携帯電話を使っている中高生がわたしの周りにいました。
あたかも気づいた時には軍靴の音が絶え間なく響いているように――。
気づいた時には、わたしの半径2万キロメートル圏内には携帯電話の音が絶え間なく響いていたのです。
知らずの内に、わたしは携帯電話によって世界征服が成し遂げられた時代の生き証人となっていたのです。
持たざる者が、いつしか持つ者へと塗り替えられていく過渡期を生きてきたということです。
中高生ではなくなったわたしも、ついに持たざる者ではいられなくなりました。
しかし、そんな時代にあっても、わたしは携帯電話が当たり前の顔をして出てこない物語が好きでした。
これは矜持です。
かつてわたしは、当たり前のように〈ケータイ〉と略されているそれらを〈携帯電話〉と呼ぶことで矜持を示し続けました。
普段のなにげない会話を通じて、それを人口に膾炙させようと努めていたのです。
それを人々の脳髄へと染み渡らせ、時代の潮流に逆らうべく教化しようと試みたのです。
わたしの活動は数年にわたって続きましたが、はたしてその潮目を変えることは叶いませんでした。
きっとこの先も人々はフィクションを生み続け、携帯電話もそれに当たり前ように関わり続けるのです。
そして人類が死に絶えた後も、そのミームを受け継いだ新たな種によって携帯電話は生まれ続けるのです。
それは人という種が永らく夢見たものであると同時に、極めて過酷な業と言えます。
携帯電話は人によって生み出され、人によって求められ、人によって業を負わされたのです。
いつ終わるともしれない今日の終わりを探すことが、いつしかさだめとなったのです。
そうして携帯電話というミームは終わりなき旅を終えるために旅を続けるのです。
そんな携帯電話を語り継ぐことが、携帯電話からどれだけの安息を奪い去っていったのか。
初アノニマス、ども
やれ最近は、
伝える技術、であったり
ナンパ術、であったり
文章のルール、であったり
一端の社会人であるためには、一端のライティング技術が求められています。
伝わり易い文章を書くことが出来ます。
それは、
歌詞を書くように、文書を書くことです。
リズムを意識して、歯切れの良い文章を書くようにしてください。
一文を短く。
適度に句読点を打つ。
歌うように。
主語述語を探さなければ行けない文章を書くことは極めて読みにくく、
私たちは学校教育で作者の気持ちを考察することを第一と教化されてきていることから、
ぜひともコモディティ化したジャパニーズカスタムからブレイクスルーしカタルシスに酔って欲しい。
奈良時代までに発明された和歌は、日本語を美しく表現する最上の方法です。
私たちは、気付かないうちに日本語のリズムに影響を受けているようです。
ここまでの文章は、一部を除き、5・7・5のリズムでつくられています。
嘘です。
ぜひ詩を歌うように言葉を紡いでみてください。
以上です。
全部嘘です。
http://latitude.blogs.nytimes.com/2013/06/07/margaret-thatchers-advice-for-abe-from-beyond-he-grave/
Maggie and the Medium
By GRAEME WOOD
訳はとっても適当。
2002年にマーガレット・サッチャーが老衰のために公の場から引退すると発表した時、彼女の敵対者たちはこうささやいたーーあんな手練の政治家を、完全に息絶えさせるのは難しいだろう。
どうも彼らは正しかったようだ。4月9日、サッチャーがロンドンで亡くなって19時間後に、日本の幸福実現党の党首であり霊媒でもある大川隆法が東京でイギリス前首相へのインタビューを行ったのである。
選挙区ごとに候補者をたてたにもかかわらず国会では一議席もとれなかった大川の党だが、東京では純真な信奉者たちが路上で熱心にパンフレットを配っていることで有名である。パンフレットの内容の大半は政治的で、対外強硬主義的なナショナリズム、移民政策や原子力の推進等を妙な具合に混ぜあわせたものである。とはいえ根っこのとこではこのグループは宗教団体であり、その目的は、人生を支配する6つの見えざる真理について人々を教化することで幸福をもたらすのだという。大川(彼は証券マンとしてニューヨークで働いた後、1986年にこの宗教をはじめた)はこれまでに霊界の金正日や預言者ムハンマドと話したと主張している。そして今度はサッチャーだ。
「なんですって? 私、まだ生きてるわ」非常に具合の悪そうな声で彼女は大川に言ったそうだ。(このインタビューを公開したサイトによれば、驚愕と混乱は呼び出された死者における典型的な反応である)「日本? あなた、日本って言いました?」
サッチャーはここでは人気のある人物だ、彼女の強いリーダーシップへの感謝の念や、労働階級出身でありながら男性優位社会で成功したという点。彼女はまた、英国がフォークランド紛争でアルゼンチンに勝利した時期、1980年代のナショナリズム復興の主導者として名をあげた。彼女の政治的信念によって政府の役割は縮小され、またインフレは積極的に抑制された。
大川のグループはアベノミクスを全面的に支持しており、日本政府は、インフレやマイナス金利を通じて経済を勢いづける試みに今のところは成功している。しかし大川とのインタビューではサッチャーは、一国の経済的命運は、究極のところ、積極的な金融・会計上の政策ではなく、ビジネスしやすい環境をいかにつくるかにかかっているのだと語った。
「政府に必要なのは産業の民営化をサポートすることだけです」と彼女は語った。あまりにも多くの法律が「私企業の成長を阻害している。ですから彼らを自由にさせ、成功を目指して皆が戦うよう教えるのです」
これは、安部首相のインフレ政策が経済を傷つけるんじゃないかと心配し始めている日本の大衆にはアピールするのかもしれないーーもしそうだとしたら、彼らはサッチャーの成功が緊縮財政と福祉の抑制によるものだったということを忘れてしまっている。
安全保障の話題になると、サッチャーはえらく軍国主義的なようだった。まるで大川みたいに。この点では彼女は安倍よりさらに上を行く。中国と韓国について、彼女はこう語った。「侵略を絶対に許してはなりません! あなたがたの素晴らしい、美しい、歴史ある伝統と文化を守るために彼らを攻撃しなさい。誇りを持つのです!」彼女は力説した。「自分たちの領土だと信じるのなら、私たちはそれを保持し、守らねばなりません。そして私たちの敵、侵略者を攻撃し、滅ぼすのです!」この"私たち"という言葉から判断するに、彼女は死後の世界で日本人になってしまったようだ。
このインタビューはリバティwebで公開された。幸福の科学の宣伝サイトである。記事の長さは数ページだ。サイトいわく「死後24時間は、死者の身体と魂はいわゆる"銀色の紐"でまだ結ばれている」死のショックが生々しいので「通常の死の直後は、話すことは極めて難しい」というのが普通だそうだ。しかしわれらがサッチャーはいつだってサッチャー、見当を失っていたのは僅かな間で、すぐに明晰かつ猛烈、傲然たるいつもの彼女に戻ったのだった。
反応
http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=6151
サッチャーの霊言を米一流紙が紹介 日本のマスコミは置いてけぼり?
米ニューヨーク・タイムズ紙の国際版であるインターナショナル・ヘラルド・トリビューン(IHT)紙が7日、大川隆法・幸福の科学総裁によるサッチャーの霊言を紹介した。
(中略)
同記事では一部、一方的な思い込みも散見されるが、米一流紙が霊言の内容を冷静に分析して議論を行なっている点は注目に値する。たとえば、「霊子線」などの霊的な用語も、当然のように受け入れて議論しているのだ。大川総裁の霊言について取り扱うことがほとんどなく、週刊誌等が取り上げたとしても、「霊言があり得るのかどうか」で議論が止まってしまっている日本の大手マスコミとは対照的だ。
大川総裁は、世界の5大陸すべてで説法を行っており、各国の現地マスコミも大きく取り上げている。インドやアフリカのウガンダでは、講演会がテレビで生中継されたほどだ。世界的に見れば、宗教家の説法や「霊言」などの霊的な現象は、ニュース価値があると考えられているのだ。このまま日本のマスコミが宗教や霊界の話題を無視したままでいれば、世界のメディアから取り残される一方だろう。(晴)