はてなキーワード: 大器晩成とは
出典『老子道徳経』
(中略)
馬王堆帛書では「大器免成」であり大器に完成はないという意味だった。本来は前後の句とともに「道」は無形無限のものであるということを表していた。
馬王堆帛書ってなんじゃらほい。
馬王堆帛書
1973年12月、馬王堆三号漢墓から出土した帛書(はくしょ)で、12万余字に及ぶ厖大な量である。帛とは絹のことで、紙が普及するまでは竹簡や木簡などの他に絹が使用されていたことを証明している。絹は保存が困難で伝来するものは稀であり、重大な発見となった。内容は、天文星占に関するもの、医学に関するもの、陰陽五行に関するものなどで、これらは前漢・文帝の12年(紀元前168年)の遺物とみられている。これに書かれた文字は、「篆書から隷書に至る過渡的な段階にあるもの。」といわれているが、「篆隷中間書というはっきりしないものではなく、正しく整形した一書体に定着した新書体である。」との見解もある。
出土資料としては、郭店一号楚墓から出土した残簡(郭店楚簡)が最古である。それに次ぐものとして馬王堆漢墓から出土した2種類の帛書(『老子帛書』甲・乙)がある。
郭店楚簡『老子』は、「大器晩成」(第四十一)を「大器免成」(大いなる器は完成することがない)に作る旨が述べてあり、これは腰巻にも紹介してあるから、本書の「売り」の一つなのかもしれないが、蜂屋前掲書によれば、帛書乙本が「免成」であって(帛書甲本は缺字)、楚簡は「曼城」となっているという(p.199)。もっとも、「曼」は「無」に通じ、「城」は「成」の通假字とのことだから、「免成」と「曼城」とは同義なのであろう。
どっちにしろ完成はしないわけだ。
「『大器晩成』の句はとくに有名である。ふつう、『大人物の完成には時間がかかる』として、不遇な人を励ましたりするのに使われるが、それは『老子』の真意ではない。『晩成』ということばは、文字どおりには『できあがるのがおそい』であるが、前後の句との関係で考えると、むしろいつまでも完成しない、その未完のありかたにこそ、大器としての特色があるということであろう。できあがってしまうと形が定まり、形が定まれば用途も限られる。それでは大器でなかろう。」
総合すると、晩成だろうが免成だろうが「大器は完成しない」が真意だが、もちろん老子は「完成しないからダメだ」と言っているのではなく、「完成しないからこそ大人物なんだよ」という意味合いになるのだろう。
そもそも、該当部分ってまるごと「故建言有之」だから「昔からこう言われてるよね」という引用にすぎなくて、老子が自分自身の言葉で語っている(いやそもそも老子の存在自体が怪しいけど)のは「上士聞道 勤而行之 中士聞道 若存若亡 下士聞道 大笑之 不笑不足以爲道」、つまり(追記:自分なりの解釈を書いていたけどやっぱり難しいので削除するね)みたいな話で、それの例示なんだから「大器にはこれと決まった形がないんだから完成することもない」といったところなんだろうね。
増田で『老子』もしくは『魏書』を引いている投稿があったので、久しぶりに『老子』の原文に触れた。
「大器晩成」っていつも疑問で、漢代以降の「大人物(あるいは大事業)は時間をかけて完成するのだ」的な解釈でもいいんだけどさ。
最近、古い文字資料が出てきて「大器免成」と書かれてて、「大器」は成立することを免れる、だから成立しないのだ、なんて逆の解釈することもある。
この新解釈は耳目を引きがちだが、それゆえに、取ってつけたような印象を受ける。
老子の原文、「大器晩成」がある辺りはおんなじような文構成になっている。
明道若昧。進道若退。夷道若纇。上徳若谷。大白若辱。廣徳若不足。建徳若偸。質眞若渝。大方無隅。大器晩成。大音希聲。大象無形。
明るい道は暗きがごとし。
道を進んでいるようで退いている。
高い徳は谷のように深く。
大いに白いものは辱(よご)れているように見え、
広い徳は、足りていないように見え、
剛健な徳は、愉しんでいるように(怠けているように)見え
大きな四角には隅がない。
大きな器は晩成する。
大きな音は、その音が聴こえない。
大きなカタチは姿が見えない。
この辺りの文章は、ものすごく良いモノや大きいモノは、それゆえに逆のようにも見える(あるいはそのように見えない)、という文脈だ。
A大きすぎる四角は、それゆえに四角く見えず隅がない。
B大きすぎる音はそれゆえに聴こえない。
C大きすぎる物はそれゆえに見ることができない。
という流れ。
これを踏まえると、「大きすぎる器は、それゆえに完成しているように見えない」とするのが妥当なのではないだろうか。
だから「晩成」でも「免成」でも良いような気がするんだ。
出来あがるのにめちゃくちゃ時間がかかる⇔いつまでたっても完成しない って、意味が通ずるよね。
ここでむしろ重要なのは、出来あがるのに時間がかかるorいつまで経っても出来ない……ように見える! じつは大器! ってところなんじゃないだろうか。
大きな器は、大き過ぎるあまり、出来あがっていないように見えるのだ。そう考えるのが文脈的ではないだろうか。
これを踏まえて現代的に譬えると「器のでかいやつは、器がでかすぎるあまり凡人にはなにやっているか伝わりにくい。あるいは、アホみたいな振る舞いに見える」とでもなるだろうか。
「晩成」か「免成」か、の議論だと大きな器が成立するかしないか、すなわち大人物は成功するかしないかに議論が向きがちだ。
しかし原文の文脈に照らすと、大器は一見すると器として成っていないように見える。
(徳のある、あるいは「道」に沿う)大人物は一見してそのように見えない、とも読み得るのではないかというのが本増田のいいたいところだ。
そりゃパフォーマーだけで運営できるものではないし、最初に資本を投下するのも事務所何だろうけど。
ベリで一人浮いているパフォーマーだった嗣永さんが、ベリ活動休止後もわざわざアイドル続けたくて慈しんだグループなのに。
嗣永さんの作った中身のない心地よい表象の世界をぶち壊しやがって。
あれだけ貢献した人の、どんな形であれ強い影響下にあったグループを、事務所が”一方的に「はい、おしまい」ってさ。
アンジュルムの時だって、結果的に成功してなんか有耶無耶になっている気がするけど、勝手に改名しやがって。
ティーンズをあれだけ握手だのライブだのでこき使っておいて、彼女からも主体性すら剥奪して、そんなのもう見ていられないよ。
ただただムカつくわ。
上位2割には間違いなく入るくらいの美人。
年齢は26歳。
しっかり始業前に出勤して、応接のテービルとか拭いてくれるし、必要があれば残業も厭わない(ほとんど残業の必要はないが)。
外見だけ見ると、美人で、非常に賢くて、しっかりしている感じ。
あ、まったくできないというわけじゃない。
こういう女性は早くお見合いでもして家庭に入ってくれればと思う。
少子化で若い人が減った職場にポンコツがいるとまったく仕事が捗らない。
このまま教え続ければいつか使えるようになるのか?
その見極めが難しい。
こういう人って「教え方が悪い」と開き直るようなゲスな人なら分かるけど、
常に初見の外部評価>自己評価で悩んでる場合ってあるんじゃないかな。
単なる大器晩成型なのか。
晩成型なのであればいつ大成するのか。
このままずっと辛抱の時期が続くのか。
1日が終わるのが早い。
明日に繋がるような積み上げが、なにか出来ただろうか?と考えると何も出来ていない。
やらねば、と思うことはある。
多くはないが時間もある(はずだ)。
しかし結果的には、なんら積み上げることなく1日が終わっている。
もう30代半ばだというのに、こんな風に過ごしていたら5年後・10年後はどうなってしまうのか。
10代・20代の頃はまだその時点での自分を肯定することが出来た。
いよいよ体力・記憶力が低下し始めて来て、これからはいままでの人生の積み上げ分で飯を食っていかねばならない年齢になってきて、ハッと積み上げなんて無かったことに気付いた。
なかなか挽回の取っ掛かりが見えずに
今日も恐怖に怯えて1日が終わる。
そう思ったんなら四の五の言ってないで今からまたやればいい。
そんなことを反省したりここに書いたりしたってなにも変わらないよ。
あとね、俺も君と同じような立場で同じようなことを考えたことがあるからわかるけど、「野望とか目標とか夢とか」があればいいってもんじゃない。それを具現化するためにどうしたらいいか、考えてやらなきゃダメだ。それには運も必要だけど何よりもまず努力だ。
「子供のときは努力で差がつく。大人になったら努力では差がつかない。才能で差がつく。そして努力しない奴はひたすら落ちていく。」
はっきり言うけどこれは全く逆。鈍才が大器晩成したり神童がただの人になるっていう話よく聞くだろ?つまりは努力の差によって才能の差が克服された例だよ。気がついたら教科書を読んでるみたいなのが家庭環境みたいなのも含めて「才能」。そこからどれだけの努力を積み重ねるかが問題。
つーか、あんた、はっきり言って心の底から悔しいと思ってないだろ?でなきゃ、「どんだけ努力しても勝てねぇ」なんてセリフ、そう簡単に吐けるはずがない。俺だってね、君と同じような経歴をたどったから最初はそういうことを思ったよ。でも、そういう奴らはよく聞けば俺なんかとは自分と次元の違う量の努力をしてるんだよ。例外なくな。自分で「俺は努力してる」とか思って喜んでる間はまだまだ自尊心を満足させて喜んでるだけ。君が中学校のときまでそうだったように、努力していることを当然に感じるまでやらなきゃ「努力」したことにはならない。やってる最中に何も感じないくら没入して、後になってからぶっ飛んだことをしていたと気づくぐらいまでやって、はじめて「どんだけ努力しても」と言える資格があると思うよ。根性論とかじゃない。根性で克服しないとやってられないようじゃまだまだだよ。
あとは、そこまでしてやりたいかどうかだよ。何かやりたいことがあって、自分が「いい加減」であることを克服したいんだったらやってみたらいい。そうでもなくて、単に人と比べて負けたくないだけならそもそも努力する必要自体がないじゃないか。
何事につけ才能の有る無しはあると思うんだが。あらゆる分野で。
才能があるからアーティストとして幸せになれるのか。幸せって何?お金?
未だに人に衝撃を与えるゴッホはどう見ても社会的には不幸だったし、自覚的にも幸福にはなれなかった。
彼は才能はなかったのだろうか?それとも才能を見出す人間がいなかったのか?
ストリートから生まれて商業的に成功したミュージシャンは才能があったのかなかったのか。
NYのアートシーンから生まれるアーティストは才能があるのか。
自分の才能を自分で見切った時点でアーティストとしては失敗なんじゃないのか。
アーティストとは生きている間に評価されるべきものなのか。
人の能力を人が評価することがどれだけ確かなのか。
そこには本当に驕りはないのか?
アーティストとは、名付けられるものなのか、名乗るものなのか。
私にはわからない。
意思疎通が困難な外国人を雇うより、年齢に対する給料の相場、みたいな硬直化したモデルを崩してでも
日本人が働いたほうがまだましだと思わね?
都内の店主はそうは考えてないみたいですよ。
日本の若者より外国人労働者のほうが真面目に働くので雇うそうです。
意思疎通が困難なのは若者のほうのようです。
第二新卒扱いでたまに入ってきたりする。
ひどいことは無いけど、格段使えるっていうわけでもないわな。
その年齢で面接受けるような人は人脈ないし・・・。あったらコネで入ってくるよね。
だったら若いほうがいいやという感じ。
というか28歳ぐらいには成功しているやつはひと段落ついているころだよね。
頭ひとつ抜けるぐらいできるやつはだいたいそれくらいの年齢。
自分も28歳ぐらいには会社の役員にはなってた。
研究職だって準教になるのもそれくらいの年齢でなるやつはなるよね。
真面目に働くのが一番。
やってみた。しかし名付けならば考え直すことをおすすめします、とか言い切っちゃうとこがすごい。
主運
21画:独立権威、頭領の霊位を示す大吉祥数
独立心が旺盛で、一歩一歩と地位と名誉を築く強運数で、人の長としての信頼を集め、前途洋々と開ける強運数だけに、若年から人を見下す欠点があり、和を欠いて敵も作ります。これを慎んでいけば弱冠にして才覚を発揮できます。
女性のあなたは、キャリアウーマンとしては大成功しますが、霊位が強すぎ、孤独相か、夫との生死別または一家を背負う運命の暗示があります。また、この数を持ていますと、夫の運勢を伸長させない暗示がありますから、安穏に夫を補佐し協調の精神を養うように心掛けてください。(「名付け」には避けたい数です。)
若年より人を??のあたりが身に覚えがあるだけにどきっとするところ。しかしキャリアウーマンとしては大成功か。まあ今のままいけば大成功はともかく普通に成功くらいはいくかな。
対人運・社交運
16画:頭領の才象望運の霊位を示す吉祥数
大器晩成、良い友達が多く、リーダ格で社交上手な才があり、多くの人に人気があって共に栄える博愛精神を有し、不遇な環境にあっても協力者により盛運に転ずる強運数。裏面には親分肌的な所があって、ひとの面倒を良く見ますが、逆に利用されて損をしないように注意が必要です。
どうも↑と矛盾しているような気がするのだけど。
性格
健全発達型 表面は大人しく何事も漸進的で物事に筋道を立てて理性的です。温和に見えるが内心は不屈の精神と、嫉みや疑いの気持があり、余り活動的でないが人の上に立つ素養あり。裏面は剛情でワンマンなため、これが出ますと遊び好き・けじめが無くなります。
同じく↑と矛盾s(ry 強情&ワンマンは当たってるかな。しっかし全体的に一貫してないな。
基礎運
9画:悲運薄幸な霊位を示す凶運数
智力に優れ頭の回転が速いのですが、病弱薄幸で肉親の縁も薄く幼少にて親との生死別による孤独な生活や甚だしい時は短命の暗示がある大凶数です。他の数との組み合わせにもよりますが、多くは人のために損をしがちな苦労の多い人生をたどります。ただし才略優秀なる人は大成功者となります。
家族には恵まれていると自負しているのでこれは当たってないかな。不幸といえば弟を亡くしたくらいか。
晩年運
37画:篤実単行、繁栄の霊位を示す吉祥運
独立単行、智力胆力に優れ大業成就の強運で万難突破、独立権威の数だけに、反面、行き過ぎますと孤立する危険性があります。人との和合に心掛ける事が安泰発展の秘訣です。
女性のあなたは、過剛になりますと、孤立しますから分をわきまえたいものです。
健康運が極悪なことを除けば特に大過なし。才に溺れるな!みたいな感じなんで身を慎もうと思う。
君は憧れの主人公とは違う。
そんな、違う星の住人とも言える人物を目指すのは、すばらしく苦痛で、とっても素敵だ。
その気持ちを持ち続けている限り、つらい思いをすることが多いだろう。志を高く持つっていうのは、恐らく苦行なんだ。
でも、そんな苦痛に満ちた君の姿は、まさしく主人公だ。君自身がそれを感じることができないのが残念だが、まさしく主人公なんだよ。
もしかしたら本当に誰かから憧れを抱かれるかもしれない。そうやって、志や理想はリンクしていくものなんだ。その崇高な輪の中に入ってることを誇りに思おうよ。
そして自分の卑小さに絶望しかけたときのために、他にも憧れの主人公を見つけておくほうがいいかもしれない。たとえば大器晩成な人物だ。そうすれば、君はますます大きな輪の中に存在する一人の主人公になれるんだ。
最後に僕が一つアドバイスできるとするなら、次の一言しかない。
「そんなくだらねーことぐだぐだ考えてる暇があるんなら、さっさと風呂入って本読んで寝ろ」