はてなキーワード: カフカとは
日本人は風邪で熱があっても会社を休まないという風潮があり、それはおかしなことだそうだ。
なぜ日本の風邪薬は、無理することが前提になっているのだろうか - 脱社畜ブログ
http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2012/12/11/212333
熱があっても会社に行きましょうというのは、たしかに周囲の社員にとっても迷惑だし、行かないと壊れるデカイ商談とかが無いかぎりまともな会社は休めると思う。
いや、多少まともじゃなくても休める。少なくとも今まで働いた会社で、熱が出ても休めないところは無かった。
病院に行って診断書もらってこいって言うところはあったけど。
とはいえ引っかかる部分はそこではなくて、よくこういう話で出てくる「日本人は」っていう言い方だ。
今日久しぶりにカフカの『変身』を読んだんだけど、最初のほうにこういう文章があった。
支配人はいった。「たいしたことでないといいんですが。とはいえ、一面では、われわれ商売人というものは、幸か不幸かはどちらでもいいのですが、少しぐらいかげんが悪いなんていうのは、商売のことを考えるとあっさり切り抜けてしまわなければならぬことがしょっちゅうありましてね」
ちなみにグレゴール・ザムザは毎日朝5時の汽車に乗って会社に向かうそうだ。
彼の通勤する会社の店舗は朝7時前に開店している。上のシーンは7時10分に支配人がグレゴールの遅刻をとがめにやってきたシーンだ。
周知のように、この時点でグレゴールは一匹の甲虫に姿を変えており、ベッドから起き上がれないでいる。
もちろんここには誇張があるだろう。グレゴール・ザムザは特に忙しいビジネスマンとして描かれていて、この会社は特にブラックな会社というわけだ。
でも基本的な問題として、こういう生きづらさをカフカも感じていたのは確かだろう。
カフカはプラハの労働者傷害保険協会で死の2年前まで働いていた。
結局のところ、精神的な意味でも肉体的な意味でも、人間的な生活をなげうって働かねばならないという風潮は、洋の東西を問わず100年前から続いている。
もちろん国によって程度の差はあるだろうし、実際に毎日午後はシエスタを2時間楽しむ人もいるだろう。
でもそれは日本でだって同じことだ。日本だって、熱があるのに出社を要求される会社が普通なわけではない。
重要なのは、100年前から「それは異常だよ」って言ってるのに、まるでこの風潮が無くならないことだ。
異常なのは確かだけれど、声を上げても究極的にそうした雰囲気は無くなりはしないだろうし、誰かのせいにしてみたところでその誰かがいなくなってもこの風潮は続くのだ。
「男は「男様」的立場にいられて、女どう生きても叩かれる社会」だよね?
(ここまでは納得してもらってたよね?)
そこはちょっと違うよ。
というか俺は「女が抑圧されて男が安泰な社会」という風に受け取ったんだけど。(多分君も実質はそういいたいんだと思うけど)
その場合は、女にアンフェアーな社会ではあっても、「論理が通用しない社会」ってわけじゃないよね。
だから君が言う、
も女がやれば認められないわけ。
君が言ってる社会も実質は単に「女に厳しいから女が認められない社会」だろう?
それはほとんどカフカ的な意味でルール不明な精神病世界の話だと思うから、俺の考えとは違う。
も女がやれば認められな
(あと別に昔の嫁さんが奴隷だったとまでは思ってない、説明の方便なので念のため。)
繰り返すけど、
システムとは何か
人は、自分にとってもっとも優先させるべき物事の前に立ってこそ、様々な物事の中に意味を見出すことができる
たとえば、カフカの『城』において、Kが城の周りをぐるぐると回るしかなかったように
あらゆるものはメタファーに過ぎない
我々は万物を介してにんじんを見る
我々にもっともリアリティを喚起するものとは何だろうか
それは往々にして破滅だ
そのようなものだけが、我々の人生の中で意味を持っていると思われがちなのだ
ツァラトゥストラを通してニーチェは述懐する。「世界は苦痛に満ちた一者の見る夢であるように思われた」
そうかもしれない
しかし、別の道が我々にはあるのかもしれない
それがシステムというものであり、個人意志というものでもあるからだ
それぞれの倫理において、あるいは、意志において
システムの名のもとに
聡明なるみなさんはこの文章が高名な哲学者p j フランクファートの評論からとられたものだとおわかりだと思う。
だけどこの文章は別にウンコな議論に関する再確認を求めようとは思わないし、その翻訳者たる山形浩生の著作についても、彼の翻訳した1984年について語ろうとするものでもない。
あらゆる間違った教育は、顧客本位ではない。だからといって、教授本位というわけでもない。ただ、試験に向けて最適化されているのだ。
物理学では相対性理論さえ避けられる。最も興味深い現象である量子力学に踏み込むことは避けられる。
僕は常々疑問を持ってきた。学校の授業って本当に効率良いやり方なのか?
ずいぶん不恰好じゃないか。進みは遅いし、何しろ起きているのが難儀だ。
そして教科書がクソなんだ。別に分厚さの問題じゃないよ、教科書は先生の助けを得ないと使いものにならないようになっているんだ。
クソ退屈な授業とゴミみたいな教科書を組み合わせても、優れた教科書、参考書には全然及ばないんだ。残念ながら。
だけどいろいろな理由をつけてそういう本、教えてくれないんだな。
時々優れた先生がいる。尊敬できる人もいるし、その人の授業を受けてよかったなって思うこともある。
だけどそういうものは、少ない。本当に少ない。少なくとも学校教育であの先生は素晴らしかったといえる人は、5本の指で数えられる。
そしてその先生方が素晴らしい所以は、つまり結局は自分でやるしかないということを教えてくれたからだ。
実験や実践を除けば、講義によって得られるものなど、殆ど存在しない。
文学の授業を受けるならドストエフスキー読んでたほうがいいし、教授お手製の教科書を読むくらいなら、もっと読むべきたくさんの本がある。
進級できないとか、単位がとれない、以外の理由。
教養を深めたいというモチベーションで学ぶには、教養はあまりにも薄くて、退屈だ。
退屈に耐えて学ぶことが大事だとして、人生がクソの山だということを学ぶとして、もしそうなら、ヴォネガットやフランツ・カフカを読めばいい話だ。
僕が習った国語の先生は、僕が手にとったフランツ・カフカの審判を見て、こう言った
彼から教わるべきことが果たしてあるんだろうか?
これは一つの例だ。ただ、彼らを見ててわかるのは、こうやってると理解出来ないままだ、ということだ。権威を一旦ないものにしてしまうと、世の中はずいぶんおかしなことになっているように思える。噛み合ってないジグソーパズルみたいなんだ。全然適正のない人が、不思議な力で無理やり位置取っているような・・・。
わかるわかる。俺の場合大学のサークルに似たようなのがいたなあ。ただしそいつは男で、話も全体的に元増田の話とは男女逆転してたが。
基本的に「私はわかってる」というオーラを出し、いつも隅でタバコをふかしてた。
で、「○○ちょっとおいで~」とかいって人を呼び出して、こそこそ人のプライベートなことだけ話してた。
こことかまるっきりそのまんま。「男に厳しく女に甘い」だけはそのままだったがw
そいつはおかしな奴で、音楽系のサークルだったのに、自分ではほとんど演奏しなかった。「初心者同然なのでこれから始めます」とかいって入ってきたくせに、評論家的な立場におさまって、他人の演奏を論評してばかりだった。そしてなぜか後輩達の一部は、自分ではそのジャンルの音楽をほとんど聴きもしないそいつの論評を聞いていた。まあそいつの「論評」も他人の受け売りと、「あいつはああいう性格だからこういう演奏になる」みたいな、本人の性格にこじつけた適当なことをつぎはぎしてるだけのものだったんだがね。
そういうわけで、
不思議と相談ごととかで頼られたりしていたけど、正直、自分にはなんであの人に相談するのか分からなかった。
空っぽの人に見えた。他人との関係性に依存してるというか、寂しそうに見えた。
なんかサユリ一号とかぶる感じ。本当は周りより子供なんじゃ?って思ってた。
そして実は自分からは何もしないんだよね。周りを分析して、「あんたってこうよね」とか言って、相手の心に入り込む。
こういうことが見えてる上の学年を中心にそいつを嫌っている人間も多かったが、下の学年を中心に取り巻きもそれなりに沢山いた。
で、俺もそいつとは余り関わらないようにしてたんだが、学年が進むにつれてサークル内でそいつの取り巻きの比率が高まってきた。
そしてなぜかあるときそいつは俺をターゲットに定めたらしい。取り巻きの後輩に「増田は人間的に幼稚だ、何もわかってない」などと吹き込みだした。そして、そいつの取り巻きの後輩からいきなり俺は総スカンくらい始めた。そいつらの中には
「僕は元々このサークルあんまりなじめてなかったんですけど、増田さんが親しくしてくれたから残ろうって気になったんすよw」
みたいなことを言ってた奴もそれなりにいて、社交辞令とはいえ悪い気はしてなかったし、少なくとも嫌われてはいないだろうと思ってたんだが甘かった。
気がついたら何の前触れもなく周りの人間が自分を敵視するようになってた。馬鹿話をして普通に笑ってた後輩が、は?何言ってんのこの人?頭悪いんじゃね?みたいな侮蔑を向けてくる。まさにカフカの「変身」の世界。ある朝目が覚めたら自分が毒虫になってたってこういうことだなと思う。
感情の行き違いでハブられたなら諦めも付くが、こっちに何の落ち度もなかったからすっかり人間不信になった(例の奴が裏で俺の悪口吹き込んでたと知ったのは最近になってから)。
俺はもともと学問が好きで博士まで残るつもりだったが、メンヘル状態になってしまっては学業に身が入るわけもなく、留年した上にひどい卒論を書いて大学を去った。
一方、そいつやその取り巻き連中は博士まで残った奴が多い。というか、学生時代に学問について熱く語ってた連中で博士に残った奴は皆無に等しかった。逆に、いつも「単位が足りない」だのわめいてたり、普段はろくに勉強せずに試験前に俺に勉強聞きに来たりしてた奴らこそが、博士終了後即刻でアカポスゲットしてたりしてる。
今の自分は自分の分野でそれなりに誇りの持てる仕事してるつもりだが、そういうのを見ると未だに心がもやもやする。純粋数学みたいな才能勝負の個人プレーの分野を除けば学問の世界もコミュ力が重要なんだなという現実。本当、娑婆は地獄だぜ。
http://anond.hatelabo.jp/20100913002509
小学生の頃、中休みや昼休みに遊びの輪に入れず図書室に逃げ込んでいた。
そこで読んだ「十五少年漂流記」や「ロビンソン・クルーソー」辺りが出発点だろう。大丈夫、俺もそうだ。
そして大方の場合、小学校~高校までははっきり言ってクソだっただろう。
グレたか孤独だったかの二択しかない。家庭科の授業と体育は大嫌いだ。大丈夫、俺もそうだ。
そんなわけで、自分の才能はどこにあるか小学生の俺は考えた。運動、論外だ。絵、話にならない。勉強、出来なくはないが一番には到底なれそうもない。そんな時、読書感想文コンテストが市の優良賞に選ばれた。そうか、俺の才能文章じゃね?
そもそも「書きたいもの」がそんなにない。ファンタジーもSFもラブロマンスも特に好みではない。
なんとなく「文学」に憧れはあるが、そもそも文学ってなんだ。これは本を読まねばなるまい。
とりあえず「金閣寺」と「人間失格」を買ってみた。どっちも意味がわからなかった。ただ、人間失格を読んだとき「要するにゴミ野郎だよね」と思った記憶はある。これのどこがいいのだろうか、と真剣に思った。金閣寺は途中で放り投げた。
仕方が無いので、遊び人のおじさん(36歳、ヒモ)に相談した。面白い文学ってない?おじさんは「これを読め」と安部公房の「壁」を貸してくれた。世界がひっくり返った気がした。あの衝撃は未だに忘れられない。「S・カルマ氏の犯罪」「バベルの塔の狸」。まさに「衝撃」と呼ぶのにふさわしかったと思う。ようするに、文学とは衝撃なのだとそのとき俺は思った。「作者は何を言いたかったでしょうか?」という国語教育の呪縛から解き放たれた瞬間だったと思う。
おじさん、面白かったよ。とおじさんに本を返すと、次におじさんが貸してくれたのは
中島らもの「バンド・オブ・ザ・ナイト」と三島の「不道徳教育講座」だった。今思うと、中一に貸していい本では決して無いのだが。これらの本は「衝撃」という点では安部と全く比較にならないが、とにかく面白かった。中島らものラリった文章と三島と毒たっぷりのユーモア。おかげで、俺は加速度的に人生を踏み外していった。その後、叔父さんは叔母さんと離婚しどこかへ消えていってしまった。どこかで野垂れ死んでいるかもしれないが、元気ならいいな、と思う。
もともと、安部公房からスタートした読書遍歴だったのでとにかく「実存主義」というやつに俺は興味があった。
言うまでも無い、カミュである。「論ずるに値する議題は一つしかない、自殺である」(ちょううろおぼえ)のシジュポスの神話、なにより「異邦人」は安部以来の衝撃を俺に与えた。また、この頃俺の心を捉えたのはもう一つ、いわゆるビート文学である。ケルアック、ギンズバーグ、そしてバロウズ(これは中島らもの影響も強い)、そしてもう一つ。読書暦の長い人は次に何が来るか容易に予想が出来るだろうが、ドストエフスキーが直撃した。「カラマーゾフの兄弟」や「罪と罰」は当然として、俺の心をえぐったのは「貧しき人々」だった。あの主人公の愛すべきクズっぷり!誰も悪人はいないのに、誰もが加速度的に人生の谷底へ落下していく感覚。学校をさぼっては喫茶店でひたすら本を読んだ十代だった。しかし、サルトルに関してはさほどピンと来ていなかった。「嘔吐」が面白いとは全然思えなかったのだ。根っこをみたらゲロが出る、それで?といった感じだった。
この年齢になると読書に対する耐性もかなり固まっていたので、バルザックやゾラも読んだ、カフカも読んだ。ラテンアメリカ文学にも手を出し始めた。ボルヘスやマルケスも悪くはなかったが、なんといっても「ペドロ・パラモ」のファン・ルルフォが心を捉えた。セリーヌ、ジット、ベケット、クノー、ロブ・グリエといったフランス文学の一連の流れも好きだった。とにかく読みまくっていたことだけは覚えている。おかげで、センター試験の数学は4/200点だった。
そして高校を卒業した。この時期には熱心に小説を書いていたような記憶がある。だが、今読み返しても全く面白くもなんともない。無駄に重苦しい下手糞な文体、意味不明なストーリー展開、自意識過剰さだけがひたすら鼻につくクソみたいな小説だった。大学入試は願書を出すのを忘れた。家にもいられなくなり、家を出た。その後はなんか二年くらい働いた気がする。ある日ふと、立ち寄った本屋でテリー・イーグルトンの「文学とは何か」を読んだ。そうか、よし、文学理論をやろう!そう思って大学を受けた。北海道の片田舎で二年も働いただけあって貯金はそこそこあった。なんとなく某私大を受けたら受かった。奨学金を借りて、三畳間に住んで暮らした。死ぬほど楽しかったことだけは覚えている。図書館の充実っぷりと来たらすさまじいものがあった。幸せだった。いつまでもこうしていたかった。
大学の間は一生懸命研究をやったとしか覚えていない。卒業する頃、現実的に大学院はムリだと悟り就職した。その間に小さい文学賞や論文の賞を幾つか取ったけれど、デビューには全くつながらなかった。今はとある金融機関の出納担当をしながら小説を書いている。明日も早いから寝なきゃならない。何が言いたいのかさっぱりわからなくなったけど、とにかく小説っていいものですよね。人生って辛いですよね。そういうわけで、リンク先の増田にイーグルトン読めとお勧めしたいだけなんですよ。面白いよ。
ツリー見てないけどタイトルに異議がある。「変身」を読んだほうがいいよ。
カフカは読者に「それでいいのか(悲)」と思わせる天才だと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20100603200325
http://anond.hatelabo.jp/20100604004052
http://anond.hatelabo.jp/20100610084458
http://anond.hatelabo.jp/20100611083455
http://anond.hatelabo.jp/20100615082939
夜が僕の部屋にやってきた
部屋は暗くてマックブックが僕を照らしている。the tuss『Rushup I Bank 12 』が流れている。外は群青色。
僕の耳元でギーガーが囁き出す。僕は狂っているフリをしている。
NO NO NO. 僕は狂っているフリをしているフリをしている。
「セクシャルな意味の言葉を教えてくれよ」って声が聞こえる気がする。腹が減っている。ジャングルから何かが抜け出して僕にまとわりついている。俺の言葉きこえるか?あーあーあー。
夕方から夜への変化は高速だ。青が黒になっていく。バイバイ。
ジャングルジムみたいな都市を這い回るbitとそれにまつわる僕たちの幻想。社会という幻想。言葉を打ち出せば新しい幻想を君の頭が君の頭自信に幻想を見せる。タイプ→bit化→イーサネット→表示→視覚がキャッチ→脳内変換→幻覚
真っ暗な部屋が好きだ。肉体に意味がなくなるみたいに。感覚を研ぎ澄ませ。生活の雑音を音楽に置き換えてセックスをしろ。オセロの決着みたいに本能で意識を埋めろ。
群青は今や黒に限りなく近い。自動筆記をする亡霊を作る機械仕掛けのbotの群れ。
お前の意識はお前のものかって、Gigerが室内冷蔵庫の唸りを隅のほうで齧りながら言っている。君はたぶんズールー族の洗練を受ける必要があるぜギーガー。
言葉は何度もパイプされて行き着く果てで奇形の言葉が夢をもたらす。2ホップで邪悪な存在に触れることだってできる。キマった目の映像をリアルタイムで放映していた綺麗な女の子。いくつもの視線は決して孤独を埋めない。
気づかないうちに青色は消えた。灰色だ。都市の光を反射して黒であることできない空だ。あらゆるルートを探索するうちに幻想は消えてしまった。012345678909876543210
SFみたいに俺の記憶を全部レーザービームでずっと向こうに打ち放ってくれよって、鳥が鳴いてる泣いてる。ずっと先のあの向こうに行きたいんだって。そうしたらこの都市を燃やしてくれよ。
パチンコの台に機械を仕込んで店長とグルになって儲けた金を大型草食動物を殺した肉食動物みたいに分け前を食い散らかしていると、向こうから見たこともないような綺麗な羽を持った鳥がやってきて、その鳥を金で買った。その鳥はアイドルになって沢山の視線を集めたいって言っていた。
孤独な鳥は鳴いていたけれど、僕たちは尻尾を振って怯えたままそれを眺めていました。決して唱えてはならない秘密の呪文を唱えると缶詰から亡霊が這い出てきて僕に本当のことを教えてくれたけれど。夢から醒めて鳥のヴァギナに色とりどりのポスカを差し込むうちに忘れてしまった。
遠く遠くで真っ赤な隕石が通り過ぎている。ポスカを抜き取ってそれを描写しようとすると鳥は嫌がっていたし、向精神薬がなくなればカフカは落ち込んでひたすら押韻のチートコード集を集めていた。
箱男達が工場で夢の製造に従事していて、箱男の王の中身はベンガル虎だって噂がある。ベンガルトラに喰われかけている箱男の中身かもしれない。座席を回転するSUSHIバーでポスカを突き刺したまま鳥は「そこで夢はつくられているの」と言った。
「宇宙に行きたいなら今そこに座っているそこがそうさ」と相対的に近づく箱男が言って、彼女は泣いた。素数の順に爆発する地雷を踏んで15色と共に炸裂して消えて、僕はバーを出た。うつむいたまま。
undoして箱男にバールのようなものを投げつけて彼女を連れ出した。漏斗から昔の記憶が流れ出したのはヤクザがヤクザ映画の花形俳優に挨拶した話だ。
ジャングルから抜け出した野生の箱男は薄暗い目で人工ではない夢をみていた。ゾウオヲアタエルコトバマザリアッテクレ。踊りは無意識を掻き立て無規則のなかから創発性の地獄が運動を始めてベンガルトラは亡霊を求め始めた。ピンク色の乗用サイがテールランプで1万km遠くの仲間たちに危険を伝える。
夜が歌い始める。僕たちは踊り出す。ティム・バーナーズ=リーは笑い出す。感情が全身から溢れ出して路上に数多の星が雨みたいに空から落ちてくる。「ただの黒い石だったみたい」と彼女はほほ笑んだ。ズールー族達は合成麻薬を注射してak-47を振り回す。01234567899999999...
温めた牛乳にパンを浸しながら乳牛を捌く彼らと量子コンピュータと交換で新しい踊りの教則ビデオを手に入れた僕たちは、借入を超えてレイクで現金を3億円引き出して真っ黄色の85年型のデロリアンインドサイを買ってBTFした。僕たち現在の僕たち自身を書き換えるために。
BTFに失敗した僕たちは記号の世界に移動してしまった。'機能'をいじくり回して本能と妄想を書き換えた。現在に戻ると無限マズロー状態。死と性・秩序だった無秩序が保存が破壊を食って内蔵がキーボードに切り替わっていた。
箱男たちの中身と箱は裏返って剥き出しの彼らとベンガルトラと箱男達の比率は逆転して植えたトラとトラの共食いと皇帝と臣民の比率が逆転して、むしろ逆に臣民が皇帝っぽくなってすらいたし、ピカピカ光る非同期の夢を同期させようとする電池を食う機械にしゃべりかけるとやつは答えた。
「踊ってくれよ」と言われて僕たちは新型のダンスを踊り始めた。
踊りのマクロが何度もとプレーヤーピアノ達と連動して奪うことと奪われることが等価になって実在しないヒーロー達が現れて偶像に規則と予定調和を与えた。物語の時だ。
ヒーロー達が生み出したベイジアンネットワークを貪るパックマンみたいにお話の快楽を貪る彼女が超常現象的な動きでスピーカーの振動と同じ周波数で爆裂する音楽を発する。まとめあげられた集団はリズムの原則に奪われて暴動みたいに時速2kmの速度で遠心形状で彼女に巻き込まれていく。
月に反射した腐った陽光がベンツに載ったカミュをバターみたいに溶かしてる。笑えない冗談で笑うコメディアンの悲しみがギアの悲しみを包み込んで目隠しされたノード形状の同調する協力者を通してP2P的に愛を送っている。波状に飛び散ったハッシュが変形して別の夢になる。
衛星軌道上でジョージ・ワシントン級のブラシが振られて百万色のインクが降り落ちてアクション・ペインティングで灰色の建物はサイケデリックに変色してる。
マグニチュード6000の地割れから羊が大量発生した。鉄格子に守られた僕たちは数えて眠ることのできない羊に食べられた。
放物の賜物がいくつも刺さった養殖のアサヒスーパードライが波のように揺れて聞いたことのない言葉を喋っている。
朝が避けることのできない恋や運命みたいな感じで夜を引きずり込んでいる。
二つの約束が浮き上がって実体のない情報生命体みたいに自らをbitに変換して飛んでいった。
終わったことを始まりが喋っている。あなたは夢をみていたのですと夢が喋っている。
夜が僕の部屋にやってきた
部屋は暗くてマックブックが僕を照らしている。the tuss『Rushup I Bank 12 』が流れている。外は群青色。
僕の耳元でギーガーが囁き出す。僕は狂っているフリをしている。
NO NO NO. 僕は狂っているフリをしているフリをしている。
「セクシャルな意味の言葉を教えてくれよ」って声が聞こえる気がする。腹が減っている。ジャングルから何かが抜け出して僕にまとわりついている。俺の言葉きこえるか?あーあーあー。
夕方から夜への変化は高速だ。青が黒になっていく。バイバイ。
ジャングルジムみたいな都市を這い回るbitとそれにまつわる僕たちの幻想。社会という幻想。言葉を打ち出せば新しい幻想を君の頭が君の頭自信に幻想を見せる。タイプ→bit化→イーサネット→表示→視覚がキャッチ→脳内変換→幻覚
真っ暗な部屋が好きだ。肉体に意味がなくなるみたいに。感覚を研ぎ澄ませ。生活の雑音を音楽に置き換えてセックスをしろ。オセロの決着みたいに本能で意識を埋めろ。
群青は今や黒に限りなく近い。自動筆記をする亡霊を作る機械仕掛けのbotの群れ。
お前の意識はお前のものかって、Gigerが室内冷蔵庫の唸りを隅のほうで齧りながら言っている。君はたぶんズールー族の洗練を受ける必要があるぜギーガー。
言葉は何度もパイプされて行き着く果てで奇形の言葉が夢をもたらす。2ホップで邪悪な存在に触れることだってできる。キマった目の映像をリアルタイムで放映していた綺麗な女の子。いくつもの視線は決して孤独を埋めない。
気づかないうちに青色は消えた。灰色だ。都市の光を反射して黒であることできない空だ。あらゆるルートを探索するうちに幻想は消えてしまった。012345678909876543210
SFみたいに俺の記憶を全部レーザービームでずっと向こうに打ち放ってくれよって、鳥が鳴いてる泣いてる。ずっと先のあの向こうに行きたいんだって。そうしたらこの都市を燃やしてくれよ。
パチンコの台に機械を仕込んで店長とグルになって儲けた金を大型草食動物を殺した肉食動物みたいに分け前を食い散らかしていると、向こうから見たこともないような綺麗な羽を持った鳥がやってきて、その鳥を金で買った。その鳥はアイドルになって沢山の視線を集めたいって言っていた。
孤独な鳥は鳴いていたけれど、僕たちは尻尾を振って怯えたままそれを眺めていました。決して唱えてはならない秘密の呪文を唱えると缶詰から亡霊が這い出てきて僕に本当のことを教えてくれたけれど。夢から醒めて鳥のヴァギナに色とりどりのポスカを差し込むうちに忘れてしまった。
遠く遠くで真っ赤な隕石が通り過ぎている。ポスカを抜き取ってそれを描写しようとすると鳥は嫌がっていたし、向精神薬がなくなればカフカは落ち込んでひたすら押韻のチートコード集を集めていた。
サリンジャーは好きだが読んでる奴は大体嫌い
中島敦、梶井基次郎は大好きだが、熱く語るのは恥ずかしいと思っている
ドゥルーズの理論をフォローするのはイヤだが、どうしてもレポートがまとまらない時の最後の手段として良く使う
「ドストエフスキーはラノベ」とか言われると「そうかもな」と思う
イタロ・カルヴィーノやポールオースターといったポスモ作家に憧れるが、同時にイラつく
「巧いとは思うけど、小手先だよな所詮」
東洋哲学をいつかやらなきゃと思いつつ、絶対やらない。
しかし、ストロースについて論じるのはニワカ臭いのでヤコブソンについて話したがる
記号論が具体的にどんな学問なのか説明できない
脱構築って言っとけばなんとかなると思ってる
カルチュラル・スタディーズの全体像がわからない
共産主義については理解しているが、むしろ資本主義をわかってない
しかし、実際の院生を見ると同情を禁じえない
就職活動を始めると、むしろ疎外感を味わう
http://anond.hatelabo.jp/20090503233005
これは二次裏でもimg鯖でまとめられたオススメ本一覧2008年度バージョンだったらしい。
元は「中高生のため」と限定したわけじゃなく単純に他の人に薦めたいというものだとか。
1年毎にまとめられているようで、これの2007年度バージョンを見つけたので貼ってみる。
4 シラノ・ド・ベルジュラック エドモン・ロスタン
9 風が吹くとき レイモンド・ブリッグズ
10 黄金の法 大川隆法
15 パンセ パスカル
20 シブミ トレヴァニアン
22 もの食う人びと 辺見庸
26 愛に時間を ロバート・A・ハインライン
30 マルドゥック・スクランブル 冲方丁
32 薬菜飯店 筒井康隆
34 変身 カフカ
35 チリの地震―クライスト短篇集 ハインリヒ・フォン・クライスト
40 恋のかけひき他11篇 マルキ・ド・サド
44 ロリータ ウラジーミル・ナボコフ
47 最悪 奥田英朗
50 泥流地帯 三浦綾子
57 魂の駆動体 神林長平
60 エルマーとりゅう-Elmer and the Dragon ルース・スタイルス・ガネット
65 一万一千本の鞭 ギヨーム・アポリネール
66 暗闇のスキャナー フィリップ・K・ディック
67 夏草冬涛 井上靖
68 家守奇譚 梨木香歩
72 アリス―Alice in the right hemisphere 中井拓志
74 かめくん 北野勇作
76 てのひらの闇 藤原伊織
77 極大射程 スティーヴン・ハンター
78 初秋 ロバート・B・パーカー
84 インスマス年代記 スティーヴァン・ジョーンズ
85 鬼麿斬人剣 隆慶一郎
90 サムライ・レンズマン 古橋秀之
92 死者の代弁者 オースン・スコット・カード
95 ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち リチャード・アダムズ
98 されど罪人は竜と踊る 浅井ラボ
『吾妻ひでお「けいおん観た。空虚だ。何もない。作る方も観る方もそんなに現実イヤか?」:アルファルファモザイク』
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51518538.html
吾妻ひでおとアニメ「けいおん」に熱中するような人たちとは相容れないところがある。アニメや漫画(あるいは映画、音楽、文学など)作品に求めるものが違うのだ。いったい吾妻ひでおのような人種は漫画などの作品に何を求めるのか?そのあたりの事を作家のカフカが実に的確に表現している文章がある。
僕は、およそ自分を咬んだり、刺したりするような本だけを、読むべきではないかと思っている。僕たちの読んでいる本が、頭蓋のてっぺんに拳の一撃を加えて僕たちを目覚ませる事がないとしたら、それではなんのために僕たちは本を読むのか?君の書いているように、僕たちを幸福にするためにか?いやはや、本がなかったら、僕たちはかえってそれこそ幸福になるのではないか、そして僕たちを幸福にするような本は、いざとなれば自分で書けるのではないか。しかし僕たちが必要とするのは、僕たちをひどく痛めつける不幸のように、僕たちが自分よりも愛していた人の死のように、すべての人間から引き離されて森のなかに追放されたときのように、そして自殺のように、僕たちに作用するような本である。本は、僕たちの内部の凍結した海を砕く斧でなければならない。そう僕は思う。
吾妻ひでおの作品を読んだことがある方はご存知だと思うが、一見かわいい女の子がたくさん登場し、時には夢うつつのような世界が描かれる彼の作品は、実はあまり登場人物に感情移入をしたり作品の世界に安易に浸って気持ちよく癒されるような種類のものではない。徹底的に情緒を排し、醒めた意識によって構築された作品なのである。そして彼は基本的には、熱心なSF者らしく、今まで見たことのないような世界を作品によって作り出してやるという気概をもって創作に取り組むようなタイプの作家である。
あえて乱暴に言うと萌えアニメに感動しているのは単に(吾妻が指摘するように)フェティシズムと情緒に浸っているにすぎない。子犬が死んだら泣く式の条件反射だ。韓流ドラマに興奮するおばちゃんと一緒だ。傷つかない、ゆるふわな世界で気持ちよくなりたいだけだ。作る方にも読む方にも冒険を強要する吾妻ひでお(やカフカ)のような人種がやっている試みとは別の世界なのであり、萌えを求める人たちにとって、そのような冒険などは作品に必要ない要素なのだ。
吾妻ひでお「でも俺は描く前にもうひとつ考えるよ。マンガとは何かと。」
とりみき 「と言いますと。」
吾妻ひでお「マンガはこれでいいんだろうかということを1時間ぐらい考えて、それで明日締切りだからとりあえず描き始めるわけ。」
とりみき 「自分のマンガはこれでいいんだろうかということですか、それとも……。」
吾妻ひでお「マンガという表現がこれでいいんだろうか、まだ何かやれることがあるんじゃないか、というのを。」
『失踪するなら家のローンが終わってから』より※2
※1フランツ・カフカ著・吉田仙太郎訳(1981)『決定版カフカ全集第9巻・手紙 1902-1924』新潮社(P.25〜)
男だが,高校のときに拒食症に陥った。体脂肪率が5%以内でないと自分が許せなかったな。その後一転して過食に陥って,2ヶ月で20kgも肥満した。その節は家族や友人に多大な迷惑や心配をかけた。今は心からすまなかったと思う。
患者の自己申告が常に正しいわけじゃない。美容というのは表層的な理由にすぎない。俺の場合もデブは醜いから痩せたいという意識はあったし,周囲にもそう言っていたが,それが全てではない。宗教的修行やアスリートについても言えることだろうが,欲望をコントロールするって独特の快感があるんだよ。食欲みたいな生存の核になってる欲望を自分で制御しているという実感があるとたまらなく気持ちいい。カフカの『断食芸人』に描かれてるとおり。とっかかりは美容にあったとしても,いったんそのサイクルが始まると食欲の統制が自己目的化する。でも生物である以上,統制には限界がある。体脂肪率の低下が続くと飢餓状態になって食べ物に手が伸びる。寝起きとか,意識が朦朧としているときに貪るように食べてしまう。その後に自分のしでかしたことに気づいて罪悪感に駆られ,それをなかったことにするために吐き出そうとする。これが癖になると,「たとえ食べたとしても吐けばいいんだ」みたいな考えに陥って,吐くために食べるようになる。こうした異常摂食を繰り返してるうちに,脳のどこかが傷ついて,正常な食欲が失われてしまう。
「痩せすぎは美しくない」とか「吐くのはもったいない」とかいった「正論」は,この際捨ててもらいたい。娘さんもそのことは熟知しているからだ。言われたから止められるようなものじゃない。治療には専門家の手助けが必要だ。娘さんが自分で好きなものを好きなときに食べる/食べないことができる環境をまず破壊しないとならない。入院措置も含めて対応している精神科医がいるので,まずはそちらに連絡を。娘さんは抵抗するだろうが(俺ともう一人の例から見て,拒食の人は拒食しない周囲の人間を軽蔑している可能性がある),強制的になってもやむをえない。
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ブックマークコメントや、トラックバックで色々と意見をいただいたので追記します。
こんなに意見をいただけるとは思いませんでした、ありがとうございます。
■対象年齢について
失念していました、すみません。
年齢は20代〜上限はないと考えています。
もちろん、今回リストアップした服装がそのまま、40〜50代まで通用するとは思っていません。
ですが、今回の服装を基にして、例えばジャケットをツイード素材にする、パンツをウールにする、靴はリーガルなどの革靴にするなど、着用する素材などを少しアレンジすれば、中年〜老年でも、年相応の服装になると思います。
http://allabout.co.jp/mensstyle/mensfashion/closeup/CU20051118A/
■価格について
個人的にも、ユニクロ、無印良品でも中には価格が高いと感じるものもあります。
ですが、ユニクロはよくセールをしていますし、無印良品は発売から2〜3カ月でどんどん値下がりします。値下がりしてもネットショップでは比較的サイズが充実しているので、その頃に購入するといいと思います。
また、普遍的、汎用的なものを紹介することを心がけたので、ジャスコやしまむらでも、同じような服を販売しているのではないでしょうか。
価格に関する意見が出ることも踏まえて、今回はあえてGAPなどは織り交ぜませんでした。
また、個人的にはこれまでの服装に合わせるのであれば、日本ではギャップ・ジャパンが展開するブランド「バナナリパブリック」をお薦めします。
GAP、バナナリパブリックいずれもユニクロ、無印良品と比較すると定価はかなり高価ですが、セール時期には定価の50%以下になりますので、もう少しデザイン性のあるものが欲しいと思う人は、セール時期に足を運んでみるといいと思います。
今回はスーツではない服装で、会社にも行けることを想定しているので、10代では当然ながら、大学生でもちょっと堅苦しいかもしれないですね。
とはいえ、若年層でも少しアレンジすれば、問題ないと思っています。
例えば、中に着る服をシャツではなく、下記のようなボーダーのシャツやクルーネック(丸襟)のセーターにする、ズボンはジーパンを穿く、コート・アウターは先のエントリーで挙げたPコートを選んだり、春先ならジージャン(ジーパンにジージャンは避けましょう)にすれば堅苦しさは減少します。
トレーナーやパーカーを着る場合には、よく分からないプリントが入った物よりも無地をお薦めします。
・無印良品「ボーダーボートネックシャツ」(セントジェームスのボーダーシャツによく似ています)
http://www.muji.net/store/cmdty/detail/4548718014965
http://store.uniqlo.com/jp/CSaGoods/194221-73
http://store.uniqlo.com/jp/CSaGoods/174319-09
■色合わせについて
たしかに、どのスタイリングや記事でも指南されているような色使いですが、雑誌やネットショップのスタイリング例を積極的に見るような人には、そもそも今回の記事自体が必要ないと思っています。
■靴について
きっと、一番言及されるのは、ここだと思っていました。
個人的な趣味で、ドレスシューズなどは普段からあまり履かないので、あくまで僕の趣味の範疇ですが下記をお薦めとして挙げておきます。
http://www.rakuten.co.jp/airspot/436199/438289/
http://www.beyes.jp/men/item/927168
http://item.rakuten.co.jp/e-kaneman/c/0000000138/
■(スタイリングのコンテンツは)無印ネットのtopからどうやって行くの? みつけられない・・・
僕も、紹介しようと思った最中見つからなくなり、焦って「無印良品 コーディネート」で検索して見つけました。
春夏では、また同じようなコンテンツが公開されるのではないでしょうか。
最後に、もっと突っ込んでこの手の服装について知りたいという人は、ファッションブログの中でも(おそらく)かなり有名な「Elastic」を読むといいと思います。
運営主の服に関する造詣の深さには、頭が下がります。
・Elastic
毎日、「疲れた」「もう老人ホームに預けようか」と話をしているのを聞くと、
カフカの変身を思い出さずにはいられない。
外側で起きたことか、内側で起きたことかという違いはあれど、
虫=痴呆症
という構図だ。
どんなときもいつも優しく迎え入れてくれた。そんな祖母が大好きだった。
ザムザの場合、体は変わっても彼自身の中ではしっかりと考えることが出来ていた。
しかし、良かれと思ってした行動も、酷い外見のあまり相手には受け入れられず、結局害虫のような扱いを受けることになった。
祖母の場合は体は同じでも、しっかりと考えることが出来なくなってしまった。
外側の変身だったら自分は受け入れられていたのだろうか。
自分には、今の祖母を受け入れられる自信はない。
今さっきトーマス・マンの「魔の山」を読もうと思って2ページくらい読んだんですが、ふと思い立って皆の知恵(というか経験?)を借りてみようと思った次第です。
とりあえず、今まで読んで面白かったのは
ヘミングウェイ「誰がために鐘はなる」
スタンダール「赤と黒」
チェーホフ「退屈な話」
等々
自分の分析では、「登場人物(一人称小説なら主人公の)の心理描写が丁寧で、ストレート」なものが好き。
で、「登場人物の考えがいまいちわからない」ものが苦手。たとえば、カフカ、カミュ、など(あくまで個人の趣味の問題で別にけなしてるわけではないです)
あと、どうも「あまりにも細かいことについて掘り下げる日本の小説」も苦手。「暗夜航路」がだめでした。(あくまで(以下略))
あ、ドストエフスキー、シェイクスピア、ホメロス、以外でお願いします。既読が多いので。新しい人とか作品が知りたいのです。
です。こんな私にお勧めありませんか?奇特な方、ご教授ください。作品名だけじゃなくて一言何かあるとさらにありがたいです。注文が多くてごめんなさい。
ロシア出身の若ノ鵬は素行の悪さで有名だった。5月の夏場所では、敗れた腹いせに支度部屋の風呂場の棚を殴打して破壊。審判部から注意を受けた。6月のロサンゼルス巡業では会場へ向かうバスの集合時間に遅れ巡業部から厳重注意を受けていた。また本場所の出番前の支度部屋でヘッドホンから大音響で音楽を流すなど、常識を逸脱した行動が目立っていた。
まあ負けてロッカー殴ったとか、バスに遅刻したとか、ウェイティングルームではヘッドホン爆音で集中とか、
「格闘家としては」
常識の範囲内でしょう。大麻服用者を狂人に仕立て上げようとしたけど大したエピソードも得られずグダグダになってる感。
やっぱりたぶん彼らの認識としては「出稼ぎ格闘家」なんだろうね。格闘家が痛みを和らげるためにアルコールその他の薬物に頼るのはよくあること*1。ましてやカフカスのど真ん中、北オセチアの出身となれば。
露鵬・白露山兄弟、いとこ同士の若ノ鵬と阿覧。そしてルスラン・カラエフ、アラン・カラエフもいとこ同士だ。
北オセチア共和国。場所はわかるかな? Wikipediaの南部連邦管区またはカフカースを見てもらうと確認しやすいんだが、中央アジア、コーカサス地方はチェチェンのお隣、停戦したんだかなんなんだかの南オセチア自治州(グルジア)はもちろんお隣どころか同民族の異国家だ。
ここに住むのはオセット人。古くはかの悪名高きスキタイの血を引き、モンゴル帝国でも外国人部隊として大活躍した、尚武の誉れ高きイラン系山岳遊牧民族。
南オセチアはいまだ(公式には)グルジアの支配下。北オセチアはチェチェン攻略、南オセチア紛争でロシア軍の重要な駐屯地となっている。カフカス地方はなんだか20世紀の極東のようだね。はあ。
そして中央アジア周辺といえば麻薬だ。パリの国際麻薬監視団によれば「中央アジア諸国の農民の月収は 5 ドルしかなく,半数は貧困脱出のために麻薬生産に従事してい」るとのことだし、国際麻薬統制委員会の1999年のレポートによれば「中央アジアとカフカスでは、不法作物の栽培、および、ヘロインをはじめとする薬物の密売と乱用が急速に広がっており、犯罪件数も増大している」。チェチェンじゃ、民族派の車に警官がヘロインを仕込んでしょっぴく、なんてこともあるとか。誰が搾取してんのかね。
あっちのほうの紛争地域ばっかり旅行するのが趣味の大学の先輩がいたが、いわく「コーカサス地方の国によっては大麻は煙草よりライトな嗜好品」だそうで。あんまりおれもハッピーでピースなヴァイヴスな大麻推進派じゃないほうだけど、少なくともヘロイン・コカイン・覚醒剤と同等に考えるべきモノでもないことぐらいは知ってるよ。
体一つで言葉も通じぬ極東へと出稼ぎをせざるを得ない中央アジアの戦士たち。
そしてまたロシアの草刈り場となった故郷、そこに残した愛しい祖母を思う従兄弟たち。
個別の罪を減ぜよと言うつもりはないけど、叩く前に少し想像してみることがあってもいいんじゃないかな。
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*1) id:Midasさんの指摘によれば食欲増進のためではないか、とのこと。そっちのがありそうですね。8/20 13:00追記