はてなキーワード: カフカとは
夏休みになると学校に行っている人たちが、そこらじゅうにあふれ出す。インターネットも、その例外ではない。そして夏になると、「夏厨うぜぇ」とか「ゆとり氏ね」などの罵詈雑言も飛び交う。私はこう言う発言を見るたびに、何でもっと仲良くできないのか、何とかしたいと思っていた。
だが結果からいえば、仲良くなんておそらく無理なのだ。彼らは夏にしか現れない。だとすれば、彼らが使う言葉はどうしてもライターのそれではなく、日常で使う言葉や断片的に覚えた言葉になってしまう。たとえば、日頃から「うんち」の面白さに目覚めて、「うんち」ばかりしゃべっている子供がいたら、ネットでも「うんち」を連呼するはずだ。決して、「要は勇気がないんでしょ」などとはいわない。
閑話休題。つまり、彼らにはアイロニーやユーモア、パロディーなどの、つっこむ技術がない。自分が罵られても、そこから笑いを生み出せない。だから、若くて元気が余っていることも相乗して、「氏ね」「←お前が氏ね」「←お前ら議論は外でやれ」みたいな直情的なやりとりになってしまうのだろう。私はそんな君らを見たくない。そこで、むかつくあいつだけが嫌な思いをする方法を知って欲しい。
はい!というわけで、夏休みに面白い奴になりたい奴は、カフカの審判や太宰治の人間失格、ドストエフスキーの地下室の手記などを読み、言葉でどうつっこめばクールなのか知っちゃいましょう!そして、つまんないコメントを夜空に打ち上げ、爆発と同時に「きたねぇ、花火だ」と罵ればパーフェクト!未来のかっこいい君たちが待ってるぞ!明日は図書館へGO!
おまけ:
良識のない大人の方へ。お前だよ、お前。大人が子供のことを厨房だとかゆとりだとか言って、見下しているだけのお前だよ。アフリカ人だって子供を利用しているってのに、お前は罵るだけなんて本当にいい奴だな。だが、残念なことにいい奴は地獄行きだ。天国は満杯なんでな。あはははははは。まぁとにかく、いらっときたら罵るだけじゃだめだ。そんなんじゃ、いつまで経ってもいい奴だ。もっと自分のことばを磨け。磨いた言葉で、憎い相手をぶった切れ。血が飛び散るようじゃだめだ。相手の心臓だけを狙うようなことばを、自分の武器として持っておくんだ。相手に、にこやかに近づけ。そして、一瞬で息の根を止めろ。そうすれば、地獄にいっても大丈夫だ。さぁ、今すぐ劇薬小説を読め!
http://anond.hatelabo.jp/20080708184613
とても面白い企画だと思ったので、便乗させてください。
ご覧の通り趣味に走って暗めですがそのあたりはお許しを。
さんとの作品の重複は避けたつもりです。
太宰治「燈籠」
福田英子「妾の半生涯」
福澤諭吉「旧藩情」
ガールシン「四日間」
萩原朔太郎「月に吠える」
原勝郎「東山時代における一縉紳の生活」
樋口一葉「うつせみ」
穂積陳重「法窓夜話」
石川啄木「時代閉塞の現状」
泉鏡花「術三則」
カフカ「道理の前で」
北原白秋「邪宗門」
小林多喜二「党生活者」
幸徳秋水「筆のしづく」
桑原隲藏「蒲寿庚の事蹟」
ルブラン「奇巌城」
中島敦「狼疾記」
折口信夫「翁の発生」
ポー「アッシャー家の崩壊」
スウィフト「アイルランドにおける貧民の子女が、その両親ならびに国家にとっての重荷となることを防止し、かつ社会に対して有用ならしめんとする方法についての私案」
タゴール「ギタンジャリ」
寺田寅彦「流言蜚語」
徳冨蘆花「謀叛論(草稿)」
内村鑑三「後世への最大遺物」
イエイツ「春の心臓」
与謝野晶子「女子の独立自営」
http://anond.hatelabo.jp/20080315152400]
これを全部読んでいない人間は「猿」です。
ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
ハイデッガー『存在と時間』ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシックス
ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシックス
ポランニー『大転換 市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社
デリダ『グラマトロジーいについて』
海外文学
『唐詩選』岩波文庫
シェイクスピア『ハムレット』角川文庫、新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫
ゴーゴル『外套』
ポー『盗まれた手紙』
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
メルヴィル『白鯨』
フローベール『ボヴァリー夫人』
ドストエフスキー『悪霊』
カフカ『審判』
魯迅『阿Q正伝』
トーマス・マン『魔の山』
ザミャーミン『われら』
ムージル『特性のない男』
セリーヌ『夜の果ての旅』
フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』
ジュネ『泥棒日記』
ロブ=グリエ『嫉妬』
レム『ソラリスの陽のもとに』
エリオット『荒地』
ブランショ『文学空間』
日本文学
樋口一葉『にごりえ』
田山花袋『蒲団』
有島武郎『或る女』
志賀直哉『小僧の神様』
内田百〓『冥途・旅順入城式』
江戸川乱歩『押絵と旅する男』
横山利一『機械』
谷崎潤一郎『春琴抄』
川端康成『雪国』
太宰治『斜陽』
大岡昇平『俘虜記』
野坂昭如『エロ事師たち』
島尾敏雄『死の棘』
古井由吉『円陣を組む女たち』
後藤明生『挟み撃ち』
円地文子『食卓のない家』
中上健次『枯木灘』
斎藤茂吉『赤光』
萩原朔太郎『月に吠える』
坪内逍遥『小説神髄』
正岡子規『歌よみに与ふる書』
石川啄木『時代閉塞の現状』
小林秀雄『様々なる意匠』
保田與重郎『日本の橋』
吉本隆明『転向論』
江藤淳『成熟と喪失』
by 柄谷行人、他
追記
ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラ、リソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。
いや、単純にさ、人に会うのが怖い俺みたいな人間はどうすればいいんだろうね、って言う話。
ものすごく、とんでもなく人と会って話するのが苦手なんだよね。磁力で反発しあう関係とかあるじゃないですか?あれに極めて近い感じの状態なんですよね。ほんとのところ。対人恐怖症というわけでもないし、警戒心丸出しで話しているわけじゃない。会話が詰まると脂汗が出る、までは行かないけど、頻繁につまるし、それで気まずい感じを味わうことは多い。気の利いた一言でも言えたらいいんだけどって思うけど、面白い話題を用意してるわけじゃない。というか、そんな話題持ってたら苦労しないよね。大体さ、話してて、絶対つまんなく思われる事が事前に分かってるのに、誰かに会いに行きたいとは思わないよね?だから人に会わない。その前提たる、会う人がいないけどね。まったくもって喜劇だよ。
毎日家に帰る、というより、家に逃げる感覚。そういえば、ここ10年近く10分以上の会話をしてない。保って10分。というか1分が限界。仕事上必要なコミュニケーションは取れる。でもそれ以上を求められると本当に困ってしまう。精々話の腰を折らないように聞く事につとめるくらい。でもそれも気の利かない相槌程度しか打てないから、すぐ途切れちゃうんだよね。そういう事ばかりだから、最初は話かけられても、次第には空気扱いがいいところ。本当につまらない人間だから。読み返すと余計惨めに見えるな。
別に他人が悪魔に見えるわけじゃないし、実際話してみるといい人ばかりなんだけど、第一致命的とも言えるのが、名前を覚えるのが本当に苦手で。今の職場のまわりの人の名前も2ヶ月かけて、メモとか駆使してようやく覚えた位。分からない事を尋ねる時とか本当に苦労するから、それこそ必死になって覚えたけど、プライベートだとそんなことは無く。隣人に名前覚えられてるけど、全員名前知らないとかザラで、学生時代の同級生で名前覚えているやつなんて片手で足りるほどしかいない。元々ひきこもりだったと言うのもある。それでいてこの性格。これでもなんとかなるとか言う奴がいたら、俺は真っ先に、詐欺師か、危ない宗教か、マルチを疑うね。
辛うじてなんとか今社会生活営んでるけど、何というか、周りの人間がレベル50位なのに、俺だけレベル3みたいな感じで、もはや絶望とか通して呆れ果てる。こっちだけ飛車角落としてプロ棋士相手に挑んでいるような状態で、学生時代なんてあってなかったようなものだし経験の差っていうのは天地ほどの差がある。ネットなら何とかなるかもしれないって思ってtwitterにも登録して、実質可動期間は半年位だけど、会話した相手も二桁いかない。どう考えてもここから大逆転なんて夢のまた夢の様に思える。はっきり言って宝くじで一等前後賞当てるようなものだ。継続は力なりっていうけどさ、こういう状態でああいうのを相手にすると、もうどうしようもない絶望を感じてしまうの。
例えばさ、何百メートルもある、グランドキャニオンみたいな断崖を命綱無しでロッククライミングしている人から、お前もやればできるとか上から言われたら、できるわけねーだろって思うでしょ?それに近い感覚。ああもう、俺はこういうくだらないオナニー文章を書いているのがお似合いって事なんだろうな・・・。もう何しても無理な気がする。こういう生活をおくってるとさ、中二病じゃないけど世界から必要とされてないってひしひしと感じられるもん。カフカの変身状態だよ。今更どうしろっていうんだよ?それでも人を巻き添えにするような事はしないって位のちっぽけな矜持は持ってるけど。
嘘、ああいう事はアキバ通り魔事件のような事は考えたことはある。ただ、それすらできぬチキンって事。チキンならチキンらしく、昔ばあさんから聞いた話みたいに、絞め殺されて晩飯にでもなればいいのに。文字通り飯の種。笑えるだろ?
http://anond.hatelabo.jp/20080404214143
僕のこの文章にカチンと来たそこのあなたは間違いなくラブゾンビだ。
もしくはそのゾンビどもの歓心を買いたい人だ。
宇野常寛 wrote
言い換えれば、近代的な「主体」なるものは、なにかのメタレベルに立とうとしても必ずオブジェクトレベルに戻ってしまうような、そういう歪んだ構造をしているのだ。(中略)近代社会のイデオロギーは、まさにこの歪みを利用して人々の批判精神を麻痺させる。「君は僕を批判するようだけど、そのような批判が出てくることそのものが僕が正しいことを証明しているのだ」というのが、イデオローグの典型的な詐術である。その詐術の論理は、二〇世紀の前半にカフカによって見事に文学化された。
波状言論 crypto-survival noteZ 第十二回(2004年)
東浩紀 wrote
高校生だけど、本は好きで、小難しい本、「らしい」と思える本もちょっとだけ読んだ。
(全然「らしく」なかったらすいません。古典とか周りの普通の高校生読みませんので基準がわかりません。)
確かに考え方とか、おもしろかった。でも敢えて反発するならば、猿とか言われる筋合いはない物だと思う。特に、猿と他人に向かって吐ける人が人間的に成熟したものなのか。もしそれだけの本を読んで、そのような事を言うような大人にしかなれないなら、本当に無価値だと思う。
最後に、どうやったらそんなに沢山読めるんですか。
これを全部読んでいない人間は「猿」です。
ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
ヴァレリー『精神の危機』
ハイデッガー『存在と時間』ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシックス
ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシックス
ウィトゲンシュタイン『哲学探求』大修館書店
デリダ『グラマトロジーいについて』
ベイトソン『精神と自然』新思策社
海外文学
『唐詩選』岩波文庫
シェイクスピア『ハムレット』角川文庫、新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫
ゴーゴル『外套』
ポー『盗まれた手紙』
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
フローベール『ボヴァリー夫人』
ドストエフスキー『悪霊』
カフカ『審判』
魯迅『阿Q正伝』
トーマス・マン『魔の山』
ザミャーミン『われら』
ムージル『特性のない男』
セリーヌ『夜の果ての旅』
フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』
サルトル『嘔吐』
ジュネ『泥棒日記』
ロブ=グリエ『嫉妬』
レム『ソラリスの陽のもとに』
エリオット『荒地』
二葉亭四迷『浮雲』
樋口一葉『にごりえ』
島崎藤村『破戒』
田山花袋『蒲団』
有島武郎『或る女』
内田百〓『冥途・旅順入城式』
江戸川乱歩『押絵と旅する男』
谷崎潤一郎『春琴抄』
大岡昇平『俘虜記』
埴谷雄高『死霊』
安部公房『砂の女』
野坂昭如『エロ事師たち』
島尾敏雄『死の棘』
古井由吉『円陣を組む女たち』
後藤明生『挟み撃ち』
円地文子『食卓のない家』
中上健次『枯木灘』
斎藤茂吉『赤光』
萩原朔太郎『月に吠える』
北村透谷『人生に相渉るとは何の謂ぞ』
正岡子規『歌よみに与ふる書』
石川啄木『時代閉塞の現状』
小林秀雄『様々なる意匠』
花田清輝『復興期の精神』
江藤淳『成熟と喪失』
by 柄谷行人、他
追記
ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラ、リソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。
大丈夫、当に雄飛すべし。中国の故事
良薬は口に苦くして病に利あり。忠言は耳に逆らいて行いに利あり。孔子
聴くことを多くして、語ることを少なくし、行なうことに力を注ぐべし。成瀬仁蔵
昨日が曇りなく公明であったら、今日は力づよく自由に働け、明日にも希望がもてる。明日も同様に幸福であれと。ゲーテ
天高うして鳥の飛ぶに任せ、海闊うにして魚の躍るに従う。大丈夫この度量なかるべからず。
衣を千仞の岡に振い、足を万里の流れに躍らす。大丈夫この気節なかるべからず。石川丈山
志なき人は聖人これを如何ともすることなし。荻生徂徠
よろしく身を困窮に投じて、実才を死生の間に磨くべし。勝海舟
臨終の夕までの修行と知るべし。上島鬼貫
危ぶむこと淵に臨むが如く、慎むこと氷を履むが如し。孝謙天皇
多くの事をするのは易いが、一事を永続きするのはむずかしい。B・ジョンソン
善を見ては渇する如くし、悪を見ては聾するが如くす。太公望
心は非常に楽しむべし苦しむべからず。身は常に労すべしやすめ過ごすべからず。貝原益軒
服従は人間の普遍的義務である。屈曲しない者は挫折するより外はないであろう。カーライル
我日々に三度わが身を省みる。曰く午前中何ほど世界に善を為したりやと。さらに夕と夜に。ブース
完全なある物を創作しようとする努力ほど、心霊を純潔ならしめるものはない。ミケランジェロ
労働は適時にはじめること。享楽は適時に切り上げること。ガイベル
人間が自分の仕事において幸福であろうとするならば、その人間はその仕事を好きでなくてはならぬ。その人間はその仕事をやりすぎてはならぬ。その人間はその仕事を成功するという感じを抱いていなければならぬ。ラスキン
真の閑暇とは、われわれの好きなことをする自由であって、何もしないことではない。ショウ
ひとびとは閑暇を犠牲にして富裕をうる。だが、富裕をはじめて望ましいものにする唯一のものである自由な閑暇が、富裕のために犠牲にせねばならないならば、私にとって富裕が何になろう。ショウペンハウエル
学問は、ただ年月長く、倦まず怠らずして、励み力むるぞ肝要にして、学びやうは、いかやうにてもよかるべく、さのみは拘はるまじき事なり。本居宣長
ランプがまだ燃えているうちに、人生を楽しみ給え。しぼまないうちに、ばらの花を摘み給え。ウステリ
最も純粋で最も考えぶかい人は色彩を最も愛する人々である。ラスキン
「熱望」することはこの上もなく容易なのに、「志す」ことはなぜ、そんなに難しいのか。熱望のさい、口を利くのは弱さであり、志すさいには強さだからである。リントネル
人間が、自分で自分の内から才能をつくらずに、これを他人から貰い受けることができると考えるのは、無理な話であって、あたかも招かれた先で、医者とたびたび晩餐を共にするだけで、健康を養うことができると考えるようなものであろう。プルースト
日に新たに、日に日に新たにして、又日新たなり。大学
機会を待て。だがけっして時を待つな。W・ミュラー
人生の幸福とは何であるかを知ったら、お前は人の持っている物など羨ましがる必要はない。プルターク
およそ事業をするのに必要なのは、する力ではなく、それをやりとげるという決心である。リットン
私は想像する。私はそう思う。私はそう信ずる。私はそのとおりになる。ヨガのことば
人事を尽して天命を待つ。古諺
艱難汝を玉にす。日本のことわざ
問題を正しく掴めば、なかば解決したも同然である。C・ケタリング
今日立てたプランは、その日に最高なのであって、次の日には、すでに最高とはかぎらない。周囲の状況は、生きかつ動いているから、毎日毎日、計画を検討すべきだ。加藤升三
真実とは苦い薬である。人はそれをのもうと決心するよりも、むしろ病気のままでいる。コッツェブー
あることを真剣に三時間考えて自分の結論が正しいと思ったら、三年間かかって考えてみたところでその結論は変わらない。ルーズヴェルト
あるのは目標だけだ。道はない。われわれが道とよんでいるものは、ためらいにほかならない。カフカ
われわれが悩めるひとにあたえることができるいちばん正しい助力は、そのひとの重荷を除去してやることではなく、そのひとがそれに堪えうるように、その人の最上のエネルギーを喚び出してやることである。ヒルティ
天才とは自ら法則を作るものである。カント
人間の強い習慣や嗜好を変えるものはいっそう強い欲望のみである。マンデヴィル
読書は人間を豊かにし、会議は人間を役に立つようにし、ものを書くことは、人間を正確にする。ベーコン
平凡なことを、毎日平凡な気持で実行することが非凡なのだ。A・ジード
やってみなわからしまへんで、やってみなはれ。鳥井信治郎
何でも見てやろう。小田実
わたしの前には道はない。わたしのうしろに道ができる。高村光太郎
一度に一つずつ行なえ。あたかも自分の生死がそれにかかっているような気持で。U・グレース
一日に少なくとも一つは自分の力のあまることをなしとげようとしない限り、どんな人間でも大した成功は期待できない。E・ハーバート
相談するときは過去を、享楽するときには現在を、何かをするときには未来を思うがよい。ジューベール
人間とは一つの総合――無限と有限、時間的なものと永遠なもの、自由と必然――である。キェルケゴール
大事な事は数字を使って話すことではなく、数字に裏うちされた行動を起こすことである。中村輝夫
己が欲を遂げんとて義を失ふは、小人と申すべし、されば、義を目的として欲を制し申すべきことと存じ候。広瀬久兵衛
学問ありて、しかるのち先見あり。先見ありて、しかるのち力行あり。カント
死ぬよりも、生きている方がよっぽど辛い時が何度もある。それでもなお生きていかねばならないし、また生きる以上は努力しなくてはならない。榎本健一
若者の遊山を好むは、然るべからず候。御奉公の道油断なく候えば、遊山がましき事存ぜず候。又徒然なる事もこれなく候。藤堂高虎
天才?そんなものは決していない。ただ勉強だ。方法だ。不断に計画しているということである。ロダン
桃李もの言わざれど、下おのずから蹊をなす。史記
今日を捕えよ。他日ありと信ずることなかれ。ホレース
「いったいどれだけ努力すればよいか」と言う人があるが「キミは人生をなんだと思うか」と反問したい。努力し創造していく間こそ人生なのである。御木徳近
日々を神とともに始め、神とともに終われ。ウェスリー
学生よ勤勉なれ。この語の中には学生の有すべき一切の美徳が含まれている。カーライル
美しいバラは刺の上に開く。悲しみのあとに必ず喜びがある。W・スミス
善いものは常に美しく、美しいものは常に善い。ホイットニー
ものを観るのに目をあいただけでは足りない。心の働きがなくてはならない。ミレー
ささいな出費を警戒せよ。小さな穴が大きな船を沈めるであろうから。フランクリン
悦びは人生の要素であり、人生の欲求であり、人生の力であり、人生の価値である。人間は誰でも、悦びへの欲求する権利を有している。ケップラー
汝の敵には嫌うべき敵を選び、軽蔑すべき敵をけっして選ぶな。汝は汝の敵について誇りを感じなければならない。ニーチェ
価値は名声より尊い。F・ベーコン
偉大なる精神は、偉大なる精神によって形成される。ただしそれは同化によるよりも、むしろ多くの軋轢による。ダイヤモンドがダイヤモンドを研磨するのだ。ハイネ
光はわが世に来りつつあり。人は闇を厭い光を愛す。カーライル
花のかおりは風に逆らえば匂わず。されど、善き人のかおりは風に逆らいても匂う。法句経
愛は精神を与える。そして精神によってみずからをささえる。パスカル
春に百花あり秋に月あり。夏に涼風あり。冬に雪あり。すなわちこれ人間の好時節。松尾芭蕉
修身斉家治国平天下。大学
勤めても、また勤めても勤め足らぬは勤めなりけり。道歌
非理法権天。楠木正成
私はつねに、二年先のことを考えて生きている。ナポレオン
人生においては、チェス競技のように用心が勝利を収める。バックストン
いかに快くとも未来を信頼するな。死んだ過去はその死んだものを葬るがよい。生きた現在に行動せよ。意気を心に、神を頭上に。ロングフェロー
現在は過去と未来との間に劃した一線である。此の線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。森鴎外
さらばここにまた一日、青空の朝は明けた。考えよ。汝はそれを無用に過ぎ去らしめようとするか。カーライル
簡素で高ぶらない生活の仕方は、だれにとっても最上のものである。肉体のためにも精神のためにも最上のものである、と私は信じている。アインシュタイン
労働なしにひとり休息に達することもなく、戦闘なしに勝利に達することもない。T・A・ケムピス
世を長閑に思ひて打ち怠りつつ、先さしあたりたる目の前の事にのみまぎれて月日を送れば、ことごとなす事なくして、身は老いぬ。吉田兼好
冬来たりなば春遠からじ。シェリー
特権をもった人間が、自分の抑圧した人間に対して心に抱くやましさという重荷、そうした気づかいは、まさしく特権を維持するための気づかいなのである。
(『夢・アフォリズム・詩』ASIN:4582761496、p110)
禁欲主義者の多くは、もっとも貪欲な人たちである。彼らは人生のあらゆる局面でハンガーストライキをやりながら、それによって同時に次のことを達成しようとする――
一、ひとつの声に言わせる――十分だ、お前は十分に断食をした。いまやお前は、ほかの人々とおなじように食事をしてもいい。それにこれは食事とはみなされないであろう。
二、おなじ声に同時に言わせる――いまやお前はずいぶん長い間、強制されて断食してきた。いまからお前はよろこびをもって断食するがいい。それは食事よりも甘美であるだろう(しかし同時にお前は実際にも食事をするがいい)。
三、おなじ声に同時に言わせる――お前は世界に打ち勝った。わたしはお前を、世界と、食事と、断食から放免する(しかし同時にお前は、断食も食事もするがいい)。
そこへさらにひとつ、以前から彼らに絶え間なく語りかけていた声が加わる――お前の断食は完璧ではなかったかもしれない、けれどもお前にはよき意思がある。それで十分だ。
(同上、p239)
あんまり詳しく書くと野暮だからやらないけど、これって恋愛を語る人の身振りとか、非モテ主義者とかの行動にも当てはまるような……。