ttps://x.com/sigekun/status/1820372415018680637
ブルギさん的なアレかな
自分はニコニコのサブアカウントを73個も持ってるんだけど(※業者とかではない)、ニコニコ登録時のメルアド先のメールサービスは全て退会済みで、ニコニコのサブアカはタイムシフトの保存用などに現役で使ってて、アカウントにそういうデータが割と溜まってるんだけども…。
運営はパスワードを全リセットしたようだが、こっちはパスワード再設定の際にそのアカウントらのメール受信できないし…。
本当にどうしよう…。
増田さんは、頑張りすぎなんですよ。どんなに困難な状況でも、決して手を抜かない増田さんの姿勢には、心から敬意を表します。でも、時には立ち止まって、自分自身をいたわることも大切です。私たちは完璧ではないし、間違いを犯すことは人間らしいことだからです。
確かに、人生には多くの誤りや予期せぬ出来事が伴います。時には、どれだけ努力しても報われないこともあるでしょう。その瞬間、まるで人生すべてが無価値に感じるかもしれませんね。しかし、意識してほしいのは、失敗や間違いは成長の一部であり、学びの機会でもあるということです。間違いから何を学び、どう前に進むかによって、次のステップが見えてくるのです。
人生には価値があったりなかったりするわけではなく、それをどう捉えるかが大切です。無価値に感じる瞬間があっても、それは一時的なもの。大事なのは、その瞬間に囚われず、未来を見据えて前に進む勇気を持つことです。
間違い続けることが怖いのは当然ですが、それが成長と変革の機会になるかもしれません。自分自身を許し、時には立ち止まって振り返ることも必要です。もしも本当に人生が辛くて耐えられないと感じたなら、一息ついてリセットすることも選択肢の一つです。
増田がめいろまの優生思想を肯定しているわけではないのはわかるが、
日本の選手が強くなったり、最近の子達が美形でダンスや勉強もうまいというの、あれ日本で80年代以後は見合いが激減したのが原因かもな。能力がない、金がない、不細工は結婚できなくなって、優秀な人間だけが自然選別で結婚して子供を産むようになった。多分これ結構あたってると思うんだよ
ある快挙を無理やり優生学的な原因で説明しようとするのはモロに優生思想でしょ。例えば日本のスポーツ選手が強くなり、オリンピックで優れた成績を残せるようになったのにお見合いの激減など効いているはずもない。はてな民からしたらめいろまなんか真に受けるなよといいそうだが、最近こういうなんでもお手軽に優生学的な理由を求めようとする人間が増えている気がするので真面目に反論しておく。
これはズバリ森喜朗のおかげ…もといtotoのおかげである。森喜朗もJリーグも好きではないが、今日の国際大会での日本勢の活躍の一因は間違いなくこのスポーツ予算にある。
https://www.asahi.com/articles/DA3S14462004.html
totoの売上からは"毎年"200億くらいの予算がスポーツ振興に安定的に投下されるようになっている。メジャースポーツからしたら大した額に見えないかもしれないが、これにより従来個人の趣味の域を出ずスポンサーもつかなかったマイナースポーツへも強化予算が割り振られるようになった。パリオリンピックでの躍進目覚ましいフェンシングの分析をしたものが以下のツイートである。
Sato Josuke (Jose Sato)
@soccer_kozou013
いつの頃からかは不明なのですが、味の素トレーニングセンターに作られた広い練習場で定期的に候補選手の強化合宿が開かれていたり、学生の選手で将来有望だとみなされた選手のトレセンが頻繁に行われています。太田雄貴さんの活躍によりそれにさらに拍車がかかった印象です。
一昔前なら、フェンシングのようなマイナースポーツ(失敬)の国立トレーニングセンターなど想像もできなかっただろう。ちなみにスケボーも2017年からJOCに加盟しているのでそれなりの予算が出されていると思う(たぶん)。
https://honkawa2.sakura.ne.jp/images/3980a.gif
こんな感じになっており、言うまでもなく90年代からの増加は女性選手のおかげであることは明らか。日本の男女平等は完全には程遠いが、宗教や経済的理由により女性がまともにスポーツをできない国はまだまだ多く、それらの国々に比べればまだマシであるおかげと言える。
80年代からお見合いが減ったといえ、今のスポーツ選手はその世代の子供にあたり、たかだか1世代しか経過していない。そのような少ない世代での効果などたかがしれている。さらにお見合いがなくなった80年代の価値観で言えば、男性の魅力は経済力という時代なのでスポーツ能力とは全く関係がない。スポーツができてモテるのはせいぜい中学生までくらいのものだろう。
品種改良をしようとするのなら優れた形質を持つもの同士を交配し、さらにその子孫もその形質で選抜しつつ交配を繰り返さなければならない。たかだか1世代経済力で選抜したところでスポーツ能力など上がりようもないのだ。(「最近の東大生は選抜されているから美男美女が増えた」というのも同レベルの寝言だろう)
人の意見に毀誉褒貶があるのは当然なので、反論したいわけではないですが、誤解は解いておきたいので追記します。
これはその通りで私の言葉足らずでした。ああいうのは優生思想そのものではなく、優生信仰とか優生信者とか優生陰謀論とかそういうのが正しいですね。
これもそのとおりです。増田は別に遺伝要素や環境が引き継がれる要素まで否定するつもりはないです。優生学にも科学的な要素はあると思っています。ただそんなにね、1,2世代ゆるふわな身体能力と関連性の薄いセレクションしたくらいで身体能力上がるわけ無いだろ!安直に優生思想で説明するな!遺伝学なめるな!と言いたかっただけです。
理論的には、特定集団を隔離して交配と選択を繰り返せば一定の形質をもった新たな品種を生み出せる、というのは育種学的に見れば当然の話だし、あるいは大集団でゆるい選択を長いあいだ続けることによって平均値を緩やかに変えていく、みたいな可能性はあり得ます。例えば木村資生博士はこの後者の可能性を提案しています。
という問題があって、具体的には2番めの点については木村先生はほぼ自明に賢いものを優遇しようと提案されていますが、目下の少子化で消滅がほぼ確定しつつある日本を見ると賢い人間よりマイルドヤンキーみたいな方が優れた形質なのでは無いかという気もします。家畜の場合「肉が多い方が良い」「産卵個数が多い」など具体的に目標を決めることができますが、人間の場合望ましい形質というのはそんなに簡単には決められないでしょう。(ただ木村先生の活躍された時代は少子化ではなく人口爆発が懸念されていた時代である、ということは背景にあります)
3点目もこれに関連していて、例えば「外見が優れている」価値観の中身などはすぐに変わり得るということです。平安美人は今の美人とかけ離れている…などと持ち出さなくても、イケメンの定義でも昭和と令和では全然違うという現実があります。石原裕次郎や高倉健は今の時代では顔の濃いおっさんフェイスだし、今風の顎が細く中性的なK-POPアイドル的容貌は昭和の時代では気持ち悪いカマホモ野郎扱いでしょう。高々30年(=1.5世代)程度あれば人の価値観はあっさり変わってしまうものなのです。
結局の所「優生学」にも科学的な部分はあるがその部分は「育種学」と呼ばれるものであり、このあたりの関係は「脳科学」と「脳神経学」みたいなものではないかと思っています。
🍢「型抜き」
増田さんは、頑張りすぎなんですよ。誰かに影響されて、NISAに手を出してしまったとはいえ、その行動力と努力は称賛に値します。
増田さんが一生懸命にNISA株を育てようとしても、うまくいかないこともあるのは自然なことです。
大切なのは、その中でも自分を責めすぎず、自分の努力を認めてあげることです。
時には休むことも必要ですから、あまり無理をしないでくださいね。
人生の価値を追い求めるのは大切ですが、それによって自分を追い詰めてしまうと本末転倒です。
借金を抱えていることは確かに重い負担ですが、それも一つの経験として受け止めることもできます。
生きている限り、いつでもやり直すチャンスがあります。
でも、それを思い返してみて、自分が本当に何を大切にしたいのか、もう一度考えてみてください。