奴隷商人の生活はどうなるのかとか奴隷と役割分担したほうが効率的だとか言われる奴やん
今だって女性差別や同性愛差別、障碍者差別、高齢者差別、人種差別、多くのものが統計や合理性を根拠に行われてるやん
実際に短期的には差別したほうが効率がいい事はままあって、それを否定するのは滅茶苦茶大変やん
そこまで主張する人間に求めるのは酷やん
SearchConsole で自動生成されたようなクエリパラメーター付きのURLが大量にリストにある
有効なページはそこまで多くないのに、それらのせいでページ数が数万とかになってる
もちろん robots.txt や noindex や canonical はついてるからインデックスはされてないんだけど、SearchConsoleの管理画面に一覧に URL として並んでる
こういうのがあるから有効なページがクロールされるのが遅かったりするのかと思う
実際のページが 500 でも数万件あるとみなされてればクローラーは数万件を処理するわけだし
・なんでそんなことするの?
・アウトドアとか海外旅行好きとかならやりたがる理屈を理解できるけど
いつあのシーンが来るんだ…?鳥が出始めたらサインか…?と
・自分の人生は自分でやってくしかねえんだよ!の励ましを受けた
成人以降の百合はこういうのがいいんスよ!
・塔から降りれなくなったシチュ縛りでここまで楽しませてくれる監督さんはすごいなあ
次回作楽しみ
今日、友達と飲みに行ってん。そんでな、なんかかんかしてるうちに、生きることとか死ぬこととかの話になったわけなんよ。
なんでそんなちょっとめんどくさいというか、気持ち悪い話をするようになったかっていうと、僕のほうからそういう話を始めたわけなんで、ちょっとそれは説明せなあかんなと思うんやけど、まあ有り体に言ってしまうと、僕のばあちゃんが死んだからなんよね。
ちょっとまえ、ていっても3,4ヶ月前にもちょっとそれで文字に起こしていろいろ考えた時があったんやけど、その時はまだなんとかばあちゃんもまあ喋れるし記憶もあるしって言う状態で、会いに行った時はちょっと拍子抜けしたんやけど、その時に凄い僕に聞いてくんねんな。「私死にたくないんよね」って。死ぬのって怖いんやって。死ぬってなんなんやろうって。
僕はその時、「ああこの人はすごく幸せやったから(実際死ぬ前には家族というか孫含め親戚はだいぶ来てくれていたし)死ぬってことちゃんと考えたことなかったんかもな」って思って、僕が思ってる死ぬってことについていろいろ語ったわけなんですよ。気持ち悪いけどけっこうまじめに。
「あんなばあちゃん、死ぬってのは死ぬ側からしたら死ぬってないねんな。なんでかって言うと、死ぬ自分はもう意識がそこにはたぶんなくなってしまうから、見れんじゃん?残った人から見たらそりゃばあちゃんは死んでるかもしれんけど、ばあちゃんは死なんわけよね。だから、ずっと生きれると僕は思ってるんよね。だってばあちゃんの体か動かんなって、死んだとしても、僕らはばあちゃんのことを即座に忘れるわけちゃうし、ずっとそういう意味では生きてるんやん?」なんてことを行った気がする。
ばあちゃんは一応聞いてくれてたけど、多分ばあちゃんが求めてた答えはたぶんそういうことじゃなくて「大変やなぁがんばって」みたいな励ましやったと思うんやけど、そんでそれも僕はちょっとわかっていたんやけど、ここで言わんともう言われへんなみたいなふうに思って、ちょっと気持ち悪いけど頑張ってことばにして、極力誠実に語ってみたんですよね。
そんでその後、何ヶ月かして夏休みになって、インターンとかいろいろあって盆には帰れずに、なんとか8月の終わりに実家に帰った時にもう一回ばあちゃんに会いに行ったんやけど、その時にはもうだいぶ病気が進んでて、意識は無いし、痛みを抑えるモルヒネでなんとか頑張ってる感じで、あーこれはもう持たんなぁって感じだった。でもなんか、いや根拠はないんやけど、しゃべれないけど僕はばあちゃんとしゃべれるような気がしてきて、ずーっと手を握って、「ばあちゃん、怖くはないんやで。安心してな。」ってことをずっと思うてたんよね。いや完全に僕の自己満足というか勝手な解釈なんやけど、あの気持はばあちゃんに伝わってる気はしたし、今でもそう思ってる。
ほんで、結局そのままぽっくり逝ってしまって、まあそら悲しかったんだけど、ばあちゃんは多分そんなに死ぬの怖くなかったんちゃうかなというか、いくばくかこわさを和らげれたかなという気がする。でもやっぱり、そう言うてる僕もなんか死ぬのが全く怖くないかっていうとそうじゃない。なくなってしまう怖さというか、まあ経験したこと無いからしゃあないんやけど、すべてが無いってなんなんやって思うわけよ。すべてが無くなるってことはないって考え方もあるやろうけど、少なくとも今見えている世界からは一回切り離されてしまうのは間違いないと思うし、それってやっぱりだいぶ怖いことなんですよね。理屈ではそうじゃないんじゃないかって思ってても。
っていう話をしてたんですけど、そしたら相手も最近同期が自殺をしたかもしれんなんていう話をし始めて、その怖いっておもうことを自分からしてしまうようなその子の周りの環境と、周りに居た人間の理解のなさと鈍感さと、残された人たちの悲しみと、知らない僕にすら与える衝撃と、そしてそのすべてを凌駕していたであろう、その子の孤独と悲しみを思うと、なんだか一層社会が怖くなってしまったのです。
数としては一年に3万人ぐらいが日本だけでも自殺で死んでるっていうのはデータとして知ってるし、身近に居ても全然おかしくはないんやけども、実際にそういう近いところに現れるのを見ると、改めてそれを実感するというか。ああ本当にあるんだなぁと。
多分その子も死ぬのは怖かったと思うんよね。これは確信はないけど。でも生きるもの全てにかせられてると思うんですよ、死ぬのが怖いっていうこの根拠の無い考えって。
こちらの勘違いだったらコメントくれた海外の人には申し訳ないのだが。
自分は英語のオンラインレッスンで会話のネタにするために、街の桜の風景の動画をYoutubeに公開したことがある。
また、動画の編集をちょっとだけやってみたくて、台湾の料理のレシピ動画もアップした。
「できるならやってみよう」程度のもので、どちらも5年以上前のもので200再生ほどしかされていない。
これはどこか、どこで桜を見られるのか、日本は今梅雨なのか、というような話で、自分としては「最近日本に来る外国人増えたしな。英語のやり取りに慣れることができるかもしれない。まあ都合もいい」という理由でコメントに答えていて、「今度日本に行きたいけどどこがいいだろうか」くらいはまあ気分よく答えていたが、続くコメントに「日本について知りたいので友達になってほしい」ときて「ん?動画のコメのやり取りでありがとうで十分じゃね?」となり、「Lineを使っているか」と続いて「いや、怖いよ」となった。
コメントしている人のアカウントを見に行くと、中国的な名前の美女で、一応パラグライダーをしている半年ほど前の動画などもあって「普通の人なのかな」と思ったが、その他の動画は最近アップされた再生回数2桁のものばかり。
「これ明らかに変だ」と確信したのは、その他のレシピ動画や他の桜の動画にも別の美女がコメントを立て続けにしたこと。
アカウントを見てみるとショート動画を1本とか2歩投げてるだけだし、それも「これAI生成かスーパー加工じゃねえの?」というツルツルしたお顔の美女。
Lineについて聞いたきた人(?)に「Xのアカウントなら持ってるよ」と返答したらレスは途切れた。
変すぎる話だったので、Xなんかで似たようなことがなかったか検索してみたが、見つからず。
一応、こういったことがあったよ、ということで記録に残しておく。
これ前から思ってる
弱者男性とか異常独身男性とか狂うだの言ってるけど子持ちもよっぽど狂ってるよ。
育児休業とかの制度は独身者も声を上げて制度化の手助けをし、運用のために犠牲になってるけど子持ちはそうした子なし独身者のためにしわ寄せをなんとかするように会社に言うことはない。
自分が助けてもらうために声を上げるけど、その結果のしわ寄せを受ける人はかわいそうだけど会社がなんとかすべきのスタンスで放置、私は悪くないから知らんぷり、ちょっと申し訳無さそうな顔をして聞いてもいないのに子どもの話をしてさしあげるという謎の行動。
大抵の人は結婚&子供にその原動力を見出すんよな。ライフイベントが休日にやることを持ってきてくれるから。
ちな独身ワイは休日前日に早寝して、翌日早起きして午前中にサイクリングか散歩してる。
人がちっとも居らん海岸沿いもしくは何もない田舎道を突っ走ると心が洗われるで。
んで食材買って帰って午後からおうちで家事しつつインドア趣味をフリーダムに満喫って感じ。
独身が何に原動力を見出すかってのは割と深刻な問題よな。俺はこの生活に猫を迎えたくて色々と皮算用してるなあ。猫が入ったペットキャリー背負ってお散歩したいわァ・・・