妄想壊して申し訳ないけど、この手の業界人だけど多分インド、バングラ、アフリカ、中国のどっかの国のボロボロの部屋にパソコンだけが大量においてある場所で、それこそ奴隷のように入れてると思うよ。この手のは仕様がよく変わるのでプログラムで対応しづらいので業者が幾らでも人海戦術でやってる。
かってに男呼ばわりしたのは申し訳ない。性別はわからないけどタイトル的には男であって欲しい。
毎日この時間になると現れる彼は、こんなネットの端くれで何を思ってurlを貼り続けているのだろう。
決まった時間に現れて毎日同じことをしているので、プログラムかもしれない。
イギリス辺りに住んでいる彼は毎日仕事終わりに自宅で嫌な上司によるストレスをurlを連投することで発散しているのだ。
そう考えると、少し幸せになれるかもしれない。
7,8年前の記憶なので、今は違うかもしれない。
前日は名古屋から伊勢市まで電車で行って一泊。早朝しか時間が取れなかったので早朝に朝一ぐらいのバスで伊勢神宮にいったのよ。
当日はとんでもない豪雨だったんだけど、そうしたら豪雨の雨のモヤにかかる、参道っていうのかなと、空気の香りなどがふわっと入ってきて。
そんな時代に生きていたわけでもないけど、頭のなかは勝手に平安時代になっちゃったわけ。
もちろん平安時代に伊勢神宮があったかどうかも知らないけど、単にイメージよ、イメージ。
頭のなかはタイムスリップして、他に参拝客が誰もいない朝の幻想的な神宮の社を見て、あー俺は中納言かなんかなのかなって思ったら、もう興奮しちゃって。
日本の古代を感じるっていうか、中世を感じるっていうか、そのままの世界が残っているような感じがしてさ。
もうよかった、よかった。
でもさ、俺も社会貢献がしたいと思って特に働いてるわけじゃないだけど、たまーに自分の仕事で喜んでくれる人がいる、評価されるのは嬉しいものよ。自分の存在が認められる事が嬉しいっていうか。やっぱり月並みだけどありがとうって言われるの嬉しいし、それでお金ももらえるからこんなラッキーな事はないと思ってるよ。
小保方晴子がこんな有様になってしまったかについては非常に興味がある。
こうした興味が止まない心地になる点や虚言癖を指摘されている点を思うと、彼女は演技性人格障害というのは言い得て妙であるように思える。
この手記はそうした認識を一層に強めさせる内容であると、読み始めてすぐに気になった。
内容は研究者となるまでの人生をさながら"自己PR文"のように記述したもので、全然、腑に落ちない。説得力がないのです。
あまりにもテンプレ通りの誰もが納得できるような根拠しか述べられていなくて、正直、全てが嘘っぽく感じてしまった。
加えて、文章からは強烈なナルシシズムを感じ取られ、気分が悪くなってきたので、すぐに本を閉じた。なので詳細はわかりません。
彼女の主張は幾つかは真実で、幾つかは嘘が入っているように思える。
きっと、なぜこんな有様になったのかは彼女の自身も反省しきれていないのだ。
そう、彼女は文章からへりくだった姿勢や感謝の意が多く盛り込まれているのだが、なんというか、「そこじゃねえよ」といいたくなるようなツッコミがしたくなる。位取りがずれていると思う。
で、このズレた性格って、小保方家で育まれたんじゃないかと思うのだが、今回の手記では一切触れられていない。
これって、どういうことなんだろうか? きっと、小保方さんの母親は大学の先生ということは富みに影響を受けていると思うのだけどな...
彼女の家庭環境は、考え直させられるような材料になるし、きっと、小保方さん本人にとっても同情してくれる人が増えると思う。
仮説としては
「大学教授の母(研究能力に疑問)を持つプライドの高い娘が母を越えようと、持ち前の虚言癖とエエトコの娘であることを駆使して、ノーベル賞級の研究者となる(研究能力・学力不問)」
ってなことなんだと考えている。
純粋な小保方さんは母の大学教授というネームバリューに毒されて研究者を目指した。しかし、大学教授の母はあまり研究能力がなかった。
しかし、少女の小保方にはそれがわからず(わからないというのが適正がないということの換言なのかもしれない)、持ち前の妄想癖を元に突っ走っていった...
だいたいこんなとこですかね。
でもさ、研究能力がない人が教授になるくらい、日本の大学って遅れてるんですかね? 心理学の分野だけかな? 考えたくないですね。
あ
ハングリー精神がなく安定志向(保守派)なのに、嫉妬心が強い心理が良く分からない。
嫉妬心が生まれるような生い立ちならば、通常、強烈なハングリー精神と意識の高さが生まれ、改革・開拓側になる。
現代の日本人の多くに占めている嫉妬心は、恵まれた側が、試練が多く恵まれなかった者への逆嫉妬だと思う。
恵まれるがゆえに、安穏として落ちこぼれるという罠もあるのだけど。
女叩きもこれと同じ。
あ
自分には妹がいる。もう20年くらい没交渉だ。子供の頃からである。
妹は、自分から見ると、趣味らしきものが、ない人間だった。別段、それは全く悪くない。
彼女は自分より社交的な人間で(とはいっても、高校くらいまでしか知らないのだが)、友人がたくさんいたし、家に連れてきたり、泊まりに行ったりも自分よりもずっと多かった。
テレビが大好きだったし流行の音楽も抑えてたし友達とはカラオケに行ったり遠出したりとしていたようだ。とにかく、彼女は、彼女なりに楽しくやっていたようだ。おしゃれもしてたし、彼氏もかなりの数いたように記憶している。だから一般的にはリア充に分類されるし、「無趣味』とは言われない人間なのだ。
というのも彼女は、こちらの視点からすると、大事な何かが、ほとんど一切なかったからだ。
彼女は彼女の持っているものすべてを消費していたので、例えば手持ちの漫画でも、CDでも、服でも、アクセサリーでも、なくなっても困らなかった。正確に言うと、なくなればなくなったで困るのだが、それは金銭的な意味であって「買い直せば」全く困らなかった。彼女は「買い直せ無いもの」をほぼ全く持っていなかったし、そんなものに興味はなかった。
実を言えば母も似たタイプの人間だった。なので、彼女たちが何かのミスで、相手の持ち物を残ってしまった時、謝罪して、いくばくかの金銭を渡せば解決すると思ってたし、事実そうしていた。
むしろ、その解決手法は、新しい漫画や新しい服が手に入ることを喜んでいる節があった。
一方で自分はインドアな人間で、小さい頃から絵を書いたり、細工物を作ったりするのが趣味だった。自分にとっては、趣味のものというのは換金できないものであって、道具と製作途中と制作作品に囲まれているのが当然だった。
まだ中学生の頃、自分と妹は喧嘩をした。理由は覚えていないので、おそらく些細な事だと思う。
しかしその喧嘩は長引き、エスカレートした結果、彼女は、こちらの持っていた絵の具などの画材や過去の絵のすべてを捨ててしまった。燃やしたのだという。部屋が汚れるので嫌だったと言っていた。
自分の側も子供だったので憤りを制御できず、報復として、彼女の持っていた漫画を全て捨ててしまった。相手の持ち物を破壊する、という報復合戦は3回ほど続いた。
この大喧嘩は両親のしるところとなり、喧嘩両成敗的な言葉を言い渡された。それは、納得できる幕引きだった。
しかし彼女はどうも、この喧嘩について、何ら痛痒を受けていないようだった。大事なものが彼女にはないので、何を捨てても、痛くも痒くもないらしい。むしろ、絵の具や絵を捨てられて、なんで激怒されたのかわからないようだった。自分も彼女もお小遣いをもらい、買い直しにでかけた先で、それが判明した。
その瞬間自分は大きなショックを受けたが、そのショックは時間を経るごとにどんどんと大きくなっていった。
自分はこの時初めて「自分とは全く違う人間がいる」ということを知ったらしい。いや、年をとってみればそんなことは当たり前なのだけれど、子供の自分にとっては、それは、天地がひっくり返るほどの衝撃だった。
もうダメだ、と思った。自分は彼女(と彼女に似た一派の人間)に、未来永劫かなわないと思った。なぜかというと、彼女にダメージを与える手段を自分は持っていないと悟ったからだ。
逆に、彼女から見ると、自分のような人間は「弱点」がありすぎて、弱虫で脆弱な人間なのだろうと思った。大人になった今だと、それはそれで一面的な見方だとはおもうが、当時は、布団の中で明け方まで悩むほどの断絶だった。
以降の自分は、とても用心深くなったように思う(いや、それ以前が脳天気だったのかも)。
とにかく、世間は、理解の断絶した妖怪がうろつく場所になってしまった。
を読んで、そんなことを思い出した。
単純に言えば、それは「価値観が合わない人間もいるよね」の15文字で終わる話なのだが、当時の自分にとっては大事件だった。人間同士は、それほどまでに違っていると思ってなかったのだ(やはり脳天気だ)。
先生なんだけど。
とりあえず自分の思った通りにならないと気が済まない。
まったくの別人なのだから、自分の思うような文章になるわけないでしょう。
自分の考えを押し付けるどことか、自分の考えしか認められない。
しかも、他人や生徒が自分の考えを上回ることは許されないので、
たとえ同じ考えだったとしても全てを否定してまっったく同じことを自分が考えたかのように上書き発言。
この人なんで生きてられるんだろう不思議。
開けると奥に空間があるから棺桶を寝かせて運べるようになってるんだね。
いつもはエレベーターの壁もマットに覆われてるんだけど、今日帰ったらマットが外れてて溝があるのに気がついて、検索したらそういうことだと分かったわ。
とりあえず亡くなった方に合掌。
自分もやっていたんだけど、あれがなぜ人気があったのか当時の時代性、以外に何にも記憶が無い。
なんとかっていう名前の有名な人が作っただったか、なんとかという声優が声を当てたとか当時なりにそんな宣伝してたような記憶があるけど、全く記憶が無い。
思い出そうとして詰んでかつググるのも気力がない。
ゴメンさいでした。控えましゅ。