罵倒したのはお前だろうがw
え?そうだよ?だからそれに耐えられなかったのはお前だろ?何言ってるの?
え?だから、増田なんかに書き込んだらこの程度の罵倒が来るのは見ればわかると思うが?増田が超親切な答えしか来ない場所だとでも?
そもそも書いたとおり、本気で悩んでるならこんなとこに書き込まずに「友だち」に相談すれば?居るなら。
30代になってお金に余裕が出来てから女と付き合えた、って当り、ちょっと現実味があるし(釣るだけなら若い頃からたくさん付き合った、で充分だろう。
増田は、若いころ、カネがない時は全く魅力がなくて、金を持ってから女もカネ目当てだけで寄ってきたんだろう)
本気で煽りに怒ってる当り、釣りではないかもしれんが、それは悲しいことだな。
カネ目当てでよってくる女は、そりゃ上手く行くわけなかろう。途中で増田が嫌になったってのも、本当なのかもな。
単に、女が最初は金目当てだから本性隠してて、あるていど金使ってもらったらいい気になって本性出してきただけじゃん?
何にしろまともなあ付き合いしたこと無いだけなんだから、いくら悩んでも無駄だろう。マトモな女が寄ってくるような見た目でも性格でもないんだろう。
無理じゃね? 多くの人は我慢出来てるんじゃなくて、最初から気にしていないんだから。 そういう星の元に生まれたと思って割り切って、独り身を充実させる方法を考えた方が幸せに
確かにそうかもしれませんね。独り身でいることが極端に苦痛ではないし、むしろそちらのほうが安定しているのは確かなんですが…。ただ、もういちど賭けてみたい気もするのですよね。誰かと一緒に人生を生きられたら、それがうまくいけば素敵でしょうしね(もちろんうまくいかないと悲惨なことになりますが…)。
思い当たる節はあります。親が理想主義者であったのは確かです。
交際相手の長所も短所も「何故そうするのかな?」って、興味を持って
それとなく事情や訳を聞いて、掘り下げていって理解し合って行ってはいかがでしょう?
本当に好きな人の事って、すごく興味が湧くんだけどなぁ。
そうですね…。その通りだと思います。でもひょっとしたら私は「本当に好きな人」自体がなかなか現れないのかもしれないですね…。どういう人が「本当に好きな人」なのかわからないのです。惚れっぽいのですけど、その気持ちが深まらない感じですね…。
http://d.hatena.ne.jp/nextliteracy/20130924/1379991074
Rubyで型のチェックなんかいちいち入れるなよってのは同意なんだけど
「メソッドに正しいものが渡された」ということをどこかで一度確認しておきたいという心理的衝動は、単体テストが解消してくれるが、実際にはこの問題そのものは重要ではない。なぜなら、型エラーなんてバグの中では最も些細なものだからだ。
些細な間違いだからこそ煩わされたくないのが静的型付け好きな人の心理だからなぁ
メソッド毎に型チェック埋め込んでも何も解決はしないけど、そうしたくなる人からしたら
そんなんだから動的型付けは駄目なんだよって感じだろうな
お返事ありがとうございます。
あなたが気に食わないから欠点だと思っているだけで、相手がその欠点を直してないのは欠点ではないからではないでしょうか。
お互い様ですよね。
私も男性を本当に愛したことがないと思いますが、夫がいて子どもがいて、相手に思いやられていることを実感し、ふと相手のことを考えて行動していると「これが愛なのかもしれない」と感じます。
異性と長く続くよい関係を築くためにはお互いがお互いを思いやり、譲るところは譲り、いらないプライドは捨てることだと思います。
そうですね…。私は、自分に対しても相手に対しても理想を高く持ちすぎた気がします。それがある種の頑固さにつながってしまったのかも。ほんと、お互い様なんですけどね…。もういちど機会が与えられたら、前回の反省に立って、もう少しうまくやりたいです。
http://www.asahi.com/international/update/0927/TKY201309270501.html
いつから兵士へのセックスの提供を「慰安行為」と呼ぶようになったのか。
これでは、会社の慰安旅行もいかがわしいものに思えてしまうじゃないか。
社員みんなで連れ立って旅館近くのソープに行く旅行だとでも言うのか。
PowerPC時代、「MacにWindowsいれてみたwww」みたいなことをblogだかホームページだかに公開した奴が敬虔なApple教徒達から罵詈雑言(中には殺害予告も!)を浴びせられたって話思い出した。
やれやれ、増田に書き込んでおいてこの程度の罵倒に耐えられないとは、実は本気で悩んでたんですね、ご愁傷さまです。
嘘な所は嘘なんだろうけど。
子どもの頃から22、3まで、いつも自分のなかに二人の人がいるみたいに感じていた。
でも、小説とかで読んだような、完全な人格の入れ替わりがあるわけではなくて、
何かの物事に対して、「そうしたい」という気持ちと「でもそうすべきではない」という気持ちが葛藤していて、それが両極端なのでまるで二人の人がいるみたい、というくらいだ。
例えば恋をしても「私はこの人が好きだ!」という気持ちと、「私はこの人が好きなわけではない、好きになるべきではない、恋とかすべきではない」という自分。それが常にけんかしている感じだった。
23、4のとき、ふと気づくと、そうやってバトルしている二人の人を、「あー、またけんかしてるわ」という感じに傍観しているもうひとりがいるのに気づいた。
って、ことは、その3人目に気づいている自分って何、4人目? とかよくわかんないことを考えていた。
いつのまにかそういう極端な3人の人、みたいな感覚はなくなったけれど、
やっぱり何か物事を考えるときに、両極端なことを考えてしまいがちである。
愛着障害について読んだけれど、両極端、白か黒かでグレーがないのは愛着障害者にありがちとかいう。
あるいはアダルトチルドレンてやつでもなんかそんなことがあるらしい。
今でも続くこの白か黒か両極端なやつって、直せるんだろうか。
「人生ってのはね、幸不幸が50:50くらいなもんなんだよ」
だって小学生くらいの自分にとっては人生は楽しくて面白くって仕方がなかった
昼休み、放課後、クラブ活動、夏休み、じょぎピン、アニメ、金曜ロードショー、家族、友達。
辛いことといえば、
たまにお腹を壊して苦しんだり、
塾に行かなきゃいけなかったり、
門限が6時で夜まで遊べなかったり、とか
そういう即物的な辛さしかなかった
だからもう体感的に言って幸不幸99:1くらいの感覚で、遊びに忙しい日々を送っていた
でも自分が成長するに連れて「幸不幸50:50」説がなんだかよく分かるようになってしまった
それどころか
社会に出るにつれて、幸不幸「20:80」「1:99」くらいの説を潜在的にでも唱えている人の多さに気がついた
理由は自明ですね。
我慢を強いられるのは当たり前
社会における受動的な存在から能動的な存在へ変身せざるをえないんだ、大人になるってことは
小学生の頃みたいに、親という庇護者によって欲しいものが与えられるなんてことはほとんどない
有給、幸せな金曜夜、夏休み、金のかかる趣味、地位、新しい家族、恋人、自尊心その他諸々を。
幸不幸「99:1」くらいになりえるのかもしれない。
違う、違うんだ。
私が言いたいのはそんなことじゃない。
幸不幸の割合がオトナ化とともにだんだんおかしなことになってくる一番デカイ原因はそんな瑣末なことなどではない。
死、である。まぁ当然です。
死について。
これはもう、その瞬間は絶対にもう不幸だ。
オトナ化すると、死というものが親しい人や自分に降りかかる確率が当然上がってくる。
親しい人の訃報に触れると、本当に幸せとは一番遠いところに突き落とされますね。
どんなに親しい人がいない人だって、自分の死は避けようがない不幸ですね。
いくら愛だなんだ叫んで少しずつ愛を獲得しても、確実に対象は死んでしまう。
そして、自分も。
あとね、小さな失恋について。
べつに大失恋なんかじゃなくていい。
職場やクラスのアイドル的存在やらイケてる人をほのかに可愛いなーかっこいいなーと思っているけど、
同窓会で再開したら、あの子がものすごい美人になってた、とかものすごい出世してた、
早速私も話しかけてみるも、会話の感じからして相手にとって私は「その他大勢の一人」ってことがソッコーで分かった、とか。
もうもっと小さな失恋でいうと、テレビでみかける素敵な女優や俳優に熱愛報道がでた瞬間とかもね。
これ、でかいと思うんですよ。
給料が上がらん、とか
休暇がとれん、とか
そんなのより大分。
多分失恋の場合、私という個人が負けた分、他の見知らぬor知り合いの誰か個人がほぼ確実に勝っているということが
それに給料とか休暇とかってのはそんなに恒常的なものではないのに対して
失恋に関しては、人と比べ続ける限り一生ささやかに失恋し続けなくてはならないからね。
まぁとにかく
こういう小さな挫折が生きている限り積み重なるので、
人生において幸不幸の割合がだんだんおかしな事になってく気がするのだ。
取り巻く環境がどうであろうと、幸せは自分で呼び寄せてやるんだ、って自然に前向きに考えられる人も一定層いるのは承知。
というかそっちのほうが多数派かもしれない。
でもそういう心持ちで常にいられるってのはすごい恵まれている。
そういうモチベーションに自分のメンタルを持っていける努力が自然と出来る人だから。
言葉でうまく説明できませんでしたが、
とにかく私個人については「断続的な小さな失恋というものが人生不幸説の一因である」と思いつめるほど、
昨日の同窓会が原因で。
ドキドキプリキュアの敵がやっていることをやればいい。
ドキドキプリキュアを見ていない人間はまずいないと思われるが、一応説明する。
幹部達は、人間の心に自己中心的で身勝手な欲望が芽生えた所に、そのエゴイズムを増幅させるように囁き、欲望で黒く染まった「プシュケー」を抜き出して「ジコチュー」を造り出す能力を持ち、ジコチューを利用して破壊活動させ、キングジコチューの復活のために必要な「ジャネジー」の収集を目的としている。
以上Wikipediaより敵が行う行動の説明。
一読してわかりづらいため以下具体的に説明する。
クルマも来ていないし、渡ってしまおうかと考える(=自己中心的で身勝手な欲望の芽生え)。
そこで普通は「いやいやクルマが来ていないからって信号無視しちゃだめだ」と自制する心理が働く。
しかしドキドキプリキュアの敵はその一瞬のエゴイズムを抜き出し、増長させる。
この場合だと、信号なんか無視しちゃうもんねーと言っちゃって暴走する敵=ジコチューがつくりだされることになる。
閑話休題。
そうすれば、賛否両論あれど、過激な意見にはブクマがつきやすく、ホッテントリ入りも容易だ。
ああ、こんなにも有用なドキドキプリキュアというアニメはなんと素晴らしいのだ。
見ていない人間は人生を10割損していると言っても過言ではないだろう。
元増田です。
そんな変態が人と付き合えるわけないじゃない。
やれやれ…。私も確かに完璧な人間ではないけれども、人が真面目に悩んでいるのに、罵倒する必要があるんでしょうか。あなたはどうやら私より寂しい人間のようですね…。幸多からんことを祈ります。
要するに欝でまともに仕事できないんでしょ?
女と沢山付き合ったってのがウソっぽいし、そもそも
が意味不明。なんで付き合うのに生活の余裕が必要なのか?その時点で考えがおかしいしまともに人と付き合ったことすら無いんだろう。
そんな変態が人と付き合えるわけないじゃない。