フィクションとはいえ、よく練り込まれたストーリーで、純粋に物語として楽しめました(特に最後の部分)。実際に起こった戦争が舞台になっていて、しかも当時の情報がよく調べられているなぁ、と感心しましたが、あくまでフィクションとして楽しむべきで、これを読んで実際のゼロ戦のパイロットたちを美化したり、当時の軍部の矛盾を批判したりすることには意味がないように思いました。
つまり感動するにはいいですが、戦争のことについて考えるための本ではないということです。
しかし作者としては、主人公の兄姉に軍部の矛盾を語らせることによって、自らの戦争に対する考え方を示したいようで、そういうところがやや示唆的な部分なんではないだろうかと気になりました。やや穿った見方をすると、この本は、インタビュー先の老人(元軍人)たちが、戦争の状況(と宮部久蔵との思い出)を語り、主人公の兄姉が戦争に対して理解を深め、意見を交わす、といった構造になっています。老人たちが語る戦争の状況が詳しすぎて、宮部久蔵の感動的な物語はおまけみたいなもんになってしまっている印象を受けました。これほどまで詳しく戦争のことを調べ上げ、さらに作者自身もそれなりの意見を持っているのであるならば、戦争についてのレポートとして新書とかで売れば良かったんではないか、とも思いました。
プロはてなーはスパムの区別が付けられると聞いたがこいつはどうなんだい
http://b.hatena.ne.jp/entrylist?url=http%3A%2F%2Fsekabull.hatenablog.jp%2F
http://hamusoku.com/archives/8067863.html
DQNネームの歴史を塗り替える衝撃のDQNネームが爆誕wwwwwwwwwwwwwww
TLに流れてきたので何気なく覗いたらすごいことになってた。
なんというか、なんにもいえないこの感じ。伝わってますか?
ねらーの方々の反応が正常な反応だと思いました。釣りだと良いんですが。
こういうDQNネーム(巷ではキラキラネームとオブラートに包まれてますが)は、
一体全体どういう流れで生まれて、どうして無くならないのでしょうか。
いつの時代から生まれたのかは定かではないですし特定もできないですが、
社会問題として取り上げられた「悪魔ちゃん」の頃から顕著に表れてきたんでしょうか?
正直いつごろなの分からないですけど、結局悪魔ちゃんってどうなったんですかね?
まあそういう「悪魔ちゃん」みたいな「他にはない」という点で名前が決められてるように感じます。
そういう意味ではゆとり世代が親になり始めた頃から増加し始めたと言えるかもしれません。
まあ上記の「オンリーワン」感でつける親も少なからず居ると思うのですが、
「かわいい」「かっこいい」という単純な(わかりやすい)理由でつける親も多いのではないでしょうか。
ファッション性というか、まあいわゆる親の自己満足の世界の話ですが。
そういう事を考えていくとDQNネームをつけてしまう親も得てしてDQNだと思いますが、
そのヤンキー性で、自分の子どもを私有化しようという気持ちがあるように感じます。
マーキングというか、ヤンキーの縄張り争いなどと似たようなものですね。
「我が子」だから「自分」の子どもだからと言って「親の勝手だ」というのはカンタンです。
ヤンキーというのは基本的に世襲制ですので、よほどのことがない限り周りの親族や友人も
DQNネーム歓迎ムードだから「さすがにその名前はヤバくねwwww」という風に止める人物は皆無かと推測できます。
いや「さすがにその名前はヤバくねwwww」と賛成する人のほうが多いかもしれませんが。
子どもの立場に立って考えてみると「たまったもんじゃない」というのが本音でしょうが、
子どもというのはつまり、自分な訳です。世襲してきて次世代に受け継ぐまさにその瞬間な訳です。
その時に脳裏をよぎるのは「俺と同じように生きて欲しい」というような親心で
似たようなDQNネームをつけてしまうというサイクルが出来上がってしまっているのかもしれません。
ブラック企業であるような「俺にも出来るんだからお前らにも出来る」のような恐ろしい考えと言えますが、
そこに愛情がある分劣悪な環境に落ちていくスパイラルではないので安心出来るでしょう。
基本的には、年功序列は正しい。
ただ例外パターンがいくつか有るときに年功序列が適応されるのが問題。
正社員というシステムは正しい。可能な限り正社員に採用していくというのは正しい。
飛び級はイジメられるというが、どのみち飛び級しなくてもイジメられる可能性は高い。
そんなところなのかね。なんか、僕が考えるようなことじゃない。
女子の下着のフリフリした感じが苦手。
脱いでそれが出てきたときのゲンナリ感が年々ひどくなっていく。
あるのって理解できん。
スマホのケースに耳ついてるのがあるけど
それにも同様の気持ち悪さを感じる。
休日で久しぶりに昔いた街の繁華街に出たんだけど、閑静な住宅街のそばだけ合って
貧困やいろんな問題なんて微塵も感じられない。
あぁ、日本は平和でいい国だな。これなら、競争もなく適当に生きて、世代交代で交代する年功序列でも生きていけると
存在アピールのつもりですか?
あなたの存在価値はダジャレしか無いんだから、ダジャレ思いつかなかったからって「ふーむ」とか「へえ」だの書き捨てに来ないでくださいよ鬱陶しい。
特許に関しちゃ元々の発想は逆だよ。
保護が全く無かったら、みんな思いついたアイディアを秘密にするだろ。でも人類全体のためにはアイディアは公開して共有されるほうが良い。新しいアイディアはそれまでのアイディアの上に産まれるからね。
だから「一定期間独占権をあげるから、アイディアを公開してね」ってことで出来たのが特許。独占権は公開とのバーターなわけ。独占期間(20年とか)が過ぎれば人類の共有財産ってことになる。
その番組は見てないからどれくらいの文句を伝えてたのか知らんけど、言い方の問題だろ。
それにそういう奥さんだとしてもどんな不満でも心からの笑顔で受け止められる訳じゃない。
隣の芝が青く見えてるんじゃないかな。
例えば新しいプログラミングを習得するとき、普通のプログラマは基本的な構文さえ習得すればまともに仕事をし始めて、すぐに構文に馴染んで標準的な作業は出来るようになるが、スーパープログラマは仕様を読んで言語の思想を汲み取って困ったことがあれば処理系のソースを読んで…とやっていて、それでどんどん進化する。ロジックを実装するときにも、ササッと書けば済むものを操作対象のデータはどういう構造を持っているかを分析して抽象化しようとする、そうして進化する。
でも、進化にはコストがかかる。単に何も考えず知ってることを使ってすぐやらなければならない問題を解決するほうがよほど速い。もし能力が極めて高い人であれば、こうした学習コストは能力の高さで相殺するか、あるいは学習にかかる時間を短縮することが出来るため、普通の人以上のパフォーマンスを発揮する人間として特に問題とされない。しかし能力が足りないか、周囲の人の能力も極めて高いかすれば、仕事が遅い人と思われてしまう。
というより、これを言うヤツのドヤァって感じがムカつく。
「そんなもん持ってないわ」って言うジジイよりもムカつく。
店側に個人情報を渡さない囲い込みもされない情強な俺カッコイイみたいな。
別に最近はもう「持ってないです」って言われても「お作りしましょうか?」って言われることあんまりないと思うんです。
持ってなかったとして「いいえ」って二回言えば済む話だと思うんです。
大体それよりも最近はポイントカード後出しにまつわるクレーム解消のために訊ねている側面が強いと思うんです。
まあね「あ、すいません、いいです」みたいなお客様は別にって感じなんですけど、
食い気味にボソッと「いいです」とか言われると「は?何がいいんや?」って言いたくなっちゃいますよね。
久しぶりに連れが家に遊びに来た。
ワケがあって家から出ることが出来ない俺にとって
ヨメさん以外の人と直接会うのは数ヶ月振りになる。
一頻りどうでもいい話をして、さっき帰って行ったけど
家に一人になるとサミシクてイカンね。
昔はそうでもなかったのに40近くになったら急に
弱くなったみたい。
何とか泣くのを堪えてるくらい。
ツイターに書くと、その連れにも読まれて恥ずかしいので
増田に書き取らしてみた。
自分でもどうかと思うくらい感動した。そして、反省しはじめている。
自分は今、29歳、男。年収330万。来年結婚が決まっている。
淳には理想の奥さん像があり、その理想を手に入れるために、探し回り、アプローチしまくり、たくさんの人と付き合って、やっと見つけたのがあの奥さん。
もちろん金もってるから出来るってのもあると思うのだが、だけど、くそ忙しい中リゾートに旅行に行き、相手のためにやさしい言葉をかけ、プレゼントを渡し、親へ誠意をみせる。
当たり前のことかも知れないけど、これが俺には出来ていない、と気づいた。
なんとか時間を作って旅行に行くとか、無駄づかいせずにプレゼント買うとか、もっと簡単なことだと、やさしい言葉・感謝の言葉をかけるとか。
俺はなんて甘えてたんだ。反省。
と、同時に、自分の結婚相手に対しての不満が出てきてしまった。これまで不満があっても、まぁしゃぁないかとあきらめて、意見を言ったりすることはなかった。
考え方や趣味が違う事なんて山ほどある(もちろん合うところもたくさんある)が、その時に意見を言い合って、考えをすりあわせるってことをしてこなかった。
「このインゲン生煮えじゃん」
なんて言おうものなら、すぐに不機嫌になるだろう。
ロンハーで淳が奥さんがつくった料理に文句を言っていたときに奥さんは、
「あぁごめんなさい」
と、すぐに笑顔で反応していた。そこには不機嫌さなんて微塵も感じてこなかった。
こういうところに自分の結婚相手に対しての不満を感じ始めている。
どうするべきだろう。
意見や不満は言うべきなんだろうか。
それとも、これまで通りにするべきだろうか。
たとえば
https://twitter.com/sura_taro/status/372360445736144896
とか
http://tameike.net/comments.htm#new20130920201220
のことだけど、値札の貼り替えや会計処理が大変だっていうだけでは反対理由にさえなってませんから。
マクロの経済学者やエコノミストなんて全くリアリズムのない世界で生きている、とか腐す前にあんたらが示さないとならないのは、
そういったコストが、引き上げを小刻みにすることのベネフィットを上回るということですから。
そういう人達で、その費用便益の大小を自分で分析したり、最低限だれかが分析したのを引っ張ってきたりしている人は見たこと無い。
ジツムガージツムガーと、便益との比較をしないで費用だけ言っておしまい、って人ばかり。
しかも、そういう人に限って実務に本当に通じているかというとそうでなく、狭い範囲での(下手すれば頭の中の)事業者の声だったりする。
閃きだけじゃないだろ