はてなキーワード: xジェンダーとは
最近、多様性が認められ、ついに性別も細分化されてきました。xジェンダー、クエスチョニング、無性などなど…。 普通に生きていて、性同一性障害の方などでないのなら自分の性別がなんなのかとか考えたり感じたりしなくないですか?性自認だのなんだの言っている方々は、ジェンダーからの解放というよりむしろジェンダーに囚われている気がします。
私自身、人それぞれの違いは個性だと受け止めているので、わざわざ細かい性別に名前をつけたり細分化しなくても良いのではと思ってしまいます。そんなことをしていたらキリがないと思いません?
性自認とか、そういう概念がなければ自分は他とは違うと感じることって実はないのでは?そういう概念がもたらされた後、その概念に取り込まれようとしていませんか?
これらは性自認という概念に共感や理解できない私の考えです。きつい言葉があれば申し訳ないです。
みなさんは性自認という概念について、どう思いますか?どう考えますか?
(性同一性障害以外の方の話です。)
でもそれが「自分は本当は別の性別だったんだ!」に飛躍するのは理解が出来ない。
なんでそうなるんだよ!?
例えば男で言うと、戸籍上の性別はちんちんがついてるかどうかで決まる。
そしてちんちんがついてるだけで男性のジェンダーロールを担うように育てられ、社会ではその振る舞いを要求される。
大人へと成長していく中で、「あれ・・・?ちんちんがついてるから男性って言われてるけど、自分は本当に男性なのか・・・?」と性自認の違和を感じる人がいる。「では自分の性自認は男じゃないとしたら何があてはまる?」と考えた時に女が当てはまる人、これがトランスジェンダー。
一方、女が当てはまらない人もいる。そういった人達はXジェンダーと呼んだり、ノンバイナリー(自分の性自認を男と女の2者で決めない人)と呼んだりする。
元増田は「飛躍している」と言っているが、男性じゃない気がする→女性な気がするって思うのは多様性後進国の日本では自然なことだと思う。性について、グラデーションという考え方があまり浸透しておらず男と女の二元論で語られることが多いから。
性的対象(好きになる性)も似たような話で、「自分はちんちんついてて、男として育てられたし自分は男だと思ってるけど、女性に性的興奮が無いな・・・」ってのが同性愛者。
自分は男性同性愛者で、ソースはないけど遺伝子のバグで脳が男と女のミックスみたいな脳になってしまっているせいでこういったことが起こるんだと勝手に思ってる。完全にハズレくじをひいてしまったよ。トホホ・・・。
年齢とか人種とかについても「自認」を再評価しようというのは全然わかるし賛同するんだけど、「トランス」という接頭辞はそこに適合してないよなぁ。そもそも「トランスジェンダー」という言葉自体が「性別は男女の二通りしかない」ことを前提にした言葉で、例えばXジェンダーのことをトランスジェンダーとは言わない。
「性別違和(Gender Dysphoria)」や「性別不合(Gender Incongruence)」に倣って「違和(Dysphoria)」や「不合(Incongruence)」という言葉を使った方がわかりやすい。
大人がお子様ランチ頼んじゃダメとか、アニメ映画の特典もらっちゃダメとか、そういうのは今後普通に差別として扱われていくと思うよ。
例の歌舞伎町タワーのトイレの件だけど、あんなのが増えていくっていうなら、ほんとにダメだよね
作る前にトランスジェンダーやXジェンダーの人の意見聞いてなさそうだし、何よりそんな杜撰な計画で利用者の安全を守れるわけがない
LGBTに配慮してますよー感出すための演出にしか見えない事業だ
GIDの人たちなんかも性別移行中は極力、公共のトイレは使わないようにしてる人が多いと思うし、
家族と先生以外で男性に接することがほとんどないまま大学生になった。女子比率のかなり低い大学に入った時はなんとなく居心地が悪かった。
でも、実験とかグループワークで男子学生と一緒になっても、当たり前だけどセクハラとかもないし、性別は違うけど同じ人間だよなぁって思って、だんだんと性別を気にしなくなった。私は実は恋愛したい欲が一切なくて、大学は勉強をするところだと思ってた。だからそれもあって、男女とかいちいち気にせず普通に好きな勉強ができた。
類は友を呼ぶって言うけど、その通りに私にもよく一緒にいるグループができた。あえて性別を書くと女3(A、B、私)男1(C)のグループ。だけど単純に、勉強が好きでかつ得意なメンバーがつるんだってだけの話で、性別とか別に一切気にして選んだとかではなかった。
大学のキャンパス内で一緒に勉強したり、ひとり暮らししてるメンバーの家で課題やったりするだけだから、性別意識する必要もなかった。でも私の認識としては、AとBは女性で、Cは男性。何か対応が変わるわけではないけど、でも身体の性別の認識としてはそうだった。
卒業して数年たって、ツイッターを見てたら、Aがこれから入院して手術受けるというから心配した。何日かたって、突然「やっと戸籍を女にできる」っていうツイートをみかけた。そりゃびっくりする。だってずっと女の子だと思ってたから。
その時思ったいろんな気持ちとしては、「悩んでたんだろうな」「手術大変だっただろうな」「っていうか何年も一緒にいたのに気付かない私ってやばくない?」「大事だと思ってる友人の地雷をどこかで踏み抜いてないか、不安」「あれでも女性向けイベントに一緒にいったことあるけどあれはいいのかな。でも確かに自認でOKって書いてあったな」「背高いのも声がハスキーなのも、すてきだなって普通に思ってたな」「性別変わったとして、付き合い方は変わらないな」「何年も一緒にいたのに、知らなかったし教えてもらえなかったな。でも言わなくていいことは言わなくたっていいと思うし別に嫌じゃないな」…そんな感じ。
気づかないって大丈夫?そんなことある?って言われそうだな。でも名前も男女どっちでも使えるものだったし、人の学生証なんて普通見ないし、背の高めの女の子だっているし、声もハスキーだったけど個性だし、ヒールは私は好きだけど履かないのも別に普通だし、、、本当に分からなかった。
でもいろんなジェンダーがあるんだって知ってたから、もしかしたらXジェンダーかもしれないし、実は心が男性のGID(性同一性障害)かもしれないし、性的指向がマイノリティかもしれないとは想定してたし、何かを押し付けたりは違うと思ってたけど、体は女性だということに疑いは持ってなかった。思い込みなんだけどね。
まあとにかくびっくりしたんだよ。でも別にそれで何かが変わるわけじゃないんだよね。
しいて言えば、Aのツイートのおかげで、性同一性障害についてちょっとだけ理解が深まった。例えば、性別適合手術は保険適用になってるけどホルモン治療受けてる場合は保険適用外になるから、百万くらいかかることとか。性別適合手術終えていざ戸籍を変えるとなった時に事務手続きが結構面倒だとか。当事者ブログとか結構読んでいろいろ発見があった。
友達には幸せでいて欲しいからGID(性同一性障害)の負担軽減は願いたいし、GIDだけじゃなくていろんなL/G/B/ACE/ALOとかのマイノリティのアライでありたいなと思ってる。それってLGBTのアライでいるということだよね?そうだと思う。
でも最近LGBTのTってGIDの物じゃなくなってきてるので混乱してる。
身体違和もなく手術する気もなく、身体男性のままでも自認が女性だから女性スペースにいれろって言う意見が目につきすぎる。
そんなの女性として自分の安全のために認められるわけがない。でもAみたいなGID当事者の負担軽減はサポートしたい。
ある状態からマイナスなことを起こさずにプラスなことを生み出すことには一切反対したくないけど、生贄がないと実現しない幸せをサポートすることはできない。それだけの話なんだけど、こういうことを言うと(広義の)トランス差別者だと言われるから怖い。
どうしたらいいんだろう。
「自分は本来この体で生まれるべきでは無かった」と自分の体に強い違和感を持ってる人がトランスジェンダー
「自分の性別は男とか女とか片方に決まっていない」と自分の性自認を固定していない人がXジェンダー
この、「トランスジェンダー」や「Xジェンダー」という分類に対して自分は「あれ?」と思う事が前からあった。
N=1という訳でもないのだけど…この、性自認が肉体と逆・性別が迷子と自称している人達の精神的性別が、自分には本人達が言うほど迷子になっているようには思えなかった。
この人達「自分は女じゃない、どちらかと言えば性自認は男寄りだ」と言ってるけど
嗜好している物も言動も行動もまんま女性のそれじゃん、と思う事ばかりだった。
そういう人達がLGBTQとして性的少数者を名乗り「マイノリティ」として「マジョリティ」に配慮を求め愚痴を吐き出す光景を目にする度、自分は何とも言えない微妙な気分になっている。
自分自身は保守だと思っている。8valuesやIDRlabsの政党座標テストなどでは中道的と判断されたが、日本特有のこととかがなかったりする関係でそうなっているだけで自分自身はれっきとした保守だと思う。
では、本題に入ろう。
自分的に左派やLGBTQ+活動家が掲げるジェンダー平等は逆効果、つまりLGBTQ+の人々が生きづらい社会にしてしまうのではないかということである。なぜならこの政策は「心の性別が男」「心の性別が女」の定義を決めつけることになってしまうからである。つまり左派やLGBTQ+活動家がこの政策を主導する目的である「多様性を認めること」とは逆のことをしているということになる。金子みすゞは「みんなちがってみんないい」と詩の中に書いていて、自分はこの言葉こそが多様性を認めることだと思う。また、LGBTQ+の中にはXジェンダーやノンバイナリーといった人達もいる。Xジェンダーとは心の性別が男か女かはっきりしていない人、ノンバイナリーとは心の性別がない人のことを指す。この人たちのためのジェンダー平等とは心の性別を気にしないことではないだろうか。
ここで読者に質問がある。「心の性別」はどうやって判別するのか。
おそらくほとんどの人が「?」となったはずである。上にも書いたように心の性別の定義はそもそも存在しない。性的指向は存在するが、「心の性別」という言葉についてはどう考えてもレッテル貼りに過ぎないのではないか。いくら性格が似ている人間でも全く同じ人間は一人たりとも存在しないはずである。心の性別での男女の基準は何なんだろうか。自分には到底わからない。でもこれだけは言える。心の性別というものは存在しない。心はみんなそれぞれ違う。そもそも「性別」というものは生物学的なものであるというのになぜ心理学的な側面で使おうとするのか。自分には到底わからない。そもそも「男らしさ」「女らしさ」の概念をなくすべきである。
「心の性別」というものが存在していても、浴場やトイレといった性器を露出する場面では生物学的な性別で分けたほうが適切だと言える。心の性別で分けていいのはそのような場面を除く場面のみだと思っている。(そもそも心の性別は存在しないのだが。)また、日本国憲法には「公共の福祉」というものがある。この観点から言っても浴場やトイレといった性器を露出する場面では生物学的な性別で分けるべきである。そんなに入りたいのであれば性適合手術を受けるべきである。
このような長過ぎる本文になってしまったが、要点をまとめると、
ということである。
なお、これまでなんか違うなと思ったことを書いてきたが、流石に賛同できるところも書いたほうが説得力があると思ったため箇条書きで書いていく。
ちなみに同性婚について一言言っておくが、どう考えても誰と誰が結婚するかについては全くの他人事として気にしないほうがいいと思う。気にすると他の家庭への干渉になってしまうから。
あとは西欧の方々に言っておきたいことがある。男の娘とトランスはぜんぜん違う言葉である。性自認が男であろうが女であろうが男の娘であることには変わらない。後者であると決めつけるのはやめてほしい。
...と長くなりすぎたが書くことは書いたので終わろうと思う。
では。
父親がゲイなのに世間体気にして友達として愛してた母親と結婚して俺を作って、強くて優しく厳しい日本の父って感じだったのにそのうち俺ら子供がお父さんって呼んだり人から◯◯くんのお父さん、◯◯さんの旦那さんって言われるのがつらい、そう言う存在であるのがつらいとか泣きながら言い出して離婚したんだよな
でも養育費ガンガン払ってくれたし大事にしてくれたし社会人になった今もわりと仲良い
https://www.instagram.com/p/ChroQDard2a/?igshid=YmMyMTA2M2Y=
クソ長いインスタの文章読んだけど多分こういうこと 間違ってたらすまん
・りゅうちぇるはゲイ(or ゲイ寄りバイ)、もしくは性自認が女性(orXジェンダー)またはその両方
・ぺこを女性としてというか人間として愛しているから付き合って「彼氏」でいることを頑張り次は「夫」「父」であることを頑張ってきたけどもう限界
・ぺことは離婚することでその肩書きから離れるけど家族としていたいのは変わらないし愛してるし子供は一緒に育てていく
これに対する俺の考え
・まあそもそも現代人は「母」「妻」「父」「夫」として色々求められすぎだから普通にやっててもきついのに自分を偽ってたらそりゃしんどいだろなと思うのでりゅうちぇるに同情する 芸能人でもあるしな
・でもちょっと決断が遅すぎんか まあ仕方ないことではあるけど性自認うんぬんLGBTQを盾にして子供がいるのに家庭かき乱すのはどうなんだろうな 色々問題ありだとしてもやっぱり結婚という制度は家族を守るために便利だし(だからこそ同性婚も認められるべき) 多様性を履き違えてる気がする
・とりあえず子供含めて3人が幸せになれるといいな うちはわりと家庭崩壊したんで 兄は思いっきりグレたし姉は怒り狂ってたし俺も普通に父親のことでいじめられたし母親は辛そうにしてた
・ぺこが心配 LGBTQに理解のあるインフルエンサーとして受け入れるふりをしなきゃいけないだろうし親くらいにしかぶちまけられないのでは
ここでブチギレてお前なんなんだよってなってもおかしくないがそれだとりゅうちぇるは傷付けるわ世間では理解のない妻レッテル貼られるわで大変そうだ
(追記)
子供目線で言うと、「言わないでほしかった、最後まで隠しておいてほしかった」とは思わなかったんだよな 姉はそうじゃなかったらしいから人によると思うんだけど
むしろ父親が最後まで隠して辛い思いして精神的に孤独に死んでいくというのもあったと思うとぞっとする 父親がかわいそうだというのもあるし、俺らって生きてるだけで父親を苦しめてたのかと後からわかるのもキツかったと思う
ただやっぱりカミングアウトというのはタイミングを間違えると暴力性を含むと思うし、言った側は辛いながらもある程度すっきりするけど言われた側はもやもやを積み重ねていくことになる
だからといってカミングアウトするのが悪いわけではなく、自分のことを話すのがカミングアウトと言われる社会が悪いとは思う
ただ誰もが「俺はこういう人間だ」(某ダディではないが)マインドでいると無法地帯になるのかなとも
親はこうあるべきだ!子供に身を捧げるべきだ!と自分を縛り付けすぎるのは誰にとっても良くないけど、やっぱ子供産むならば子供を優先できる親であるべきだと思ってしまう 俺はそうする
例えば「母親・父親だって恋愛していい!」って言う人いるらしいくけど、まあいいとは思うがそれを毒親とする人もいっぱいいるわけで…
難しすぎるけど、こういうことを世間に考えさせられた時点でりゅうちぇるは凄いと思うし、3人に幸あれ
あと、りゅうちぇるが理想の父親像を語ってたらしくてそれも一種の自己暗示というか頑張るためだったのかもね
また違うけど職業柄SNSでいい経営者アピールしたり社員のためにって言いまくってる人が超ワンマン経営でぼくがかんがえたさいきょうのかいしゃと善意の押し売りしまくってるだけで社員はむしろ苦しんでたり…みたいなののいつも見てるからそれよかましだと思ってしまう
(追記2)
Twitterでうちの父親の批判ツイートしててメディア欄に自分の半顔晒してる人顔見知りでわろた 世間は狭い
金払って終わりじゃなくて家族のために色々やってくれてたよ
生物学的なあるいは自認する性と異なる装いをする人
じょそうとか男装とか
かわいくないと(セクシーだったりも含む)とおとこの娘とは呼ばれない
フェムボーイ
おとこの娘に最も近い英語だけれど、おとこの娘に含まれない女性的な男性も含む
見た目がかわいい少女の様だとおとこの娘と呼ばれたりするけれど
セクシー系だったり容姿ではなく仕草や趣味が女性的なだけの場合おとこの娘とは呼ばれない
生物学的に男性として生まれたが迷信という社会的抑圧で社会的な性を女性として育てられたけれど、影で男らしく努めたり、迷信を覆して男の子として生きるために旅にでるキャラはトランスなのかしらん?間違ってね?