はてなキーワード: 神宮球場とは
「清宮の90本超えは練習試合も含めているから参考にならない」と言い捨てるだけの記事を見かけたが、そういうことを書くんなら「他の高校通算本塁打数上位選手は公式戦でどのくらいホームランを打っているのか」「早実のグラウンドは広いのか」「早実は練習試合を多く組んでいるのか」「早実の対戦相手は弱いのか」あたりをきっちり調べて書いてくれ。報道に文句を言うだけなら迷惑ブログでもできるんだよ山田隆道。
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/561901/
早実が“主戦場”とする王貞治記念グラウンドは両翼93メートル、中堅120メートル。神宮球場の両翼97・5メートル、中堅120メートルよりは小さいものの、一般的な高校が持つグラウンドとしてはかなり広い部類に入る。
昨夏甲子園4強に残った早実には、今春招待試合のオファーが殺到。いずれも地方の強豪校ばかりで、実際早実の勝率は決して高くはない。
もうひとつ言うと、リーグ戦があるプロや大学野球と違って、高校野球はほとんどがトーナメントなので、本塁打数を公式戦だけに限定すると、公式大会を勝ち進めるような強豪チームほど有利になってしまう。それはそれで不公平だろう。とりあえず「練習試合も含めているから参考にならない」ではなく「練習試合の内容がこうだったからこの選手はこうだ」と言えるようになってくれ山田隆道。
あと、いまや野球でも統計データが活用されている時代なんだから、球場の広さや相手関係を考慮に入れて、高校野球選手の成績を評価できるような指標があれば面白いんじゃないかね。
http://anond.hatelabo.jp/20170414050958
ブックマークにもあるとおり、お値段の安い席ではそれなりにヤジも飛ぶのが野球場なのでもう二度と行かないとなる気持ちもわかります。
とはいえ一度で終わってしまうには惜しいので、個人的観測内でオススメな野球場をばいくつか。
隣に声のでかそうなオッサンが座ってなければ安心して観戦できます。
野球観戦には少々厳しい季節(春はまだ寒く、夏は文字通り酷暑)なのと、アルコール類を販売していないのでそのあたりは気を付けて。
閉所恐怖症でなければ、アクセスよし、客の質よしでいうことありません。特に国際大会は和やかな雰囲気で楽しいですよ。
巨人戦の雰囲気は知りません。敵地なのでおいそれと近づけないのです。
DeNAになってからチケットがとりにくくなっていますがこちらもアクセスよし、客の質よしで申し分ない野球場。
いい席に座るか、大音響で応援している真っ只中の外野席に座るかの2択。
外野席は人が多すぎると売り子さんが来ないことも過去にはありました。
外野席座るときは大声を出して大いに応援をやると決めていくのがオススメ。楽しいですよ。
おすすめできません。私が観戦した中でヤジが一番ひどかったのがこの球場。
アクセスはいいのですが、結構いい席に座ったのにヤジが多くもう二度と行きたくありません。
ヤクルトファンもひどい人が多いですが、神宮の阪神ファンは身の危険を感じるレベルで危ないので100m以内に近づかないことを強く推奨します。
札幌ドーム、千葉マリンスタジアム、西武ドーム、ナゴヤドーム、京セラドーム、マツダ(広島)、福岡ドームは観戦経験ありません。ごめんなさい。
札幌はホーム移転しちゃうので今のうちに見に行くとよいかもしれません。
西宮球場とかグリーンスタジアム神戸超オススメなんですがもう球場がなかったり一軍の試合してなかったりで見に行けないんですよねー
今日からプロ野球が開幕らしいので通勤で神宮球場の前を通って10数年、全く野球に興味のない私が主観的各球団ファンの外野席整列ランキングを発表する。
1位 中日ファン
心得た場所取りとファン同士の交流の濃さで情報の伝達が早いらしく全く混乱が見られない。
安心して見ていられる。
2位 広島ファン
中日ファン以上にマナーも甲乙つけがたい広島ファンであるが昨年の優勝騒ぎで浮かれすぎて列をはみ出たりとちょっと迷惑だったので減点。
昨年まで心のベストワンであった。
3位 横浜ファン
まったく印象に残らないのでマナーはいいんだと思うけどそもそも神宮で試合をしているのかどうかすらわからない。
4位 阪神ファン
毎年浮かれすぎ。
並んではいけないところに並んでいたりスクーターを歩道に止めて並んだりするので道が通れない。
近寄っても話に夢中でどいてくれない。
野球のファンならキャップ持ってるはずなのに真夏でも被らない。日傘もささない。
神宮では場所取りをしたら整理券を配る時間までそこにいなくても良いというローカルルールになっているらしいのだが修行のように日向にしゃがみこんでる。
5位 巨人ファン
コアなファンがいないのか先輩ファンからコツを伝授されないのかみんな球場の前でどうしていいかわからずウロウロしている。
番外編 つば九郎
心の準備ができていないのにいきなり道に飛び出してくるのは辞めて欲しい。
「ドライブに行かないか?」と僕は言った。「ウホウホ」とゴリラと言った。
海を見たことがないゴリラのために、僕は海岸沿いの景色のよい道を選んで運転した。ゴリラは「ウホウホ」と無邪気そうに喜んだ。
しばらくしてゴリラはバナナを僕によこした。一緒に食べよう、ということだ。ドライブしながら食べるバナナは、いつもより甘く、ほとんどバナナとは思えないほど美味しかった。
僕たちは食べ終えたバナナの皮をあたりかまわず窓から放り投げて、ドライブを続けた。
しばらくして、トウモロコシ畑を襲撃するイナゴの群れのように、夥しいパトカーが僕たちの車に近づいてきた。
停車した僕たちを取り囲んだパトカーのスピーカーから「手を上げて今すぐ車から出てきなさい」と声がした。警察官たちはひとり残らず銃をこちら側に向けていた。
やれやれ、仕方なく僕が車から降りると、一人の警官が「危ないからそこを離れなさい」と叫んだ。彼の銃口は車内のゴリラに向けられていた。警官たちはゴリラを射殺するつもりなのだ。
僕は警官に顔を向けたまま「ここでおとなしく撃たれるよりは、いっそ逃げよう」ってゴリラに言った。
そう言い終えた途端、僕の体は宙に浮かび上がり、ヒルトンが神宮球場のスタンドに放つホームランのように、爽やかな午後の空に放物線を描いた。もちろんそれはゴリラが僕を持ち上げ、警察の包囲の外側へ投げ飛ばしたのだ。
着地すると同時に、警官たちの銃声とゴリラの咆哮が耳をつらぬいた。僕はどうすることも出来ず、必死に走り、その場から逃げだした。
それ以来、ゴリラの消息は分からなかった。僕は時折「あいつは無事に逃げられたのだろうか」と思いながら、それまでの生活に戻っていった。
ある日のこと、僕は新聞の地方欄の片隅に、こんな記事を見つける。「ゴリラ捕まる、処刑は今日」
僕が街の広場に着いた頃には、すでに群衆が断頭台とゴリラを取り囲んでいた。
人混みをかき分けてゴリラに近づこうとする僕とゴリラの目があった。ゴリラは驚いた顔をして「俺のことはいいから、早くここから立ち去れ」と目で合図をした。
「そんなことは出来ない」と僕は目で答えた。ゴリラが僕にしたように、僕も自分の命を投げ打ってでもゴリラを助けないといけない。絶対に助けないと。
けれどもそう思えば思うほど、僕はベトナムの沼地に踏み込んだアメリカ兵のように動けなくなった。百人の小人が両手をつかまえて、体を左右から引き裂いているような心持ちだった。
「だから」と、僕は彼女に言った。「僕はゴリラとドライブには行かないんだ。もうあんな目にはあいたくないからね」
「きっと楽しいけど、僕はゴリラとドライブに行ったらいけないんだ。そういう運命なんだよ」と僕は答えた。
「じゃあ、これから私とドライブするのはどうかしら?」と彼女は言った。「もちろん、ゴリラほどには楽しくないかも知れないけれど、そんな悲しい思いはしないと思うわ」
「悪くないね」と僕は言った。
オリンピックの招致委員会と組織委員会とは、別だという話しに関連して。
また、誰かがスケープゴート的に”自殺”することになったり、しないといいけれど。
地検特捜部に追い込まれて、政治家の秘書が獄中へぐらいだったら良いけどね。
明治維新における黒船の役割を、フランスの警察に期待して、何かが起こるのかな?
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日本の歴史のターニングポイントになるようなことが、これから起こるのだろうか?
太平洋戦争によって、それまでの大日本帝国の方針が、世界には受け容れられなかったために、負けたのか。
福島の原発の問題にしても、海外報道からの手厳しい意見などは目にしてはいる。
実際の所、観光客の減少には繋がっていない。
国立競技場の件にしても、ザハさんが生きていたら、どうなっていたのかな。
神宮球場の資材置き場問題にしても、不満のある人は一定数いるようだ。
それで良いことと、そうではないことがあるけれど。
《神宮球場、2020年は使えない? 5~11月 五輪組織委、借用を要望》http://digital.asahi.com/articles/DA3S12296764.html
「ザマを見ろ」と言いたい。
神宮球場と秩父宮ラグビー場が建て替えになるが、建て替え方が面白い。
1) まず秩父宮ラグビー場を壊す
3) 神宮球場を壊す
この建て替え方が面白いところは
a) 神宮球場は使えなくなる期間がない
というところ。
ロ) 秩父宮ラグビー場を壊して、その跡に新・秩父宮ラグビー場を建てる
ってやれば、神宮球場も秩父宮ラグビー場も使えないのは一年で済む。
日本がバブルだったら最初のザハ・ハディドの案そのままで建ててるよね。
アートって、金があるところに集まるね。
2019年に日本で開催されるラグビーワールドカップでは、新国立競技場つかえなくなっちゃったね。
せっかくラグビーがワールドカップ呼んできたのに、みんな冷たいよね。
ラグビー日本チームの世界ランキングは12位で意外に強い。サッカーは50位だからね。
ラグビーの聖地 秩父宮競技場は、今回の一連の建て替えで取り壊されます。
次に、神宮球場を壊して、そこに新・秩父宮競技場を作るってやるから、ラグビーは二年間聖地がないの。
神宮球場は使えない期間がほぼないのにね。
「福島では避難生活をしている方々がまだいるのに2,500億使って建設とは!」って意見あったね。
それはそれ、これはこれだと思うけど。
「福島では避難生活をしている方々がまだいるのに、1,800円払って映画観てるとは!募金しろ!」
「福島では避難生活をしている・・・、1,200円払って展覧会観てるとは!募金しろ!」
「福島では避難生活を・・・、30,000円もする服着るなんて!募金しろ!」
「福島では・・・、2,000円もする昼食とるなんて!募金しろ!」
って、なってくかな。
安保関連法案の目眩ましで「白紙に戻します!」ってないよね。姑息。
一旦、目を眩まされてあげてもいいけど、来夏の参院選では絶対に思い出すよ。
当落線上にいる参院議員は、このままいったら落選確定だから、充電期間で何するか考えた方がいいよ。
引っ越し時に自転車を運んで行くことが出来ず今回の話につながる。
【金曜日】
金曜日、荒川区に住む友達と連絡をしてて荒川区で飲もうという話をした。
現地についてラーメンを食べていた。が、中々連絡がこない。
ラーメン食べているときに自転車撤去されていたことを思い出して、
友達の家に泊まって、朝自転車を回収して帰ろうってことを考えた。
終電間際になっても彼から連絡はこなくて、結局ラーメンだけ食べて終電で帰ることにした。
東海大とか東大の脇とか通った。戸建てのフレッシュネスバーガーがやたら雰囲気がある。
夜中に知らない景色を見て帰るのは嫌いじゃない。
【土曜日】
朝方友達から連絡がきて、荒川区まで電車できてしまったかどうかとか心配された。
ラーメンだけ食べて帰ったよという旨を伝えたらものすごく謝られた。(そりゃそうか。)
朝まで飲んでいたみたいで、連絡も出来なかったそうな。
まぁこの辺に関しては普段失礼なことをするような奴ではないので、あまり気にしていなかった。
そう、自転車のことを思い出したので、取りに行って自転車で帰ってこようという
一般的にはアホと思われるような思いつきをしてしまったのだ。
でもそんなことは気にしない。普段使わない銀座線とか南北線とかを無意味に乗り継いだ。
ビートルズが流れていてとてもいい選曲だった。
おばちゃんたちで席が埋まっていて、普段もこんな感じなんだろう。
隣に座ってきた女の子がソワソワしていた。何を考えていたんだろう。
撤去自転車の保管所に行って、5000円を払った。
しばらく忘れていた記憶を取り戻したような気がした。
正直、今から始まる自転車の旅に年甲斐もなくわくわくしていた。
GoogleMapを起動。途中で景色も撮りながら帰ろう。音楽もかけて。
今までスポットで行ったことがある場所を自転車で通るのは不思議な感覚だった。
点が線で結ばれるような。記憶を辿るような。
道は繋がっているんだなぁと。東京って狭いなぁと。
各スポットを挙げていく。
日暮里駅。
鴬谷駅。
ラブホがたくさんある。
上野公園。
湖を写真に撮った。
湯島。
湯島天神を撮った。
後楽園。
飯田橋。
川沿いを走りながら市ヶ谷。
四ッ谷。
若い女の警官ここでイヤホンをしていることに初めて注意された。
今まで警官には何度もすれ違ったけど。
すげー低姿勢の人だった。
右に曲がると表参道で、原宿駅の方か。こう繋がってるんだね。。。
で、まっすぐいくと宮益坂なのね。ほんと道は繋がっているんだなぁと思い知らされる。
国連大学でなんか催し物してた。
お、宮益坂!
あれ、これ渋谷のどこあがるとここなんだっけ。
あ、ビックカメラの方か。なるほど…。ヒカリエの方まで下る。
パルコとか西武とかの、人があり得ないほど密集してる空間を自転車で通り、
センター街を爆走。しばらく進む。
あれ…?
フレッシュネスバーガーは昨日と変わらずお洒落である。
日曜日も自転車を駆使して三軒茶屋とか探検したんだけど、これはいいか。
まさかママチャリで都内をフルコース探索する日がくるとは思っていなかった。
何はともあれ、センチメンタルな週末だった。
こういう週末もいいもんだ。
どうやら村上は、この本のアメリカ版をそのとき初めて目にしたらしい。
日本では『1Q84』は2年を掛けて3巻に分かれて発表された(村上は2巻目で一度終わりにしたが、一年後にもう数百ページ付け足したのである)。
アメリカでは、一巻のモノリスとして組まれ、秋の読書イベントに発表が設定された。
YouTube ではきらびやかなトレーラームービーを見ることができ、
一部の書店では発売日10月25日に深夜営業が予定されている。
Knopf は英語訳を急がせるため、二人の訳者に手分けして翻訳をさせた。
村上にこれほど長い作品を書くつもりがあったかと尋ねると、なかったという。
これほど長くなることが分かっていれば、書き始めなかったかもしれないともいう。
彼はタイトルや冒頭のイメージ(この作品の場合は両方だった)が浮かんだ時点で、机の前に座り、
毎朝毎朝、終わるまで書きつづけるのである。
といっても、この大作はごく小さな種から生まれた。
村上によれば『1Q84』は、人気を博した彼のショートストーリー『四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』(英語版では5ページ)を増幅させたものに過ぎないという。
「基本的には同じなんだ」と彼は言う。
「少年が少女に出会う。別れてしまった後、二人は互いを探し合う。単純な物語だ。それを長くしただけ」
筋書きを要約することすら、少なくともこの宇宙で人間言語をもって雑誌の1記事で書くとすれば不可能だ。
青豆という少女が、タクシーに乗って東京の周縁に掛かる高架の高速道路を行く。
そこで渋滞に巻き込まれ、身動きがとれなくなる。
チェコスロバキアの作曲家レオシュ・ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」だ。
「渋滞に巻き込まれたタクシーの中で聴くのにうってつけの音楽とは言えないはずだ」と村上は書く。
運転手は青豆に変わった迂回路を提案する。
高架高速道路には非常用脱出口が設置されている、そして、普通の人には知られていない脱出口への階段がある、と彼は言う。
本当に絶望しきっているのであれば、そこから地上に降りることもできる。
青豆が考えていると突然、運転手が村上一流の警告を口にする。
「見かけにだまされないように」と彼は言う。
降りていけば、彼女にとっての世界は根底から変わってしまうかもしれない、と。
そしてわずかではない違いとして、月がふたつあった(ちなみに彼女が遅刻した約束というのは暗殺の約束であったことが明らかになる)。
そしてその世界にはリトル・ピープルと呼ばれる魔法の種族がいる。
彼らは死んだ盲の羊の口(詳しく書くと長くなる)から生まれ、オタマジャクシの大きさからプレーリードッグの大きさにまで育ち、「ホーホー」と合唱しながら空中から透明な糸を紡ぎだして「空気さなぎ」と呼ばれる巨大なピーナッツ型のまゆを作る。
この本ではなかばあたりまで、このように浮世離れしたした超自然的ガジェット(空中に浮かぶ時計、神秘的なセックス麻痺など)が繰り出されてくるので、
私は行間にエクスクラメーションマークを置きたくなった。
この数十年、村上は自身が「本格小説」と位置づけるものを書こうとしていると言い続けてきた。
一例として彼は『カラマーゾフの兄弟』を挙げて目標にしている。
その試みこそが、三人称の幅広い視点から描かれた巨大小説『1Q84』であるように思われる。
怒り、暴力、惨事、奇妙なセックス、奇妙な新現実を抱えた本であり、
偶然ぶつかることになってしまった悲劇にも関わらず(あるいはその悲劇のなかでこそ)、
ひとりの人間の脳に詰め込まれた不思議を提示して、本書は読者を驚嘆させる。
驚きを覚える本の数々をこれだけ読んだあとでもなお、私は村上の本で驚かせられた。
そのこと自体が驚きだったと村上に伝えると、彼はいつものようにそれを受け流し、
自分の想像力を入れたつまらない花瓶でしかない、と言い張った。
「リトル・ピープルは突然やってきた」という。
僕は物語の虜だった。選択したのは僕ではなかった。彼らが来て、僕はそれを書いた。それが僕の仕事」
明晰夢を見ることがあるかと尋ねると、
覚えていられたことはない、という。
目覚めたときには消えている、と。
ここ数年で覚えていられた夢は一度だけ、それは村上春樹の小説のような繰り返す悪夢だったという。
その夢の中で、影のような未知の人物が「奇妙な食べ物」を料理してくれていた。
食べたいとは思わないが、夢のなかでは彼はそれに興味をひかれていて、まさに一口入れようというとき目が覚めた。
2日目、村上と私は彼の車の後部座席に乗り込み、彼の海辺の家へ向かった。
運転したのはアシスタントの一人である身ぎれいな女性で、青豆よりわずかに若かった。
私たちは東京を横切り、青豆が『1Q84』で運命的な下降をした高架高速道路の本物へと向かった。
カーステレオではブルース・スプリングスティーンがカバーした「Old Dan Tucker」がかけられていた。
車中で、村上は冒頭のシーンを思いついたときに考えていた緊急脱出口のことを持ち出した(青豆と同じように実際に渋滞に巻き込まれていたときにそのアイデアを思いついたという)。
実際の高速道路で、小説中であれば青豆が新世界に向けてくだっていったであろう場所を正確に特定しようとしたのである。
「彼女は用賀から渋谷に行こうとしていた」車窓をのぞきながら彼はいう。
「だから多分このあたりのはずだ」
と言ってこちらを向いて念を押すように
「それは現実じゃないけれど」
と付け加えた。
それでも、彼は窓の方に戻って実際に起こった出来事を話すように続きを語った。
キャロットタワーと呼ばれる、およそ巨大なネジが刺さった高層ビルのような建物の前を通り過ぎた。
村上はそこでこちらを向いて、もう一度思いついたように、
「それは現実じゃないけれど」と言った。
日本に滞在した5日間のあいだ、私は村上の東京にいたときとは違って、実際の東京で落ち着くことができなかった。
村上の東京、それは本物の東京を彼の本というレンズで見たときの姿だ。
客席の上の方で二塁打が打たれるたびに注目した(私がもらった天啓にもっとも近いものは、枝豆を喉につかえさせて窒息しかけたことだった)。
また、私はローリングストーンズの「Sympathy for the Devil」とエリック・クラプトンの2001年のアルバム「Reptile」をかけながら、神宮外苑という村上お気に入りの東京ジョギングルートをゆっくりと走った。
私のホテルは新宿駅に近い。そこは『1Q84』でも重要な役割を果たす、交通機関のハブ的な場所だ。
登場人物たちが好んで使う集合場所、中村屋で私はコーヒーを飲み、カレーを食べた。
そしてフレンチトーストとタピオカティーの向こうで東京人たちが交わす会話に耳をひそめた。
そうしてうろつくあいだに、村上小説が極度に意識しているものごと、すなわち、偶然かかる音楽、上昇と下降、人々の耳の形といったものを、私も極度に意識するようになった。
実際、彼の小説中の説明をもとにして料理本を出版した人もいるし、
登場人物が聞いた音楽のプレイリストをオンラインでまとめている読者もいる。
村上は、明らかに喜んだ様子で韓国のある会社が西日本への『海辺のカフカ』旅行を企画したこと、
ポーランドの翻訳者が『1Q84』をテーマにした東京旅行のガイドブックを編集していることを教えてくれた。
村上は読者から彼が生み出したものを現実世界で「発見」したという便りを受け取ることがよくあるという。
たとえば、彼が作り出したと思っていたレストランや店が東京に実際ある、など。
ドルフィンホテルというのは『羊をめぐる冒険』で村上が生み出したものだが、札幌にはそれが複数ある。
『1Q84』の発表後、ありえない名字として作り出したつもりだった「青豆」という名字の家族から、村上は便りを受け取ったという。
ここでの要点と言えるのは、現実に漏れ出す虚構、虚構に漏れ出す現実というものが、
村上の作品についてはほとんどの場合、作品そのものだということだ。
作家活動の初期には、「日本人という呪い」から逃れようとしているとさえ語った。
その代わり、十代の若者として、西洋の小説家の作品を貪ることによって、文学の感受性を培った。
その中にはヨーロッパの古典(ドストエフスキー、スタンダール、ディケンズ)もあったが、
彼が生涯を通して繰り返し読んだのは、とりわけ20世紀のアメリカのある種の作家たち、
レイモンド・チャンドラー、トルーマン・カポーテ、F. スコット・フィッツジェラルド、リチャード・ブローティガン、カート・ヴォネガットなどだ。
処女作に取りかかったとき、村上は奮闘し、標準的でない解決法に行き当たった。
そうやって自分の声を獲得したと彼は言う。