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ラジオ「Session-22」書き起こし。https://www.tbsradio.jp/319359
"大学生のデート経験率は過去最低" 草食化とも報道された「青少年の性行動全国調査」その結果から読み取れる本当に大事な事とは?
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荻上:
あの、草食化と言われた時に、性に興味がない、みたいなイメージがつきやすい所はあるんですけれども、たとえばこうした性行動調査ですから、マスターベーションについてもずっと調査されているわけじゃないですか。
そのあたりの結果というのはどうですか?
永田:
あのですね、精通年齢が遅くなっているというのは言われてるところではあります。
荻上:
はじめて射精するという。
永田:
そういうことですね。
精通年齢っていろいろあるんですけれども、あのー、なんていうのかな、あのー、ねぇ、あの、ん、ん、ゆ、む、まぁ夢精とか、そういう風に特に自分で何かしてるって言うわけじゃないけれども経験するっていうのもあるんですが、やっぱりそのいろんな情報に触れて自慰行為をすることによって射精に至るっていうこともあるんです。
ところが社会の関心、社会が変化していって、また本人の関心も薄れていったことによってそういう性的な情報にアクセスしなくなっていくので、そうするとあの自慰行為をするっていう頻度も遅くなり(ママ)、結果精通年齢も遅くなるっていう事があるんじゃないのという風にはまぁ言っているところではありますが、もうちょっともう少しきちんと数字見ていかないとはっきりは言えないんですけれどもね。
荻上:
そうですね。
ここであの、メディアとして注目すべきは、たとえばスマホなどが普及して、性の情報が氾濫して、結果としてみんなまぁ例えば性に積極的になって……みたい話があったりするわけですけれども、それは少なくともそういうわけではないよ、と。
ただ、他方で変な情報が氾濫してるから性教育が必要だよ、という方についてはそれはそうだよねみたいな仕方で、巷に流布してるなんとなくの、まぁ性に関する思い込みというものを、一個一個否定したり、あ、そこはそうだねと言ったり、ってことが繰り返されなくてはいけないということになりますね。
永田:
そうだと思いますね。
この非常に面白いところは、そのセクシャリティに関する事柄ってやっぱり身体が伴っているから、なんかこう自然なことだとかね、なんかある程度の年齢になったら誰でもそうなるとかいう加齢効果として考えがちなんですけれども、やっぱり社会文化的な文脈っていうのがかなりあるので、そこをまぁうまく考慮に入れながら、その身体的なところと社会文化的なところをうまく分けられるものならちょっと整理しつつ見ていくっていう風なことになっていくかなとは思います。
荻上:
そうした中でですね、今回本当に色々な調査が行われていて、今はまぁよく注目されがちなセックスであるとかそれに対する関心について触れたんですけれども、永田さんが他の部分で注目をした調査結果というものはあったりしますか?
永田:
そうですね、その性的被害のところとか数字でちょっと出しにくいんですけれども、でもまぁ調査をしていくことによって、まぁ様子がだいぶ見えてくる。
性的被害に関する調査っていうのはあんまり無いんですけれどもまあちょいちょいやられていまして、今回のこの調査も他の調査とだいたいまあ合致するような感じで数字が出てきたというところでは、まぁやってよかったなという風には思います。
荻上:
永田:
たとえば性的被害で「付き合っている人以外からの性的被害の推移」っていうのがありますけれども、これで見てみるとあの男性ですね、「言葉による性的からかい」っていうのは2011年だと0.5%でまぁ少ないんですよ。
荻上:
はい。
南部:
はあー。
永田:
で、大学生だと2011年で0.7%が(2017年では)5.5%で、うーん、100のうちの5.5は少ないっちゃ少ないんですけど、でもまぁ増えてはいると。
荻上:
これは加害が増えてるのか、それとも被害に対するアンテナが高くなってるのか、というような議論も必要になってきますよね?
永田:
今その話をしようとしたところで(笑)、おっしゃるとおりなんですよ。
特にたとえばドメスティックバイオレンスなんかもそうだし、虐待なんかもそうなんですけど、認知が高まると被害の訴えが多くなる。
南部:
永田:
そうそう、そういうこと。
そういうのは見えないものから見えるようになるっていう風な言い方で表現するんですけども、今まではその概念自体がみんな知らなかったから、ひどい目にあっててもーーセクハラとかそうですよねーーなんかやだなと思いながらもなんて言ったらいいのか……
南部:
すごいもやもや……
永田:
もやもやもやーっと。
だけど「セクハラ」っていうんですよそういうの!嫌って言っていいんですよ!と言われると、「あ、そうか」といって言うようになる、と。
で、そういうことがこの男子の被害の上昇の背景にはもしかしたらあるかもしれないというのはあると思います。
荻上:
セクハラという概念が広がる、あるいは #MeToo とか、あるいは教育などによって、そうしたことがノーと言っていいものだという風に知るというようなことが、この数字を上げているんじゃないかということもあるわけですよね。
永田:
可能性としてあるということですね。
荻上:
僕が気になった分析、クロス集計なんですけれども、気になったものが「付き合ってる人からの被害経験」これがまあ特に多いわけです。
付き合ってない人からの被害というと痴漢の類とかが多かったりするんですけれども、でも付き合っている人からの被害という観点からすると、やっぱり例えば性的誘惑を無理矢理されるであるとか、性的行為を強要されるであるとか、そうしたものに関しては、知らない人にされるよりもダントツで身近な人にされることが多いわけですね。
これはあの犯罪統計などでも元々そういう風な傾向というのはあるわけです。
そうしたようなデータがあるということを前提にした上で、例えば付き合ってる人からの性被害経験と本人のジェンダー規範のクロスを取ったところ……
永田:
あれ面白いですよね。
荻上:
被害経験がある人は被害経験がない人よりも、例えば「男性は女性をリードするべき」だとか「男は働き女は家庭を守るべきだ」という価値観が、若干であるけど高めということになってるんですね。
被害に遭う人がある種ジェンダー規範、男は男、女は女っていうような思いが強いと。
で僕はこれを見た時に呪われてしまってるのかなと。
つまりそのノーと言い難いような価値規範というものに染められているが故に、その被害というものに遭って言いにくくて、あるいは断りにくくて、みたいなことにさらされやすくなってしまってるのかなと思ったんですけど、永田さんはどういう風に思いました?
永田:
今の説明は、ドメスティックバイオレンスの説明に全く当てはまることをなんですよ。
DV 被害がどうして表に出にくいかっていうと「男の人っていうのは多少荒々しいぐらいの方が頼もしいんだよ」とか「男ってのはそんな感情がうまく表現できないからちょっと腕っぷしに頼っちゃうものなんだよ」っていうジェンダー規範があると、その被害に遭ったとしてもそれを告発しにくい。
男ってそういうものだからなんかそういう彼を愛さなきゃ、みたいに思っちゃって、言えない、と(笑)。
そういうことがずっと言われてきてたわけなんです。夫婦間の暴力の話ですけれども。
その構図が今度は交際のところにも降りてきていて……
荻上:
永田:
そうそう。
男は男らしくあるべきだっていう期待を持っている人っていうのは、そういう人間関係に身を置きがちなので、そうすると男らしさの間違った発揮というかーー私そういうのは男らしいとは思いませんけどーー鍵括弧付きで「男らしさ」の発揮であるところの、暴力とか強引さみたいなものにさらされやすい環境に身を置くっていうことはあり得るとは思います。
荻上:
これ実は、男性でも女性でも同じ傾向があって、男は男らしくという風な価値観を信じてる人は、女性などから性暴力被害を受けたーーこれ相手が書かれてないので、同性間暴力の可能性ももちろんあるんですけれどもーーそうした時にノーと言うのは男らしくないであるとか……
南部:
あ、そちら側にも働くわけだ。
荻上:
被害に遭うこと自体が恥ずかしい、女性だと例えば処女幻想などで自分の貞操が傷つけられたから言ってはいけないという形になるわけですけれども、男性の場合それが沽券に関わるから言ってはいけないみたいな形で、双方にとって被害を受けた場合に告発しにくかったり、あるいは被害を受けるような段階までノーと言えない状況に追い込まれてしまうであるとか、そうしたものが見えてはきますよね。
永田:
そうなんですよね。
DVなんかの調査だと男性は被害件数一定数あるんですけど「人に言えない」がものすごく高い。
やっぱり今おっしゃってくださったような、そのジェンダー規範も内面化しているから、女の人から多少言われたぐらいで、なんかいちいち取り上げるなんて男らしくないとか、そういうことを考えてしまって、その被害を言えないとか、被害自体を認めたがらないとかね、そういう風な構造に男性の方も陥ってしまうと。
まさに呪いですよね。
そのジェンダー的な規範の呪いって女性の方ばっかり強調されがちなんですけど、男性も同じように巻き込まれているっていうところが、数字である程度出せるっていうのは面白いところかなと思いますね。
荻上:
ということから振り返って、さっきの性被害の推移を見てみると、女性より男性の方が被害は少ないんだけど、ここ6年間で申告件数が増えていると。
もしかしたら、まだまだ男性の方が言えないっていう部分と、女性の方が言えないっていう部分が項目によって違ってる結果、これから続けていくことによって数字が増えていくかもしれない、増えていくと結果、分析の対象が広がることになるので、何が彼ら彼女らをそうさせてるのかっていうのがもっと見えてくるかもしれないという意味では、さらなる継続調査というものが、これやっぱり求められますよね。
永田:
そうだと思います。
継続調査の強みで、いま少ないからといってやめない、ってことです。
続けていくことで、減ったら減ったでねーーもしかしたら減るかもしれないんですけどーー増えたら増えたで、また追加の分析のしようがあるっていうところが面白いところですよね。
荻上:
さて、分析などを続けていきたいと思いますが、いったんお知らせ。
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ラジオ「Session-22」書き起こし。https://www.tbsradio.jp/319359
"大学生のデート経験率は過去最低" 草食化とも報道された「青少年の性行動全国調査」その結果から読み取れる本当に大事な事とは?
BuzzFeedのこの記事を読んで「ソースなかったのか」と受け取る人がいて面白い。見出しで誘導されてるのか
「女の子がやってはいけない一番悲しいことは…」エマ・ワトソンの"名言"拡散、でもソースをたどると…
https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/emma-watoson
・エマ・ワトソンの名言botが「女の子がやってはいけない一番悲しいことは、男性の為に頭の悪いふりをすることです」とツイートしてバズる
・ツイートにはエマ・ワトソンの国連演説の写真が添付されていた
・エマ・ワトソンの過去の演説で、こんなことを言ったことはなかった
・調べると「The Leaky Cauldron」という「ハリー・ポッターのファンサイト」の2006年の記事に掲載された「オクスフォード・ユニオン(同大の学生弁論団体)で講演した内容」だとわかった
・ただし「地の文」に書いてあるだけでかぎ括弧付きでないので、実際に何と言ったのか、エマ・ワトソンの真意は分からない
・当時のエマ・ワトソンの講演の動画や全文ログがなかったので確認が取れなかった
自分はこの記事読んで、「エマ・ワトソンの名言」の裏付けは取れたんだなと思ったが、「取れてない」「真偽不明だった」と受け取る人もいて不思議な感じだった。
記事では「The Leaky Cauldron」を「ファンサイト」と説明するだけで後は非常に疑ってかかってるので、確かに「このサイトは日本のまとめサイトのようなデマも報じるトンデモサイトなのかな?」とは思ってしまう。
しかし確認してみると、2006年にこのエマ・ワトソンの講演記事を書いた「Melissa Anelli」なる人は、すごいハリー・ポッターファンとして世界で知られる作家であり、Wikipediaにも単独項目ができているほど。https://en.wikipedia.org/wiki/Melissa_Anelli 2005年にはJKローリングへの独占インタビューもしていたという。一定に信頼されているファンサイト記事だということだ。Twitterもやってるので本人に直接取材することもできるかもしれない。https://twitter.com/melissaanelli
当時書かれたレポート記事について「映像と全文ログがないから真偽が分からない」なんてなったら、過去の新聞記事の引用なんてのも絶対無理だと思う。
エマ・ワトソン本人が「そんな発言してない」とおかんむりなら、当時の記事に発言の捏造があったか、というのは疑って当然だけどそうじゃないし。
まあ12年前のエマ・ワトソンはまだハリー・ポッターの続編を撮影中で、活動家として講演したわけではないから「当時の真意」を知るには全文ログを確認したほうがいいし「フェミニズム発言として引用するな」とかも言えるかもしれない。
私(アラサー)中学の時結構オープンなオタクで、オタ友とイラスト付き手紙毎日交換したりキャラ愛をクラス中に公言して回ったりスクエニ系漫画を非オタに布教したりと、今思い返すと赤面するようなことばっかやってたよ
クラスで一番強い女子グループに属していたし成績は常にベスト5だったし運動部の副部長と付き合ってたから
(カラオケで歌う曲がアニソンかよwって笑われたり、親にオタ趣味取り上げられたり、彼氏に俺の前で乙女ゲーやめて!って言われたことはある)
一方で同じクラスのA君は、「オタクっぽい(括弧付きね)」外見で気が弱くて運動も勉強もいまいちで、かといって特にアニメも漫画もゲームも好きっぽくなかったよ(少なくとも学校で表に出してはいなかった)
でも不良グループにいじられてからかわれて馬鹿にされてて、後で聞いたらカラオケやゲーセンのお金とか出させられたりしてたみたい
本当に「オタク」差別があったなら、(全く同じ状況下でも)A君は対象外で私だけがピンポイントで被るような迫害が世の中にはゴロゴロあったってことなのかな?免れた私は運が良かっただけ?
オタク差別っていうけどそれって「オタクっぽい≒見下していい」とコミュニティ内で認定された弱者へのいじめ・迫害なんじゃないの?
女性差別はあれじゃん、倒れた人取り囲んでオロオロしてる男はスルーで、応急処置をテキパキやった女が「女だから」という理由で土俵から降りろって言われる、そんな構造があるわけだよね
でもオタク差別にその構造ある?オタクへの迫害って本当に「オタクかどうか」で決まってたのかな?
もちろん、かつてあった「オタク=馬鹿にして良いもの」な風潮は身にしみて知ってるし、私がたまたまそれを気にしないで済むような環境に恵まれていただけなのもわかるよ
ただ、今話題になってる「オタク差別」のいくらかは、当時A君が受けていた扱いのことを指しているんじゃないのかな
それを2018年現在、マジョリティと化した現代のオタクが、自分の主張の道具として用いてもいいのかな
私はずーっとオタクだけど、昔から今に至るまでずーっと彼を迫害する側の人間だと思うし、差別表現と言葉遊びでしかない相対化と弱者バッシング、(ここは私怨をこめて言わせて貰うね)女叩きが大好きな現代のオタクも迫害する側の人間だよ
まともな言及するのは大体が「PC」と表現する人で、「ポリコレ」と表現するのはこの増田みたいな雑な人間が多い/揶揄されてる時は括弧付きであえて「ポリコレ」と書く場合もあるが
これマジ?
中国を「シナ」と言ったり、フェミニストを「フェミ」と呼ぶような侮蔑語なんだろうか。
ポリティカル・コレクトネスの価値を重視している人たちが、ふつうに肯定的文脈で「ポリコレ」という略語を使っていたから、特に侮蔑のニュアンスはないと思っていたんだけど……。
揶揄するつもりがないときは、この略語の使用をひかえるべきだってことでOK?
ところでさ、PCと略したら、パソコンのことか何のことか、よく分からくて不便だと思う。
アルファベットじゃなく、カタカナで別の呼称はないのだろうか。
今更かよって感じだけど、あれは非モテが恋愛の何が欲しいのかってところを理解しないといけない
非モテが恐らく恋愛や結婚を究極の承認と見なしているであろうことすら分からないのなら駄目駄目だ
人の評価は間違ってるということを
人の評価を正すことや努力を減らし極力自然体で生きてもいいってのは
評価は括弧付きの動物的本能を超えて相対的に、そしてなによりフェアなるべきだというのが彼らの主張だ
んで、それに対して、努力しろよだとか社会に併合しろというのは
私はサンクコスト払ったんだからお前もやれよという横暴でしかない
そう言った態度は極端にいえば結局恋愛工学を肯定することになる
社会に併合し、努力するってのはシステムの一員たれということだし
エマ・ワトソンの周りにはセレブしかいないからエマ・ワトソンはセレブと付き合ってるだけなんだと言えばいい
セレブは歯の矯正する金も肉体改造に勤しむ時間があるからカッコよくマッチョなだけで
もし、あなたと私に交流があって気が合えば私はあなたの恋人だったかもしれないから
そして話し合いましょうと
ちなみに私はというと嫌々合コンにでて適当に話していたら恋人ができた、3度も
盛り上がろうぜという場所で黙ってるだけで出来るんだぜ恋人なんてそれもポンポンとさ
だから、余計に努力しろとか社会に併合しろとか、システムにハックしろとかアホらしくてしかたない
一応、非モテの皆さんにも理解して欲しいが恋愛は究極的承認ではない
あらぬ誤解で恋人になろうとする人もいるのだから結局スタートは自己満足で、恋人を選ぶのは相手への承認じゃない
それは確かに酷く加害的でどうしようもないことだが
https://togetter.com/li/1090143
先日、このようなtwitterでこのような侃々諤々があったということを知った。
コンビニの日用品のラインナップにおむつを加えるべきか、については
既に議論も尽くされているだろうから、敢えて触れる必要はないと思っている。
それは各店舗が地域の客層・需要・収益性を考えて判断すればよい。
雑誌棚の成人向けコーナーに置いてある本について、多くの人が誤解しているように見える。
確かに雑誌の傾向としてはエロ本としか表現しようがない。これは間違いない。
しかし結論から言うと、コンビニに「18禁(成人向け)の雑誌」は置いていない。
出版社は所謂18禁、成人向けの雑誌・書籍には一目でそれと分かるよう
成人向けのマークを記載する必要があり、そのマークのついた雑誌は特定の書店や通販でしか購入できない。
成人向けマークのついた雑誌や書籍は、表紙の段階から下着はもちろん、乳首や性器の露出といった過激な描写に特徴づけられる。
内容も様々で、激しい性描写、人倫に悖る行為、暴力的・猟奇的な内容まで含まれる。
このマークによる流通の制限は出版社による自主規制(ゾーニング)である。
これには成人向けマークがない。
漫画雑誌となんら変わるところはない一般向けの「普通の雑誌」である。
或いは、週刊誌に時折ヘアヌードの袋とじがあることはよくご存知のはずである。
コンビニの成人向けコーナーに置かれている雑誌・書籍は、これらと本質的な違いはない。
少なくとも法的にこれらを明確に区別する根拠はない。 ※青少年条例に基づく有害図書規制で個別に指定されたものを除く
例えば漫画の場合、性描写自体は「ヤング~」の延長にある程度だ。
性器に対する修正もかなり強く、この点は特に成人向けマークのある雑誌と差別化されている。
成人向けコーナーにある雑誌の表紙にきちんと目を通してほしい。
確かに扇情的なものは多いが(エロ本である以上、当然ではあるのだが)
雑誌をビニール紐で縛っていない店舗でも青いシールで封がされており
立ち読みはできないようになっているはずだ。
何故か?
ふと目に入ってしまっても、直接に性的なものが映り込まないよう細心の注意が払われている。
水着グラビアの写真が表紙を飾る雑誌と、果たして要素としてどんな違いがあるだろうか?
あくまで出版社は誰でも買える、一般向けの雑誌として流通させている。
だが現実に、コンビニでは成人向けコーナーへそれらエロ本が隔離されているではないか
それらエロ本を店舗の隅に隔離したり、未成年へエロ本を売ろうとしないのは
コンビニ各社の陳列・販売における自主的な判断によるものである。
これは流通側の規制であり、雑誌を作った出版社の意図とは基本的に関係がない。
畢竟、コンビニが「一般向けの雑誌を成人向けとして扱っている」ということになる。
ここが多くの人が誤認するもとになっている。
ある書店では普通の雑誌の横に並んでいるということも大いに有り得る。
その書店は配慮が足りないかもしれないが間違っているわけではない。
「成人向けマークがどうとか、そんなものはレトリックでしかない。
エロ本はエロ本であり、やはり子供の目の届く可能性があるコンビニにあるのはおかしい。」
結果的に不快に感じている人も少なくはないのだし、カバーをかけるなどして対処するべき。」
こうした意見も大いに出てくるであろうことは想像に難くないし、
ただ「そもそも18禁の雑誌がコンビニ置いてあるのがおかしい」という