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はてなキーワード: 凡才とは

2022-06-26

少し話は違うけれど

どんな天才も結局は最後には

壁にぶつかるみたいだけどね。

数学世界とかだと定期的に天才誕生するみたいだけど

そういう天才もいずれはどういう形にしろ壁にぶつかって

それ以上の高みを目指すためには凡才がするような泥臭い一歩一歩の歩みを行わないわけにはいかない。

そういった話を数学会のノーベル賞みたいなのを受賞した人へのインタビュー記者が引き出していたのを読んだことがある。

もちろん天才だ、と自他共に認める期間には存分に天才であることを楽しんだのは否定しないけれど、

でも本当の学問というのは壁にぶち当たった以後に切り開いた部分である、と今となっては感じるとかなんとか。

2022-06-22

anond:20220622114205

自分より能力の高い女と結婚するという意味での上昇婚は確かにしづらいと思うけど、自分の家より遥かに金を持ってる資産家の凡才娘と結婚するケースは周りに結構いるな。

2022-04-23

anond:20220423140610

なんか世の中天才凡才しかおらんようなイメージ

実際はグラデーションになっててどこから天才でどこから凡才とかよーわからんのが現実

あいつには敵わないのはあいつは天才人間としての質がまるで違うからしょうがない、と言い訳を作りたいのはすごくよくわかるけど、じゃあ天才だと思う相手と同じ努力しまたか?とか自問するといい

絶対敵わない溝は当然あるけど、天才から〜みたいな言い訳はただの言い訳しかないのは自分自身が一番よく知ってるはず

戦った者なら

anond:20220423140610

0歳から同じことやらせて、天才凡才の成果を数値で表して欲しいね

天才だと伸び率がエグそう

凡才時間をかけて粛々とやり続けることを、天才は一足飛びしてその先で「努力」することになるのでは

スタートダッシュの曲線が段違いなんじゃないの?

まあ、凡才でも上昇のグラフを描ければマシだよね

基本的にずっと横這いで、やり続けることに倦むんだよね。気力続かない

飽かずにやり続けられるなら、それはそれで有る種の天才なんすよ

2022-02-21

anond:20220221213838

そうなんだよなあ

有能な人間が何十万人もいるわけないんだから

社会ってのは一握りの天才のために作られてるわけではなく、数億の凡才が苦労することなく生きられるように作られてるんだよね

2022-02-14

才能ある奴らへ

本気で物事に打ち込んでみて初めて気づいたわ。俺はお前らに絶対に勝てない。

お前らが1年で出来ること、俺は5年毎日続けても出来ないんだよ。

よく才能ある偉人が、「才能はおまけ、努力し続けることが最も大事」みたいなことぬかすけど。

んなわかりきったこと、よくかっこつけて言えたもんだよな。

うぬぼれるなよ。努力するのなんて当たり前だろ。

問題なのは、お前らが無意識に選んでる努力筋道が、凡才の選ぶそれよりもいかに正確で、効率的で、そして理解が群を抜いて早いってことだろうが。

まあ、お前が1年でできること、俺はあと2年ぐらい使えばできそうだから、まだあがいて続けてやる。達成してやる。

覚えとけよ。

2021-08-14

凡才でも幸せになる方法を教えてくれ〜

社会的成功は多分無理 そんな人間幸福を感じながら生きる方法は?

2021-08-13

anond:20210813145424

マセマで数学理解できる人は数学者の素質がある

俺のような凡才にはマセマは使いこなせないからおとなしく解析入門とか読む

見当違いのid:JAMILARトップブコメはてブはマジどうしようもない

最近ものすごく優秀な修士就活生が増えている→機械翻訳『DeepL』を巧みに使って論文を書いていた「すごい時代が来たな」

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1758185

id:JAMILAR

英語力という研究内容とは全く別の要素がボトルネックになって長年多くの修士が適切な評価をされておらず、さらには英語ができるだけの凡才過大評価され続けてたっていう残念な話なのでは?

トップブコメ見て驚いた。評価対象として考慮されるような論文雑誌に、英語ができるだけの凡才投稿して受理される訳ないだろ。

審査する側は英語関係ない専門的な部分できちんと評価してんだぞ。だから1st author論文持ってる修士って時点で十分凄い。過大評価もクソもない。

この人の他のブコメはチェックしてないが、いつもこんな見当違いな事言ってて見過ごされてるんだったらはてなブックマークってアレな場所では。他所コミュニティなら突っ込まれてるだろ。

というかよく何も知らなさそうな状態他所業界人達不適切評価下せるなぁ…自分の事何だと思ってんだろ。

2021-04-16

sangpingは毎回大した文才があるかのように振る舞ってるが、明らかな凡才なのでその口を塞いでいればいい。

2021-03-23

anond:20210323145918

庵野秀明は爆発を描かせたら天才

それは宮崎駿が昔から認めている。

それ以外の点では凡才

俺はそう思ったね。

2021-03-17

anond:20210315235816

自意識が高いよくある中二病だと思うんで基本スルーなんだけど。

けど、ひとつだけ反論しておけば、君の理屈を突き詰めれば世の中には「もっともすぐれた人」が一人いればそれでいいという理屈にならないか

で、想像してみろ。

世界中人間がたった一人を残して絶滅。たった一人残ったサイコーにCOOLイカした天才は、その世界で一体全体何すんだ?

バカじゃね?

1%の天才いか天才でも、天才が輝くのは99%の凡才いるからだよ。

お前の問題は、自分がその99%であることを受け入れられない、高慢自尊心だよ。

2021-03-02

anond:20210302035712

凡才生き方は、天才のそれより複雑で手順が多いから考えたくない気持ちもわかるが、それでもやっていくしかない

中学生の神絵師

自分の生きる価値が薄れるような気がする

自分はいったい何をやっていたんだと

自分はいったい何をやっているんだと

例えば藤井聡太見て、天才だと思って、

自分とは何かと思うわけ

自分高校生の時は何やってたろうって

凡才と気付きたくなかった...

2021-01-13

anond:20210113164328

復習は1回だけといわれても俺らは凡才なので、なんどもやるで、

2021-01-02

左利きエレン

天才になれなかった全ての人達へ」というキャッチコピーはとても秀逸だった。

天才であるエレンに対して凡才だった主人公光一が並び立つとまではいかないがエレンが街中で光一名前を見かけるという感じの少年マンガだ。

では「凡才にすらなれなかった人達へ」というキャッチコピーでひたむきに努力するも誰の目にも止まらず夢破れるというか設定で誰か描いてくれないかな?

オムニバス形式で救いのない話が見たい

anond:20201231223736

論理的思考放棄という文章話題になったことがある。

あれは天才でなければ正しく理解できない、もしくは著者と同じ思考をしている人間でなければ正しく理解できないのだと思う。

しかし、凡才であっても、あの文章を参考にして天才思考に近づけるのではないかと考えるのが人情である

私は、初めてあの文章を読んで以来、何度も読み返し、また著者の当時のブログを読み進めて天才思考に近づこうと試みている。

しかし、どうにも天才には程遠い。

しかし、あの文章を読んで変化があったことは、文章を書くときの制約を取っ払ったということだ。

プログラミングと同様、文章論理的に正確に書こうとすることは、文章量を制約することになる。

書けなくなるのだ。

正しく書こうとすると、書けなくなる。

これは非常に重要ポイントである

例えば、この文章を書いているが、これは公開することを念頭に置いて書いている、すると途端に文章が走らなくなる。

失敗を恐れるからだ。

しかし、この文章は公開しないと決めると途端に文章は走り出す。

実際のところ、この文章は走らなくなっている。公開することが念頭にあるからだ。

正しく書こうとしてはいけない。

文章を日頃から書いている人には当たり前のことなのかもしれない。

まずはとりあえず書く。書けないと感じるときほど書く。

論理破綻だとか誤入力だとかそういうものは一切考えない。

しかし、思うのだが、文章を書くときに、しかし、を何度も繰り返し使ってはいけないという文章作法があるが、それはおかしいと思う。

しかし、などという接続詞はある程度、込み入った文章を書こうとすれば、何度も登場させたくなるものである

しかし、しかしは何度も連投してはいけなくて、しかしを何度も使いたいのであれば、言い換えをして他の接続詞に置き換えて、うまくやらなければいけない。

しかし、それでは本来文章の内容において頭脳を使うべきであるところを、文章自体構成することに使用するという本末転倒現象が起こる。

本来文章作法などというものはある程度の、読みやすさを担保すればよいだけの話であって、論理破綻していなければ、厳密にこれはいけない、やってはいけないと制限するべきではないのだ。

そのような制限があるから活動が制約されて、成果も収縮してしまうのだ。

ここで本論に戻ると、制限である

私達は普段日常的に制限する。

なぜかといえば、制限しないとミスエラーを起こして、失敗して大事故を起こすからだ。

しかし、同時に私達は大抵のことを制限しなくとも、正しく実行できる。

歯磨き粉と間違えて手洗い石鹸を塗るようなことはしない。

から制限などしなくともよいのだ。

しかし、アクセルブレーキを踏み間違えると大変なことが起こるから、私達は運転に集中しなければならない。

大切なのは集中するということだ。

正しくは制限することではないのだ。

しかし、我々は何故か制限してしまう。

アクセルブレーキを踏み間違えないためには集中することなのだ。

話が脱線した。

ミスを起こさないために、失敗をしたくないために、過剰に制限する。

から、何も出来なくなるのである

社会的迷惑行為でなく、自分範囲で収まることであれば、どんどんとやるべきなのだ

これは文章を書きたいと思っているのだけれど、書けない人に読んでもらいたい。

別に間違っていても、あとから読んで恥ずかしくなっても、しかし、を何回使っても、別になんだっていいんだ。

自意識制限邪魔して何も出来ない状態から脱却するのだ。

こういった考えを公表すれば批判があるかもしれないし、あるいはなんの反応もなくて苦悶するかもしれない。

でも、それでいいのだ。

我々社会は間違いを許容できない。

これは正しい面も多々ある。

しかし、間違いを許容しないことは、制限をすることだし、そのことで何も生み出されない無を生み出していることは留意する必要がある。

ブレインストーミングでは間違いを気にしない、などといいつつ、絶対的に制約があって、正しくブレインストーミング集団で行うのは至難である

そのような状況は脱却するべきだ。

間違っている、間違っている、間違っている。

そうだね、間違っているね、だから、どうした?

間違ってすらいない、無である君が、だからどうした?

2020-12-27

より、わかりやすく示すなら、

A「Bは天才」→B「Cは天才」→C「Dは天才」という過程を繰り返した結果、Zがより強度の高い天才であると言える。

ただしこのやり方では極限値まで行き着いてしまった場合問題は残る。

その場合、畑違いの凡才を誤って天才認定したりといったことがありうる。

ただし天才評価を下すものが一人の凡才であるのならそれ自体は低い段階の強度を持った天才ではある。

2020-12-20

体操ザムライ

風が強く吹いている』『ツルネ』付近を狙った作風で、両作の面白さには到底追いつけずに終了。

訴えたいメッセージは楽しんでるやつは強い、という検索したら出てきそうなもので、苦虫を噛み締めながら努力するライバルとの対比、自分の苦境に対しても明るい主人公をみて、それを応援する天才バレエダンサーという比較も用意している。しか主人公を囲んでいるそれらは天才型ばかりで、1話から主人公はどちらかといえばムラっ気のある努力型として描かれる。

しか主人公にはどこか注目される華のような一種天才的な雰囲気があり。言い換えればこれは天才メンタルを持つ凡才の話なのだということ。だから周辺の人物いびつ努力型、メンタルの弱いナチュラル天才型という極端な構成になっている。これが競い合う話ではなく同じチームメイトだった場合、お互いの足りない部分を補強する話になっていたような気がしなくもない。

何れにせよ、「努力だけで天才に追いつけるなんて傲慢だろ」というセリフをすんなり受け入れさせる力を持った『風が強く吹いている』などにあるような強いメッセージ性は打ち出せず。よく読めば上のような構成ですね、という形で終わってしまった点が残念。わざと年代を古く設定した効果は余り出てない気がする。

anond:20201224204526

2020-12-13

天才だけど凄くチビブサイクな人を見て、不謹慎だけど疑問を頂いた

こいつ絶対人生楽しくないのに、なにモチベにそんな努力できるんだろう?という疑問。

自分は「努力自己肯定感ないやつはできない」という持論があり大体あってた。

しかしたら飛び抜けた天才

自己肯定感を高めてくれるのは勉強/仕事しかない」→「おもっきしブサイクチビだと、勉強/仕事以外は地獄すぎて、どんどん依存してく」→「どんどん頭が良くなっていく」

真実なのかもと思った。勉強/仕事別に凡才自己肯定感高めるレベルになかったり、それ以外に依存できるなにかがある程度のやつは、その境地にたどり着かないのだろう

2020-10-19

anond:20201018161601

相手(神絵師)にとってみれば自分(増田)は大量にいる凡才の一人でしかないわけで、そこに対称性は無い

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