はてなキーワード: 閾値とは
誰かに話を聞いてほしくて書いている、のだと思うが、お気持ち表明でしかないので先に謝っておくね、ごめんなさい。
当方、所謂メンヘラの20代女。スペックは中の上、くらいだと思う。
モテなくはないが、あくまでも顔面の可愛さより愛嬌なんかが評価されているタイプ。
系統としてはキレイめギャル系なので言わないとそんなにメンヘラってバレずに済む。
これは自分でも説明が上手くできないんだけど、マイナスでもプラスでも関係がない。
小さなことで気分が落ち込み、リスカして落ち着く、ということが多かったけれど
それと同時に、楽しくて幸せでリスカしたくなるようなことも同じくらい多かった。
このリスカは希死念慮からくるものではなくて、感情の起伏でみんなが涙を流すのと同じような感覚だと思う。
うれしくて泣いた、かなしくて泣いた。
それが私の場合、うれしくて切った、かなしくて切った、となる。
なぜ切らずに済んだのかと聞かれても正直分からない。
出社もしている。バラエティを見て笑うこともある。
でも駅のホームに立てば一歩飛び出してみようか、と思うし
めんどくさい、というのが一番近い。何もしたくない。
メンクリ行けって言われると思うけど、もう行ってみたものの解決しなかったんだよね。
薬飲んでる間はいいけど切れたらまた氏にたくなっての繰り返し。
数件メンクリ行ってみたけどどうにも合わなかった。
どうしたらいいんだか分からない。
希死念慮なんていっているけど氏ぬのも面倒だ。
皆一様に反省と後悔を口にしながら、くたばっていくってさ。
自由の意味を履き違えた権利振りかざしお化けや、頭の沸いた陰謀論者が淘汰されてく。
このまま変異株が出続けていったら、反ワクの馬鹿だけがバタバタ死ぬ病になるかも。
自然発生のウイルスが、ある閾値以下の知能の層だけを間引いていってしまう。
これじゃまるで野生のホロコーストじゃないか。くわばらくわばら。
長い目で見た社会全体に与える共通の利益としては、そちらの方が好都合なのかね。
でもドイツからホモや知的・精神・身体障害者が居なくなったなんてことはないからなぁ。
多少の影響があるとしても当代のごく僅かな間だけだろうな。うん。
※追記
性は大多数の女性(および男性の多くにとってもだが)「恥ずかしいこと」「隠したいこと」なので、それを商品化するというのは、女性のプライドやアイデンティティを毀損するリスクが常にある。
「〇〇を嫌がる人が存在するので〇〇はダメだ」ってロジックだけど
世の中に嫌がる人の居ないコンテンツなんてほとんどないんだから、それに従うとほとんどすべての表現を禁止するようなことになる。
こう言ってることから、人数で閾値があるんだということなのかもしれないが
その場合、何をもって閾値を定めたのか、その閾値の正当性はどうか、嫌がる人が閾値を超えてるかどうかのデータはどうなのか、というところが全く明らかになってないので
この時点でダメだというのは嘘だということになる。
付き合えた範囲だから付き合えた、付き合えない範囲だから切った。残念ながらそれだけだ。
人生ずっとその自分にとっての閾値を探り続けるものだと思うで。すべてを受け入れられる人間はいない。閾値を広めにして、できる範囲で生きていきな。