はてなキーワード: 外聞とは
http://nogreenplace.hateblo.jp/entry/2018/07/20/190000
「善因善果」で、善意でやったことは良い結果で報われるであろう。
サンタさんしかり。お年玉しかり。いい子にしてるとご褒美もらえる。
家の前の畑に種をまいたらおてんとさんが一粒千倍にしてくれる。
これが現在は大きく崩された。
今年も災害がかなり重なった。
聞いているけれど、クーラーがあれば猛暑なんかで死なないですむのにバカだなあ、とか、
ダムで水なんかとめちゃえよー、とおもっている。
年寄りばかりじゃお米が採れない?なんで農薬とか田植え機とかつかわないの。とか。
そのクーラーをつけられないほど貧しい人や、
クーラーを動かす電力を火力発電だけで賄えない場合のこと、とか、
とりあえず市民をいじめているようにみえる知事をいじめておけばいいや。と行動する人も出る。
またおじいさん・ひいじいさんの世代の侵略戦争も判断能力を超える。
死刑採用している国の中では死刑囚がとても少ない日本では、コストをかけて容疑者を活かし、裁き、納得してから国が殺す。
これもなんとなく死刑がある国といわれれば外聞が悪いんじゃないかとは思っているが、
ではどうすれば犯罪が完全に発生しないようにするかは
欲望を押さえればいいだけだと、しつけや教育におしつけて口をぬぐう。
「善意」の悪意性がインターネットなどで見聞されるようになった。
小悪を叩いた自分が小悪としておもいっきり叩かれるとは思いもせずに。
これはもう、神様が「返報性強め」に設定しちゃった善なる国ならではの根深い病だと思う。
「がんばればいいことがある」の逆は「悪いことをすれば厳しく罰される」ではなく
「世の中につきつめればいいことも悪いこともない。一切は空だ」という鬱めの仏教のはずだったんだけどそれも廃れている。
なので、インターネットは免許制にして、仏教と棲み分けを必修で教えたらいいんじゃないのとおもう。
知らぬが仏を脱出しているのは知っていても仏であれる人だけだ、と。
あらゆるモノの価値は一元的ではない、とセンセイはよく言っていた。
誰かにとっては無価値でも、誰かにとってはとても価値のあるモノだってある。
逆に言えば、そこまで俯瞰して物事を見なければ、モノの価値には大抵ランクがつけられる、とも言っていたが。
特殊な精神状態でもない限り、腹が減っている人には食べ物が、寝たい人には安眠できる場所、服がない人には衣服が上位になるだろう。
つまり、今の俺たちにとっては電気、より具体的には冷房が上位になっているってことだ。
このご時世、「健康で文化的な最低限度の生活」にはクーラーも有力候補になっている。
それを使えない程度の電気しかない中、日々を生活するのは困難だった。
市長はいつものスーツ姿から、くたびれたタンクトップに半パンという、恥や外聞を二の次にした中年のオッサンスタイルになっていた。
「暑いのに、あんなのピッチリ着るのはバカげていますよ。ふさわしい、場所にあった格好だなんて考え方は時代錯誤です。汗ダラダラで、ビショビショのスーツ着たほうがふさわしい格好だとでも?」
「一理ありますが、汗ダラダラ服ビショビショ、かつラフな格好していると説得力に欠けますね」
クールビズ月間を打ち出した者として、「格好は気にするな」ってことをメッセージにしたかったらしいと市長は語る。
自分の政策に率先して乗り出すのは、この市長の数少ない評価点だ。
だが、そもそもの話をするなら、今そんなことをしなければならない原因は市長にあるわけだが。
周りは、その姿に呆れるしかなかった。
市長の今の状態は表面的にではなく、本質的にみっともない姿だからだ。
俺は家の中で比較的暑くない場所に座して、とにかく時間が過ぎるのを待つしかなかった。
団扇を片手に、水の張られたタライに足を浸し、少しでも体温が上がらないようにする。
他にできることなんてない。
現代で、電気を使わず出来る余暇の過ごし方なんて限られている。
それにしても、まさかこのご時世にこんな古臭い納涼をする羽目になるとは思わなかった。
だがこれが、案外バカに出来ないのが癪だ。
フィクションとかでやっているのを見たことがあるから試してみたが、確かに幾分かマシなのである。
だが、それでも都会の夏は暑い。
そして暑さの弊害は熱だけではない。
俺の座っている椅子は皮製品なのだが、自分の体が付箋のように張り付く。
いや、もしかしたら、今の俺は付箋よりも粘着力があるかもしれない。
そういえば、飼っている猫もいつもなら足元に寄ってくるが、今日は来ないな。
まあ、お互い暑苦しくなるだけなのは分かりきっているから当たり前だが。
猫は床に寝そべっているだけだ。
「涼しそうだな……」
俺はおもむろに、猫の真似をして床に寝そべった。
なるほど、かろうじて床がヒンヤリするような気がしないでもない。
しかし今の自分の姿はいくら家の中とはいえ、かなり不恰好だろうな。
だが、そんな体裁を気にしていられる余裕は、今の俺にはなかった。
あー自分生きてる意味ないのになぁ、とかネガティブなことを朝から鬱々と考えても、ベッドから出て洗面所で鏡を見たら
くらいの気分になり、適当にメイクを済ませて鏡を見たらテンションが上がる。
ってほぼ毎日思ってる。
ただ、コンプレックス?でもある。
「顔と中身が違う」
と失望されたり(相手にされないからってくだらない捨て台詞はいてく男の言うことを真に受ける必要はないと分かってはいても、やっぱり嫌な気持ちになる)
「女利用してる」
とか言われたり。女を利用する?私が?
「まあ色々失敗してても、美貌を生かしたら婚活余裕でしょ」
とか言われたり。人の人生失敗とか言えるほどあんたは成功してんのかよ。
顔を褒めてもらうことも多いけれど、嫌味言われることも多い。
何が書きたいのかよく分からないや
「化粧上手だねーーー」
って返すけど、私が綺麗なのはメイクが上手だからではない。私のメイクなんて長くても15分しかかからないし、わたしのスッピンはあなたのフルメイクよりキレーだよ、って言いたくなることがある。
本当ヤな人間だな。
両親のことを考える。
外聞ばかり気にする両親。
私の見た目を外では褒めるけれど、家では見た目の事も中身の事もけなすばかりだった。
長所はあたかも両親が私に与えたかのような口ぶりで……まあ遺伝を考えるとそうなのかもしれないけれど
街で偶然人と目が合うとつい「あんなダサい格好してよく外歩けるな」って思われてるのでは、とか「あんたそれでも女なの、ガリガリの体して」とか思われてるのではと思う。どうして20越えても母親の声を脳内で響かせなきゃいけないの、と思うけれどどうしようもない
他にもいるのかな、見た目だけは良いって分かってはいるけれど、それでも自分に自信が持てない自己肯定感の低い人間。
どうしたらいいんだろう
日大フェニックスの件、プレーのひどさと言ったら、当該選手は気でも違ったのか、クスリでもキメてんのか?というおかしな、そして危険度の大変高いプレーだったのは確かだが、ここまで蜂の巣をつついたような騒ぎになるのは、アメフト好きとしても忸怩たる気持ちでいっぱいである。
いわゆる「体育会の病」のようなものについては、たとえば高校野球の不祥事がらみや体育会学生の私生活のはめはずしやら、バスケットボール協会の長年のアレでアレな感じやら、ついこないだのサッカー協会やらレスリング協会やら相撲協会やら、昔から今に至るまで枚挙にいとまがないわけで、それをいまさらこんな大事で日本中がギャースカ言うほとアメフトってみんな興味ありませんでしたでしょう?という感じではあるのだが。
ひとつには、これってまさに今の政権の政局とおんなじ感じの構図にはからずもなっちゃってるってのは少なくないんじゃないかなと思ったん。
ネトウヨの皆さんは置いておいて、安倍自民に消極的賛成だった自称穏健派・現実派の人たちあたりが、ボロ出まくりとはいえいまさら政権を叩くのも格好悪いし外聞悪いし評判も落ちるだろうけど、日大を叩いてる分には、社会の理不尽を叩くことはできるけど自分の立場や社会的な体裁は崩さずに社会悪を叩けるという感じにはなっているのかなーと思ったりな。