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はてなキーワード: 三島由紀夫とは

2021-12-21

anond:20211220234728

三島由紀夫前例があるから

あそこまで大暴れしても発禁処分食らわないのなら何でもありだろ

2021-12-08

三島由紀夫賛辞してる又吉直樹

あれって「芸人としての面白さ」を尊敬しているのか「教祖としての素晴らしさ」を尊敬しているのか

前者だとしたら三島由紀夫果たして私達を笑わせていたのか、それとも笑われていたのか

どっちの意味で好きなのか気になる

まぁ自分は又吉に関しては蔑んだ目で見てる ドラフトコントの頃から

anond:20211208011422

はい論破

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B3%B6%E4%BA%8B%E4%BB%B6

おまえら、聞け。静かにせい。静かにせい。話を聞け。男一匹が命をかけて諸君に訴えているんだぞ。いいか。それがだ、今、日本人がだ、ここでもって立ち上がらねば、自衛隊が立ち上がらなきゃ、憲法改正ってものはないんだよ。諸君永久にだね、ただアメリカ軍隊になってしまうんだぞ。(中略)

おれは4年待ったんだ。自衛隊が立ち上がる日を。……4年待ったんだ、……最後の30分に……待っているんだよ。諸君武士だろう。武士ならば自分否定する憲法をどうして守るんだ。どうして自分否定する憲法のために、自分らを否定する憲法にぺこぺこするんだ。これがある限り、諸君たちは永久に救われんのだぞ。

— 三島由紀夫バルコニーにて

2021-12-06

anond:20211206230314

でも思想的には芥なんとかの方が遥かに薄っぺらいと思った

人間は遥かに容易に国家かに守って貰いたがるし、自分は大きな国家の一員だという事をアイデンティティにしたがるよな

ネット見てればわかるわけで、芥なんとかの言う個人とか芸術って、60年代から高度経済成長に伴う豊かな社会の中で、

まれたお坊ちゃん達が見ていた自由に生きれる幻想に過ぎなかったわけで、三島由紀夫の方が遥かに現実的人間理解だった

芥もいわゆるサブカル芸術界隈の人間だけど、平田オリザコロナで騒いでたみたいに、

あい人種こそヤバくなったら誰よりも国家経済的支援を求めて、国家人権とか弾圧しても良いか愚民どもをコントロールしろって騒ぐよな

50年後の答え合わせとしてみると、学生運動かに被れてた左翼系の言論人が言う、自由国家から自律した個人っていうのがいかにしょーもない幻想だったかよくわかるよね

anond:20211206230314

三島由紀夫筋肉は裏切らない!」

こんなんなっちゃってるあたり本当に弱い人間だという自覚があったんだろうね

俺には自分を守ってくれる国も自分の救いとなる教祖もいない

三島由紀夫VS東大全共闘という映画を見た

三島由紀夫は「日本人」を全うし天皇を崇拝した

一方東大全共闘リーダーである芥正彦は日本人という枠組みを越えて究極の個人として存在すると唱えた

その討論の後、三島自衛隊本部自決した。自衛官相手に弁論をやったがあまり受け入れて貰えなかったからだ。

一方の芥正彦は学生運動が終わっても芸術という世界自分想像する世界を創り世に生み出していた。70代になった現在でも思想は変わっていない

この2人のやりとりを見るに、三島由紀夫が思うほど日本という国は三島由紀夫幸せにしたり意のままになることは無かったんじゃないか

まり現実国家程度ではユートピアを作り出すことは出来ないのでありそこに三島由紀夫は無理に理想を求めたのかと思う

現在ネットでもリベラルネトウヨ対立や抗争は激化しているが俺は正直言ってネトウヨが求める日本国は果たしてネトウヨ幸せにするのかと思う

日本という現実にある国家に限らず、オタク達におけるアニメなどもそうだ。アニメ果たしてオタクたちのユートピアとして君臨しているのかどうか

俺はそういった希望も無ければ信仰する人間宗教も今の所いない。自分の望む世界を実現する人間が遠目から見ても居ないからだ

から日本国」に自分たちの考える理想の国を当てはめて実現に向かうのは無理だ

三島由紀夫がそれを証明している

田舎ほど右翼化傾向あるじゃん

沖縄みたいな植民地だった所は除いても首都圏などの都市部リベラルになりやすく「日本人」などの属性に囚われないように生きて

田舎ほど生き方種族を縛られる傾向にある

三島由紀夫VS東大全共闘の芥正彦見てて日本人固執する由紀夫固執せず個人それぞれに国があると言った芥正彦

その後の半生を見ると芥は主義主張も変わって無ければ学生運動成功したと「自分の国の中では」という条件付きで言い張っている

一方三島由紀夫自決した 日本という国のために死んだ

二人は割とプロレスガチも目一杯出来るタイプなんだろうなと思ったが三島はその高度な戦いに負けた気がする

敗戦国の末路が三島由紀夫のものなのではないかと思われる

から田舎はいずれ三島のような思想だらけになる

維新にまみれた大阪なんかが特にそう 大阪のために死ぬ人間が今後出てくるだろう

東京のために死ぬ人間は少なくとも愛国心からは生まれない

2021-12-04

anond:20211204182141

さっき東大VS三島由紀夫見たけどいまの東大生おとなしいからそうでもないと思う

ただ女は割と声上げるようになったか東大5割女にするのは早くやってほしい

三島由紀夫VS東大全共闘見た

全員何がしたいのかよくわからなかった

彼らはエンタメがやりたかったの?

今の京大生みたいなノリで政治を錦の旗に使って遊んでる感じ

結局あさま山荘象徴されるように全共闘は衰退してるし

暴力で対抗したとしても理性を失った国の武力には勝てないしな

でもネットが発達したいま彼らが生きていたらもしかしたらすぐに世の中変わったかもしれん

今の東大生やその他インテリに「学力」は勿体ないな

2021-12-03

anond:20211203154024

言うて三島由紀夫を挙げるまでもなく小説家なんて政治に物申してなんぼやろ。むしろそれが教養人としての責務やで。

2021-11-14

「屍山血河」の由来についての推測

https://anond.hatelabo.jp/20211113201646

横田だけど、ちょっとググったらそれっぽいストーリーが立てられたので共有しておく。



三行でストーリーをまとめると

・「屍山血河」という言葉を考案したのは大日本帝国陸軍文官で、陸軍教授地位にいた樋口石城なる人物である

・「屍山血河」は、旅順戦を記録したロシア軍人М. И. Костенкоの日誌 "Осада и сдача крепости П.-Артур : мои впечатления"を邦訳する際、邦題として発案された。

・この邦訳を読んだ人々が邦題熟語として認識。そのうち、司馬遼太郎小説内で多用したこと日本中に広がった。



「屍山血河」の由来はなにか。まず、中国語で言うところの「成語」にそれらしい言葉はない。

かといって「屍山」とか日常言語で使う単語という感じではないし、自然発生した四字熟語でもないだろう。

普通に考えたら、中国語以外の言語にある熟語を、明治以降文化人とかが邦訳するときに成語っぽく整えた、とかが一番ありそうなパターンだ。

しかし、「屍山血河」という単語辞書に載っているが、用例として記されているのは司馬遼太郎小説ばかりだ。後は三島由紀夫だが、司馬遼太郎の用例が古い。

辞書を作ったときにそれより古い用例が見つからなかった可能性が高い。

普通辞書の用例はその用法で一番古いもの採用する。だれか他の文学者創作したならそっちが採用されないのは奇妙である

もちろん、司馬遼太郎独自に考案したと考えるのは早計だろう。

司馬遼太郎勝手創作したとされていた史観や、事実関係が怪しい記述も、近年ちゃんと調べてみると「元ネタ」があるものばかりだったらしい。

もちろん、だからといって、それらが歴史的事実だというわけではなく、「元ネタ」を書いた人が勝手創作したり、誤認識していたということらしいのだが。

ともかく、司馬遼太郎は無から発想したり、自分説明なしに訳語創作するような人間ではないと思う。

用例として採用しづらい対象で、司馬遼太郎が興味を持つ題材の日本語資料で「屍山血河」を使ったものがあるはず。



この条件に合致しそうなのが "屍山血河" コステンコ 著,樋口石城 譯 [1]である

ちょっと調べてみると、これは旅順戦を記録したロシア軍人М. И. Костенкоの日誌 "Осада и сдача крепости П.-Артур : мои впечатления"[2]の邦訳だ。

М. И. Костенкоは旅順攻防戦に少将として参加した後、戦後軍事法廷議長とかをやった、とwikipediaに書いてあった。

旅順戦の日誌は貴重な資料であり、ロシアで広く読まれた。これが邦訳され、1912年出版された。

しかしそれにしては邦題おかしい。おかげでググっても原著がすぐ出てこなくてちょっとイライラした。

"Осада и сдача крепости П.-Артур : мои впечатления"を機械翻訳すると、"旅順要塞の包囲と降伏:私の印象"となる。

実際、この本は1973年に田崎与喜衛に再訳されており、そのとき邦題は"旅順攻防回想録 "となっている[3]。

泥沼の旅順戦で主に大量の兵士、とくに日本兵が死んだ様子を描写して「屍山血河」と言っているのだろうが、戦闘記録の題名にするには文学的にすぎるだろう。

М. И. Костенкоが序文とかサブタイトル的な位置にこの単語を使っているのではなく、樋口石城が勝手につけた邦題である可能性が高い。

ロシア語でも Горы трупов (死の山)とか реки крови(血の川)という表現戦争表現する際、よく使うようだ。

熟語とまでは行かないが、並列して使われる例もググればそれなりに出てくる。

原著に直接この組み合わせが出てくるかはちゃんと調べていないので不明だが、本文検索してみたら、Горы труповは単体で積み重なった日本人死体表現として使われていた。

もしこの記録が文学作品だったらこの題をつけるのは適当かもしれない。



これ以降は完全に当て推量である

陸軍教授樋口石城がどういう人物なのかはググっても出てこないが、樋口季一郎の親戚とかだろう。しらんけど。

まあ、軍教授なのだ名家出身学者で、ロシア語を含む文系教養があって、仕事ロシア関連の軍事資料邦訳を大量にやらされていたのだろう。

から文学作品とかを書く暇もないので、やらされた邦訳仕事で、多少のオリジナリティを発揮してみたくなったのではないだろうか。

そこで少し文学風に気取って成語っぽい「屍山血河」という語を創り、戦闘記録の邦題としてつけたのだ。

それを司馬遼太郎資料として閲覧。そういう成語が既にあると認識戦争小説で多用。

小説を読んだ人間もそういう語があると理解し、大量の死者が出る戦争を語る際に一般的単語へと一気に昇格してしまった。

そしていざ辞書に載せようとすると、用例として明記できる古い例が司馬遼太郎以前にないことに気づく。

樋口石城の訳書も発見はされたのだろうが、題なので用例としては不適であり、スルーされた。

結局、遡れるのは司馬遼太郎小説しかなかったのではないだろうか。




無論、上記は全てネット上で手に入る資料の断片からの推測であり、だいぶお粗末なものだが、もし当たっていればなかなか面白いストーリーではないだろうか。

以上、「屍山血河」の由来について横田が調べてみました。

いかがでしたか

信じるか信じないかはあなた次第

[1]https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024298307-00

[2]https://www.prlib.ru/item/355295

[3]https://www.amazon.co.jp/%E6%97%85%E9%A0%86%E6%94%BB%E9%98%B2%E5%9B%9E%E6%83%B3%E9%8C%B2-1973%E5%B9%B4-%E6%A8%8B%E5%8F%A3-%E7%9F%B3%E5%9F%8E/dp/B000J9FK7A

anond:20211113201646

ヒラコー好きだけど、たぶん始祖じゃないと思う。KOEIのゲームとか彼は好きだし、そこなんじゃないのかい

調べてみたら、司馬遼太郎三島由紀夫が先行しているらしいぜ。https://kotobank.jp/word/%E5%B1%8D%E5%B1%B1%E8%A1%80%E6%B2%B3-518933

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