自衛隊を人殺し呼ばわりしながら、強制性があるとはいえ韓国軍に入営していた韓国男性を嫌ったら「差別だ」と喚く、左翼の根性はネトウヨ並に差別性に満ち溢れているといえる。
それでうまけりゃいいんだけどなー。なんだか、日本ダイスキ(はぁと)的な小さい視野で行動してるように見える。中国と韓国ががっつり手を組みはじめてるので、米国にちゃんと入り込んで親中派、親韓派を抑えられないと、いろいろとヤバいんだけど、そういう実力がある人いるかなぁ?
実際社内ぼっちでやめさせられた人とか浮く人居るし辛い
今のところは明るいいじられキャラを演じてるけど
後同性と話が合わない
あと他人に興味無いからつまらんし黙ってると喋れよあいつ暗いよねみたいに言われるし
影で悪口言われてるんだろうなあやだなあ
じょうしは好きなのでやめるつもりはないですが
先輩や後輩にバカにされる度辛いです
というか他人と長時間一緒にいるのが辛いんだよなあ
でも他人とつながっていたい矛盾
日本と違ってドイツの学校では、始業式や卒業式といった式典がなく、起立斉唱の号令をかけて国歌を歌ったり、国旗に礼を示すこともない。また、国歌の歌詞がドイツ民族の優秀さをたたえる帝国主義的な内容であることから、1番と2番は廃止されて3番だけが残っている。ただし、演奏されることはあっても歌われる機会はほとんどなく、オリンピックやサッカーのワールドカップのようなスポーツの国際大会でも、ドイツ選手が国歌を歌う姿はめったに見られない。
慰安婦問題やオスプレイの話題では、「軍隊とはこれだけ恐ろしいものなんだ」と言ったすぐ後に、北朝鮮の核問題や中国の領海侵犯では「彼らも引き際は分かっている。戦争を心配することはない」と、軍隊の脅威を過小に見積もる。
自分達の一貫しない言動が、日本人の「軍隊への嫌悪感」を薄れさせる要員の一つになってるということに、左翼はいつになったら気付くのだろう?
http://anond.hatelabo.jp/20130629221629
http://anond.hatelabo.jp/20130629221653
自分にとってよくわからない思想、よくわからない文化を、よくわからない年代層と関連づけたくなる気分は少しは理解できる。
まあ、これらの要素を兼ねてる人が全く0という訳ではないだろう。
でも、若者というくくりで、イメージ先行でごっちゃにされると釈然としない。
自分はネトウヨという単語は反発を招くだけだと思うので使わない。
はてサとか言われても、ああレッテルから脱するだけの言説を自分ができなかったんだ、
としか思わない。
こういった人も実際にいる。いるんだってば。
性の乱れ。その言葉が使われ始めた頃はまだ眉をひそめる程度で済んでいたが、若年層の性病感染者が20%を超えるまでに蔓延し、深刻な社会問題となった頃にはもう手の打ちようがなくなっていた。性教育の時間を学校教育に組み込み、性病の危険性、コンドームの重要性などをいくら説いても効果はあがらず、女性団体などの批判を押し切って前世紀の遺物であるかのような、純潔や貞操の価値を、性教育の時間だけではなく道徳、国語の時間を使ってまで重点的に教えてみても感染者は増え続け、それどころか、学校が推し進める価値観はつまらなく、カッコわるく、ださいものであるとされたため、むしろ性に奔放であることがカッコいいという考えにハクをつけるような結果となり、逆効果であるとさえ言われた。
打つ手はなくなり、もう規制するしかないとまでなった時、ひとつの法案が施行された。今までの対策と比べると地味で、目立たず、何のためにそんなことをするのかわからない、そんな法案だった。それが国家試験「処女認定試験」の制定等を含む、通称「処女認定法」だった。当初はほとんどの女性が受験せず、それどころか多くの女性からの激しい非難に晒されていた。しかし状況はまず見合いの現場から変わり始めた。処女認定資格保有者の見合い成功率が目に見えて高くなっていた。ほとんど同じ条件の中でも保有者の成功率が非保有者の倍近くになり、今までは最高ランクと見なされていたグループの非保有者よりも、数ランク下の保有者から先に成功していった。結婚にもっとも有利とされる条件が変わっていた。すると、今まで冷ややかな目で見ていた処女の女性たちも受験し始め、合格するとまたたく間に見合いに成功していった。
それが世間に認知されていくと統計にも変化が現れ始めた。総務省の調査では3年後には早くも減少の傾向が見られ、15年後には性経験の有る未婚者の割合が半減した。処女認定資格で純潔が可視化されることにより、結婚する女性のほとんどが保有者で占められ、非保有者は結婚自体が難しくなり、できたとしても数ランク下の相手がほとんどであった。ある見合い会社の調査によると保有者と非保有者の伴侶の平均年収の差は300万円を超えていた。
そのせいもあってか、15年以上前には一番多かった学生時代の性体験者数が激減した。それまでは処女の価値などないに等しかったが、処女認定試験ができて以来、結婚相手の生涯賃金にして1億近い価値が生まれたことによる、気軽な初体験を躊躇する女性の増加が主な要因とされた。
「あれから15年か」ひとりの処女厨が今年度の統計調査を眺めて呟いた。処女認定法案を中心となって作った男だった。男は統計を眺めるのが好きだった。自分が作った法案の与えた影響を実感するのが好きだった。そしてなによりも処女が好きだった。だから恍惚の表情で統計を眺めていた。あれから15年。必死になって働いてきた。非処女の半減。やっとひと仕事終えた心地だった。数だけではない。現実においても如実に成果は現れていた。ビッチをイイ女の条件として煽る女性誌などいまやひとつもない。どの女性誌を取ってみても純潔をオシャレでいい女の必須条件として喧伝している。
芸能界もひとり、またひとりと処女認定資格の保有を宣言することで、おおっぴらに保有を宣言しないものはファンが離れ、今では若い子みな保有者ばかりとなった。認定試験の厳格さは何よりも力をいれた結果、オリンピックのドーピング検査と並び称されるほどになったので、整形による偽装はもちろん、賄賂や替え玉、資格の売買等による、非処女の保有はまずありえず、詐称に関しても罰則を設けたのでその心配もない。処女厨の望んだ世界だった。だが相変わらず童貞だった。
実名が主流のSNSはMIXI・LINE・FACEBOOKみたいなクローズドな性質がある。
比較的オープンなTwitterはまだ一般ユーザーにはHNが多い。
公開範囲を細かく設定できないTwitterや、誰の目にも触れる可能性のあるブログやはてなでは
実名をためらう人はまだ多いのでは。
というより、メンヘラを似非メンヘラと叩くメンヘラが多いんだ。
なぜ彼らが似非メンヘラというレッテルを貼りたがるかといえば、自分こそが被害者だ!と叫びたいから。
もっといえば自分以外の全ての人間に対して、俺こそが、私こそが被害者、と言いたい。その願望のあらわれだな。
で、実はこのメンヘラ(似非メンヘラ!と叫びたい人達含む)、ネット右翼の因子ではないかと思う。
なぜか。
ネット右翼とは自分達はマイノリティで被害者で虐げられていると思っている人間。
レッテル貼りが好きなのは自分以外の全てを加害者としたい気持ちがあるから。これって、メンヘラの↑で書いた精神構造とそっくり。
そしてメンヘラもネット右翼も、弱者を求める。弱者とは、たとえば「文化的に劣った」韓国や「パクることしか出来ない」中国のこと。彼らがこの二つの国をやたらと叩きたがるのは、特定アジアより俺たちのほうが偉いんだ!と言いたいから。日本や天皇をマンセーするのは、それが自分と同一視されているから。日本に誇りを持ちたいという気持ちは本来の意味のものではなくむしろ、自分に自信を持ちたいと言う願望のあらわれ。
メンヘラがなぜ被害者の地位、それも最底辺被害者であることを望むのかといえば、「最も底の人間という特別扱い」と「特別扱いされたことにより特権的な地位になり誰を叩いても良い」という歪んだ気持ちがあるからだ。
これは矛盾しているが、精神的な考えとすればそうとも言えなくはない。つまり、底辺というのは物理的には下に誰もいないはずなのに社会的には特別扱いされて社会構造の上位に位置することが出来るという非常に不思議な場所なんだということ。
だから、メンヘラがひとたび「韓国や中国、ゆとりやスイーツなどの劣った人間」を袋叩きにする快感に目覚めれば、すぐにでもネット右翼に変わってしまう。ネット右翼とは、精神的に病んでいるにも関わらず他人を元気いっぱいに叩きのめすことであたかも健常者のようにふるまっている特異な集団のことなんじゃないか?
そうすれば、メンヘラを叩くネット右翼の気持ちもわかる。俺たちこそが真の被害者、俺たちは他人を叩くことでかろうじて自我を保っているだけの精神病患者なんだ、そういう風に彼らを訴えているのかもしれないな。
知名度から考えて不相応なほどの批判者が周囲に群れ、
傍から見れば首をかしげるほど辛辣な言葉を投げられているケースがある。
まず当事者の言動が逐一過剰に反応される。
炎上が長期継続したり、沈静化した頃に人目に触れるようになると、「なんじゃこりゃ」な感想を持つケースである。
対策としては
などが考えられる。
ブラック企業大賞というのがあるらしいので、
http://blackcorpaward.blogspot.jp/
ノミネートされたみなさん。
菅直人氏
橋下徹氏
渡辺美樹氏
柳井正氏
上杉隆氏
河本準一氏
剛力彩芽氏
他にも絶賛募集中です!
(彼らがやりたかったのはこういうことでしょ。)
考える事は楽しい事です。
--------------------
そう考えるのも楽しい。
特に結論が出そうで出ないモノに対して考えを膨らますのが非常に楽しい。
--------------------
ストーリーは一見意味不明だけど、考えれば考えるほど色々な解釈が芽生えてくる。
そして結論が出たところで、それは答えではなく、あくまで一つの解釈に過ぎない。
僕も3つぐらい解釈を持っているので、是非いつか書きたいといつも思う。
--------------------
「ドグラ・マグラ」もその点で近い楽しさはあるなぁ。
あっちは逆でストーリーは一見分かりやすいけど、よくよく考えると不思議な矛盾が生じると言う。考え出すと止まらない。超楽しい。
--------------------
それも、”高度な”人間こそ出来る楽しみ。
この楽しみはバカには分からんのです。
もっとも、優越感に浸り、そんな事を考える僕もある意味バカなのかなぁ。
--------------------
http://pink.bbspink.com/test/read.cgi/ascii2d/1076872499/
高度。高度です。
人間として高度です、と思いきやこのスレタイです。アフォか。もう高いのか低いのか分かりません。そう、ある意味で彼らは四次元なのです。
--------------------
Thick As A Brick / Jethro Tull
と思いきや内容は少しも難解ではなく、実に聴きやすい。Genesisに近いかな。
冒頭の優しい曲調は、朝、家を出て自転車で畑沿いを走る時の情景にぴったり。マッタリ。
ハードに迫る部分も多々あるが、全編を通して優しさと遊び心が一貫してる作品。
--------------------