釣りだと騒いでた連中が全員削除して逃走してるwww
「P2P技術が発展しなかった」と言ったとき、winny自体の発展ではなくて、
P2P技術を利用することで逮捕のリスクがあると認識されて、P2P技術応用を抑制したかもしれないとか、そんな感じじゃないかな
http://anond.hatelabo.jp/20120105014159
http://www1.axfc.net/uploader/Img/so/133057.jpg
http://www1.axfc.net/uploader/Img/so/133058.jpg
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pass:hame
2.危機管理
東京電力 甘い
3.自然エネルギーへの対策
なんで、同じ電力会社なのに、こんなにも違うのか
東北人って実直で素朴な感じがする
俺もすごく尊敬してるんだ。オヤジみたいになれるかどうか別にして。
葬式の時ビビった、だって退職して数年経っているのに、めちゃくちゃ大勢の弔問客がきたから。
お待たせして申し訳ありません状態、弔問客用の食事(軽く食べられるアレ)も全然足らないほど。マジ想定外。
「オヤジさんにはお世話になって…」と、誰もが穏やかな顔で当時の話をしてくれた。
何もかも、きちんとしていて、カーチャンのことも思って連絡先一覧はきちんと整理整頓してあって(といっても結構仲良しだった友人をうっかり書き忘れていたのはご愛嬌)、葬儀の連絡がかなり楽だったのは確かだ。
ともかく、オヤジと同じような病気に誰かがなって家族が悩んでいるとしたら…少しでも力になりたい、と。
まあ、本人じゃないから、結局は自己満足になっちゃうけどね(元増田さん、自分語りしてスマン!)
それと言い方が難しいけれど、治療してる時間を一緒にこれしてあげたい、あれはどうだろう、と考えながら過ごせるというのは家族にとって救いになることもあります。何も出来なかった、というのもショックに思う人もいるので。特にカーチャンにとっては世話できた時間が幸せだったらしい。
早くいい薬が出て、治ってくれたらいいなと本当に思う
そんな素直な増田が好きだー!!
最初に言っておくと、私は中学生でも高校生でもない。大学生だ。もひとつ言うと、ハタチもとっくに過ぎた大学院生だ。
なんだけど、将来を思って動けば動くほど、「大人になりたくない」という今更な幼稚な悩みがどんどん大きくなっていく一方だ。
楽しく人生を過ごしている自分が見えない、というのが唯一で最大の原因。仕事に追われてプライベートの時間がどんどん削られて、仕事から帰ってきたらてきとーにネットみて寝るだけ、休日もやりたいと思っていることは一杯あるけど寝て体力を回復するのを優先させてしまう。そんな姿が容易に思い浮かべられてしまい、このままでいたいと願ってしまう。
身の回りやTwitterなんかを見ていると、大人も大人なりに今を楽しんでいるように見える。楽しいことがひとっつもないなら、きっとみんな生きていけないはずなので、もちろん大人でも楽しいことはあるだろう。けれど、昔ではなく今が楽しいと言う人はおらず、あの頃がよかった、昔の方が楽しかった、と言う人ばかりのように思える。きっと自分もそう思ってしまうんだろう。
とすると、大人(社会人)になるより大学生の方が楽しいっていうんなら、やっぱり大人なんかになりたいと思えない。今のままでいたいし、今にしがみついていたい。
「楽しくなくてもいきていかなくちゃないんだ。みんなそうやって生きているんだ」と言うかもしれないけど、それを否定しているの。それが嫌だって言ってるの。そんな社会おかしいじゃん。そんな社会になんて出たくないよ。
でも、そんなことはできるはずもなくて。できたとしても、それは「社会不適合者」でしかなくて。
だから私は、まあ、大人になるしかないんだと思う。これは仕方ない。今は、大人か社会不適合者かのどちらかしかないんだから(違う道もあるにはあるが、それは才能か運に恵まれた人しかなれないものすごく狭い道でしかない)、私は大人になるんだと思う。とっても嫌だけど。
今の私たちには、楽しくない大人になるしかまっとうでいられる道は提示されてないんだから。
でも、できるなら。できるなら、私たちよりも後に大人になる人たちには、こんな「楽しくない大人なんて」って思って欲しくない。今の私たちではダメみたいだけど、これからの人達にもそういう思いはして欲しくない。こんな思いをする人なんて絶対少ない方がいい。
だから、私は、大人になるしかないんなら、「今が楽しい」って言ってあげられる大人になりたい。
一番だとは言えなくとも、「今が(今も)楽しいよ」「だから安心して大人になっていいよ」って言える大人になりたい。
狭い窓から社会を覗いてみているだけだから、これから実際にどうなるかわからないけれど、今の情勢やそこから推測される未来を考えると、きっとこれからの人たちは私たちよりもさらにつらい世の中を生きていかなくちゃなくなるんだろうと思う。
そんなつらい世の中で、さらに楽しさが少なくなる大人になりたいだなんて、だれが思えるだろう?
すくなくとも、私は無理。今でだって躊躇しちゃうもん。絶対無理。
希望持てない上にさらに辛くなるっていうんだから、そんなの逃げるしかないじゃん。最悪(究極的には)死ぬしかないじゃん。
だから私は、そういうこれからの人達のために「今が楽しいよ」「安心して大人になっていいよ」言わなくちゃないんだと思う。言えるような生活をしたいと思う。
ここで改めて言っておかなくちゃならないのは、私は未来に希望を持てないでいる、ということだ。失望と言っていいと思う。
世の中をよくするためには、世の中を悪くしないためには、これからの人たちのためにはどんなことができるんだろう、ということを考えた時に、失望に失望を重ねて、撤退線を繰り返した結果、私個人でもまわりの10人くらいの人達のためにすぐにでもできるだろうと思ったことが「今が楽しいと言うこと」だった。(これを読んでいて「どうしてそうなるの?どうしてそれしかないの?」と思われたところがあるかもしませんが、それはこれに起因することではないかと思われます)
どんな職につこうが、現在の世の中やこれからの世の中に対して自分ができることなんて、きっとたかがしれているんだと思う。
少なくとも、大規模な改変をするには数十年かからなきゃできないだろう。現在の生活水準にしがみつこうとしている中年以降の人々の抵抗もあるだろうし。
大人にならなくても多くの人が社会不適合者にならずにすむ道を作るのは、他の人に任せたい。
政治的、または社会的システムを改善させるのも、他の人に任せたい。
経済をうまく回していく仕組みを作るのも、他の人に任せたい。
技術的な面で世の中をより生きやすくするのも、他の人に任せたい。
歌や小説や漫画やアニメや映画やスポーツや、というような大くくりでの「エンターテイメント」でみんなの心をなぐさめたり希望を持たせたり楽しませたり癒したりするのも、他の人に任せたい。
こういうのは、結局(ちょっとタイムリーなアニメのことばをつかうと)「きっと何者にもなれない」自分には多分無理だから。そういう人になれるという夢は、もうない。
そんな矮小な自分でもできることが、多分「今が楽しい」って言ってあげることなんだと思う。
少なくとも、私がまわりの「何者にもなれなかった」大人たちにして欲しかったこと、言って欲しかったことがそうだったんだと思う。まわりの大人たちみんながそう言ってくれていれば、こんな風に社会に出ることにおびえなくてすんでたはず。
これからの世の中に対しては悲観的だけど、それでも楽観主義者でありたい。
「昔も楽しかったけど、今もちゃんと楽しいよ」「多分きっと、これからも楽しいよ」「だから、君たちも安心して大人になっていいと思うよ」って言ってあげられるようになりたい。
だからというかなんというか、その、感情が爆発しそうになって勢いで書き始めたから具体的な方法なんて考えて無くて、さらにどんな展開と締め方にするかもまったく考えていなかったので、論理性がない上にこんなオチになってしまうのは我ながら不服なんだけど、
きっとその先輩は常にあなたのことで頭がいっぱいなんだね
「さっき雑談で話していたあなたのお友達について。そういう人とは縁を切ったほうがいいと思います」とか。
あなたのためを思って言ってるんです的な内容なんだけど、怖ぇ。
メールの着信音が鳴るとドキドキするようになってきてる。
http://anond.hatelabo.jp/20120105001741
嘘は書かない主義なんです。
ハメ撮りできたらしてきますね。
今からいってきまーす
三段論法は「大前提」、「小前提」、とそれから導かれる「帰結」の3つから出来ています。
大前提、小前提はそれぞれ含意を含む文です。
含意とは
「AならばB」
と言った文(命題)です。(この「ならば」も自然言語のならばとは意味が異なります。気になる人は「実質含意」で調べてください)
上の例だとAを前提(仮定)とよび、Bを帰結(結論)などと呼びます。
三段論法においては、
「大前提」:BならばC
「小前提」:AならばB
「帰結」:AならばC
こうして、「大前提」と「小前提」から「帰結」を導くものです。
◯例
もちろん三段論法が成り立つためには、
「AとBが成り立つ事」、「AならばBが成り立つ事」
「Cが成り立つ事」、「BならばCが成り立つ事」
のすべてが成り立っている必要があります。
上の場合大前提の(全ての)はポイントでこれが数人ならとかなら成り立つとは限りません。(これもちょっと考えればわかることですね)
なにこのほのぼのww
完全に同意。
http://anond.hatelabo.jp/20120105004935
後悔は先には立たない。
写真は無理やりにでも撮っておくべきだと思う。
何を考えているのか解らないことに関しては、当人が親父に対して何を考えているのか解らない以上、可能性しかあげられないけど。
人に弱いところを見せたくない人もいるのですよ。
特に娘とか娘とか娘とか。
直接話すのは難しいなら、母親や父親の姉なりに相談して、間接的に話しを進めていくのが良いのじゃないですか?
そして、本題とはずれるけど、この人。
一人暮らしも3年目
今年の正月は弟が遊びに来てくれて、誰かが一緒にいる生活っていいなと改めて思った
正直寂しい
老人の孤独死って深刻だよな
結婚してない、身内もいない、金が無くて施設にも入れない
俺もそうなる
だよなあ・・・。
なんというか、自分とまるっきり同じ環境を整えられなければ結婚してはいけないなんて思い込むのってすごいね。
今年収1000万なんてなくたって、デフレで100円ショップで激安グッズで楽しめて、コンビニや弁当屋やファーストフードでそれなりに安いものも食べられるし、100円ローソンで野菜も売ってるから自炊も万歳、ネットで探せばもっと安い食材もGETでき、これ生活ゲームとして楽しんだらかなりイケるんじゃないの?そもそもなんで年収1000万必要って計算が出ちゃったのかな。
要は、やりくりして生活にどう潤いを出していくのかって、自分の腕の振るい処で、バカみたいに無駄遣いしようと思ったら出来るけど逆も突き詰めたらかなり節約は楽しいと思うし、教育だってネットで探せば無料で英会話もあれば他のレッスンも動画で見られる。
ピアノと水泳は自分が教わったのなら自分が教えればいい話。親から教えてもらったことって大事な宝物なんだよ。
まあ、自分が本当にそういう暮らしをしたいと思ってないんだろうから今のままでいいんじゃないの、とは思うけどね。
どこかで抜け出そうと思わない限り、自分の親ってすげー、で終わりだろう。
まず始めにそれはただ愚痴をこぼす形で言ったものだから真面目な反応が返ってきてちょっとビビった。
という言外の意がある。
体感でいうと論理的に話ができると感じる人間は、100人に1人とかじゃないだろうか。よく分からん。
まあハッキリしないが「多すぎる」と感じている位には「論理的に話が出来ないと感じる人」と出会ってしまうことの方が多いよ。
それが不運によるものなのか、自分の人との付き合い方の問題なのか、世の中に(自分よりも)論理的思考のできない人が多いことによるものなのかどうかは分からんし、あんま考えたことないな。
そもそも「アイツは論理的に話が出来ない」とする自分の判断自体が間違ってる可能性もあるんだろう。
精神的な成熟度合いを計る尺度については人それぞれだと思うけど、自分としてはひとえに「どの程度の理性があるか」で評価してると思う。
気に入らないと思う理由による。
道理に合わない勝手な理由で滅べと言ってるのなら「自己中心的で精神的に幼いなあ」と思うだろうけど、
情理を尽くした理由の上でそう望んでいるのなら、その是非は別として「精神的に幼い」とは思わない。
あと、人から「それは道理に合わない」と指摘されて訂正できる程度の理性を備えているようなら「精神的に幼い」と思わない。
人間が過ちを犯すことは仕方がないので、人の話に聞く耳を持って自分の間違いを素直に正せるなら問題ないと思ってる。
そして、たとえ「道理に合わない勝手な理由で滅べと言ってる」としても、それが「道理に合わないことだと自覚した上で」主張してるなら、「精神的に幼い」とはあまり思わないだろうと思う。(場合によるけど)
けど、もし増田が、写真だけでも先に撮りたいと思うなら撮っておいたほうがいい。
後で悔やむかもしれないと一瞬でも思うことがあれば全部やっておいたほうがいいよ。
本番の結婚式には絶対出て欲しい、と思っていてもドクターストップがかかるかもしれない。(あれ?結婚式の写真の話じゃなかったらごめん)
オヤジさんも多分怖さとの戦いの最中だと思う。結婚式前に亡くなるなんて子供のためにも絶対阻止したいと思うんじゃないかな(想像ですまん)
体力が落ちてきて、それでも会いたい人とは会い、和解しておきたい人と和解しておいたのが俺のオヤジだった。
家族が後で困らないようにきれいに清算もしておいてくれた(親戚関係はいまいちアレだったから、入院中でも親族呼んでた)
話が出来るうちに、後悔がないように話をしたほうがいいと思う。慰めでも励ましでもなく。
不謹慎かもしれないが、ついでに書いておく。
家族がなくなるというのは、想像以上にショックで正常な判断がつかない。
よって、葬儀の進行などについては信頼できる家族(義理の家族も含む)・親戚またはオヤジの部下などに同席を頼んでおくといい。
かなり葬儀業者のいいようになってしまうことが多いのだ。オヤジの場合、オヤジの部下を頼んでおいてくれたらしく、非常に助かった。