はてなキーワード: セレンディピティとは
SNS、YouTube、TikTok、ブログ。今や発信してリアクションを得られる可能性があるプラットフォームに触れていない人の方が少ないと思う。
鍵アカウントもあるが、公開範囲を限定しているだけで多くの人は少なくとも親しい友人やネットで繋がりのある人などが見られる環境を作っていると思う。
僕はまるで他者からのリアクションを求めていない、と言うような素振りをすることがある。まじ滑稽。
リアクションを求めないことは美徳でもなんでもないし、社会に生きる以上何かしらの発信にはリアクションが伴うし、誤解されては生きづらい。
リアクションから逃げることは「私は社会性がないです。」と言っているようなものじゃないか?言いすぎ?
とはいえ、リアクションを求めるがあまり、本心を隠したり言いたいことを歪めたりするのは不健全であると思う。
服を買う時、「これ少し自分っぽくないな」と思い手に取ることをやめたことはないか。自分みたいな人間がこんなお店に入るのは違うな・・・と入店を躊躇ったことはないか。
リアクションを求めないというスタンスに常に立って世捨て人のようなスタイルを保つことは非常に力のいることだし、この社会で生きる以上不用意にそんな振る舞いをすべきではないと思う。
しかし、たまには「うおぁぁぁぁ〜〜!!!!俺だ俺だ俺が全てだ!!!!」というムーブをすることも必要なんじゃないか。
我々はあくまでも個人。個人であることを忘れて集団のうちの一人であるという意識を強めすぎてしまうと、誰かが、もしくは自分が勝手に決めた自分が固着してしまって人生にセレンディピティが生まれないように思う。
自分では普段しなさそうだな、という選択をたまにすると人生がまるで豊かになったような気がしたことはないか。1人で旅行に行ってみる、
作ったものがない食べ物を作ってみる、なんかこれとこれでプリンみたいなもの作れるんじゃね?(レシピは知らない)とかなんでもいい。
自分の中に遊牧民を住まわせろ。そんじょそこらのノマドワーカーなんてものとはわけが違う。それはあくまで集団から少しだけ距離を置いて「特別なあたし」を楽しんでいるにすぎない。
ほんの一瞬でもいい、自分の精神的なパーソナルスペースをバカ広くして敢えて社会から隔絶したような心持ちで、自分の評価軸のみで物事を選択することをしてみる。
評価軸なんてない?やりたいことなんてない?小難しく考える必要はない。
例えばあなたの目の前に米が2合、野菜、肉、魚などなど様々な食材があるとしよう。普段なら米は2〜3食分に分けて、食材もいくつかのレシピを作るために小分けに調理するだろう。もちろんそれがあなたのやりたいことで、スタイルなのであれば好きなようにして構わない。そうでないのなら?
私は一介のサラリーマンで、特段見どころのあるような人間ではない。だが、眼前にそれらが広げられたら、今の私は豪農モード。全ての食材を余すことなく調理し、一食で食らう。
普段なら絶対にできないだろう。妻もいる、もちろん食費や向こう数日分の食材をまた買いに行かなければいけないという問題に豪農モード終了後にぶち当たるだろう。しかし、今の自分はその問題に直面しているだろうか?断じて否だ。
豪農がそんな生活をしていたか定かではないが、自分のイメージからかけ離れた存在になるということが重要で、それこそが日々社会で暮らす我々の数少ない寄る辺になると信じている。
今日は妻がいない。冷蔵庫には納豆がある。妻は納豆が大嫌いで家で食べることは普段絶対にない。なんなら結婚して以来初めて買った。
帰ったら大量の米と納豆、昨日こさえた温泉卵でパーティと行こうじゃないの。
そんなことをして何になるんだ?そんな問いは豪農モードの私にはナンセンスだ。普段自分がしないことをすること、無意義なことを行うことこそが肝要。
どうせ同じサイクルを繰り返して年老いていくだけなのなら、外界からは観測も接触も不可能な異質な自分を見出し、作り上げ、楽しむのもまた一興なのではないだろうか。
ヘヴェリウーッス
本日はデータプライバシーの日、日本においてはコピーライターの日、衣類乾燥機の日、宇宙からの警告の日、セレンディピティの日、初不動、初荒神です。
データプライバシーということで、まぁ現代社会はものすごい勢いで情報が錯綜しているのですが
その中で個人情報等も大量にやり取りされている訳です。
こんなに大量ある中で一つくらい漏れちゃうのも仕方ないよね、なんて数の多さを受けてとんでもないことを言い出しそうですが
それが漏れたらどうなるのか、というのがなんというか昨今の事件で明らかになっていたりしますので皆様も気を付けていきましょう。
正直言えば、どの企業もやらかしてしまう人間はいるので、後はその補償がどうなるのか、いやどうかなったことなんてあったか?
ちょっと私には覚えがありません、偉い人が頭下げてたぐらいでしたね。
気を付けようとか怪しいサイトは踏まないようにしようとかしか言えません。
そういう基本的なことだけ守っておきましょう。
普通生きてるといろんな考えとかに出くわすと思うんだけど、あいつらってその考えが集団全体にとって受け入れられてるかどうかって観点から見るよね
精神的に落ち着いてる人ってもっとプラグマティックと言うか、考えが自分にとって役立つのかどうかって点で見てる
「○○センセイもこう言ってるし〜」みたいな権威主義の態度は他の国だと結構見下される印象ある
集団に受け入れられるかどうかで発信を決めるという属性を持つかでその人が信用できるかどうか参考にはできる
もし集団優先系の人だったら、なにも独創的なことを言えないつまらない人の確率は高いと個人的に感じてる
というか自分はまさに誰も評価しないクソ映画、クソアニメを楽しむタイプの人間なので「ああ、あいつらってこういうの好きだよね」と予測できてしまうありきたりなコンテンツはつまらない
となると「レビュー」「いいね」「ビュー数」「フォロワー数」など内容と無関係なものはすべて排除して、自分にとって役立つ(or 楽しい)ものを内容だけで判断しよう、ということが目的になる
集団優先系が「評価を見て自分たちにとってのアタリだけを引くことが目的」だとすると、内容優先系は「ハズレを引いてもそれ自体も楽しむ」というセレンディピティみたいなものを根拠にする余裕がある
今の自分の観測範囲外に、観測範囲内で一番面白い漫画の10倍面白い漫画があるのだとしたら、これはもう観測範囲を広げるしかないわけで。
死ぬその瞬間までその10倍面白い漫画を知らなかったらすごく悔いが残ると思う。
今はwikipediaの漫画雑誌一覧やレーベル一覧からも情報を辿れないひとり出版社や独立系出版社というものが続々出ているらしい。
独立系出版社で出されているのはちょっとその概要を調べる限りはルポや小説が主なイメージだが、おそらく漫画を出している出版社も絶対にある。
もしもそのなかに自分にとって一番刺さる漫画があるんだとしたら、見つけるまでは死んでも死にきれない。
むしろ、はっきりいってその漫画以外の漫画を読んでいた今までの時間の方が時間の無駄だと思うぐらいで、もし神様が漫画というものに興味を持った瞬間に俺にとっての一番面白い漫画を提示してくれたなら、漫画を読むときはそれだけを読むと言うのが時間の最も有意義な使い方だと思う。
今俺が漫然と数週間後には読んだことも忘れるような漫画を読んでしまっているのは、発掘行為に対する苦しさへの逃避と、一時しのぎの中途半端な楽しさを享受するための妥協に過ぎないのだ…。
脱線気味なので話を本題に戻す。
つまりそういうひとり出版社とか独立系出版社にしか漫画を出してない人が、読者であった以前にはその漫画家や出版社の人間とリアルでのつながりがなかったような読者と需給の関係を結んでいる事例があってもおかしくないと思うわけだ。
そのようなリアルでのつながりがなかったような読者、つまり読者になる以前にはその人と友達でも、ご近所さん等地理的な距離による地縁があるでも、職場の人間でも、その他あらゆるリアルのつながりがなかった読者は、どうやってその出版社や漫画家を知ったのだろうと思うわけだ。
漫画通には単なるメジャーマイナーではなく、そういう漫画家を知る(発掘する)方法を会得していて、そういった漫画家の読者の一員に滑り込むことさえできる猛者もいるんだと思う。
私はその方法を知りたいのだが、問題を単純化するため、リアルの中で見つける方法はひとまず置いておいて、まずは「インターネット上のそういった出版社をどうやって見つけているのか」ということに話題を限らせてほしい。
今まで書き忘れていたが、そういうわけで私が今念頭に置いている出版社はネット上にSNSでの発信やサイトを開いているという前提が条件としてついてくる。それがないとリアルの中で探すしかなくなってしまって話がややこしくなるので。
具体的に方法として訊きたいのは、たとえば検索ワードを選定するときに意識していることはあるかといったことだ。言い換えれば、そういう出版社とかが出て来るような検索キーワードで意識的あるいは無意識的にググるセンスをどうやって磨いているのかということが知りたい。いうまでもなく言葉を知らない奴より言葉をたくさん知っている奴の方が検索の世界では強いし、さらにやみくもに言葉を打つよりもその界隈の情報がヒットそやすい語群というのがあるわけだ。たとえばこれは倫理的に悪い例だが、ネットでアニメを見る人は単にヘボン式の綴りの知識だけでなく、日本語タイトルをローマ字にしたときどこで区切るものかということを心得ていたりする、みたいなことがある。その変換が半ば瞬時にできるぐらい研ぎ澄まされている。
さすがに「ひとり出版社」と検索して漫画を出している出版社がごろごろ出るほど甘くはないわけで、一つ捻った言葉で検索するセンスが必要なのだとはわかるわけだ。
俺がやってるのが検索時は適度にゆっくり入力して、検索サジェストに出て来る言葉で知らない言葉で漫画関係っぽいものは片っ端から検索することと、あえてたまに誤字って検索してセレンディピティを誘発させたりしてるが、今のところ収穫はないので、これらの方法はだめそうだ。
というわけでそういう出版社にたどり着いたことがある諸賢が見ているなら、そのとっている方法を教えてほしい。
dorawiiより
もしも商業漫画よりも同人誌に面白いものがあるんだとしても、それはまあいっかと思えてしまう。これはもう俺が思えるか思えないかという問題なんだけど、同人誌を探すきりのなさは身に染みてわかっているので、あきらめがついてしまうという感じかな。商業で一番面白いのが見つかれば十分なんだ。
なので勝手ながら、出版社(法人)と契約してる漫画家縛りとさせていただきたい。
出版社を介している以上個人出版(自費出版)ではないものだと思ってたんだけど違うの?逆にkindle無料漫画とかもろ個人出版の典型例だよね。
あくまで俺の興味は同人誌ではなくビジネスとして仕事上のパートナーからマネー(原稿料等)を得る対価として作られた作品にある。
全く趣味で作られた(ものでもないものもあるがこの際細かいことはどうでもいい)同人誌はさすがに有象無象としてどうでもいいやと割り切れるので。
というか、できない、がやっぱり正しい気がする
http://karapaia.com/archives/52130135.html
で書かれているようなことを自分が思ってるんだなあ、とは思うけど
しかし、
J.R.R.トールキンも同じように30ヶ国語を話せたというが、250ものIQをもっているとは思えない。しかし、彼はサイディスよりもたくさんの話を書いているし、彼の文学は後世まで残っている。サイディスはうるう年まで正確にわかる回転式のカレンダーを発明したが、それが重要なことなのだろうか?
というようなことを自分も思ってしまいがちだし、同意するところもあるのだけど、
単純に考えてうるう年対応みたいなのって、今売ってる時計でも安いのは対応してなかったりする気がするけど
まあ、役に立たないカレンダーを作るよりは、面白い物語を作ってくれる天才の方が評価されるというのはあるかもしれない
そのへん考えると難しいよなあ
天才に不遇な人生を送らせるのは人類の損失だ、みたいに言う人がいるけど、どう考えてもアインシュタインの裏に数十人、数百人のアインシュタインはいたと思う
「セレンディピティー」とか呼んだりするけど、そういうことなんだと思う
大量の現時点では役に立たない天才を飼うとしても、それ自体は現時点での利益を生み出さないわけで、それを維持することは不可能
となると、現時点で役に立たない天才の中から選抜するしかなくなる
となると、選抜方法はどうしても現時点の評価基準で評価できるものに偏るのは自明だろう
結局はなるがまま、なすがままの人生を天才であれ凡人であれ送るしかないということなんだろう
ドクター・フーを観ていないのだけど、ドクター・フーにゴッホが登場する回があるらしく、
ゴッホが現代の美術館に飾られた自分の絵に驚くシーンだけYouTubeで観たのだけど、自分はオッサンだからウルッときた
本物のゴッホはあんな綺麗なゴッホじゃないと自分は思うのだけど
埋もれた天才は大量に、どこにでもいるのだろうと思う
はてな統計で発表したかどうか忘れたけれど、2019-01-16 15:22:23 から 2019-01-16 16:03:46にかけてブクマされた1008個のエントリーが1日後にどこまでブクマ数を伸ばしたかというのを調べてみたことがある。
結果は
1ブクマ | 849エントリー |
2ブクマ | 77エントリー |
3ブクマ | 20エントリー |
4ブクマ | 5エントリー |
5ブクマ | 9エントリー |
6ブクマ | 5エントリー |
7ブクマ | 4エントリー |
8ブクマ | 6エントリー |
9ブクマ | 3エントリー |
11ブクマ | 3エントリー |
12ブクマ | 2エントリー |
13ブクマ | 3エントリー |
15ブクマ | 4エントリー |
16ブクマ | 2エントリー |
19ブクマ | 1エントリー |
20ブクマ | 1エントリー |
21ブクマ | 2エントリー |
24ブクマ | 1エントリー |
28ブクマ | 1エントリー |
32ブクマ | 1エントリー |
34ブクマ | 1エントリー |
40ブクマ | 1エントリー |
47ブクマ | 2エントリー |
59ブクマ | 1エントリー |
87ブクマ | 1エントリー |
106ブクマ | 1エントリー |
391ブクマ | 1エントリー |
1229ブクマ | 1エントリー |
この日のこの時間帯は84%のエントリーは1ブクマしか付かなかった。3ブクマに達するのは8.1%。ブクマ数以外のアルゴリズムではねられて新着に載らないのも結構あるようだ。全部チェックするには多すぎる。
スパムっぽいのも多いし、他人に推薦する気はない私的なメモっぽいブクマも多い。だから割とすぐ消されるし、非公開ブクマも多い。
開かれたコミュニティで名前のないモブが黙してる状態が許容されてることが望ましい
タイムラインの捌ける量が半端ない、とにかく匿名性、モブは基本的にブロックされないなどウォッチャーのためのSNSといってよい
炎上のレベルも頻度も高い、火事を見に行ったと思ったらすぐそこで新たに火が燃えてる
フェイスブックは使い所がかなり難しい
なにより実名だしフレンズは承認制、タイムラインはフレンズのどうでもいい日常で埋もれてく
インスタはよりその傾向が強くタイムラインをラーメンとスイーツ笑と子供のオンパレードが埋める
サブ垢の切り替えが容易なのでウォッチ用と垢を分ければいいが最適化のロジックが強く、いつの間にか投稿頻度の高い一定の推しがウォッチライフを蝕んでいく
幅広いジャンルでセレンディピティを求めるためにはアカウントを何個も作る、あるいはフォローをつけたり消すたりするなどかなりめんどくさい運用がいる
最近は動画系もYouTubeからtiktokと幅広く増えてきてウォッチが追いつかない
毎日楽しすぎる
エリア実装当初から依田芳乃をずっと推してきて(セレンディピティ)、依田芳乃を見てきたものにとっておとよりは当初受け入れられませんでした。公式で(当時)絡みがあったのも期間限定ユニット程度と同エリア実装で、まだ劇場で2度共演している蘭子の方なら分かるけど……みたいな感じでした。
おとより!おとより!と皆が言う中で、私以上に依田芳乃が好きな人はいないだろう、私以下の情熱で芳乃を別と一緒にユニット推しするな!みたいな感じでした。同担拒否基質。ガチ恋。今思えば馬鹿らしいです。
そんな私に転機が訪れます。まず、自分よりやばいなと思った依田芳乃Pの発見です。名前は伏せますがとても芳乃を好きで好きでたまらない人が、Twitter上でおとよりも推してたのです。ふと思いました。芳乃の活躍の場を否定しているのは、自分ではないかと。
しかしまだ自分がおかしいと言えど認められませんでした。CDは買ったものの祈りの花しか聞かず。他二つは未開封でした。
とあるおとよりヘビーユーザーが参加を募って上げたもので、当時の私は色々と追われており逃げ場として芳乃を求めて動画を開きました。
そこでおとよりと乙倉悠貴に堕ちました。
二次創作とは言え、2人のやりとりは尊かった。背が高いが心は等身大の乙倉悠貴、幼く見えるが心は等身大の依田芳乃。理にも叶っていました。やばかった。
芳乃を求めて見た動画で、最終的には悠貴ばっかり見ていました。
その後急いで追い風ランニングを聞きました(後one lifeも)。等身大の可愛いものが大好きな笑顔の眩しい女の子の歌でした。
総じて何を言いたいかと言うと食わず嫌いは良くないです。まずは受け入れるところから。これが難しいけれど大事だと思います。
後は同担Pは、自分と同じ若しくはそれ以上に担当を想っていることです。某アイドルの言葉を借りますが、アイマスもみんなで叶える物語だと私は思ってます。そのために、協力して担当を押し上げて行きましょう!