はてなキーワード: アルゴリズムとは
思ったんだよね俺、コンピュータ・サイエンスにプログラミングは含まれないとか言うアホを見てさ
いや、アルゴリズムは数学であり、それを設計するプログラミングは明らかにコンピュータ・サイエンスの一部だろと思うわけだが、なぜこいつらは「プログラミングはコンピュータ・サイエンスではない!」と言いたがるか
企業で働くキラキラWebプログラマーがプログラミングないしはコーディングをやっているのをみて「アイツラと一緒になりたくない」と自称インテリは言う
「そうだ、サイエンスにはちゃんと定義があるはずだ、その定義で奴らと俺らのボーダーを引こう」と考えて、自称インテリはコンピュータ・サイエンスにプログラミングを含めないのである
当然、日本だろうと海外だろうと自称インテリは存在するので、「コンピュータ・サイエンスにプログラミングは含まれない」と言うと、負け犬の自称サイエンティストが共感のイイネを押すだろう
「俺達はサイエンティスト、あなたとは違うんです」というわけである
はい、JavaScriptによるコーディングはコンピュータサイエンスの一部と見なすことができます。コンピュータサイエンスは、情報とその処理に関する学問であり、プログラミングはその重要な要素です。JavaScriptは、ウェブページを動的にするための主要な言語の1つであり、ウェブ開発の分野で広く使用されています。したがって、JavaScriptを学び、それを使用してコードを書くことは、コンピュータサイエンスの実践的な応用の一部と言えます。しかし、コンピュータサイエンスはプログラミングだけではなく、アルゴリズム、データ構造、ネットワーク、データベース、人工知能など、より広範なトピックをカバーしています。それぞれが特定のプログラミング言語やツールを使用して探求されることがあります。JavaScriptはその一部であり、特定の問題を解決するためのツールとして使用されます。それはコンピュータサイエンスの一部であり、その全体ではありません。それでも、JavaScriptをマスターすることは、コンピュータサイエンスの重要なスキルを習得するための素晴らしいステップです。それはあなたが複雑な問題を解決するためのロジックとアルゴリズムを理解するのを助け、あなたの思考を開発するのを助けます。それはまた、あなたがウェブ開発の世界に足を踏み入れ、あなた自身のウェブサイトやアプリケーションを作成するのを助けます。だから、はい、JavaScriptによるコーディングは確かにコンピュータサイエンスの一部です!
はい、ブラウザの実装は確かに**コンピュータサイエンス**の一部です。以下に、その理由をいくつか挙げてみます:
1. **アルゴリズムとデータ構造**:ブラウザは、効率的な検索、ソート、データの格納と取得など、多くのアルゴリズムとデータ構造を使用します。
2. **ネットワーキング**:ブラウザは、HTTPやHTTPSなどのプロトコルを通じてインターネットと通信します。これらのプロトコルの理解と実装は、コンピュータサイエンスのネットワーキングの分野に直接関連しています。
3. **レンダリングエンジン**:ブラウザのレンダリングエンジンは、HTML、CSS、JavaScriptなどのコードを解析し、それをユーザーが見ることができる視覚的なウェブページに変換します。このプロセスは、計算理論、グラフィックス、プログラミング言語の理解を必要とします。
4. **セキュリティ**:ブラウザは、ユーザーのデータを保護するために、さまざまなセキュリティメカニズムを実装します。これには、暗号化、サンドボックス化、同一生成元ポリシーなどが含まれます。
これらすべての要素は、コンピュータサイエンスの基本的な概念に基づいています。したがって、ブラウザの実装は、その「サイエンス」の部分を明確に示しています。ブラウザの設計と実装は、これらの理論を実際の製品に適用するための実践的なフレームワークを提供します。それらは、問題解決、効率的な設計、そして最終的にはユーザーに価値を提供するための方法を探求します。これが、ブラウザの実装がコンピュータサイエンスである理由です。
地裁判決がでましたが、学識豊かな人々が相互に叩き合っていて不毛です。見ているだけでも疲れる。しかし、感情を揺さぶられるのとTwitterのアルゴリズムによってつい追いかけてしまいます。
複雑な出来事を単純化して、自分からこう見えているというのを整理してみます。
お互いの陣営がそれぞれ自信たっぷりに相手を批判していて迷うこともあるのですが、みなさまはこれらの項目のどこまで合意できそうですか。その他重要な論点あれば教えてください。
雁琳さんには池内恵さんにすすめられていたように著書執筆に専念しては欲しいです。
それはTwitterで書かずに一冊の本としてお書きになればよろしい。単行本500ページの憎悪と呪詛を書き連ねて文学・思想、文明批評となっている原稿を送ってくれれば、出版社を紹介します。読む人いるでしょう。 https://t.co/fRa2NDdJWR— Satoshi Ikeuchi 池内恵 (@chutoislam) January 22, 2022
森新之介さんのブログが整理されていた(ほかの記事を読むと人文系アカデミアにうんざりしてしまう・・・)
卒論などでお世話になった人も多いだろうnext49さんのブログもオープンレター関連について整理されている
メモ:「女性差別的な文化を脱するために」関連の時系列 - 発声練習
雁琳さんとの判決文。東京地方裁判所 令和4年(ワ)第4632号 判決
http://www.mklo.org/mklo/wp-content/uploads/2024/04/ffdd5b80e78c62b11a9a19dbd8ffa153.pdf
id:IkaMaru さん
増田に限らず「俺は中立だけど」みたいなトーンで話を進める奴のほとんどが即バレしない程度にちょっとだけアンフェ側が正当に見えるよう話をズラしてゆく。もう諦めろ。雁琳のためにもならんぞ
コメントありがとうございます。増田としては、今回の雁琳裁判後も吹き上がって裁判や、もともとの被害者である北村さんを批判しまくってているTwitterユーザが多いことにかなりゾッとしていまして、かれらや、かれらのフォロワーのうち一人でもおかしいぞ、と思ってほしくて書いた次第です。
ただ、頭ごなしに全批判しても受け入れてもらえないのではと考え、今回の一連の事案のどこまで合意できるだろうかと論点を列挙しています。少なくとも、いじめ被害者への二次いじめをしていると自覚してほしい。どうしたらいいんでしょうね・・・
Roro Chan Challenge - A phrase that references the death of the 14-year-old Japanese streamer Rorochan 1999[13]. This phrase became popular in 2020 when a tribute music video/song about her went viral on YouTube through the algorithm, and members of the Larpercore community started making videos referencing it by acts such as jumping off a building in video games like ROBLOX. According to some news reports, some people were actually harmed after trying the so-called "challenge".
https://aesthetics.fandom.com/wiki/Larpercore
ロロちゃんチャレンジ - 14歳の日本のストリーマー、ロロちゃんの1999年の死を指すフレーズ[13]。このフレーズは 2020 年に彼女についてのトリビュート ミュージック ビデオ/曲がアルゴリズムを通じて YouTube で広まり、Larpercore コミュニティのメンバーが ROBLOX などのビデオ ゲームで建物から飛び降りるなどの行為でこのフレーズを参照するビデオを作成し始めたときに人気になりました。一部の報道によると、いわゆる「チャレンジ」に挑戦して実際に被害に遭った人もいるという。
「与えられた変数のオーダーに従って、それが許容される計算量のラインのアルゴリズムを探して、それを実装するゲーム」
って理解で合ってる?
難しいところは
・アルゴリズムを探す
・実装する
という認識でいい?計算量がいくら許容されるかは結構すぐわかりそうだし
で最終的には「アルゴリズムを探す」という点に終着する。アルゴリズムがわかれば、実装するというのは比較的簡単だろうしね
この変数のオーダーならO(n^2)でも大丈夫だけど、これはO(logn)のアルゴリズムが必要だ。O(logn)のアルゴリズムで処理したデータはこの程度のオーダーなので......。これを繰り返していく感じ
自分はマジで最初の最初の問題すら実装できないんだけど(AtCoderならABCのA問題すら ChatGPTの解説が必要)
・エンジニア歴5年
・プレッシャーに弱い
・正直ぜんぜん優秀な方ではない
・年収アップ
・転職するかはまだ決めてない
個人的にはエージェントを使う必要性はそんなにないかなと思った。
面接日程とかも結局こっちが日程伝えて調整するし、エージェントのおかげで楽になったとかは特に感じなかった。
助言とか面接対策とかはしてくれるのでその辺は良かったかも、ただ、助言に関してはポジショントークかもというのを念頭に置いておいた方がいいきがする。
年収交渉もしてくれるのでその辺もいいかもだが、結局こっちの希望年収を伝えると、ちょっと厳しいかもと希望を下げるように言ってきたりもするので、エージェントと自分が調整する必要が出てくる。
あと、いいエージェントの見極めも大変。
よく分からんとこは自分の希望と全然違う会社を勧めてきたりする。(コンサル激プッシュなど)
エージェントを通さないと、カジュアル面談からスタートするのが多いとおもう。
その後何回か面接とか、技術課題があるとことかはその対応をして、内定という流れになる。
面接に関しては回数が多い上に、選考を通じて同じことばっかり聞かれるので、かなりめんどくさい。
最終面接の頃には本当にやる気がなくてどうしようかと思った。
しかも、時間的制約があるので仕方がないとは思うけど、やっぱり表面的な質問が多くて、盛ったり嘘ついたりとかは全然できる(私はしてないけど)
向こうの時間も使うので、やっぱりできるだけお互いのためになる時間にしたいなと思って臨んでたけど、この辺は色々面接方法とかも課題がある感じなのかな
正直あまり時間をかけたくなかったけど、こういう試験とかに関してはギリギリいっぱいまで時間使って、できるだけ良くしようみたいしてしまう傾向があり、たくさん時間を使ってしまった。
調べたりもしてよかったので、全然できないみたいなことにはならなかった。
競プロみたいにアルゴリズムを問われる部分もあれば、文章問題に回答したり、設計問題に回答したり、apiを軽く実装したり、みたいな感じだった。
アンカーを設定する意味でも、初めから希望年収を公言して申し込んでいた。(現職の30%アップ)
面接で年収に妥当しないと判断されて落とされるとかもあった気がする。
複数内定があればオファー面談で交渉もできるし、採用側もかなり柔軟に対応してくれそうな雰囲気があった。
年収は大事なとこなので交渉してもいいと思うけど、職責が大きくなりそう。
個人的に転職活動してよかったのが年収周りを把握できたことで、ネット上ではエンジニアは転職すると手放しに年収めっちゃ上がる的な記事がたくさんあるが、私の場合はそんなことはなかった。
求められる職責とか会社の評価制度によって、だいたい提示される年収が決まってそう。
この辺の勘所を知れたのはよかったなと思った。
転職活動はかなりめんどくさい上に、時間をたくさん使うので、よほどの動機がないと腰が上がらないなと思った。
何より面接日程調節が一番めんどくさかった。
これはほんとにめんどくさかった。
やっぱり入ってからいろいろとギャップがあるかもしれないし、転職リスクはあるなーと思ってる今日この頃。
さらに今よりもちょっとレベルの高いことを要求されそうので、その辺も少しプレッシャーを感じている。
年収が上がるのは魅力だけど、総じて転職するべきかどうかはまだ悩むなぁ
うーん
君とかにあんまりデザインパターンだとかアルゴリズムだとか言わないほうが良い気がしてきた
知ると1冊くらい読んで自分で設計して書いたこともないのに「デザインパターンとかアルゴリズムを休日に勉強しろ!」とか言いそう
僕がそれは技術じゃないと言ったのはデザインパターンやアルゴリズムなんかはライブラリとか言語がなんでも使える普遍的なものだけど
ライブラリとか言語は知ってるか知ってないかってだけだしそんなもの山ほどあるわけだし
便利にするしようとするけど利益も追求しなきゃいけないからドンドン機能が劣化するよな
吉業重工が去年アトレakibaでイベントしてたなと思ったけど
Twitterから検索できなくてGoogleとかで"サイバーパンク 電脳 女性 ファッション"とか最初に入れて
そしてサイバーパンクのファッション記事さがしてブランド名と人の名前いれてやっと見つけだした
Googleが検索に対して対象企業に金払えば良いのかも知れんがそれは稼ぎ頭つぶしから無理そうだな
Instagramは検索が貧弱というかCMが多く見られるようなアルゴリズムになってしまってタダの日記帳に成り下がってるし
検索でいいなあと思えるのがニコニコ動画だったなと思ったのは俺が年寄りだからだな
機能の劣化が稼ぎに影響するってのは広告ビジネスの限界かも知れんがそんなにお金をポンポン出せないからなあ
ArchiveBoxを自前で用意してブックマークするように保存していかないと無理かな
量子力学は、測定が行われるまで粒子は重ね合わせの状態、つまり同時に 2 つの状態にある可能性があることを示唆している。
そのとき初めて、粒子を記述する波動関数は 2 つの状態のいずれかに崩壊する。
量子力学のコペンハーゲン解釈によれば、波動関数の崩壊は意識のある観察者が関与したときに起こる。
意識が崩壊を引き起こすのではなく、波動関数が自然に崩壊し、その過程で意識が生じるとペンローズは示唆した。
この仮説の奇妙さにもかかわらず、最近の実験結果は、そのようなプロセスが脳の微小管内で起こっていることを示唆している。
意識はすべてを包括しており、現実そのものを構成しており、物質世界は単なる幻想である、と言う人もいる。
意識は幻想であり、実際の現象的な経験や意識的な制御の感覚はないと言う人も。
この見解によれば私たちは「ただの無力な観客であり、ただ乗り物に乗っているだけ」である。
そして、脳をコンピューターとして見る人もいる。
脳機能は歴史的に、蝋の「封印リング」としての記憶という古代ギリシャの考え方から、電信交換回路、ホログラム、コンピューターに至るまで、現代の情報技術と比較されてきた。
神経科学者、哲学者、人工知能 (AI) の支持者は、脳を、可変強度のシナプスで接続された単純なアルゴリズムのニューロンからなる複雑なコンピューターに例えている。
これらのプロセスは、意識を持たない「自動操縦」機能には適しているかもしれないが、意識を考慮することはできない。
意識を基本的なものとして捉え、宇宙の微細な構造や物理学に何らかの形でつながっていると考える人たちもいる。
例えば、意識は量子領域と古典的領域の間の境界における活動である「量子波動関数の崩壊」という客観的還元プロセスに関連しているというペンローズの見解が含まれる。
基礎物理学とのそのようなつながりをスピリチュアルなもの、他者や宇宙とのつながりと見る人もいるが、意識が現実の基本的な特徴であり、生命そのものよりもずっと前に発達したものであることの証拠であると考える人もいる。
ペンローズは、客観的還元を意識の科学的根拠としてだけでなく、量子力学の「測定問題」の解決策としても提案していた。
20世紀初頭以来、量子粒子は、シュレディンガー方程式に従った波動関数として数学的に記述され、複数の可能な状態および/または位置を同時に重ね合わせて存在できることが知られてきた。
なぜなら、初期の量子研究者にとって、測定または意識的な観察という行為自体が、波動関数を明確な状態と位置に「崩壊」させるように見えたからである。