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はてなキーワード: 軽石とは

2021-10-30

軽石があるなら、

重石はあるのだろうか…

軽石問題、、、『軽石くれよ!』

園芸家はみんな思ったんではないか

需要しかないんではないか

軽石!乱獲してくれや!!

2021-03-15

私が6才の時に遭遇した最悪な差別

私が6才だから、大体昭和の末期くらい。

その頃小中学校教師から理不尽な罰があったのは今でも知っている人は多いけれど、保育園にもあった。

全国的かはわからないけど、少なくとも私が通っている保育園にはあった。

色々ありはしたのだけど、一番痛烈だったことを書く。

その保育園は園の方針先生独断かはわからないけれど、給食時間内に食べ終わらないと罰を受けた。

私は食べるのが遅くて、年長になるともうあらかたの罰を受けきっていた。

年長の園児が恐れていたのは

「下の年のクラスでのお昼寝」

だった。確かに小さい子、特に2才児クラスあたりと寝ると、自分まで赤ちゃん扱いされそうで嫌だな、と思っていたが、先生がそうしろというならするしかない、と乳児を抜けたばかりの子たちと一緒に寝たりした

ただ、私は昼寝で熟睡できないタイプだったので、2時間ずっと気まずさを感じてはいた。

ある日、給食を残す常連の私ともう一人、あすかちゃんという女の子の2人がやっぱり時間内に食べきれなかった。

その時、多分先生は虫の居所が悪かったのだと思う。

増田ちゃんあすかちゃんは養護組に行ってお昼寝しなさい!!」

と怒鳴った。

園には中程度の身体知的障害児が集まる養護クラスがあって、そこでお昼寝をしろということだ。

6才の私には、実は障害者という概念がなく

自分クラスの子とは全く異なる変な姿でよくわからないけど、保育園に来てる子」

認識していた。

養護組は冷暖房完備だったし、カーペットが敷いてあっから今日は快適な場所で寝られるなあ、と思った。

あすかちゃん号泣しだして、養護組は嫌だー!って叫び、それを無理やり先生が手を引っ張り、あすかちゃんはそれに抵抗した。

私は、その姿を見ながらタオルケットの入った巾着袋を背負って、養護組に入ってお昼寝をした。養護組の先生たちは優しくて好きだったし、教室の窓が大きく取られていて、部屋が薄暗くなるように少し濃いめのカーテンが引かれていた。それが風でヒラヒラするのを見ながら、ここは居心地がいいな、静かだな、と思った。

その数日後。

私が砂遊びをしていたらば、近くで私の担任を含めた3人の先生雑談していたのが聞こえてきた。

担任先生

増田ってばさー、他のクラスで昼寝しろって言っても自分で行っちゃうの。この前なんて養護組で昼寝しろって行ったのに、何にも言わず自分タオルケット背負ってすたすたってさぁ」

と嫌そうに言っていた。

私は大人どうしで悪口を言うとは知っていたけれど、まさか子供のことを、更には受け持っている子の悪口を言うのか、と思ってびっくりして、それから、私はそんなに嫌われるようなことをした?と悲しくなった。

時は過ぎて成人式

養護組の同い年で、当時は四つん這いになって歩いていた男の子、つよし君が車椅子で来ていた。

彼が私のことを覚えているかはわからないけれど、近くにいたので何とはなしに手を振った。

その瞬間、ようやく、14年越しに理解したのだ。

担任先生が、養護組でのお昼寝を最も重い罰として私たちに命じた。

あすかちゃんはその意味理解していたから、泣いて抵抗した。

その根底には「健常者は障害者に混じることを嫌がる」がある。

私はそれに全く気づかないでいたから、あとで先生に嫌がられた。

それらが全て繋がった時に、つよし君や養護組になんて扱いをしてるんだ、先生って職業が何故差別助長や利用するんだ、何故あすかちゃんは私のわからなかったそれをわかっていたのか、いや、私がそれに気付くのが遅かっただけなのか。

6才の時のつよし君は、手を握って這っていた。

養護組の先生

「つよし君はね、喋れないけどみんなの言うことはわかっているのよ。いっぱい歩くからね、手の皮がとってもかたいの」

と言ったので、彼の手の関節を触らせてもらった。

軽石かというくらい、かたくてザラザラしていた。

うわーすごいねー、と無邪気に驚いた。

あの当時、私だって悪知恵も小賢しさもおマセな部分もあるガキだ。

障害者というものを知らなかったかからだとしても、あの光景は鮮明に覚えているし、忘れないし、それに怒ったり胸糞悪くなっていたりしたい。

2020-08-13

鳥🕊がベランダに巣を作っていた😀

殺す!!!!!!!!!!!

次やったらぜってー殺す!!!!!!

転勤族の住んでる宿舎の室外機に巣を作るたあよく考えたじゃねえか……。

ああそうだよ俺たちみてーな独身や単身で転勤してきた奴なんて最初の数カ月は仕事で忙しいか家事なんてロクにやらねえよなあ。

エアコンの室外機は裏にほどよいスキマがあって暖かくて最高だよなあ。

から!オメーら小汚え害獣共が暮らすには最適だよなぁ!!!

ざっけんじゃねえぞ!!!

人の弱みに付け込んで好き放題しやがって!!

他人の家に堂々とテメーのすみかを築き上げてんじゃね―ゾ!

つうかここが本当に俺の持ち家ならテメーらと共存することを考えてもいいがな!

俺は最悪来年にはここを立ち退くんだよ!

その時には「綺麗につかってまちたか~~」ってつまんねえケチつけんのが仕事天下り大家が年に1度か2度の威張り散らし大チャンスにここぞとばかりに言いたい放題かますんだよ!

から俺たち転勤族の宿舎ぐらしは、部屋を返す数日前だけ本気だすんだ!

引っ越しの準備もあるしな。

エアコンなんてまさにそうだな。

業者気持ちよく運んでくれるようにキレイにしてよお。

だってエアコンなんて買い替えたくないだろ?

お前ら年収0円の野生児には分からねえかも知れねえが10万ぐらいするんだぜちゃんとしたエアコンは?

からキレイにするんだよ。

そのときにテメーラのクソにまみれた薄汚え巣を掃除しろってのか?!!

ふぁうあわっwfsぁわfだふぁあああああああああ???======|~~~~~~~~~~~~=~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~???????????

舐めてんのか?

お前ら舐めてんだろ?

人類様が支配してるのは地上だけとか思ってんだろ?

なあ?

それとも俺たちがお優しいから付け上がってんのか?

はぁ……言っとくがなあ、俺達は本音じゃお前らと共存する気なんてねえんだよ。

単にお前らをぶっ殺しすぎると地球環境ってのによろしくねえし、まだまだアルファケンタウリに移住するのも先になりそうだから一先ず殺さねえでやってるだけだ。

それをお前ら俺たちがお前らのことが好きだから友達だと思ってんノアk?

舐めんのはテメーの総排出腔だけにしろ

オケラだってアメンボだって人間様に気を使ってるから友達なんだよ。

生きてるから友達なんじゃねえ。

俺たち人間様が生きるのを邪魔しねえから友達なんだ。

分かるか?

オメーラみてーにバサバサ羽ばたいてクソ撒き散らすようなカスはお友達じゃねえ。

テメーらよぉ、どうせ俺たちの事舐めてんだろ。

「ボク様達が本気出したら人間さんは鳥インフルエンザで滅ぶんでしょ?」とか思ってんだろ・。

ウィルスといえばコロナとも共存するんだから僕たちなんて可愛いもんでしょぽっぽっぽー」とか思ってんだろ?

ふぁふぁdfかsdjf-おsfsだいfpsだ???S?S??

ちょっと許せねなあ。

言っとくがコロナとの共存はもうすぐ終わるんだよ!!!!!!!!!

人類最上級大富豪ビルゲイツ様が作ったワクチンで全滅だ!!!

あぁぁああああああ???んんんんんんんんんんんん???

どうせテメーら鳥頭は「それはビル・ゲイツが凄いだけッポ」とか俺のことバカにしてんだろ??

ちげーよビル・ゲイツ様が大富豪なのは俺たち人類があの方をお支えしてるだから

俺が会社で使ってるクソゴミNECゲロPCボケカス富士通詐欺ノーパの購入費用が巡り巡ってビル・ゲイツ様のお懐をお温めになっているからなぁ!!!!!!

人類の力なんだよ!!!

人類の力と総意がコロナをぶっ殺す!!!!!!!!!!!!!!!!!!

次はテメーらかもなああああああああああああああああああ

マジでよおお前らいいかげんにしろ

なんで俺がようやく手にした夏休みベランダでオメーら鳥頭の撒き散らしたクソまみれの土塊をゴミ袋に詰めてんだろうな??????

ベランダを日頃使ってない俺が悪い???

あああああああぁかvxMnNNNNNNNNNNNNNNN?+?_

テメーらがフンを撒き散らすから外干しができねえええええええええええんんんんんdkぁふゅだsfだしpふぉうsぢょぱふいうおds;

ゆるsねうぇあfさfだsfわsdふぁ

完全なマッチポンンプじゃねえdふぁfだsfさkjぁjkfjだs;fjkjぁkじゃっかあ

マジでカス

殺す

次やったらぜってー殺す

tyとと俺はバカンスデルスにするけどその間にもしまた巣を作ってみろ

枯れ枝や軽石を室外機の下に集めてみろ!!

お前ら羽ばたきゃ逃げられると思ってんだろ!!!!!!

人間舐めんな!!!

カラシニコフ弾丸がおめーらのチンケな羽ばたきより遅いわけねええええええええええええええええええええええ!!!!!

まあ俺が買うのはマルイ電動ガンだがな。

次やったらポチるからな。

ころすぞ

2020-06-29

たいして黒くもない緑の板を黒板って言うの、昔は黒人背中軽石文字を書いてた時代の名残ってマジ?

2017-10-17

anond:20171017130203

マカロン

固く泡立てたメレンゲ砂糖アーモンドプードルパウダー)等を加えて混ぜて焼き上げた柔らかな2枚の生地クリームジャムガナッシュをはさんだパリマカロンのことを指し、正式にはマカロンムーと言う。

カルメ焼き

作り方は単純で、ザラメまたは赤砂糖三温糖)に少量の水を加え加熱して融かし、125℃になったら重曹を加えて手早くかき混ぜ、炭酸ガスで発泡したところで、冷やしながら軽石状に固めたものである

2017-01-24

​ 生まれてはじめて葬式にいってきた

この間、生まれて初めて葬式に行ってきたのだけど色々初めての新鮮な経験をしたので、思ったところをなんのとりとめもなくつらつらと書き連ねてみたいと思う。

初めての葬式は母方の祖父葬式だった。まあ葬式といってもそんな盛大なものではなくて、近い者たちだけで行う火葬式だった。祖父半年前ほどに末期ガン寿命宣告を受けていて、その死自体には何の驚きもなく、正直「やっとか……」という感じだった。というのも、祖父は数年前からいわゆるボケが始まっていて、祖母やたまに家を訪ねた母ともケンカばかりしていた。そして更にガンを患って入退院を繰り返し、同居して介護していた祖母疲弊しきっていた。素直に死を嘆き悲しむ事ができるような祖父は、はるか記憶の彼方に埋もれていた。そんな状況だったから、なんだかとても薄情に聞こえるかもしれないが、自分にとってはその死の報せで特に悲しむということもなく、「これでやっとみんな楽になるんだな」という感想が一番だった。

そんなわけで、大した感慨とある種の現実味もないまま葬儀当日を迎えた。車で数十分の距離にある市営の小奇麗な火葬場は小高い丘の上にあった。火葬場に着くと早々に祖父の棺が運ばれてきた。自分達は炉の前で「最期のお別れ」をすることとなった。母が用意した白い薔薇と今朝書いたばかりの祖父への手紙を棺に入れた。狭い棺のなかで花に囲まれ祖父はまるでただ眠っているだけで、今にも起き出しそうに見えた。いよいよ炉の扉が開かれ祖父の棺がほの暗いその中へと消えていった。炉の扉が閉ざされて火が入ると付き添っていた僧侶木魚を叩きながら経を唱え始めた。その瞬間、いきなり涙が溢れそうになり必死でこらえた。自分でも何故こうなったかからなかった。ただその場の雰囲気に飲まれたのか、何か自分の奥底に眠っていた感情とやらが溢れたのかもしれない。その後、亡骸を焼ききるには一時間ほどかかるらしく、待合室で数少ない親戚との久々のささやかな会話をしながらその終わりを待っていた。

その間に先程の経を唱えた僧侶が来て祖父戒名説明をしていた。ちなみにこの僧侶へは、式全体のパック料金には含まれないお布施を直接渡すことになっていた。そのお布施の額も決まっていて、値段によって僧侶の人数だのが明確に決められていた。旧来の檀家制度に比べてみればある意味良心的なのかもしれないが、「ビジネスだなぁ……」としみじみ感じてしまった。しか僧侶というのは大したもので、丁寧に戒名の由来を説明する姿や祖母や母の質問相談真摯に答える姿は、金銭の授受によって成立し提供されている一種の「サービスであることを一切感じさせず、その清い心の底から自分達に同情と共感を向けてくれているように思えた。自分はここで初めて本当の意味での宗教存在意義見出したのかもしれない。ミッション系の大学に通っているので、講義宗教必要性重要さ(キリスト教に関わらず)は訥々と説かれていたはずなのだが、懐疑的なところもあった。しかし、渡された戒名を眺めながら言った「これでじいちゃんもきっと向こうで喜んでるね」という祖母のありきたりのようにも思える台詞は、その疑念を実感を伴って払拭するような体験としては十分だった。

そして放送祖父名前が呼ばれ時が来たことを知らせた。その時自分は緊張していた。それはある叔父言葉きっかけだった。「じゃあお前たち、骨を拾うのも初めてってことだな」。それは自分達姉弟が葬儀に出席するのが初めてという話題に端を発し知らせられた衝撃の事実自分にとっては)だった。その時は、骨は焼かれた後は影も形もないほど粉々になり、そのまま骨壷へ収められていくものだと勝手勘違いしていていたので、まさか形が残っている骨を自らの手で拾わなくてはいけないとは夢にも思っていなかった。「あんまり形が残ってたらやだなあ……」などと考えながらいよいよ先程の炉の前に着いた。炉が開き、台車ゆっくりとこちらに向かってくる。その台車の上には軽石のような、なにか鉱石のようにも見える白い物体が載っていた。半ば逸らしていた目を向けよく見てみると、たしかに人の骨格をうっすらと思い起こさせる形をしていた。初めて人骨を目にしたが思ったより衝撃はなかった。二人一組になっていよいよ骨を拾い骨壷に入れる。自分の番になり、姉と一緒に恐る恐る遺骨を長い鉄製の箸でつかみ骨壷に入れた。一斉に骨を離した瞬間、骨壷のなかから乾いた音がした。もちろん骨はいくつもあるので、残りは火葬場の職員が手慣れた手つきで骨壷に収めていく。その時に「こちらは大腿骨です」とか骨の部位をいちいち説明してくるのだが、「そんなん言われても『へえ、これが大腿骨なんだ! 』以外どう思えっちゅうねん」と心のなかでツッコミを入れていたところ、母が「こんなに丈夫そうで、骨格は立派だったんだね」などと言い出し祖母もそれに同調し、「まさかこんな形で故人を偲ぶイベント葬式にあるとは……」と少し興味深く感じてしまった。その後も骨は骨壷に収められ着々と骨壷の中身はかさを増していくのだが、途中で「どう考えても骨が骨壷に収まりきらないぞ……」とその場に居た皆が感づき始めた頃、不意に、「このままでは収まりきらないのでお骨を少し砕きますね」という声がかかった。その刹那、その職員は箸でバリバリと骨を砕き始めた。それはもう容赦なくだった。粉になった遺骨をさらさらと骨壷に収めていくぐらいだろうと考えていた自分にとっては、かなり印象的な光景になった。一緒に骨を入れた姉と終わった後に「あんなにバリバリ砕くとはねえ~」と少し笑いあった。式を終えた帰りの車内で骨壷を抱えながら「お父さんもこんな中に収まっちゃった」という祖母の気が抜けたような言葉には、何とも言えない寂寥の念を感じさせた。

なんだかんだ書いてきたけど、結局人が身近な人の死をどう認識して受け入れていくのか、そのプロセスのために何が必要なのか、とかそういったことが伝統的な儀式の中には組み込まれてるんだな、という当たり前のことを認識させられた。戒名とかそのために何万も金払うのとか無駄だろwとか思ってなくもなかったけど、単なる損得勘定では考えられないこともあるということも分かった。そして終わってみるといろんなことを学んだ気がした。どうでもいいけど遺骨はさらさらの粉になって出てくるって勘違い、小さい子供が魚は切り身で海を泳いでると思う勘違いと似てるなって思った。ほんとにどうでもいいな。おわり。

2008-03-07

http://anond.hatelabo.jp/20080307222413

そんなに酷いならこんなところに書いてる間に皮膚科行きなせえ。

自分も、毎日頭洗ってるのにフケがボッロボロ出てきて、ちょっと上着でもはおると首のところが雪が降り積もったような(んなキレイじゃないがw)になってたもんで皮膚科行ったよ。そうしたら石鹸シャンプーで洗うといいって言われた。そうしたら一週間ほどで全くフケが出なくなったよ。かゆくもないし。そりゃたまにかゆいときもあるけどかいても前のようにパラパラフケが落ちてこない。マジで笑えるほど出なくなった。それとプラスして、一応細菌退治?用の薬みたいなのももらったから一度なんにせよ皮膚科いってきなよ。私とは違うかもしれないし。「最近頭洗ってるのにフケが凄いんです」って言うだけでいいよ。たいした検査もないし。

そういやかかとは私も酷いけど、あんま気にしてないな…でも確かに軽石は取れない。でも今色々あるじゃん道具。ダイヤモンド粒子が入ってるとかなんとかクリームとか。そういうの試したん?

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