はてなキーワード: 肝不全とは
■新型コロナウィルスが免疫細胞であるCD4 T Cellに侵入すると言う仮説を裏付ける臨床データ出る。
すなわち、新型コロナウィルスが免疫細胞に感染するというデータ出る。
Clinical Evidence: Patients Have Cytokine Storm with Progressive Decline in Blood Lymphocytes
Are Pradhan et. al.’s findings right or wrong?
If correct, the virus should be able to invade human CD4 T cells and result in corresponding clinical features.
このウィルスは免疫細胞であるCD4 T Cellに侵入すると言う仮説を裏付ける臨床データが出てる
またHIV由来のGP120タンパク質によって免疫細胞 T Cellの表面受容体にあるケモカイン受容体にも結合できてサイトカイン・ストームを引き起こし宿主の臓器を攻撃させることができる
α-アマニチンの出番や。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%CE%91-%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%81%E3%83%B3
アマトキシン類は熱に対して安定であり、一般的な加熱調理程度では分解されない。この毒素は遅効性を持ち、症状が現れた際には摂取した毒素の大部分が生体内に吸収されているために対処が困難になる点が危険である。生体内に取り込まれたα-アマニチンはRNAポリメラーゼIIに結合し、タンパク質の合成に必要なmRNAの合成反応を阻害することで細胞組織を壊死させる。なお、この毒素に対する解毒剤は存在しない。
摂取から10時間以内に報告される症状はほとんどなく、重大な症状が発現するまでに摂取後24時間が経過することもしばしばである。胃洗浄は症状が現れてからでは効果が無いため、不意に摂取してしまった場合の対処が困難である。対処が遅れることで致命的な症状(多臓器不全)へ移行する。
下痢と痙攣が最初の症状で、次に一時的に症状が治まる偽回復期がある。その後、4–5日の間に肝臓と腎臓の細胞を毒素が徐々に破壊することで重篤な機能障害を引き起こす。中毒者のうち約15%は、腎不全、肝不全、昏睡、呼吸困難などが進行し約10日で死亡する。全中毒者の5割は最終的に死に至るが、それ以外の場合でも後遺症が残ることが多い。
親が障害を持つ子供の権利を(過剰なまでに)求めるといった類のニュースが語られた時、近年になって定番のように貼られるコピペに、以下のようなものがある。
普通学級に通学するのが、物理的に困難な障害児の入学をゴリ押しする親や人のニュースを見るたびに、 以前に見たドキュメンタリーを思い出す。
生まれついて重い障害を負って生まれた息子の為に、親は「サリドマイド児の親の会」を立ち上げて、休日は全て会の活動。
「障害者に理解のある社会=息子の為」との強い信念のもと、息子を連れて積極的にマスコミにも出たり、講演活動も行った。
さらに、息子を普通学級に進学させた。息子は重い障害を負いながらも大学に進学。一時は、マスコミにもてはやされた。
が、大学卒業後、障害を負った息子は何処にも就職できなかった。ここで、息子は生まれて初めて本音をぶっちゃける。
「子供の頃から、人前でさらし者にされて辛かった」「休みの日くらい、家族だけで過ごしたかった。家族だけで遊園地や旅行に行きたかったのに」
「普通学級になんて行きたくなかった。手の無い俺が、普通学級でどれだけ不自由で辛く、孤独だったか。
どれだけ、危険で屈辱的(同級生による排泄介護等)な思いをしたか!」と、延々と恨み言を言い出した。
で、親が「何で言ってくれなかったんだ!」と反論したら「言ったが、全て“お前のためだ”で済まされた。
一度だけ、同じ障害を持つ子供たちがいる養護学校に行きたいと言ったら“負けるな”と説教された」
「俺みたいな障害を持った子供が、親に見捨てられたら生きていけない。だから、言いなりになっていた」
「お前たちは“俺の為”と言っていたが、結局は自分たちが社会から注目されてチヤホヤされたかったダケだろう。
養護学校に進学した同じ障害を持った連中は、職業訓練を受けて就職して自立しているのに、親の見栄で、普通学級に進学させられた俺は、就職できなかった」
「俺の障害を受け入れてくれない、見栄っぱりな親のせいで、俺の人生はメチャクチャにさせられた!」
結局、息子さんは親に対する恨みつらみの遺書を残して自殺。最後に親御さんは「もっと息子の気持ちを考えてやれば良かった」
「健常児と同じようにする事が、息子の為だと思っていたが、間違いだった」と嘆いていたな。
【サリドマイド児】と冠してしまったことで、(主にサリドマイド禍にあわれた方々が、大卒の年齢に達するのが今から30年程度前であることから※)全体に無理が生じてしまったこと、にもかかわらずドキュメンタリーなどと真実味を付加してしまったことで、決して少なくない数の「嘘を嘘であると見抜けない」方々が、あたかも現実の出来事であるかのように喧伝してしまうことがもったいないほどである。
既に
http://ameblo.jp/rosexxxkasumi/entry-10613422332.html
といった記事で述べられているように、このコピペが真実であると誤解した方々が、出典として挙げる書籍に『青い鳥はいなかった―薬害をめぐる一人の親のモノローグ(飯田 進)』というものがある。
上記のサイトを見ていただければ、このコピペが=『青い鳥はいなかった』著者の息子、伸一氏ではなかったことや、コピペの状況自体に矛盾が生じることは容易に理解出来ると思う。
にもかかわらず、相変わらずコピペ=伸一氏であるとされる方々は一向に減らないし、さらには「俺はこの本を読んだけどこのコピペの内容が書いてあったよ」などとする者もいる。
ここではその誤解をはっきりと解くために、『青い鳥はいなかった』本文からの引用を交えてネット上に残しておきたい。
なお、本来『青い鳥はいなかった』という書籍は伸一氏との関係についてを主たる題材として扱っているわけではないため、これから取り上げる部分がこの本の限定的な一部分からの抜粋になることを付記しておく。
この本を紹介したアマゾンのページである。目次に注目していただきたい。
目次
わが内なる罪
父母の会創設
国際的な連帯を求めて
噴出する矛盾と内部対立
集団訴訟をめぐって
親の止まり木を目指して
裁判有利の展開のかげに
疑惑の根源
裁判の終結
和解の落とし穴
父母の会の解散
息子伸一の死
実際は「わが内なる罪」を序章とした一二章構成になっており、ここに前書きと終章が加わる。
『青い鳥はいなかった』を誤解している方の殆どは、この目次と、飯田進氏がサリドマイド児の親たちを中心にした「子どもたちの未来をひらく父母の会」発起人であり会長であったことのみをもって判断しているのではないかと想像するが、どうだろうか。
「わが内なる罪」で始まり「息子伸一の死」などと締めてあっては、いかにもコピペの親が飯田進氏であるかのように錯覚できるのは否定しない。
しかし実際「わが内なる罪」で語られている進氏の心情はこうだ。
まぎれもなく私は、重大な過ちを犯した。大倉医師の指摘したとおり、私は充分な統計的調査をすることなく、不用意にも息子伸一の誕生が、あたかも「被爆者に奇形児が生まれると、それをすぐに原爆の影響だと考える」思い込みを前提とした投書をしたのであった。(37頁38頁)
たしかに息子がうまれたときには、その障害の原因がサリドマイド系薬品にあったことを知っている者は、だれもいなかった。その罪意識は、それから私の心理と行動に支配的な影響をもたらすことになった。(41頁)
「息子伸一の死」ではより具体的にコピペとの差違を指摘できる。
知人が主催する公益法人に、伸一を就職させたことがある(268頁)
彼は結婚前もその後も、しばしばタイ、インド、ネパール、チベットなどへ旅行をしている。いわゆるバックパッカーである。いくら貧乏旅行とはいえ、それだけの経済的余裕があったのである。(269頁)
いわゆる不審死である(274頁)そして死因は急性肝不全(274頁)
さらに終章では
伸一は母子感染でC型肝肝炎になったのにちがいない。当時の輸血用血液は、アメリカなどからの輸入に頼っていた。その血液には、しばしばC型肝炎のウイルスが混入していたのである。(312頁)
もちろん伸一は、妻が入院中、連日のように病院を訪れている。見る影もなくやせ衰え、苦痛に耐えつつ死んでいった妻の姿を見ている。だから彼は、おのれが直面させられている運命を、知っていたのに違いない。(312頁)
事実上医療をこばみ、緩慢な自死にひとしい成り行きをたどった秘密もまた、そこに潜んでいたのか。なんたることか。(313頁)
『青い鳥はいなかった』で語られるのは父母の会の設立運営や、その後の訴訟に関して「こうするべきだった、こうあるべきだった、でも現実にはそうではなかった」という筆者の悔恨である。そして息子の死が「私が行ってきた行動を、全否定しているかのよう」に感じた筆者が死後の伸一氏へ当てた手紙のようでもある。
飯田氏の行ってきたことを少しでも知ったなら、あのようなコピペの元ネタとして扱うことがいかに礼を失する行為であるかは理解してしかるべきであると思う。
障害をもった親の権利を(過剰なまでに)求める親や、その親を反差別だネグレクトだと叩く行為の是非まで問うつもりはないが、それを叩く材料として上記のコピペを「真実」であるかのように貼り付けたり、『青い鳥はいなかった』と結びつけて語ったとき、その行為は誹謗中傷であり、いいかえればそれこそが”差別”である。
最後に、コピペにある「遺書」と似て非なる伸一氏が「遺した書簡」が、筆者にとって「お前は肝心なところはわかっていてくれたんだな」と言わせる、筆者と伸一氏の間に決定的な断絶があったわあけではないことの証左であるし、また筆者がこの本でいいたかったことの半分程度を言いあらわす例ともなりうるので、全文を引用してこの日記を閉じる。
「サリドマイドの裁判は、親である第三者が闘った裁判であるのが特徴であった。かなり特殊な裁判であると言える。当事者である被害者は、幼児であったからだ。障害者である本人は、自分の被害をほとんど知らぬままに保証金をもらって和解したのが、サリドマイド裁判の実態であると言って差し支えないであろう。その裁判においてサリドマイド以外の障害者については、何もしなかったのも事実だ」(中略)[注、本文ママ]
「つまりサリドマイド裁判は薬害と言いながら、サリドマイド障害者の救済しかしなかったし、一緒に闘ったはずのサリドマイドとは認定されなかった他の障害者の救済は何もしなかった。いまだにその認識は、サリドマイド障害者にはほとんどない。」(290頁)
※に関する追記
サリドマイド禍はその時期がそれほど広範ではなく、「サリドマイド禍にあわれた方々」が大学を卒業する時期もある程度類推が可能である。コピペの記述などから考えても、「30年前」という時期をそれほど外してはいないと思う。
30年前といえば、時はバブル前夜。「大卒」という肩書きが十二分に武器となった時代。今とは違い、大卒で「就職できない」という事態はそれなりにレアケースである。「親の活動そのもの」が反社会的とされ、企業に嫌われた可能性もないではないが、コピペの記述からはどうもそんな雰囲気ではない。少なくとも、職業訓練よりは大卒の肩書きのほうがはるかに就職に有利であった時代に「普通学級で大学にいかされたせいで」就職できない、という記述には矛盾が生じている。
コピペに「危険で屈辱的(同級生による排泄介護等)」という記述があることから、その障害が日常生活や就業に支障をもたらすものであった場合は上記の限りではないが、そうであった場合、時はバリアフリーのバの字もなかった時代である。そういう時代に重度障害者が大学に通い、卒業する、ということがどれだけ大きな事態であったことか。それこそ大学始まって以来というレベルの出来事である。本人の確固たる意志に、親をはじめ、周囲の身を削るような協力があっても難しいような行為。にもかかわらず、本人に大学に行きたい、卒業したいという意志はかけらもなく、親も見栄が先行しているのを子供に見透かされるような程度の熱の入れようなのだそうだ。ここにもやはり矛盾がある