はてなキーワード: 小山田とは
https://twitter.com/kiyohara3_5_114
今でも薬物依存症に苦しみながら、自分の弱さを認めてそれを詳らかに開示しながら乗り越えようとしている。
彼は5年間この苦しみと向き合ってきたし、今後も向き合う覚悟が見て取れた。
オリンピックを叩いてスポーツやアスリートへの溜飲を下げるアーティスト(笑)にちょっとイラついてたから正直せいせいしてるわ
野田洋次郎泥酔事件でこいつ何なん?ってなってからの小山田事件でアーティスト界隈全員アウトじゃんってなったの完璧で笑いが止まらん
十中八九、何か不祥事を仕出かした人間を、擁護しようとする時に持ち出される。「彼/彼女は、問題のある行動をしたが、こんな素晴らしい作品を作った実績がある」という感じで。
要するに「素晴らしい作品を作る人間は、不祥事を仕出かしたとしても大目に見るべき」と言いたいのだ。本当に「作品と人格は別物」と思っているならば、不祥事に話がフォーカスされている時に「しかし、作品は云々」などと言い出す訳がない。
一般企業で、不祥事を起こした人間の処分を論じる場で「しかし、彼/彼女は営業の成績が良くて」などと言い出す人間がいたら「今これを話し合っている時に、態々それを言う必要あるの?もしかして、営業成績が良いから不問にしようとか主張するつもりなの?」と問われる。
企業内部でパワハラやセクハラの被害が拡大するのも、加害者が仕事能力的に優秀な人間であることを理由にして見逃されていたというケースが多い。
小山田圭吾の障害者イジメが、今回のパラリンピック起用以前に取り沙汰された時、小山田圭吾のファンは「過去のことを持ち出して粘着するな。小山田やファンが不愉快になる」「音楽的な才能は別物だから、これからも小山田圭吾の音楽を聞き続ける」と主張する人間が多数派だった。だからこそ、小山田圭吾自身も「自分が過去に仕出かしたことは取るに足りない出来事」と勘違いし続けることが出来た。
小山田圭吾の音楽を聞き続けて来た人間は、小山田と一緒になってイジメに加担したんだよ。「自分が気持ち良くなる音楽を聞けるのであれば、イジメ被害者の障害者の気持ちなんて知った事ではない」と言いながら。イジメ加害者の生み出す作品をそのような人間と知った上で崇め続けてきたのだから、今でも小山田圭吾ファンを続けている人間は精神的スカトロマニアと呼ぶしかない。お前らは欲望の奴隷なんだよ。
と小山田の件で理解できてよかった。ああいう発言が面白いものとされた時代だったんだね。あほらし。
90年代の後半に、私が中学生だった頃、ラルクのhydeがねこぢる好きって言ってたから読んでみたらめちゃくちゃつまんなくてがっかりしたんだよね。ユーモアもないし、ただただ残酷なことをやれば面白いなんて、おもんない作風だな~と思ってたけど、これが時代性ってやつだったんだ。おもしろさが全く理解できなかったのは、ねこぢるが時代を越えられなかったからだったんだね。
小山田の件ってオリンピック委員会や政府に対する強烈なカウンターってだけじゃないんだな
和光学園が日本共産党と近いから彼らが表立って批判できなかったり、
小山田圭吾氏に関連する騒動について詳しくは読んでいない。自分もイジメを受けた側であり、読むことでいまとなっては遠い昔であるあの頃の苦痛を思い出してしまうからだ。
わたしは1970年代中頃の生まれで、中学生の頃にイジメの被害を被った。時期的には1980年代末から1990年代はじめごろだ。
小山田圭吾氏は1969年生まれなので、彼が雑誌で露悪的に書いたというイジメを行っていた時期は小中学生、1980~1985年頃ということになる。1980年代中頃、イジメは深刻な問題となっていた。世間に衝撃を与えたのかどうかは、当時まだ幼かったのでわからないが、イジメを苦にした自殺という事件が1986年に起こっている(https://www.nhk.jp/p/ts/P2WVR66NRZ/episode/te/2N3ML5JR9G/)
したがって、小山田氏がイジメをしていた、というのは当時を考えると、よくあることではあったのだと思う。
数年時代はずれるが、1989年頃、イジメに関する話題がラジオ番組でもなんどか特集され、リスナーから多くの悲痛な投稿が寄せられていた。わたしも投稿した一人だ。それだけイジメというのはあちこちで起こっていたし、陰惨な事件も起こっていて、社会が重大視していた時代ではあったのだけれど、そのものはよく起こっていたことだ。
そして、そしてハフィントン・ポストの記事(https://www.huffingtonpost.jp/entry/rockin-on_jp_60f3b271e4b0d5140ec0c2b6)を読むと、記事が書かれたのは1994年ということだが……当時の時代感覚という擁護をみていて首を傾げるのは、はたして1994年頃「イジメをしていた」ことが笑って済ませられるような空気が当時あっただろうか?いや、もしかすると一部の世界ではあったかもしれない。ただそれはサブカルという、もう少し広い範囲であったとは頷けない。
確かに、現在は過去の犯罪や悪い行いを自慢することを許容するような空気は以前よりはないと思う。だが、限度がある。1990年代中頃に生きていた人間として、イジメをしていたことを笑って済ませるような空気は、あったとしても多数ではなかったと思う。
小山田圭吾氏に関連する騒動について詳しくは読んでいない。自分もイジメを受けた側であり、読むことでいまとなっては遠い昔であるあの頃の苦痛を思い出してしまうからだ。
わたしは1970年代中頃の生まれで、中学生の頃にイジメの被害を被った。時期的には1980年代末から1990年代はじめごろだ。
小山田圭吾氏は1969年生まれなので、彼が雑誌で露悪的に書いたというイジメを行っていた時期は小中学生、1980~1985年頃ということになる。1980年代中頃、イジメは深刻な問題となっていた。世間に衝撃を与えたのかどうかは、当時まだ幼かったのでわからないが、イジメを苦にした自殺という事件が1986年に起こっている(https://www.nhk.jp/p/ts/P2WVR66NRZ/episode/te/2N3ML5JR9G/)
したがって、小山田氏がイジメをしていた、というのは当時を考えると、よくあることではあったのだと思う。
数年時代はずれるが、1989年頃、イジメに関する話題がラジオ番組でもなんどか特集され、リスナーから多くの悲痛な投稿が寄せられていた。わたしも投稿した一人だ。それだけイジメというのはあちこちで起こっていたし、陰惨な事件も起こっていて、社会が重大視していた時代ではあったのだけれど、そのものはよく起こっていたことだ。
そして、そしてハフィントン・ポストの記事(https://www.huffingtonpost.jp/entry/rockin-on_jp_60f3b271e4b0d5140ec0c2b6)を読むと、記事が書かれたのは1994年ということだが……当時の時代感覚という擁護をみていて首を傾げるのは、はたして1994年頃「イジメをしていた」ことが笑って済ませられるような空気が当時あっただろうか?いや、もしかすると一部の世界ではあったかもしれない。ただそれはサブカルという、もう少し広い範囲であったとは頷けない。
確かに、現在は過去の犯罪や悪い行いを自慢することを許容するような空気は以前よりはないと思う。だが、限度がある。1990年代中頃に生きていた人間として、イジメをしていたことを笑って済ませるような空気は、あったとしても多数ではなかったと思う。
彼の文化人としての地位はいじめや差別によって箔付けされたものであることの証言。パラに相応しくない人材であることを裏付けしてしまう…
倫理観を持ってるなら過去の差別に自覚的で仕事を受けるはずがないので、組織委ともども倫理観がないことがバレてしまう…
確かに
被害者が訴えないから罰を受けてないってだけだから刑罰と同等かそれ以上の態度は見せないといけないよな
でも小山田の場合はそれにプラス反省の色が全く見えないどころか武勇伝にしてるレベルだから
小山田某の謝罪文とやらを受け入れられない理由は(自分の中では)明らかで、それは彼が現在の罪を認めていないからだ。
彼本人も彼を擁護する者たちの言い分も一貫して「現在の彼は正しい倫理観を持ち過去を十分反省している」というものだが、要するにそこが納得できない。
いじめ被害者の未来(=つまり現在)を破壊した事を本当に後悔し、責任を感じているなら、言葉では何の取り返しもつかない事はすぐに解るはずだ。
"過去の私は未熟で~" と過去過去というが、今の自分はどうなんだ。
責任を感じるといいつつ言葉の謝罪によってその責任を反故にしようとしている自分は?
あまつさえ "長らく罪悪感を感じてきた" などと半ば被害者面じゃないか。
パラリンピックに関わることに決めた経緯にしても、まるで炎上前から自分の罪に向き合ってきたかのような書きぶり。"愚かな自己保身でスルーし続けた" にもかかわらず。
いじめ被害者の過去に埋められた地雷を撤去しないまま現在に至っている事、その地雷は過去だけでなく現在も、未来も破壊しうる事に対して "責任を感じる" などという言葉で何が救われるというのか?
"自らの言葉で経緯の説明や謝罪をしてこなかった"事を保身だと言う割には謝罪だけして経緯の説明をしないのはなぜか?
結局彼が現在の自分に認めている罪は「自己保身」「ファンへの不誠実」だけで、しかも自己保身については舌の根も乾かない謝罪文の上ですでに保身に走っているようにしか見えない。
何度読んで納得できない事だらけで、この謝罪をもって禊、なんて到底受け入れる気にはなれなかった。
それは…
①:本件についての価値判断をして
自分はanond:20210718060231を書いた増田なんだけど、ほんとそう思う。
小山田の息子のTwitterで攻撃されているのとか見ると、どうかしてるなと思う
あと、ブクマカ達も普段から痛ニューやスポニチみたいなメディア馬鹿にしてるくせに、
今回は見事に乗せられて冷静さを失っているのが怖い
そりゃ、「障害者に全裸で縛ってオナニーさせてウンコ食わせてバックドロップ」のインパクトは強いよ?
でも原文みたらわかるけど、全裸で縛ってオナニーさせたのは小山田の先輩であり、小山田自身もヤバいと思ったって語ってるし
ウンコ食わせた描写なんかどこにも書かれていないんだから、あのセリフは過剰演出していた可能性だってある
(この辺は本人や編集者たちが口を開かない限りわからないところではあるが...)
小山田がいじめていた事は否定しないし許されることではないのはもちろんなんだけど、まずこのデマ部分を燃料に燃やされていることにも気づくべきだと思う。
大勢の中で「鬼畜で強者の小山田が障害者(弱者)を踏みつけてオリパラの表舞台に立つ」という
そういうことを言ってるじゃん。
小山田の邪悪さととんねるずのギャグとは「程度」が違いすぎるわけで
それを強引にひとくくりにして何かクリティカルな指摘をしているつもりになってるだけだよね。