はてなキーワード: ハップとは
覆水盆に返らず。世界は浄化されていく一方だ。ならば合法のうちに薬物は体験しておかなければいけない。
これこそ、マジックマッシュルームが根絶された後、石丸元章にドハマリしていた中高生の私にとっての真理だった。過ちは繰り返しませぬから。子供ながらそう心に誓った。
友人には「頭に障害が残ったらどうするんだ」と言われたが、田舎の県道のような人生に興味はないと答えていた。
大学に入るや否や、真っ先にDMTへと目を向けた。すでに違法化されていたはずだが、化学式を巧妙にいじったものが当時のインターネットでは堂々と販売されていた。
今ほど人が人に関心を持たず、ダークウェブ的なものがダークではなく、インターネットが安全や清潔さを気にかけず、すべてが大らかだった時代の産物。マジックマッシュルームには間に合わなかったが、この時は時代が私を迎え入れてくれた。
透明なガラスパイプをライターで炙ると、ケミカルな臭いが部屋に立ち込める。ボウルから逃れようとする煙を思い切り吸い込み、息を止めること数秒。足が消えていく。目を瞑ると、点のようになった意識が頭頂部へと上がっていく。頭の先、その先へ。
時間と空間が消滅する。始まりも終わりもない、無限のただ中で裸の自分が浮いている。あらゆる思考が乱暴に打ち消される。宇宙と合一したかのような感覚が延々と続く。天地開闢から自分が<今ここ、この瞬間>に在ることだけが直観で分かり、それ以外は無、一切の無である。
重力が気配を顕わにし、次第に自分が地面に俯せになっていることを理解する。地球に還ってきたのだ。身体という質量を再び背負わされる。
映画「ゼロ・グラビティ」で生還したサンドラ・ブロックが大地に立つ描写、あのシーンは真に正しい。一度重力を失った人間でないと、きっとラストは理解はしても共感はできない。
水がダクトを流れる音が聞こえてくる。日常へと回帰する合図。アパートの誰かが蛇口を捻ったのだろう。自分の認識を成り立たしめている時間と空間が、再び私を統御していく。
一切が洗い流され、生まれ変わったかのような感覚になる。川の中に身体を沈め、浸水洗礼を行う米南部バプティストも、きっと同じ体験をして信仰へといざなわれるに違いない。外に出ると街灯の光が私を優しく包み、吸い込んだ湿った空気が身体の中を循環していく。万物が自分の存在を肯定してくれた。
DMTが再び満足に効果を発揮するには、吸ってから最低でも二週間の空白が必要なため、購入した粉末をすべて使い切る頃には、販売サイト自体が消滅していた。
このロット以降、DMTの体験はしていない。次に生を心の底から実感したのは、610ハップとサンボールで硫化水素を作り、死にかけて這いつくばりながら窓を開けた時だ。純然たる好奇心と恐怖から生まれた自殺未遂。
高度に文明が進んだ生命体は、高度なテクノロジーが可能にした男女同権主義という究極の理想を追い求める結果として、地上の個体数を自ら減少させて(自浄作用?)やがて滅びていく、あるいは核戦争のような大量殺戮によって滅びる、そういう運命が決まってるんだろうな。このとてつもなく広大な宇宙で人類より文明の発達した生命体はどこかにいるはずで、今の人類ですらハップル宇宙望遠鏡で多数の居住可能な惑星を発見できているのだから、彼らにとって地球を発見し交信することなど造作もないはずなのよ。なのに今まで宇宙人が交信した痕跡がどこにも見当たらないということは、彼らはどの惑星においても、どこかのタイミングで皆滅びてしまったんじゃないかな。もしかしたら、人類もあと200年ぐらいで自浄作用によって滅びる運命になるかもしれない。
自浄作用は既に現れ始めてて、主要先進国と呼ばれる国々が軒並み合計特殊出生率の低下と将来の国の存亡の危機に直面しているのがそれなのよ。それはフェミニズムが蔓延したからでしょ(※だからフェミニズムが悪いと言っているわけではない)。これに対する反論としてフランスやノルウェーなんかで出生率は増加してるとよく言われるけど、それは移民という変数が大きく数値を押し上げてるだけで、もともと国籍を持ってる白人の出生率はとても再生産できるほどの出生率じゃない。フィンランドなんかは究極のフェミニズム国家で高福祉国家だけど、じゃあそのような国の国民が子供生みたいのかと言うと、むしろ個人主義が強まっていて、子供を産まないという選択をする無視できないぐらいの数の人がいる。
でも結局、文明が発達した生命体ならどの種族もこの流れに収束していく、もしくはしていったんじゃないかなと思うわけよ。アダム・スミスじゃないけれど、神の見えざる手が働いてるんじゃないかな。だから高度に文明化した種族は、自浄作用によっていつか滅びる。そうして宇宙の中の生命体は循環していくから、地球にも宇宙人が現れることはないんじゃないかな、そう思うのよ。
で、こうやって考えていくと、ネット上の過激なフェミニストの主張も寛容になれるかもしれない。ああ、人類の文明は行き着くところまで行っちゃったんだな、あとは滅びるだけだなと冷静な気持ちで見れるしね。リチャード・ドーキンスじゃないけど、利己的な遺伝子の行き着く末を穏やかに傍観する、それもアリだと思いますね。
俺は今まで苦痛を感じながら生きてきた。苦痛から逃れるために自殺することを頻繁に考えるような人生を送ってきた。そして年々苦痛は増大する傾向にある。
こういう状況で不治の病に侵されていることが判明した。それまで出来ていたことがどんどん出来なくなっていくような病気だ。それは予想以上のペースで辛さ・死にたさが増していくことを意味する。今でも十分苦しいのにこれ以上の苦痛になんて耐えられる訳がない。
さらに悪いことに病気の進行具合によっては自殺する能力すら奪われるかもしれない。そうなったらもうおしまいだ。気が狂いそうなほど生きるのが苦しくてなって自殺することでそれから解放されようと思っても自殺する能力がないなんて!
そんなのはあり得ない。何としてでも回避しなければならない。死ななければならない。死ねるうちに。身体の自由がきくうちに。
俺は苦痛を恐れる。苦痛から逃れて幸福になるために自殺するのに、失敗して後遺症が残りさらに苦しくなるなんて結果になったら元も子もない。死ぬなら苦しみなく、確実に死ななければならない。
でもどうやって?どうやったら確実に死ねる?
首吊りは定番だが失敗したときのリスクが高すぎる。実際俺の知り合いで首吊りに失敗して腕が常に痺れるようになった人がいる。
硫化水素は有望だったが政府の圧力によりムトウハップが入手不能となったので製造するのが難しい。政府は苦しみを終わらせる権利を奪うな。
電車の前に飛び込むのは痛みが怖い。意識を失うのにも時間がかかりそうだ。俺はこれ以上痛みを味わいたくないんだよ。
だが一つだけ確実に死ねる方法があった。二人以上の人間を殺して死刑になればいいんだ。早期執行を希望して実際にそうなった宅間守の例もあるしこれなら十分確実だろう。ああ慈悲深き日本の司法制度!二人以上殺すのは車を借りて小学校の集団下校の列に突っ込めばいいだけだから簡単だ。俺の自殺の犠牲になるのは可哀想だが正直自分以外の人間が苦しむのは俺自身の苦しみと比べれば瑣末な事だ。
確かに去年の自殺者は三万人を切ったかもしれない。しかしそれは表面上のことだ。民主党政権があの手この手で自殺する手段を奪い苦しみを終わらせる権利を剥奪した結果だ。苦しみから逃れる手段として自殺を選ぶのに、その手段を奪ってただで済むと思うなよ。自殺者は減ったがその分苦痛を抱えながら生きる人間は増えた。そのツケを払うのはお前達だ。
このひずみはいずれ社会問題となるだろう。その前に政府は安楽死施設を作れ。俺が人を殺す前に。いいや、無数の俺のような人間が苦痛からの解放を目指して殺戮を行う前に。
俺にも才能が無かった。
4年間学んだところで、今現在スタートラインにさえ立てていないということ。
とれて当然といわれる必修授業もいくつか落としてきた。
単位を取ったと思えば抜けがあって(資格用の単位)、来年から科目履修生で週1登校。
基本的に要領が悪いのだ。運も無い。
そのくせ自意識だけは一丁前で分からないところがあっても教授に聞けず、
論文のどこで詰まっているかも分からない。
自分をどんどん追い越していく様を見て焦っている。
隣の芝が青いのか、自分の卒論がどうしようもなく駄目なものに見えてくる。
何とか見栄えのよいものをしあげようと焦っている。
けどどうしようも無く書けない。
で、昨日教授のところへ行ってきた。
授業でちょっとほめてくれた別の教官のところへ
で、すっごくやさしく諭してもらって
結果「今やってるものは見栄えがする分野だけど、自分の本当にやりたいものをやる」
という軌道修正。
宣言しているテーマとは少しずれてしまうし、
いまからやり直したのでは卒業がどうなるか分からないけど
自分が納得することに対して真剣に取り組む。という初心を思い出せた。
結果はどうなれ。
言わなきゃなんない気になってさ
もうちょっとやってみない?
このエントリのブクマコメント見て、マスゴミは~を知れみたいなものがまあ多いこと多いこと。
おまいら、ネットはいつまでもテレビより影響力が少ないなんて思ってないだろうな?
漏れは思うぞ。
もうネットのほうが影響力は強いとな。
ネットにいる香具師はな、情報を投げる力がテレビの視聴者に比べて凄く強いんだ。
見る→話したくなる→話す
このプロセスの最後を考えてみるとだ、
テレビは精精一緒にテレビを見ている人や、仲のいい友人くらいなんだな、伝える相手は。
情報を伝えられるのは1日に2,3人、1週間で20人程度だろう。
それに比べてネットはどうだ。
すげーぞ、一回の投稿で不特定多数の人に情報を伝えられるんだ。
ホッテントリの影響力なんて目に見えにくいだけで、
これを実生活でネットあまりやらない香具師なんかに話すと食いつきがはんPANEEEEEEEEEだ、
最近のおまいら風に言うとな。
まあこれはネタだけど、ネットのニュースなんかも似たような反応だ。
ネットにいる香具師は情報の引き出しが多い香具師が多いからな、人気者が多いんだ。
ホッテントリの内容、ブクマコメの反論なんかを頭に入れて話せば、
様々な側面から問題を面白おかしく論じることだって可能だ。
そういう話を面白いなと思いながら聞いてる香具師に、そいつの化けの皮を剥ぐことは出来ない。
マスゴミが騒ぐより、おまいらが騒いだほうがよっぽどひどいことになるんだ。
それは場合によって抑止力になりえることもある。
ネットがきっかけで救われた人も多くいるだろう。銚子電鉄とかな。
でもな、抑止力にならない場合もいっぱいあるんだ。たくさんある。
そういう話は2chでしろ、な?
2chは世間一般で「信じるのは馬鹿らしい」ってイメージが出来上がっている。
世代関係なくな。
そういう役割を担ってるんだ、2chは。
情報を鵜呑みにする香具師が悪いって思う香具師もいるだろうな。
そういう香具師をコントロールする役目は漏れを含めたおまいらがなんとかしないとならん。
近所のばあさんの井戸端会議はコソコソとやってるのがいいんだよ。
今のおまいらは少し目立ちすぎだ。
全部が全部悪いとは言わん。
みなさんこんにちわ 僕のガラスの呟きを開いてくれてありがとう。
このコーナーではガラスのことやらなんかのことやら、なんだか訳の
わからないことまで書くことになると思うんだけど、そんな場面に出
会っても深く考えこまないで下さいね。なんといってもこれはすでに
ボケ一歩手前まできている、僕の呟きなんですからね。
僕がこのコーナーを企画したのは最近も最近、ほんの先日のことな
ですが、実は掲載するにあたって参考にした叩き台の文集があるんです。
それは自分の口から云う事こそ恥ずかしいことなんですが、僕の半生記
という凄いヤツがあって、そのタイトルは生意気にも「人生はセピア色
に映えて」という、恐れ多い私小説なんです。もちろん作家はどこかの
小説家の大先生、といいたいのですが、とんでもネバハップン、自分自
身なんですよ。ホラ、以前によく流行ったじゃないですか、「自分史を
書こう!」なんていうコマーシャル。あれあれ、あの頃に近くに出来た
新しい電気屋さんから買い求めたワープロで製作した文集なんです。
ワープロっていうと、もう過去のものに聞こえますが、これは慣れるの
が大変でしたよ。読めば読むほどにわけのわからなくなる説明書を首に
っさげて毎日毎夜勉強しました。これくらい勉強してたら僕は、たぶん
訳のわからないガラス屋なんてやっていないと思うんです。
でも哀しいかな実際の僕は英語の方もからきしダメ人間で、どうにか日
本語でキーボードを打てるようになったのは、最初のワープロが傷だら
けになって、それからそれからズーッとズーッと後のことなんです。
もちろんワープロも幾度となく買い換えましてね。その後は小難しいパ
コンに代えて… という風に、 いまでは工房を訪れた皆さんとメール
の交換が少しだけ出来るようになりました。
それではとりあえず今後ともこのコーナーを宜しくお願いして、後日また
おはなしいたしょう。