はてなキーワード: 論法とは
Xで定期的にバズる話題として「弱音を吐く人に対してもっと大変な経験を語るのは駄目」というのがある。
例
A「10連勤つらかった」
X「つらかったでしょ、がんばったね」
Aの弱音に対してXの返答は許されるがYはNGだという。そしてそれはネット集合知の共通認識らしい。
これ、本当に一概にNGとしていいのだろうか。例えば以下の場合を考える。
A「両親が突然離婚した」
X「かわいそうに、つらいでしょう?」
わかりやすくするためXYともに極端にしているが、この場合だとYに嫌悪感がある人は少ないのではと予想する。
何が言いたいかというと、XもYもAのつらさを軽減する目的は一緒なのである。その上でアプローチの角度が違うだけ。
厳密に定式化するなら以下のような構造であろう。
X:相手のつらさを「過大評価」し、「こんなにつらいことがあったんならあなたがしんどいのも当然だよ」と寄り添う論法
Y:相手のつらさを「過小評価」し、「このつらさは実はそうでもないんだよ、大丈夫だよ」と激励する論法
人によってXがいい、Yがいいと分かれても不思議じゃないはずだ。
それぞれのデメリットをあげるとすれば、Xに対して「お前に俺のつらさが本当に分かるのか?お前は体験してないのに?」と思う人もいるだろうし、Y否定派(ネットの大多数がそうであるように)なら「今そんな話してねえよ!俺がつらい話なんだよ!」となる。もっといえば人によってはXを受けると「やっぱり俺は(客観的に見て)かわいそうな人間なんだ、つらそうなんだ」と思ってしまってもおかしくない。自分も正直、Xが安牌だとは思うがYを言われても違和感も嫌悪感もない。
ところが、ネット上またはおそらくリアルの現場でも暗黙のルール的に「Xが正解、Yはタブー」とされているのは興味深い。
どちらも目的は同じなのにアプローチの違いによってここまでYがタブーとされているのは、Yに潜む「マウント」や「自分語り」であったりの潜在的なコミュニケーション上のリスクがあるためであろう。または時代的にみんなで団結して巨大な悪に立ち向かおう、という姿勢のほうが共感されやすいのかもしれない。
触っただけ で暴行罪になるんですか??
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1430716084
触っただけで2年以下というのは
均等性が欠けます
な、司法するだけのことにこんなこねくった論理を弄ばなければならない法律なんて作っちゃう日本っておかしいだろ?
というか暴行罪って一つの法律で裁こうとするからだめなんだと思うわ。
軽犯罪法のやり方みたいな具体例を列挙する形のブラックリスト方式取って、刃物を振り回す行為とか駅や崖や階段のような危険な場所で突き飛ばす行為とか具体的に書けばいいじゃん。
屁理屈を言うな、その作品に出演することをもって出演者は間接的に客体消費に同意している
やめたら犯すか死ぬかの2択になる価値観の歪みが批判されてるんだと思うよ。
少子化するぞって国とかを盾にする人質論法してるから女性に相手にされないんだよ。
パートナーを得る努力が足りないんじゃなく、マイナスの努力になっちゃってる。
女性を対等な人間として見ずに、ハンティングの獲物としてしか見れてないんじゃないかな。
まあ努力は運もあるし仕方ない側面はあるけどさ。
でも男の人って、性欲をガマンするのとかは無理な感じなんだ?
ならせめて自分の意思で女を性搾取してるって認識しなよ、行動に責任を持ちなよ。
パイプカットまで迫ってる訳じゃなくて、こっちは単に性的消費してほしくないだけ。
せめて、建前でいいから、してないって子供たちの前で言ってほしい、それだけなのに。
例えば一緒に学ぶ対等な仲間のはずのクラスメイトを劣情の道具にするなんて、ありえないと認めてほしい、きちんとした手本になる大人の男性に。
未来は待ってくれない、すぐに女子児童のスナップ写真からその場でヌードを作れる時代になる。