2023-08-25

人の弱音に対してもっと大変な経験を返す構文は本当にNGか?

Xで定期的にバズる話題として「弱音を吐く人に対してもっと大変な経験を語るのは駄目」というのがある。

A「10連勤つらかった」

X「つらかったでしょ、がんばったね」

Y「俺は20連勤やったことあるからまだ大丈夫だよ」

Aの弱音に対してXの返答は許されるがYはNGだという。そしてそれはネット集合知共通認識らしい。

これ、本当に一概にNGとしていいのだろうか。例えば以下の場合を考える。

A「両親が突然離婚した」

X「かわいそうに、つらいでしょう?」

Y「日本では3割は離婚してるんだから普通だよ」

わかりやすくするためXYともに極端にしているが、この場合だとYに嫌悪感がある人は少ないのではと予想する。

何が言いたいかというと、XもYもAのつらさを軽減する目的は一緒なのである。その上でアプローチの角度が違うだけ。

厳密に定式化するなら以下のような構造であろう。

X:相手のつらさを「過大評価」し、「こんなにつらいことがあったんならあなたしんどいのも当然だよ」と寄り添う論法

Y:相手のつらさを「過小評価」し、「このつらさは実はそうでもないんだよ、大丈夫だよ」と激励する論法

人によってXがいい、Yがいいと分かれても不思議じゃないはずだ。

それぞれのデメリットをあげるとすれば、Xに対して「お前に俺のつらさが本当に分かるのか?お前は体験してないのに?」と思う人もいるだろうし、Y否定派(ネットの大多数がそうであるように)なら「今そんな話してねえよ!俺がつらい話なんだよ!」となる。もっといえば人によってはXを受けると「やっぱり俺は(客観的に見て)かわいそうな人間なんだ、つらそうなんだ」と思ってしまってもおかしくない。自分も正直、Xが安牌だとは思うがYを言われても違和感嫌悪感もない。

ところが、ネット上またはおそらくリアル現場でも暗黙のルール的に「Xが正解、Yはタブー」とされているのは興味深い。

どちらも目的は同じなのにアプローチの違いによってここまでYがタブーとされているのは、Yに潜む「マウント」や「自分語り」であったりの潜在的コミュニケーション上のリスクがあるためであろう。または時代的にみんなで団結して巨大な悪に立ち向かおう、という姿勢のほうが共感されやすいのかもしれない。

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