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はてなキーワード: 公言とは

2012-01-08

好きな女性と弱い女性

好みと相性のギャップの話。

とても気が強くて気難しい女性が大変好きなのだが、いかんせん本当に身近にいるととってもうっとおしい。

ぶりっ子や男に媚びるタイプ女性を、「んな奴見ると殴りたくなる」なんて公言してるけど、いざ仲良くなったりするとものっっすごく萌える

2012-01-02

http://anond.hatelabo.jp/20120102094022

クリエイターが思い上がってるのではないか、という増田意見には同意

俺が異業種から出版業界転職した時に猛烈に感じたのがその種の「思い上がり」。

特に年配の人間がそれを公言してて、

「俺たちは雑貨を作ってるんじゃないぞ。文化創造してるんだ。 舐めるなよ」

というセリフを常にどこかで聞かされて、辟易したものだ。

20代、30代はそこまでバカじゃないけど、やっぱりその手の根拠のないプライドがやたらと高い。

不愉快まりなかった。

ただ、エントリの後半で、増田が今話題の自炊代行業者への提訴まで、思い上がりのなせる業だと判断したのには同意できない。

これは豊かな文化を守るための戦いだと考えるからだ。


昨今の書物の電子化を求めるネット利用者からの声は、確かに大きい。

だが、音楽業界をみて欲しい。

音楽ダウンロードが安易に出来るようになった結果、人々が音楽お金を払うことをバカバカしく感じるようになった。

音楽業界お金が落ちなくなり、業界人が食えなくなり、業界に余裕がなくなり、面白い新人が育たなくなり、大手の寡占化が進み。業界自体が衰退して、愛好家以外が音楽を聞かなくなった。

文化が衰退するときは一気に衰退するいい見本だ。

必ずしも安くて便利にすればいいというものではないのだ。

「便利だから」「安いから」

という理由で電子化が進み、出版業界お金が回らなくなれば、良質な活字文化崩壊する。

それは文化の繁栄に、結局は繋がらない。


増田のいう如く、出版業界は娯楽産業だ。

なくて困る類のものではない。

からこそ、市場には馴染まない。

市場の短期的なスパン文化育成のために必要なスパンはあまりに周期が異なるからだ。


衰退した音楽業界に比べて、成功しているのが宝石業界だ。

デ・ビアスという会社世界ダイヤモンド市場を牛耳り、価格統制を敷いている。

しかしそのために、価格の値崩れが起こらず、業界全体は繁栄を謳歌している。


出版物を電子化から守ろうとするのは、業界にカネを還流させるために必要な行為であって、出版業界関係者の思い上がりとは分けて考える必要がある。

ただ作家達も、書籍電子化自体に反対すればいいのに、そこに反対すると、頭が古いとか利己的だとか思われるのを嫌ってか、自炊代行行為にのみ反対し、その根拠を「書籍への愛」などという感情論に持っていくから、下心を隠しているようで、人々の支持を得られていない。

残念でならない。

2011-12-27

ヤられ女の言い分

って、同郷の作家の本があったっけか。

高校生のころ、学校帰りに図書館に寄っては

内田春菊にとどまら

エロそうな本を片っ端から借りておかずにしていたわたくし。

何もないときは、携帯メール画面に「ああああんんっ」

とか「いやあああっ」とか打ったものをおかずにしていた。

こんな屁みたいなもんでじゅうぶんおなか一杯になっていたもんだ。

今は飽食の時代

エロ小説のあえぎ声位じゃびくともせん。

漫画臨場感が足りない。

S級女優可愛いだけ。いかねぇし。

パイパンも見飽きた。

外人のでか尻でか乳大きな喘ぎ声もなかなかよかった。

パイパンにあなるは最高。

けど見飽きた。

びくりともしなくなった贅沢まんこが、

さらなる刺激と快感を求めて私を検索の鬼にする。

そして掘り当てた、最近の金鉱脈

それは「人妻 熟女」です。

ほんと、なんてエロいのかしら彼女たちは・・

いきっぷり、感じ方、体つき、した使い・・

いい。

ピース綾部熟女好きを公言してはばからないのも頷ける。

熟女にはまったらもう戻れないね

once you know a MILF, there's no going back.

おすすめシリーズ

人妻熟女 癒し系」です。

パート28特におすすめ

高倉彩音はえろいな。

演技がよろしい。

エロの道は深い。

わたくしも負けないくらいエロを磨こう。

来年抱負

2011-12-12

妻がワナビになった

15年前に出版社短編賞をとったから才能があると公言してはばからないが

調べたら受賞者で本を1冊でも単独で出版した人は10人中2人しかいなくて

その他は雑誌に数回ぐらい短編投稿して終了してる。

共働きだったのに転勤を機に仕事フルタイムから週2日勤務に変更。

その分、家事をしてると言うんだが週3日の晩御飯と週2回の洗濯、週1回の掃除のみ。

空いた時間でずっと執筆活動してるわけではなくて、1日のほとんどを図書館で借りた小説を読んですごしてる。

賞に応募して落ちたら世の中には私の才能がわかってくれる人がいないと文句を言う。

趣味レベル執筆作業するなら別に構わなかったけど、

仕事辞めて、生活費負担するほどはサポートしたいとは思わない。

年が明けたら離婚を言い出そうと思う。

出版社マジ恨む。

2011-11-29

橋下さんの「やり方」を「自信」だと思っている人たち

 橋下さんを支持する人って、変化を求めているわけでも、指導力を求めているわけでもなく、価値観が多様化しすぎた世の中に答えを求めているんだと思う。もちろん橋下さんだって答えなんか知らないし、何もかもが初めてで不安でいっぱいなはずなのだけど、本人も公言している通り「やってもやらなくても文句を言われるのならやったほうが良い」というスタンスがために、あたかも自信満々で答えを全て知っているかのように見えてしまう。それが橋下さんの政治の「やり方」だと分かったうえで、橋下さんの政策に票を入れるというのなら良い。だけど多分、橋下さんに投票した人のほとんどは、橋下さん本人も本当の答えを知らなくて不安であるということを想像した事がないのではないだろうか。そういう人が、橋下さんの政策が「運悪く」失敗に終わってしまったとき、真っ先に「騙された」というんだろう。

2011-11-24

ももクロ流行らないのは批評先行だから

ももクロは今より売れる可能性はあっても、アイドルにおいて覇権を握る、今で言うAKBポジションに着くことは到底有り得ない。その理由を記述する。

(1)ファンが批評

もう、これでここで言いたいことの8割は言ったのだが、今のところ”ファン”を自称する人間のその多くが批評的な人間であるということだ。

AKBもかつてはサブカルだった。どサブカルだった。秋葉原劇場を持ち毎日公演を行い、謎の選挙システムを有する。いかにもであるしかし、このAKBの流れを汲み取り切れなかったのが2000年代後半のサブカルチャー批評だった。かつて文芸批評家宇野常寛氏は、ニコ生番組において「2011年に入るまでAKBに注目できなかったのは失態」と語ったことがある。

この発言はサブカル好きのトラウマそのものでもある。

AKBは上記にあるように、サブカルを代表させるにはうってつけのシステムを持っていた。これを批評的に分析できたとしたら、どれだけ楽しかったことか。そして今の流行先見の明を持って解き明かせたら、どれだけどや顔できたことか。しかし、その間もなくAKBサブカルとは呼べないレベルの現象になってしまった。

今更AKBを語るのは、サブカル的には”カッコ悪い”。(前述の宇野氏は、現在ではAKB批評分析を、同じく批評家濱野智史氏と共に行なっている。このあたりは、ポップカルチャー批評対象とする宇野氏スタンスに適っている。)

しかし、AKBには一個弱点がある。それはデカくなりすぎたことだ。デカくなればそれの粗探しも容易である。後は、「じゃあ何だったらいいんだよ」と返されたときに持ちだしてこれるモノがあれば良い。

その「持ちだしてこれるモノ」がももクロである

ももクロ以外のモノではダメな理由がある。それは、現在ももクロ以外の各レーベルが売り出すアイドルグループは、方法論やコンセプトがあまりに凡庸、古典的なのだ。

「◯万人の中から選ばれた◯名」「毎日時間のレッスンを重ね、△△より上手い、歌とダンス

こんな売り文句に飛びつけるわけがない。

そして、ももクロでなければならない理由もある。

そもそも、AKBのコンセプトとは何だったか。それは「会いに行けるアイドルである

対してももクロのコンセプトは。そう、「いま、会いに行けるアイドルである

ももクロの結成は2008年。この時、既にAKBは前年に紅白出場を達成、またCDの販売方法独禁法に触れる恐れがあるとして販売中止、回収騒ぎになった年でもある。

当然ももクロ側にも、メジャー化して「会いに行ける」というコンセプトの維持が難しくなったAKBへの対抗意識があったことは間違いない。

この、売り出し側の「アンチAKB」的方法と、買い手側の「アンチAKB」的精神癒着により、現在ももクロ人気は成立している。

そして、この一点のみで自称ももクロ”ファン”は、ももクロ”ファン”を公言している。AKBによって市場規模の大きくなった「アイドル業界」において、敢えての選択としてAKBではないグループを応援するという、サブカル精神にとって心地よい味を提供してくれるのがももクロというわけである

そして、この手の”ファン”は、小規模な経済活動である間は良いが、規模の拡大に寄与しない(大量購入などのオタク的消費は行わず、あくまで必要最低限のモノしか買わない)うえに、そもそも規模が拡大していくことを嫌う。

小規模の間は、勝手に”ファン”がももクロのいちいちの行為について言説的補強を行なってくれるので、界隈の巻き込み力がある。しかし、その界隈も一定数を超えると限界が出る。しかオタク的消費を好まないから、数の飽和イコール売上の飽和ともなる。(ここでは、大量に購入させるような商法(いわゆるAKB商法)が倫理的にどうであるかとの問については答えない。簡単に私見を述べれば、独禁法に触れるようなもの、つまり付録バリエーションを増やし購買意欲を煽るようなものは問題であると思うが、握手券や投票権を求める購買行動については売り手側の責任は無いと思われる。)

以上が、批評系”ファン”が多数を占めることによる弊害と言える。

(2)可愛くもないし、一生懸命でもない

というのは流石に言いすぎだが、他と比べてそこが際立つわけではないということである

よく、”ファン”はこの2点を強調する。そして、「だからこそAKBより良いのだ」という。

しかし、はっきり言って客観的に見て可愛くはない。特に緑。

ただ、言いたいことはわかる。

例えばAKBのファンも「◯◯が可愛い」と言う。この◯◯には、例えば高橋みなみとかが入るわけだが、はっきり言って可愛くはない。「前田敦子が1位である意味が分からない」という声もある。

こういう場合、その対象がAKBであろうとももクロだろうとなんだろうと、ファンたち何も容姿の美しさ単体で「可愛い」という形容詞を付けているわけではない。そこには、それぞれ固有の物語コンテクスト見出して「可愛い」と言っている。それがAKBで言えば、「エケペディア」に象徴されるデータベースから個人個人のエピソードを上手く消費するという行為であって、そしてそのパブリックコンテクストに加えて握手会というプライベートコンテクストを加えることで、ファンのメンバーに対する<愛>は蓄積される。

からオタク層以外には「AKB前田敦子が1位である理由」なんて分かるはずがない。というか必要がない。そのコンテクストを共有していない人間に理解される必要などないからだ。

貴方達は皆、ミス・ユニバース選考に100%納得しているのか。ミス・ユニバースは、ミス・ユニバース内部のコンセプトに基づいてミス・ユニバースを決定するのである。そこにおいて、容姿というのは評価の1項目に過ぎない。その点を理解している人間がどれだけいるか

この理解で言えば、「ももクロメンバー可愛い」というのも同じ文脈で捉えることは可能であるしかし、ここに一点だけ差異がある。

それは、アイドルとして扱われるか否かである

前田敦子が可愛くないとみんなは言う。なるほど、確かに私もそう思う。(ただ、たまに奇跡的な瞬間があることも知っている)

では、テレビでそれを言ったらどうなるだろうか。本人の目の前で「可愛くないねー」と前田敦子に言ったらどうなるだろうか。Mステタモさん前田敦子に「顔のパーツ中心に寄ってるよね」と言った時のスタジオ空気を知らないのか。

著名人AKBに関する批判的コメントは多数ある。ただし当人がいない所で、である。このことが結構大事であって、それは「そんなに可愛くなくても可愛いものとして扱われること」が究極的なアイドル性だと考えるからだ。

前田敦子はその点で究極的である。一方でコンテクストを持つオタク達による支持を受けAKBトップとして君臨し、もう一方ではそのコンテクストを持たない一般メディアにおいて「AKBトップであるということを理由に支持される。この時、両者は同じように前田敦子に接しているように見えるが、その内実は異なる。

前者は本当に可愛いと思っており(何故ならコンテクストがあるから)、後者可愛いことになってるから可愛いとしているだけである。(何故ならコンテクストがないから)

そしてその内に、そのコンテクストを持たない者の間にも「可愛い」という意識は一部に伝染する。あくまでも一部ではある。板野友美女子高生に人気があるというのが都市伝説かどうかは、私には接点が無い存在である故確認できないが、そういう可能性がありうるのがこのような状況である

可愛い人に可愛いというのは当たり前だし、ブスにブスというのも当然である。そこを転倒させることができてこそ、真のアイドルではないのか。(筒井康隆「薬菜飯店」収録の「イチゴの日」という短編を見よ)

翻ってももクロ鑑みるに、この点が厳しい。コンテクストを共有する者の間で「可愛い」は流通するかもしれないが、コンテクスト外のメディアにおいては厳しい。(「ゴッドタン」をはじめとするバラエティ番組での扱いが顕著である。ただし自らの冠番組においてMC芸人にどう弄られようと、それはファンにの流通するパブリックコンテクストを補強するイベントに過ぎないので全く問題はない。)

まりももクロアイドル性を保つのが困難なほどバラエティ性を現時点で持ってしまっているので、コンテクストを持たない者に「可愛い」が流通しにくい状態となっている。

から可愛い」と認識させるためにはコンテクストを持たなければならないわけだが、ここでももクロ”ファン”が批評であることが弊害になる。

彼らは口うるさい。見る前からあれがいい、これがいいとこれ見よがしに自らの批評眼をアピールする。そしておそらく、この手のももクロ”ファン”はAKBオタクなどよりも、音楽偏差値(というものがあれば)は高いし、現代思想にも詳しく普通意味での偏差値も平均すると高い。

皮肉にも、このことがももクロを好きと公言するのに、もしくは積極的に見ようとする心に障害となる。

彼らは知りすぎている。目が肥えている。そんな彼らが「良い」と言うのだから、「良い」に違いない。しかし見てもよくわからない。可愛いような気はしないし、踊りもなんだか凄いがとりあえず可愛くはない。けど「良い」らしい。なぜ僕はわからないのか。

対してAKBはどうか。オタクキモい。なんかオタ芸してるし、CDめっちゃ買うし。だからあんなものを理解しなくて構わない。仮に少しでも引っかかることがあれば、とりあえずそのままその波に飲まれてしまえばいい。どうせ彼らオタクは周りに新しいファンが増えようがどうでもいい。どうせならもっと売れなくなればチケットも取りやすいのにくらい思ってる。

私は、このコントラストが大雑把にはあると思われる。そしてこのことが、「可愛い」というお札が流通しない/する要因となっている。

もう一つ、「一生懸命」について言えば、この言葉はかなり頻繁にももクロを持ち上げるものとして使われるが、端的に言おう。

そんなのみんな頑張っている。ただそれだけだ。

ダンスや歌のレッスンは、皆どのアイドルグループ一生懸命やっているのだ。所詮、「アイドルなのに顔芸をやる」という点においてのみ「一生懸命の差異」を見出してるにすぎない。

私がここで「自称」とか「ファン」を” ”で括るのは、彼らが本心からの好意ではなく、「AKBというサブカルの隆盛を見抜くことができなかったコンプレックスの解消手段」としてももクロを利用しているように見えるからである

結局のところ、ももクロを今以上に流行らせ、AKBに取って代わりたいのであれば、自称ももクロ”ファン”達がそれを名乗るのを辞める他ない。

最後一言

早見あかり頑張れ。

2011-11-20

女が男の友人や知人から性欲対象に見られない方法

http://anond.hatelabo.jp/20111119182545

赤の他人なら仕方ないかもしれないけれど、男の友人や知人から性の対象として見られているなら、

あなた責任があると思う。

男の友人や知人から、性欲対象に見られないためにはどうしたら良いか

事実がどうあれ)マグロであることを公言すれば良い。

挿入されても、何も感じない。気持ち良いことも、気持ち悪いこともない。何も感じない、と。

セックスが好きオーラを出していると、そりゃ性の対象になる。

また、セックスが好きではないと言っていても、性の対象になる。

なぜなら嫌がるのを抱きたがる男も多いから。

セックスに対して何も言っていなくても性の対象になる(想像される)。

から最初からおっぱい揉まれても感じない、チンコ挿入されても感じない、濡れることもない、

セックスしても表情も何も変わらないマグロから抱いても楽しくないよ、というように予め公言しておけば良いよ。

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