はてなキーワード: レッテルとは
契約社員として働いていた会社の契約期間が切れて、就職活動をしてみたがうまくいかず、
親と個人的に仲のよかった当時の重役が引っ張ってくれて、正社員にしてもらったのだ。
(一応言っておくと、親が重役に対して頼み込んだりとかはしていないはず。親を介して、重役と僕自身が個人的な知己を得ていたという話である)
最近、正社員になって以来かかわっていたプロジェクトが解散になって、別の部署に異動になった。
異動にあたっては人事の人に希望も聞かれたし、その上でいろいろな部署に当たってくださったようなのだけど
「そんな人はいらないです」って、大体そういう反応だったらしい。
そんな中でなんとか受け皿になってくれたところに今いるというわけだ。
ちなみに話を聞いていくと、どうやら正社員になる際にも、件の重役以外からは「あいつはやめといたほうがいい」と反対があったらしい。
すべてはその人の温情だったわけだ……ちなみに、その人は定年でもういない。
当時の偉い人のひと声でしかたなく採用して、正社員だからクビにもできず、人事の人からすれば一番めんどうなお荷物社員ですよね。
親や友人、いろんな人に相談して、たぶん返ってくる言葉は決まっている。
「今の時代コネでもなんでも正社員になれただけありがたいんだから、お荷物でも鼻つまみものでも平気な顔をしてしがみつけ!」と。
自分は根本的な社会能力が本当に欠如しているし(税金の支払いとか、そもそものコミュニケーションスキルとか)そうするべきだというのも痛いほどわかる。
でも……
自分はここにいていいのだろうか、というこの思いは、どこに向ければいい?
(もちろん、今いる部署でできるだけの努力はする。その上で、一度ついてしまったレッテル、マイナスの評価とどう向き合っていけばいいのかという話なのです)
仮に偏見からの議論であるとしても、言論に対し「先制警戒で攻撃」されることに「文句を言えない」世界こそ表現の自由が死んだ世界なのではないかな。
『偏見からの議論』で即規制しようとしたり、表現者や反対者を児童ポルノ製造者だの性犯罪者予備軍だのエロの自由戦士だのレッテル貼って集団リンチしてきたのだから、
そりゃ警戒されて攻撃されても仕方無いでしょ。
他人を殴ったり燃やそうとしたヤツは反撃される、それもまた表現の自由だよ。
所詮元増田は、リベラルとかいう自称正義の表現規制蛮族の側に立ってポリコレ棒で一般人を脅して叩いている表現の自由しばき隊に過ぎない。
糞みたいな偏見を児童保護・女性差別反対の美辞麗句でコーティングして、その実自分の「好き放題気に食わない男(オタク)達をぶん殴りたい」という下劣な負の性欲を満たそうとしている
あなた達の暴走する自分勝手な正義感に巻き込まれる仲間達を、見てることしかできなかった。
悔しい、と思いながら。
自分の無力を呪った。
でも怖いことに気付いた。
あなた達、まさか、世界に一つだけの花 にも手を掛けるつもりじゃないでしょうね?
あの素晴らしい名曲。
紅白のトリとして年末を飾っただけじゃなく、卒業式で歌った子どもたちも大勢いるんですよ。
心の深い部分に、忘れられないピュアな思い出として刻まれてるの。
正義エンターテイメントに、子どもたちまで巻き込むつもりなら、今度の加害者はあなた達だぞ?
世界に一つだけの花を黒歴史にして、性加害ソングなどというレッテルを貼る気なら流石に許さない。
子ども達がアルバムをめくるたびに、歌を通して性加害構造に加担したかも、などと反省するような未来には絶対にさせない。
言うまでもなく性加害を擁護するつもりはないけど、便乗して弱いものイジメをする投石者にも味方する気はありません。
被害者に罪がないように、歌にも罪はない。
「表現の自由戦士」がヤヤコシイのは自称である点です。第一次的にはレッテルではないのです。一方、その属性を持たない者が属性を持つと思われる者に対して使うと、バカにしているかのようなニュアンスが出てしまうのですよね。難しいな、とは思いますが、根本的には自称なのでどうしようもない・・・
「ネトウヨ」がただネットの右翼という実態を言葉にしただけのもので、他に無難な言い換えようも何もない言葉なのに対し、「パヨク」ってそれに対抗して蔑称みたいなものを生みたいという謎の劣情から生まれたレッテルなので、空虚なものにしかならない。ということが、ネトウヨには理解できない。
そういう言葉を無理に作ろうとすること自体に、「蔑称」「差別用語」を使って何かを侮辱したいというネトウヨ心理の知性のなさ、醜さそのものが現れているという、本当になんか救えない現象だよなあ。
「蔑称」を捻り出すことと批判をすることの区別がついてないから「ネトウヨ」って「カテゴライズ」をされることが、本人たちには永遠にわからない。
リベラルが愚行をしないわけではないので、それを普通に論うことばなんていくらでもあるんだけど、それを思いつかないのか、それ(論理的で、汚くない批判)に満足できない汚言症だからか、軽蔑に「対抗」しようとして、よりネトウヨと呼ばれるような存在になるネトウヨ。
ああ不毛。
もっと単純な話で、ネトウヨというレッテルの効果を過信してるだけだけだと思うよ
「あいつはネトウヨだから話聞く必要もない。ネトウヨに擁護されてる(私に都合の悪い)トランスも悪!」
彼らにとってネトウヨというレッテルは、海外でのレイシスト同様にすごい強い武器だからね