おまえが考えてもしょうがないだろ
じゃないとミイラ取りがミイラになるよ。
自民党が腐敗する
↓
↓
↓
自分達は正しいので考えていること全てが正しい
↓
正しい自分達と違うことを考えている人間は全員間違っているのでそれらに対しては何をしてもいいし何を言ってもいい
こんな感じでしょ?
自民党が腐敗していることと、それを指摘することと、それ以外の考えは全て別物なのに、それらの区別がつけられなくなってる。
誰だって正しい存在でありたい欲求があって、でも自分が何かをするとか考えるとかは面倒臭いからやりたくない。
気に入らない話が進むとファンタジーに逃げ込むのやめな?
俺は一人でドライブするのが趣味なんだが、こないだ田舎のサービスエリアで
車から降りてトイレに向かってたら、なんか駐車場で若いカップルが騒いでたんだよ。
何だろう?と思って見たらワンピース着てる女の子がいきなり彼氏に向かって
「ねえ、見て、早く!」
おいおい、こんなところでバカップルが何やってんだと思って眉をひそめながらも
まあ、俺は一応見てたわけよ。ふととも白いなって思いながらw
そしたら彼女のほうはパニクってる様子で「早く早く」って必死なんだけど
彼氏のやつ、あたふたするばかりで逆にスカートを押さえつけててさ。
ますます意味がわからなかったんだよ。周りには俺しか居なかったんだけど、
まあ、知らないおっさんに彼女のパンツなんて見られたくはないわなw
「早く!早く!」
「でも、、、」
「早く見て。お願い!」
そしたら覚悟を決めたのか、彼氏が彼女のスカートを完全にまくりげてさ。
慌てながら「どこ?どこ?」って言ってんの。
パンツなら眼の前にあるやんw
そのとき流石にガン見しすぎたのか、女の子と目が合っちゃってさ。
どういうわけだか女の子のほうから「ごめんなさい」のジェスチャーしてくるわけ。
俺はニコって笑顔で返してその場を去ったんだけど、意味がわからなかったよw
しばらく歩いてると、なんか問題が解決したみたいで彼女が「「あいつだ!」て
道路を指さしてるのが遠くに見えたんだけど、あれは何だったんだろう、、、
私が中学校の時の友人の話をしよう。名をMという。ガリガリでいつでもワンパンで倒せそうな子供だった。
Mは体育の授業の持久走では絶対に走らなかった。体育の先生は40歳くらいの柔道専門のいかにも強面の人で、いわゆる不良も体育の授業だけは真面目に受けていた。そんな先生相手にMは堂々と絶対に走らないと宣言し、牛歩戦術ばりのダラダラとした歩きを披露した。その光景はその先生を煽っているようにすら感じられた。
体育教師の怒声が飛ぶ。正座のために先生が指さしたのは日陰でもなく太陽が照りつけるコンクリートの上だ。気まずさが辺りを包み込む。みんなの視線を集めているMは無言で歩き出し、当たり前のように正座を始め、グデーと腕を伸ばし体を丸めてヨガのポーズみたいな格好をした。このポーズは彼がやる気がないことを全力でアピールするために愛用していたものである。
ある日の給食時間中、Mは心無いサッカー部の男子に「お前野菜とか食わないでデザートとかの美味しいものしか食べないな」と悪口を言われた。その日以来、給食時間には誰が何と言おうと頑なにあの謎ヨガポーズを取り続け一切給食を食べなくなった。Mのデザートはいつもそのサッカー部の男子がありがたく頂戴していたという、胸糞悪い話でもある。
あの謎ヨガポーズは彼なりの筋の通し方で、精一杯の反抗手段だったのであろう。非暴力・非服従のガンジースタイルで彼はいつも自分の気に入らないこと全てと戦っていた。
私が中学に入るとクラスに剣道の経験者がいた。入学したての時に、その子に誘われて軽い気持ちで見学にいくと、椅子に座らされて簡単には帰れなくなり、そのままずるずると剣道部に入ることになる。中学1年生の私を思いっきりビンタしたい。踏みとどまれよ。何せそれまでの私の人生に剣道との接点なんて何もなかったのだ。今思うと中学からいきなり剣道を始める方がどうかしていた。
そんなこんなで始めた剣道は、いかんせん面白くなかった。野球、サッカー、バスケなどと違い、剣道は遊びでやっても全く面白くないというとにかく救えないやつだった。暑い、臭い、汚いの三拍子そろっていた。
私は己がはまり込んでしまった剣道という沼に1人でも多く引きずり込みたかった。そして生贄としてMが選ばれた。多少強引とも取れる平和な交渉の末に彼は剣道部に入った。小学生のときは家にこもりがちだったMを外の世界に引っ張っていったので、彼の母には大層感謝された。WINーWINである。
ある日、Mは、アップの素振り中に、面・胴・小手のリズムで、めん、どう、くせ〜〜と叫びながら竹刀を思いっきり空高く放り投げた。Mは竹刀も拾わずそのまま部室に駆け込むと、周りの静止も聞かず、着替えてそのまま帰ってしまった。我慢の限界だったのだろう。そのまま自然な流れでMは剣道部をやめた。1年持たなかったが、今思い返すとよく耐えた方である。顧問4段、副顧問3段というガチ剣道指導者に囲まれた当時の私たちには逃げ場などなかった。中学から部活に入りそれまでまともな運動習慣がなかったMにとって、あの環境での練習に耐え忍ぶことは、想像を絶するほどのストレスだったのだろう。
生贄はいなくなったが私は結局3年間剣道に捕らわれたままで、高校になったら絶対に辞めてやるとのモチベーションだけで最後までやり遂げた。
Mには逃亡癖があった。自転車で実際に校外に出たのは1回や2回ではなく、駐輪場で教員や友達に捕まった未遂まで含めると1年で10回を上回る。駐輪場で確保された後に、教室に連れていこうとすると、自転車のチェーン式の鍵を持ち出して、近くの柱にズボンのベルトと絡み合わせて己の体を固定させて、「動けない〜〜」と手足をバタつかせてみんなを呆れさせた。自転車で学校からの脱走に成功したとしても、親の許可も得てないので家には帰れないし、インドアを極め煙草などの非行にも縁もゆかりもないMにいく場所などなかった。
Mは遊戯王にハマっていた。カードでも遊んでいたが、何より当時放送されていた遊戯王5DSというアニメにハマっていた。
「遊戯王のアニメって所詮カードを売るためのでっかいCMだろ」
と私がMに話した時、Mは口をパクパクさせて抗議の意をしめしてきた。私の失言癖は今も変わらないが、己の無配慮に今更ながら申し訳なく思っている。
Mは遊戯王5DSの敵キャラ・鬼柳京介(きりゅう きょうすけ)から大きな影響を受けており、中学2年生の一時期は事あるごとにこのキャラの口癖である「満足できないぜ」を連発していた。清々しいまでの中2病だ。当時の私はというと、Mが何か変な行動を起こすたびに、同じアニメのクロノス教授の真似をして、「ドロップアウトボーイなの〜ね!」と煽っていた。性格の悪い中2病だ。
Mは持ち前の地頭の良さを屁理屈にしか使わないので、学校の成績は壊滅的だったが、そこをイジるといつも半笑いでちょっと怒っていた。普通に学校生活が送れないという意味では、リアルガチでドロップアウトボーイであったMの言動は私を退屈させなかった。だからこそMと友達だった。酷い友情の形もあったものである。
不器用で要領悪いが自分を貫くMの姿に好感を持てた。多くの人が眉をしかめるMの言動も私は常に面白がっていた。
あの頃の私はM君係として周りに認識されていた。1年こそ違うクラスだがその実績が認められ、当然のように2. 3年生の時Mと私は同じクラスであった。奇行が目立ち何かと周りから浮きがちなMに対して、私は特別扱いして諦めずに、失礼なこともいう対等な友達として接した。
なぜここまで詳細にMのことを覚えているかというと、それは彼と過ごした中学生生活がかけがえのない色褪せないものであるからというのももちろんあるが、正直に話すと、今の私が中学校の特別支援学級の担任だからである。
特別支援学級にはMのような子が大勢いる。Mの特徴は自閉症に当てはまるのだ。今ならMはおそらく自閉症の診断名がつき支援学級に在籍しているだろうが、15年ほど前にそんなクラスは存在しなかった。ただ変わった子が教室にいつも普通にいて、私はその子の世話係的な役割だった。
ただのネトウヨおばさん
マジで意味分かんないだけど、サイゼはなんか酸っぱい感じがしてあんま好きじゃない。
何の料理が、とかじゃなくマジでなんとなく酸っぱい感じがする。
料理じゃなかったら何が酸っぱいんだよって思うけど、何かが酸っぱい感じがする。
水が酸っぱい訳でも、店自体の匂い(物理)や雰囲気が酸っぱい訳でもない。
実際行って飯食っても別に酸っぱくないんだけど、なんか酸っぱいイメージがある。
しょっぱい感じがする。しみったれた、の類語のやつではない。
要らない物だけどあっても困らない物は無くならない
要らない物だけどあっても困らない物は無くならない