2018-06-10

Twitterに「殺す」と書いて凍結されたけど心は未だ凍結されない

彼は8割方人間が詰まった山手線車内でそう言った。夕焼けが眩しく、移動中のサラリーマンも、僕らみたいな学生も、各々が干渉を拒み本や耳奥の音楽に逃げていた時に呟いた。

彼が降りる新宿駅に着く一瞬前に。

僕が語彙力の無さからインターネットの隙間に放り込んでしまうように、山手線の端の車両のそのまた端で呟いた。

「……そりゃ…そうだよな」

やめとけ、とか、ウケる、とか、軽く受け流すことはできたはずだけど、僕は妙に感心した。共感した。そりゃそうなんだ。インターネットの一サービス治安を守るためにルールをつくって罰を実行しても、なにも消されるわけじゃない。溜飲が下がるなんてことはありえない。僕たちは不器用で、真面目で、自分が憎らしいという当たり前の性質を持っている。時折手を伸ばした時にできるささくれに痛いと感じることも当たり前だ。

インターネットはつながるためにやっているわけじゃない。現実自分を消すためにやっている。「死にたい」というのはちゃんと訳せば「幸せになりたいけどそれがかなわないから痛みもなくここから消えていなくなってしまいたい」であり決して「手首を切りたい」とか「葬式をしたい」ということじゃない。ただいなくなりたい。そのためにインターネットに別の人格を預けるのは緩慢に自殺するようなものなのだろうか。自分ではない、誰かがいるかいないかからない場所で、めっぽう暗く、簡素言葉を落としたい。ただそれだけだった。

Twitterに『殺す』と書いて凍結されたけど心は未だ凍結されない」

そう言った彼は、山手線からつまみ出されるのだろうか。耳に届きギョッとした顔を見せた数人は彼を異常者だと思っているのだろうか。

僕は彼を諌めもせず、電車に載ったままで行き先を少し過ぎるまでボーッと、新幹線事件情報スマホで見ていた。

彼は夕焼けの色をする、もっと人間が詰まった中央線に予定通り乗り換えるだろう。そして明日も予定通り学校に来る。カバンに何が入っているか僕は知らない。

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