まあ、書き手がこう意図したと主張するんだったらいいんだけど、読み手の方が自分の意図を他人に押し付けるのはよろしくないな。
近くのコンビニ(セブンイレブン)見てみたがおむつ売ってなかったぞ
ティッシュは5個入りのが、トイレットペーパーは8個入りのがそれぞれいくつかあった
あと、生理用品がやたらあった。小さめのパッケージで10種類くらい
そんなに種類置く必要あるんですかね?
アールグレイは香がいいんだ
ま、それは誰でも知ってる。当たり前のことだ
爽健美茶を入れろ
1/5くらい入れるんだ
そうすると味があまり変わらない
俺は猫舌だから熱い紅茶が飲めなくて、かと言って濃いのが好きだから水で冷ますこともできない
そこで思いついたのが、そのへんに置いてあった爽健美茶だ
猫舌なら、いや猫舌でなくてもいっぺん入れてみろ。アールグレイの香をそのままに、ほのかに爽健美茶の風味ただよう紅茶になる
アールグレイうめえぞ
先日のミリ4thで見たPVを元に、ぼーっと思った内容を書きました。
結論ありきの文章なので、理論はめちゃくちゃです。あと、モバ稼働3年目くらいからのにわかなんで、それ以前は知りません。
今、シンデレラの勢いはすごい。ライブの会場は順調に大きくなり、ツアーも組めるようになった。
そんななかで本家とも言えるモバマスは、イマイチその流れに乗り切れてない気がする。
まぁ、ただ、ぶっちゃけデレステがなくてもアクティブユーザは減ってるんですけどね。
(デレステのサービスインである2015/9以前から減り続けてるらしい。)
参考 : https://ppdb.momoka-sakurai.com/stat
そもそもシンデレラが受けた点って、良くも悪くもアイドルが多かったことだと思うんですよ。
とりあえず触れてみれば、誰かしら「この子は!」ってアイドルがいる。
さらにそのアイドルを起点に、関連ユニットだったり、イベントで一緒になったアイドルだったり、言うなら「どんどん推しが増えて行く」状態。
そうすると有名な絡みは自然と、マイナーな絡みは自作自演的に二次創作とかが増えて行く。
どんどんコンテンツが広がっていくような感じがしたのです。
まぁ、それでも格差はあった。人気アイドルは目玉SRになり、不人気アイドルはおまけのRというのが多かった。
それでもイベントのライバルユニットだったり、メダルSRだったりとそれなりの出番はあった。
シンデレラも慈善活動じゃないので、リターンのあるアイドルに注力するのは当たり前だけど、それでも頑張ってた(と思う)。
そんな格差をちょこっと補うのが、イベントの多様性だったかなと(not イベ種類)。
単に札束で殴りあうフェスもあれば、ストーリー制のあるツアーもあったりした。
アイプロに限っても、ネギをバットにするユッキが居れば、お嬢様を目指す薫ちゃんも居た。
イベントを起点に、世界観を広げられる要素があったんじゃないかなーと思うのです。
よくライバルユニット一覧がTwitterとかで流れてますけど、実に多かった。
そこから絡みに目覚めた人も居るんじゃないですかね。
余談ですけど、アイマス自体の利点にアイドルに使い勝手が良いってのを聞いたことがあります。
アイドルが歌って踊るのは当たり前だけど、時代劇をしてもそれは仕事だと言ってしまえば納得させられるからだとか。
確かにガンダムが時代劇してたらおかしいですよねーと言う程度のお話ですが。
じゃあ、デレステはどうなんだという本題。
デレステのイベントは、もう曲ありきという時点で制約が多すぎる。
まず、世界観を広げようにも、それにあう曲が居る。そして歌う以上は声付きじゃないと無理ゲー。
さらにシステム的な問題か、イベントに出せるのは5人までという制約もある。
これじゃ、特定のアイドルを好きになっても、それ以上は広がらない。
しかも、声付きで回してる関係か、やっぱ絡みに限界があって、これもまた広がらない要因の一つ。
ヴァルキュリアとかは良かった印象ですけど、ストーリーはそこに居たるまでの日常だったのが残念です。
モバならヴァルキュリア世界感自体をイベントに出来た気もするのですが。
シンデレラの利点はアイドルの多さと、絡みの多さだった。そして、それに伴う世界観の広さだった。
しかし、デレステはその利点をどうにも生かし切れてない感がある。
デレステとモバマスをもっと絡ませれば良かったんじゃないですかね(鼻ホジ
いや、結論がほいほい出てくるなら増田に愚痴ってないで、運営にメールとか出してるわけで。
世界観が広くて、ユーザが勝手に妄想を広げてくれてると、運営は材料を提供するだけで良いかなと思ったりしますが、
デレステメインで行く限りは難しいんじゃないかなーというところです。
であるなら、まだ世界観を広げらせ続ける余地のあるモバマスと、勢いのあるデレステで絡ませれば、
デレステで稼いだユーザをモバに取り込み、自作自演でのコンテンツ活性化が見込めるかもという感じです。
そんなタイトルだけ書かれても実体験の描写もなくて燃やしづらい
【悲報】
クソだクソだと思ってた我が社、思ってた以上にクソだった
わざわざ消したみたいなので詳細に書いてくれることを祈ります
なんか、元々はてな上級民達と同じ意見だったのに、上級民達が反対派にこれがわからないなんてあいつらは馬鹿ですなとか皮肉がわからないようですねとか言ってるいつもの光景のを見るとなぜか賛同じゃなくてイラッとしてしまう。
集中力がない
1つの動作を完了する前に欲張って別のことも並行して行おうとしてかえって時間がかかる。
日常的に要領悪いなと感じる瞬間がある。
ニートです
ほんまぐったり
良いもの書こうがなにしようが閲覧なんてねえし、見られねえんじゃ善し悪しすらわからねえ
今日、上の子を幼稚園に送っていった後に下の子を連れていきつけの子育て支援センターへ行った。
そしたらフロアの片隅で赤ちゃんが哺乳瓶を抱えて一人でミルクを飲んでいた。それをちょっと離れたところから職員さんが見守っていた。
赤ちゃんはとてもご機嫌そうに足をバタバタさせていて、見守り役の職員さんや通りすがりの私と私の子供と目が合うとニコニコ笑った。赤ちゃんっていうのは何故かミルクやおっぱいを飲みながら人の顔をよく見るものだ。
そういえば私が子供の頃もこんな風に一人でマグマグを抱えて飲んでいたなぁと思い出した。
普通、3歳位までの記憶は綺麗サッパリ忘れてしまうものらしいけれども、私は、薄暗い部屋、ベビーベーッドに寝転んでマグマグを抱えて熱心にチューチュー飲んでいた時の事を覚えているのだ。しかしその映像を覚えているものの、当時何を思いながらそうしていたのかは覚えていない。しかし不幸せというよりどちらかといえば幸せだった様な気はする。
赤ちゃんのお母さんは、上のお子さんの遊びに付き合っていた。上のお子さんはまだ2歳になるかならないか位。まだまだお母さんに甘えたい盛り。たぶん年子の兄弟なのだろう。
どこんちもそうだろうけど、下の子が生まれた時は上の子が赤ちゃん返りをして大変だった。
当時の事は疲れ過ぎてたせいかあまり覚えていないのだけど、一日の大半を上の子に振り回されていた。
下の子は常に腕に抱きかかえておっぱいにぶら下げてはいたものの、あまりかまってあげる事は出来なかった。
慌ただしい日々のなかで強烈に覚えている事がある。それは夜、寝る前になると上の子が決まってママが良いと大泣きをしたので、下の子は夫に任せて私は上の子の寝かし付けにかかりきりになっていたときの事だ。
上の子は、下の子が泣き止んで静かになるまで眠らなかった。一方下の子は、私がだっこしておっぱいを与えるまでずっと二時間でも三時間でも、声が枯れるまで泣き続けた。
上の子がまだ赤ちゃんだったときは泣いたらすぐおっぱいをあげていたし、オムツでもなんでも待たせた事がなく、常にご機嫌でいさせる事が出来たから、下の子の、枯れ枯れの弱々しい泣き声を聞くと、罪悪感に胸を締め付けられる様だった。
下の子とも一応ずっと一緒にいたのはいたけれど、私は下の子がおっぱいを飲んでニコニコしているところを見た回数は案外少ないのかもしれない。
かといって上の子だって私は可愛いのであり、下の子が生まれた事で辛く寂しい思いはさせたくなかったのだ。
二人目を生んだ後、私の周りの人達の多くは「上の子を優先にするように」と言った。
上の子優先。
育児の常識はたった数年でコロコロ変わるので今はどうか知らないけれど、私が下の子を生んだ当時はなんだかやたらと言われていた様な気がする。
あまりにも言われているから、下の子を生む前は、それは多大な努力をしないと出来ない大層難しい事なのかと思ったが、いざ生まれてみたらさにあらず。
実際は、いやがおうにも上の子優先で全てが回った。
あまりにも上の子ばかりで下の子は放置しまくりだったのがずっと心に引っ掛かっていた。
上の子も可愛いけど、下の子にも上の子が赤ちゃんだった時の様にしてあげたいとずっと思っていた。
でも、子育てを助けてくれる人達は皆、私の意に反した手助けを申し出て来たのだった。
「赤ちゃんは見ててあげるから、たまには上の子ちゃんと思いきり遊んでおいで」
と家族に言われて、まだ帝王切開の傷が痛いのに、元気をもて余した上の子を連れて運動公園へ行き、滑り台やボール投げで遊んだり。
寝不足でフラフラしながら子育て支援センターへ行くと、口を開く前に下の子を連れていかれ上の子に「良かったね。久しぶりにママと二人きりの時間を楽しんでね!」と言われる。
違う、違うんだって!
……とは、あまり主張出来なかった。
たまに言えば、新しい赤ちゃんが可愛すぎて上の子のことが疎ましくなって締まったのか?と極端に取られてしまい、要らぬ心配をされたり非難されたりした。
どちらが可愛いかとかいう問題ではなく、私はフェアじゃない事を気にしていただけなのに。
一人目と二人目以降を同じくらい手をかけて育てるのは無理なのは分かっているけれど、あまりにも上の子優先に偏り過ぎており、私にはもはや「上の子優先」というのが宗教か何かの様に感じられていた。
皆、盲信しすぎ。
そんな、上の子無双だったあの頃の事を、床に寝転がって一人でミルクを飲んでいる赤ちゃんを見て思い出した。
その赤ちゃんのお母さんは久しぶりに上のお子さんとの二人きりの時間を楽しんでいたのか、それともかつての私の様に後ろ髪を引かれる思いなのかどうかは知らないけれど、ともあれ幸せな育児生活を送れますように。