レトロエンジニアのための近代Webフロントエンド事情 - Qiita
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javascriptなんて触るもんじゃないな。
厚労相‼︎
なんで育休期間を最長2年にする事が、仕事との両立支援になると思ってんの?アホか‼︎
厚労相って待機児童対策について、保育園通園してる子の保護者と、待機児童になった子の保護者を対象にアンケートとってたよな。
的外れな事すんなよ‼︎
働く親が欲しいのは育休最長2年なんかじゃないんだよ‼︎
妊娠と同時に、保育園に必ず入れる体制の約束が一番の支援なんだよ‼︎
仕事なんて、一ヶ月休んだだけでも置いてきぼり喰らうのに、2年もチンタラやってられっか‼︎
勤務先にとっても大損失だよ‼︎
育休期間延長すれば一安心って思ってるのは、あんたらとお役所の人間だけじゃん‼︎
0歳1歳が待機児童数多いから最長2年の育休延長って、ガキじゃねーんだしそんな安直な案出すなよ‼︎
もっと頭使えよ‼︎
映画は見てなくて百日紅とこの世界の原作を知っているだけだけど、百日紅は普通ではない人達の短篇が続く話で、この世界は普通の可愛い人が日常を送っている所に劇的で不条理な最期が来る話で、話としてまとまっててこっちのが映画には向いてると思う
共感をしたい、恋愛をみたい、泣きたい、みたいな需要にも答えてるし
主人公の可愛らしさや思想の押し付けの無さが普段戦争系を避ける人も捕まえたのでは
ネットで百日紅はタイトルからして海外映画賞狙いがうんちゃらとか原作ファンから結構嫌がられてるのも見たけど、この世界はやたらに絶賛が目についたのもあるな
かなり被害者意識に偏ってるなという印象
もちろん体を壊して心を病んだ状態なのだし、しょうがないとは思うけど
会社も産業医も法に触れるようなことをしてまで、新人の一社員の不利益になるようなことは普通はしない
得することなどほとんどなく、リスクのほうがよっぽど大きいからだ
元増田はまずは明るい気持ちで働けるようになるまで周囲を頼って仕事をしたほうがいい
仕事での行動権限を奪われただとか評価が下がっただとかいう、競争的な価値観は一時的に忘れて
手続き事で不安があるなら、問い合わせて事情を話せば比較的急いで回答を返してくれるかもしれない
あまり無理をせず、まずは体調を元に戻すことを考えた方が良いと思った
IT芸人枠について、コード書くときより誰が来るかなーとワクワクしながらイベントブースで出すおつまみ選んでるときの方が活き活きしてるタイプの社交性の高い職業エンジニアは広報ぽい部署にジョブチェンジした方がいいのでは、という気持ちは心の底からあります。
IT芸人的な人が評価されるためにITエンジニア全般に広報的役割を負担させるより、得意な人が技術系広報になった方が幸せでは、と。
会社の制度として、IT芸人大事、ならば一億総IT芸人的な雑い制度設計になりやすい会社があることを踏まえると、そう思います。
刑務所の手作業の家具作成なんて、CADとか当たり前に使う時代に需要あるか?
刑務所でCADから家具作成勉強できればCADを生かすほかの職種にも利用できるのに。
現状需要があって金も集まるけど、供給が不足している職業に対する再教育がなさ過ぎる。
職業訓練校で技能を身につけても技術が古いすぎて、再度就職したら本人の努力でイチから勉強する結果になって無意味だし
いまの、最初に手に入れた職能で失敗したらキャリアが終わる現状はなんとかならないんですかね。
走行中の自動車に衝突されると死ぬかもしれない程度に危険だが、「くるま、にげて」とならず、車から数メートルも離れていない歩道を平気で歩いているのは自分ところにやってこないという期待があるからなんだけれど
津波も1mはおろか30cmでも巻き込まれれば十分に危険ではあるが、水面が1m以上増水した時に浸水する場所が浜辺や河原、水辺など当然すぎる場所を除けば少ない
警告が
僕にとっては親愛なる「友」と呼べる人が2人いる。
彼らにとって僕は友人なのかどうかは定かではない。
彼らとの出会いは中学時代にさかのぼる。かれこれ10年前の話だ。
それからは、3人で同じ高校に進学したものの、大学からは3人ともばらばらになった。
けれども夏休みなんかには、3人で集まって、誰かの家に泊まったり花火なんかもした。
僕は、あの大学1年の夏に友人の家で食べたスイカと花火の臭いを忘れることができない。
本当に愛しいと思った。下手したら恋愛感情に変わるんじゃないかってくらい、大好きな友人である。
月日は流れ、僕は故郷に帰り就職した。大学4年のころには、彼らと連絡は取らなかったかな?おそらく。
ふと、思い立って友人の名前と趣味で検索をかけた。我ながら何とも趣味の悪い最低な人間だと思う。
電話やメールで連絡を試みたが、返事が全く無かったからだった。
ここで、潔く友と距離を置くべきことを受け入れるほうが良かった。
検索をかけているうち、彼ら2人が共同のホームページを作っていることがわかった。
其々が目標に向かって頑張っている様子が綴られている。それに比べて僕はどうなんだろう。
それと同時に、なぜだか寂しさというか吐き気とうか、出てこない涙がこみ上げた。
きっと、僕は鈍感で、彼らにとって何か嫌なことでもしたのかもしれない。
あるいは、彼らの成長にとって僕は必要ではないとうことなのかもしれない。
これから先、きっと彼らと会うことは、よっぽどのことが無い限り、無いだろう。
仮に、彼らと再会したとき、僕は彼らの友人として対面することができるだろうか?
元気でいてくれれば、それでいい。だけど、何故か寂しくてつらい。
もう、会うことが無いのなら、どうにかして伝えたい。