痛みならだいたいなんでも効くしジェルは子供に出すみたいだし副作用は少ないから子供でもいいのかと。
子供用の痛み止めあげてください。
ごめんなさい。すみません。
妻が独身時代にゲットした「銀座・松屋百貨店のプリペイドカード 約2万円分」というのが、
家の奥底を整理したら、出てきた。
仕方ないから百貨店で買い物しなきゃならないが、改めて考えても「百貨店で、買いたいものが、ない」
強いていえば紳士服かもしれないが、青山とかコナカとかで半額以下で売ってるのだから、
次に買いたいのは本かも知れないが、本を買っても読む暇がない。
というか、本の置き場所がない。
「自分が今一番遣いたいカネの使い途は何か?」を突き詰めて考えたら、
「肩こりマッサージを受けたい、足裏マッサージを受けたい」な気がする。
松屋百貨店に、肩こりマッサージ屋が入居していて、プリペイドカードが使えるなら、迷わず肩こりマッサージに出かけると思うが、百貨店にマッサージ屋はあるのか?
よそが1日3粒目安のところ1日1粒でお手軽かなと
直径が1センチあるから出るとき、肛門を通るとき感触で分かると思うの
出たら報告するね
当方女。
定まらないというより、相手のキャラクターに合わせて自分のキャラクターを変えてしまっているような気がする。
自分より高くかわいらしい声で話す女性には、声低めでガサツそうなキャラクター。
逆に落ち着いた雰囲気の人(男女問わず)と話すときには、こちらの声を高めにして、多少抜けているところがある風に喋る。
周りが自分より軒並み駄目そうなとき(めったにないが)は、できる限り自信があるような素振りをする。
男性と話すときは声のトーンが2段階ぐらい上がる。なんだかんだで愛嬌は大切だ。
あと、関西弁を喋る人には訛りを徐々に寄せていっている。出身地がそっち側なのでそうなる。他の方言は無理。
相手に応じてふるまい方を変えている、というよりは、“変わってしまって”いる。制御ができない。
おそらく、こうふるまえば相手からの好感を得やすいであろうと自分で判断したキャラクターになっているのだろうと思う。
困るのがガサツキャラで対応している相手と声のトーンを上げて喋るタイプの相手が同時に話し相手として存在するようなときだ。
自分の中でつじつまが合わなくなると、今まで自動的に表出していたキャラクターが機能しなくなる。こうなると手動で両方のキャラクターを調整し、なんとか軟着陸させなければならなくなる。超苦しい。
この場所ではこのキャラクター、と決めていれば、上記の謎の矛盾に苦しめられることがないと思うのだけれど。
私の場合、例えば人間関係の限定された職場のブース内でも冒頭の5種のキャラクターを使い分けようとしてしまう。正確には5種と言わず、相手ひとりひとりに合わせて微調整しがちだ。
もちろんこれを全開でやってしまうと非常に痛い人物になってしまうのはわかっていて、できる限り暴走を抑えて無難にふるまおうと心がけている。でも、そのとき自分が演じたいキャラクターはにじみ出てしまっていると思う。
パートナーから相手によってキャラクター全然違うよね、と指摘されて、やっぱり他人からもわかるのねと気落ちし同時に恥じた。
相手によってキャラクターを演じ分けるような賢しいことをしているのを看破されたのが恥ずかしい。でも自動的にやっちゃうものだしなあ。誰に対しても常に同じトーンでいられる人をうらやましく思う。
中二病のようなことをつらつら書いてしまって、自分でもなんじゃこれはと思う。けど目下の悩みである。
ぼっち歴が長く他人を観察する能力に欠ける私には、これが異常なことなのかがよくわからない。
6/19追記
トラバブコメでいろいろご意見いただきありがとうございました。共感してくださる方がいて嬉しかったです。
レスポンス用に文体をですます調に変えるのもキャラの切り替えに当たるんだろうか。ううむ。
自分の中で答えはまだ出ませんが、「キャラが定まらないキャラ」で行く、ってのは思いつきもしなかったので窮したときはそれで行こうかと思ってます。
八方美人であることに罪悪感を多少なりと感じていたと思うので、ある種開き直った方法は思いつかなかったんだろうなー。
平野啓一郎さんの「分人」に関する著書を今のところ読んだことがないのですが、どういう内容の言説なのかを調べてみました。
この方の論って、あんまいい例えじゃないかもしれないけど、多重人格の人を扱った創作物とかで見る「つらい思いをしているのは私じゃなくて別の子」みたいな話に着陸するんでしょうか。
自分の中にたくさんキャラがあり各々が分離していれば、対人関係でダメージを受けるのはそのとき表出していたキャラのみで、自分をまるきり否定しなくて済むみたいな。
「芯になる性格」を用意できないことに不都合があるのでは、と考えていたんですが、メリットがあるのであればこのままでもいいのかもしれませんね。
ただ現状キャラをそこまで分離させられるほどの器用さはありませんです。要旨を全く読み違えてたらごめんなさい。
給湯室でブリッコよねー!と陰口を叩かれるのに近いことは正直あります。まずいなと感じた場合、とにかく相手に恩を売っていく方向でカバーしようとします。
全方位に八方美人してますが、同性には(群れの権力者には特に)入念になります。あと、私の持ちキャラの基本的に全てが、下手・いじられキャラであることが奏功しているようです。
表面上は波風を立てていない、と思うのですが裏でどう思われているか怖いです。
個人的にはこの状態はコミュ障の一類型で、サービス精神の過剰な発露というか、話し相手への過剰適応が引き起こしているものと考えています。
http://anond.hatelabo.jp/20150618220544
レスどうも。
ロキソニンって、頭痛生理痛だよな。子供の成長痛にも効くとは初耳だった。サンキュ
と言いたいところだが、幼稚園児とか小学校低学年に、ロキソンンを投与して、いいの?
体重に合わせて、20キロの子供だったら、大人の3分の1の量にすればいいのかな?
小児用バファリンでもいいような気がしてきた。
ゴール(社会人)したあとには更なる苦しみしか待ち受けてないのに、それを手に入れるために苦しまないといけない(就活)理由が。
下の子が「太ももが痛い」と泣いている。
妻の解説によれば「骨の中身が痛くなる、成長痛」とのことだが、
どう対処すればいいかを知りたくて「成長痛、対処」と検索しても、
ロクな結果がヒットしない。
「放っておけば治ります」「優しく接しましょう」「さすってあげましょう」「スキンシップしましょう」って、それ対処法じゃないだろう。
そもそも、整形外科医や小児科医が、真剣に成長痛について研究してないから、「成長痛、対処」で検索しても、医師が執筆したエントリーは上位ヒットしないし。
結局、上位にヒットするのは、成長痛の対処に困った素人パパママの、手探りの対処法だけ
「スキンシップしましょう」なんて逃げを打たずに、ちゃんと「効果のある対処」を、なぜ医学界は提示できないのか?
そろそろ炎上も治まるかなーと思っていたら夏コミのサークルカットが発見されてまたちょっと勢いが盛り返した感じで
夏コミのブースには美人の売り子だけがいて煽りに行った馬鹿がルサンチマンを垂れ流す展開になるといいなあ
と思っている
怖い人は勉強してない人を恨んで
ある日突然幽霊のように部屋に入ってくる
お前が生き生きした餌に食いついてるのを利用して
気配を察知されないように工夫している
ある日突然部屋に入ってきて有無を言わさず怖いところに連れて行く
これはガチ
人の意思・思考はmeme(ミーム)とgene(遺伝子)、それぞれの複製子の上に成り立っている。
その構造はmeme、geneを根幹とした下記のAORI図で表現される。
■ Arch Of Reason to Instinct (AORI) ■ [ 意思・思考 ] 意思 [ 感情・性格 ] パーソナリティ [常識/宗教観/性癖*1] 具体的な行動指針 [承認欲求] [ 性欲 ] 本能的欲求*2 [文化拡大] [子孫繁栄] 複製子の目的 [ meme ] [ gene ] 複製子 **1 性的な傾向、という意味ではなく正しい意味での性癖。性的な傾向も含むが。「特徴的な行動傾向」くらいの意味。 **2 共通して健康への欲求などもあるが、そこは省略。
親子・家族・小さな社会での子育てが一般的、かつ情報源が少なかった時代はgeneの拡大≒memeの拡大なので、ほぼ区別する必要はなかった。
メディアの普及により、子供のときから膨大なmemeに晒される状態になると、memeの拡大には必ずしもgeneが必要ではなくなってきた。
memeとgeneの分離により、memeがgeneの束縛を離れて進化するようになった。
そして、geneよりもmemeの方が強い影響力を持つことも多くなった。
昔 [ 意思 ] [ 感情・性格 ] 《memeとgene両方に密接な考え方》 家族制度・古くからある宗教観など [meme]←近い→[gene] 最近 [ 意思 ] [性格はmeme側に偏りがち] 個人>家族 《強い影響力》■壁■《相対的に弱い》 [meme]←←←←←遠い→→→→→→[gene]
情報化により、個人個人が異なるmemeを持つような時代になる。
正確には、昔から小さな単位のmemeは無数に生まれていたのだが、伝え残す手段が乏しかったため、長期的に残ることが無かったのが、個人が情報を発信、アーカイブされるようになったことで、長く残り、徐々に進化し、一気に広がる可能性が生まれた。
多様性が進むあまりに、突拍子もない戦略を取るmemeも生まれてきた。
「自らを生物的な死に至らしめるような行動」や「性淘汰下において明らかに不利な行動」もmemeの拡大戦略としてみれば合理的な行動であると理解できるものも多い。
どこまでgeneとmemeに相似性を見出すかは感覚的な問題に過ぎないが、今後生まれてくるであろう様々なmemeに対し、どのように対処していくべきであるかのヒントになれば幸いである。
さらには、各個人の欲求の根幹であるmemeとgeneを分析し、自分の行動原理となる価値観・性癖の根幹を理解することで真の意味での「自由意思」に近づくことを推奨したい。
┌──[ 意思 ] ←←←←←←← 【自由意思の確立】 認 [ 性格 ] 【性格の制御】↑ 識 《 影響力 》 【AORI構造の把握】↑ └→ [ meme ] →→客観的視点→→ 【memeの把握】↑
そのことに何の意味があるかはさておき。
私の周りには白川郷に行きたい、または行ったという人たちがいるのだが、彼らの白川郷への熱意が凄まじいのだ。誰かが行ったと云えばうらやましいと唱える。何がよいのか、私にはわからないので、その「よさ」について尋ねれば、古き良き日本だの、田舎の風景だのと返ってきたが、九州の田舎にいるくせによくそんなことが言えるなと思いながら、白川郷の魅力の正体が気になるばかりだ。
・ 顔が濡れるので目に雨がはいり視界が遮られる。しみるし。おばちゃん達は顔が濡れるのを防ぐためフードを持って片手運転
・ 右左折で後ろを目視するにしてもカッパのフードが邪魔して見えない
かえって事故が増えそうな気がする。
本当に安全なんですか?
どうにかならないんですかね。