酒を飲んでいる。眠れない。昨日猫が死んだそうだ。我が家に来る予定だった猫だ。猫は怪我をして動物病院に入院していた。うちに届けてもらう予定だった日の数日前に怪我をしたと聞かされた。入院は二週間というので新たに日を設定し待った。その日の数日前の検査で退院が一週間延びた。明日再検査をして問題が無ければ退院してうちに来るはずだった。昨日処置をしていたら突然暴れてそのまま死んだのだそうだ。すでに火葬も終えたと知らされたのが今日のことだ。猫には直接会っていない。写真を見ただけだ。だから悲しいとか寂しいとかそういう感情は出てこない。ただ余りにも余りだ。気持ちの持っていき場がない。溺愛していた猫なら号泣するだろうし知人の飼い猫ならお悔やみのひとつも言えよう。そこまでの愛着はまだ無く完全に他人の猫でもない。眠れない。結局猫には会えなかった。火葬されているから写真で見たつやつやした毛並みを撫でることも叶わなかった。猫社会で上手くやれなかった猫だったのだそうだ。我が家の猫ひとりの環境でいずれのびのびと過ごしてほしかった。うちにはキャットタワーや猫トイレがある。猫が来るので買い揃えた。フードもある。おやつもある。猫だけいない。死んだ。酒を飲んでいる。飲み足りない。眠れない。
時々、増田と似たような状態になることがあるよ。
自分の場合は、仕事が辛いとき、家庭が辛いとき、フィクションのキャラにハマっている。
こういう性癖は隠しておかなければと思う反面、誰かに聞いてほしい。
自分の中で好き勝手に理想化できるフィクションのキャラクターを好き勝手してしまっている背徳感や、
増田が指摘している「罪悪感」「自分への嫌悪感」「そのキャラがいれば幸せ」という気持ちで、
胸がいっぱいになる。
そして、ひとしきり罪悪感や幸せをかみしめたあとは、
「楽しいけど、フィクションの世界だと楽しかった思い出しか残らないな」と思って、
子持ちでもセックスはOKだよ。
じいちゃんが老衰で死にそうだ。
今はがりがりにやせ細り、かろうじて立てる。かろうじて正気を保っている。
肌は変色し、目はくぼみ、見た目は死骸のほうが近い。
テレビで見たミイラが動いてるかのようで、まるでCGみたいだ。
人が死んでいくってこういうものなんだなあ。
気が付けば一緒にお話したり仲までに
しかし子持ちは・・子供の年齢にもよるけど、聞いてると小学生と3歳ぐらいだった・・
告白するのは辞めとけ!どうせ振られる!
と
と
子持ちはあかんだろ。辞めとけ
の
俺が葛藤しとる
久しぶりに恋をしたら相手は子持ちでした
この要求がある前提で書いてしまったが、元増田にはその要求は入ってなかったね。
片親じゃなくて、将来親と同居しないで、大学を出ていて、経済感覚がおかしくなくて、まっとうな交友関係があって、収入・状況に見合ったそれなりの家事育児を苦にしない男。
子供を産まない前提ならこうなるだろう。
姦淫の罪を犯した女は石で撃ち殺せ。父母を殴る奴は死刑。目には目を。歯には歯を。
それがイエスだ。
人が人を裁くな。隣人を愛せ。
多くの人がイエスに従った。
ある者達は彼を救い主(=キリスト)と呼び、ある者は彼を預言者と考えた。
君はレイプされた少女が石打ちの刑で処刑されるニュース映像を見たことがあるかい?
あれは厳しいよ。厳しすぎるよ。
弟子達ががんばったり処刑されたり弾圧されたりしつつも信者を増やして行った。
さらにいろいろあってローマの国教になり布教されていった。(civ4 的な意味で)
たぶんだいたいローマのせいじゃないかな。
なんでお前の家には仏壇があるの?と同じくらい意味のない質問だとおもうな。
うちのばあちゃんが教会に行けとうるさいとか。最近の若者はサラートしないとか。うちの親戚がお盆に帰らないと煩いとか。
聞く分にどの宗教も「どうでもいいと思っているけれど習慣とかしがらみとかで」という人達がそれなりの割合を占めているように思える。
すれ違いが起こる原因は「クリスチャンの家庭ではキリスト教で倫理教育を行っていること」ではないかと思う。
たまに聞かれる「なんで日本人は無宗教なのに犯罪が少ないの?」なんて質問はこの辺りのすれ違いから来ていると思う。
日本の一般家庭はお父ちゃんお母ちゃんが倫理教育をしているんだよね。
「人に親切にしなさい」「人にして欲しいと思う事を人にしなさい」「差別はいけません」(注1)
だいたい新約聖書に書いてある事と一緒だよ。
http://anond.hatelabo.jp/20150607042259
どう見ても変わった人生歩んでるでしょ、片親極貧って
自転車に免許がいらないのは要するにあれは歩行者に毛が生えた程度のとるにたりない乗り物だからだ
リヤカーに免許がいるか? 三輪車に免許がいるか? ローラーシューズに免許がいるか? それと同じだ
だから傘差して乗ろうがイヤホン聞きながら乗ろうが何の問題もないに決まってる
自覚がどうだの想像力がどうだの常識人ヅラしてるやつのほうが絶対におかしい
片手運転があぶないというなら片手しかない人間は自転車に乗ってはいけないのか
イヤホンがいけないというなら耳の聞こえない人間は自転車に乗ってはいけないのか
うっかりつまづいて転んだ拍子に前を歩いてたババアの骨を折るかもしれない
そんなもんはお互い様だ
それでもびっこ引き引き歩くんだろうが
もしかしたらおまえらのその正義ヅラは本当に義憤からのものなのかもしれない
もしかしたらおまえらは家族や友人を傘差し自転車に殺されたのかもしれない
それはわからない
だがそれでも俺はお前らを全力で否定する
お前らは間違っている
「この雑踏にいるたくさんの人すべてが、あんなふうに死と隣り合わせの出産を経て生まれてきたなんてすごい!っていうか、この地球上にいる人がぜんぶこんなふうに生まれてきたなんてすごい!」
こんな奇跡を経て生まれてきた命が何十億も存在してるなんて、この世界ってすごい!本当に、奇跡のほしなんだ!って思った。
それ以来、それまで興味のなかった他人の人生に敬意を払えるようになった。小さいもの、弱いものに心を寄せられるようになった。
反対に、今までは平気で聞き流せていた事故のニュース、火事のニュース、殺人のニュースを聞くたびに、心臓が締め付けられるような気持ちを覚えるようになった。
だから「今までも1800人の隊員が殉職している」という想像力に欠けた発言が流れてきたとき、愕然としたし、悲しくてしょうがなかった。
いま、私には4人の子供がいる。
自分や、自分の家族や、自分の愛する人が、つつがなく人生を全うするということ以上の幸せがいったいこの世のどこにあるというのか。
片親じゃなくて、将来親と同居しないで、大学を出ていて、働いていて年に300万稼ぎがあって、まっとうな交友関係があって、収入・状況に見合ったそれなりの家事育児を苦にしない男。
強いて言えばこうかな。
片親じゃなくて、親と仲が特別悪くなくて、大学を出ていて、おかしな経済感覚を持ってなくて、まっとうな恋愛をある程度してきていて、簡単な料理と当たり前の掃除洗濯を夫婦の仕事として負担できる男。